違うじゃないよね。
その時に話し合われたネタを、こっちでこうだったよねって。
っていう風に、自分たちで考えてみた時に、どんなことが言えるのかなみたいな。
おかん問題って、それこそ女性には常に切り離しがたくまとわりついてくるものであるけど、
例えば男性コミュニティの中だと、おかん問題って存在しないのかなとか思っちゃうよね。
だから吉田さんがね、クイアーの診療の中の吉田さんが言ってたのは、
例えば実家に帰ると、おばあちゃんがすごい世話を焼いてくれるんだと。
はい、言ってましたね。
世話を焼いてくれて、そこで吉田さんが、いいよいいよ自分でやるからとは言っても、
おばあちゃんが頑張って、
やらしてよみたいな感じにね。
やらしてよみたいな感じになってしまうと。
そこに罪悪感みたいなのを感じるって言っていて、
僕もそれは似たような経験があるというか、
だいたい似たような感情を抱くことが多いですねっていう。
それはそうだね。
例えば実家とか、あるいは第三の自分の家とかじゃないところであれならば、
そうだけど家庭内ではおかん問題って発生するのかなって。
うちですか。
うちはですね、パートナーも男性だし、私も男性なので、
同性同士で暮らしているので、家事の負担は僕の方が多いです。
逆に聞いたら違うかもしれない。
分かんない、こればかりは。
ただそれでね、ただといって過不調性的な構図が発生しているかというと、
まあないですね。
多分おそらく同性同士、特に男性の同性同士だったらば、
多分その区引きからは逃れてるんだよね。
何でかというと、こうしなくちゃいけないもないし、
こうすると過不調性に乗ることになるっていうのもないじゃない。
ないですね。
どっちにしろ、だから好きな方が好きな時があればいいじゃんっていって、
誰も家掃除しなかったらあれ放題になるだけじゃんとか、
まあそうなるだけだよね、そこにはね。
まあどっかのポッドキャストで聞いたのが、
同性をするにあたって、同性というか同じ空間で暮らすにあたって重要なのは、
色の高さが同じことだと、その綺麗さとか乱雑さとかに対して、
価値観がね。
価値観がそこが大きくずれちゃうと、
お金の使い方にあとね。
ストレスがたまっちゃう。
けどだいたい同じくらいだったら、
そんなにストレスたまらなくて暮らせるんだってことを聞いて、
確かにそうだなっていうことがあって、
うちは割とオートメーション化しているので、
オートメーション化っていうか、
機械に頼る部分が多くて、
食器洗いとか、
洗濯とかね。
手で洗う人いない。
洗濯乾燥機を使ったりとか、
なのであまりそんなに過時に、
肉体的なエネルギーを使わなくて済んでいる部分はあるのかなと。
でもさあ、お金侵入の話で出てきたのはね、
それこそケアってことじゃないですか。
精神的ケアも含めてのね。
それは具体的な家事労働がゼロになっても、
ケアの目線というかさ、
この人今ちょっと落ち込んでるっぽくない?みたいなやつとか、
会社でなんかあったの?とかっていうのって、
なんかそのもうお金問題ど真ん中みたいな気がしないでもないよね。
それはでもまあお互いにお互いを気遣うみたいな感じ。
まあだからうまく言ってるんだろうけどね。
だから逆にレズビアンのカップルとかの場合の方が、
もしかするとお金問題的なものを直面することが多いのかもしれないなって思いますね。
だから両方がそのお金ポジションというか、
お金役割をクイアの侵入の中だとガスライティングって言ってますけど、
擦り込まれちゃってる部分がもしかするとあるかもしれなくて、
そうなってくると、例えば女性同士のパートナーで暮らしている中で、
例えば片っぽだけがちょっと負担が大きくなっていると、
なんとなく母親役割的なものを担わされている的な感情になったりするのかなって。
そうですね。たぶんより擦り込まれ度が大きいとか、
これを擦り込みと言っていいが度がうまくとして、
あるいは世代によってもちょっと上の家庭で育った、
年齢の家庭で育ったとか、そういったことで、
例えばこういう時は常に女の人が目配りして、
っていう時に同じ仮に女性同士のレズビアンカップルであっても、
片っぽが母親役割を担いがちだし、
それを今度は若かったりすればうざいと思いがちだし、
相互性が減るってことがあるでもね。
そうそう。今のうざいと思いがちっていう部分で、
アジーさんが言ってたのが、父親と母親が病気になった時に言って、
娘の自分がいた時に、父親が病気になった場合は普通に心配をするんだけど、
母親が病気になってしまうとつまんないみたいな感情があるっていうことを言っていて。
世界が黄色くなるって言ってましたね。
やっぱりそこでも子供から見た時も、
子供から見たお父さんという役割とお母さんという役割に対する違いがあって、
そこで母親ポジションでかつ子供がいる場合だと、
子供からの目線的なものっていうのも背負わないといけない、
っていうようなポジションに置かれてしまうっていうのは、
やっぱりなかなかつらいものがあるのかなという感じがしましたね。
実際にだって黄色くなる。
つまりお母さんは常に元気でいてほしいし、
自分のことを見ててほしいっていう、
ポジティブな部分、よりお母さんに近しいっていうポジティブな部分と、
逆にお母さんにしてみれば、
つまり常に自分は健康で、
ハツラツとしてさっきのムードメーカーのように、
家庭を明るく照らす存在じゃなくちゃいけないみたいなこととセットになってるからね。
何せ二次子はやってるとさ、
クイア系の皆さんじゃないけど、
もちろんそうじゃない人たちも含めてみんなごっちゃっといるから、
お子さんがいるうちといないうちと半々ぐらい。
いないほうが多数派か。
まあいて、成人して。
まあだいたいみんな年齢食ってるけど、
でもまあその人たちにとってみればさ、
成人しようが何しようが、おかん役割っていうのはさ、
常にこう、
自分の中でかなり大きな比重を占めた部分だと思うし、
今でもやっぱりある程度、
大きな比率でそこは存在してると思うんだよね。
それが例えば、
そうじゃない子供がいない辺りの人たちにしてみると、
全くないわけじゃない?
私はちょっとお母さんやりすぎちゃったかもしれないとかってないじゃない?
まあそうなんです。
ないない。もうやったところでね、
やる相手がいないっていう。
特に男性同士のパートナーシップで暮らしていると、
全くないですからね。
そうですよね。
女性同士だとちょっとあるかなと思うし、
まあ男女だと確実にある。
パートナーは私みたいにいない場合はね、
まあ全くない。
ないけど、
じゃあ自分がそこの、
おかん規範から外れてるかっていうと、
やっぱりそれはどこかに擦り込まれてる部分っていうのはね、
やっぱり感じるよね。
みんながご機嫌斜めかなと思ったら、
それは自分の都合ではなく、
場の都合として何かこう、
ちょっと盛り上げなきゃとか、
まあそんな頑張りはしないけど、
思ったりする回路が動き出すよね。
やっぱりそのムードメーカー的な部分っていうか、
感情労働的な部分っていうのを引き受け。
引き受けた方がいいのかなって思うぐらいの感じですね。
だからそれは別に、
いや引き受けたい人はどうぞって言わせてもらおうし、
っていうふうに中でも言ったけど、
でも本当にそれが、
それはさ、極端なこと言うとさ、
私はそれを引き受けたいんだから、
いいじゃないっていうのがあるっていうふうに、
よくこの問題だとね、
その人たちの自由とか、
希望を潰すのはいかんと思うっていうふうに思うけど、
一方で例えばそれはもう小学生の恋愛と一緒よね。
この人たちは擦り込まれているんだから、
あるいは自分で意識して考えられているわけじゃないんだから、
それも含めて間違ってるということを伝えなきゃいけないっていう。
小学生と大人の、子供と大人の恋愛みたいな話と一緒で、
それを一緒にしちゃうけどさ、思わず。
大丈夫かな。
ちょっと結構危険な議論してるよ。
なんだけど、
それは本人の意思かって言ったら、
大人にとってだって本人の意思かどうかなんてわからないっていうふうに思う部分もあるので、
だからそれは私は望んでやっていますって言って、
そうなのね、それ以上は他人の個人のことだから踏み込めないにせよ、
望んでやっているっていうのが本当に望んでいるかどうかはわからないってことも、
一応は留保事項として残しておくかなとは思うけどね。
過不調性のね、その話にしても、
そうなんだよね。
だからまあ地方創生とかでね、その地方に産業を作れば、
あるいは働き口を作れば何とかなるみたいな話があったりしますけど、
やっぱりこう、おかん問題をちゃんと取り組まないと、
地方からどんどん人が出ていくだけなんじゃないかっていうのはちょっと思うところですかね。
そうですね。
じゃあもうあの話を逆に振って、
じゃあ女の人がおかん問題、おかんであってはいかんのか問題っていうふうに。
いいじゃんだって、それは女の人はそっちの方が気持ちいいんだったら、
そっちの方が良くないって問題があるとするならば、
どういうデメリットがあるかを考えてみようと思うけど、
あの言い訳をしなくちゃいけないところが辛そうだなと思って聞いてました。
なんかね、あのラジオの番組を聞いてた時に、
やっぱすごく思ったのは、
あの私たちの時代とそれからさらにもっと若い時代で一番違うのは結婚感の違いなんだよね。
だからフェミニストの結婚感の違いね。
フェミニストは結婚しない。
だからあのミョンハさんは、
してしまった自分、その一応ね。
についてさすごく後ろグラックを持ってるわけだよね。
そうですね。
でも今それこそ同性婚もどうだとか言ってる時代にね、
結婚問題、結婚はしてはいけませんっていうさ、
いけませんじゃないけどするなんて、
その画不調性に飲み込まれていてフェミニストではございませんみたいなのって、
多分私たちの世代しか口にしないと思うんだよね。
もっと10歳若い人たちは、
私結婚なんかしちゃってさ、
ちょっとズルズルしてんだよねっていうエクスキューズいらなくない?
上野千鶴子さんが、
いろかわ大吉さんと、
この間1年くらい前かな、
いろかわ大吉さん亡くなった時に報道がされて、
そしたら実は上野千鶴子さんは、
いろかわ大吉さんと亡くなる直前に結婚していた。
遺産問題があるから同行とか言ってたよね。
同行とか言っていたのが、
割とそのフェミニズム界隈です。
ちょっと衝撃だったんじゃないか。
みたいだよね。
私たちの世代の人たちは、
とにかく結婚するなんて、
この社会戸籍制度なおかつ、
マジョリティを有利にするための制度に乗っかるなんて、
ダメですっていうのがあったからね。
かつ上野千鶴子さんは、
昔ね、
核調整と基本制っていう本も書いて、
核調整批判をしていた人であり、
かつその後もお一人様のすすめみたいな本を書いて、
結婚しないお一人様生活、
お一人様の老後みたいなところを推進というか、
割とプッシュしていた人だった。
っていう中で、
遺産の問題はあるにしても、
最後の最後で、
そこで婚姻届け出すんだっていう、
ある種の衝撃。
だから上野千鶴子さんとしても、
そうしたところは、
使える制度は利用しようみたいなところもあったんだろう。
と思うんだけど、
なんかゴニョゴニョ言うからさ、
はっきり言えばいいのにね、
とは思いましたよね。
なんかまだなんかその変革をさ、
やっぱりその大きいから、
存在が結婚とか婚姻制度とかね、
戸籍制度が大きいから、
大きな声で胸を張って言えないっていうのがさ、
私たちより上野世代には多分フェミニストの中にはあって、
いやいやこれ使っちゃったんだけどごめんねみたいな、
それこそ明波さんが言うところの、
他の人になんかこう後ろめたくじゃなくて、
なんだっけ申し訳なくじゃなくて、
なんかその感情を言ってたけどね、
なんかそういうのはあるけど、
若い世代ってそれなくない?
ないと思いますね多分ね。
逆にフェミニストであってもね、
その温度差は多分もう10年で、
この年齢差10歳であると思う。
そうですね多分その、
結婚をすることで、
それが過不調性を強化するんだみたいな、
意識が全くなくなってるんじゃないかなっていう気がしますね。
そうですね。
それはもう本当全共闘世代から、
それこそリブの時代、
そして私なんかの世代が最後ぐらいなんだなっていう風な気はする。
だからなんていうの、
例えば戸籍制度というのが、
もともととかっていうさ、
要はその男性の戸主制度の基づき、
同行とかっていうんじゃなくて、
新戸籍を作って、
2人で作るところ同じじゃんっていうところの方で広場に見てんだと思うんだよね。
せいぜいが別姓の問題ぐらいしか問題にならないぐらいの話になってんだと思うんだけど。
だから昔のその、
昔のっていうか、
ウーマンリブから引き継いだ第2第3波フェミニストぐらいの頃っていうのは、
まだその、
とはいえ家制度の名残があるでしょみたいなところで戦ってた部分があったのかもしれないけど、
もう今の時代になってくると、
なんていうか、
家制度って罪みたいな部分も多分あるし、
まあ、
それは全く忘れてしまったっていうわけではなくて、
あのなんだろうな、
その過不調性、
かつての家制度の名残的なものっていうのが、
ある意味では見えなくなってしまって、
意識しなくても済むようになっているっていう部分があるのかもしれない。
で、その一方で、
あ、でね、
その吉田さんが言ってた中で面白かったのは、
まあ結局その、
そういうふうに見えなくなってきてはいるんだけど、
男性がその子育てをすると、
育パパとか育面とか言われるのに、
母親が子育てをしてもそれは当然だと思われて、
で、あくまでその、
まあそれは母親だから当然だよね。
一方で父親が、
父親サイドが子育てすると育パパになったりとか、
料理すると料理、料理男子とかって言われるっていう、
その腹筋交差、
まあそれが、
まあある意味逆転した形の腹筋交差というか、
まあそういった部分にやっぱりまだ名残はあるのかなっていうような感じは。
たぶんね、この回じゃないと思うんですよ。
それ違うかな。
違う回。たぶんこの回ではないと思うんだけど、
でもまあそれは常にあって、
たださ、この問題、その問題って全くそうだと思うんだけど、
言うのって女の人なんだよね。
ああ、まあね。
男の人が、
君は育パパなんだねとかっていうことはなくて、
だいたい周りのちょっと上の女性たちがね、
もういいわね、お宅の旦那さん育パパなのねとか言うわけであって、
この問題ってすごい難しくて、
なんだろうな、
あたかもさ、
そういう男の人がやってる時に、
すごいわねとか言ったり持ち上げたり、
チヤホヤするのって、
メディアがとか言うから、
それこそ男性社会のメディアがって言うかもしれないけど、
日常的に体験するのは、
だいたい近所のおじさんではなくて、
近所のおばさんのわけじゃない。
っていう問題は常に抱えていて、
なんか問題は複雑よね。
とはいえ、
行政側もね、
育免推進だったりとか、
そういう子育てをする上司を推進したりとか、
なんかそういう、
政策パッケージとして、
もちろん男女共同参画っていう大枠があるので、
ある中で、
男性も家庭のことをやりましょうっていう中で、
使う行政用語としての育免だったり、
育パパだったりとかっていうのを、
押し出しているというところがあるんで、
そういう中で、
そうした不均衡的な、
男性も家庭のことをやりましょうみたいな形での、
推進っていうのがされているのかなと思うものの、
でも自分とか振り返ると、
料理するんですよ、毎日。
ですよね。
ですよね、本当に。
全くそういうパッケージがないので、
何もアピールすることないし。
そうだよね、料理男子っていう風にね、
誰も言ってくんないしね。
言ってくんないしね。
言うつもりもないですけど。
多分ね、今状況は、
かなり私も同じ状況で、