2時間16分22秒8。
これは、1964年に行われた東京オリンピックで、陸上競技唯一のメダルを獲得した、マラソンランナー円谷幸吉のタイムです。
1964年、昭和39年10月10日から2週間にわたり開催された、第18回夏季オリンピック。
戦後の日本が復興を遂げ、再び世界の舞台に躍り出る象徴的なセレモニーでした。
そんな大会の、終盤。
陸上競技最終日。10月21日、午後1時。
世界のトップランナーたち68人が、東京・代々木の国立競技場を飛び出していきました。
2時間が経過し、やがて再びトラックに戻ってきた選手たち。
先頭は、エチオピアのアベベ。
そして2人目に入ってきたのが、円谷でした。
日本人としては、ダークホース。
マラソンにおいて、日本人でメダルに最も近いのは、君原健二か、寺沢徹だと言われていました。
決して美しいとはいえないフォームで黙々と走る円谷。
彼の後ろから、イギリスのヒートリー選手が近づいてきます。
円谷は振り返らない。ただ前だけを見つめる。
やがて、バックスタンド前で、抜かれてしまう。
抜かれた瞬間、「あっ」という表情を浮かべ、追走するが再び抜き返すことはできなかった。
それでも、銅メダル。快挙だった。
ゴールして、すぐに芝生に倒れる。
両手をつき頭を垂れる。
彼はレース中、一度も後ろを振り返らなかった。
それは父に言われていたからだ。
「どんなことがあっても、後ろを振り返ったりするな!」
27歳でこの世を去った孤高のランナー円谷幸吉が、人生で守り続けた明日へのyesとは?
これは、1964年に行われた東京オリンピックで、陸上競技唯一のメダルを獲得した、マラソンランナー円谷幸吉のタイムです。
1964年、昭和39年10月10日から2週間にわたり開催された、第18回夏季オリンピック。
戦後の日本が復興を遂げ、再び世界の舞台に躍り出る象徴的なセレモニーでした。
そんな大会の、終盤。
陸上競技最終日。10月21日、午後1時。
世界のトップランナーたち68人が、東京・代々木の国立競技場を飛び出していきました。
2時間が経過し、やがて再びトラックに戻ってきた選手たち。
先頭は、エチオピアのアベベ。
そして2人目に入ってきたのが、円谷でした。
日本人としては、ダークホース。
マラソンにおいて、日本人でメダルに最も近いのは、君原健二か、寺沢徹だと言われていました。
決して美しいとはいえないフォームで黙々と走る円谷。
彼の後ろから、イギリスのヒートリー選手が近づいてきます。
円谷は振り返らない。ただ前だけを見つめる。
やがて、バックスタンド前で、抜かれてしまう。
抜かれた瞬間、「あっ」という表情を浮かべ、追走するが再び抜き返すことはできなかった。
それでも、銅メダル。快挙だった。
ゴールして、すぐに芝生に倒れる。
両手をつき頭を垂れる。
彼はレース中、一度も後ろを振り返らなかった。
それは父に言われていたからだ。
「どんなことがあっても、後ろを振り返ったりするな!」
27歳でこの世を去った孤高のランナー円谷幸吉が、人生で守り続けた明日へのyesとは?
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
10:08
コメント
スクロール