いやー、なんかさ、今期のドラマの話なんだけど、日本のね。
あのー、東京ミドルサーティーって始まったの知ってる?
あ、なんか見たな。
そう、中リーサーの深川舞さんっていう3人の、今年35歳になる、しかも中リーサー演じる人が、まき、まきっていう主人公の名前で、
あ、そうなんだ。
3人のそれぞれステータスが違う、高校時代から仲良い友達が、東京で会って、いろいろこう、なんかこれから事件とか、なんかいろいろ起きていく、みたいなそういうストーリー。
へー。
昨日、その家族でさ、市場を見て、え?みたいな感じになって、
35歳?
あれ、私たちのこと?みたいな。
まき?みたいな、そうそうそうそう。
なって、もしかしてこの脚本の方っていうか、関係者、リスナー?おしゃべりリスナー?みたいな、思い上がり?
それは、それはちょっと思い上がりよ。
で、調べた結果、なんかどうやらこれは、もともと中国で爆発的に人気になった、「Nothing but30」っていうドラマがモチーフに、完全にホビペじゃないんだけれども、それをモチーフに作られた話らしくて、
でもなんかその、シチュエーションというかテーマが、しかも登場人物の主人公の名前がすごい似てたからさ、え?と思って、そうそうそう、見ちゃって。
でもなんかジジョもチョウジョも、特にジジョはそういうなんかこう、ドラマがすごく好きだから、我々の娘はね。
ガールズ系のね。
ガールズ系の、めちゃくちゃ見に行って、ちょっとなんか自主も楽しみだね、みたいな感じで、そうそう、家族の共通イベント?っていうかまた共通コンテンツができたなと思って、これから見ていこうっていう感じの。
結構ドラマ家庭だよね?
ドラマ、いやなんか最近あんまり見てなくて、なんだけど、なんかほんと波があるじゃん、やっぱり。
この時はドラマとか、この時は本とかさ、なんかこう波があるんだけれども、今期は、そうだからこの、これと、あとあの、美版と2ですよね、美版か、美版2ですよね。
美版ね。
そう、それがすごく楽しみ。
あれ、いつから始まんだっけ?
え、確か日本の、
次のクール?
今日だよ。
いえいえいえいえ。
あ、今日始まるの?
日本の始まってると思うよ。
あ、そうなんだ。
そうそうそうそう。
じゃあ私も見ていこう。
うんうんうん。
絶対小平田さんがなんかキーマンになるよね、確実に。
そうなんだっけ、え、前回さ、小平田さん出てたよね。
でしたでした。
え、あの人は、えっと、なんだっけ、別版なんだっけ、違うんだっけ。
あ、ちょっとそこも忘れたけど、
忘れたよね。
なんか、私のイメージは、すごい良い俳優さん使うのになんか張役だったっていうイメージなのよ。
あ、確かに確かに。
なんかね意味深な、
おかしくないって。
そうだよね。
意味深な感じで、そう、なんかどこかを中退して自衛隊に入り、
そうそうそうそうそう。
なんかそんな感じのストーリーラインで、
へー。
それでなんか、なんだっけ、のぎだっけ、なんだっけ、あの主人公のお父さんと、
なんとかかんだだったっけな、ちょっと忘れちゃったけど、
なんかすごい、キーマンっぽく感じで出てきたのに、あんまり何もせず終わったみたいな、終わったなーみたいな感じがあって、
なんか怪しくない?みたいなことはずっと思ってた。
ほほほほほ。すごいね。
だから、なんかあるのかな?
次に繋がる伏線かもしれないね。
そうそう。でもあんまりさ、なんかそういうふうにさ、ドラマって見ちゃいけないよね。
楽しくないよね。
なんか小比奈田さんが、実力なら俳優だからあそこで終わるはずないって、それさ、ストーリーラインで全く別じゃん。
入り込めてないじゃん。
そうねそうね。
まあまあまあ。
いや、だけど、さっき話した東京ミドルサーティ。
でもこれが、こういうテーマが、なんかこう、ドラマのコンセプトになるっていうぐらい、
やっぱりこの、我々がこのテーマにしてるさ、このやっぱり35歳右に行くか左に行くかじゃないけれども、
このテーマって今の世の中に共通、関心トピックスとして一つあるんだなって思ったっていうか。
いやでもやっぱりそうだよね、30代になると先がもう見通せるっていうか落ち着いて、
だけどそれぞれやってることがちょっと方向性がね、学生の時と同レベルではないという、
違う道に進んでる人がそれぞれいて、子供がある人もいればない人ももちろんいるし、
結婚してる人もいればいない人もいるし、そういうところから始まり、
でもなんかその、そのドラマでもね、表現されてたんだけれども、
それぞれやっぱり相手がちょっと羨ましいと思ってたりとか、ちょっとこれでいいのかなと思ったりみたいな、
そういう感情もあったりとかしてみたいな。
なので、それぞれ価値観が多様するから、多様化するのが描けるから、
みんなが共感しやすいテーマなんだなっていうふうに思って、
改めてこういうものがドラマになってるって。
40代は40代でまだ過酷なのかもしれないけどさ、
30代も30代で結構過酷は過酷じゃない?
過酷と言われれば過酷だよね。いろいろ迫られるしね。
迫られるし、
そんなこと言ったら20代も20代なんだけどね。
そうそうそうなんだけど、でもなんかよりリアリティ?
そうね。
諦めなきゃいけない。本当に諦めなきゃいけない。
諦めるっていう選択が生まれ始めるのが多分30代で、
20代の選択もそれはそれでいろいろ諦めることもあると思うけど、
でもまだ可能性を35まで残してる人って結構多いと思うんだよね。
でもそこが一旦大きな区切れ目になって、
プライベートの選択だったり、キャリアの選択だったり、
いろいろ変わってきて、
それによって友達の付き合う人とかも変わってきたりすることもあるから、
男性がどうなのか私いまいちよく分かんないんだけど、
男性もそれはそれでありそうだけどね。
家庭があるからあんま誘わないようにしようとかさ、
特に最近はすごくありそうだよね。
今の30代とか20代後半とか、男性はね。
そうそう、ちょっと育児しなきゃいけないからとか、
妻のちょっと帰りが遅いんで、今日は僕が保育園に行かなきゃいけないんで、
そうかつたよりはあっただろうし、
だからね、次は男性バージョンに出てきそうな雰囲気もするね。
なんかどっかの、最近聞いたポッドキャストかな、テレビか分かんないけど、
こういうの女性バージョンってめちゃくちゃ割と見るけれども、
男性バージョンあんま見ないですよね、みたいな。
ブーマンシップかな?なんかね、どこかで話されて、確かにって思ったんだよね。
ちょっと前も確かに、東京タラレバムスベとかさ、漫画が原作だけどさ、
だけど、なんか男性版見なくない?みたいな。
いや、あるはあるよ。なんか何個か見たことあるよ。
なんだけど、そこまでやっぱり視聴率が稼げないんじゃない?
バラエティがないっていうか、あれなのかな。
だけどこれからの時代はさ、ありそうだよね。
それこそ今話したようなさ、
まあそうだね。
男性も家庭と仕事に悩むみたいな人も増えてるからさ、
増えてるだろうからさ。
あ、そうか。でもどうなんだろうな、基本的にドラマの視聴者ってさ、
どっちの性別の方が多いんだろうね。
ああ、まあそうか。
なんか女性の方が多い気もするっていうか。
そんな感じがするね。
いや、分かんない。
いや、見てみたいよね。
でもなんかさ、基本的にさ、恋愛ドラマって言ってもさ、
社会派構造みたいなのが結構多いじゃん、最近。
それほど右派陣みたいな感じのもあるしさ、
あれはきっとどっちも見られるっていうかさ、
フラットに見られるからああいうのが流行るんだろうな、
みたいなのが思ったりするけどね。
まあそうね。なんかちょっとね、
最近見てて面白かったので、面白そうだなって思ったので、
ちょっとこれから見てみたいと思います。
しかもマキだしね。
そう、マキだし。
いや、マキどうなるの?中リーサちゃんどうなるの?みたいな感じで。
いやでも、なんかすごい、なんだっけ、
消灯動画かなんかで、
めちゃくちゃカラオケ店でナンパされてブチ切れてる中リーサだけは見たけど。
ああ、そうそうそう。
それ、第1話出てくる。
そうそうそう。
あんなことはできないけどね、私は。
しないですね。
あんな人ではないですが。
はい。
まあまあまあ、ちょっとその話はね、これはあの、
ぜひ、あの、この番組で話したかったけど。
追っておこうっていう。
はい。
ああそうね、気づきだったからね。
そうそうそうそうそう。
それでですよ。
いや別にぜひ話そうってわけでもないんだけど、
いやなんかついに出たねっていうか、
ついに出たわけでもないんだけどさ、
私が数日前に、あのXでもポストしたんだけど、
人文社会科学系ダウンサイジングしますせっていうのが、
出たんですよ。
政府の文章なのかな。
私もね、実際これは、
あまりあの、そう閣議決定された、
経済財政運営と改革の基本方針2020、
2026についてっていう文章の中で、
人文社会科学系のダウンサイジングをしていくっていう文言が出てきて、
へー。
で私のアルゴリズムの、そのSNSのアルゴリズムでは、
結構やっぱりそういう、研究者系の人も多いから、
いろいろ賛否両論というか、あったんですよ。
で、なんだけどそれを言ってる人の多くって、
本当に人文社会科学系の人って少ないんだろうなというか、
やっぱり研究者の実数の多くが理科系だから、
研究者で何かこう主張してる人ってあんまりこう、
人文社会科学系ゴリゴリやってる人ってそんな多くないんじゃないかな、
なんて思いつつていると思うけど、絶対いると思うけど。
私がこうSNSでファーッと見た感じはそんなに多くなくて、
でもこのダウンサイジングみたいな話は、
私の大学院の友達とも共有してて、
あ、ついに来たねみたいな話だったんだけれども、
ついに来たのよねっていうのは、
うちらの過去回とかないちゃんが感じてる課題意識とか聞いてたけれども、
やっぱり文系とか人文社会学の地位が日本では結構低いし、
それがなんかもう低くしていくって方針みたいなのが、
予算も含めて閣議決定で、政府の公的な文章に出されたっていうのが、
ついに来たっていう感じなの。
あ、そうそう。なんかその文章を、
ダウンサイジングっていうのが出されてる文章のこの丸一文を読むとね、
理工デジタル人材育成を含む大学大学院などの機能強化のため、
成長分野への学部再編。
17の戦略分野の行動人材育成や実需に応じたり、
リスクリング、構成の新設、機能強化、分離分断の傾向が強い大都市圏の大学をはじめとする、
成長分野の重視や人社系のダウンサイジング、
および、理数分野編集を通じた質の向上云々観音、人材育成を進めるみたいな感じで、
要は、理工とかデジタル人材を強めていきたいと。
そのためには、人社系のダウンサイジングが必要だよね、みたいな感じで読める。
文章からだとね。
で、これはおおむね過去20年ぐらいずっと言われてきた中の一つではあるし、
要は、科学分野でのイノベーションを犯さなきゃいけない。
そこに予算はつけなきゃいけないよね。
でも一方で、短期的に見て利益があまり出ないとされている人社系については、
投資の費用対効果を見たときに、そこはダウンサイジングしていくべきなんじゃないか、みたいな感じの話。
ずっと話されていたし、大学の再編という話の中でも、
真っ先に手小入れされるのは人社系だと思うので、
そういう時代がついに来たよねっていう感じだよね。
人口減少もしていくしさ。
基本的に大学授業なんて、政府からの交付金か、
あと学生からの学費で成り立っているわけで、
そう思った時に利系人材をより増やした方が、日本の国力を維持するためには良いでしょうっていう、
国家の戦略が打たれたっていうのが言っているところだと思うんだよね。
なるほどね。
そうそう。
それでも聞いてさ、まずストレートに泣いちゃう。
どんな感情なの?
普通に、危機的状況なんだろうなっていう感じ。
余裕がないんだろうなっていうね。
それであればしょうがないよねっていうのもあるけど、
でも、人社系をダウンサイジングすることによって起こる弊害を軽視しているよなと思う。
でも私もさ、そのさ、キーワードと今ないちゃんが説明してくれた内容ぐらいしかインプットがないんだけどさ、
どういう議論がさ、
今に始まったっていうよりかは、ないちゃんって歴史があるっていうかさ、
数十年前から話があってみたいな感じじゃん。
だからさ、一応その議論がそれなりにされて、
とはいえ現状の環境変化とかも踏まえて、データとかも踏まえて、
議論されてるのかなと思うんだけど、
そこのないちゃんが言うような、
どこまで時間軸とか、
どこまでちゃんとその影響を分析されたのかっていうのは、
ちょっとよくわかんないよね。
わかんないし、
ダウンサイジングっていうのも、
どういう意味なんだろうっていうのは、
もっと紐解かなきゃいけないと思っていて、
例えばこれまで人文社会科学に含まれていたけれども、
非常に量的な研究に特化しているとか、
実験を重視するみたいな、
研究分野も実は多く存在するんだよね。
例えば心理学とかもそうだし、
社会科学とか経済学なんてそうだよね。
それをある種理系に分断していく。
そうすると、相対的な数は変わっていないけれども、
人社系っていうサイズ感は減るじゃん。
それでより心理学とか実験系に基づくやつとかは、
ニューロサイエンス、医学神経系の人たちと一緒にやるようにすれば、
よりイノベーションが起こるんじゃないかとか、
経済学系の人たちもAIとかテクノロジーと絡めて、
シミュレーションを多くすることによって、
経済学的知見をより伸ばせるんじゃないかとか、
そういうイノベーションを起こすために、
人社系の一部を科学系の方に寄せて、
いわゆるヒューマニティーズ、ソーシャルサイエンスっていうものを
シュリンクさせていく。
相対的な、ソースは変わっていないけれども、
分野の切り張りをやりますよ、みたいな話なのか、
それはちょっとよくわかんない。
単純に人社系の人数を減らそう、みたいな話なのかどうかも、
よくわかんない。
まだそこの具体的な構成とかアクションというかは、見えてないのか?
見えてない。
方針が出ただけで。
そうそう。
ただ、私の実態として起こりそうだなって思うのは、
じゃあ具体的にそういうニュースを見て、
じゃあ私はどうしたいかっていう、
具体論の話をすると、
いやいや、とにかく言われるわけですよ。
研究所とか書内の中とか、
学会とか行ってもそういう話になるし、
私は理系の人と話すことも時々あるから、
そうすると、
文系批判とも取れるような、
発言も見聞きはするんだよね。
でもその時に私ができることってなんだろうっていうと、
ないちゃんは基本的に大きなことをしたいわけじゃなくて、
半径5メートルくらいの人に、
こういう考えもあるんだっていうのが伝わればいいっていうのが、
私のスタンスで、
半径5メートルが変われば世界は変わるって思ってるから私は。
その時に思うのは、
もしそういう文献に対する、
ヘイトがあるっていう人って基本的に、
そもそも知らないことが多いんだよね。
勝手にこうなんでしょって思っちゃうっていうか、
だからそういう人たちに対して、
説明する能力を私は持たなきゃいけないと思うし、
一方で、
私は私で、
理系の人たちが戦ってる世界線っていうか、
要は国際ジャーナルに出すとか、
インパクトファクターが高い雑誌に出すみたいなことを、
すごい頑張ってると思うんだよね。
その世界をちゃんと自分も体験する。
その上でじゃないと、
私は彼らに一歩上で、
上のしざを立てないって思ってるわけ。
要は私は文系の、
今までやってきたものもやりますと。
でも向こうの土俵に立って私が感じたこと、
でも向こうの土俵って自分がこれまでやってきたのと、
こう違うんですよ。
ここが私がやってきたことの利点だし、
理系の人たちが目指しているようなところというのは、
こういう利点があるってわかってるけれども、
これだと見えてこない、
こういうことがかつてのこれまで人社系の人たちが積み上げてきたことにはあるんですよ、
という方法論ベースでも何か提示できたら、
いいんじゃないと思っていて、
だからそれをやるのみっていうことなんだけど、
でも今実際感じていることっていうのは、
やっぱりインパクトファクターが高い雑誌に出すと、
スピード感を出して出すっていうのをやるためには、
英語のジャーナルになるんですよ、基本的にね。
多分理系の人たちはほとんど英語のジャーナルを出すっていうのが、
基本ラインで進んではいるんだけど、
でもそれも私はやっている中で思うことは、
英語の雑誌に通すためには、
英語の参考文献、
英語のExisting Literatureっていう先行研究分析をしないと、
通らないのね。
なんだけど、
政治学の知見っていろんなイデオロギーによって、
事実の見方が非常に異なるんですよ。
そうすると、英語の文献だけ読んでたら、
その地域で起こった実証とか事実って、
理解できなかったりするんだよね。
だからそれをやっぱり、
私の地域の研究言語で見る、
あるいは日本語で読む、
いろんな国の資料を読んで、
先行研究を読んで、その事実がどう多面的に見えてるのか、
っていうのを見ないといけないけれども、
インパクトファクターの高い論文に出そうとすると、
基本的には英語世界になるんだよ。
それって科学の発展として正しいのかなって思ったりするの?
いや、多分サイエンティフィックフィールドで言うと、
全ての国の人が、
ユニバーサルラングリッジを使って、
英国で起こったことは、
普遍的な現象として確立されるわけだから、
それをベースに、
一歩先に行く進歩を遂げた方がいい、
っていう考えに基づいて、
そういう学問体系になってると思うんだよね。
みんな姉ちゃんに投稿して、英語でジャーナルを出して、
どんな人種でもそれを頑張るみたいな。
それによって科学を発展させる。
なんだけど、人文社会系って、
それぞれの文化とか、種族とか、
歴史とかに根付いているものの見方ってあって、
それによって選択される政策とかがあるわけよ。
そしたら、アメリカ的考え方化すると、
英国の選択って非常に非合理的なんだけれども、
現地のコンテキストを分かっていると、
彼らにとってはすごい合理的な選択だったりするんだよね。
それを彼らが培ってきた言語とか、
文化とかの文献を元に紡ぎ上げていく作業だって、
絶対必要なんだけれども、
それをするとインパクトファクターのある雑誌には乗らないという検証が起こって。
なるほどね。
だから、ないちゃんが言うのは、
インドネシアの社会科学とか、
そこの人文系の研究をしている人たちは、
やっぱりそこのインドネシアのことだから、
インドネシア語で出ている文献とか、
過去の資料とかを読んで、
そのインドネシア語をベースに書いたりしても、
でもそれは世界的のインパクト数は乗らないから、
英語の雑誌には乗らないことになるから、
その評価価値が下がっちゃうっていうことだよね。
そうそう。
それがちょっとアンフェアなんじゃないかっていうか、
そのやり方自体がそもそもいいんだっけみたいなことだよね。
なるほど。
それで英語ベースの世界性の中で、
科学の発展が起こると、
多様性みたいなものが照射されていくんだよね。
そうだよね。
それって怖いことじゃないって思ったりもして、
さっき例にあげたとおり、
インドネシアの研究だったら、
それを英訳するっていうのが、
シンプルな発想としてはあると思うんだけど、
それはなんでできないんだっけ?
それは、例えばインドネシア語で書かれた論文があるよね。
その人は、
インドネシアの先行研究、
インドネシアの歴史の研究だとしたら、
インドネシアで書かれたこれまでの歴史の教科書とか、
本とか論文とかをベースに書いてるわけ。
そうするとそれを英訳するじゃん。
でもリファーされてるものはインドネシア語の文献なわけ。
そうすると、
読者である英語話者の人たちはそこまで読めないから、
その研究の科学性を確かめられないわけ。
そうするとリジェクトするってことが起こるんだよね。
- じゃあそれに対抗するあれとしてはさ、
これはインドネシアをベースにしているけれども、
もっと広い視点で見ると、
こういうグローバルに認知されている枠組みにも、
インプリケーションを与えられることもある。
だからこういう参考文献としては、
こういう参考文献も読んでます。
英語の参考文献も読んでます。
そういうことを言っても、
参考文献の割合ではインドネシア語が高いからダメだよね。
- それはなると思う。
それはジャーナルによるけれども、
例えばポリティカルサイエンスの
アメリカのジャーナルに投稿しようと思ったらなるね。
例えばインドネシアの選挙の研究をするとすると、
選挙の歴史とか、今の現行選挙でもいいんだけれども、
そうした場合、
インドネシアで書かれた、
インドネシアの選挙に関する選考研究を洗って、
だけども、例えばジャワ地区の選挙の制度についての
解説というのはまだされていないから、
それのインタビュー調査を元にした
選挙の実態について書きますとか言うとするじゃん。
それを単純に英訳して出したとて、
多分無理で、
むしろそれを書くのであれば、選挙とは何かとか、
民主主義国家において選挙というのは、
ホラホラホニャホニャで、みたいなことを英語論文を
ベースに書かなきゃいけないわけよ。その中で事例、
インドネシアがなぜ大事なのかみたいなことを定義付けて、
インドネシアの事例を書くっていう風になってくるんだけど、
それはインドネシアを知りたい人と選挙制度を
全然話が違ってくるからすごい難しいんだよね。
でも英語のジャーナルの中でも、
インドネシアレビューとかインドネシアスタディーズとか
そういうジャーナルはもちろんあるわけ。そこには
採用される可能性はある。
なんだけど、往々にしてそういう
一国研究の
ジャーナルっていうのはインパクトファクターが非常に低いわけよ。
その地域だけの話でしょ、みたいな。
価値がそんなに全部に言えることじゃないよね。
世界中どこでもっていうことで、
価値が低くなっちゃうってことだよね。
っていうことが起こってるっていうね。
だから私は、私のスタンスとしては、
どっちもやりますと。
やりますとか、やってますと。
その上で私はこの格差というか、
差はおかしいなとも思うけど、
一方でやっぱりそうやってインドネシアの
言葉をベースにした論文の
価値も私は認めたいっていう人だから、
それもしっかり読んでいってるつもり。
っていう感じかな。
やっぱり現地の人との会話とか、
現地で生の事象を見てる研究者との
インタラクションで生まれることって
たくさんあるから、私は。
だからそれを比喩は私は絶対したくないし、
そういうことの積み重ねで、
この国の文化とか種族が守られてると
私は本当に疑ってないから。
だから日本に生きてる中で
日本研究してる人は本当に尊敬するし、
その人たちが英語で何か出してなくても、
いや価値があるでしょってすごく思ってるから。
もしそれで英語発信したいんだけど、
なかなかできないんだよねって言ってる人がいたら
私は絶対それを手伝いたいと思うし、
私ができることであればっていう、
方法論とかこうした方がいいですよみたいなことを
手伝うけれどもっていうスタンスだよね。
いると思うけどね。
間違いなく社会科学研究をしてる人たちは
そこの価値っていうのは分かってるわけじゃんか。
それは別に日本だけじゃなくて、
それぞれの国にいるわけで、
私のほんと勝手なイメージだけど、
アメリカとか西洋の英語研とかだと、
もちろん理系というか、
理系の研究も進んでれば、
そういう社会科学系の、
私が今やってるアメリカでやってる仕事とかも、
政策関係の、
法律とか制度が変わるとか、
そういうところも一部ウォッチするみたいな役割があるから、
そうするとアメリカとかって、
ロビー団体とかもたくさん日本にあるイメージで、
NGOとかもすごい盛んにいて、
そういう人たちと話す機会とかもあると、
そういう人たちのバックグラウンドを見ると、
社会科学系のPhD、政治学とか、
みんな結構持ってたりするから、
わりと社会に根付いてるというか、
何かを政策を立てるときに、
やっぱりその人たちがプロフェッショナルとして、
働きかけをしてやってるみたいなのを、
日本にいる時よりかもすごく身近に感じててね、
仕事で関わる機会が多いのがあって、
そういう人たちが、
ナイちゃんとかと同じような、
やってたらわかるじゃん、その価値って、
と思うんだけど、
声を上げてというか、
その人たちが実際に、
役割として社会に価値を発揮できてる姿とかを見てるからさ、
その人たちが連携すれば、
そんなに、
なくなるとかダウンサイジングって、
それがどうなのかわかんないけれども、
そんなに低くなる未来には、
ならないんじゃないのかなって、
楽観的に思ったりはするんだけどね。
こればっかりはね、
アカデミックな民主主義には、
アカデミックな自由はあるって信じられてるけど、
でもトランプ政権から元ではどうやらなさそうだし、
日本でもやっぱり選択的に、
こういう分野を重視しますみたいなことを押し出されたりするから、
それってある種偏りじゃん。
一方でそういうところに対して研究者が声を上げるってのは、
すごい大事なことだと思うんだけどさ。
良くないよねとか。