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はい、康太郎雑技団チャンネル始まりました。このチャンネルは、作るをテーマに空間と時間を共にした仲間がそれぞれが持つ発行させた技を対話を通して、さらに次の作るを実現する番組です。
康太郎雑技団チャンネルの康太です。今日もよろしくお願いします。今日は、この二方にいらしていただきました、まゆごさんによろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
サッキーさん、よろしくお願いします。
お願いします。
このメンバーは初めての見合わせになると思うんですけれど、今日のテーマは何について話をしようかというような話を、ちょっとさっきまで打ち合わせをしてたんですが、
今ちょうどやっている映画で、14歳のしおりという映画を僕、この前見てきまして、で、なかなかこう、面白い映画だったなあっていうふうに思ってるんですけれど、
14歳、ちょうど中学校2年生のクラスの一人一人をそれぞれこうフォーカス当てて、今の状態とか気持ちとかどういうことを考えているかみたいなところの話があるんですけど、
その中でドキュメンタリー映画なんですけどね、で、ドキュメンタリー映画なのって、その生徒にいろいろ質問をする場面があって、とても印象に残ってた質問があるので、それをテーマに今日ちょっと話を2人から聞いてみたいなと。
まあ僕も話しますけど聞いてみたいなというふうに思ってるんですが、その質問はですね、どんな質問だったかというと、大人になっても忘れたくないことは何ですかというような質問だったんですよね。
その中学、14歳の人に、今、これからどんどん大きくなって大人になっていくにあたって、忘れたくないことは何ですかというような質問だったんですけど、それをうまくちょっと今回展開して、僕らで言うと10年後に忘れたくないことは何だろうっていう問いでちょっと今日は話を進めていきたいんですが、
10年後も忘れたくないことは何ですかねーという感じで、パッと思い浮かべるものでもいいです。ちょっとこうじっくり考えたいこともあるかもしれませんけど。
一つに限らなくていいと思うんですよね。
めっちゃ難しいなと思ったのが、例えばここ1年であったことで、10年後に忘れたくないことっていう捉え方もできますし、今何十年生きてきて、蓄積の中の10年後忘れたくないことみたいなところもあって、自由なんでしょうけど、どっちが出てくるかなって自分の中でね。
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すごい今。どっちなんだろう。
整理の仕方としては、10年前のことで覚えてることって何だったっけなーみたいなところもありますしね。
それもあるし、今のことでこれはもうずっと忘れたくないなーみたいなところもあるだろうし。
何かなー。
10年という時間かどうかはわかんないんですけど、大人になってなのかなーと思うのは、最初、社会に出た時の不安だったりとか、社会人になった時の不安って忘れないようにしようと常に思ってて、最初のよくわからない不安というか、初めましての不安っていうのを忘れないようにして、
今自分ができることが当たり前じゃなくて、最初ってできないよな、わかんないよなっていう、初めてやる人の気持ちになったりとか、初めて場所に来た人の気持ちになって考えるためには、
初心アステルベカラズじゃないですけど、それは常に思っている、大事にしたいなと思っていることだなっていうのをちょっと今ふと思い出しました。
最初の時。
大事ですよね、特に自分が年次上がることに教える側になったりとか、受け入れる側になることもあるじゃないですか。
そういう時には絶対に忘れてない方がうまくいくというか、そんな気がします。
真由子さん、なんでそういうふうに今そう思ったんですかね。
そう思ったのは、最初に働き始めてとか社会に出た時に、もちろん理不尽なこととか嫌なこととかっていっぱいあったなって思うんですけど、
それが自分が年次が上がっていって、自分が教育をする、人を育てる立場になったタイミングがあって、
その時に、これって自分で決めれるというか、自分が受けたことをそのまま相手にするのか、
それとも自分が受けて、でも自分が1年目の時とかってこういう気持ちだったから、こういう声かけが嬉しかったっていうのが、
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すごく自分で決められるなって思ってたんですよね。
自分が受けたものを経験にしていくのか、良いものにしていくのかっていうのが決められるなと思って、
それってすごくいろんな場所でも言えることだし、相手の立場になって考えるってそういうことなのかなってその時に思って、
何かは大事にしたいなと思って、常に社会人何年目になっても新入社員の気持ちでいたいのはずっと思ってました。
なので新しいところですね。そんな感じ。
それが仕事だけじゃなくて、いろんな場所でと思ってました。
すごい。
こういう先輩もめっちゃ嬉しいなって思いました。
ね。
いやぁ、ともすればね、俺が俺がの先輩いるじゃないですか。
私が私がか。
ね。
そうか。そうなんだよな。
風化してっちゃうんですよね。
うん。
その、いろんな経験、当然のことだから積み上がっていくじゃないですか、経験値って。
うん。
最初にこう積み上げたその基礎の基礎の部分みたいな。
基礎工事の下の下の部分みたいなところってどんどんどんどんこう。
こうなんだろう。
実数、実際の量は変わんないんだけど、全体の量が増えていくからパーセンテージというか割合がどんどんどんどん減っていくじゃないですか。
うん。確かに確かに。
こう積み上がっていくから、同じこの形なんだけど、10という積み上がりなんだけど、それがこう。
20のうちの10だったのが100のうちの10になるから、どんどんどんどんこう薄まっていっちゃうんですよね。
なんかそれと同時に、なんかこう喉元すぎればみたいな仕事があるじゃないですか。
だからなんか大変だったっていうのは覚えてるけど、その時の大変だったっていう実感値が。
なんかさっきの20から100人っていうのもあるんですけど。
あ、めっちゃ大変だったなっていう。いや、そんなこともないかなみたいな。
なんか意外と大丈夫だったんじゃないかぐらいのなんでしょう。
その時、経験してる時はもう無理みたいな感じだったのも。
後から思い出せなくなっちゃうんですよね、その時の実感を。
っていうのを、新入社員の時ではなくて、私はプロジェクトベースの仕事で動いてるので、
このプロジェクトのあの期間、今年の秋あんだけ辛かったよなっていうのも思い出すと、
いや、でも言うて、めっちゃ大変だったけど言うてみたいな。
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こういうふうにどんどん鈍化していくというか。
ずっと綺麗なまま保存できないんだなっていうのはすごい最近思っていることではあります。
残しておきたいんですけどね。
実感も含めてちゃんと。
なんか、僕なんかは嫌なことをどんどんどんどん忘れていこうだから、
初心忘れべからずみたいなところはすごく大切だと思うんだけれど、
今はさっきさみたいな感じで、自分が体感した体験した嫌だったことは忘れちゃうんですよね。
それで風化していくことはあるかもしれないな。
で言うと、話戻すと10年後に忘れたくないことって、他に何かあったりしますか、お二人は。
私なんかパッと思いついたのが2個あって。
はい。
なんか1個が、さっきのお仕事文脈とかで言うと、
なんか今すごい足りない、足りない、できない、できないで、
ずっと追われながら働いてるんですよね。
で、もしかしたら10年後、今よりは少なからずできることが増える。
ってなった時に、今のこの焦燥感というか、焦ってる感覚っていうのは、
きっと置いといた方がいいし、別の分野でずっと焦っておいてほしいなとは思ってるんです。
っていう、なんかこのお仕事をしてる時の感覚というか、
っていうのはちょっと覚えておきたいなっていうのが1個と、
もう1個が、なんかふとした時にちょっと思い出すことがあるんですけど、
なんかあの、去年の秋なのか春なのか忘れたんですけど、
あの、そこら辺の近所を歩いてて、
なんかすごい風が吹いてるんですけど、
なんかその風が冷たくもあったかくもない、
なんか冷たくもあったかくもなかったんですね。
ムーッというか、何も感じないけど風が吹いてるみたいな、
すごいこう、温度感がぴったり重なった風があって、
なんかそれを受けた時面白いなって思ったんで、
なんかそれはなんかふとした時に思い出すし、
なんかそういう本当どうでもいいある1日のスーパー行くまでの道なんですけど、
なんかそれはなんか覚えておいてもいいんじゃないかな、
ネタにあることじゃないしって思ってるっていう、
ちょっと何の話か分かんない感じですけど。
最初のその焦燥感みたいなところっていうのは、
こう頑張ってるとか、焦ってるとか、
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頑張ってるとか焦ってるっていう、
どっちの感じの焦燥感っていうこと?
どっちもですね。頑張れてないんですけど焦ってる。
ああ、やばい、やばい、できない、やばい。
決め切れ心みたいな。
その感覚は10年後も持っておきたい?忘れたくない?
忘れたくない。
忘れたくないですね。
まあこれでちゃんとね、仕事ができるようになればいいんですけどね。
まあまあ。
もう1つの方の風の方は、
感覚として残しておきたい感じなんですか?
その、風冷たい、風温かい、そうではない中での
その感覚みたいなところも、
なかなか言語が難しいところかもしれないですけど。
残しておきたいですよね。
さっきの実感っていうところを保存できないっていうのに
結局なっちゃうんで、
結局忘れるから想像で保管するしかないんですけど、
今まだ想像で保管ができるんですよ、
あの時の光景を思い出すと。
ああ、こういう感覚だったよなっていう。
実感が出すと、多分想像でもその時の感覚を
保管できなくなってくると思うけど、
ちょっとちゃんと定期的に思い出すことによって
覚えておきたいな、感覚を再現できる状態に
しておきたいなって思っているっていう、
なんかちょっとキモいかもしれないですけど。
でもすごいなんか羨ましいなと思いましたけどね、
実感が全然なかったんで、
そういう風に思える感覚があるのもすごく素敵だなと思って、
なんかいいなと思いました。
そうやって思える感じが羨ましいって感じ。
本当ですか?
想像でしかできなかったけど、
こんな感じなんやろうと思ったらいいなと思って、
春と秋が狙い目です。
もうちょっとで来る。
なんかありますか?
こうたさんもそういう経験だったりとかって。
経験でいうと、
残しときたい感覚みたいな話でいくと、
たまびに行ってた時に先生でいた、
さっきさんとは一回話をしたことあるかもしれないですけど、
菅さんっていう方がいらっしゃって、
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観察の練習っていう本を書かれてるんですよね。
で、菅俊一さんかな?
としこずさんかな?
ちょっと間違えてたかすみません。
で、それって日々の何気ない、
それをさっきさっきさんが言うと、
スーパーに行くときの道の中で気づいたことだったりとかするじゃないですか。
あれって、
観察するのは好きなんですけど、
観察できるって、
ある一定の余白とか余裕みたいなところがないと、
できないんじゃないかなってすごい最近思うんですよね。
その本にそういう風に書いてあったわけじゃないんですけど、
見てる視点がすごく面白くて、
少し大きめのセロテープ台があって、
小学校とかに置いてあったセロテープで、
ビリビリビリって音の、
セロテープって引っ張ると鳴るじゃないですか。
あれって、あそこでしか出ないじゃないですか。
そういうのって言われなきゃ分かんないし、
別に当たり前だと思ってたことなんだけど、
これってちょっと実は違和感みたいな。
それを観察として気づくっていうことがすごく大切かなって、
最近すごく感じるんですよね。
日々、
自分の中で、
日々、この前の
ドミニク・チェンさんの講演会でも、
谷川よしひろさんとの対談の中でも、
やっぱりスマホに汚染されていたりとか、
デジタルデバイスに汚染されていて、
それこそ信号待ちのわずか数十秒の間も、
僕らは携帯に時間を奪われているという、
意識を奪われているみたいな、あるじゃないですか。
そんな話をしていて、
やっぱりすごくそっちの方に意識が行っちゃってるんだなって思ったんですよね。
そこからさっきの話の菅さんの書いた観察の練習という本も、
たまたま家に置いてあったんですけど、
読んでたときに、なんでこういうのって気づくのかなっていう風なところが、
僕、不思議でというか、
つまり意識をしないと、
小さな違和感すら感じなくなる。
歩きスマホは携帯の画面をずっと見ながら、
僕でいうと耳から音楽を聴いたりとかしてるから、
五感でいうと耳と目はもうそれで潰れてるわけですよね。
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思考の感じでいうと、
もうそっちに奪われてしまっているので、
ひょっとしたら風が冷たい、あったかい、
冷たくもあったかくもないみたいなところは、
忘れちゃうんじゃないかなと思って、
感じることができないんじゃないかなって。
っていう意味だと、ちょっと余裕を持って、
日々の何気ない通り道を、
違和感を感じることができるっていうのは、
大切に忘れたくない感覚、
思い出じゃないんですけど、
感覚としては残しておきたいなっていうのは、
最近すごく思いましたね。
目からの刺激とか耳からの刺激って、
五感の中でも強いなと思って、
映像とか、スマホはそうなんですけど、
疲れたときに遮断したくなるのは、
そこだなって思って。
疲れると映像を見れなくなるんですよ。
音楽も聴けなくなるんですけど、
そうやって本能的に余白を作ろうとしているのかなって、
コウタさんの話を聞いて思いました。
私もそれやっているなと思いました。
頭忙しいと耳、イヤホン何もしないけど、
イヤホンだけつけるときとかあるんですよね。
そういうのを残しておきたいなというか、
多分これからどんどん情報が、
大量に溢れてくるから、
そういうのを残しておきたいなというか、
多分これからどんどん情報が、
大量に溢れてくるから、
だから自然に帰るみたいなところが、
今受けているのかもしれないですけどね。
感覚が鈍っていくんじゃないかなっていうところもあるので、
そういうのってやっておいたほうがいいかもって思ったりとかしましたね。
確かにそうですね。
気づけるかと言われると、
今パッと脳に出されて、
スマホとかはない状態でテクテク歩いて、
もしかしたらこういうスマホとか持ってなかった子供の頃の自分のほうが、
同じ道歩いてても気づくこと多かったんじゃないかなとか、
なんか思いますよね。
今もうちょっと鈍っている気はします。
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それこそ今話聞いてて思ったのは、
これ今最初のほうに出てきましたけど、
いつから大人になるのだろうか、みたいな問いがあったと思うんですけど、
いつから僕らこんなになってしまったのだろうか、みたいなふうに思ったりとかしますけどね。
なるほど。
いつからなんだろうな。
いつからなんですかね、積み重ね?
気がついたらになってて。
確かに大人になる上で強くなっているんでしょうけど、
違うところが弱くなってるんですね、きっと感覚が。
そうそうそうそう。
そうかもね。
だからどっちが善でどっちが悪ってことはないのかもしれないんですけど、
明らかに変わっている感じあるじゃないですか。
小さい頃の時のほうが感覚をずっと受けていたみたいな。
感じで、
今パッと浮かんだのは、
裸足で歩く量が昔より減ってるんじゃないかとか。
芝生の上を素足で歩くみたいな感じとか、
そこはちょっと違うのかな。
でもなんとなくそういう自然と触れる場所もないし、
大人になればね、
大人になればって言ったら変だけど、
昔は普通にひょいひょい海とか行ってたような気もするけど、
最近全然行ってないなみたいなところとか、
自然とどこで触れてましたっけみたいな。
自然と触れる。
わざわざ機械を作らなきゃ、
行けなくなったとか触れられなくなった気はしますね。
そうなんですよ。
キャンプ一つとっても昔は結構めんどくさかったけど、
今は全部揃った状態で行けたりとかするから便利なんだけど、
便利ゆえに失っているものもあるなって思ったりするんですよね。
だから、
そういう意味だと10年後も忘れたくない的なところでいくと、
僕は手書き。
手で書くことみたいな。
なんとなく今の僕の感覚でいくと、
例えば会社で会議とかしてても、
手でメモを書いていくんですよ、ボールペンで。
安いボールペンで。
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で、
議事録を書くわけではないんだけど、
人が言った話をしたことを書いていくわけですよ。
筑豪録的にピューって横に書いていくもんじゃなくて、
人が言ったところのポイントを丸で書いたりとか、
×で書いたりとか、
何気とない繋がりを線で引いていたりとか、
つまんない話をしているときは落書きしていたりとかするんですけど、
その時の感覚が、
僕の手書きの感覚が、
その時の感覚が結局いいな、みたいなところがあって、
それを後でもう一度見直すと、
またちょっとその時のリアル感が戻ってくるみたいな。
すごい非効率的なことをしているんだけど、
僕にとってはその感覚は大切みたいなところがあったりしますね。
なんか議事録とかすごいPCのほうが取りやすいんですよね。
うん。
議事録とかすごいPCのほうが取りやすかったりしますけど、
手書きのメモだとデコボコが記録できるというか、
感情だとか、これ大事とかなんでしょう、
波のようなものをちゃんと記録できるから、
私も結構メモしがちなんですけど、
それは捨てれなかったりしますし、
残したいなと思いますし。
そうなんですよ。
真由香さん、アナログ的なところで何か残したいみたいなのあります?
アナログ的なところで聞いてて思ったのは、
オンラインがすごい便利な時代になったけれども、
手紙しかり、対面で会うっていうのはやっぱり大事だなと思うので、
そこは残していきたいってちょっと違うのかもしれないんですけど、
そこはその時の、会った時の感覚っていうのは、
大事にしていきたいなっていうふうに思いました。
確かにね。
そうなんだよな。
10年後。
10年後に残したい。
10年後に残したい。
でもやっぱりその時の感覚みたいな、
最初に思ったことっていうのは、
大事にしていきたいのは変わらないのかなって思いました。
皆さんが聞いてても。
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やっぱり風化していくじゃないけど、
時間が重なることによって慣れていってしまう部分があるのは、
普通のことというか仕方ないことなんだろうなと思うし、
必要なことだと思うんですよね。
イライラすることとか忘れるのってある意味必要だと思うんです。
イライラにとどまっていたらよくないから、
やっぱり必要なんだけども、
ちょいちょいちょいちょいってかいつまんで、
残していけたらいいのかなと思いました。
なんか感覚みたいなのって残していけないのかなって話聞いて思ったりするんですけど、
感情とか感覚とか、
ちょっと振り返りたい。
写真を見ると、あの頃は若かったなぐらいの感情あるけれど、
その時自分がどういう気持ちで、
どういう思いで、
どういう心のきびで、
そこに取り組んでたかみたいな温度差加減で、
あの頃は暑かったよねみたいな、
暑かったよねの感覚をリアルでちょっと、
誰か感じさせてほしいみたいな。
なんかほんと難しいですよね。
写真1枚がこの平面では思い出せなくて、
きっともっと立体で、
前後もあるし、周りの人と描く割合もあるし、
それをどうやってとどめておけるんだろうか。
日記とか、いくら言葉で尽くしても、
そこの言葉に凝縮できている、
漏れちゃってるものがめっちゃあって。
そうなんです。
再現度で言うと、
まあわかんないです、何パーぐらいまで再現できるかわからないですけど、
楽になることはないじゃないですか。
なんかちょっと寂しい気もするんですよね。
例えば自分が14歳の時に、こういうこと考えてたなって思っていることも、
きっと10パーぐらいしか思い出せてないんですよ。
出来事とかは。
好きかどうかを置いておいて、バレンタインのチョコをもらった時の
自分のドキドキ感みたいなところは、
もう一回ちょっと知りたいなって今日思ったんですよね。
でもその感覚が、
すごくバクバクいってた感じはあったんだけど、
そのバクバク度合いがどんなもんだったかなみたいなのは忘れてるみたいな。
ね、何か留めておく方法とかあったのかな。
いやー、
なんか、
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そういうのでタイムマシンは欲しいなと思ったりしますけどね。
うん。
今になるって難しいですね。
難しいですね。
なんか進んでるようで、進んで何かを手に入れてるようで、
いろんなものを落として歩いてるだけだったりするんで。
うんうんうん。
そういう感じで、誰か僕の感情を思い出させてくれる。
あの時のね、ドキドキをね。
あの時のドキドキを思い出させてくれる機会を誰か作ってほしいなと思いましたね。
はい。
ということで、ちょうどお時間もちょうどいい頃なので、
今回は一旦この辺りで締めたいなという風に思います。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。