島根県安来市出身の、世界にその名をとどろかせる日本庭園をつくった、実業家がいます。
足立全康(あだち・ぜんこう)。
昨年末、あるニュースが世界中に配信されました。
「島根県安来市の足立美術館が、アメリカの専門誌による日本庭園ランキングで、なんと20年連続の1位に選ばれる!」
『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』でも三ツ星と掲載された、この庭園をつくったのが、足立全康です。
およそ17万平方メートル、5万坪の敷地に植えられた、赤松、黒松、サツキやモミジたち。
そして、枯山水や苔の庭、全康が敬愛してやまない横山大観の絵をモチーフにした、白砂青松の庭など、四季折々の景色は、連日、多くの観光客の五感を刺激し、その目を楽しませています。
「庭園もまた一幅の絵画である」と唱えた全康の思いが、草木一本まで沁みわたっているのです。
庭園もさることながら、展示された日本画や、北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん)のコレクションも、圧巻です。
これだけの美術館をつくった男は、生まれながらの大富豪だったのでしょうか?
全康は、安来の農家出身。
子どもの頃は劣等生だったと言います。
夢とロマンを持ち続けて、彼が『足立美術館』に着手したのは、1968年、69歳のときでした。
開館は、2年後の1970年。
およそ10年あまり、入館者は伸び悩み、閑散とした館内をひとり歩く全康の姿がありました。
それでも、365日、1日たりとも庭園の手入れを怠らず、大好きなふるさと・安来にどうやったらひとが来てくれるかを考え続けたのです。
全康は、人間には3つのタイプがあると言っていました。
用心深く、なかなか腰をあげないタイプ、行動しながら考えようとする現実主義タイプ。
そして、やってみないことにはわからない、まずは動いてみて、あとから善後策を講じるタイプ。
彼は3番目の、いきなり走り出すタイプでした。
だからこそ、挫折も経験する、でも、それゆえ足腰が強くなる。
彼は、いかにして日本一の庭園をつくることができたのでしょうか?
明治・大正・昭和を生き抜いたレジェンド。足立全康が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
足立全康(あだち・ぜんこう)。
昨年末、あるニュースが世界中に配信されました。
「島根県安来市の足立美術館が、アメリカの専門誌による日本庭園ランキングで、なんと20年連続の1位に選ばれる!」
『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』でも三ツ星と掲載された、この庭園をつくったのが、足立全康です。
およそ17万平方メートル、5万坪の敷地に植えられた、赤松、黒松、サツキやモミジたち。
そして、枯山水や苔の庭、全康が敬愛してやまない横山大観の絵をモチーフにした、白砂青松の庭など、四季折々の景色は、連日、多くの観光客の五感を刺激し、その目を楽しませています。
「庭園もまた一幅の絵画である」と唱えた全康の思いが、草木一本まで沁みわたっているのです。
庭園もさることながら、展示された日本画や、北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん)のコレクションも、圧巻です。
これだけの美術館をつくった男は、生まれながらの大富豪だったのでしょうか?
全康は、安来の農家出身。
子どもの頃は劣等生だったと言います。
夢とロマンを持ち続けて、彼が『足立美術館』に着手したのは、1968年、69歳のときでした。
開館は、2年後の1970年。
およそ10年あまり、入館者は伸び悩み、閑散とした館内をひとり歩く全康の姿がありました。
それでも、365日、1日たりとも庭園の手入れを怠らず、大好きなふるさと・安来にどうやったらひとが来てくれるかを考え続けたのです。
全康は、人間には3つのタイプがあると言っていました。
用心深く、なかなか腰をあげないタイプ、行動しながら考えようとする現実主義タイプ。
そして、やってみないことにはわからない、まずは動いてみて、あとから善後策を講じるタイプ。
彼は3番目の、いきなり走り出すタイプでした。
だからこそ、挫折も経験する、でも、それゆえ足腰が強くなる。
彼は、いかにして日本一の庭園をつくることができたのでしょうか?
明治・大正・昭和を生き抜いたレジェンド。足立全康が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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