詩吟の魅力と感情の重要性
詩吟の魅力を発信する、詩吟チャンネル
おはようございます。こんばんは。詩吟チャンネルのheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴二十年以上の私、heyheyによる詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力や吟じ方について、
わかりやすくザックバラにお話ししていくチャンネルです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
今日は十月の6日、どうも中秋の明月らしいですね。
ということで、まあ本当に過ごしやすいのかな、若干むしやすいんですけども、
まあとりあえず猛暑よりはですね、全然いいなという時期になっております。
私の娘はというとですね、今3歳1ヶ月になりまして、
そうですね、だんだんと一人でできることが増えてきました。
朝起きたらですね、ちゃんとトイレ行こうねって言ったら、ちゃんとむくって起きて、
でトイレ行って、ただ自分でまだできないんですね。
僕が一緒に後ろからはーってついてって、ズボンを下ろして、おむつを下ろして、
あとは僕が便器に子供のやつをセットして、娘をよいしょって乗せてから、
そしたらシャーって出ると。
そこまで娘をにこーってするんで、よかったな、成長したなと思って。
そうしたらですね、この後ズボンを履かないままですね、洗面台のところに
ちゃんと自分で手を洗って、そこから顔も洗って、
でちゃんとパンパンとタオルで顔を拭いていくと。
まだ下すっぽんぽんなんですけど、
まあそのすっぽんぽんで顔洗ってる間に、
僕は下の方で必死におむつとかはかしたりしてやってるんですが、
ああいやでもこんなに自分でできるようになったのか、
すっぽんぽんだけどこんなに自分でできるようになったのか、
と思ったりして、成長を本当に感じてます。
できることがですね、どんどんどんどん増えていきますね。
早い、嬉しい、寂しい、いろいろありますけれども、
まあ元気でやっております。
では今日の本題に入っていくんですけれども、
今日はですね、死因における感情の込め方、感情の向き合い方、
ちょっとそういうテーマでふわっとした内容になるんですけれども、
お話ししていきたいと思います。
こちらYouTubeの方でですね、ご質問いただきました。
ちょっと長い内容なんで、一文ちょっとサクッとお話ししていきますと、
そうですね、その方は演歌も練習されているということなんですが、
演歌も当然ながら、程度や方法に差はあれども感情を込めて歌うというものが当たり前です。
死因においてはですね、やっぱり天空のところで感情を込めてとか、
あとは風景の監視であればちょっと穏やかな感情を入れるとかですね、
何かしらの感情を入れると、実際にそういう風に指導する先生が多いですと。
ただ僕のつい最近の配信ではですね、
今までも基本的に感情というものは音程が狂いやすくなるから、
基本的には感情を入れないでまず練習しましょうということがあって、
そうつまり、感情どうやったらいいの?
死因で感情を込めたらいいのか?
どうしたらいいのかというところを教えてほしいというお話でした。
具体的に書いてくださって本当にありがとうございます。
本当にですね、感情の話は大事なんでですね、
なんとかしっかりとお話ししていきたいと思うんですが、
基本のできていない感情表現はマイナスでしかないと僕は思っています。
基本的な技術の重要性
基本のできていない感情表現はマイナスになると。
逆に基本さえできていればですね、感情がこもっていなくても
相手に史上表現を伝えることができる、そういう考えですね。
この間話した内容ともちょっと被るんですけれども、
漢詩は本当にそれだけで完成されているんですよね。
ものすごく完成されているんですよね。
5年、10年ブームになったとかそういう話じゃなくて、
100年、1000年、2000年それぐらいずっと残り続けて今なおあるというものですから、
もう完璧なんですよ。素晴らしいもの。
だからその洗練された言葉を素直に正確にやるということ自体で
もう十分な価値が放っているというところなんですね。
ここに至る境地はあまりに先すぎて、僕ですら怪しいんですね。
じゃあ感情を全部無にしたらいいのかというとあまりに現実的じゃないんですね。
ちょっとそこら辺も話していこうと思います。
僕はですね、しっかり教えてくれる高校生であった先生がいらっしゃるんですが、
その先生に出会う前は勝手に暴走してました。
中学生の時ですね。
そこそこ周りにチヤホヤされて、
俺ってそれほど銀が上手いのかもしれない。
声量もそこそこあるしとかですね。
節長もなんかできるしとか。
そんな状態でレベルの高い大会に行ったんですね。
僕は端にも棒にもその時に引っかからなかったんですけれども、
その時にめちゃくちゃ上手い人の銀聞いたんですよ。
聞きましてですね。
その人がものすごく心に響いたんですね。
特に柑橘強弱がすごかったかな。
赤マガセキがすごかったんですよ。
文字よりテープすり減るくらいに聞いたんでですね。
それを聞いて聞いて聞いて、
自分もこれぐらいに銀じれるようになろうっていうので、
それっぽいことをやってたんですよ。
一人でですね。
その銀マガセキだから、
あれ?冒頭は何だっけな?
36弾。
36弾!
今やったらそこそこスキルがついてきたんで、
それっぽくはなるんですけども、
当時はですね。
当時は結局のところ、
それやめなさいと。
やるだけどんどんひどくなるからやめなさいって言われました。
悲しかったですね。
自分としては感情を込めて、
気分を高ぶらせて、
ここでもっと花開くぞみたいな感じですね。
そんな風にやっていたんですけれども、
先生からすると聞けたものじゃないという、
そういう厳しい仕打ちを受けました。
これは別に中学生の時だからっていうで、
今がもう全く完璧になったかというと、
本当にそんなことはなくてですね。
今でもなお、
ついついですね。
ここは激しいからもっと激しくやろうとかですね。
ここは切ないところだからもっと切なくしようとかですね。
もっとっていうところが基本的に余計なんですよね。
余計なんですよ。
だから意識的に、
意識的にここの感情を込めようっていうことは、
詩吟においてはあんまりやらなくていいと思います。
基本ですね。
発声、発音、アクセント、音程、
あと言葉運び、
このあたりを丁寧にやりながら、
詩文をちゃんと疎読して、
その意味を理解して、
その通りに自然に声に出す。
それだけで、
もう十分、
十分感情表現になる、
詩情表現になるんですね。
そこにもっと込めようとかですね。
もっとメリハリをつけようとか、
なんかそういうものをこのもっとが、
いらない、いらないんです。
全部これは余計になると。
だから僕、
感情表現は、詩情表現は、
詩吟の道のり
振りかけを振りかける程度でいいと。
本当にサラサラっとしても、
ちょろちょろちょろっと最後に振りかけるだけ。
最後なんですね。
その前に基本という骨組みというものがあって、
それがちゃんと整った、
綺麗な器にのった綺麗な白米があって、
ご飯がちゃんと綺麗にまん丸にこんもりとのっていて、
それだけでも十分美味しいんです。
十分美味しいけれども、
そこにあえてアクセント的な感じで、
ファラファラファラっと上品にかけると。
多分それぐらいが感情を込めるという意味で、
良いものです。
本当に中学生のことを振り返っても、
そして今なお、
銀歴も27年になりましたけど、
今なお本当にそうだなって思います。
発声とか、
基本がどんどんブレていくんですね。
発声がブレていくかな、
特にそうですね、
発声がまずブレていって、
音程がブレて、
かつアクセントも一緒にブレていくというところです。
だから基本がブレないのであれば、
基本が全然ブレないのであれば、
感情を込めて良いですね。
基本がブレるのであれば、
やらない方が良いというところです。
きっとこれ言うのは、
銀道で道だからですね、
終わりがないものであって、
地道なものなんだと思います。
だけれども、
感情の抑制
だんだんとそういうやり方をしていくうちにですね、
そういう味わい深さというものが、
本当の意味で深い、
深い市場表現というものが、
出てくるのかなと思っています。
僕の奥さんがよく薄味で料理してくれるんですけども、
薄味にしていただくと、
だんだんとですね、
この素材の味ってこういうものなんだな、
今までソースとかマヨネーズかけてたな、
みたいなのではなくて、
あ、美味しいと。
逆にソースとかけるのちょっとこってりしすぎて、
あとからちょっと喉渇くなとかっていう感じなんですが、
やはり普段から市場感情表現を入れていたらですね、
本来の味というものが失われてしまう、
ということがあるので、
本当に市銀においてはですね、
感情というものを極力抑えて、
基本が先で、
最後にふりかける程度、
そういう扱いをしていただくというのが、
よろしいかと思います。
これは本当に市銀だけであってですね、
歌詞に優劣があると言いたいわけではないですが、
それでもですね、
演歌と、
市銀と、
この漢詩がですね、
漢詩本当に言葉少ないんですよ。
言葉少ないからこそそこに、
洗練されたものがぎゅっと詰まっているというふうに、
濃縮されたものですね。
演歌とかであれば、歌もたっぷりあって、
メロディーもあって、
だからそれを生かして、
まずはですね、
濃縮された乾燥わかみみたいなですね、
漢詩というものを、
ただの水でほぐしてあるぐらいで、
十分ちょうどいいという感じで、
理解していただけたら、
良いのかなと思います。
よくわからない料理の例えが出てしまったんですが、
参考になればいいかなと思います。
よし。
ではですね、
後半、
一つ言じていきたいと思います。
そうそう、漢詩ロック。
漢詩ロックですね、最近もちゃんと隙間で作っているんですが、
いい感じのまたできたんですよ。
最近はですね、
春夜落城に笛を聞くよ。
李博のこれですね。
これも漢詩ロックで作りました。
ちょっと一部、
さらっと今バックに流しておけばいいかな。
15秒、30秒ぐらいだけ流そうと思うんですけど、
ジャズな感じ。
すごい和風だけれども、
ジャズな感じの春夜落城。
しかもイラストもいい感じに
僕作ることができたんですね。
こういう楽しみ方もあるのか。
この漢詩ロック、私の活動の一つなんで、
応援していただけたら嬉しいです。
フルバージョンは、
概要欄に聞けるように、
QRコードで聞けるようにしておきますね。
ではでは、後半一つ言じたいと思うんですけれども、
今日はもう十五夜なんですね。
十五夜に関したものを、
やっぱり探しちゃいます。
王兼策。
十五夜月を望む。
まず詩文から読んでいきたいと思います。
中庭、地、白くして、
樹、カラスをすましめ。
玲璃、声なく、景下を潤す。
今夜月明、
人、ことごとく望む。
知らず終始、
他が家にかある。
ではどういった内容かですね。
中庭の中庭の地面は、
明月の光を受けて
白く輝き、
庭の木は、カラスに
良き恵を与えている。
月の光によって生じた梅雨は、
しっとりと木蓮の花を
潤す。
今宵の満月は、
人はことごとく
眺めていることであろうが、
さてこの月を見て、
秋の世の物思いに
吹ける人は一体誰だろうか。
まあ本当に綺麗なんですね。
ということで、
こちらを吟じて終わりたいと思います。
これで感情をめちゃくちゃ
込めていたら全然説得力ないんですね。
僕も今、ちょっと
白米を受けて練習しているんですが、
シンプルに、
淡々とですね、おいしい白米を目指して
吟じたいと思います。
十五夜、月を望む
王犬
中庭
血白くして
十カラス
澄ましめ
麗柔
無く
十カラスを澄ましめ
王が抜けましたね。
すみません。
ところどころですね、
強弱とか入ってくるんですけども、
寒急強弱は寒急強弱なんですけど、
感情を込めるっていうのは
本当に
中傷的すぎるんですよね。
それを何か一つの
ここの間に間を増やすんだとか、
ここの寒急をつけるんだとか、
そういう風な感じで
具現化して
細分化することができれば
意味があるのかなと思うんですけど、
ただ感情を込めるってなると、
基本的に失敗すると。
僕の場合もですね、
今どこが怪しかったかというと、
今夜月明の今夜とかですね、
めちゃくちゃグワッてやりたいんですけど、
そうなると発声がどんどん喉っぽくなると。
家に行くかとかですね、
ここもだんだんと、
お腹の発声からだんだん胸あたりに
響きがですね、だんだん移動してきたり
しがちだったんで、
そういうのをちょっと抑えながらやったとか。
そんな感じでやっぱり意識的に
抑えて抑えて、
大事な基本なんだったっけみたいなのを
いかにどれだけ抑えられるか。
抑えるって言うとちょっとあれなんですけど、
やっぱり感情は暴走しがちなんですね。
そこの手綱を握ってあげるというのが
大事なんじゃないかなと思いますので、
参考にしてみてください。
十五夜月を望む
ではでは、詩吟の魅力を発信する詩吟チャンネル
どうもありがとうございました。
バイバイ。