サマリー
ポッドキャストでは、長谷川四郎の短編小説『阿久正の話』についての感想が語られ、主人公の視点から描かれる阿久正の生活や個性が紹介されています。物語の構成や登場人物の会話がユーモラスであり、戦争や死といったテーマもほのめかされています。このエピソードでは、村上春樹の著作と長谷川四郎の文学について語り、特に阿久正の物語の深い意味合いが探求されています。また、長谷川の作品に見られる淡々とした文体と、村上との共通点が考察されます。このエピソードでは、村上春樹と長谷川志郎の作品へのアプローチや評価についても深く語られ、特に村上春樹の独自の文体と長谷川志郎の戦争体験が作品に与える影響が探求されています。一緒に読み合うことの楽しさや文学に関する深い理解が強調されています。村上春樹の短編小説案内を通じて、短編の特徴や解説の重要性についても議論されています。
阿久正の人物像
「若い読者のための短編小説案内」の読む感想会を今やってて、その最後ですね、最後の⑥の短編小説が、長谷川四郎の阿久正の話。
はい。
阿久正の話で、なんか、これもなんかすごい話でしたよね。
これも癖がありましたね。
特評知らないというか、なんか、どう読んでいいかわからんところがあって、阿久正っていう人の話を、主人公がしてるっていう、紹介してるっていうだけなんですけど。
そうですね。
ずっと、阿久正こういう人で、みたいなことをずっと言ってるっていう。
私はね、あの、この今回の若い読者のための短編小説案内では、これが一番好きだったかもしれない。
あ、そうですか。
はい。
これと、あの、戸島信夫の馬が、あの、私は好きですね。
阿久正っていう人がどういう人かっていう話は、もうほんま、最初から最後まで、十一章だてで書いてて、都会のサラリーマンであるとか。
そうですね。
小向かで、通勤2時間の郊外に住んでるとか。
はい。
面白いね、口癖とか、そういうとこからどんどん始まるんですね。
阿久正っていうのが、その、主人公というか、語り手のご近所さん。
もともと、えっと、語り手が住んでた場所に、えっと、阿久正がやってくる。
そうですね。
ですね。
なんか、自分も割と引っ越すから、そんなに長い付き合いではなかったとか、そんなんやったかな。
そうですね。
うん。
なんかね、もう、出だしからもう、私、あ、これは結構好みだなと思ったんですよ。
あ、そうですか。
なんか、まあ、最初が、まあ、私は阿久正について知ってることを書いてみたいから始まって、まあ、その、小向かに勤めてるとか。
うんうん。
もう、すごい、なんて言うんでしょうね。平凡な男みたいな書き方ですよね。
そうですね。
うん。
なんかね、この、この、文章が面白かったかな。
うん。
なんでこんな名前なんやろうとか、こうね、いろいろ思いまして。
あ、そうですね。
あんま聞いたことない名前やし。
なんか、ほんまに、この人いたんかなと思って、僕はこのタイトルの時点で、その小説じゃなくて、こういう人がいるんかなって思ってたんですけど、読んでみたら普通に小説やったんで。
うん。
なんかもう、最初私、あの、一人暮らしの男の人かなと思ってたら。
あ、そうですね。
結婚して出ましたね。
奥さんが途中から出てくる。
二人暮らしですね。
ストーリーテリングの構造
まあ、1、2、11章まであって、一個一個がつながってるけど独立してるみたいな。
うん。
今回はその話、今回はその話みたいな感じで、いろんな話を順番にしていくっていう感じ。
そうですね。
でしたね。
うん。
なんか、この日あったことぐらいの感じで。
うん。
こんなこともあったみたいなね。
うん。
ラジオを聴くとか、その回路はそれ、他の回路一切つながらへんかったりとか。
うん。
なんか歌を歌ってるとか、ハーモニカ、ジャズを聴くとか。
うん。
なんかね、まず私が最初にちょっと面白いなと思ったのが、さっき河野さんも言いましたけど、
この人口癖が面白いねって言う。
ふふふ。
で、何はなんかその、例字があるけど、ちょっと不謹慎だったり。
うん。
なんていうんですかね、笑うような話じゃなくても、たぶん何にでも面白いねって言うんでしょうね。
そうですね。面白くないですかね。
神経衰弱のばあさんの神経衰弱が面白いみたいな。
うん。
ふふふ。
どういうこと?
そうそうそう。なんか、犬がニワトリを食べたっていう疑いがあったけど、
そのニワトリが発見されて大丈夫だったみたいな話。
うん。
面白いねって言うんですよね。
私もちょっとそういうところがあるなと思ってて、私も結構何でも面白いねって言っちゃうんですよ。
へー。
で、それが時にそのなんていうんでしょうね、笑えるとかじゃなくて、
結構その興味深いねっていうような意味合いで、面白いねって言っちゃうことがあるから、
気をつけないとなって最近思ってて。
口癖的なことってことですか?
口癖、まあ便利な言葉だから、なんかこう面白いね、面白いやんって言っちゃうけど、
まあ人によっちゃその面白いってイコール笑いみたいな受け止め方する人もいるし、
なんか気をつけたいなって思ってたところで、このあくただしの口癖で面白いねって出てきたんで。
うん。
ちょっとね、自分の振り返る意味でもまず面白かったです。
普段面白いって言っちゃったけど。
じゃあ自分がそういうのが重なるってことですか?
結構口癖で面白いねって言っちゃうところはあります。
北海道の田舎で空気のために汽車が動かなくなり、乗客がみんな付近の刑務所に避難させられた面白いねと彼氏が言ってる。
これも面白い。
何が面白いかわかんないですね。
何が面白いかわかんないけど、面白いねって言っちゃう気持ちはなんか私はちょっと泡かかっちゃうんですよね。
あ、そうですか。
その吹雪で苦労してる人たちを見て笑うとかじゃないんですよ。
刑務所に避難するのが面白いのかって言うとね、よくわかんないですからね。
このなんか、昔話をするときの入り。
昔があった。
なんだそれ。
これ変わってますね、この冒頭は。
あんまり聞いたことないから、それ何なんと思って。
赤田斗司は本は全然読まへんけど、文学に精通してないかというとそういうわけではないって言って。
で、昔話をするのが得意みたいな。
で、それがなんか子供の頃におばあちゃんからいっぱい聞いてて暗記してるみたいなそんなのがあって、だんだん自分で作るようになったみたいな。
創作して、お話聞かせてよと小さな女の子が言った。彼はすぐ始めた。昔があったと。
で、そこで失敗作を話すじゃないですか。
本当に失敗してるっていうか、あんまり面白くない話をしますよね。
そうですね。なんか落ちてないみたいな感じですね。よくわからんかった。
絶妙に落ちてないというか、失敗してる感じもちょっと笑っちゃいましたね。
結構でもこの話ずっとするんですよね。月の夜晒し。
でね、奥さんとの会話も軽妙だし、すごい仲良しっていう感じの夫婦じゃないけど、話ぶりを見てるとすごい気が合う夫婦だなっていうのがわかるような会話をしてますね。
奥さんはね、ここから結構ずっと出てきますからね。
子供が奥さんに向かって、おばさん、おじさんが嫌いなのって聞いたら、嫌いでもなさそうだわって奥さんに言って、僕ただしが好きなそうだよっていうふうに子供に伝えるっていうのも、なんかこう意気が合ってるなと思いましたね。
この辺はね、ほんまに拾っていけばいっぱいあるんですけど、順番に言うと第4章でこの家の話から出てきて、
丘の上みたいなとこに、自分で家を建てちゃって、狭い土地の上に、で、近所でみんなカラスボヤって呼ばれて、黒い家やからカラスボヤって。
台風で壊れるやろうと思われてたけど、台風の後残ったって。
うん、ちゃんと計算してますよってね。
この辺なんかね、ほんま小話がね、すごい多いんですよね。
なんか読んでると、こういうちょっと笑えるような小話が多い一方で、ちょこちょこ原爆の話がさまれるじゃないですか。
そうですね。
だからその辺も、なんかこう不利なのかなみたいな。
そうなんですよね。これずっと読んでて、何個か出てくるから、戦争ってなんで起こるのかとか。
そうそう、奥さんは戦争を人がするっていうふうに捉えるけど、なんか赤田氏は戦争が起こるみたいな、自然現象のような言い方するみたいな。
原因がどうとかみたいな。
だからその、ちょこちょこ戦争の話とか原爆の話とかが匂わせてくるんで、なんかにつながるのかなと思ったら、特に最後まで深掘りはしなかった。
なんかこうね、軽妙に読みながらも気になりますよね。
時代やからこういう話がよく出てくるのかなと思ったら、それもちょっとよくわからないところでした。
この昔話の延長で、自分が死んだらどうするみたいな話。
テーマの変化
ああ、はいはい。
だから死の気配みたいなのをどことなく漂わせてくる。
てんてんてんみたいなので終わらせるんですよ、文章を。
夫婦でそういう話をしたりとかね。
この小説自体はそんなに長くないですよね。
そうですね。
ジェイターに比べたら。
全然短いです。
全然、50ページぐらいか。
そんなに難しくないし、これってどういうことなんやろうみたいな悩むような話でもないから、
日常的な出来事みたいなのがずっと順番に続くだけなんで、すごい読みやすかったですけど。
読みやすかったけど、11章かな?
最後?
11章が最後ですね。
アクタダシの働きぶりを話す章があるじゃないですか。
10章ですかね。
10章ですかね。
ここから結構テンションが変わるというか、会話がなくなって、
アクタダシはすごい会社では大人しい男だったっていう、
そういう説明が10章はずっとされてて、
11章ですぐ終わっちゃうんですけど、
ちょっとネタバレになるけど、
交通事故にあって無くなっちゃうんですよね。
そうですね。
ここの10章からのトーンが一気に変わるなっていうふうに私は読んで感じたんですよ。
一応9章の最後でアクタダシが死んだって話は出てきてて、
最初から出てくるの?9章の最初の方まで?
9章の最初か。
この10章のアクタダシの働きぶりが、
それまでのアクタダシに比べてイキイキしてなくて、
仕事してる時の大人しい人物なのかな。
アクタダシが一気に私の中で遠くに行っちゃうような印象がありましたね。
一気に面白かった楽しいテンポからずっと遠くに引いていって、
最後もあっさり無くなっちゃったっていう話だったから、
最初の楽しいな、この小説いいなって思ってた感じとガラッと変わっちゃったんで、
そこが印象に最後残りましたね。
独房感として強かった。
そうですね、最初の方と全然違いますね。
本人が出てこないっていうか、アクタダシの話が出てこないっていうのもあったし、
家庭の話とそれ以外の話みたいな、そういう感じの違いもあったのかな。
10章とかは独立多すぎる。
私生活ではすごい楽しくしてても、
仕事上はちゃんと本を書かれる人っていうのはもちろんいるし、
すごいところであまり活発じゃなくていうか、
ジムを淡々とするっていうタイプも全然いるから、
そこが変っていうわけでもないんですけど、
それを淡々と短編で見せつけられると、
ちょっと何となく。
視点が違うって感じですかね。
それはアクタダシを見る視点ってことですか。
そうですね、8章9章まで。
一応この著者の視点みたいな感じで、
アクタダシの印象というか、
こんなことがあってこんな人で、
著者視点、
著者というか語り手視点で見てるけど、
10章11章は評判というか、
客観的な視点で、
世の中からどう思われてたかみたいな、
それが多いから、
多分その辺の視点の違いかなと思うんですけど。
だから自分は面白いと思ってたけど、
いわゆる会社の中ではこういう人やったとか、
こういうふうに見られてたとか、
なんかこう人の視点っていうのは、
全然違ったっていうとこなんですかね。
私がこの短編小説さん内で、
この作品結構好きだって言ったのは、
割と最初の明るい、
10章より前のところが良かったかなと思うんですけど、
今改めて話して考えると、
最後まで読むと結構楽しいだけで終わんない、
ちょっと落ち込むようなところもあったなと思いますね。
そうですか。
なんかこの漢字すごい、
全然覚えてないかもしれないですけど、
ノルウェーの森の木月くんっていうキャラクターがいて、
ナオコと付き合ってたことでしょ。
3人の友達関係だった。
その木月くんは3人の中ではすごいひょうきんやけど、
なんかクラスではすごい目立たない人みたいな。
木月くんの面白さっていうのは、
この3人の時だけ発揮されるみたいな、
そういう話があって、
なんかその漢字かなと思いましたね。
近所では割と評判のいい人やったけど、
会社では目立たないとか、
なんかそういう感じじゃないですか。
そうですね。
阿久正の考察
仕事嫌いだったっていう漢字はすごいありますけどね。
嫌いというか。
自分を綺麗に黙々とするのは、
それなりに達成感は感じてそうですけど、
それ以上のことは特に馴染んでないというか、
飲み会も嫌いだし、
バレーボールも常に守備ばっかりしてるし、
よくある話なんですけどね。
当たり前ですけど、
仕事上の顔とプライベートで違うから、
でもなんかそのギャップを分かりやすく書かれてるのが、
ちょっと刺激が強かったのかな、私には。
そうですか。
僕はそれぐらいですね、悪正しい。
最後の悪正しの、
亡くなる前の言葉ってあるじゃないですか。
言いますけど、
亡くなる前に、
これ悪正しのセリフですらないんですね。
こういった言葉を言ったんじゃないかっていう。
そうですね。
ことを書いてて、
奥さんに君はもしいい相手がいたら結婚してくれ、
そしてもし子供が生まれたら僕と同じ名前をつけてくれって、
終わりですけど、
願いの最後の方が結構重くないですか。
こういうことって言うんですかね。
いや分かんないです。
なんかいい相手がいたら結婚してくれってのはなんか、
私分かるんですけど、
なんかそこで子供生まれたら僕と同じ名前つけてくれって結構、
なんか重いなと思って。
そうですね。
どういう意味なのかあんま分からないですからね、これも。
多分これは、
最初のこのいい相手がいたら結婚してくれってのは、
妻に幸せになってほしいっていう願いですよね。
で、僕と同じ名前をつけてくれってのは、
僕のことも忘れないでねっていうことなんじゃないですか。
なんかこれを言いそうみたいなのがあんま分からなかった。
そういうことか。
悪正しが言いそうじゃないってことですか。
言いそうじゃないとは言わないですけど、
これを言いそうっていうのは何でないのかって思って、
その辺の繋がりがあんまり分からなかった。
これが彼に最も相応しいと思われる言葉とはちょっと思えないってことですかね。
そうですね。
なんかそこまで言うほどの、
言うかなと思って。
一つ目は言うんじゃないですか。
なんかそこまで悪正しの説明がされてないって僕は思ってたんで。
でも奥さんとの会話を聞く限り。
仲良いくらいの感じしかなかったから。
私すごい仲良いと思いましたよ。
そうですか。
軽妙な会話だけで、
本人たちが意識してる以上に結構絆があるんじゃないかなみたいな。
って言うと多分悪正しは、
いや別にそれほどではないよみたいにお互い言いそうだけど、
でも実は絆の強い夫婦なんじゃないかなって。
結構妄想しました。
仕事よりも家庭って感じはありますからね。
全体的に読んでても。
だから相手の幸せを望む気持ちはわかるけど、
自分と同じ名前をつけてくれっていうのは重いし、
悪正し感はないかなって思って。
長谷川四郎の文学
いい名前と思ってんのかな。
あ、ただしは?
そういう感じなのかなと思いましたよ。
それか、語り手が悪正しのことをよくわかってないっていうことを、
つまり悪正しって人間は人にあまり理解されないっていうことを表現してるんですかね。
いやそこまではないでしょ。
そこまではない。
それやったらわからんぐらい留めるんじゃないですか。
違う意見をあえて入れたりとかもしないと。
彼が最後どういうことを言ったのか私には全く想像できないみたいな書き方で終わった方が、
その悪正しの掴めなさがよくわかるってことですかね。
わからんっていう立場やったらそうなんですかね。
でも悪正しのことがわからないっていうよりかは、
悪正しのことをみんなわかってるようで、
結局わかってないよっていうニュアンスの方を伝えたかった。
そこまで?
そんなに?
そこまで何も思わなかったですね。
そうですか。
そういう熱みたいなの感じないんで特にこの本からは。
そんな仲良かったわけでもないし。
それも繋がるんですけど、
あらかみはるきの解説には。
熱意を感じないみたいなもん。
あんまピンとこないって感じでしたね最後の。
これについては一切触れられなかったですけど。
そうなんですよね。
解説では。
結構ね。
もう解説のほう行きますか。
まだなんかあれば。
いや、私はなんか自分とはくっただし、
似てるとか似てないとかそういうふうなことは考えずに読んでました?
全然何も。
なんか似てるとかっていうよりも、
ほんまに人物がやっぱりよくわからない人物だったんで、
実在感があんまないというか、
物語、やっぱこれだから解説に入ってくるとやっぱりその辺の話はよくされてますけど。
感情はあんま感じないじゃない。
そうですね。
私はなんかもうちょっと、
なんかこの人に好意を持っていくかな。
なんか感情ないように見えるけど、
感情がちゃんとあるように思いますよ。
どこか、どこからそれをという。
なんとか自分とちょっと似てるふうなところがあるなっていうところで、
ハーモニカ一人で吹いてるとことか、
なんか寝転んでボコッとしてるところとか、
結構なんかそういうところはちょっと似てるなって思いましたね。
あ、そうっすか。
面白いねとか言ったり。
ちなみにあの10章以降の仕事の暗い部分は別に私は一緒っていうわけではないんですよ。
うん。
村上春樹もね、ちょっとこう熱を感じないみたいなの書いてたけど、
私はもうそんなにもうちょっとわかるかな、
この人の人物像わかる気がするなって思いましたね。
そうですね。
解説に行きます?以上。
そうですね、なんか私も全体のイメージでしかアクターたちに共感ができないので、
それだけ言っててもしょうがないし、行きましょう、村上春樹の方ね。
はい。村上春樹の解説の方では、わりとしっかり長谷川志郎表をやってるんですね。
そうですね。
どういう経歴でどういう本を書いていたかみたいな、
何て評価されてるかとか、その話をしっかりやってて。
なんかこれまでの作家の中で一番作家論を展開してません?
ああ、そうかな。結構そうですね、しっかり作家に深追いしてる方ですね。
吉浮紀潤之介とかも、わりとしっかりやってたけど、
戦争体験の小説で有名な人っていう感じだったから、
今回のアクターたちの話では、ほぼそれの話なかったんで。
そうですね。海陸物っていうのが、この作家の代表的なものの書き方なんですね。
そうですね。
海陸物っていうのが。
河野さん、この長谷川志郎はこれが初めて?
初めてです。
私も初めてなんで。
全く読んだことないけど、これ僕読んでないんですけど、
ちくま日本文学全集の中で読んでたんで、
鶴とかは入ってますね、ここに。
そうですね。
兵隊の話、十分時代の話とかも結構入ってるんで、
これCなのかな、Cが多い。
模範兵隊小説集とかもちょっと入ってるから、
これは後半に書いたものと言われてましたね。
だからこれを買えば一応それもちょっと触れられるっていう感じですね。
そうですね。これって今も新品で売ってるんですか。
売ってないんじゃないですか。
その在庫が残ってるところはあるかもしれないですけど。
河野さんじゃあそれは。
中古です。92年ですよ、だって。
そうですか。
これは結構見つけるの大変だったんで。
芥田氏の話は文芸文庫に一応、高段社文芸文庫になってます。
それでも一応読めますね。
戦争体験の小説が有名らしくて、
その中でも特に初期の大陸ものが特別だったみたいなことを言われてましたね。
これは長谷川志郎表ですけど、他の十文体験のある作家が、
すごい現場の熱意というか、心情をトロしてるのに反して、
長谷川志郎は淡々と書いてるみたいな。
それが結構特別というか、他と違うところみたいなことを言ってましたね。
だからそれが狂気が足りてないみたいな。
言ってましたね。192ページかな。
これまで案内で読んできた小説家には、
多かれ少なかれ純粋な狂気が含まれているけど、
長谷川志郎には見えてきませんって書いてましたね。
狂気って言うとあれだけど、精神のマグマの不足を感じるみたいな。
長谷川志郎表だと、あとはめちゃめちゃ語学力が堪能な人。
で、文体からも翻訳する人の文体的な特徴を感じるっていう。
その辺が結構自分にも近いみたいなこと。自分をよくわかるみたいな。
引き離したようなクールな文体。
なんか結構村上春樹と、村上春樹ももちろんこの作家好きだって話ですけど、
バックグラウンドも日本語以外のものに何て言うんでしょう、
触れてきたっていうところで、神話性を感じているのかなと思いましたね。
最初の作品はほぼロシア文学のパクリかと思った。
なんか自分が言われてきたようなことを言ってますので。
この長谷川志郎表の段階ですでにこの自我と自己の話が出てくるんじゃないかと。
どちらも表に出てないと言って二重の隠蔽を感じる。
だからそれがその本人のなんかそういう自我とか強い感情とか意思とか、
その狂気とかが出てないっていうのにそれが繋がってるってことでしょ。
この辺はだから悪正しいの話の中身を解説してるわけではないんですけど、
繋がってるところは分体とかもそうだし、
村上春樹との共鳴
大陸ものではないっていうところはまだ別ですけど。
なかなかこの人の生い立ちが特殊じゃないですか。
家庭環境も芸術家なんでしたっけ、お兄さんも学科かな。
もう一人のお兄さんも小説書いてて、
芸術一家で外国にも触れてるような特殊な家庭環境だったって書いてて、
兄弟ですね。
本人の、もちろん本人の趣向もあるけど、大陸でずっと暮らしていたみたいな、
いろんな状況が揃ってこの人の精神のマグマみたいなものが見れなくなった。
その辺はね、分からんっていう話をしてますね。
そうですね。
書いてないし。
かなり村上春樹が独自の印象で語ってますからね。
多分こうなんじゃないかみたいな。
戦争体験がきつすぎて感情が出なくなったんじゃないかとかね。
なんかそれは結構ありそうな話じゃないですか。
だからクール、文体はクールだけど、クールにかかざるを得なかったとか、
わかりやすく書くのはちょっと刺激が強すぎてできないとか、
そういう理由もありますもんね。
どうなんですかね、読んでないんでその辺は分からないですけど、大陸物については。
結構この辺は自分なりに思うことみたいなのを村上春樹が詳しく書いてるんで、
なんでこんな文体なのよとか、そういうのを読んでて面白いなと思います。
研究してないから多分想像やけどみたいな話を。
なんか私はこれ読んでて村上春樹はすごい瀬川志郎と似てるというか、
村上春樹が自分のことを語ってるような気もしてて、
村上春樹はクールな文体で、特に短編はそうですけど、
さらっと終わったような狂気とか精神のマグネマみたいなのってあまり見えなくないですか。
もう短編全然読んでないんで。
あ、そっかそっか。
あんまり。
割とあのなんて言うんでしょうね、深刻じゃない話も結構多いんで、
読後感がクールなものも、なんかそういう作風もなんか似てるかなと思うんですよ。
195ページで生徒A、これ変習者ってなってますけど、
瀬川志郎っていうのは日本文学史にあっては一貫してアウトサイだったって書いてますよね。
あの人は特別だからとかいう雰囲気があったって。
これもなんか村上春樹がデビューしたっての頃とか、デビューしたって限らずか、
割とそういう位置づけで語られてるし、なんかこう私はどうもかぶって読んでしまいました。
そうですか。村上春樹でもめっちゃ叩かれてて、初期は。
なんかそういう大衆向けの作家みたいな感じで言われてたんじゃないですか。
村上春樹と長谷川志郎の評価
でもその文芸秘書で取り上げられるような作家じゃなかったっていうところは似てないですか。
そうですね。
なんかその特別っていう。
特別っていうのがいい意味というか、ちょっと別枠だからっていうような。
そうですね。あんま評価されてなかったっていう印象はありましたけどね、村上春樹自体。
みんな日本の伝統からするとちょっと受け入れられないっていうふうに書いてますけど、
それも感じますし、なんか結構そういう自分の考えとか境遇に引き込んで、
瀬川志郎の話をしてるのかなって、そう思いました。
どう、そうですか。これでも編集者の発言ですよね。
えっと、でもその評判は、あそこまあ。
これはまあ、これでも事実じゃないですか。この編集者が語ってる雰囲気じゃなかったとか、
あの人特別じゃなかったっていう位置づけ自体は、実際にあったんですよね。
そうやったんですよね。
だからその事実が村上春樹と被ってるから、村上春樹は割と瀬川志郎的な気持ちがわかるというか。
どうなんですかね。あんま評価されてなかった。文章が上手すぎたとか、そういうふうに言われてない印象だったんで。
村上春樹は僕はずっと日本では評価されてこなかった人やっていう印象があるんで、また違うかなっていう印象としてはそうですね。
だからなんか大衆に受けるだけで、文壇とかでは全然評価されなかった人。
で、この人みたいに上手すぎるとか、そういう特別とか、なんかそういう感じではなかったのかなっていう。
だからその辺があんま重ならなくて。村上春樹と重なるとこっていうのは、その翻訳文体っていうとこぐらいしか僕は。
戦争体験と文学の関係
あんまり村上春樹が自分に重ねてるっていうとこもあんまり印象としては僕はないんですけど。
そうですか。
そうですね。どこかなって思うんですけど。
例えば197ページの真ん中にそうですねっていうので村上春樹が話してるとこですね。
土属性みたいなものを徹底して含まずに書いてみようっていうところを村上春樹が書いてるじゃないですか。
で、まあそういう意味で最初に長谷川志郎ような時にそうだよなっていうふうに深く感じたっていうので、
まあ多分同じような、自分と同じような今日書き方してる人はいるなって感じてるし。
僕は特にそうじゃないですかね。
まあでもその、そうですね。最初のこの辺のとこはそういうとこあったんでしょうね。
なんかそっからすごい分かれてる感じがあるんで。
なんかその、やっぱ経験が違いすぎて、自分がもしこの立場やったらみたいな話は確かしてたような気がしますね。
なんかその、同じ時代に生まれてたら、もしかしたら全然似たような感じになったかもしれないみたいな。
村上春樹がこの長谷川志郎と同じ。
まあ反対でしたけど、長谷川志郎がこの戦争対決がなかったらみたいなそんな話がどこか。
思いましたね。日常から非日常を繰り上げることができたら、もっとなんか巨大な長谷川志郎が書いてましたね。
なんかその、経験が違いすぎて、結構違うっていう感じだったのかなっていう。
なんかその、村上春樹が土属性みたいなのをなしで小説書こうっていうのを決意したって書いてるじゃないですか。
その辺とかも長谷川志郎がほんまにそれを意識してやってたのかとかもあんま分からないのに。
そうですね。あくまで出てきたものを読んだ時にそうだよね。
物体としてそうなったのか。で、村上春樹がそれを意識的にやってて、そうじゃないと思って途中でまた変えていってるじゃないですか。
羊を巡る冒険以降を変えたって。だからそこが。
そうか、似てると思うな、そういうやっぱり最初の頃で村上春樹は方向転換というか個性を変えていった。
ただ僕はどっちかっていうと、これもう悪正しいの話に入るんですけど、
悪正しいっていう人物自体が、キャラクター自体が村上春樹の小説の登場人物っぽいなっていうのはすごい感じましたね。
作中に出てきそうな、主人公っていうよりは脇役というか登場人物で出てきそうなタイプの人、悪正しい。
悪正しいの、ざっくり分けると私生活パートと仕事パートがあったと。
どっちも同じ一人の人物として。さっきの木月くんもそうですけど、突撃隊とかもそうですけど、
でもリアリズム小説だけじゃなくて、普通のファンタジーの方でも、こういうキャラクター、ちょっと抜けてるというか、
つかめないキャラクターみたいなのがよく出てくるから、こういう人に好感はあるんやろうなっていうのはすごい感じ。
村上春樹が作中に出したいくらいの。だから悪正しいの話を好きっていうのは村上春樹っぽい。
そういう人物に出てきそう。
そうですね、こう思いましたね。しかもだから村上春樹の主人公はもっとちゃんと意思があるというか、
熱意があるというか、はっきりとは言わない、長編とかやったときにはっきり出てくる部分があるんですけど、
何かを語ろうとしてるっていうのがすごい、何かをやろうとしてるっていうのが出てくるけど、
だから主人公ではないですね、やっぱり。村上春樹の小説に出てきたとしても。
村上春樹は悪正しいのことについて、これ214ページですけど、戦争体験者なんじゃないかなって話してますね。
この辺は長谷川志郎の今までのいろんなものを読んできた上での発言ですけど、
私とか河野さんはちょっと原爆の話で戦争を気にしてたじゃないですか。
はい。
私も戦争に何かしらコミットした人なのかなっていうふうに考えてたんですけど、
ちょっとそういう影を感じたのは村上春樹の推測と一緒だったかな。
この人の語りで言うと、戦争の影が感じるっていうのは、自分を抑えてるところとか、
そういうところから見てるのかなとか思って、そういう面では僕はあまりわからなかったですね。
言葉じりから見えるっていうのは、僕は単純にこの時代やからかなと思ったんで、
戦争体験者やからこうなってるんじゃないかみたいなのは、僕はあまりわからなかったですね。
なんかこのシベリア帰りやから、もうなんか物静かになって、自分の感情をあまり表に出さなくなったとか、
そういう想像してるじゃないですか。そこまでは僕はわからなかった。
戦争で感覚が死んで、戦後の日常が受け入れられないっていう、
そういうキャラとして見てるじゃないですか、村上春樹は。
こうやって見るとすごい暗い話に見えるんで、あくただしの話は。
文学の楽しみと理解
なんか私も影をちょっと、戦争体験…だから影を感じたかな。
特に前半はちょっと面白いエピソード多かったし、笑えるところもあったけど、
なんかそれだけでは収まらない、なんかちょっと影を感じる奥行きがある人だなっていうふうに感じましたね。
不穏なことを言うんでね。ここに家を建てたら皇居に原爆が落ちても届かないとかね。
それはめちゃめちゃ確かにわかりやすいじゃないですけど。
それって僕は時代かなと思ったんですよ、単純に。
戦後生まれでその冷戦下でなんかその水爆とか原爆の恐怖がすごいあった時代じゃないですか。
その時代の人だったからこんなこと言うんかなぐらいに思ってて、
シベリアガイリーとか戦争体験者とか、そこまでは結びつかなかったんで。
なんかそういう不穏さはありましたけど、僕は時代の不穏さと捉えてしまいましたね。
この村上春樹のこのあくただしの話表は、分析っていうのは、やっぱりこの大陸ものを読んでないと出てこない話なんで。
かなりちゃんと読み込んでる人の分析ですね。
かなりそうでしたね。
なんかその非日常パートがすごい有名で、非日常っていうかその戦争体験の話、
シベリア物語とかがなんかすごい評価もされてるし代表作で、
それがすごい欠けてるのに日常を書くのがあんまり上手くないみたいな話。
そういうことを言ってるから、それを対比して読まんと。
そうですね。
すごい、だから非日常すごい生き生きしてるみたいな、そういうふうに評価してるじゃないですか。
で、日常があんまり上手く書けてない。
これはだからこれだけ読んでもほんまにわからんやつの。
たぶん私は、あくただしにちょっと好感を持ったり、自分と似てるなって思うところがあったから、
そうなった時に、あくただしがただのちょっとこう変わった人物とか、
そういう人物だけじゃないっていうふうに思いたいというか、
自分に似てるところがあるから、戦争体験者ってほどの深い読みはなかったけど、
影も奥行きもあるような人物なのかなっていうふうに、
自分と比べるところがあったから、ちょっとあくただしを深く想像してしまった部分がある気がします。
だから、あくただしについて特に似てるとか、
そういう共感がないと村上春樹ほどの前提条件がなければ、
こういう影のあるような失われた人間みたいな、そういうところまでのイメージは持ちづらいんじゃないですかね。
ああ、そうです。これだけ読んでそこまでは思わないですね。
だから私はちょっと自分と感じる部分があったから、
そういう前提知識を飛び越えて深読みしたのかなっていうふうに今話してて思いました。
僕はやっぱりこの全部取り上げられた人たち、同じ世代の人ら、同じ時代の人らやったから、
戦争の話ばっかりだなと思いましたからね。
この時代みんな戦争の話ばっかりだよなとか。
そうですね。ガラスの靴もそうだし、水のほとりは。
この人は戦争は言ってないけど、戦後の時代の話ってことかな。
すごいやっぱり時代を反映してるなっていうのは、どの作家を見ても感じましたね。
言ったら別に生物とかも全然、戦争の話は見たことないですけど、後書きとかだけ読みました?
読みましたよ。
なんか読書の大込みみたいな話をしてましたね。
これ220ページの後ろから3行目のお尻の方からですけど、
気に入った本について思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは人生の最も大きな喜びの一つである。
思いを同じく、違ってても面白いですけどね。
まあ、若い時はっていうことは、一緒に楽しめるみたいな、そういう意味なんでしょうね。
たぶん、違って面白いって思えるのが、やっぱり大人になってからなのかなとは思いますね。
違ったのは、なるほど。
結局、若い時、特に子供、若い時かな、共感できないと楽しくないみたいなのあるじゃないですか。
あと、チームプレーとかスポーツとかでも、一緒になんかやるのが楽しいとか、
お互い分かるって言い合えるのが楽しいみたいなっていうのが、若い時ほど強くあると思うんですけど。
だんだんそれが、違うのもあることが面白いっていうのが分かっていくのが、なんか大人になってからかなと。
そうですね。
これでは、違いも含めた上でって書いてますけど、違いが含めるがゆえに、とても深く理解できると。
なんかそういうの、最初はあんま分からんかったかな。
特に、話しできる人があんまいないとかなってくると、話しできるだけで楽しいみたいなのあると思うんですけど。
特に本の場合は、考えながら、むむむとか言いながら喋ってるのは楽しいですね。
なんかその場で言われたことに対して、えっとえっとみたいな、考えながら喋るって普段とはもうちょっと違う頭の使い方してるというか、理路整然と話せない時もあるじゃないですか、こういう感想って。
そうですね。だいたいそうですね。
これが面白いですよね、こうやって。
一応今回で終わりですけど。
そうですね。しかも年内にちゃんと。
それは。
一気によく終わりましたね。
配信はちょっと分かんないですけど、何か思い残すことじゃないですか。
思い残すこと。
話し残したことは。
話し残した。
まあだいたい総論的な話もしましたけど、この各回でも結構してますけどね。
出会うことがなかったとか、続けて読みたい本とかもね、なんかいろいろ話はしましたけど。
でもちょっとやっぱりこの長谷川志郎に関しては、ちょっとしんどいやろうなっていう感じはありますね。
しんどいってのは。
その戦争の本ばっかり読むのは、僕はそんな、今そんなん読みたい感じではないという、シベリアの話とかも。
結構大変な話が、なんかその淡々と書いてるみたいに、漢字を廃止して書いてるみたいに言ってるけど。
まあ今そんなんをちょっと読むメンタルではないかなっていうのは。
そうですね。
ちょっとなかなか短かったらまあ読めるかなっていうぐらいですかね。
今日の順蔵をよぎな。
赤島信夫が結構読みましたね。
ああそうですか。
短編小説の難しさ
馬が入ってるやつは、あと1個だけとかかな。
アメリカンスクールも。
アメリカンスクールはもう全然前に読んでます。
で、吉浩樹純之助もその一緒についてた本は読みましたし。
私は結局ちゃんとまだ買った文庫が読めてないので、ここで取り上げられたやつしか。
ちょっとまた時間のある。
短編だし、なんかこう、移動中とかちょっと長距離移動するときとかに
さっと文庫本だからカバンに入れて、そういうときに読もうかなと思って今は本棚に並べてます。
うん。
ちょっと読めたり。
10円多分全部読んだのに短いし。
ああ、はいはい。
だから全然知らん作家ばっかりだったけど、結構広がったなって感じですね。
今までこの村上春樹の短編案内以外で読んだやつに比べると、
この短編案内の感想が一番難しかったかなと思います。
まあ短編なんでね。
なんか文量は短いけど、その分なんかこう語りにくいかなって思いましたね。
さらにそこに村上春樹の解説もあって。
短いほうが語りにくいですよ。
そうですね。
長いとやっぱりキャラも多くなってきたりセリフもあって、その人物について語りたいとか、
設定も大きくなってくるから、その設定についての感想も言いやすいけど、
短編などちょっとね、言いづらいとこが出てきますね。
まあよくわからないまま終わりますからね。
だいたい物語自体が。
特にこの起承転結がなかったりとか。
解説の重要性
10円単とかはね、わりとはっきりしてましたけど。
そうだね。
語られるところが全然違うところだったんで。
そうですね。
視点が違った。
まあでもそうですね、この特にやっぱり水のほとりとかは解説ないと何もわからなかったし。
そうですね。
そういうのは結構ありましたね。
水のほとりは解説が結構説得力があるというか、
カチカチっとハマって解説。
というかわからなすぎるんですよね、その短編のだけでは。
吉野貴純之介の水のほとりが一番わかりやすい、いかにもな解説だったかな。
今日今回の丸屋才一とか長谷川志郎は結構村上春樹のこう思うみたいな作家論も含めて話してたから。
はい。
ちょっと吉野貴純之介の時より村上春樹の考えの方にプレートが大きくなってた気がして。
あとはそうですね、やっぱり作家のプロフィールがどんだけ前提に入ってるかみたいな。
他の作品も含めてですけど、その辺とかは大きい意味で。
それはみんなそうですけど、でも生物とかも読まんと解説ないと全然わからなかった。
読書の楽しさ
そうですね。
なんかみんな知ってると思うけどみたいな感じのやつがあったから。
そういう意味ではやっぱり文芸評論をちょいつまみできるみたいな、そういう面白さがありましたよ、全体的に。
知ってると思うけどみたいな。
全部言ってくれるっていう。
じゃあもうこれは長く話しましたけど。
はい。
この3ヶ月間読んだって。
これやっぱり一人でやるより全然、一人で読むよりかは。
まあなんやろうなって終わってしまうんだよね、一人で読んだら。
どういうことなんやろうって終わってしまうんだ、やっぱり。
うん、なんとなく感覚で終わっちゃうから。
やっぱりだから、ほんまはこういう講義で集まってやるのが一番いいんやと思いますけど。
はい。
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