福岡県久留米市出身の実業家に、「逆境は変革の時、不況こそ商機、起死回生の最大のチャンスである」と説いた人物がいます。
石橋正二郎。
ブリヂストンの創業者であり、当時輸入に頼っていたタイヤ産業をゼロから起こし、世界一のメーカーにまで押し上げたひとです。
そこに至るまでの経緯は、決して順風満帆ではありませんでした。
しかし、彼は不屈の心で、常に挑戦を続けたのです。
晩年、こんなエピソードがあります。
入院していた石橋のもとを、気の置けない友人にして共に戦う同志、ソニー会長の井深大が見舞いにやってきました。
「やあ、元気そうじゃないか」
「全く、ざまはない。こんな姿を見せたくなかったよ」
やがて、井深はゴルフの話を始めました。
「スライスが治らんのだよ。どうしても右に曲がっちまう。それがどうにも悔しくてね」
井深は技術屋らしく、自らのスイングを分析し、「ビデオドクター」なるフォーム矯正器を開発した話を続ける。
「スイングだけじゃない、日本人に合うドライバーについても研究した。あれだな、4番ウッドのシャフトの長さが日本人にはイチバン合う」
そこで、彼はひとつ呼吸を置いて、
「ボールについても分析したんだが、キミんとこのボール、あれはレントゲンで見ると芯が少しずれているよ、はははは」
石橋は、そんな発言を悔しがり、すぐに担当者を呼びつけ、調べさせました。井深の言うとおりでした。
「いくらかかってもいい。真っすぐ飛ぶ、世界一のボールを開発しなさい!」
これがきっかけで、ブリヂストンはゴルフボールの世界市場でトップを争うまでのぼりつめたのです。
石橋は思いました。
「井深は、見舞いに商品開発のヒントと奮起する力をくれたんだ」。
どんなときも挑戦を忘れなかった実業家、石橋正二郎の明日へのyesとは?
石橋正二郎。
ブリヂストンの創業者であり、当時輸入に頼っていたタイヤ産業をゼロから起こし、世界一のメーカーにまで押し上げたひとです。
そこに至るまでの経緯は、決して順風満帆ではありませんでした。
しかし、彼は不屈の心で、常に挑戦を続けたのです。
晩年、こんなエピソードがあります。
入院していた石橋のもとを、気の置けない友人にして共に戦う同志、ソニー会長の井深大が見舞いにやってきました。
「やあ、元気そうじゃないか」
「全く、ざまはない。こんな姿を見せたくなかったよ」
やがて、井深はゴルフの話を始めました。
「スライスが治らんのだよ。どうしても右に曲がっちまう。それがどうにも悔しくてね」
井深は技術屋らしく、自らのスイングを分析し、「ビデオドクター」なるフォーム矯正器を開発した話を続ける。
「スイングだけじゃない、日本人に合うドライバーについても研究した。あれだな、4番ウッドのシャフトの長さが日本人にはイチバン合う」
そこで、彼はひとつ呼吸を置いて、
「ボールについても分析したんだが、キミんとこのボール、あれはレントゲンで見ると芯が少しずれているよ、はははは」
石橋は、そんな発言を悔しがり、すぐに担当者を呼びつけ、調べさせました。井深の言うとおりでした。
「いくらかかってもいい。真っすぐ飛ぶ、世界一のボールを開発しなさい!」
これがきっかけで、ブリヂストンはゴルフボールの世界市場でトップを争うまでのぼりつめたのです。
石橋は思いました。
「井深は、見舞いに商品開発のヒントと奮起する力をくれたんだ」。
どんなときも挑戦を忘れなかった実業家、石橋正二郎の明日へのyesとは?
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