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おはようございます。ひろひろしです。
2025年4月21日、7時16分です。
また今日から月曜日が始まりますね。
私は平日仕事なので、5日間また仕事をがんばっていこうとは思いますが、
今話したいこと、いくつかあるんですけれども、
まずは、昨日から聞いてて、ちょっと思ったことを話そうかなというふうに思っていますというのが、
ポッドキャストの感想回ということで、
きりさんという方がオススメしてくださったへんなお茶会。
私もきりさんにオススメされて聞いてみたら、
なんでしょうね、
絶妙な、確かにその話から得られるものもあれば、
ただ単に笑かしに来てるだろうみたいなところもありつつ、
でも今回の回がちょっと意味深というか、
ちょっと自分的には考えることがいっぱいあったので、
声日記録ろうかなというふうに思ったんですけど、
葛藤みたいな形でお話をされていたんですけど、
ちょっとメモを取ったので、
ちょっと待ってくださいね、今車を運転しているので、
ちょっとメモを見れないんですが、
いろいろ話があって、
例えば後半の方はラベリングの話をされていて、
若い人もラベリングの弊害みたいなのを話されているんだなと思いまして、
最近私もラベリングすることによる効能と弊害といいますか、
ラベリングすることでその対象物をうまく分かりやすく
把握できるというのはあるけれども、
ラベリングすることでその人の見えない、
要はラベリング以外のところの価値観が入ってこないというところで、
ついそういうのはラベリングというのは暴力的なんだなというところで、
という話はしていて、
確かにそうだなという話もあったんですけど、
私が気になったのが、
結局タイトルにつけようかなと思っているところと話が通じてくるんですけど、
声日記は逃げなのかというところですよね。
そもそもへんなお茶会の方々はLISTENで声日記という文化を知らないですし、
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私みたいに日常みたいな形でしゃべっているみたいなのもないと思うので、
その前提で話しますし、
基本的には彼らはポッドキャスターなので、
ポッドキャスターで面白い話をやって、
面白いコンテンツとして出していきたいという前提のもとで話す時に、
日々の日常をしゃべっている時もあるんだよね、
これって面白いのかな?みたいなところがあったりだとか、
最終的には最終の話を聞いていって、
自分たちが面白いと思うのを出していけばいいんだよ。
だから聞いてくれる人が面白いと思うと万人に受けする必要はないんだよみたいな感じの文脈で言われて、
いやでもそれでもいいのかなみたいな葛藤をしているみたいなエピソードだったので、
そういう前提があるとしてね、
一応声日記は逃げなんじゃないですか?みたいなことを話されていたんですけど、
確かにポッドキャストと声日記って何か違うなというふうに感じていまして、
ポッドキャストも当然通じるところはあるなと思っていて、
中間みたいなポッドキャストもありますし、
それこそポッドキャストというラベリングと声日記というラベリングをすること自体も
暴力的なのかなというふうに今話したいと思いましたけど、
ポッドキャスターの中にはやっぱりこう、
いや俺の話が一番おもろいんやと、
俺の話は今回の話は芸人さんの話よりおもろいんやっていうところもあると思っていて、
いや俺が芸人崩れではないけれども、
元々芸人になりたかったけどうまくできなくてみたいな、
とりあえずポッドキャストで喋ってみたいなところ、
みたいな感覚もあるのかなというふうに思ってはいるんですけど、
そういう文脈で言うと確かに、
いやいや今日は俺こんな日々を過ごしましたみたいな、
それって特に面白いこともなく淡々と喋っていって、
っていうところがあると思うんですが、
別に否定したいとかそういうことでもなくて、
ただただ単に声日記は逃げだなっていう単語を聴いた瞬間はちょっと悲しかったなというふうには思うんですけど、
声日記ってやっぱり私の日記だから、私の日常だから、
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それを共感してくれる人が聞いてくれたらいいと思いますし、
強がりな面、今回のエピソードは強がりの面で別に聞いてくれる人が聞いてくれればいいし、
別にポッドキャストはいいけど、俺は勝手にやってるしみたいな感じで、
一瞬言われてたのは、
今の日記ブームへの憧れとか羨ましさみたいなところも若干あるみたいな話もされていたので、
そういう気持ちもあるのかなと思うんですけど、
でもやっぱりこうなんだろうな、
私は大学生だったり社会人になってからずっと写真を10年くらい前、
今も別にやめたわけではないんですけど、
強火か弱火か中火か種火かって言うともうほんと弱火の弱火なんですけど、
熱が弱火ぐらいなんですけど、
でも写真から学んだこととしては、
写真って自分の心を映す鏡であるっていうところと、
写真は日常の切り取りというか、
当然作られた写真というか、意図的な写真みたいなのもあったりはしますけど、
それを表現するのも自分の日常ですし、
今日はこういうふうにセットアップして段取り組んで、
みたいなのも日常なのかなと思っていて、
結局日常にこそ面白いコンテンツはないんじゃないかなと思っていて、
結局面白い話をするって言ってた人も、
芸人さんとかも、
こういう話、こういうことがありまして、
例えばどっか喫茶店に行きましてみたいな話をする、
でもそれってその人の一部日常じゃないですか、
生きてる証じゃないですか、
その中にしか結局面白い話ってないんですよね。
ごめんなさい、ちょっとバイクが来ちゃったんでピピって言っちゃいましたけど、
正直私の声日記って別に、
自分が喋りたいことを喋っているだけであって、
面白いコンテンツを作らないといけないとか、
だからといって聞いてくれる人のことは決して忘れてはいけないというか、
聞いてくれている人が不快になるようなことは言わないほうがいいかなというふうには思いますよね。
やっぱり人のことを言うとかね、
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このお茶会の話もね、
人のこと言ってるやんって言われると困るんですけど、
お茶会はなんで私が聞いてるかというと、
考えさせるところが基本的には笑ってるんですよ。
基本的には笑かしにきてるポッドキャストなんですけど、
その中にキラッと考えさせるところがあって、
今回はすごい考えさせられたなぁみたいなところがあって、
今回のエピソードはすごい考えさせるポイントがいっぱいあったので、
お話ししてるという感じですね。
今車が止まりそうなので、
お茶会はポッドキャストは逃げなのかとか、
面白いポッドキャストを配信するという文脈だと確かに声日記は逃げかもしれないなというところと、
ポッドキャストをやってる人、みんな自分のこと好きっていう話もあったんですよね。
確かにポッドキャストをやってて、これの話面白いって言ってる人って、
やっぱり自分のこと好きじゃないとそういうのって難しいで、
むちゃくちゃ嫌いですっていう人はポッドキャストなんてやらないよねって話なんですけど、
僕は自分のことがめちゃくちゃ好きかっていうとそうではなくて、
嫌いではないみたいな、めちゃくちゃ大嫌いではないというか、
これを受け入れるしかないんですよね。
自分の性格をバラッと変えますって言っても変えられることはないですし、
自分のLinuxで言うとカーネルは変えられないけれども、
インストールされているアプリは変えられるみたいな。
この幹のところは、本質的なところは自分的には変えられないんだけれども、
状況状況によってね、返す言葉を変えるとか、そういうことはできると思いますし、
こういうところはダメだよねっていう自分を受け入れていかないと前に進めないなっていうところもあるので、
あとは好きでありたいって思いますよね。
好きでありたいと思うようにはしてる。
めっちゃ好きかって言われると別に好きではないけれども、
好きでいたいだとか嫌いではないとか、そっちなのかなと思いますね。
あとはラベリングの効能と弊害みたいな形で話をしてたんですけど、
声日記はね、いやほんとにいいと思うんですよ。
私はそう思うっていう形で、やっぱり聞いてくれてる人がいると思うので、
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聞いてくれてる人に対してあまり不快なことは言わないようにと心がけてはいるけれども、
別にそれが100%それができるかっていうとそういう保証はないので、
ふとした私の言葉がいやいや、みたいな形もなってきたりするかもしれないので、
何とも言えないんですけど、やっぱりね、
僕がLISTENを始めたのを聞いてくれる人がいてっていうところと、
いいね欲しいをつけてくれる人がいるだとか、コメントをしてくれる人がいるだとか、
そういったところの温かさだったりとか、そういったところを
嬉しかったんでね、自分はやってみたんですけれども、
それの恩返しでもないんですけど、始めた人にはこういう場なんだよってことで、
☆つけたりとかね、してはいますけれども、そういった形で、
声日記は別に逃げではない、ポッドキャストの逃げではないかなっていう、
B-side的な感じで私はやってみたんですけれども、
まとまりがないというか、結局結論は何なんだっていう感じなんですけど、
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まぁちょっとね、いろいろ考えさせられる今回のエピソードだったので、
概要欄にリンクします。
たぶんね、僕が言及したとしても聞かれないと思うので、
と思うんですけれども、
声日記は逃げなんじゃないのっていうことが悲しかったっていうところと、
ワードだけ取り上げるのね、ワードだけ取り上げるのが悲しかったけれども、
でも彼らを日常とポッドキャストというか、面白いコンテンツを作るみたいなところの
葛藤を抱えてるよみたいなところ。
でも本当にポッドキャストって、
その人が好きかどうかみたいなところになってきて、
結構それはこれからの時代って、
フォロワーが何人いますとか、
そういうことも大事なのかもしれないけれども、
対人と人との付き合いっていうのが大事なんじゃないかなと思っていて、
本当に合わないんだったら合わないでしょうし、
合うなら合うし、
そういう合うっていう人をより見つけやすいコンテンツなのかなというふうには思ってますね。
で、やっぱり人と人との縁だから、
例えば今はすごいこの人を応援してるみたいなのがあるけれども、
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1年後どうなってるかわからないし、
でもね、対人と人とで付き合った時のやっぱりこう、
心地よさというかね、
そういうのはあるんじゃないかなというふうには思いますけれども、
そんな感じで、
結局何が言いたいのかよくわからなくなってしまったんですが、
終わっていこうかなというふうに思います。
良ければ聞いてもらえたらなというふうに思いますので、
概要欄にリンクして言及しておきます。
これで終わりたいと思います。
ここまで聞いてくださった方いらっしゃいましたら、
ありがとうございました。
失礼します。
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