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  2. #271- 人文社会科学系のダウ..
#271- 人文社会科学系のダウンサイジング、ないちゃんはどうするの?
2026-08-16 45:55

#271- 人文社会科学系のダウンサイジング、ないちゃんはどうするの?

2026年7月21日に政府から公表された「経済財政運営と改革の基本方針(骨太方針)」に記載あった気になるワード。


人社系のダウンサイジング。


まだ方針レベルで具体的なアクションや影響度合いは未知数なものの、このキャッチーなワードを巡って様々な意見が出ているのも事実。


この当事者でもある社会科学系博士のないちゃんが、今、この議論について感じること、考えることを話してみました🗣️


「私はこうだったよ」や「2人のこんな話を聞いてみたい」などご意見がありましたら、以下のリンク内のGoogleフォームからご連絡お待ちしています📩

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#社会科学系研究者 #女性研究者 #ワーママ #中小企業診断士 #アメリカ駐在 #駐妻

#人文社会科学系ダウンサイジング

感想

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サマリー

このエピソードでは、最近話題となっている「人文社会科学系のダウンサイジング」について、社会科学系の博士である「ないちゃん」が自身の考えを語ります。政府が発表した「経済財政運営と改革の基本方針(骨太方針)」に盛り込まれたこの言葉は、多くの議論を呼んでいます。ないちゃんは、この方針が過去からの流れを踏まえつつも、人文社会科学系の学問や研究者の価値を軽視するものではないかと懸念を示しています。 議論は、ダウンサイジングの意味合いの曖昧さや、人文社会科学系の一部を理系分野に再編する可能性、そして研究費の削減といった具体的な影響にまで及びます。ないちゃんは、歴史学の重要性を例に挙げ、事実を多角的に捉え、誤解を防ぐ研究者の役割を強調します。また、ビジネスの世界でも非財務指標が重視される現代において、人文社会科学系の知見が社会に不可欠であることを訴えます。 さらに、国際的な学術界における英語中心主義の問題点や、地域固有の研究言語の重要性についても触れられます。ないちゃんは、自身の「半径5メートル」の範囲で、人文社会科学系の価値を伝え、理解を広める活動を続ける決意を表明します。最終的には、この問題の根深さを認識しつつも、研究者自身が意思決定の場に参加し、アウトリーチ活動を通じて社会との繋がりを深めていくことの重要性が語られます。

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35歳、右に行くか、左に行くか。 駐在大道でアメリカに来たワーキングマザーのまき、社会科学系の研究者でパートナーと二人暮らしのないちゃん。
10代で出会ったまきとないちゃんが、ライフステージの変化を感じた35歳から始めたポッドキャストです。キャリア、家族、パートナーとの関係など、素敵でオープンな近況報告をしています。
未来の私たちが笑って聞ける、酒のつまみにすることを目指した、私たち自身のライフログです。
最近のドラマと35歳のリアル
いやー、なんかさ、今期のドラマの話なんだけど、日本のね。
あのー、東京ミドルサーティーって始まったの知ってる?
あ、なんか見たな。
そう、中リーサーの深川舞さんっていう3人の、今年35歳になる、しかも中リーサー演じる人が、まき、まきっていう主人公の名前で、
あ、そうなんだ。
3人のそれぞれステータスが違う、高校時代から仲良い友達が、東京で会って、いろいろこう、なんかこれから事件とか、なんかいろいろ起きていく、みたいなそういうストーリー。
へー。
昨日、その家族でさ、市場を見て、え?みたいな感じになって、
35歳?
あれ、私たちのこと?みたいな。
まき?みたいな、そうそうそうそう。
なって、もしかしてこの脚本の方っていうか、関係者、リスナー?おしゃべりリスナー?みたいな、思い上がり?
それは、それはちょっと思い上がりよ。
で、調べた結果、なんかどうやらこれは、もともと中国で爆発的に人気になった、「Nothing but30」っていうドラマがモチーフに、完全にホビペじゃないんだけれども、それをモチーフに作られた話らしくて、
でもなんかその、シチュエーションというかテーマが、しかも登場人物の主人公の名前がすごい似てたからさ、え?と思って、そうそうそう、見ちゃって。
でもなんかジジョもチョウジョも、特にジジョはそういうなんかこう、ドラマがすごく好きだから、我々の娘はね。
ガールズ系のね。
ガールズ系の、めちゃくちゃ見に行って、ちょっとなんか自主も楽しみだね、みたいな感じで、そうそう、家族の共通イベント?っていうかまた共通コンテンツができたなと思って、これから見ていこうっていう感じの。
結構ドラマ家庭だよね?
ドラマ、いやなんか最近あんまり見てなくて、なんだけど、なんかほんと波があるじゃん、やっぱり。
この時はドラマとか、この時は本とかさ、なんかこう波があるんだけれども、今期は、そうだからこの、これと、あとあの、美版と2ですよね、美版か、美版2ですよね。
美版ね。
そう、それがすごく楽しみ。
あれ、いつから始まんだっけ?
え、確か日本の、
次のクール?
今日だよ。
いえいえいえいえ。
あ、今日始まるの?
日本の始まってると思うよ。
あ、そうなんだ。
そうそうそうそう。
じゃあ私も見ていこう。
うんうんうん。
絶対小平田さんがなんかキーマンになるよね、確実に。
そうなんだっけ、え、前回さ、小平田さん出てたよね。
でしたでした。
え、あの人は、えっと、なんだっけ、別版なんだっけ、違うんだっけ。
あ、ちょっとそこも忘れたけど、
忘れたよね。
なんか、私のイメージは、すごい良い俳優さん使うのになんか張役だったっていうイメージなのよ。
あ、確かに確かに。
なんかね意味深な、
おかしくないって。
そうだよね。
意味深な感じで、そう、なんかどこかを中退して自衛隊に入り、
そうそうそうそうそう。
なんかそんな感じのストーリーラインで、
へー。
それでなんか、なんだっけ、のぎだっけ、なんだっけ、あの主人公のお父さんと、
なんとかかんだだったっけな、ちょっと忘れちゃったけど、
なんかすごい、キーマンっぽく感じで出てきたのに、あんまり何もせず終わったみたいな、終わったなーみたいな感じがあって、
なんか怪しくない?みたいなことはずっと思ってた。
ほほほほほ。すごいね。
だから、なんかあるのかな?
次に繋がる伏線かもしれないね。
そうそう。でもあんまりさ、なんかそういうふうにさ、ドラマって見ちゃいけないよね。
楽しくないよね。
なんか小比奈田さんが、実力なら俳優だからあそこで終わるはずないって、それさ、ストーリーラインで全く別じゃん。
入り込めてないじゃん。
そうねそうね。
まあまあまあ。
いや、だけど、さっき話した東京ミドルサーティ。
でもこれが、こういうテーマが、なんかこう、ドラマのコンセプトになるっていうぐらい、
やっぱりこの、我々がこのテーマにしてるさ、このやっぱり35歳右に行くか左に行くかじゃないけれども、
このテーマって今の世の中に共通、関心トピックスとして一つあるんだなって思ったっていうか。
いやでもやっぱりそうだよね、30代になると先がもう見通せるっていうか落ち着いて、
だけどそれぞれやってることがちょっと方向性がね、学生の時と同レベルではないという、
違う道に進んでる人がそれぞれいて、子供がある人もいればない人ももちろんいるし、
結婚してる人もいればいない人もいるし、そういうところから始まり、
でもなんかその、そのドラマでもね、表現されてたんだけれども、
それぞれやっぱり相手がちょっと羨ましいと思ってたりとか、ちょっとこれでいいのかなと思ったりみたいな、
そういう感情もあったりとかしてみたいな。
なので、それぞれ価値観が多様するから、多様化するのが描けるから、
みんなが共感しやすいテーマなんだなっていうふうに思って、
改めてこういうものがドラマになってるって。
40代は40代でまだ過酷なのかもしれないけどさ、
30代も30代で結構過酷は過酷じゃない?
過酷と言われれば過酷だよね。いろいろ迫られるしね。
迫られるし、
そんなこと言ったら20代も20代なんだけどね。
そうそうそうなんだけど、でもなんかよりリアリティ?
そうね。
諦めなきゃいけない。本当に諦めなきゃいけない。
諦めるっていう選択が生まれ始めるのが多分30代で、
20代の選択もそれはそれでいろいろ諦めることもあると思うけど、
でもまだ可能性を35まで残してる人って結構多いと思うんだよね。
でもそこが一旦大きな区切れ目になって、
プライベートの選択だったり、キャリアの選択だったり、
いろいろ変わってきて、
それによって友達の付き合う人とかも変わってきたりすることもあるから、
男性がどうなのか私いまいちよく分かんないんだけど、
男性もそれはそれでありそうだけどね。
家庭があるからあんま誘わないようにしようとかさ、
特に最近はすごくありそうだよね。
今の30代とか20代後半とか、男性はね。
そうそう、ちょっと育児しなきゃいけないからとか、
妻のちょっと帰りが遅いんで、今日は僕が保育園に行かなきゃいけないんで、
そうかつたよりはあっただろうし、
だからね、次は男性バージョンに出てきそうな雰囲気もするね。
なんかどっかの、最近聞いたポッドキャストかな、テレビか分かんないけど、
こういうの女性バージョンってめちゃくちゃ割と見るけれども、
男性バージョンあんま見ないですよね、みたいな。
ブーマンシップかな?なんかね、どこかで話されて、確かにって思ったんだよね。
ちょっと前も確かに、東京タラレバムスベとかさ、漫画が原作だけどさ、
だけど、なんか男性版見なくない?みたいな。
いや、あるはあるよ。なんか何個か見たことあるよ。
なんだけど、そこまでやっぱり視聴率が稼げないんじゃない?
バラエティがないっていうか、あれなのかな。
だけどこれからの時代はさ、ありそうだよね。
それこそ今話したようなさ、
まあそうだね。
男性も家庭と仕事に悩むみたいな人も増えてるからさ、
増えてるだろうからさ。
あ、そうか。でもどうなんだろうな、基本的にドラマの視聴者ってさ、
どっちの性別の方が多いんだろうね。
ああ、まあそうか。
なんか女性の方が多い気もするっていうか。
そんな感じがするね。
いや、分かんない。
いや、見てみたいよね。
でもなんかさ、基本的にさ、恋愛ドラマって言ってもさ、
社会派構造みたいなのが結構多いじゃん、最近。
それほど右派陣みたいな感じのもあるしさ、
あれはきっとどっちも見られるっていうかさ、
フラットに見られるからああいうのが流行るんだろうな、
みたいなのが思ったりするけどね。
まあそうね。なんかちょっとね、
最近見てて面白かったので、面白そうだなって思ったので、
ちょっとこれから見てみたいと思います。
しかもマキだしね。
そう、マキだし。
いや、マキどうなるの?中リーサちゃんどうなるの?みたいな感じで。
いやでも、なんかすごい、なんだっけ、
消灯動画かなんかで、
めちゃくちゃカラオケ店でナンパされてブチ切れてる中リーサだけは見たけど。
ああ、そうそうそう。
それ、第1話出てくる。
そうそうそう。
あんなことはできないけどね、私は。
しないですね。
あんな人ではないですが。
はい。
まあまあまあ、ちょっとその話はね、これはあの、
ぜひ、あの、この番組で話したかったけど。
追っておこうっていう。
はい。
ああそうね、気づきだったからね。
そうそうそうそうそう。
それでですよ。
「人文社会科学系のダウンサイジング」とは?
いや別にぜひ話そうってわけでもないんだけど、
いやなんかついに出たねっていうか、
ついに出たわけでもないんだけどさ、
私が数日前に、あのXでもポストしたんだけど、
人文社会科学系ダウンサイジングしますせっていうのが、
出たんですよ。
政府の文章なのかな。
私もね、実際これは、
あまりあの、そう閣議決定された、
経済財政運営と改革の基本方針2020、
2026についてっていう文章の中で、
人文社会科学系のダウンサイジングをしていくっていう文言が出てきて、
へー。
で私のアルゴリズムの、そのSNSのアルゴリズムでは、
結構やっぱりそういう、研究者系の人も多いから、
いろいろ賛否両論というか、あったんですよ。
で、なんだけどそれを言ってる人の多くって、
本当に人文社会科学系の人って少ないんだろうなというか、
やっぱり研究者の実数の多くが理科系だから、
研究者で何かこう主張してる人ってあんまりこう、
人文社会科学系ゴリゴリやってる人ってそんな多くないんじゃないかな、
なんて思いつつていると思うけど、絶対いると思うけど。
私がこうSNSでファーッと見た感じはそんなに多くなくて、
でもこのダウンサイジングみたいな話は、
私の大学院の友達とも共有してて、
あ、ついに来たねみたいな話だったんだけれども、
ついに来たのよねっていうのは、
うちらの過去回とかないちゃんが感じてる課題意識とか聞いてたけれども、
やっぱり文系とか人文社会学の地位が日本では結構低いし、
それがなんかもう低くしていくって方針みたいなのが、
予算も含めて閣議決定で、政府の公的な文章に出されたっていうのが、
ついに来たっていう感じなの。
あ、そうそう。なんかその文章を、
ダウンサイジングっていうのが出されてる文章のこの丸一文を読むとね、
理工デジタル人材育成を含む大学大学院などの機能強化のため、
成長分野への学部再編。
17の戦略分野の行動人材育成や実需に応じたり、
リスクリング、構成の新設、機能強化、分離分断の傾向が強い大都市圏の大学をはじめとする、
成長分野の重視や人社系のダウンサイジング、
および、理数分野編集を通じた質の向上云々観音、人材育成を進めるみたいな感じで、
要は、理工とかデジタル人材を強めていきたいと。
そのためには、人社系のダウンサイジングが必要だよね、みたいな感じで読める。
文章からだとね。
で、これはおおむね過去20年ぐらいずっと言われてきた中の一つではあるし、
要は、科学分野でのイノベーションを犯さなきゃいけない。
そこに予算はつけなきゃいけないよね。
でも一方で、短期的に見て利益があまり出ないとされている人社系については、
投資の費用対効果を見たときに、そこはダウンサイジングしていくべきなんじゃないか、みたいな感じの話。
ずっと話されていたし、大学の再編という話の中でも、
真っ先に手小入れされるのは人社系だと思うので、
そういう時代がついに来たよねっていう感じだよね。
人口減少もしていくしさ。
基本的に大学授業なんて、政府からの交付金か、
あと学生からの学費で成り立っているわけで、
そう思った時に利系人材をより増やした方が、日本の国力を維持するためには良いでしょうっていう、
国家の戦略が打たれたっていうのが言っているところだと思うんだよね。
なるほどね。
そうそう。
それでも聞いてさ、まずストレートに泣いちゃう。
どんな感情なの?
普通に、危機的状況なんだろうなっていう感じ。
余裕がないんだろうなっていうね。
それであればしょうがないよねっていうのもあるけど、
でも、人社系をダウンサイジングすることによって起こる弊害を軽視しているよなと思う。
でも私もさ、そのさ、キーワードと今ないちゃんが説明してくれた内容ぐらいしかインプットがないんだけどさ、
どういう議論がさ、
今に始まったっていうよりかは、ないちゃんって歴史があるっていうかさ、
数十年前から話があってみたいな感じじゃん。
だからさ、一応その議論がそれなりにされて、
とはいえ現状の環境変化とかも踏まえて、データとかも踏まえて、
議論されてるのかなと思うんだけど、
そこのないちゃんが言うような、
どこまで時間軸とか、
どこまでちゃんとその影響を分析されたのかっていうのは、
ちょっとよくわかんないよね。
わかんないし、
ダウンサイジングっていうのも、
どういう意味なんだろうっていうのは、
もっと紐解かなきゃいけないと思っていて、
例えばこれまで人文社会科学に含まれていたけれども、
非常に量的な研究に特化しているとか、
実験を重視するみたいな、
研究分野も実は多く存在するんだよね。
例えば心理学とかもそうだし、
社会科学とか経済学なんてそうだよね。
それをある種理系に分断していく。
そうすると、相対的な数は変わっていないけれども、
人社系っていうサイズ感は減るじゃん。
それでより心理学とか実験系に基づくやつとかは、
ニューロサイエンス、医学神経系の人たちと一緒にやるようにすれば、
よりイノベーションが起こるんじゃないかとか、
経済学系の人たちもAIとかテクノロジーと絡めて、
シミュレーションを多くすることによって、
経済学的知見をより伸ばせるんじゃないかとか、
そういうイノベーションを起こすために、
人社系の一部を科学系の方に寄せて、
いわゆるヒューマニティーズ、ソーシャルサイエンスっていうものを
シュリンクさせていく。
相対的な、ソースは変わっていないけれども、
分野の切り張りをやりますよ、みたいな話なのか、
それはちょっとよくわかんない。
単純に人社系の人数を減らそう、みたいな話なのかどうかも、
よくわかんない。
まだそこの具体的な構成とかアクションというかは、見えてないのか?
見えてない。
方針が出ただけで。
そうそう。
ただ、私の実態として起こりそうだなって思うのは、
ダウンサイジングの影響と人文社会科学の価値
研究者の目線で言うと、
課金費の予算が大幅に減るんじゃないかとか。
これまで人文社会科学系に例えば、
10の予算のうち3で、7は理系に行っていたと。
それを7対3が28とか91ぐらいになるんじゃないかとか、
そういう選別が行われるんじゃないか、
みたいなことは危惧はしてるよね。
でも、そんなに政府もバカじゃないから、
ドラスティックにやらないとは思うし、
意図してるところも、
私は紙ペラをさわーって読んだだけだから、
本当にダウンサイジングって言葉通りのものなのか、
私がさっき説明してみたような、
ある種のソースは変わらないけれども、
規模感を小さくするというか、
実態に合った形に変更するという意味なのか、
そこは分かんないよねと。
ただ、ここで私としては気持ちが晴れ晴れしないのは、
文系って不要ですよねとか、
文系学問って不要ですよねと、
それは違うよねっていう、
そういうふうに思う人もいると思うし、
文系の博士って何やってるのとか、
文系の研究者ってどういう社会的価値を生み出してるの?
みたいなことで、
分かんない人非常に多いと思うんですよ。
それもなかなか説明しづらいっていうのもあるんだけど、
ただ、私が最近読んだ本で非常に良かったのは、
松沢雄作さんっていう方が書かれた、
歴史学はこう考えるっていうチキマ新書の本があって、
これは人によっては読みづらい本って思うかもしれないけれども、
要は歴史学をやってる研究者の人たちが、
どういった作業を行っているのかっていうのを書いていて、
めちゃくちゃ面白いんですよ。
どうやって資料を読んでいくのかとか、
どういうふうに資料を発掘していくのか、
それがどういうふうな意味を持っているのか、
これまで歴史学が提示した知見が、
社会にどう還元されたのか、あるいは利用されたのか、
みたいなことも書いていて、
私これを想じて読んで思ったことっていうのは、
やっぱり多面的な事実を見つけていくっていうのは、
すごく大事なことで、
かつ社会は基本的には、
理解しやすいものにしか飛びつかないから、
そうすると事実が曲解されていくんだよね。
それを修正し続けるっていう作業を、
研究者はしてるんですよ。
間違った方向に進まないように進まないようにっていう、
最後の砦となって、
事実を丹念に積み上げるっていうことをしていて、
その結果、大きな失敗を選択してしまった過去の歴史もある。
けれども、その歴史をまた積み上げていくっていうのも、
研究者の作業なのであって、
非常にこういう積み重ねが、
今の国であったり文化であったり、
倫理観とかを形成しているっていうことを、
そんなに我々は身近に実感していないはずなんだよね。
そういうのがもっと伝わればいいなっていうのは、
これを読んで思ったし、
私はまがいなりに人文社会科学系の人間として、
そこでご飯を食べているから、
それをやっていかなきゃいけないなって、
改めて感じたというか、
責務として伝えていかなきゃいけないなって思ったよね。
難しい話だな。
私はビジネスの世界に生きているじゃんか、
ねないちゃんはアカデミアの世界に生きているじゃんか、
一方でビジネスの世界も、
今、短期的な利益とか、
それこそ財務指標だけではなくて、
非財務指標を重視していきましょう。
投資家も財務だけ、短期だけでは見えないものを、
その会社がどういう社会的に影響を与えて、
どういう中長期的に、
会社とかお客さんだけじゃなくて、
社会なり、もっと言えば、
地球とか、
会社としてどのくらいGHGガスって言って、
地球温暖化ガスみたいなのを廃棄してますか、
廃止してますかっていうのも、
大企業中心に開示していって、
それによって評価されるみたいになってるから、
なってるとはいえ、
一方で財務指標を見ないわけでもないから、
これまでそれによって評価をしてきてしやすく、
それによって最適な企業とか、
それによって評価される企業がいい、
みたいなふうになってきてる資本社会だからさ、
そこともつながってくる話でもあるし、
私は別に、
理系の人たちの研究のやり方とか、
成果を出すっていうことは、
全然私はそれと比べて、
私たちはできてないとか思うこともなくて、
ただ理系は非常に競争社会になってて、
資本主義に飲み込まれてると思うから一方で、
より大きな設備投資ができた方が、
よりダイナミックな実験ができるし、
より多くの人数が関わった方が、
より多くのプロジェクトができるし、
すごく資本主義的なんだよね。
それは大変だと思うの。KPIがずっとついてきてて、
やっぱり成果を出さなきゃいけないってことに追われてるから。
それもそれですごくプレッシャーはあるし、
こうやって人社系のダウンサイジングって言ってるけど、
その一方で起こるのは理科系の人たちに対する、
強烈な投資が行われるわけじゃん。
それに対して絶対成果が出さなきゃいけないっていうプレッシャーがあるから、
それもすごい大変だと思うんですよ、一方で。
だからそれを全然否定するつもりは全くないし、
それもそれだなって思うんだけれども、
それが正しいっていう風に思ってしまうのは、
違うかなと思っていて、
それも一つのあるべき形。
だけれども、そこでこぼれ落ちてしまう、
非合理性とかマイノリティとか、
そういう人たちの意見をきちんと除述とか残していかないと、
結局ストッパーになれないというかさ。
その論理が、
資本主義社会の論理が非常に加速してしまって、
その後に残るものって一体何なんだろうみたいな。
そしたらその資本主義社会の中でも、
より国家のゲームの中でも、
勝利した国が前途になっちゃうかもしれないじゃん。
とか、究極はそういう風に進んでいくわけよ。
それが果たして正しいのかとかね、
思ったりするし。
例えばマキが言ったみたいに、
財務指標を見るってことは、
行うよねって言うじゃない?
それじゃない指標を見ていこうとするけど、
結局そっちの指標の方が分かりやすいから。
しかも共通言語で話せるから、
いろんな企業と。
結局そっちの方が使われやすいし、
生き残っていくんだよね。
結局今そういう現状なんだけど。
でもそれだけが全てじゃないよねとか、
それもちょっと違うよねとか、
しかもそれってすごく疲れるじゃん。
競争もそうだし。
それが楽しいって人もいると思うけどね。
それが楽しいって人もいるんだけれども、
今のこの社会は、
それって本当にいいんだっけとか、
それだけで評価するのっていいんだっけみたいな風に、
疑問を持ち始めてる世代も結構多いと思ってて。
だってその結果、
上の世代を見てると、
じゃあ今みんな、
企業で偉くなっていきたいですか?
管理職になりたいですか?
管理職罰ゲームだし、疲れるしみたいな。
そういう価値観も今の世代って、
ある人は結構いるし、
気づいてる人が結構出てきてるから、
そういうのが追い風になる感じもするんだけど、
でも政府としてはそういう風な方針。
その方針がね、
どこまでドラスティックなのか分かんないし、
具体的にどういう施策に落とし込まれるのか、
まだ分かんないにしろ、
そこまででも悲観的でもないのかなと思ったりするけどね。
どうなんだろうね、分かんないけどね。
本当に分かんないものは分かんない。
研究者としてのスタンスとアウトリーチ活動
じゃあ具体的にそういうニュースを見て、
じゃあ私はどうしたいかっていう、
具体論の話をすると、
いやいや、とにかく言われるわけですよ。
研究所とか書内の中とか、
学会とか行ってもそういう話になるし、
私は理系の人と話すことも時々あるから、
そうすると、
文系批判とも取れるような、
発言も見聞きはするんだよね。
でもその時に私ができることってなんだろうっていうと、
ないちゃんは基本的に大きなことをしたいわけじゃなくて、
半径5メートルくらいの人に、
こういう考えもあるんだっていうのが伝わればいいっていうのが、
私のスタンスで、
半径5メートルが変われば世界は変わるって思ってるから私は。
その時に思うのは、
もしそういう文献に対する、
ヘイトがあるっていう人って基本的に、
そもそも知らないことが多いんだよね。
勝手にこうなんでしょって思っちゃうっていうか、
だからそういう人たちに対して、
説明する能力を私は持たなきゃいけないと思うし、
一方で、
私は私で、
理系の人たちが戦ってる世界線っていうか、
要は国際ジャーナルに出すとか、
インパクトファクターが高い雑誌に出すみたいなことを、
すごい頑張ってると思うんだよね。
その世界をちゃんと自分も体験する。
その上でじゃないと、
私は彼らに一歩上で、
上のしざを立てないって思ってるわけ。
要は私は文系の、
今までやってきたものもやりますと。
でも向こうの土俵に立って私が感じたこと、
でも向こうの土俵って自分がこれまでやってきたのと、
こう違うんですよ。
ここが私がやってきたことの利点だし、
理系の人たちが目指しているようなところというのは、
こういう利点があるってわかってるけれども、
これだと見えてこない、
こういうことがかつてのこれまで人社系の人たちが積み上げてきたことにはあるんですよ、
という方法論ベースでも何か提示できたら、
いいんじゃないと思っていて、
だからそれをやるのみっていうことなんだけど、
でも今実際感じていることっていうのは、
やっぱりインパクトファクターが高い雑誌に出すと、
スピード感を出して出すっていうのをやるためには、
英語のジャーナルになるんですよ、基本的にね。
多分理系の人たちはほとんど英語のジャーナルを出すっていうのが、
基本ラインで進んではいるんだけど、
でもそれも私はやっている中で思うことは、
英語の雑誌に通すためには、
英語の参考文献、
英語のExisting Literatureっていう先行研究分析をしないと、
通らないのね。
なんだけど、
政治学の知見っていろんなイデオロギーによって、
事実の見方が非常に異なるんですよ。
そうすると、英語の文献だけ読んでたら、
その地域で起こった実証とか事実って、
理解できなかったりするんだよね。
だからそれをやっぱり、
私の地域の研究言語で見る、
あるいは日本語で読む、
いろんな国の資料を読んで、
先行研究を読んで、その事実がどう多面的に見えてるのか、
っていうのを見ないといけないけれども、
インパクトファクターの高い論文に出そうとすると、
基本的には英語世界になるんだよ。
それって科学の発展として正しいのかなって思ったりするの?
いや、多分サイエンティフィックフィールドで言うと、
全ての国の人が、
ユニバーサルラングリッジを使って、
英国で起こったことは、
普遍的な現象として確立されるわけだから、
それをベースに、
一歩先に行く進歩を遂げた方がいい、
っていう考えに基づいて、
そういう学問体系になってると思うんだよね。
みんな姉ちゃんに投稿して、英語でジャーナルを出して、
どんな人種でもそれを頑張るみたいな。
それによって科学を発展させる。
なんだけど、人文社会系って、
それぞれの文化とか、種族とか、
歴史とかに根付いているものの見方ってあって、
それによって選択される政策とかがあるわけよ。
そしたら、アメリカ的考え方化すると、
英国の選択って非常に非合理的なんだけれども、
現地のコンテキストを分かっていると、
彼らにとってはすごい合理的な選択だったりするんだよね。
それを彼らが培ってきた言語とか、
文化とかの文献を元に紡ぎ上げていく作業だって、
絶対必要なんだけれども、
それをするとインパクトファクターのある雑誌には乗らないという検証が起こって。
なるほどね。
だから、ないちゃんが言うのは、
インドネシアの社会科学とか、
そこの人文系の研究をしている人たちは、
やっぱりそこのインドネシアのことだから、
インドネシア語で出ている文献とか、
過去の資料とかを読んで、
そのインドネシア語をベースに書いたりしても、
でもそれは世界的のインパクト数は乗らないから、
英語の雑誌には乗らないことになるから、
その評価価値が下がっちゃうっていうことだよね。
そうそう。
それがちょっとアンフェアなんじゃないかっていうか、
そのやり方自体がそもそもいいんだっけみたいなことだよね。
なるほど。
それで英語ベースの世界性の中で、
科学の発展が起こると、
多様性みたいなものが照射されていくんだよね。
そうだよね。
それって怖いことじゃないって思ったりもして、
さっき例にあげたとおり、
インドネシアの研究だったら、
それを英訳するっていうのが、
シンプルな発想としてはあると思うんだけど、
それはなんでできないんだっけ?
それは、例えばインドネシア語で書かれた論文があるよね。
その人は、
インドネシアの先行研究、
インドネシアの歴史の研究だとしたら、
インドネシアで書かれたこれまでの歴史の教科書とか、
本とか論文とかをベースに書いてるわけ。
そうするとそれを英訳するじゃん。
でもリファーされてるものはインドネシア語の文献なわけ。
そうすると、
読者である英語話者の人たちはそこまで読めないから、
その研究の科学性を確かめられないわけ。
そうするとリジェクトするってことが起こるんだよね。
- じゃあそれに対抗するあれとしてはさ、
これはインドネシアをベースにしているけれども、
もっと広い視点で見ると、
こういうグローバルに認知されている枠組みにも、
インプリケーションを与えられることもある。
だからこういう参考文献としては、
こういう参考文献も読んでます。
英語の参考文献も読んでます。
そういうことを言っても、
参考文献の割合ではインドネシア語が高いからダメだよね。
- それはなると思う。
それはジャーナルによるけれども、
例えばポリティカルサイエンスの
アメリカのジャーナルに投稿しようと思ったらなるね。
例えばインドネシアの選挙の研究をするとすると、
選挙の歴史とか、今の現行選挙でもいいんだけれども、
そうした場合、
インドネシアで書かれた、
インドネシアの選挙に関する選考研究を洗って、
だけども、例えばジャワ地区の選挙の制度についての
解説というのはまだされていないから、
それのインタビュー調査を元にした
選挙の実態について書きますとか言うとするじゃん。
それを単純に英訳して出したとて、
多分無理で、
むしろそれを書くのであれば、選挙とは何かとか、
民主主義国家において選挙というのは、
ホラホラホニャホニャで、みたいなことを英語論文を
ベースに書かなきゃいけないわけよ。その中で事例、
インドネシアがなぜ大事なのかみたいなことを定義付けて、
インドネシアの事例を書くっていう風になってくるんだけど、
それはインドネシアを知りたい人と選挙制度を
全然話が違ってくるからすごい難しいんだよね。
でも英語のジャーナルの中でも、
インドネシアレビューとかインドネシアスタディーズとか
そういうジャーナルはもちろんあるわけ。そこには
採用される可能性はある。
なんだけど、往々にしてそういう
一国研究の
ジャーナルっていうのはインパクトファクターが非常に低いわけよ。
その地域だけの話でしょ、みたいな。
価値がそんなに全部に言えることじゃないよね。
世界中どこでもっていうことで、
価値が低くなっちゃうってことだよね。
っていうことが起こってるっていうね。
だから私は、私のスタンスとしては、
どっちもやりますと。
やりますとか、やってますと。
その上で私はこの格差というか、
差はおかしいなとも思うけど、
一方でやっぱりそうやってインドネシアの
言葉をベースにした論文の
価値も私は認めたいっていう人だから、
それもしっかり読んでいってるつもり。
っていう感じかな。
やっぱり現地の人との会話とか、
現地で生の事象を見てる研究者との
インタラクションで生まれることって
たくさんあるから、私は。
だからそれを比喩は私は絶対したくないし、
そういうことの積み重ねで、
この国の文化とか種族が守られてると
私は本当に疑ってないから。
だから日本に生きてる中で
日本研究してる人は本当に尊敬するし、
その人たちが英語で何か出してなくても、
いや価値があるでしょってすごく思ってるから。
もしそれで英語発信したいんだけど、
なかなかできないんだよねって言ってる人がいたら
私は絶対それを手伝いたいと思うし、
私ができることであればっていう、
方法論とかこうした方がいいですよみたいなことを
手伝うけれどもっていうスタンスだよね。
いると思うけどね。
間違いなく社会科学研究をしてる人たちは
そこの価値っていうのは分かってるわけじゃんか。
それは別に日本だけじゃなくて、
それぞれの国にいるわけで、
私のほんと勝手なイメージだけど、
アメリカとか西洋の英語研とかだと、
もちろん理系というか、
理系の研究も進んでれば、
そういう社会科学系の、
私が今やってるアメリカでやってる仕事とかも、
政策関係の、
法律とか制度が変わるとか、
そういうところも一部ウォッチするみたいな役割があるから、
そうするとアメリカとかって、
ロビー団体とかもたくさん日本にあるイメージで、
NGOとかもすごい盛んにいて、
そういう人たちと話す機会とかもあると、
そういう人たちのバックグラウンドを見ると、
社会科学系のPhD、政治学とか、
みんな結構持ってたりするから、
わりと社会に根付いてるというか、
何かを政策を立てるときに、
やっぱりその人たちがプロフェッショナルとして、
働きかけをしてやってるみたいなのを、
日本にいる時よりかもすごく身近に感じててね、
仕事で関わる機会が多いのがあって、
そういう人たちが、
ナイちゃんとかと同じような、
やってたらわかるじゃん、その価値って、
と思うんだけど、
声を上げてというか、
その人たちが実際に、
役割として社会に価値を発揮できてる姿とかを見てるからさ、
その人たちが連携すれば、
そんなに、
なくなるとかダウンサイジングって、
それがどうなのかわかんないけれども、
そんなに低くなる未来には、
ならないんじゃないのかなって、
楽観的に思ったりはするんだけどね。
こればっかりはね、
アカデミックな民主主義には、
アカデミックな自由はあるって信じられてるけど、
でもトランプ政権から元ではどうやらなさそうだし、
日本でもやっぱり選択的に、
こういう分野を重視しますみたいなことを押し出されたりするから、
それってある種偏りじゃん。
一方でそういうところに対して研究者が声を上げるってのは、
すごい大事なことだと思うんだけどさ。
良くないよねとか。
意思決定の場への参加と博士人材の課題
ナイちゃんは、半径5メートルっていう風によく言ってて、
私もそれにすごいアグリーだし、
それがベースとしてはあると思うんだけど、
でも、
あなたはもっと上に行くべき人だよ、ナイちゃん。
前も話したけど、
メディアの回とかだっけ?
とはいえさ、
やっぱり誰かが声を上げていかないとというか、
結局何かを意思決定するときって、
その意思決定の中に入れないと、
意味がないというか、
やっぱりその意思決定が今の話で言うと、
経済界とか資本主義に近い理系系の人が、
オピニオンリーダーになって、
意思決定をされている中で決められていたのだとしたら、
そこにやっぱり社会科学系の人たちが入っていかないとどうにか、
なかなかそこって、
当事者の声が入らないというかね。
実際そのさ、
入っていると思うよ。
入っていると思うけど、人数の比率とかね。
そもそもやっぱり政府内にいる人、
官僚もそうだし、政治家もそうだし、
その学士豪卒が非常に多いんだと思う。
まだね。
だから改造度が高くない。
修士課程、博士課程とか、
あそこに住んでいる人たちの改造度が高くない。
それは全然違うじゃん。いつも全然違うなと思うもん。
そこは苗ちゃんの話を聞いていると。
だから、やっぱり当事者が意思決定の場にいないといけないよね。
あとね、私もう1個言いたいのがさ、
博士人材とかを、
やっぱり企業の就職の際の
1つのネックになるみたいなことって、
よくまだ言われてるじゃない?
例えば扱いづらいんじゃないかとか、
ジェネラリストを求める企業と、
専門性が高い博士御取得者の
マッチングがあまりうまくいかないとか、
理系もそうだと思うんだけど、
なんで日本でこんなに根強いんだろうと思うの?
その理由の1つが東大振興だと思うのよ、私。
要は、日本人ってさ、
工学歴って大学のレベルでしか見ないじゃん。
そうだね。
違うって言って、
工学歴かどうかってのは、
取得する学位の差ですからって、
これもう何回もここで口酸っぱく言ってるけど、
東大が上なわけじゃなくて、
博士号が工学歴なんですって言いたい。
だから企業で工学歴の人を採用したいって言うなったら、
博士号を採用しなさいと思う。
その人たちが一番プロフェッショナルに、
工学歴だからって思ってるんだけれども、
なかなかこれが伝わらないっていうね。
これも何でなんだろうね。
短くないもんね、企業で。
やっぱり博士号ってそんなにいないから、
そもそも周りに。
そうね。なんでなんだろうね。
そんなに集…。
でもジェネラリストが多いってのもあると思うけど、
企業のね。
まあね、そうね。
人種として一番。
そうそうそうそう。
そうですね。
いやー、だからこの問題は根深いんですけれども、
私は全都市半径5メートルから始めさせていただければと思います。
いやー、こんなに私が言ってんのに。
そう。
これはあれじゃないの。
大変なのはわかるけどさ、
誰かをやらなきゃいけないからさ、
ナイちゃんだったら、
変えられる気がするんだよね。
何を根拠に言ってんのよ、あんたそんな。
いや、そんな私が一番隣で伴奏してきてる、
私の目を信じて言ってるんですよ。
一番信じられない人だから。
課題評価の鬼だからさ、私に対する課題評価。
いや、そんなことないよ。
いや、一緒にやるよ、だから私が一緒にそこは。
不安だな。
勢いと行動力だけはあるからさ。
そうね、そうね。
いやいやいや。
アウトリーチ活動の重要性と今後の展望
でもまあね、ナイちゃんはそもそも研究が好きだから、
そこをペースにやりたいってのがあるよね。
やっぱり研究何もしてないのに、
そういうふうなことを言う人ほど、
私は信用ならないから。
それはそうよ。
だからよ、私はそれをナイちゃんが、
すごく熱を持って、
もしくは問題意識を持って、
やってる人だってことを分かってるから、
なんかそれを、
この思いを社会にもっと届くといいなと思うし、
そういう人にこそ、
意思決定をしてほしいなと思って、
いろんなことをね。
そうね。
でもまあ、なんかそういうさ、
やっぱりある種、研究者のアウトリーチ活動って、
すごい大事になってくると思うの。
今後ね、さらに。
これまで以上にね。
だから、もしかしたらこのポッドキャストも、
それに寄与してるかもしれないし、
なんか2人でさ、前回のエピソードでさ、
やってみたいねって言っていたような、
ああいう企業向けの、
パッケージみたいな話も、
ある種のアウトリーチの活動になると思うから、
そういうところで、
ちょっとは、
半径7メートルにしましょう。
半径7メートル。
そうね。
広げていければなと。
ちょっとずつやっていきましょう。
はい、ということでした。
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