00:10
こんにちは、番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、あなたらしくいられるちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第176回、2024年2月のゲストは、シネマチック写真家の淺井走さんです。
淺井走さんのインタビューは、第175回から第178回の4回に分けてお届けします。
インタビューの2回目は、破天荒なお父様に受けた影響についてお話ししていただいています。
では早速、淺井走さんのお話をお聞きください。
その写真というのも、淺井さんのおじいさんが写真家だったんですよね。
そうなんですよ。父方のおじいちゃんが写真家だったんですよね。
で、お父様がデザイナーなんですよね。
デザイナーなんですよ。
淺井さんのプロフィールのところにも書いてありましたけど、淺井さんが小さい時にお父さんの影響で映画とか見た時に、アングルとかそういった、映画からいろんなことを教えてもらったっていう。
ところが今のシネマチック写真家にもつながってるのかもしれないですけど。
大きいと思いますね。
多分父親もおじいちゃんの影響でそういうのを見たりとか、っていうのがやっぱりノウハウというかスキルになってると思うんですけど、
僕は3歳の時にもおじいちゃんは亡くなっているので、僕がこうやって大人になって会話したことは、おじいちゃんに関してはないんですよ。
うちの父親はそういった影響で百貨店の観測部で販売促進部のデザイナーとしてやってたんですけど、何かと土日やっぱり映画に行くことが家族であって。
家族でね。
絶対映画が終わるとレビューをうちの父ちゃんはするんですよね。
家族の前で。
この映画の良かったとこはこういうとこなんだわなみたいな。
03:00
なるほどってなるわけじゃないですか。
上から目線になるかもしれないですけど、ずっと監督になりたかったらしくて、
俺が監督だったらここでこの時のこの表情を入れるなみたいな。
すごいね。
でもわかるわと。そうすると何かあそこのシーンが際立つなとかわかりやすいなっていうのを頭の中でイメージするんですよ。
さらにその映画を面白く見せようみたいな。
だけどやっぱり火の打ち所がない監督もいるじゃないですか。
これはすごいなっていうちゃんと評価のポイントを教えてくれるんで。
なるほどなーみたいな。
小さい時からそういうことがよくあったってことですもんね。
だからその時に言葉の話で僕が頭でUNOでイメージしてるのが絵になってるんですよね。
ですよね。
だからお父様の頃すごい今浅井さんのUNOを活性化させる教育になったんだなと思って。
そうだったんでしょうね。
教育って意識かどうかわかんないですけど、なんかそれが結果的に浅井さんのデザイン的なところの礎みたいになったのかなと思うんですけど。
そうですね。基盤になってるかもしれないですね。
だからなんかその父親が話してくれた内容が自然的に僕の頭の中に残ってイメージする力にもなってると思いますし。
あとは例えばそのイタリア映画の撮り方とか、アメリカ映画の撮り方とか、日本の映画の撮り方みたいな。
特性があるじゃないですか。
特にやっぱりうちの父親なんてマカロニウエスタンとかプリント・イスウッドとかの時代を見てると、やっぱり西部劇の描写ってすごい遠くに停電カメラがあって向こうにちっちゃい人が打ち合ってるみたいなシーンってあったりするんですよね。
それってアメリカ映画ならむちゃくちゃ寄るんですよ。
そうだね。
そこのやっぱり俳優たちの顔を交互に映して決闘シーンとかってあると思うんですけど、やっぱりその向こうで何が行われてんだろうみたいなのを想像させるような撮り方だったりっていうのが多分イタリア映画とかってあったりするじゃないですか。
それが北のタケシスタンの映画ってそういう撮り方が多いんですよね。
カメラが動いてるっていうよりは停電で人が動いてるとか、確かにと思った時に想像させる、全部を言わないこの撮り方ってすごい膨らむんだなと思った時に、ハリウッドみたいに全部が描写されてるのもスリリングで面白いんですけど、何やってんだろうって考えるような描写。
見せすぎない。
そうなんですよ。だからそれはすごい良い感覚だなってのがありますね。結構僕は人の背中を撮りたいんですよ。
背中ね。
背中ってやっぱり嘘つけないというか、その人がどう感じてるかってあるんですよね。
06:00
カッコつけようがないね。
そうなんですよ。
コントロールできないもんね。
歩き方とか背中とかを撮ると感じるものがあるというか。
七子さんの写真もこの前僕の知り合いの撮りましたけど、後ろ姿撮るんですよね。父親と娘とか。
見ました。そこから本当感じ取るものってありますね。
面と向かって撮るよって言うと構えるし作るし、それってもうただの記念写真になっちゃうんですよね。自然ではないというか。
面白いですね。
そうなんですよ。やっぱり構図だったりは映画から学んでる部分が大きいですね。
今ね、それはお父さんの影響だったと思うんですけど、お父さんなんか面白そうな人なんだと思って。動画も配信されたりとかされてたんだお父さんね。
めちゃくちゃ破天荒ですね。
反則部にいらっしゃったんでしょ?百科展の。破天荒の加減がどのくらいの破天荒なんですか?
いやもうバブルの時のしきってる人間だったんでとんでもないですよ。言えないことの方が多いぐらいです。
でもそれで僕育ってたからそれは普通だったんですよ。周りにいる人たちもすごい言葉では言いにくいんですけど、すごい人たちばっかでしたね。
ぶっ飛んでるっていう感じ?
ぶっ飛んでる。
だからアサヒさんの中では標準だったんですね。
そうなんですよ。それが標準だったから社会人になった時にはまらないんですよね。いろんなところが。
あーなるほどね。なんかアンモロモシオくらいやったらつまんないなって感じ?感覚として。
僕のスタンダードをそのまま通してしまうと、こいつおかしいんじゃねえかっていう評価になってしまうので、喧嘩になってしまうこともあるし。
すごいことなんですね。
そう言われるんですよ。大学生の時とか。目立っちゃうんですよね。それが普通だと思って。
だからそういうのをずっとやっていくとだんだん大人になっていくじゃないですか。20代超えて30代になって会社になっていくこともあったので、このままじゃいかんのよっていうのを。
ちょっと学んだんですか?
30代過ぎて気づきました。
結構ちょっと後ですね。
結構後でしたね。
そうなんですね。お父さんの影響っていうのからの底なんですか?
そうです。
お父さんも結構喧嘩早い感じ?
喧嘩ばっかですね。
そうなんだ。それが基準だとやっぱりそういうのかと思っちゃうってこと?
だからやっぱり当時ね、バブルの頃とか昭和の時代って血の怪我が多い人とか多いじゃないですか。すぐ殴り合うみたいな。
どうかな。私の場合はやまないかもしれないけど。
そうですね。うちの友達はすぐそうなるのかなってのもありますけど、しょっちゅう喧嘩してるのをしょっちゅう止めてましたね。
もうやめや。
それ別に家族じゃなくても、家族同士の喧嘩じゃない話ですか?
家族同士の喧嘩じゃない方が多いです。
09:02
他人の方と血の怪我が多い感じですかね。
自分の家族を馬鹿にされるとキレるとか。
そういうことね。
馬鹿にされるというか、昔あったのがバックトゥーザーフューチャーってのがあったじゃないですか。1984年くらい。
CMでドックが時計台から落ちるところのシーンが流れたときに、僕はそこのシーンだけがむちゃくちゃ残ってて。
当時だから僕は4歳か5歳ですね。84年か5歳くらいのときに、映画を見ながら。
その当時の映画館、もうタバコも吸っていいし、席なんて自由席で横に満席だったら立ってる時代じゃないですか。
そういう時代で喋っちゃいけないとか、最初の放映前に流れない時代ですよ。
そうですよね。今は流れますよね。
そう、今は流れますよね。
注意事項もね。
その時に僕は父は母に、時計のシーンどこなの、時計のシーンどこなの、ずっと聞いてたらしいんです。
見てなさいと。最後の方だから見てなさい、見てなさいっていうのをずっとやりとりしてたのが、
たぶん後ろの席の若いカップルかなんかが、もう鬱陶しかったんでしょうね。
なんなんこの子供よ、喋るわみたいな。
でもまあ子供あるあるって、確かに今の時代だったらそれは良くないと思うんですけど、
当時なんかそんなのもう日中茶飯事でね。
もう子供なんかも一緒におったで騒いでるような時代でしたから、そういう時だったんですけど。
で終わってからエレベーターで、うちの父ちゃんと僕とお母ちゃんと、で父ちゃんの友達もいましたね。
でまあその4人でエレベーターの時、やっぱもう満員でエレベーター1階に降りていくようなとこだったんですよ。
その時にたまたまそのカップルが後ろに追って、あからさまに僕ら家族に対して、
前のガキクソうるさかったよねみたいな。
なんなんあの親みたいな感じで言ったんですよ。
ただもううちの父ちゃんカチンって来て、もうエレベーターの中で喧嘩するわね。
いや僕が悪いんですよ。僕が悪いんですけど、今でも覚えてますもんね。
喧嘩でこのエレベーターがどんどんどん。
エレベーターの中ですよ。
別に口喧嘩じゃないんですね。
そのままで殴り合いですもんね。
でもう挟まれながら僕がこうやっていって、なんでこんな喧嘩しとるんだろうって思いながら。
わかんないよねだって仕事際だったら。
うちの父ちゃんの友達が止めるっていう。
だから喧嘩別にしてムカついたら行っていいでしょみたいな。
やっぱり状況になっちゃってるんですよ。
でもさそれは普通じゃないというか。
っていうのがだんだん30歳くらいになってわかってきて。
自分っていうのは我慢しないと大人っていけないんだなっていうのもだんだんわかってきたなって。
12:03
全然なんか今大まなイメージなんですけど私。
だから今昔のこと知ってる仲間たちはもっと走るらしくなったほうがいいんじゃない?今の時代みたいな。
えーもう無理でしょっていう感じですけどね。
殴り合いの喧嘩は良くないと思うんですけど。
もっと行っちゃえばいいじゃんっていう感じなんですね。
じゃあその昔からの仲間の人は。
もっと行っちゃえばっていうかその時の感覚って今の時代に持ってる人少ないと思うんですよ。
あー確かに確かに。
特に若い方はそんなイメージないですよね。
でもそれをやりた人も当時少なかったと思うんで。
うちの父ちゃんもぶっ飛んでたので周りが。
だからそれをやっぱ血を引いてるっていうのがあって。
それこそだから去年僕父親が亡くなった時に
うちの父ちゃんは最後の最後まで自分を貫いて死んでったなと思ったんですよ。
そうなんですね。
誰かに会わせるわけでもなく俺は俺みたいに死んでた時に
すごいことだなと思って。
いい部分だけを取ればいいんですよ。
その悪い部分はもう反面教師で。
だから言ってんすよ。
俺の悪いとこはお前が見て学んでいけりゃいいんだわと。
反面教師だわみたいな。
むちゃくちゃ都合いいんですよ。
それも言い切っちゃうのねお父さんね。
俺の悪いとこは別に学んでんでもええやんっていう感じなんで。
反面教師で学び。
だけどやっぱいかんことはいかんなっていうのは分かってきたんですけど
自分やっぱそこで制御しちゃうと
自分の性格自体も制御しちゃうんですよね。
昔はだからもう人のこと気にせずにカツカツ入ってくるんですよ。
だから言いたいことも言うし
これダメでしょって言っちゃうし
それがもう正当的な僕の意見だと思ってたんで。
でもやっぱ人の気持ちを組んで
言葉を選ばなきゃとかっていうのをだんだん分かってくると
言いたいことも言えなくなるし
ここは俺は我慢すればいいのかなとかっていう
大人になってくるというか。
ってなってきちゃうと自分が出せないんですよね。
いい意味でも悪い意味でも。
今自分は何割ぐらいの自分を出してるんですか?
ちなみに。
でも当時の僕からすると多分半分も出してないと思うんですよ。
その自分を柱さんはどう思ってるんですか?自分を。
出さなきゃと思ってます。
出さなきゃって思ってるんですか?
出さなきゃって思ってます。
出せてる?出さなきゃって思ったら出せてる?
いや出せてないですよ。
その今の気持ち悪いの?嫌なの?
いいのかなっていうクエスチョンですよね。
さっきの運動会の記録写真撮ってください。
僕は撮れないから断って終わりだと思うんですよ。
撮ることはできますけど
申し訳ないですけどちょっと難しいかもしれないですね。
っていう大人な断り方をすると思うんですよ。
でも多分出てる僕はそんな写真撮りたくないんですよ。
むしろ違う写真撮りますけど撮っていいですかみたいな。
15:00
っていうガツガツ言っちゃうんですよ。
こういう写真の方がいいじゃないですか。
こんな写真求めてないんですかみたいな。
で撮っちゃうと思うんですよね。
でもこんな写真じゃなかったクレームみたいな。
やるといやいやいやこれが俺だからみたいな。
そもそも俺に頼んだ時点で間違えちゃうみたいなのが
俺が俺がみたいなのがあるんですよ。
僕の中にも。
あるんだよね。
で今はそれ風に出さない自分がいるんだよね。
そう。封印しちゃったんですよね。
ずっと封印しちゃう?
それが通用する世界なのかはまだ僕の中ではまだわからないですね。
そうですか。
でもやっぱり憧れではありますね。それを出すのは。
だからやっぱり僕の好きなアーティストとか
やっぱり岡本太郎さんもそうですし
ジョン・レノンとかもそうですし
やっぱり自分を表現し続けて死んでったじゃないですか。
そこにお父さんも入りませんよ。
だからやっぱり父親が死んだ時にそれを思ったんですよね。
父親が死ぬ前までは何とか無難というか
クライアントが望む収められる仕事をしよう
そこの中にも尖りを持てようっていう仕事をしたんですけど
うちのお父ちゃんが死んでからは
俺を開放しなきゃいけないなと思ったのが写真だったんですよ。
これは昨年の2023年の3月21日にお父さんが亡くなられた後ってことですね。
そうです。その時にむちゃくちゃ考えたんですよね。
僕が例えば音楽をやってたり、それから料理をやってたりする時に
全部をやっぱり認めるんですよ。うちの父ちゃんって。
何をやっても。
だからまずいものはまずいです。
いや、これはまずいな。もっと深みが欲しい。
っていうのをダイレクトに言います。
ちゃんとアドバイスとか感想を言ってきて。
だから別にそこに忖度はないんで。
まずいものはまずい。悪いものは悪い。
だけどいいものはいい。
っていうそこで僕の起源を伺う。
顔色を伺っていいって判断をしてる人じゃないので。
だから本当にいいって言われた時はいいものなんですよね。
さっきの映画と同じで。
それを僕がジャッジしてくるんですよ。
これどう思う?普通の写真なら。
これは別に誰でも撮れるし、レンズがいいんだけど。
だからそこがなんなんと思う時もありますよ。
俺だって頑張ってこういう勉強して撮っとんだり。
っていう時もありますけど。
でもそれがリアルなんですよね。
だけどこの写真はいいなと。
コンクール出してもこれはいい写真と一緒に。
いけるぞみたいな写真を褒めてくれたり。
っていうのがこういう写真がいいんだ。
こういう写真は良くないんだ。
これは綺麗だけど良くないんだ。
この写真はピンとずれてるけど良いんだ。
みたいなのが分かってくるんですよね。
それは父ちゃん基準ですけど。
でも死んだ時にそれを言ってくれる人って
父親しかいないんじゃないかと思ったんですよね。
やっぱり僕に気に入られようと思えば僕を褒めるじゃないですか。
あさひさんいい写真ですね。
18:01
だけど僕のことをいいと思ってない人って
僕の前では言わないと思うんですよ。
いい写真ですねって言うけど
いやいや普通の写真だったねみたいな。
心で思ってたり裏で言ったりとか。
そういった時に本当の評価って見えないちゃうと。
それが多分人間のコミュニケーションなんですよね。
そのダイレクトに投げてくれる
唯一の人がいなくなったって
なんてことだって思ったんですよ僕。
その感覚ってどうですか?
もうなんかこうぼっかり穴が空いたっていう感じ?
僕は恵まれたのは
父ちゃんが死ぬ前にそれをもう多大にもらってたんで。
いわゆる幼少期から
これはいい、これは悪いっていう評価をもらってたから
それはだから僕の中でぼっかり空くというか
その先の行進がないって感じですね。
今後ね。
今後。何がいいか悪いかはもう自分で考えてやるしかない
っていうところに行ったっていう感じですね。
ここらへん本当に評価の話になる。
私最近本当に思うんですけど
他人の評価ほど曖昧なものはないなって思うんですよ。
その中で自分がどんだけ自分信じてやり切るか
やり続けるかなんじゃないかなと思ったりとか。
めちゃくちゃそうなんですよ。
岡本太郎さんは誰かに評価されたくて絵描いてるわけじゃなくて
描きたいもの描いてるし
プリテイから描いてるわけじゃないんですよ。
でもそれってアートでそういうことですよね。
写真もそうだし音楽もそうだし。
売れるための音楽作ろうと思ったら
トップになっちゃうんですよ。
そうですね。
だけど俺はこの音楽が好きだってやってる人たちって
売れないかもしれない。
だけどむちゃくちゃ響く歌だったりギターだったり
音楽を奏でるじゃないですか。
それがロックっていうか
音がうるさくてロックのジャンルだからロックじゃなくて
それがもうロックだと思うんですよね。
そうですね。生き様っていうね。
だからジャズだろうがブルースだろうがカントリーだろうが
音楽だろうがそれこそスポーツだろうが
ロックに生きてる人間ってロックなんですよ。
そうですよね。ロックに生きたいんじゃないですか。
ロックに生きたいですね。
だからそう言われるんですよ。そうなんですね。
いやいやもうね。
兄ちゃんロックしようぜって言われるんですよ。
昔みたいに今の時代にそれいいんかな
もう僕も家族を持ってる父親だしとかっていうのが
やっぱり響いちゃうとロックしきれてないっていうのが
今かもしれないですね。
でもそれが父親の死があって
やっぱそれがどんどんどんどん溶けてきてるというか
弾けていかんとかなっていうのが
たぶん元々の自分が膨れ上がってるんですよ。
自分ではわかってるんですよね。
わかってるんです。
自分が一番わかってるんですよね。
世間がこうやって抑えようとしてる。
でも自分は弾けたいと思ってるっていう
今すごい葛藤で表現してる時期ではあるのかなと思うんですね。
21:02
言っちゃえばいいんじゃない?
言っちゃいますよ。
時代っていうか逆にこっからの時代の方が
たぶんいけるんじゃないかなと思うんですけど
そうですね。
もう本当に個人の時代って言うじゃないですか。
2曲か2曲かとか言ってますけど
本当に個人の時代なんで
どんだけ自分を表現できるかにかかってるんじゃないかなと思うから
だから何がいいかとかはもういいんですよ。
きっとそこはそうなんですよね。
本当にさっき言ったように
人の評価なんて曖昧なものがほんとないな自分から。
誰かがいいから何やってるかじゃなくて
うちの父親もそうですし
岡本さんもそうですしっていうのは
たぶん人の評価じゃなくて
自分がどう生きたかを貫いた人がかっこいいんですよね。
だから僕も最近は
人がどうこうっていうのは
社会人ですし
お金を稼がなきゃいけないっていう仕事もあるので
それは大事だと思います。
食べていくにはね、今の時代でまだね。
自分の表現の全然関係ないところでは
ありだなっていうのはやっぱりあるんで
そこのバランスですね
ウェイトバランスを
どっちに肘を置いて
どうやっていくかが
僕の今後かなとは思います。
突き抜けていくでしょ。
突き抜けますね。
だってDNAがDNAだから
そうですね。
いや面白いんじゃない?
こっからまた再走る。
今後。
飛びたいですよね。
そのね、いろんなね
先ほどもイタリアの話とか
音楽の話とかちょこちょこ出てきてますけど
20代、音楽活動もしてて
それ並行して飲食店も経営されてたってことですか?
一番最初は元々音楽がずっと好きで
ビートルが大好きで
アサイハシルさんにご登場していただきました。
次回も引き続き
アサイハシルさんに
音楽活動をしてきた20代のことや
起業して感じていることなどについて
お話していただきます。
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は
Podcast音声アプリのフォローボタンを
ポチッと押していただくと
更新されたものがスムーズに聞けますので
番組登録をよろしくお願いします。
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの
提供でお送りしました。
それでは次回もお楽しみに。
伊藤恵子でした。