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2022-07-17 22:40

第94回「音楽という形ないものを伝えることの面白さ」音楽空間ond°(オンド)オーナー:甲斐明俊さん(中編1)

▶︎2022年7月のマンスリーゲスト

(第93回〜第96回までの全4回)

音楽空間ond°(オンド)のオーナー

甲斐明俊さん

▶︎今回の内容(目次)

導かれるように独立へ

相方さんと結婚

商いをする中で自分と向き合った

音楽という形ないものを

     伝えることの面白さ

人の体温を伝える

  「ond°(オンド)」立ち上げ

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◉音楽空間ond°ホームページ

http://ond-o.com/

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Instagram『建築士 伊藤由美子のCozy Space』

https://www.instagram.com/yumiko.ito_cozyspace/

▶今回のちょっとだけ詳しい内容はこちら

◉伊藤由美子ホームページ『Yumiko’Room』

https://yumiko0321.com/2832/

00:18
建築士伊藤由美子のCozy Space第94回、2022年7月のゲストは、音楽空間ONDOのオーナー、貝昭俊さんです。
音楽空間ONDOは、様々な楽器を習える音楽教室や、楽器販売、レンタルスペース、カフェ、音楽企画イベントなども行っています。
今回は、音楽空間ONDOの立ち上げの頃のお話をしていただいています。では早速、貝昭俊さんのお話をお聞きください。
こんなに人がいろんな国の人と喋れるってもうないよなぁと思って、帰ってきて、帰ってきた時に、わりとすぐまた行けそうな気がするんだけど、なかなかやっぱりね。
そういうのでするんかね。
それでじゃあどうしようかっていうのが、わりと前もいっぱい使ったシンボルで、音響の仕事でもしようかなと思って、それでまた勘めて、場所が見つかったらとか思ってたんですね。
今のONDOの空間のビルを持っているオーナー、社長が、大谷さんがエスセラーを持っていて、隣の工場の仙台の社長なんですよね。
それも前の野良楽器園があって、いろいろギター買ってもらったりとかしてたんですよ。
お客さんだったんですか?
お客さんだった。ご自身でもイベントをやったりしてる人で、呼んでもらったりしてたんですけど、帰ってきた時にいろんな人に連絡した中にその社長さんもいて、
一番最初に電話がかかってきたんですよ。帰ってきたか、これからどうするの、みたいな。ちょっとまだはっきり決まってないけど、自分のお店をしたいと思って、
ちょっとじゃあ美味しいもの食べたい、日本の美味しいもの食べたいでしょって、で、天ぷら食べについて、それで話して、自分の体験期とかあるね、
やりたいこともちょっとなんとなく話したんだけど、ちょっとじゃあ帰りに、まだ時間ある?って連れてきてもらった学校なんですけど、この学校で。
その場所は今のイスラムが買い取る前の会社が寮付きで建てたところで、
社員寮なんですね。
社員寮として建てたけど、今買ったイスラムは社員寮はいらないけど、ついてきたから。
どうしようかなって思って。
持て余してたんだって。
こういうとこあるんだけど、もちろん自分で借金もしないといけないし、その金保証人にはなるけど、家賃ももらうし、ちゃんとそれはビジネスだから、
03:05
良かったらここで使ってみない?って言われたのがきっかけだった。
そうなんですね。急にふって湧いてきた話だったんですね。
本当にそうそう。
その話聞いた時どう思いました?
えーみたいな。いいんですか?って。
どうしようかなって思ってた感じの時に、ポンと来たってことですね。
そうですね。
いいんですか?だったんですね。
えーって思って、帰って会い方に、当時まだ彼女だったんだけど、そんな上手い話あるわけないって。
最初から騙されてるような感じだったんです?奥さんに会った時。
そんな人おらんって言って、一回ちょっと会ってみようかなって。
会ったら会って、ここも見れまして。
でも本気だねみたいな。
確認してみたから本気だったねって。
それから、上の部屋を見たら個室だし、これはもう教室だなって思って。
社員寮で一個一個が個室だから。
メインは自分、やっぱり販売とか楽器を扱いたいなと思ってたから。
楽器を売るスペースとか、楽器販売。
その下のカフェになってるところが、当時多分食堂だったんですけど、キッチンだけはあって、カウンターもないし、
天井も事務所みたいな10トンっていうね。
そうですね、社員寮ですからね。
このままだと音も出す人もあるだろうし。
当時はロックとか割と爆音系の音が好きだったので、
割と周りにもそういう人が多かったんです。
防音をするかどうかとか言って防音屋さんにも見積もってもらった。
3000万とか見積もりが来るんですよ。
無理だなって。3000万だと壁が厚くなって狭くなって、
で、結局キャンバーも。
ちっちゃくちゃいのに3000万買って。
そうなんですよ。
だから、無理だなと思って。
でも、じゃあ逆にこのままでやれる音楽も。
その前に別にカフェにするっていう発想すら当時はなかった。
なかったんですか。
相方も別に、最初は手伝うとかそんな発想もないので、自分が商売なんて。
言ってたんだけど、相方の友達と相方がどっかのカフェに行ったっていうかな。
で、そのカフェっていうのいいよ、あのスペースでどう?みたいな。
そういう話になったみたいで。
会社に実はこんな話になったけど、カフェにするのかどうか。
カフェ、ええ?みたいな。
その時はピンとこなかったけど。
カフェだったら私なんかちょっとやるよとか言って。
で、あの場所のイラストパート、イラストレーターですね。
イラストパートを描いたら、こういうイメージだったらなんかいいねみたいな。
おしゃれなイメージで。
なんかその、今は奥様ですけど、当時は彼女だったイラストレーターの彼女が
06:02
ちょっと描いたものがちょっとこう、イメージが膨らんだとするんですね。
すごいね、ここにカウンターがあって、ピアノ置いてみたいな。
結構でもその絵を見て、なんか手伝ってくれるようだった。
今でも友達だったりね、人もいるし。
フェスラブの仙台の親さんにも結構援護をいただいたりして、
こういう人と繋がっておくといいよとか言って。
オープンする前も、だからちょっと別のとこ借り切ってイベントやったりとかもしたんですね。
そうやって名前をちょっと打っといた方がいいよとか。
なんだかんだここをじゃあやろうかってなって、DIYをして。
自分たちでちょっと作るので。
反DIYかな。床を張ってもらったりとかはやってもらったんですけど、
天井を解体はしてもらったんだけど、あとアスベストが出てきたから。
そうですか。
当時大問題になって。
そうですよね。
これどうする?隠す?どうする?って言って。
そんなアイディアもなかなかない。
でもちょうどその時にちょっと見に来てくれた設計師さんの人が、
うちこういうOSBっていう合板があって、そこにオイル塗って貼ってるんだけど、
そういうのを貼ってみたらどう?と。
そういうのがあるんだって。
それでもうなんかよくわからんまま天井を貼ったんですか?
そうそう、自分たちで。
本当に?
自分たちで数を発注して。
発注したんですか?
そう、発注しました。
発注というか、一応近くのホリオブッサンというところでお願いして。
いろいろこういうメッセージが出てきますけど。
そうそう。で、お願いして注文したりとか、
本当にいろんな人に手伝ってもらって、何とかオープンにこぎつけたんですね。
それが2006年ですかね。
2006年12月です。
今から16年近くぐらい?
そうそうそう。16年目ですね。去年が15周年だったので。
そうなんですね。
カフェも、ライブカフェと音楽教室と楽器販売、リペアもするということで。
その当時、今もあんまりないイメージあるけど、その当時結構珍しくないですか?
カフェと楽器店みたいな、最初はね、そんな感じで。
いろいろ記事も載せてもらったり。
当時は結構カフェは毎日稼働してたので、
そのままやろうって一緒に言ってくれた女の子はまだオープニングスタッフでいろいろね、
勤めてくれてて。
それから割と音楽教室も始まったり、先生もいろいろ縁があって、
ここで教えてもらうようになったりして、
ここでライブできますか?とか言って。
当時は毎週末ライブやったりして。
09:00
あ、そうなんですか。
それはジャンル問わず?
問わずですね。でも結構ジャズ系とかの人が多かったですよね。
相方もジャズの歌を歌ってたんで。
え、あ、そうなんですか。
まだ僕が初め前とかは、結構ジャズライブとかで歌ってました。
そういう活動もされてたんですか。イラストレーターやりながら。
当時は多分イラストよりも歌の方が多いぐらいだった。
え、そうなんですか。どっちが本業か分かんないぐらい。
そういうことは言われてたけど。
え、今歌われることあるんですか?
歌えますよ。歌えますけど。
でも今はやっぱりまた冬さんで、イラストの仕事もすごく増えてきたんで。
結構だから話はちょっと変わるけど、
イラストの仕事って結構大きな高島屋とかそっちに大きな案件が多くて。
あ、そうなんです。
高島屋のデカい。
え、看板みたいなの?
そうそう。看板というかイベントのバレンタインとかの。
あー、なんて使うの?
そうそう。
大きな。
タペストリー。
タペストリーみたいなやつのデザインとかされてたとか。
そうそう。イラスト入ったり雑誌とかの写真とか。
そうなんですね。
やってましたね。
結構お忙しいですよね、それ。
当時はそういう形で。
当時はわりとインスタグラムとかを見て、
そっちからずっとこういうお店をオープンしたいですとかいう方からの依頼とか名刺とかね。
で、やってますよね。
え、いつ結婚されたんです?
結婚はオープンしてから1年くらいしてから。
あ、そうなんですね。
だからまだオープンしたときはまだ。
結婚されたんですか?
そうそう結婚されたんです。
一緒にやってくれるパートナーも。
でも本当考えたら僕はわりと力技だった気がする。
え、そうなんですか。
勢いで。
勢いで巻き込んでしまったんじゃないかなっていう気はするんだけど。
あ、そうですか。
奥さんに聞かれたことあります?
その当時のことを聞き返すってことなかなかないかなって。
いやいや、だからやっぱりそういうことはオープンで。
なんかお店を別にやりたいわけじゃなかったっていうか。
やっぱり何だかんだずっと続けてると、そういうぶつかり合いもなる。
それはそうですね。いろんなことありますよね。
でももちろん今になってやってきてよかったねっていう風にはなってる。
でも僕もだから当時20代後半。
ここは落としたのが29か30か。30になる手前くらいなんですね。
その時に結局商売として初めてじゃないですか。
そうなんですよ。
なんか不安とかそういう気持ちってあんまりなかったんですか?
不安よりは自分は楽しみとか。
やっぱり初めてからこれしんどいなっていうことはやっぱりありますけどね。
12:01
でも分かってたことですし。
何だろう、いけないことっていうか自分の失敗も、もちろん成功もしたこともあるんだけど
失敗したこともやっぱり自分の尻は自分で脱ぐじゃないけど
それって会社だとなかなかそういうわけじゃないですか。
やっぱり自分のミスは上の人がやってもらったりっていうこともあるし。
自分はちょっと責任が薄かったと思うんで。
会社にですか?
会社に。本当に薄かったと思う。
どうです?オーナーになったと。
それは鍛えられるというか、やっぱりそうじゃないといけないなという風にはなってきましたね。
意識が。
ところどころで顔を出す自分の甘い部分とか。
今でもあるんだろうけど。
やっぱりそれは十五の年齢してきて
自分の空間というか名前を貼ってやるっていうことの意味っていうのは
身をもって分かってくるというか。
そうですよね。
全部自分にかかってきますもんね。
言い訳聞かないですもんね。
何か起こったとしても。
言い訳する癖があったのが
亡くなったとか、ちょっといかなかったとか
そういう風になるようになって
経験から学んできたというかね。
多分そういう風になりたかったですね。自分が。
もともとはそれを求めていた自分がいたかもしれないですよね。
強くなりたいとか。
あと新しい価値観を自分の中で吸収したいっていうのは
本当に自分がオーナーとしてやると
全てが吸収じゃないですか。
新しいことばっかりで。
そういったことがもともと
どっちかっていうと
そういう環境が好きだっていうことは
結果苦しいことはきっとあったんでしょうけど
ちょっと面白さでもあったときもあるのかな
いくつかだからやっぱり面白いことを
作ってこれたかなっていう
そういう実感はあるんですね。
もちろん失敗の方が多いんですけど
そもそも音楽っていうのは
形のないものを売るっていう
楽器だけは別ですけどね。
だから販売っていうものよりも
やっぱりこうやって
ソフトな部分を伝えたりとか
そこで喜んでもらうっていう方が
自分は嬉しいっていうか
喜びを感じるっていうのに気づいてきた。
例えば私に今ギターを教えてくれるようなこととか
そうそうそうそう
最初は自分も別に講師としてっていうよりは
先生は別でちゃんとやってもらって
15:00
自分は下で販売したりとか
下のイベントだったりとか
あとたまにイベントの音響したりとか
だったんだけど
それがちょっとずつ
自分が教えた方が
うまく伝えれるんじゃないかなっていう場面があったり
納得してもらえることがあって
それでいいのかな
先生やってもいいのかなっていう風に思ったりもして
自分で教えた人たちが発表会に出たりとか
活躍していくというか
そういうのを見ていくと
こんなに嬉しいものだなっていう
そうなんですね
そこに気づいたんですね
自分の仕事としての喜びっていうところが
喜んでもらえることに気づいた
なんか合ってるんだと
自分の中で求めてたものっていう
そうそうそうそう
そういう感じで
オープンが2006年だとしたら
どのぐらい後の話なんです?
それははっきりとは分からないですけど
最初は違うお店の名前だったんです
個人事業だったんです
今の温度は株式会社にしたんですけど
その名前も変えて
当時ミュージックスペースK-ONっていう名前の
楽器屋さん、音楽教室
それとカフェコモードっていうカフェの
2つの名前でやってて
ちょっと統一性がないというか
のも感じてたし
ちょっとなんかもう1回
そこで7年目、8年目ぐらいだったかな
ちょっと変化を起こしたいな
ちょっとその時思ってたんですよ
2014年ですかね
そうそうそう
やっぱりなんか
もうちょっとちゃんとした仕事を
取れたらいいなとか
ちょっとその時思ったんですよ
それもまた漠然なんですよ
でもふと思ったんですよね
そう思ったんですよね
今普通に言われてるけど
ブランディングっていうことを
概念でやって
ブランディングね
今は割とそうですけど
当時言ってもあんまり周りの人も
ピンと来ない
ブランディングをすることで
もっとお店の名前とか
価値が広がるんじゃないか
それをやってることって音楽なんだけど
教室だったりライブだったり
音楽ギャンバリーとか
でもこれを一言で表す
ものが何だろう
っていう
それを一言で表せたらきっと
なんかもっとこういうことやってますって
言いやすいんじゃないかな
と思って
それで知り合いのデザイナーさんに
相談して
ロゴを作ってくれた人なんですけど
いろいろその中でプレゼンテーションだったり
ヒアリングがありますよね
やっぱり
アイさんが言ったことはきっと
人の態度を伝える仕事だから
ってことでオンドになったんですよね
そういうことなんですか
そうそう
オンドっていいねって
18:01
今オンドって
聞いてらっしゃる方だと
ちょっと言葉がわかんないかもしれないけど
アルファベットで小文字で
ONDで
丸がつくんですよね
それでオンドって
体温の方の
温度に欠けてるんですか
そうそう
いろいろやっぱりその辺って
デザイナーさん上手で
自分で自らが
オンドを取って
こういう音楽シーンを
引っ張っていくとか
そういう
意味合いもあったりするし
穴がち
そのオンドを取るの
短拳とかの
温度と
あんまり
重なってるところもある
このONDって
書いて小文字で
ちっちゃい丸がつくじゃないですか
それは僕がつけたんです
最初はONDだけだったんですけど
ローマ人にして
Oをつけるのはあれだし
でもなんかもう一つ
欲しいなって思う
普通オンドって
Cを入れるとちょっと邪魔だし
パッとロゴのイメージした時に
丸って本当は角度だけど
温かみをちょっと
くれないですか
言ってみると
いいですね
そのロゴもちょっと
音符っぽい
そうですね
私も初めて
今回ONDさんの
いつもパソコンとかで
打つじゃないですか
じゃなくて
手書きで書いてもらうと
なんか
音符っぽいなと思ったんですよね
ちょっとそう
ハム・ユア・ライブ
人生を口ずさもう
コピーがついてる
自分で考えて
鼻歌を歌うように
音楽を
生活の中に
芽吹くくらいまで
楽しんでもらったらいい
そんな形で楽しんでもらえるような
役割になれたらいいな
そこでもう一回
思い直したというか
そのイメージをもう一回注入した
ちょうどそれと
カフェのスタッフの方
子供を
作ったりとか
お子さんも
持ちたいとか
いろいろあったりして
カフェという形もどうかな
そもそもこういう場所なんで
あんまり一元さんが来る場所じゃない
この場所なんでって
わかんないかもしれないけど
どっちかというと
駅の近くって言われたら
全然近くじゃないし
工場の裏の
通り過ぎちゃう
知る人が知るみたいな感じ
逆に言うと
目的がある人が来る
場所なんで
音楽教室もやっぱり
決まった時間になると
21:01
来るということだし
イベントやれば
発表会やれば
その時間にまとめてバーっと
普段は静かな感じですけど
もうちょっと空間開放しても
いいんじゃないかなとか
その時に思うようになって
今のオープンスペース
の形で
写真撮影で使いたいという方も
いたりとか
そうなんですね
下のカフェのスペースは
レンタルスペースとして
使っている
今はそうですね
今は割とそんな感じで
今年の1月にも
成人式で借りて
そろそろ借り切ってくれたり
成人式の二次会か
そうなんですね
持ち込みだったらプラスいくらで
持ち込み自由ですよみたいな
そうなんですね
茅木敏さんにご登場していただきました
次回は
音楽療法との出会いや
レッスンで大切にしていることなどを
お話ししていただきます
音楽空間オンドのホームページは
詳細に掲載しておきますので
見てみてくださいね
この番組をまた
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スムーズに聞けますので
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次回もお楽しみに
伊藤衛美子でした
22:40

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