ドジャース
2024-03-13 10:48

ドジャース

スポーツ文化評論家 玉木正之
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00:00
毎週水曜日のこの時間は、玉木正之のCatch Up、スポーツ文化評論家、玉木正之さんです。
玉木さん、おはようございます。
おはようございます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
大谷選手はまた打ったらしいですね。
オームランが出ましたよ、第2号ですか。
すごいですね。日本の野球よりアメリカの野球の方が、日本でも有名になっちゃった。
これは喜んでいいことなのかどうか、それはさておきまして。
これだけ大谷選手とか山本選手のことが騒がれると、やっぱりドジャースのことをきちんと知っておきましょうということで、
今日はドジャースということをちょっとしゃべってみたいと思うんですけどもね。
ドジャースの名前は言いましたよね。
ドッジから来てるっていうね。
ドッジボールのドッジで、ドッジドッジ、要するにブルックリンというニューヨークの下町で、
狭いところで子供たちが遊んでいて危ないからよけるよけると、
親が言っていたドッジドッジといつも道で言われていた子供たちがブルックリンの子供たちと言われて、
それがロサンゼルスという広々としたところに変わってきたけれども、名前は残したと。
ロサンゼルスのドジャースはロサンゼルスのブルックリンの子供たちという、ちょっと妙な名前なんですけどもね。
今キャンプを行われてますけれども、アリゾナで行われてます。
しかしこれ、1908年、2008年まではベロビーチ、フロリダだったんですね。
私もフロリダよく行きました。
ドジャースのキャンプがあったんでもちろん行ったんですけど、
星野千一さんの中日ドラゴンズもそこでキャンプをやりましたし、
それ以前にはジャイアンツが4回もドジャースと一緒にキャンプをしてますね。
一番最初に行ったのは1961年で、この時に大きな出来事が起こるんですね。
そういうのはドジャースの戦法というのを、ジャイアンツが日本に持ち帰ってくるんですね。
ドジャースの戦法って今でも本売られてます。日本にも翻訳された本が。
打順はこのように組んだらいいとか、守備はこのようにしたらいいとか、すべて書いてある。
いわゆる教科書ですね。
その時に日本に巨人が持ち帰ったのが、一つはバント守備ですね。
一類種と三類種が前にバーッと走ってきますよね、バントの時には。
あんなことをするのは今はそれまでなかったんですね。
それを持ち帰ったのがすごかったということと、それともう一つはバスターですね。
バスターといえば日本人には通じますけれども、
バントの構えをしながら、兄弟に変えるという。
03:05
これバスターというのは和製英語ですね。
アメリカ本場では通じないんですか、これ。
通じます。バスターといってもぶち壊しとかね、すっげーなーということのような意味ですね。
だからマイク・タイソンに東京で買ったダグラスというボクサーは、バスター・ダグラスと言われてましたね。
ぶち壊しやーという。
だからその時バントの構えから打った瞬間に、
そのドジャースとかアメリカの選手たちが、おーバスターって言ったんですね。
その時の意味はすっげーという意味ですね、日本語で言えば。
それを横で聞いていた牧野茂さんという人が、これはバスターという戦法かという。
なるほど。
日本では今でもバスター・バスと言って紹介されてますけどもね。
一度牧野茂さんに言ったことがあるんです。
これ英語では通じます、違いますよねって言ったら、いいじゃないか、わかりやすいからって言われて。
確かにその通りで、言葉ついてるほうがわかりやすいですね。
ドジャースというのはもう一つ言っておかないといけないのは、
ドジャースの戦法、これは実はスモールベースボールとも呼ばれてまして、
ピッチャーにものすごくいいピッチャーがいたんですね。
ドライス・デールとサンデー・コファックスという30勝クラスのピッチャーが2人もいて、
その上足の速いモーリー・ウィリスという選手がいたもので、
走って1対0で勝つっていうのがドジャースの戦法だったんです。
あーなるほど。
ところがそれを王も長島もいる都人が取り入れたというので、本当はちょっとおかしいんですけれどね。
だからそのスモールベースボールという言葉は伝わってこずに、
これがドジャースの戦法として伝わったというようなところがありますね。
もう一つ有名なのはドジャースというのは、アメリカ大リーグが始まって以来、
20世紀になって黒人選手が初めて使ったのがドジャースですね。
ヤッキー・ロビンソン。
背番号42でロビンソンが初めてメジャーに活躍したとき、
4月15日の試合はみんな、全メジャーの選手が42の背番号を付けます。
そういうふうな新しいことをするドジャースというのは有名だったんですが、
もう一つは有名な選手がいたんですね、ドジャースには。
ベロビーチなんかでキャンプがあるときには写真が飾ってあったりしまして、
実はこの人、ドジャースでは一打数ゼロアンダーという記録しか残ってなくて、
シカゴカプスでちょっと活躍したんですけれども、
06:01
NBAの前身のバスケットボールの選手でもあったんですね。
身長が197センチという選手で、名前がチャック・コナーズ。
これご存じないですか?
チャック・コナーズ。
うわー、やっぱり若いな、皆さん。
といったら日本でも大人気になったんですよ、この人は。
ライフルマンってご存じないですか?
うわー、やっぱり若いな。
すみません、まだ二十歳なもんだよ。
古いですけどね、ララミー牧場とか、ローハイドとかテレビ映画がすごく流行った頃に、
ライフルマンというのも流行ったんですよ。
いわゆる西武劇的な?
西武劇です。
ライフル銃を持っていて、そのライフル銃をピストルのようにクルクル回すっていうのを結構受けまして、
それでスター、チャック・コナーズってすごく有名になったんですよ。
この方が実はバスケットボールの選手でもあり、ベースボールの選手でもあったと。
そこでドジャースに所属したことがあるっていうので結構有名だった。
そんないろんなエピソードを持っているドジャースなんですが、
実はここで働いた日本人の方が相久幸原さんという方がおられて、
この方はアジア大学の監督で、アジア大学を三部から一部にした人なんですが、
野球の勉強しなきゃっていうんで、アメリカに単身行ってドジャースと仲良くなって、
オーナーとウォルター・オマリーという人ですけれども、
その息子さんのピーター・オマリーという人とすごく仲良くなって、
この方がドジャースのオーナー秘書になるんですね。
それで日本からジャイアンツとかドラゴンズがキャンプに行くときのお世話を全部したりとか、
それから選手が単身で野球留学するとき、
中日の山本雅投手とか、そこから巨人の長島和重さんですね。
そういう方のお世話を全部した人なんですよ。
もう今は残念ながら遺願で亡くなったんですが、実は私もいろいろお世話になってまして、
家族でアメリカに行ったときにはドジャースのチケットを取ってくださったりもしたことがあるんですけれどもね。
この藍国原さんという方がオリンピックで野球を正式種目にするときにも活躍されたんですよ。
日本人でアメリカと日本の架け橋を作ったっていう人がドジャースにいると、
そのドジャースが今すごく日本でも話題になっているっていうのはやっぱりちょっと知っておいた方がいい。
これはアメリカと日本をつなぐ歴史だと思いますね。
09:02
なるほど。
ありがとうございます。知らないこともたくさんありましたけれども、いろいろ教えていただいて。
ますます来週の開幕も楽しみになりました。
ありがとうございました。
どうも失礼しました。
スポーツ文化評論家、田脇雅之さんでした。
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