AIの魅力
おはようございます。詩吟YouTuberのheyheyです。ようやく体調がいい感じに戻りつつあるので、テンションも少し上向きになってきました。
今日もいろいろ喋りたいことはあるんですが、まず1本目はですね、AIが好きなのは、出来ないことが明確だからというテーマで話したいと思います。
僕はですね、たぶんそこそこ普通の人よりはAIを使っていて、AIが好きな人間なんだと思います。
今、そうですね、配信活動でもChatGPTは本当に、どれぐらいだろう、もう1年、2年近く使ってるんじゃないかなと課金して使っていますし、クラウドは一時期結構使ってた。
今はジェミニに課金して使っている状態ですね。さらには、最近スノー、音楽先生のやつにもちょっと今惹かれてますし、あとはAI動画先生のクライアントワークもやっているということなんで、たぶん結構AIやってるんですよね。
新しい情報もどんどん出てきているんですが、そこら辺の情報を読むこと自体に特に大した苦痛もないタイプなのかなと思っています。
で、自分はなぜこんなにAIをやっているのか、AIが結構好きなのかという話を深掘っていくとですね、自分に出来ないことが明確だったからというふうに思うんですよ。
これはどういうことかというとですね、試銀やってるとやれることやれないことがめちゃくちゃに明確になってくるんです。試銀できます。だけれどもそれ以外全然できませんっていうことなんですね。
相対的により明確に見えてくる感じがします。
具体的にはですね、一番わかりやすいのはイラストができなかったってことですね。
だから試銀で発信活動を始めるときに、この試銀の録音音声をある意味アルバムみたいな形で何か販売できないかなとかって考えたりもやっぱり最初してたんですけれど、いやいや待てよと。
そもそもジャケット絵とか絶対描ける気がしない。何のセンスもないわ。
キャンバーもあるんですけれども、キャンバーも今ほど使いやすくはなかったし、そもそもちょうどいいデザインを探すというセンスすらもなかったりしたんでですね。
ニュアンスでなんとなくうまいことやってくれみたいなレベルにできるものは当時なかったんですよ。
それがAIでできるようになったっていうことで、いや本当にこれは素晴らしいと。
今までイラストさえできればあと何々ができたのにみたいなですね、この必要なパズルのピースがですね本当に明らかだったんです。
明らかだったからこそある意味しっかりと諦めていたというものだったんですね。
プログラミングについてもやっぱり似たようなところがありますね。
できなかったことからの成長
僕、高専行っていた時、自分で言うのもなんなんですが、成績良かったんですよ。
いや、成績が僕より比較的低いクラスに入ったから僕は相対的に成績が常に良かったんですよね。
結構ずっと一番取ったりとかっていうのもあったんですが、プログラミングは本当にダメでした。
もう赤点ギリギリ、ギリギリというか多分あれ赤点ですよね。
プログラミングが得意な友達の回答をコピペさせてもらいましたからね、最低ですよ。
でも本当にそれをやらない限りいくら考えてもダメだっていうレベルだったんですよ。
確かその時はC言語とかそういうやつとか授業であって、情報処理であって本当に頭に入ってこなくて、本読んでもよくわかんないし理解もできないしっていうレベル。
もうなんか喫水の苦手なんだなという意識がありました。
だからこれも一緒ですね。
もうできないのがあまりに明確だったからこそそれがいよいよできるようになったっていうこのAIというものが非常に素晴らしい。
なんで素晴らしいんだ。
これがあればいよいよできなかったあれやこれができるっていうこのできないからこそのこのギャップが駆動力になって今のモチベーションとかになっているというお話です。
どうでしょうか。
そうできないことが今ならできるようになっているの山ほどあるんです。
そういう視点でAIを見てもらえればもっともっと多分意欲が湧くんじゃなかろうかなと思います。
ではまず1本目聞いてくださってありがとうございました。
バイバイ。