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2023-10-16 32:51

vol.031「人が介在してくれる価値とは?❶」康太郎雑技団チャンネル

今回は、くらたつさんとyuさんと人が間にいてくれるからこそ、得られるものについてお話をしました。

サマリー

康太郎雑技団チャンネルでは、人が介在してくれる価値について話し合っています。ゆうさんとくらたつさんが一緒に伴奏してくれたり、人がいることの価値について考えています。私は倉田さんとのセッションを通じて、自分の気遣いに対する認識の違いに気づき、自分がやりたいからやっているという意思を示すことの大切さを学びました。私はグループセッションで質問に対して自分の気持ちに気づいたり、感情を引き出してくれる質問があることが楽しかったと話しています。その質問には結構直感的な違和感がありました。

人が介在する価値について
はい、みなさんこんにちは、こんばんは。康太郎雑技団チャンネルです。
このチャンネルは、作るをテーマに空間と時間を共にした仲間がそれぞれが持つ発行させた技を対話を通してさらに次の作るを実現する番組です。
みなさん、康太でございます。よろしくお願いします。
今日はですね、くらたつさんとゆうさんに来てもらって、
人が介在する価値というか、人が一緒に伴奏してくれたりとか、人がいることの価値について話してみようかなみたいなところで、
ちょっとお送りしたいなというふうに思っております。
くらたつさんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。くらたつです。
ゆうさんよろしくお願いします。
お願いします。
では早速ですが、なぜこのようなテーマになったかというと、
僕自身がもともと一人で内省してたりとか、色々と物事を考えて、なかなかことが進まないなみたいなことが結構あったりとかしたんですよね。
それもあって、コーチングとかやってきて、なかなかそれでも一歩踏み出せないみたいなところで、
これって何なんだろうなみたいなところで、もやもやしてたりとかするところがあったんですけれども、
今回、人が介在する価値みたいなところを改めて問いを立ててみると、やっぱりその間に入ることの大切さってあるかなっていうのは最近ちょっとよく思うようなことがあって、
ちょっと今日はそこらへんについて話していきたいなというふうに思うんですけれど、
ゆうさんはそのあたりで最近思ったこととか経験したこととかあったりしますか?
そうですね。年重ねてくると、メタ認知ができなくなってきたりとか、
人からあんまりフィードバックをもらうみたいな機会が、なかなか自分から取りに行かないとできなくなってくるのかなっていうのを会社で過ごしてて思うんですよね。
それなりに経験してきたり年数を重ねてくると、自分みたいなものが自分の中でも確立してくるし、その組織の中でも確立してくるし、
それはそれでいいことだと思うんですけど、
そこからさらにどこが足りてないんだろうとか、自分はどの強みをどう活かしていったらいいんだろうみたいなことを考えていたときに、
普通に過ごしてるとそういうことに気づける機会があんまりないし、人からフィードバックをもらえる機会もないんで、
物足りなさをすごいいつも感じてるなっていうのはあるんですよね。
たぶんそれは、フィードバックをしあう空気感が組織の中にちょっとないっていうのもあるかもしれないし、
自分もじゃあすごいウェルカムで受けれるかっていうと、たぶんそうではなくて、
ちょっと身構えるし、傷つくこと言われたらどうしようとか、今までの私全然ダメだったのかなとか、
自分を否定されるような気持ちになるようなこと言われたらどうしようとか、そういう気持ちもあるので、
欲してるけど怖いみたいな、そういう状態がすごいあるなって思ってるんですけど、
なんかやっぱり、それがなく、自分だけで完結して自分を作り上げていってしまうと、
なんかもうどこかで引き返せなくなるんじゃないかなみたいな思ってるんですよ。
結構やっぱり、あいちゃんの中でも偉くなっている人とか見ていると、
この人にもう何か言える人はいないんだろうなみたいな。
それってすごい何か言い方悪いですけど、ちょっとかわいそうやなって思っちゃうことが多いんですよね。
例えば自分が間違ってても、この人に間違ってるって言ってもしょうがないから、もう言わんとこみたいな。
ある。
ありますよね。
あるあるある。
そういう存在になるって、知らずに死んだらいいかもしれないけど、幸せなんかもしれないですけど、
なんかそういうふうに周りから思われることに対してすごい恐怖があるんで、
なんか私がどう思ったかほんまに教えてみたいな欲求が今すごいあります。
これできてるねとかじゃなくて、
なんかここもっとこうしたらこう良くなると思うよとか、
ここはちょっともしかしたらできてないところかもねとか、
そういうことを今すごい欲してるので、
自分だけではやっぱり気づけない人の介在は必要だなってすごい思います。
フィードバックの恐怖と必要性
なんか今の話聞いてて、僕2つこう、
あ、そうだなと思ったのが、確かに若い頃ってなんか自分のスタイルを確立したいとか確立しようみたいなところがあって、
なんかこうやり方もそうだし、こうあり方みたいなところも作ったんだけど、
確かにそれを作ったら作ったで、他の人からフィードバックもらうのはすごい怖いというか、
なんか自分から逃げてる、逃げてたような気はするのと、
あとはそのフィードバックの下りでいくと、
確かにその偉くなればなるほど上に上がれば上がるほどそのフィードバックってもらえない、
でもなんか欲してる人も意外といるんだけど、なんかいやいやできないですよみたいな周りの空気みたいなものもあったりとかして、
で、フィードバックの話で言うと、
マッサンのお茶漬けチャンネル、お茶漬けじゃないと、お茶漬けチャンネルで間違えちゃった、
の中でフィードバックについて触れられていて、やっぱりそういうのって大切だなーっていう風に思ったりしましたね。
なるほどなぁ。
今の二人の話を聞いて、倉田さんどんな感じですか?
そうですね。
あまりそういう観点で、今僕がやってるサービスって、どっちかっていうとそのセッションというかその対話を通して深掘りさせてもらって、
徹底的にお時間かけて内容分析させてもらうサービスをやってるんですけど、
そこで提供しているものって、その人が本来持っているものを、
いかに多様な問いかけだとか、その構造化の中で導き出すかっていうのをやってるんですと。
そうなった時に、僕はその人のありのままのものを見たいっていう形でやってるんですけど、
そこの純粋な好奇心で、
何でしょうね、その人のことを深掘るっていうのは、なかなか会社では難しいんだろうなと思ってて、今の話聞きながら。
やっぱり利害関係とかもあるじゃないですか。
フィードバックをするときに、本当は仕事としてこうしてほしいけど、みたいな話が入ってたりとか。
あるいは、この人にこういうふうなこと言っちゃうと、後で関係性悪くなるしな、みたいな話とか。
そういうブロックは、やっぱり会社っていう空間の中だとあるだろうなと思っていて。
だから、この第三者的にその純粋な好奇心を持って、
セッションさせてもらうっていうところは、一つのすごい大きな価値があるんだろうなって思って、
すごく皆さんのお話聞いて、そうかって思いましたね。
まず自分の話をそんなに長い時間させてもらうとか、聞いてもらえる時間っていうのもすごく貴重だなって思いますし、
本当にそれを本当にいろんな角度で質問してもらうんで、自分の気づいてなかった内面みたいなところも出てくるのが、
本当に自分にとってはすごい楽しい時間だったなって思いますね、倉田さんのセッションを受けて。
ありがとうございます。
実際、僕らはね、ゆうさんも僕も倉田さんのセッションを受けさせてもらって、
僕も良かったなっていう感じなんですけど、その辺りの話はちょっと後で話をするのでいいのかなと思ってるんですけど、
倉田さんのセッションの特徴
実際、倉田さんのセッションをもうちょっとどういうことやってるのか聞いてみたいなっていうのは改めて思うんですけど。
そうですね。そうですよね。
初めて聞いてる人たちは、いまいちまだわかんない人も多いかもしれないんで。
そうですね。あんまり何か、阿波県の皆さんにもちゃんと説明したこともなくて、
断片的な情報しか伝えてないので、せっかくすごく貴重な機会いただいてるんで、お話しさせてもらえればなと思うんですけど。
僕がやってるサービスは、大きく2パターンのセッションスタイルを、セッションというか問いかけの形式を使っていて、
それを1つのワンパッケージにしたものを、4時間で提供するっていうのをやってるんです。
4時間ってかなり膨大なので、実際には1時間半と2時間半に分けて、
Zoomを使ってセッションさせてもらうような内面分析サービスをやってるんですけど、
その1個目ですね。1つ目何を見るかっていうと、
人それぞれ必ず自分の中で信念に近いものとして、
この世界はこうなんだ、だとか、自分はこういう存在なんだっていうふうに思い込んでるものがあるなっていうのが、
僕の中でいろいろ学んだりだとか、いろんな人とセッションする中で見つけたっていうのがあって、
それをいかに問いかけの中で深掘って見つけていくのかっていうのをやってまして、
それが見つかると何がいいかっていうと、結局自分の中でこういうふうに自分は思ってますとか、
世の中ってこうだよねって思ってることって、だいたい幼少期に作られたパターンだったりするんですよ。
この幼少期に作られたパターンを結構ずっと採用していて、自分の中でルールになってるんですよね。
これがどこで作られたのかだとか、これが作られたことによって実際どういう行動を自分がしていて、
実際どういう現象が起きるのかっていうのを全部可視化してみていくと、そこがだんだん矛盾してくるのが見えてくるんですよ。
要は幼少期の頃作ってるから、実際の大人になった自分として採用してるとチグハグが出てきて、
実際そんなに思い込まなくていいよねみたいなことが出てきたりだとか、
結構自爆に近いというか、そう思い込むことによって自分の本当にやりたいことを抑制しているみたいなパターンもあるので、
それを見ていって一緒に可視化するので、どっちかというとこうですよねみたいな、
僕が一方的に喋るよりかは、こういうふうな構造になっているのを見えますみたいな感じで一緒に見ていくっていうのが大きな特徴のセッションです。
簡単に言うとバイアスがかなり外れてくるというか、自分の思考の癖が一挙に分かれるみたいなところが第一セッションの特徴。
第二セッションは何をやっているかというと、自分の思考の癖だとか囚われみたいなものが分かりましたと、
どうするのみたいなところが皆さん出てくるし、そこから何をしていこうみたいなところがあるので、
そこをカバーするためにやっているのが自分の中で一番強い願いに近い欲求と、
それから欲求に紐づく形で自分が何をやっているのか、どういうことをついついできちゃうのかみたいな、
自分が一番自然な形でストレスなくする、ついついできちゃうことの行動思考のパターンで、
自分の過去の経験からうまくいっているものっていうのを全部導いてあげて、それをプロセス分解して整理することによって、
自分の中でこういうような成功モデルがあるよねっていうところを可視化させてもらうっていうのをやっています。
なのでこの自分の一番やりたいこと、本当にこれがやりたいって心の底から願っているもの、これやってるだけで楽しいよねっていうものと、
それから自分の中で一番自然な形でストレスなくうまくいった成功モデルみたいなものをセットでお渡しすることによって、
人の気遣いの認識の違い
こっちの方向でこういうふうにやれば自分のやりたいことを実現できるし、しかもそれってすごく自分らしいやり方でたぶりつけるんだっていうふうなフィードバックをその人に持って帰ることができるし、
なおかつそれを実行するフェーズにおいては第一セッションでそれをとらわれみたいなのを分析しているので、
これがこういうふうに邪魔してるから本当にやりたいこと踏み出せないんだなぁみたいなものもメタ認知できるようになるので、
一回のセッションで結構自分がそこから学んだものを自分自身の力で活かせるような形になってもらえるのがこのサービスの特徴なのかなという感じします。
そのサービスの中で聞きたいなと思ってたことがあって、
そのとらわれとかあるじゃないですか、昔々の幼少期の経験とかって、
だいたい何歳ぐらいのものがあるのかなと思っていて、
いわゆるその発達理論的なところを考えていくと、それこそ小学校中学校ぐらいなの?みたいなところなのかなとか、
いやいやいや、やっぱり今の僕でいうと、社会人の時の大きな経験とかインパクトのある、
学生から社会人になるっていうのも結構大きな経験だったりとかするんですけど、
そこも関与してるのかとか、いろいろあると思うんですけれど、
そのあたりは感覚論でも全然いいんですけど、どうなんですかね。
そうですね、すごいいい質問だなと思って。
僕のやってるセッションって、いわゆる論理体系が何かあって、
そこを応用する形でやってるっていうよりかは、もちろんそういうのもあるんだけど、
どっちかというと直感に近い形でやってるっていうのが特徴かなと思います。
直感は今までセッションを100パターンぐらい内面分析をしてきたので、
その中から直感的にここだなっていうところをつかみ取って、
いわゆる幼少期のとらわれみたいなのを見ていくんですけど、
だいたいみんなバラバラではあるんですよ。
ここが一番多いっていうよりかは、みんなバラバラなんですけど、
でもやっぱりすごく近しいところであるのは、
親と子供の関係と自分と親以外の社会との関係で生じるパターンっていうのがすごく多いんですよ。
家族の関係の中で、いわゆるそのとらわれに近いものが生まれるか、
あるいは家族から離れた一般社会の関係性でとらわれが発生するのかっていう2パターンであったときに、
家族のパターンだったらだいぶ幼少期なんですよ。
それこそ自分が自己主張する。
この自己主張することが、いやでもそれはやっちゃダメなんだよとか、
本当はお母さんこうしてほしいからこうしないでみたいな感じで、
いわゆる自分が望んだことが何かしらの現象でかなわなかったみたいな感じで、
とらわれが発生するっていうパターンが多いんですよ。家族の関係だと。
これは結構小さい、だいぶ小さい頃から発生しやすいなって思うし、
2番目の社会関係だと、当然その大きな社会に飛び込むパターンって小学校とかそっちが多かったりするんですけど、
小学校ぐらいからそういう原体験みたいなものを語られて、
そこが根っこだねっていうパターンはやっぱりよくありますね。
へー、なるほど。
その2パターンが多いなって結構思いますね。
社会関係はやっぱりどっちかっていうと、その後半にある場合もあるんですよ。
大学生だったり高校生っていうパターンもあるし。
その仲間との関係性みたいなところだったりとかするんですか?
うん、ですね。仲間との関係性だとか、
自分が転校をたびたび経験することによってみたいな話とか。
うーん、そうなんだ。なるほど。
どうぞどうぞ。
今の話聞いてて、私は結構家族との関係性のところから今の自分がすごい作られてるなって思ったので、
前者のパターンだったんだろうなって思ってるんですけど、
ある程度自分のことは理解できてるつもりだと思ってて、
自分、教内校生からきて自分の特徴がこうだなとか、
自分はここにコンプレックスがあるから、そのコンプレックスを隠すために外ではこういう振る舞いをしてるんだなみたいなところって、
ある程度わかってるつもりではあったんですけど、
なんか、倉田さんとのセッションを受けて、
すごい、倉田さんが問いを立ててくれてることによって気づいたのが、
気を使うっていう言葉を、
人と私で使い方が違うっていうことに初めて気づいたんですよ。
え?え?
どんな感じで違ったんですか?
私が3人兄弟の末っ子で、すごく甘やかされて育ったので、
自分がわがままである自覚がすごくあるんですよ。
でもこのままだったら、これを家族の外でも振る舞ってしまうと嫌われるかもしれないっていうのに、
その社会とつながる中で少しずつ気づいていって、
外ではわがままな自分を出したらダメなんだっていうことをすごく、
それをコンプレックスとして感じて、外での振る舞いを変えるようにしていったんですよね。
そういった中で、人に気を使われるっていうことが、私はすごく心苦しくて、
気を使うイコール、私はすごくネガティブなものと捉えてるんですよ、ずっと。
今もそうなんですけど。
人に気を使うっていうのは、自分の気持ちを抑えたり、自分の何かを犠牲にして、
相手のために譲っているみたいなことが、それは結構、
自然にできる人がすごいなって思ってたし、
でも自分が気を使われたら、もしかしたら私のわがままを見透かして情報してくれているのかもしれないっていう恐怖があったので、
人に気を使われているとか、自分も気を使うということがすごくネガティブに捉えてたんですけど、
私はずっとそういう自分のコンプレックスだったり、
あんまり人に気を使われないようにしたいな、気を使われるのって居心地悪いなってずっと過ごしていたのに、
周りの人からたびたび、あなたって気使えるよねって言われることがあって、
なんか、それは私にとってあんまり褒め言葉じゃなかったりとか、
私が自分を犠牲にしているということが透けて見えているのかなとか、
気を使われてて居心地悪いって感じてたのかなとか、そういうふうに思ってたんですけど、
そこにギャップがあったんですよ、自分の中で。もやもやがあって、
自分は気を使われたくないし、気を使いたくないのに、
人には私が気を使っていると思われているみたいな。
だったんですけど、倉田さんとお話ししていって、そこに私が気を使うという言葉に何度かラリーをさせてもらったら、
倉田さんが別に気を使うってネガティブなイメージじゃなくて、
無償の愛として自分を犠牲にせずとも相手に気を使っているというパターンもありますよって言われて、
そうなんやみたいな言葉の定義の違いをすごい感じて、
だからすごい今までギャップを感じてたけど、
気を使うという言葉の捉え方が人によって違って、
そういう意味で使ってもらっているんだったら、とてもしっくりくるなっていうのがわかったので、
それがめっちゃ気づきだったんですよね。
でもあるな。やりたいからやってるっていう感覚じゃないですか。
それを他の人からすると、気遣いできていい人ですねみたいな。
別に使ってないけどみたいな。
自分がやりたいからやること
そんな感じです。
そんな感じですよね。でもあるわ。
確かにそれは気使えていいねって言われたら僕も褒め言葉としては捉えられるかも。
ただネガティブにも捉えなくて流しちゃってるかもしれない。
勝手に好きでやってるからいいじゃんみたいな感じの捉え方はしてますね。
そこが面白いなと思って。
やっぱり人によって感じ方も違うじゃないですか、言葉によって。
言葉に含まれている思い出みたいな背景がやっぱり全然人によってバラバラなんですよね。
この言葉を聞いて何を思うかっていうところが結構僕のセッションですごく大事にしてるんですけど、
気遣うっていう言葉に対して、多分家族の体験の中でいくと無償の愛だったわけですよ。
何か返せなくちゃいけないものだって思っちゃうと、これがいわゆるその対価性を持った気遣い。
何か相手は犠牲にして何かを与えてるから自分はそれを返さないといけないっていう関係性で使う言葉なんだみたいな感じになってくるわけです。
捉え方によって。
何かそこを何かすごく愛してくれてるなーって捉えるのか、この愛に応えなきゃって捉えるのか。
何かここの違いによっても気遣いのように変わってくるんですよね。
何かその違い、認知の違いに気づいて、私がその友達とかと何でしょうやり取りする中で、
私がやりたくて友達にプレゼントを渡したりとかした時に、
何か気使えるなって言われたんですけど、
でも何かそこ、クラウドサンセーションを受けてからは、
あ、これ別に私がやりたくてやってるだけだからっていう風に言うことができて、
そしたら向こうも多分気楽に受け取ってもらえるのかなっていう気もするので、
何か私がやりたいからやってるんだよっていうことをちゃんと示すっていうのも大切かも。
認知のずれがないようにするのも大事かもっていう風に気づけて、
倉田さんの導きの効果
そういう風に返せるようになりました。
確かに。何かやられたら恩返ししなきゃいけないって思ってる人もいますからね。
うんうんうん。
やられたりとかやってもらったら、何かお礼しなきゃいけないみたいな、
そういう何か儀礼的なところが日本人の文化的なところにもあったりとかするじゃないですか。
うん。
でも何かそういうのって確かに認識を合わせるって大切かもしれないですね。
やりたいからやってるみたいな。
へー。
なるほど。
逆に相手に気を遣わせないようにする。
うんうんうんうん。
には言葉も必要かなって思うようになりました。
すごい。それだけでも倉田さんが開催した価値は。
すごいあります。
ある。
すごいありがたいですね、そう言ってもらって。
でも、やっぱり第三者だから見えてくるんですよね、結局。
うんうんうんうん。
だってこういうもんじゃないですかってみんな思ってるから。
あるある、そういうの。
はっと思うときありますからね。
うん。
へー。
へー。
なんかそこって倉田さんがすごいたくさんいろんな質問をしてくださるから多分出てくるんだろうなと思ってて。
なんか普通の一方通行の深掘りだったら多分その人の信念とかその人が思ってるものしか多分出てこない。
その深いけど、気づいてなかった扉が開くっていうのはなかなか難しいんかなと思ってるんですけど、
すごいいろんな角度の、じゃあこう言われたらどう感じますかとかって言ってくださったりして初めて考えることがすごく多かったんですよ。
グループセッションの質問
なんかそんな質問を受けたことなかったから今考えるとどうやったんだろうみたいな。
でもこうやったのかもしれへんなみたいなのをすごい思い出しながらやってたし、
どう思いましたかとかじゃなくて、どんな感情になりましたかっていうその感情を聞いてもらうこともすごい多くて、
なんかやっぱり感情はどう受けてたかより自分がその後頭でどう考えたかって先行しがちじゃないですか。
そこのところを一時感情をちゃんと引き出そうとしてくれる質問をたくさんしてくださったりして、
初めて自分の気持ちに気づいたりとかすることがあるんやなって思って、
それがすごいやってるのが楽しかったし、知らない自分がめっちゃ出てきたなっていうのがあったのは、
その質問の数とバリエーションからなんだろうなって思いましたね。
あとそのやりとりの中でも、私がどうしても言い淀んでるところとかをすごい見てくださってて、
ここがやっぱりこの人の引っかかってるところなんやなとか、ここはスラスラ出てくるんやなみたいな、
答えのやり、出てきた答えの言葉だけじゃなくて、その出てき方も見られてて、それがすごいなって思いました。
確かに私これどうしても言いたくないかもしれないみたいな。
それでやっぱり倉田さんの観察力みたいなのがあるじゃないですか。
言葉の機微とか、受け止め方、発し方、その時の表情みたいなところまで細かく見ながら、問いを立ててる感じですか?
でも最初はすげー下手くそでしたけどね。
だんだんいろんな100以上のセッションをする中でやっと身につけたって感じはあって、
あとポイントとしているのが、100以上やってくると、しかも1人4時間ぐらいやっちゃうから、
4時間ぐらい言ってるんですけど、ポイントになる言葉があるんですよ、人には必ず。
この言葉の使い方は他の人と全然違うなっていうのがあるんですよ。
それは結構直感的に思ったりするんですけど、なんかこれ違和感だなみたいな。
なんでこの人この言葉をこういうふうに使ってるんだろうっていうのがあって、
そこを結構起点にいろんな角度の問いを挟んでいくって感じをやっていて、
最初仮説ありきですね。なんかここがなんか怪しいなというか、なんかここなんかありそうだなみたいなところに対して、
いろんな角度の問いを問いかけて、ここじゃないかもって思ったらすぐ切り替えたりとかやるんですけど、
だいたいなんか目干しというか、仮説ベースでやっていくっていうのは結構やってます。
あとさっきの言葉の話で、話のその要は出てくる出てこないみたいな話で、
いろんなパターンあるんですけど、言い淀むってパターンもあれば、
スラスラだけど、なんか怪しい、怪しいなっていうのがある。
スラスラ出るんだけど、なんか全然そんな感じでませんよみたいな。
なんか大丈夫ですね、感じでなくて、結構ね思考が回ってたりするんですよ。
ちょっと言葉で蓋してる感じがあるんですかね。
論理的に防御してるって感じですよ。論理思考で。
感情の引き出し
面白い、面白い、あるあるある。あるあるそういうのある。
すごくロジカルだし能力高いんですよ、そういう人って。
ロジカルで能力高いんだけど、そのロジカルさを今何に使ってるかっていうと、
自分の本当のありのままを隠さなきゃいけないから、そこでロジカルさを駆使してるって感じです。
そういうパターンの時は、ちょっと感情によった質問を徹底的に入れていきます。
なんかよくある性格診断とかって、割とウェブページでポチポチ質問に対して答えていって、
で、最後診断って出てくるみたいなんじゃないですか。
あれってやっぱり自分の本心というより、ちょっとこうありたいみたいなのを選んじゃったりするじゃないですか。
絶対そう。
ですし、それどこまで仕組みが見てるのか分からないですけど、
絶対こっちってすぐにボタンを押せるものもあったら、迷いながらこっちかなって押す、
時間をかけて押すものとかを裏で計算してるかどうか分かんないんですけど、
そういうのもあるし、そうやって自分、頭で回してしまって、なんか防御して、
自分はこうありたくないってどうしてもコンプレックスから避けて、どちらでもないって選ぶみたいなとか、
それで出てきた診断って本当なんだろうかみたいなところは結構あるんですけど、
それが人と人とで長時間かけて、
Zoomではあるものの顔を見ながら、
その喋り口調とかも見てくださった上で、
次のそこに対しての深掘りの質問が来るっていうのが、
なんかやっぱり今までやってたものと全然そこが価値として違うなって思います。
なるほど。
そろそろ30分過ぎましたんで、
この続きは次の回でもうちょっと話しましょうか。
早い。
あっという間ですね。
コウタさんの話全然聞けなかった。
ごめんなさい。
確かに。
いやでも面白かったです。
本当に。
開催する価値みたいな、まさにその話だったと思って。
ということでありがとうございました。
ありがとうございました。
32:51

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