優しさについて、あれこれ話してみました。
応援しないほうがよい説/経験の有無と想像力/相手の痛みや辛さを想像して祈る/受け取り方はショックの度合いで異なる?/寄り添うことは忍耐/自分に余裕をもつ/コントロールできること・できないこと/想像力を養い、優しさを醸成するために
このPodcastは考えるひといしだと、感じるひとみずほがお届けする番組です。毎週水曜配信。
「夜空にランタンを」飛ばすように、私たちの考えや想いを解き放つことで、リスナーの皆さんの心が少しでも軽くなったらという願いを込め、日々の暮らしの中で気になったことについてお話しています。
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このポッドキャストは、考える人石田と感じる人Mizuhoがお届けする番組です。
夜空にランタンを飛ばすように、私たちの考えや思いを解き放つことで、リスナーの皆さんの心が少しでも軽くなったらという願いを込め、日々の暮らしの中で気になったことについてお話ししています。
考える人石田です。
感じる人Mizuhoです。
こんにちは。
こんにちは。
さて、Mizuhoさん、今日のランタンは何でしょう?
今日のランタンは、優しさについてです。
と、ちょっとテーマを発表してもらった後でなんですが、前回、本についての紹介をしたんですけれども、ちょっとここでお知らせがありまして、
今聞いてくださっている私たちの番組の概要欄のところに、前回紹介した本のリンクを貼ってますので、もしよかったら見てみてください。
あとは、食の回ぐらいからですかね、概要欄にどんなことを話してるのかっていう、ちょっと簡単な目次をつけ始めましたので、そちらも併せてご覧ください。
はい。ちなみに石田さんがつけてくれました。
目次ね。はいはい。
つまり、そうなんです。
本当に上手です。
いやいや、ちょっと精進します。
武士かな?
ドキドキ。
ドキドキ刀を。
武士出てくるんですけれども、じゃあ優しさです。
今日のテーマ。
前回、本の話の中で石田さんが最後に、本当の優しさって何かなって考えたことがあるんですよねって言ってくれたわけなんですけど、
それがすごく心に残ったので、ちょっと今日はこれについて話してみましょうということになりました。
どこから話しましょう、これは。
これは壮大なテーマですよね。しかしながら考えてみたんですけど、
私、仮説がありまして、感じる人みずほの仮説、優しさで応援しないほうがいいんじゃない説なんですけど、
この間の石田さんの話を聞いていて、自分が優しさを欲した体験あったかなと考えたときに、
私は以前のパートナーと別れたときに傷ついて、それこそ谷底に落ちていったわけなんですけど、
状況としては、私が振られた、向こうが別れようと言って別れることになったという事態だったということと、
あと、とても円満なリレーションシップだったというか、そんな別れが来るとは思ってもみなかったリレーションシップだった期間に、
すごくびっくりしたし、ショックも大きかったという時だったんですけど、
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その時に周りの人が、もっといい人いるよって声をかけてくれて、それが私にとってはその時のキラーワードだったなと思ったんです。
石田さんが環境が変わったら、また状況も変わるかもしれないっていうのに、実はすごく傷ついたっていう話だったと思うんですけど、
私のそれは、もっといい人がいるよっていう、本当にもう最も、私も頭で理解できる話なんですけど、
いや私はその人が良くて一緒にいたわけで、これからも一緒にいたかったから、
いい人と言われても、私のいい人は彼なんですっていう頭だったので、
なんで他の人を探さなくちゃいけないんだっていう、すごくショックを受けたわけなんですけど、
で、それを考えた時に、私の場合も相手は私を慰めたりとか、気持ちが軽くなったらって思って言ってくれたわけで、
決して傷つけようとは思ってなかったじゃないですか。
だから優しさって、その石田さんが言ったみたいに難しいなと思ったのと同時に、
共通点は応援してるのかなって思ったんですよ。
なんかイメージつきますか。
私もなんなら多分使ったことがある言葉だったと思うんですよね。
友達が失恋したとかっていう時に。
その時を想像すると、より良い明るい未来を一緒に想像したくて、
かけた言葉であって、決して相手を悲しませたくなかった。
大丈夫だよって応援してあげたと思うんですけど、
多分応援しちゃうと相手がどう受け取るかは読めないから、傷つく可能性を残すのかなと思って。
逆に私があの時かけて欲しかった言葉で間違いないのは、
辛いねとかショックだったねとかっていう、今自分が思っている気持ちをコンファームしてくれる言葉だったなと思っていて。
石田さんもこの間同じことを言っていたんじゃないかなと私は思ったんですけど。
だから寄り添ったりとかっていうのは多分傷つけにくいし、
それこそ今テーマとして扱っている優しさになるけれども、
応援みたいな拡大解釈とも言えるのかもしれないですけど、
プラスアルファーの何かの言葉をかけてしまうと、傷つけてしまう。
優しさが優しさでなくなってしまう可能性が高いんじゃないのかと思ったんですが、どうでしょうか。
すごいわかります。
一つ思うのは、例えば今のみずほさんの例で言ったら、
もっといい人がいるよっていう言葉でもしかしたら励まされる人もいるかもしれないっていうのは可能性としては全然あると思うんですよね。
本当にそう言われることで逆に気が軽くなる人もいると思うので、
それを言っちゃダメっていうことではないとは思います。
しかし、私がいつも気をつけているのは、もっといい人がいるよとか、絶対うまくいくよとか、大丈夫だよとか、
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そういうよく聞く、ちょっと言葉強いですけど耳障りに言うことで、
自分が何て言ったらいいかわからない状況を早くクローズしたいっていうか、
そういう話を聞いて本当に気持ちを想像して寄り添ってあげるって結構忍耐がいることだと思うんですよね。
何て言っていいかわからないし、ちょっと気まずいというか、デリケートな状況だから、
そういう身近にあるよく聞くような言葉をかけることで、
自分が気持ちよくなりたいのではというか、そんなふうになってないかっていうことは考えるようにしてます、私は。
なんとなく伝わります、これ。
はい、わかります。
それってちなみに、相手の状況が想像しにくいときに起きやすかったりしますか?
それもそうかもしれないですね。それとか、何て言っていいかわからないとき、そうですね。
だからその理由が想像しにくいのか、あとはどうしてもやっぱりさっきも言いましたけど気まずいというか、
ちょっとどちらかといえば重たい雰囲気になっちゃうから、それをなんとかこの場を盛り上げようというか、
さっきも言いましたけど耳障りの良い言葉とか、よく聞くそういう言葉って私はすごく気をつけるようにしてます。
それを聞いて思うのは、私、誰かが亡くなったときで何て声かけたらいいか未だにわからなくて、
だからすごい困っちゃうっていうか、身近な人が亡くなった経験がまだないので、その状況が想像できないっていうのもそうですし、
それゆえにというか、その状況に陥ったことがないので、何て言う言葉をかけられたら相手はそれこそ優しさを感じてもらえるのかとか、
言葉を受け取ってもらえるのかっていうのがわからなくて、すごい困っちゃうなという。なので、なんかすごいよくわかりました、出ること。
確かにそういう、あれればもう究極のシーンかもしれないですね。
私が冒頭言った通り、その言葉で救われる人もいるかもしれないんだけれども、
たぶんミサオさんの言ってる応援、もし私が自分の言葉で言い換えるとしたら、
人から何か相談されたときもそうなんですけど、解決しようとしなくていいんじゃないかなっていうのとかはすごく思いますね。
やっぱりつい、でもそれももちろん状況によるんですよね。
例えば、私は相談を受けるときにそう言われることが多いんですけど、
これを聞いた上で私がどう思うのかとか、私だったらどうするのかを知りたいって言って私に相談してくれる人もいるから、
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そういうときはもちろん自分の意見を言うんですけど、そうじゃない場合は、ついこの癖なのか、やっぱり何か問題があったり悩んでたら、
それを解決してあげようとしちゃうもんなんだろうなと思うんですよね、人間って。
そこで、それだったらこうしたらいいんじゃない?
例えば、別れたんだったら、もっといい人がいるから探したらいいじゃんとか、そういう話。
あと、不認で授からないんだったら、状況を変えたら、あなたとの望むゴールが近くなるかもしれないよって。
人って何か解決しようとすることを言いがちなんですけど、そして私もものすごいそうなんですけど、問題解決志向の癖がすごく強いので。
でも、解決策を提示したりとか、さっき言ったみたいに大丈夫だよ、もっといい人がいるよ、環境を変えたらいいかもよとか、
そういうよく聞く言葉を言わなくていいんじゃないかなっていうのが、たぶんみぞさんの言ってる応援することが必ずしも正しいんじゃないかにつながる気がしました。
じゃあどうするのかっていうと、究極のことを言ってしまえば、その時にその人が求めてる優しさの形は、本当にその状況によって様々だと思ってるんですよね。
さっき言ったみたいに、もっといい人がいるよって救われる人もいるかもしれないし、すごくつらかったよねって話を聞いて寄り添ってもらうことが、すごくその人にとってのその時の優しさになるかもしれないしなんで、
答えはないんですけど、私がいつも思うのは、何か例えば人につらいことがあったりした時に、もう私にできるのは、精一杯その人のことを想像して祈るしかできないなって思うんです。
だから私が何かこうアドバイスをしたりだとか、解決策を言ってあげることって別にいつも正しいわけじゃなくて、もちろんその相手を傷つけてしまう可能性も含んでるから、
一応その心のど真ん中に、ただ今ここの目の前にいて、この人が感じている痛みやつらみを想像して祈ることしかできないなっていう気持ちで、その時その人に対してその瞬間瞬間で言葉をかけてあげたり、もしくはかけなかったりするっていうことを心がけてますかね、私は。
究極受け取る人次第というか、反応はわからないですもんね。
そう、そうなんですよ、本当に。
しかもその、もっといい人入れようか、刺さる刺さらないみたいなところでいくと、ショックの度合いとかにもよるのかなってちょっと思ったりして、私はあの時すごくショックだったので、特に聞きたくなかったんですけど、でもその理論はすごくよくわかる。
で、これって結構何にでも言える表現だなって思うんですが、例えば転職活動とか、自分の行きたかった会社とか、業務委託先とかのお仕事が決まらなかったとした時に、慰めの言葉とか、それこそ優しい言葉を受け取るっていう一つの機会だと思うんですけど、
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その時に、もっといい会社あるよとか、もっとあなたにとって自分が発揮しやすい会社ってあるっていうことじゃないとかって言われると、それは結構すんなり受け止められる自分とか結構いるんですよね、同じこと言われているのに。
で、たぶんその会社はそんなにショックじゃなかったというか、もちろんご縁があったらよかったとは思っているんですけど、そこまで谷の底は深くなかった案件だったということもたぶんあって、それをちゃんと受け止められるし、むしろ肯定的にそうなんだよねって思えたので、ショックの度合いも一つそういうのってあるんだなとか思ったりしました。
なるほどね、あるかもしれないですね。受け取り用が、こっちの受け取り方が違ってくる、それによって。
でもそれを考えたら、優しい言葉をかける人って、心をめちゃくちゃ読めたりとか、カウンセラーレベルじゃないと、そんなに的確な言葉って、その的確な言葉をかけられる方が難しいのかなって思ったりしますよね、なって。
本当そうです。だからあんまりそれは考えないようにしてます。いいことを言ってあげなきゃとかじゃなくて、さっき言った通り、私はただひたすらに想像して祈るしかできないなっていう、ある意味自分の限界を強くそこで認識しながら説するようにしてますかね。
そこで何か自分が言って、相手が元気になってくれたらいいなって、それはすごく綺麗な計算のように見えるけど、でもそれって別に私のエゴなだけで。
だって自分が言ったアドバイス、相手が、そうだよな、ありがとうとか言ってくれたら、なんかいい気持ちになりますよね、こっちが。
それって私はすごくエゴだなと思ってるんで、そんなことはどうでもよくてというか、自分がだからさっきも言いましたけど、何かアドバイスをすることで自分が気持ちよくなりたいと思ってるんじゃないかっていうことはすごく疑うようにしながら、
自分にはもう何もできないし、この人の痛みを100%分かってあげられることもできないし、祈るしかできないなって、だからある意味苦しい、はっきりしたことも言えなくてつらいなって。
でもそこにいて、例えば話を聞くことができるとか、同意をしてあげることができるのかなと思いながらその場にいる。
なんかこう、限界って通常ネガティブに聞こえる言葉かなと思いますけど、この状況においてはすごくポジティブに聞こえるなと、自分の限界を知った上で相手にできることっていう。
なんか優しさでもう一つ私が思ったのは、今言ったようなことって、例えば大丈夫だよ、もっといい人が見つかるよっていう言葉をかけるよりもすごく忍耐がいることだと思うんですよね。
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そこに、何て言ってあげたらいいんだろう、今この人どういう気持ちなんだろうって、その場その場で対応することだから。
だからすごく気力も体力も忍耐もいることで、それを考えた時にやっぱり誰か大切な人が自分にそういうヘルプを求めてきたり話を聞いてくれと言った時に、その忍耐力、気力、体力を持って全力でその場に当たれるように自分にやっぱりいつも余裕を持っておきたいなとは思うんですよ。
自分が例えばある意味一杯一杯の状態だったら、なんかこうちょっとどっかで楽をしたいって言ったらちょっとすごく言い方あれですけど、ご縁って言うし、みたいな、どこかで拾って取ってきたような言葉をパッと言っちゃって、その場を終わらせちゃうみたいなことを私はしちゃうことがあるので、
そのためにはやっぱり自分でそこにちゃんとこうエネルギーを注げるように自分をちょっとこう整えておくというか、余裕を持っておきたいなということは思います。
それが難しい人もいっぱいいるのかな、この目まぐるしい現代社会の中で難しい人の方が多いかなって思いますけど、なんかその余裕を保つために意識してることってあったりしますか?
それはもう自分がやりたくないことをやらないっていうか、日常の生活で。ただなんとなくやってるとか、やりたくないのにすごくエネルギーを持っていかれてることを一切やめて、その分エネルギーを補充しておくか、なんかなんとなくついだらだらとか、なんか嫌なんだけど、とりあえずやってますみたいなことの取捨選択はしてますね。
嫌だけどやめられないとか、もっと重症なのは、たぶん嫌であるということを感じてない、自覚してないっていうケースもあるのかなって思うんですけど、石田さんその辺はどうご自身の俯瞰力を使ってるんですか?
自分が嫌かどうかすらにも気づいてない。
そうですとか、嫌だってわかってるけど、そんなでも、たとえば私がやめたら誰がやるのとか、いろいろ理由があって、そんなすっぱりやめられないみたいな方とか。
状況によるんですけど、やめられない理由を探すよりも、やっぱりどうやったらやめられるかの方を考えるんですよね、私は。
どうしてもやめることが難しいことでもあると思うんで、それは何が取り除かれればやめやすくなるのかとか、
全てをたとえばゼロ100みたいな感じで変えることは難しくても、少し代替することはできないかとか、何かスモールスタートから始められることはないかとか、
そういう建設的なふうに考えれば、絶対たぶん何かできることはあるのではないかしらと思うんですけど、そんなうまくいかないよーみたいなこともあると思うんですけどね。
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ガンマリ屋さんとか手放すの苦手な人いますね、たぶん。私もそっちかっていうと、そっちの部類かなって思ったりしますけど。
本当にそうかなって聞いてみることは大事かもしれないですね。たとえば自分の思い込み、なんか自分が田舎だったら回らないじゃないか、本当にそうかなみたいな。
毎回武士石田を思い出してください、皆さん。
それね、武士じゃないんですよ。武士じゃなくて誰かわかんないんだけど、第三者さんですよね、自分の中で。かっこいい石田かもしれないけど、それって誰が決めたんでしたっけ、みたいな。
ああ、私が決めたんでしたね、みたいな。
っていうことも往々にしてあるのではないかと思ったり。
制限を決めてるのは自分だというやつですよね。
そうですね。やらない理由を探したらたぶん100個ぐらいあると思うんですよ。
でも、やれない理由を100個探し続けても物事は変わらないのですよね、残念ながら。
とはいえね、うんともすんともっていう場合のこともあるから、こんなに綺麗に聞こえるようなことばかりは言いたくないんですけど。
自分でコントロールできる部分とコントロールできない部分とたぶんあって、コントロールできる部分は今石田さんが言った考え方で変化を取り入れるきっかけを作ってみてはどうでしょうかって感じで、
でも自分がどう足掻いても変わらないみたいなタイミングとかもそうですよね、あると思うんですけど、そういうのはまたちょっと別案件というか話が違うんでしょうけどと聞いていて思いました。
いや、それはめちゃくちゃ大事です。私の考えのど真ん中にはそれがあります。
コントロールできないことに悩んでも仕方ない。コントロールできることにもう100%来る。
自分の体力、気力全部。
で、それをやりつつ気力、体力、忍耐力があるときには人に優しくできる可能性がさらに高まりますっていう話ですね。
そうですね。まあそれも誰しも彼氏にもできないから、自分のやっぱり大切な人に大切なパワーを使えるように普段からそうした方がいいかな。
なんかその優しさを醸成するためにできることみたいなところで私も思ったことがあるんですけど、
一つ強いのはやっぱりこう経験があることなのかなと思って、
それはさっき私が言った身近な人の死を経験したことがないから想像できなくてどう振る舞ったらいいかわからないっていう話をしたんですけど、
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もしそれを経験していたら、個人個人経験はみんな違うので経験したら100%優しくなれるかといったらそうではない場合ももちろんあると思うんですけど、
でも大なり小なり想像力を働かせやすくなるなと思いまして、
前回の医者さんの本の中で、がんを宣告された磯野さんにすごく医者さんは共感されたっていうのは、
ご自身の不妊治療で、事象自体は違いますけど似たような思いを経験したからこそ共感するっていう連想なのかなとかっていうところが思ったりして。
ごめんなさい、一点だけ細かい訂正をすると、がんを宣告されたのが磯野さん。ごめんなさい、一応ちょっと大事なところなんで。
悲しい経験ってみんなしたくないし避けたいことだと思うんですけど、もし経験されたならそれはちゃんとプラスになるよっていうことでもあるのかなというふうに思った。
そうですよね、一つの助けにはなる。ただ、磯野さんがそういった意図で言われたわけじゃないっていうのはすごくよく分かるんですけど、
私、あんまりちょっと得意じゃない言葉シリーズの一つに、辛い経験もいつかは自分のためになるよみたいな言葉があんまり好きじゃないんですよね。
それはある意味事実、ある多くの人にとって事実というか真実だなという肌感覚はすごくあるんですけど、それは私は言う人には言わんです、この言葉は。
ステージによるんですけどね、その成見した人がそういうふうなことを言ってたら、ああそうだよねっていうことはあるかもしれないけれども、
例えば経験してすぐの人とか、まだまだそんなふうにもうどうやっても捉えられないみたいな人に、
いやでも今の経験もさ、なんか長い目で見たらプラスになるよとか成長の機会だったんだよとかいうことは、
ちょっとそれこそその人を傷つけてしまうかもなって思ってしまって、私はちょっとすごく気をつける言葉ですね。
ショックの度合いの部分も関係しますよね。
そうかもしれないね。
家中の人の受け止められない言葉というか。
そうそうそうですね。
みんながみんな全てを経験するわけじゃないので、じゃあそうすると想像力って働かせにくいのか、
だから優しさって醸成されにくいのかというとそうでもなくて、
人の体験を聞くっていうことで想像力って培うこともできるよなと思ったりして、
だからこの間のお医者さんの不妊治療のお話が聞けたことで、私もその想像力がまだ全然想像つかないことの方が多いんですけど、
それでもこういうふうに思ったりとか、こういう体験になり得るんだな、ある人にとってはっていうことがわかるっていうのが一つ、
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知ってるのと知らないのでは違うかなって思ったりしましたかね。
あとその想像力、ちょっとこれ優しさから外れていっちゃうかもだけど、想像力を働かせることができるようになるっていうことを考えたときに、
やっぱりマイノリティの立場を経験したい人っていうのは、その力はすごく育まれるんじゃないかなと思うことはあります。
マイノリティになるっていうことは、多くの人と違う立場にいるっていうことなので、
例えばすごく軽視されるような言葉を言われたりとか、もう存在しないかのように扱われたりとか、
こういう人はこうだっていうレッテルバリをされることが多いんですよね。
一回その立場を経験すると、たとえその状況とか抱えているものが違うにせよ、
この人たちも私たちが感じたようなこの疎外観とか、孤独感みたいなところがあるのかなっていうことを少しでも想像しやすくなるなっていうのは、
これは私の実体験的に思ったことがありますね。
かといって、望んでマイノリティになる機会とか、望んでなれるようなものでもなかったりするから、
それの一歩手前として、今みずほさんが言ったみたいに話を聞くとか、本を読むとかね、いろいろそういう術で想像してみるっていうのがあると思うんですけど。
今回はこの優しさとはというちょっと広いテーマでお話をしてきたわけなんですけど、
他の角度から見た優しさとはっていうお話もあったりするのかなとか、
今回聞いた感想とか皆さんあると嬉しいのですが、もしあったらコメント欄に書き込んでいただいたりとか、
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今日のランタンで皆さんの心が少しでも軽くなっていたら嬉しいです。
また来週。
番組では皆さんの感想や質問、リクエストなどを募集しています。
詳細は概要欄をご覧ください。
お便りを寄せていただけるととっても喜びます。
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