「見慣れた恐竜映画が、なぜ新しく見えたのか。」
恐竜が脱走し、普通の家族が襲われる。予告だけを見れば、『オークストリートの異変』はジュラシック・シリーズ以降に何度も見てきた物語に思えました。それなのに映画を観終えると、まったく新しいものを見た感覚が残ったんです。
わたしが気になったのは、恐竜や時間移動という題材そのものではありません。『ブラッシュアップライフ』の転生にも感じたように、新しさは「どこから何を借りて、どこに混ぜるか」という距離から生まれるのではないか、ということでした。
本作が動かすのは主人公ひとりではなく、家や庭、道路、隣人関係まで含む住宅街の日常です。能力を与える代わりに文明を奪い、恐竜を悪役にする代わりに人間を侵入者へ変える。その反転が、見慣れた材料の意味を次々にずらしていきます。
今回は、1982年の郊外映画の文法、デニースによる人生の書き直し、そして幸福なラストの外側に残るかもしれない別の一家までをたどりながら、『オークストリートの異変』が新しく見える理由を考えました。
▼話したこと
・『ブラッシュアップライフ』との比較で考える、題材よりも借りる距離が新しさを生む構造
・主人公ではなく家・庭・道路・隣人関係まで含む住宅街の日常を丸ごと動かす反転
・電気・水道・通信を失うほど、断絶していたプラット家の信頼だけが戻っていく理由
・恐竜を怪物ではなく生きた動物として描き、人間のほうを侵入者に変えた視点
・『E.T.』や『ポルターガイスト』の1982年型郊外映画を現代から書き直す方法
・夫を失った記憶と一本のピザ注文で、デニースが現実の結末を選び直すまで
・幸福な帰還の外側に、太古へ取り残された別のプラット家がいるかもしれない仮説
▼note記事
『オークストリートの異変』は、なぜ見慣れた物語なのに新しく見えるのか|感想・考察
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