話すのが苦手問題
一人回です。今回は、話すのが苦手問題について考えていきたいと思います。
以前に、一人しゃべりについてという回で、一人しゃべりについて考えましたが、それと被る部分もあると思います。
一人しゃべりの回は、特にラジオとかポッドキャストの一人しゃべりについて考えました。
興味があったら、そちらも聞いてみてください。今回は、一応話すこと全般が苦手という話です。
僕は話すのが苦手だという自覚があります。 日常会話においても言葉が出てこず、
言葉に詰まり、 言葉が足らず、
言葉を見越してしまいます。 今、この一人がたりも
あらかじめ文章を書いて、 台本のように
読んでいます。 それぐらい話すのが苦手。
もちろん、経験不足から来る苦手意識というのもあると思います。 今まであまり人と話してこなかったし、
話すことに消極的だった。 人前に出るようなこともしてこなかった。
人と話す機会があっても、準備していかないと何も話せないです。
何を話していいか思い浮かばない。 そういう機会があれば、
前もって話す内容を用意していっています。 これは
スピーチとかに限った話じゃなくて、 日常会話でも用意しています。
人と話す場面、もしくは人と話す、 人前で話す場面、
をイメージして、 シミュレーションして
質問とかを考えます。話すことを考えます。 人とどういう会話になるかっていうのを
予測して、こう来たらこう返すみたいな 会話のパターンまで頭の中で事前に想定して
セリフを考えたりして、会話に挑みます。 その事前の想定から外れてしまったら何も話せないです。
慣れた人は即興で思いつくと思いますけど、 そういう機能、
聞きようなことができない。
あらかじめ計算して組み立てた話しかできない。
事前準備を怠ろうものなら、 全く何も出てこないポンコツとして
経験不足から来る苦手意識
黙ってその場に立ち尽くしてしまう。 急に話を振られたりしたら
あたふたしてその場を乱してしまう。 これはもう苦手意識とかで収まらない、
言わずもがな苦手の分類に入ると思います。 苦手だからこそ
緊張するし焦る。 前向きにもなれない。
だいたいそれで今までなるべく話す場面を避けるようにしてきました。 どちらかというと話を聞く方が楽です。
聞いたことについて考えて答えるっていう方がやりやすい。 かといってそれが即興でできるっていうわけじゃなくて、
結構時間、レスポンスにも時間がかかるんですけど、 つまり思想通全般が苦手と言えますね。
その中でも特別話すのが苦手。 じっくり時間があって
弁解の余地があるようになったらやっと気軽に話せるようになります。 だからどうしても話せる相手っていうのが限られてきます。
僕の話なんかを時間をかけて根気強く聞いてくれる人しか話、会話にならないですね。
そんな人は世の中にどれだけいるかというと 全然いないです。
職業の人を除いて。 だから僕はきっと
人からはあまり話さない人とか、 急に思いつきで何か言うだけの人とか、
いい人だったら、僕が親身に耳を傾けてくれる人とか、 そういうイメージを持っているかもしれないですね。
僕に対して、僕が好き勝手よく話す人って思っている人は、 僕がそれだけ好き勝手話せる相手っていうことやから、
結構心を開いている相手だと思います。 別に僕はその人の話を聞くのは好きとか得意というわけでもないです。
興味ない話は全然頭に入ってこないし、 言われている言葉が理解できないっていうことも多いです。
特に僕は人に共感することがあまりないから、 例えばその言わなくてもわかる系のことは
だいたいわからないです。 その内容について筋道立てて説明してもらわないと理解できないことが多いです。
反対に、僕に共感してわかったつもりで話しかけられた言葉とか、
僕に対して共感してくれたつもりで書けられた言葉っていうのが、 だいたい僕の心情からはずれています。
共感が得意と思っている人がわかるって僕に言ってくれることがあるんですけど、
だいたいそれ違うことが多いですね。 僕には共感してない。
だから共感のコミュニケーションっていうのは、 多分共感性が高い人同士でしか成り立ってないものだと思います。
書くよりも話す方がハードル高い
話はそれるんですけど、 聞き上手って一体何なんでしょうね。
傾聴とかよく言われるようになりましたけど、
世間でよく言われる聞き上手っていうのは、 僕から見ると口を挟まずに話を聞いている、
不利をするのが得意な人に見えますね。
話を汲み取るのが上手いとか、聞き上手っていうのは 技術なんですかね。
僕にはちょっとわからないんですけど、聞き上手って何なんでしょうね。 聞き上手ってあんまりよくわからないんですね。
それはちょっと余談でした。 僕は話すのが苦手で、聞くのが別に得意というわけでもなく、
さらに書くのが得意というわけでもないです。 書くっていうのは文字というか文章というか、
ただ話すよりも書く方が上手くできるように 感じることはあるんですけど、それは単純に話すよりも書けられる時間が多いから。
あと書く行為っていうのは推考ができるんで、見直しができるから、 即興で話すよりも形を整えることができる。
それで喋るよりも書いた方が上手いように見える。 書くっていう行為は書き直すことも簡単にできるんで。
話す行為は事前に準備ができるとしても、 本番というか本番に話してる時は一発勝負ですね、だいたい。
話し直す機会っていうのは書くのと違ってあまりないと思います。 演技とかだったらやり直しは効くかもしれないけど、
ほとんどの人は演技ではない日常をぶっつけ本番で生きてるんで、 書くよりも僕は話す方がハードル高いと思ってます。
それはその上手く書くとか上手く話す場合の話で、 書くこと自体は難しいんですよね。訓練がいるんで。
だから話すよりも書くことの方が苦手っていう人も全然いると思います。
文字の読み書きっていうのは基礎教育が必要だし、 文章を組み立てるっていうことも必要です。
学生の頃とかに読書感想文が苦手とか作文が苦手っていう人は 多かったんじゃないですかね。
話すっていう行為自体は書くっていう行為よりも自然に備わっている機能やから、 話し言葉にはもう感情も乗せやすいし、
大人になってからでもレポートよりはスピーチの方が得意っていう人がいるのも全然 自然なことですね。
特に日本人は話ベタっていう説もありますけど、 これは本間なんですかね。
外国人、西洋人はディベートとかスピーチの練習とか訓練、 発表とかをする習慣があるから
みたいなことはよく言われるけど、 外国人、西洋人みんなそうなのかな。わかんないです。どうなんでしょう。
その内向的な人を話すのが苦手みたいなのはあるかもしれないですね。 人種とか関係なく。僕みたいに陰気やから書く方が得意というのはイメージ通りな感じがしますね。
話すのが苦手っていう問題は、 自分の性格に依拠してるのかな。
明るくなったら話すのも好きで得意気になるのかな。 うまいか、動画は別として。
そんな話ベタの僕が、なんでこんなポッドキャストという話す一本やりのフィールドで配信しているのか。
話が上手い人、得意な人、 面白い人はいくらでもいます。
それこそポッドキャストを生業にしている人とか、 タレントのラジオがポッドキャストで配信されてたりとか、
面白い話、ためになる話、 上手い楽しいポッドキャストが聞きたければ、
たくさんの中から選べます。 僕がやっていることっていうのは、
そういうのから外れた、そういうのの外にある、 片隅の日記というか、
個人の生活史的なものに近いかな。 僕が目指しているのは、
それに引い出たわけではない人間の、 この時代の大多数の中の一人の当たり前の
ありきたりな言葉、 声を残すこと。
この、 語り自体がフィールドレコーディングに近いですね。
環境音のような誰かの声、 自分の声でそれを吹き込んでいるのが今です。
だから話すのが苦手でもポッドキャストを配信している、 という答えになります。
話すのが苦手問題は、 それぐらいの雑な感じで終わりたいと思います。
何か思いついたこと、共感したこと、 考えたことがあれば教えてください。
過去のエピソードについてのコメント、 ポッドキャスト全体についてのコメントも常にお待ちしています。
コメント欄か、もしくはツイッターにて受け付けています。 話すテーマも何か案があれば教えてください。
それではまた次回。