青森県青森市にある棟方志功記念館は、青森が生んだ世界に誇る板画家、棟方志功の文化勲章受章を讃え、その偉業をのちのひとたちに伝えるために、1975年、昭和50年に開館しました。
建物は、校倉づくり。大切な宝物を後世に残す東大寺正倉院と同じつくりです。
記念館を校倉づくりにしたことに、青森のひとたちが、いかに棟方志功の作品を大事にしているかがわかります。
棟方にとって、青森に生まれ育ったということは、とても大きな意味を持っていました。
彼に絵筆をとれと教えてくれたのは、空を舞う凧の絵と、ねぷたでした。
和紙に墨で絵をしるすねぷたの造形は、彼に壮大な夢を与えたのです。
棟方は、自らを“板画家”と名乗りましたが、その板画家のハンの字は、通常使われる版画のハン、出版社のハンではなく、板という字を使いました。
板に向き合い、板に命を吹き込んだ彼の思いの強さの表れです。
晩年、彼の右目は、まったく見えませんでした。
左目もほとんど見えず、それでも彼は板に刃を入れ続けました。
彼は、こう書き記しています。
「まことにおかしなもので、わたくしの右眼は、刃物を持つと見えてきます。筆で書いている時は、全然判別できぬような細かい字でも、米粒のような字でも、線、点でも、板刀を持つと彫れます。神様がそのように育ててくれているので、有り難い極みです」
板画には、彼がいうところの、間接性があります。
肉筆で画く絵とは違い、板画には、板の特製を知り、板の気持ちに寄り添う優しい心が必要なのです。
生涯、子どものような純粋な魂を持ち続けた板画家、棟方志功が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
建物は、校倉づくり。大切な宝物を後世に残す東大寺正倉院と同じつくりです。
記念館を校倉づくりにしたことに、青森のひとたちが、いかに棟方志功の作品を大事にしているかがわかります。
棟方にとって、青森に生まれ育ったということは、とても大きな意味を持っていました。
彼に絵筆をとれと教えてくれたのは、空を舞う凧の絵と、ねぷたでした。
和紙に墨で絵をしるすねぷたの造形は、彼に壮大な夢を与えたのです。
棟方は、自らを“板画家”と名乗りましたが、その板画家のハンの字は、通常使われる版画のハン、出版社のハンではなく、板という字を使いました。
板に向き合い、板に命を吹き込んだ彼の思いの強さの表れです。
晩年、彼の右目は、まったく見えませんでした。
左目もほとんど見えず、それでも彼は板に刃を入れ続けました。
彼は、こう書き記しています。
「まことにおかしなもので、わたくしの右眼は、刃物を持つと見えてきます。筆で書いている時は、全然判別できぬような細かい字でも、米粒のような字でも、線、点でも、板刀を持つと彫れます。神様がそのように育ててくれているので、有り難い極みです」
板画には、彼がいうところの、間接性があります。
肉筆で画く絵とは違い、板画には、板の特製を知り、板の気持ちに寄り添う優しい心が必要なのです。
生涯、子どものような純粋な魂を持ち続けた板画家、棟方志功が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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