大阪の吹田市にある万博記念公園は、日本万博博覧会、いわゆる大阪万博の跡地です。
万博が開かれたのは、1970年。
183日という開催期間に、大阪、千里丘陵に訪れたひとは、のべ6千万人以上。
1964年の東京オリンピックに次ぐ、日本高度経済成長の象徴でした。
テーマは「人類の進歩と調和」。
しかし、このテーマに真向から反対したひとがいました。
しかもそのひとは、大阪万博のシンボルのデザインを担っていたのです。
彼の名前は、岡本太郎。
画家、彫刻家、文筆家。
肩書はいくらでも思いつきますが、ひとことで芸術家と言い切るより、他に言葉が見当たりません。
岡本は、大阪万博のシンボル、アイコンを作るにあたり、万博のテーマと真逆の発想で臨みました。
「進歩と調和」ではなく、「退行と逸脱」。
彼が創造したオブジェの設計図を見て、運営事務局は焦りました。
予定したものより、大きく、背が高かったのです。
運営事務局の責任者が恐々言いました。
「岡本先生、すみませんが、これでは屋根の高さを越えてしまいます」
岡本は、ただひとこと、こう答えたと言います。
「屋根、突き破れば、いいでしょ」
こうしてできた建造物の名前は、『太陽の塔』。
彼の望みはただひとつ。
「オレは、べらぼうなものをつくりたい!」
万博から47年が経った今、オブジェを押し込めようとした屋根は撤去され、太陽の塔だけが残されています。
千里の丘に堂々と立つ、べらぼうなもの。
常に安全な道ではなく、危険な道を選び、それでも自分の中の毒を大切にした、芸術家・岡本太郎。
彼が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
万博が開かれたのは、1970年。
183日という開催期間に、大阪、千里丘陵に訪れたひとは、のべ6千万人以上。
1964年の東京オリンピックに次ぐ、日本高度経済成長の象徴でした。
テーマは「人類の進歩と調和」。
しかし、このテーマに真向から反対したひとがいました。
しかもそのひとは、大阪万博のシンボルのデザインを担っていたのです。
彼の名前は、岡本太郎。
画家、彫刻家、文筆家。
肩書はいくらでも思いつきますが、ひとことで芸術家と言い切るより、他に言葉が見当たりません。
岡本は、大阪万博のシンボル、アイコンを作るにあたり、万博のテーマと真逆の発想で臨みました。
「進歩と調和」ではなく、「退行と逸脱」。
彼が創造したオブジェの設計図を見て、運営事務局は焦りました。
予定したものより、大きく、背が高かったのです。
運営事務局の責任者が恐々言いました。
「岡本先生、すみませんが、これでは屋根の高さを越えてしまいます」
岡本は、ただひとこと、こう答えたと言います。
「屋根、突き破れば、いいでしょ」
こうしてできた建造物の名前は、『太陽の塔』。
彼の望みはただひとつ。
「オレは、べらぼうなものをつくりたい!」
万博から47年が経った今、オブジェを押し込めようとした屋根は撤去され、太陽の塔だけが残されています。
千里の丘に堂々と立つ、べらぼうなもの。
常に安全な道ではなく、危険な道を選び、それでも自分の中の毒を大切にした、芸術家・岡本太郎。
彼が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
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