00:01
みなさんこんばんは、うがんばうがんばの卵です。水上優です。
みらです。
前回はね、みらさんがすごい興奮して古代史を語るっていうかって書いてあったんですけど。
全然準備不足で、
あやふやのこといっぱい言ってましたね。
熱意は伝わったと思うけど、それが正しいかどうかわかんないんで、みなさんは話半分に聞いてくださいってことですね。
押し勝つって楽しいよねっていうことがわかってくれれば。
そうね。
ですけれども、今回はちょっとあの、今回ね、4本撮りしているので、最後の1本ということで、ちょっと内静的なテーマでやってみたいんですけれども。
はい。
何ですか?
テーマは。
そろそろ出しちゃう。何ですか?
テーマの発表をお願いします。
テーマは、あなたが待っていることありますか?っていうテーマなんですけど。
なんで手叩くの?
手叩かれても困るんだけど。
なんかあの、
これはね、私去年1年をかけて思った、考えたことなんですけど、
ここに和下清和の末ということという本があります。
これすごい良い本なんでお勧めなんですけど、
末っていう、前回前々回の内容と顔が変わってくる気もするんだけど、
なんか末っていうことってすごく人間的というか、
なんか、なんだろうな、人間としてすごい重要なことのように私は感じていて。
そうだね。
なんかまあ、そうね、前回はその要は幹部天皇がいかに決断する人だったかっていうのにフォーカスが当たって、
それってすごくやっぱり、なんだろうな、物事を変えていったりとか進めていくときにはすごく重要なんだが、
なんかその、変化することを待つみたいなこととか、
時が来ることを待つみたいなことってすごく人生においても重要だし、
人間性を深める上でも大事なファクターになるなって最近はすごく思うんですね。
すごい、なんか、ちゃんとしたこと言おうとしてる。
ちゃんとしたことって何ですか?
どういうこと?
このテーマの時、何話そうかなと思ってさ、
なんか基本、それでもね、
03:02
ユウくんが今言ったことをこの後ちょっと詳しく聞きたいんだけど、
僕この待つってことを、なんだろう待つってと思ったときに、待つってやだなってなったんだよね。
っていうのと反対だなと思って、すごくなんか面白いなと思ったんだけど、
ここに来るまでにバスを待ってたんですね。
バス待つのって本当にやだなと思って。
バス嫌いだもんね、まず。
バスの中でもさ、待たないといけないでしょ、バス停着くまで。
あーその、たどり着くことをね。
そうそう。
なんか特に混んでるバスが嫌い。
それはあんま好きな人いない気がするけど。
で、なんかもう、ちょっとイライラがついてくるのね。
今日もさ、目黒の都営バスの人さ、なんでそんな声ささやいてんの?と思ってさ。
何をささやいてたの?
まもなく発車いたします、みたいな、わかる?
ASMRみたいな声出すの。
バスの運転手さんが。
いるね、そういう人。
すごいささやくのね。
発車します、みたいな。
余韻があるの、しかも。
いいじゃん、別に。
いいんだけど、なんか気になってさ、なんかこう。
あと最近見たドラマでね、バスで過去に行くとか未来に行くみたいなドラマがあったんだけど。
なんかバスってイライラするなって。
今、待つってところからスタートしたはずなのに、最後バスが嫌いって話に行ったんだけど。
っていうのを考えながらここに来た。
待つについて考えたから。
電車を待つのはどうなんですか、じゃあ。
電車を待つのも嫌いだけど。
嫌いっていうのは何なんですか?何がいいやっていうかどういう感じなんですか?
嫌いだけど、電車、なんかぼーっとそこ。
分からない。
でも飲食店で列するとかも嫌い。
それだったらもう違う空いてるお店とかに行っちゃうとかってこと?
そうだね。
そうだね。
待つね。
でもね、待つってか重要なのはね、っていう意見はね、ちょっと取り入れたい。
取り入れたい?
取り入れたいというかね、ちょっと聞きたい。
なるほど。
たぶんね、待つが人間的に大事っていうのはね、それは感じる。
祭りの語源は待つだからね。
06:00
あ、そうなんだ。
やっぱ何かの到来を待つって言うよね、祭りって。
なんかその、待つ。
待てる人になりたいですね。
そうですよね。
まずこのジャバシタキオカズの本の裏に書いてあるリード文みたいなやつ読むと、
現代は待たなくて良い社会、待つことができない社会になった。
私たちは異のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、
そういうものへの感受性をなくし始めた。
偶然を待つ、自分を超えたものに突き従う、
未来というものの訪れを待ち受けるなど、
待つという行為や感覚からの認識を認証哲学の視点から考察する。
って書いてあるんです。
そう、だから何、ここね、
未来というものの訪れを待ち受けるって書いてあって、
で、その、
ここで言われている未来っていうのは、
自分が何かをしたことによって到来することが分かっている未来ではなくて、
自分が何かをするってことを超えたものによる結果によって訪れる未来は、
もう待つしかないっていう話なんですよね。
で、そういう感覚ってどんどんなくなっているなって気がしていて、
で、それはさっきの相手を説得できるみたいな話とも近いんですけれども、
自分、何か、
テクノロジーなのかな、
発展するとどんどん私たちって、
いいのままに操ることができるようになってきているわけじゃないですか。
例えば寒かったら暖房を入れたら快適になるとか、
遠くの人と話したかったらテレビ電話ができるとか、
テレビ電話って言わないのか、なんかズーム?
ズームができるとか、
それは自分が移動しなくてもできるようになるってことじゃないですか。
あと手紙とかも待たなくてもいいんだよね。
その待たなくてもLINEとかすればすぐ返ってくるし、
しかもLINEとかって既読機能がついてるから、
届いたかどうか分からないっていうとか、
それって本当は返事が返ってきたときに、
あ、私の送ったメッセージが届いていたんだっていうことが初めて分かるじゃない?
手紙とかって。
それはだから待ってるってことなんですよね。
だからテクノロジーっていうのは反面だから、
09:02
待つってことを殺す、いかに殺すかっていう発展の仕方、
もしくはビジネスの世界は、
いかに人の待つをなくすかっていうことに注目してきたっていう風に言えるのかもしれないね。
あと最近ほらブーカとか言うじゃない?
ブーカ?
ブーカって言うんですよ、コンサルティング界隈では。
ブーカ?ウルトラマンは怪獣じゃないの?
そうなんだけど、まさに怪獣みたいなもんなんだけど、
要は不確実性が高い世の中になってきたみたいな言い方をみんなするんだけど、
分かるそれ。
ずっと不確実性高い世の中なんですよ。
人間とって。
なんだけど、なんでそれ言いたくなるかっていうと、
確実であるものを増やしてきたからですよね。
なるほどね。
ビジネスとか、その企業活動においては不確実性を減らす、
要はそのある種待つみたいな部分。
待って、自分の作為とか自分がコントロールできないことに関しては、
やっぱ待つってことしか本質的にはできないはずなのに、
待つっていうことをしないようにすることが、
ある種不確実性を減らしていくような作業だったりする。
不確実性が高い世の中って、
世の中、時代っていうものは、
確実性は今まであったことがないのに不確実性っていうことは、
もう不確実なものなんてそんなぐらいしか残ってないってことなのかな。
そういうふうにも言えるかもしれないよね。
でも本当のことを言ったら何もかも不確実だし、
いつ何かが起こるか分からないし、
やっぱりそうすると何かが起こることを、
何て言うんだろうな、待つってことがやっぱり大事なんじゃないか。
時が熟すとかさ、
っていうのを考えたりするわけで、
これはよく私が会社で、
日賀さんっていう一緒に会社やってる人と話すことなんですけど、
フィールドワーク、人類学の人がやる、
フィールドワークにおいても待つっていうことがすごく重要で、
何でかっていうとフィールドワークって結構、
何でわざわざ時間をかけてやるかっていうと、
自分のある種の思い込みとか、
自分が持っている価値観みたいなのの、
外側にあるものを知りたいからフィールドワークをするんですよね。
12:01
そうじゃなかったら本読めばいいし、
ネットで調べればいいし、
それこそズームで現地の人とつないでインタビューすれば、
分かることでいいはずなんです。
でもそれをしないで、
わざわざその場に住んで、
その場の生活をして、
現地の人たちの価値観とか考え方を知っていこうとするっていう時に、
何をしてるかっていうと、
自分の都合とか、
自分の考え方ではどうしようもないことを知りに行くっていうことをしてるんですよね。
で、自分の考え方の外にあるものを知るためには、
自分で考えた問いかけとかをしているようでは、
見えてこないんですよ。分かります?
もう一回。
だから自分で作った質問の中には、
自分の価値観が埋まれてるでしょ。
それ仮説みたいなことってこと?
仮説みたいなのもそうなんですけど、
例えば、
すごく壁に穴が空いてるような家に住んでる人がいて、
その人に、
壁に穴空いたままで何で住んでるんですか?
とか聞いたりとか、
それはまだいいけど、
例えばその穴空いてる家に住んでる様子だけを見て、
お金に困ってるんですか?
とか聞いちゃうとするじゃん。
それってある意味、
それって聞いてる人の中に、
お金がない人は、
壁に穴が空いてる家に住み続けるんだとか、
完全じゃない、不具がある家ってことですね。
っていうのはお金が足りないからだ、
みたいな価値観が擦り込まれた上での質問なわけじゃないですか。
でも本当は、
何かの目的があった穴が空いてる可能性もあるし、
もしくはその小屋の中ですごく危険な毒物を扱うから、
通気性が良くないといけないから、
穴空けてるみたいな話かもしれないし、
いろんな可能性あるけど、
お金の話に持っていっちゃう価値観、
みたいなところからスタートして質問するわけじゃない。
そうすると相手は、
お金がないわけじゃないんですよ、
としか答えられなくて、
毒物扱ってますみたいな話には
たどり着かない可能性が高いわけじゃないですか。
で、
周り道しちゃったんですけど、
相手が大事にしてることとか、
相手が見えている現実とかを
知っていくためには、
やっぱり自分が考えた質問をして、
15:00
それを即時で返してもらう、
みたいなコミュニケーションしてると、
分かんないことが多くなっちゃうんですよね、逆に。
だからその待つみたいなことが必要で、
例えばたぶんその穴が空いた家に1日いたら、
分かんない可能性もあるけど、
でももしかしたらその穴を使ってる瞬間を
見ることができるかもしれないじゃないですか。
とか、
穴がある現実が、
そこに住んでる人たちにとって、
どういう意味を持ってるのかっていうのが、
だんだん見えてきたりとか、
だんだん分かってくるみたいなことがあり得る。
だから、
他者を理解するみたいなことって、
みんな簡単に言うんですけど、
他者のことを知ろうとするためには、
やっぱり待つ必要があって、
そうではないと自分の空の外に出られない。
自分の理解できることしか理解できないし、
自分が理解できる論理構造の外にはたどり着けない。
っていうことが発生してしまう。
すごく寂しいことなんじゃないかなと思うんですよ。
なのでやっぱり人間として、
待つっていうことはすごく重要なんじゃないかなと思う。
普段の仕事とかってさ、
問いの精度を上げようとする方向な気がするよね。
仮説の精度を上げるか、
仮説を問いかける回数を増やすかっていうか、
その反応を見て帰ってきたものにまた打ち返すみたいなね。
問いの発信の質と量どっちかでどうにかしようみたいなことが多いよね。
そうすると多分、
問いかけて答えてもらえる力を持っている人が良いみたいな感じになっちゃう。
し、それによって分かることはやっぱり問いかける側の価値観の中でしか分からない。
本当はこう思ってたのにみたいな話とか、
本当はこういう事情があるのにとか、
18:02
そういったことは問いかけを何回繰り返してもたどり着けない。
優君と話した時もさ、
よりもう一個時間軸が長くなったような気がしていて、
前は評価を保留するみたいな話も昔した覚えがあって、
そういうのってよくあるよね。
子供に片付けなさいって言ったでしょって言ったら、
じゃあ私の似顔絵描いてたみたいなとかじゃないし、
なんでお皿片付けてって言ったのにとか、
なんでこんな洗濯物出しっぱなしにしてるんだろうとかあるけど、
実は理由がある。
そこで評価を決めつけて発信することで、
人とのコミュニケーションを損なっちゃうことってあるよねっていうことってあると思うんだけど、
マツっていうのはさ、それもマツだと思うんだけど、
もっと一段上のコミュニケーションというよりかは、
もっと広くいい意味なのかなって今ちょっと考えてて、
態度みたいな。
この自分っていうものがそこの生き方みたいなさ、
そういうところにまで影響がある話というふうに今ちょっと感じた。
マツ。
それをマツってことを去年考えてたの?
考えることが多かったです。
去年いろんなことがあって。
待てた。
いや、待てなかったことがいっぱいあったから。
待てなかったことがいっぱいあったから。
自分の待てなさ加減に呆れた。
問いの精度と回数を増やしちゃったってこと?
そう。
そういうことね。
より精度の高い問いにしたり、もしくは回数を増やすことによって、
解決する?
そうだね、解決すると思ってた。
21:12
全部は分かんない。
けど、
マツっていうことを殺そうとしてる世の中ってあることは認識したいなっていうのは思うよね。
私、それが推奨されて、人のマツをどれだけなくせるかみたいなさ、
待ってる間にあなたは何するの?みたいな。
リードタイムみたいなところだよね。
っていうことをいつも求められてるなって。
それをやる方が正義っていう感じ。
仕事はそうだけど、プライベートでそうかなっていう人もいると思うんだけどさ、
そんなに器用じゃないと思っててさ、人間って。
絶対に仕事の価値観ってプライベートに影響してくれると思うし、
世の中のそういう、
ネットの遅さにが待てないとかさ、
どんどんインターネットの情報スピードが速くなっていることって、
我々の精神にまで影響があるんじゃないかなって思うね。
だからここに書いてあるんだけど、
万葉集とか五金和歌集は、
中には待ち遠しさを歌うことが定番であるようなことが教えられていたとか、
歌謡曲とかもそうだよね。
待ってるっていうことをいかに情緒的に描くかみたいなことが、
すごく注力されてきた。
待ってるときに何を思っているのかとか、
やっぱりすごく重要視されてたけど、
今はだから皆さんが言うように、
何をするのかとか、何をしたのかとか、
その結果どうなったかみたいなところにすごく重きを置かれていて、
待ってる間何してたかっていうのは、
何してたかって聞かれるのは、
何かの結果の達しすることをしてたのかっていうことだと思うんだけど、
それは待つをしてたんですって言えばいいはずじゃん。
待つってことをしてたんですって言ったらいいはずなのに、
それがいけないことのように思われる。
なんかそれはね、ちょっと今つながってきたんだけど、
この1月奥が感じてたことと近いような気がしてきた。
24:00
なんかね、
待つことに罪悪感みたいなのを感じてたのかなと思ってて、
地震があって、
私の親族が、地震と関係ないんだけどちょっと倒れちゃったっていう感じでしょ。
入院されたって。
やっぱ待ってられないみたいな時ってあると思うんだよね。
地震が起きた直後ってさ、すぐに病院行ってとかさ、
ずっとそこでいてもしょうがないから、
そこに待ってる。
待つことにする。
手術が終わるのを待ってるのが家族が待ってて、
僕らは1回そこから引き上げたんだけど、
でもそれも待ってるんだよね。
一旦ちょっと距離を置いて、
地震のこととかも、
1回東京に帰ってくる。
親族が倒れちゃって、
でも退院したりとかしないと僕は何もできないから、
自分の生活に戻って状況が変わるのを待ってるんだけど、
それに対する後ろ目立たさみたいなさ、
罪悪感っていうのはどっかにあってさ、
それはね、地震があって、
自分の地元の県で地震があって、
それに対していろんな人が動いてるんだけど、
自分は特に何もできてないなみたいなね。
僕がするべきことっていうのは、
今、この手でいいはずなんだけど、
何か動いて、何かしてた方がいいんじゃないかな、みたいな気がしちゃう感覚を今ちょっと思い出したというか、
何だろうな、こう。
だから僕がすることは、春の訪れを待てばいいというかさ、
状況が良くなるのを待ってばいいはずなんだよね。
それだけでいいと思うんだけど、
何かそれだけ、それではいけないんじゃないかって、
どっかで思ってるんだろうなっていうのを今ちょっと、
何かこう、もやもやしてるの。
そういうことなのかなってちょっと思った。
あと、何だろうな、もう一個待つってことが重要だというか、
ここでは下木岡さんが、
待たなくて良い社会、待つことができない社会になったって書いてある。
27:03
重要なポイントが社会って言葉だと思うんだけど、
何で待つことができないかっていうと、
待つこともすごく個人化してるんだと思うんだよね。
そういう、何かもう一個別の、そっちに置いてある本で、
これは人類学の本なんだけど、
人を知る法、待つことを知る正義っていう、
東アフリカの紛争解決の方法について書かれた本で、
これは、紛争があった時に、
人が人を裁かなくて良い方法を取るために、
待つっていうことをするっていう事例が書いてあるのね。
で、この社会では、
第三者によって裁判などで、
どちらが正しいかみたいな話を決めるのではなくて、
ある種審判みたいに似てるんだけど、
神の判断みたいなのに近いんだけど、
受物を飲んで、
受物の力によって待つ。
で、互いに正しいっていう主張してる双方が、
ずっと待っていることによって状況が変わったりとか、
互いの互いに対する認識が変わったりとかして、
どちらかが悪かったみたいな感じで謝ったりとかすることによって、
紛争が解決に向かうっていうことをやってるんだよね。
で、だからその場で裁いたりとか、
その場で解決したりしないっていうのを、
共同体全体で合意してるんだよね。
受物を飲むみたいな儀式とかを開始することによって、
この人は待ってる段階にある人なんだってみんな認識するわけじゃない。
それによって待つことができるっていう部分があると思ってて、
これはだから一人でできることじゃないというか、
どっちかの人がさ、
お前何してるんだとか、
お前早く負債を挟えよみたいな話になったら、
待つってことは機能しないわけじゃない。
だから双方が待つことに合意してるっていうか、
30:00
待つことに認識してる必要があるし、
もっと言えばその周りの人たちも、
なんかアホの人は待ってるんだな。
それでいいんだな。
それが自然の摂理だな。
って思っててないと待つことってできないと思う。
個人個人の問題だけではないと思うんだよね。
だからそのミラさん今回、
なんか自信があって、
でも自信じゃないところに戻ってきて、
何もできないみたいに思うのって、
ある種、何かできるんだったらしなきゃいけないみたいなプレッシャーとか、
社会的要請があるからかもしれない。
だからそれはただ待ってるだけではダメだっていうふうなことを
思ってる人が多いのかもしれない。周りに。
っていう可能性があるのか。
そうね。
待つことを自分自身にも許さないとね。
僕みたいに、
ツイッターの地震のニュースに湧いてくる、
インプレゾンビ全員を通報するっていう不毛な作用をして、
してたの?
気を紛らわすことになるから。
今まで何人ブロックさせたか分かんないよ。
すごいね。そんな正義感がある。
危ない正義感を、ちょっと危ないSNSの使い方。
待つね。
なんかでも、待てなくなってるのは感じる。
例えば何かこう、
何らかの出来事があった時にさ、
すぐにその、何だろう、
何かあった人たちに対して、
すぐ100%の発表みたいなのを求めてる気がするのね。
でも普通に考えてさ、
心とか出来事の解釈とかってさ、
当事者だったとしてもさ、一様じゃないというかさ、
文字にすればするほど伝わらないじゃん。
自分の全部の思いじゃないみたいなこともあるでしょ。
待ってあげなきゃいけないことっていっぱいあると思う。
だけど待ってあげられない。
人々のどうしての声が強くて、
33:06
待ってあげられない、
待ってくれない世の中って思うことがあるね。
いろんなニュースを見て。
いろいろあるじゃない。
イスラエルの問題とか、
ロシアとウクレレの問題とか、
今回の地震とか、
しかもそれに反応してない人を責めるみたいな部分もあるなと思っていて、
反応できる人は反応できる人は素晴らしいことだし、
そういう風に意見を表明することってある種大事だけど、
反応したいけど反応できないなって思ってる人も素晴らしいですごく大事なことだし、
尊いし、
逆にモモといけば反応したくないし、
反応できないなって思ってる人も同じように大事というか、
帰り見た方がいいんだろうなっていうのは思うんですよね。
待つことが必要というか、語ることができるようになる。
この問題について明確に声を上げてない人みたいなのを悪とするみたいなものとか考え、
でもその人たちはもしかしたら考えた末に賛同するかもしれないし、
そうじゃないかもしれないっていう待ってる状態。
結構それはね、必要だと思う。双方にね。
さっきの仲裁みたいな話でさ、
仕事だとね、仕事上で揉めた人の仲裁みたいなことを知ってたことがあって、
やっぱそうだね。
待てなかった?
待てない。
待ってたら上司が出てきちゃうしね。
36:06
ここまでは何々さんが悪かったっていう話ですから、
ここから先を見てあげましょうみたいなことを言ったんだよね。
それは正しかったと思うんだけど、
結局そこで解決したかったと言うと、最後までその二人が見合ってたんだけど、
これの話で言うと高級的に、一時的な関係だからね。
日本の仕事場での環境はそんなね。
3年4年で続くわけじゃない。
だから結局一人辞めちゃったんだけど。
ここまでは許してあげて、ここから見てあげてくださいっていう話をして、
それが正論だったなと思うんだけど、謝ったからみたいな。
でもそれさ、分かるんだよ。分かるよ。
人の気持ちってそんなさ、ゼロか1かみたいな話じゃないからさ、
やっぱずっとね、それで分かりましたが分からないよね。
でもそれっていうのは、ずっとそうでしょってことなのか、
我々が待つってことを許してない社会だからそうなるのか、
っていうのはちょっと新たな視点な気がするよね。
しょうがないでしょそれって。でもどっかで区切らないといけないじゃん。
で、当たり前っていうこの価値観は、
今の社会だから近代なのか、近代化されたからなんか西洋化されたのか分からないけど、
今の我々の世界の価値観だからそうなだけで、
なんじゃないかっていうふうにちょっと突きつけられた。
そうですね。
なんか自然に近いとさ、必然的に待つことを強いられると思うんだよね。
例えば稲作とかしててもさ、
どんだけ肥料を与えて、どんだけ水を与えても、
1日で収穫はできないじゃん。種まいて。
待たなきゃいけない。もう半年とか、実が成るまで。
だし、例えば漁とかだってそうじゃない。
いくら漁に毎日出ても取れないみたいな時があって、
取れないことはもうどうしようもない。
どんなに罠に工夫して、どんなに自分の気配消して、
どんなに慎重に山の中に入っても、獲物が取れないときは取れない。
で、稲作にしたって漁にしたって、魚の漁にしたってそうだと思うけど、
39:05
そこは待たないといけないわけよね。
イワシが回遊してきて、その湾の中に入ってくるのを待たなきゃいけないし、
稲穂が実って育って収穫できるその時まで待つしかできない。
いろいろな工夫ができるよ。水の調整したりとか、肥料を上げたりとか上げなかったりとか。
絶対そういう努力が必要だし、耕すみたいなこととかしておかなきゃいけないし、
いつでも獲物が取れるように矢尻を磨いておかなきゃいけないし、
そういう準備とか、いざことが起きた時に対応する構えみたいなのは怠ってはいけないけど、
それが本当に重要なタイミングっていうのは自分ではコントロールできなくて、
来たって時にキャッチしなきゃいけない。来るってことを待ってなきゃいけない。
そういう感覚が自然とのやりとりが少なくなる。
自然って言い方も変だけど、自分がコントロールできないものとのやりとりが少なくなっているから、
どんどん無くなっているっていう部分はあるんじゃないかな。
いいとか悪いとかじゃないね。
これをもっと実生活にどうインストールしていくかみたいなことで言うと、
自分の大事な人とは松っていう文化を醸成していくというか、松っていう価値を共有しておきたいなっていうのはちょっと感じたね。
今までも僕、いろんな友人も含めて恋人とかも、
どっちもあるよね。待って欲しいのに待ってくれない。
今出る自分のアウトプットみっていうのは決して自分の本心じゃないっていうか、自分の熟慮の結果じゃない。
あなたの謝罪を受け入れるんだけど、最終的に受け入れたいんだけど、今の自分ではそれはできない。
もう少し置いておいてほしいとか、そういうことってやっぱあったなと思うし、
42:05
逆に僕の方からあまりにも松っていうことの中で、
明示的に待ってって言われたわけじゃなくても、不安からアクションを繰り返すことっていうのはあったなと思う。
でも本当はそこでやる時に、べきは相手からの反応があった時に自分はどう答えるかっていう思考を繰り返して準備することだったんだろうし、
もっと言うなら、その状況についてお互い認識合わせておく、待ってるっていうかね。
だからここの東アフリカのある村、待つことを知る人たち、イゲンベの人々なんだけど、
この人たちがやっぱり上手なのは、受物を飲む、口にして飲み込むっていうことを通して、
待ってる人たちなんだってみんなで認識するところだよね。
それがやっぱりできないと待ち続けることは難しい。
きっかけ、表彰。
みなさんがおっしゃる、待っているんだねっていう認識をお互いに持つってことだよね。
互いにも持つし、この場合は周りの人みんなが知ってる状態になるってことなんだけど。
勝手に待たせておくんじゃなくてってことよね。
勝手に待たせておくわけでもないし、勝手に待つわけでもない。
それは勝手に待たせる勝手に待つって結局そうなんだよね。
交流がないのと待つは違うよってことだよね。
勝手に待ったりとか勝手に待たせるっていうのは、何か押し付けるのと一緒というか。
待たせるのも押し付けてるけど、待つのも押し付けてるよね。
結局相手に行きたいとか何かをね。
待ってますよってちゃんと認識し合う?
45:02
それはお互いどっちもどっちも待ってるのか
その、あなたをはい私は待たせてますっていうか待っててください。
分かりました待ちますっていうのがないとダメだよね。
それはだからできればその2社間だけではなくて周りも知ってるとより良いんだろうなって。
事ができなくなったのって
ちょっと何で待つことができない社会なのかって言って
時間のお金に変わったからかな。
見栄える縁での桃の話ですね。
桃?
今ね、奥、過去の出来事でお互い待ってって言って
向こうが待つの悪いってなって奥から待ってってもう一回言ったけど
いや待てないって来て
待たせ逃げしたみたいなね。
まあそんな逃げて本当にフェードアウトしたわけじゃないけど
そういうのはやっぱりちゃんとお互い合意して待ちたいなって今思ったんだけど
それって社会っていうかの2社大事な人と2人の関係だとそれができるけど
そうじゃなくて3人4人の場、共同体、職場
奥にとって身近な共同体、職場ってなった時に
どうやっても待つってできないなってちょっと今ぐるぐる考えちゃって
やっぱりそれは何で待てないんだろうって思ったら
時間がお金になってるからだなって思った。
多分それにさっきの悠君のさ
米を作ってた時とか魚をとって取るっていうことをなりわえにすると
時間はお金になってないと思うんだよね
でも今の我々の生き方は自分の時間をお金に変えてるから
私にお金を払ってる人が
私の時間を買い取ってお金をくれてる人がいるから
そういうやりとりをする共同体が社会で大きな比重を占めてるから
48:04
待てない社会になってるのかなって
恐ろしいことですよ
そうよね
時間がお金じゃない空間がどんどん小さくなってる
今さ、ちょっとこれはあれなんだけどさ
PTAとかの活動でさベルマーク集めるとかあったでしょ
あれが非効率的だって言ってすごい保護者の負担ですよって
確かにそうだなと思うんだよね
でもそれが強まったのもそういうことかな
自分の時間を切り売ってる人たちばっかりになっちゃったから
本来切り売ってるのは仕事の時間だけを切り売ってる
1日8時間とかね
平日の8時間だけお倉は商品として資本家に売ってるはずなのに
なんかそれがずっと土日も人生すべての時間がそういう
そうなってるように捉えちゃってるような気がする
だから子どもの学校のための子どもの学校の
に関係する土曜日
何かをするのに土曜日の自分の時間を使うっていうのも
すごいなんかこう
お金に換算してるのかな
もったいないみたいなね
別に僕PTAの活動に価値があるかも全然わかんないけど
例えばねそういうものがどんどん
消失してくる背景には
お金を自分の人生の時間をお金で売ってる人が
ほとんどになっちゃったから
かな
そうだね
だから得られた教訓は
社会全体で待つことを許容することは
多分この先もないでしょう
だから大切な人との間では
待つっていうコミュニケーションを
というか待つというコミュニケーション方法を
醸成する
してみてはいかがかなとはちょっと
だし
語る語り合う話し合う
セックス待つみたいな感じでね
ちゃんとコマンドの一つとして
あるってことをさ
大切な人とは
なんか
認識を合わせた方がいいのかもしれないね
51:05
そうミハイル園典のモモをぜひ読んでほしいんですけど
モモって何発音はモモでいいな
そこにあるんですけど
後で見せますけど
一番一番下の段にオレンジ色の本があるんですけど
ある町があって
そこでは昔ながらの生活が行われていたんだけど
楽しくね
ある日時間銀行の人たちがやってきて
あなたの4名が何時間ありますと
でこの時間の分私たちが買い取りますと
だから時間銀行に自分の余ったお金を
時間を預けませんかみたいな
そしたら利息つけて返しますよってことを言って
時間を預ける人が町の中で多発して
そうすると時間の奪い合いになっていく
より自分が自分の時間銀行の口座に
時間を預けたいから
さっき言ってたみたいに
オレの時間を奪うなみたいな話になったりとか
相手の時間を使って
自分でうまいことやってやろうみたいな感じになって
どんどんみんなが不幸になっていくっていう話なんだけど
ミハイレーンとかは多分それの時
資本主義のことを考えて
それを書いたんだと思うんですけど
ドラえもんにもそういう話あったと思う
先人たちもすでに知ってたことだと思うんだけど
それに気づいて
時間をお金に換算していることが
いかにおかしなことなのかっていうのを
自覚的に行動していかないといけない
それはお金は手に入るかもしれないけど
例えばそれで
多発を耕している人は違うと思うんだよその時間で
多発を耕した結果
食べられるものが得られるわけじゃない
でも
でもその時間を売ってお金を得ても
別にそのお金は食べられないし
魚をゲットできるわけでもないし
54:05
収穫と違って
変動しないよね
密に連動しすぎてる
別にめっちゃ頑張って田んぼ耕しても
そこまで収穫量に差が出ないでしょ
待つ時間に比べたら
だからやっぱりそこが不思議なことになってるんで
時間とかやる仕事によって
すごいお金は差が生まれる
田んぼに手をかけ続けたからっていって
収穫が時期が早まるわけじゃなくて
それよりも待つっていうか
時間の進行の方がより大きな要因として
収穫を得られるかどうかが決まるよね
とかもうその季節が良かったか悪かったかみたいな話の方が
実りに関係したりとかするわけじゃん
雨が多かったとか少なかったとか
自分ではコントロールできない
でも時給いくらみたいな話だと
人が人によって裁かれてるよね
お金によって
お金という尺度によって
だから人が裁いた価値によって
その人の1時間単位の単価みたいなのが決まってて
時間なんか存在しない
存在しないものを区切って
存在しないものを分け与えて
存在しないものを分配してるんだよ
そうね
恐ろしいよこれはこの時報に
時間とお金結びついちゃったもんねってことよね
なんてか
でも本当にそう思うなって思う時があってさ
僕はさ
いろんな会社にさ
一応技術者派遣みたいな感じで
57:01
行ったりするじゃない
その時に単価ってものがつくでしょ
月いくらっていうね
人月いくら
人月の
その時に思うのが
ちょっとあんまひどい現場はちょっとあれだけど
なんだろうな
そのAさんとBさんで持ってる技術者
技術差がとんでもなくあったとした
なんか結構何倍か違ったとしても
給料がじゃあそれで5倍違うかとかさ
倍数だけ違うかって言ったらちょっと違ったりしていて
やっぱり人間であるっていうこと
がまず単価の基礎的なところで
底辺にこう人間かどうかみたいな
人間一人を雇っていて欲しいかどうかみたいなね
基本の金額みたいなのがある
現場とか業界によってそれがいくらなのかは
多分違うと思うけど
90とかいくらなのかわからないけど
なんかそれをね
昔はそういう仕事じゃなかったからさ
そういう仕事になってからさ
本当にその時によりずっと思ったよね
なんか時間を売ってるなって感覚が
怖ってなったけど
まあでもね
まあでもそれってさ
なんだろう
僕らはそれを失っちゃったけど
田畑を耕して収穫を得るってさ
すごくリスキーな行為だよね
起業家と一緒だと思う
起業家もリスクを取ってる
自分で資本を出して経営して
それに時間を提供するって
そういうリスクを取らない人間ができることって
自分の時間を売ることぐらいなんだなって
思っちゃった
でもそれってすごく生活が安定するから
なんだろう
恐ろしいけど
最高ではないけど最悪でもないシステムだな
ありがたや
って思うこともある
で、つまり
ファイヤーしよってことだね
1:00:03
あなたは起業家だからね
あれですけど
どうかな
別に私だって雇われたいかったけどね
雇われの身に収まらなかったからこうなってるだけで
仕方ないからそうなってるだけ
時間を売れなかった人ってこと?あなたは
今もでも結局根付けとか難しくてさ今の仕事も
そうだね
なんか結局
物を売れるのが一番
簡単というか
物々交換に近いじゃない
物を作ってそれに値段がつくっていうのは
値段がつくのは結構違うけど
本当に物って手に触れられる物ね
手に触れられる物を作って
手に触れられる物と交換するっていう世界は
すごく分かりやすいし
それって同じ物で比べられるからさ
こっちの方がいいけどこっちの方が高いな
こっちの方がちょっとペラペラだけど安いんだな
みたいなのが分かるけど
手に触れられない物を買ってもらおうとすると
分かる、そうだね
時間換算という
言い訳を挙げた方が
相手は納得しやすい
お金を出す方の人は納得しやすいんだよね
本当は
これはなんか最近聞いたけど
アウトカムってやつ
アウトプットじゃなくて相手に与えた
インパクトほどでもないけど
その効果、影響みたいな
を具体的に示すことで
出付けする
なんかコンサルとかさ
最初にお金決まってるけどさ
結果やったアウトカムを
顧客と合意して
後からお金請求してもいいぐらいだよね
人欠なんて言い訳でやってるからそうなるけどさ
その人から知識がある人間が
15時間働きました
30時間働きましたっていう
人間のやり方をしてるからそうなってるだけで
本当はあなたの事業に与えた影響を
算出して
それに基づいて対価をいただきます
成功保障みたいなもんだよね
1:03:00
の方が健全なんだろうね
本当にそれで向こうが払ってくれるかわからないから
健全じゃないかもしれないけど
先にお金が欲しいっていう問題があるから
多分そうならないんだと思うんだけど
やるから難しい
そこから逃れられないよ
金融家になったところで
そういうことか
資本主義の世界では
ブツブツ交換の村とか作る一緒に
僕のパートナーとあなたと
あなたの
でも多分そういうことだと思うの
あなたがさっき言ってた
大切な人の中には
マツということを導入した方がいいっていう話は
その資本主義の便利なところを捨てないってことだと思うんだよね
やっぱり外から
いろんな財を持ってくるところには
そういうシステムを使うっていうのはありだけど
自分の身内というか
自分の親密権っていう概念もあるけど
その中では
資本主義的ルールを適用しない
そうなの
そういうことだね
昔本当にそれは大事で
多分今から誰かとお付き合いしたりとか
特に結婚しようっていう人たちを
本当にそれを考えた方がいいと思うな
特に打算的に結婚しなきゃいけない
こともあると思うの
年収とかで結婚するでしょ
それを共同体にならないといけない
2人で
だから外から自分たちの生活を支えるための
財を手に入れる市場が外に広がってて
そこでは
何だろう
そういう価値観で過ごすから
に従って財を取り出すんだけど
自分たち2人とか
身内の中においては
市場の原理じゃなくて
取り出した財で
豊かに幸せに暮らすってことが
第一目標だっていうことは
貼っといた方がいいよ
リビングに
そうだよね
でも今頭の中に思ったのは
やっぱりそれができなくなるのが遺産相続とか
1:06:02
そうだね
だよね
とか夫婦とかで
どっちが何にお金を出すみたいな話になった時に
今みなさんが言った一番重要な目標
2人だったり複数で
幸せに暮らすっていうのが
一番みんな目指さなきゃいけないポイントなのに
そこがないがしろにされちゃうんだよね
まあ、持参とかで難しいのは
お金がもらった多さとか少なさで
愛情が多かったとか少なかったとか
勘違いしちゃう人がいるから
なおさらなんだけど
そうだね
そうなんだよね
そこをやっぱり
お時間を切り古しするみたいな感覚を
仮定というか
親密な関係の中に持ち込むと
いろいろ難しくなるよね
昔の村なんだろうな
近代以前の村みたいなとこはさ
もう結構そうだったんじゃないかなと思う
生き延びるために
貨幣経済が発達する前というかさ
財を外から取ってくるために
何かを輸出して
物々交換してみたいな
我々は本当にそういうことができる
親密さがある範囲みたいなのが
たまにアジアとかの人と結婚すると
そこの感覚が結構
日本人がするとぶっ壊れてるみたいな感じでさ
ぶっ壊れてるって言い方やめなよ
違うって言うだけだから
なんかもう理解不能みたいな意見聞いて
それは確かにそうだわって思うんだけど
今の考えで言うと
親密さの範囲が広い
っていうことなんだろうなと思う
だから無限に融通できる
財をね
そこにたまたま日本人が加わると
違和感を持つけど
たぶん基本そう
昔僕らの地元によると
預金庫とか無人庫って
結構そういうことだったんだろうな
とは思うね
共同体全体で生き残ろう
っていう考え方だよね
現代の日本の社会においては
たぶん2人と
1:09:00
その肉親の
共通の肉親ぐらいじゃないと
もう成り立たないのかもしれない
2人でも厳しいから
2人でも厳しいね
たぶん婚前契約とか結ぶんだと思う
そうだね
なんだろう
さっきさ村でも作るって言ったけどね
たぶん村は作れないね
なんでかっていうと
僕の大切な人と
僕の大切な人と
僕の大切な人同士は
大切な人同士じゃないから
っていう感じになってくる
村はそれが強制的にそうせざるを得ないからね
全員大切な人だよっていう
概念の中でね
そうするとやっぱり
外部に敵がいないといけない
みたいな話になってくる
予想ものと内と外みたいなのが
強烈になってくる
外部に敵がいると
みんなまとまれるじゃん
待つことができる人たちっていうのは
内の中で待つことができる
今の会員が村なんだろうね
って言えるかな
あとここに
私これ全部ちゃんと見てない
本人読んでないからあれなんだけど
樹物は
親族の唾液が
入ってる肉片を食べるっていう
樹物があって
その親族
どの親族かっていうのが
決まってるから
そこの
母が頼むみたいな
そういうのが決まってて
その一族が
その待つっていうことを
保証するみたいな
なるほどね
本当になるほど
だから広い
ちょっと大きな
共同体で待つってことを
担保できるってことね
そこで
そういうある種の
抑止力みたいなものが
ないと
待つっていう行為自体も
維持できないんだと思うんだよ
昔の無人峰
共同体でその人を助けてある
おめつ契約みたいな人
多分いたと思うんだよね
困ってる人たちの
村の人なのか
親族のおじさんなのか
分かんないけど
やっぱその
この中では
市場経済を抜きにした
共同体って作っても
1:12:00
ある程度人数が多くなると
保証人じゃなくて
目をつける
監督者みたいなのは
そうやって出現してくる
そうなってくるわけね
そうなると思うやっぱり
人が群れであるからにはね
ゆうくんが奥に
松ヴィレッジみたいなのを
作った時に
松ヴィレッジ
ゆうくんに奥が
いっぱい施しをしてもらって
それはもう
OK
その村の中ではOKなんだけど
でも奥のことを監督しないといけない人は
いるみたいなね
俺が見とくから
安心してくれ
みたいなね
そうだよね
それがやっぱり
人間社会っていうものを作るね
そうやって信頼みたいなものが
重なって
ある種
今までってそうやって
社会システムというか
社会の起きてとか
村の起きてとか
社会通念みたいな風に呼ばれるものによって
成り立つ
成り立つっていうのは
みんなが同じ認識を持っていった
けど
やっぱりそれが
バラバラになっているから
そういう
何か
共有するみたいなことが
どんどん難しくなっているよね
もしかすると
それが
これまでっていうのは
結婚とかもそうだけど
恋愛みたいなものと
すごく密接に関わっていたけど
共同体を作る
っていうことが
でもそれも
歴史として浅いか
30,40年ぐらいのことだと思うけど
恋愛結婚みたいなものが
多分そう思う
好きってどういうことか分からない
みたいな人って
思っている以上にいっぱいいると思うよ
でもそういう人でも多分
結婚本来は結婚というか
都会には
なれると思うから
恋愛史上主義
恋愛で結婚すべき
っていうのはここ最近の
話だなって
だから今は多分違うフェーズに来ているのは
さっき言ってた
僕の大切な人と
僕の大切な人同士が
共通する価値観が
ないみたいなこと言ってたじゃん
1:15:00
でも逆に
共通する価値観の人ばっかり
集めていけば
ビリッジは作れる
っていう話
それを
恋愛とか友情ベースで
人と人を
繋げようとするから
友達の
友達同士が会わない
みたいな話になるけど
もっとそれを
同じ何かの価値観
みたいなものを共有している人同士が
集まると
ビリッジ的なものは
作りやすくなるけど
語りながら思ったのはそれは
宗教集団
アーミッシュみたいなやつでしょ
まあそうだね
花ウェーブとか
具体名言わないでほしいんだけど
なんかそういう
あれは思想で繋がって
共同生活する
っていうことになっていくんだろうね
共同体と社会の価値観を
この価値観を受け入れる人たちの
集団ってことだからね
それはつまり確かに宗教集団
的になってくるね
しかもそこが
性愛でも
友情でも
血縁でもない
そう
ちょっとでもね
それになるとちょっとあれだから
二人の間で
その
社会
市場経済じゃない感を
二人の関係持ち込まない
けど
それってかといって
相手に
頼りきりになったりとか
それは相手への
尊敬がないと成り立たない
思いやりとかがないと
絶対成り立たないから
そういうフレームワークを
開発して売り込んでいく
急になんか
中盤でなんかすごい
なんか
なんていう
美しいって言うとあれだけど
話だと思ったら急になんか
金の匂いしだしたけどどういうこと
この美しい
発想と
フレームワークを持って
市場経済に出ていって
金を研ぎ出して私とパートナーが
幸せになるようになって
スクラムみたいな
感じでさ
スクラムみたいな
フレームワーク
夫婦二人三脚みたいな
そういうフレームワークを作って
結婚相談所と一緒に
やればこの理念を
受け入れる人たちだけ
で
成婚させますみたいなさ
それはやっぱ
宗教味を感じるよ
みんなで結婚しましょうみたいな
宗教味感じるよ
やっぱりね
やっぱ
カタログ値で結婚
しちゃう
それは大事なんで
お互いが
1:18:02
望む程度に市場経済から
財を
取り出さないといけないから
取り出す
口の太さみたいになってくるからね
それは大事なんだけどね
それはでも取り出した後の
二人の間は
では
ちょっと
考え方変えましょうっていう
だから
あれかもね
私たちがいかにやっぱり
時間をお金に変える
ってことに囚われているのか
っていう
ことをまず知るっていうのが
サブスタートなんだと思うんだよね
で
やっぱりその世界の中では
待つということが
許容されていない
だから
意図的に
待つ余白を
作る
ことを
同意する
関係性みたいなのを
作っていった方が
幸せかもね
って話かな
余白大事だね
なんでもね
例えばさ日々生活してて
ちょっと程度が
超える
なんでもよ
発言かもしれないし
家事をやりすぎているのかもしれないし
お金を出さすぎているのかもしれないし
その程度を
超えたときに
その
いや私はここもうこれ以上やりません
私はここまでです
っていうことじゃなくて
こう
他で補ったり
その
許容範囲みたいなのね
一時的に
クッションというかね
そういうのがないと
待つ
待ってあげて
急に悩み
でもね
それをまたさ経済力がない方が
そういう発言をするとさ
あの
規制だってなってるでしょ
またそこにやっぱりそれを
どっちが言うかみたいなのも
あれだね
市場経済の
足感が忍び込んでる証拠です
そうですよだから完全にね
そうだよね
完全に空白
真空空間を作ることはできないよ
そうだね
やっぱりそういうのに成り立った上で
みんな生きてるから
フレームワーク待つは
宗教集団か
それは社会の方がおかしいとも言えるけどね
宗教者じゃん
1:21:04
宗教者じゃん
だから宗教って呼ばれるものって
ある種だからその
社会に
実装されきってないから
宗教としていられる
あーそうだね
そうだわ本当それ
そうね
ある種理想みたいなものが
実現されきらない
理想みたいなものが
あるから
宗教たり得るんだと思う
そうだね
多分太古の昔の
神みたいな時はさ
多分それは宗教じゃなかったんだろうね
社会システムだからね
社会システムだからね
真剣政治とか言ってた時は
そうだね
神に裁かれるみたいなこととかを
本当にみんなの思ってたことっていうのは
それがやっぱり
システムの一部だから
そっか
じゃあいずれ我々の
末フレームワークも
宗教じゃなくなって
この世界を
追うことになるかもしれない
なるかもしれないね
闘争の歴史の幕開け
だからそれはやっぱり
一人より二人二人より三人
って言って
そういう価値観を
共有する人を
前に増やしていくっていうのが大事
絶対あれだね
50年くらいしたら
原理主義者が出てくる
だろうね
そうね
分離派が出てくるよね
階層のことをね
妙に深刻化する人ね
とかね
そうね
なんかそうだから
あの
自覚的になるっていうのが
まず大事かなって思います
待てなくなってるってことね
そうね
待てなくなって
し
この人との間だけは
待つってこと
やってみようっていうね
そういえば
あなたが待っていることは何ですか
っていうタイトルで私
あの
応募させていただいてないけど
企画がね
企画案として
私がメモで送ったときは
そういう話だったんですけど
もう1時間半になろうと
してるので
最後にあなたが何を待ってたの
1:24:01
私が待ってたこと
じゃあまず
あなたから教えてください
あなたが最近待ってること
待ってること待ってたこと
どっちも言ってる
ねえ
それ考えてたらバスだったってことで
あーバスを待ってたってことね
そう
じゃあ私が待ってたものは
愛です
ではみなさんごきげんよう
ごきげんよう