家族の転職物語
育休中自分アップデートチャンネル。このチャンネルは、国家公務員不器用な年子ママの私が、40歳を前に安定思考を手放し、自分のありたい姿を思い描く中で、自然体な新しい自分で人生を切り開いていく過程をお届けします。
みなさんこんにちは。今ね、子供2人がちょっとようやく昼寝してくれたので、収録ボタンを押しました。
今日はですね、私たち公務員夫婦のですね、転職移住物語のサイドストーリー的なところのちょっと話をしたいかなと思います。
父にね、移住とか転職をちょっと反対されているって話をですね、前回からしているんですけども、今日もね、ちょっと午前中に父親が来て、相変わらず心配だっていう話をですね、ひたすらずっとされていたんですけども、その中で結構今日は深い話になって、
その時に5年半ほど前に母がね、病気で亡くなったんですけども、それで父はまあ今ね、一人で自分もがんになって、仕事しながらね、糖尿生活と本当に大変な思いで、今はだいぶ落ち着いては来ているんですけども、仕事もね、激減してしまって、一人で結構つらい状況でね、暮らしているっていう現状なんですけども、
母の話を2人でしていて、母がね、もし生きてたら、この今回の私たちがね、転職移住したいって言ってるのって、なんて言うかなーっていう話をしてたんですけども、父も母もね、基本的に安定志向で、保守的な方なので、絶対反対されたやろうなーっていうのは思います。
でも最終的には、でも長野県に旅行行けるなーとか、母はいいそうやなーっていう話をしていて、で、ちょっと今回のね、転職移住の話って、どういう流れでそういう風なことを私たちが決断したかみたいなのも父に話していて、
流れ的には、夫もね、転職したい、移住したいみたいなのはずっと言ってはいたんですけど、でもやっぱり子供2人生まれて、家も買って、結構フィックス状態だったので、具体的にどうこうっていうのはなかったんですけども、お互いにね、行く気を取っている間に、移住の体験施設とか行ってみて、
でも仕事かなーってなった時に、私がこれいいんじゃないかっていうね、求人会社を見つけてきて、で、それを夫にお勧めしてみたいな流れで、で、まあ夫も初めそれ見た時に、すごい良い、そこで働きたいとは言ったものの、でもやっぱりさすがにそれにすぐ飛びつくことはなかったんですよね。
でも私が結構、私がどっちかというとノリノリって、おせおせ状態だったんですよね。で、夫もどんどんノリノリになってきてっていう感じで、結構私発信というか、私はあんまり止めてないというか、むしろゴーゴーゴーっていう感じの姿勢だったので、その辺のことを父に話したら、父の中でもちょっと風に落ちた部分があったみたいで、旦那さんが言い出したのかと思ってたけども、
さすがにこんな、いろいろ固定された状態で、年収が半分になるようなところに行くぞっていう感じではないんだと、むしろ私がゴーゴーだったことを聞いてですね、ちょっと安心じゃないけど、そういうことかって風に落ちたみたいで、
その話の中で、母のことをちょっと思い出したみたいで、ちょっと母と私ってちょっと似てるところがあるかもしれないなという話で、うちの父親ももともと銀行員してたんですけども、子どもが生まれてからですね、やっぱり銀行員は自分のやりたいことではないということで、
ろくすっぽですね、母に相談することもなく、結婚する時はいつか銀行員を辞めようと思ってるって言ってたみたいなんですけど、お見合いで結婚したんですけど、でもそんなんね、冗談だと思ってたんですよ、うちの母は。
だけども、母にね、相談もせずに父親は銀行員をですね、30半ばぐらい、30ちょいすぎぐらいか、で辞めてきたんですよ。
で、資格取得の勉強をして、7年受からなかったんですけど、途中でね合格して、7年目に合格して、自営業で2人でね、稼いできたんですよ、稼いでる人生だったんですよ、お金を。
で、その時に辞めてきた時にね、普通の奥さんだったら、そんな重大なことね、相談もせずにね、旦那さんが決めてきたらもうブチ切れると思うんですよ。
だけど、うちの母は父のその性格を知ってるっていうのもあって、止めても無駄っていうのを分かっていたというのもあったと思うんですけど、本当に何にも言わなかったらしいです。
怒るでもなく、泣くでもなく、お父さんがしたいようにしたらって言ったらしくて。
母との類似点
でもなんか、若い時は苦労してお金がなくてもいいけど、でも老後は裕福にしてねって言われたみたいなことを言ってて。
で、父は母のその言葉を受けて、老後を裕福にするためにと思って、必死で2人でお金を貯めて自営業でそれなりに成功してですね。
最後は母が病気になって自分も病気になってしまって、仕事は上手くいかなくなってしまったんですけど、今は細々と暮らしているという状態で。
その話を聞いた時に、私と母って似てる部分があったんだなと思って、嬉しくなりました。
やっぱり身近な人が落ち込んでいたりとか、身近な人が仕事を面白くないと思って生き生きしていない表情をしているとか、
なんかそういうのがストリングスパイナーでも強化性が高いので、私は母もそういうタイプだったのかなって思って。
振り返れば、私が失礼した時とか、一緒に暮らしていた時は、母は別に私に何か声をかけるではないけども、
私が落ち込んでいるのを顔の表情とか声のトーンとかで察知して、
直接的な声かけはないけど、ちょっと楽しい話をしてくれたりとか、すごく気を配ってくれた人だったなと思ったので、
母も父がいやいや働く姿を見たくないって思っただろうし、
私も本当に一番身近な配偶者には生き生きと仕事してほしいなっていう思いがあったので、
今回、転職をサポートしようと思ってやっているんですけど、
そういう亡くなった母の遺伝子が私の中にもあるのかなって、
自分の中の人には幸せでいてほしいという思いと、応援したいなという思いが自分にはあるのかなっていうことを思いました。
そうですね。すいません。
ということで、今日はですね、転職の移住物語のサイドストーリーということで、
私はちょっと母と似ているところがあったのかなと思って、嬉しくなって収録をしてみました。
今日も聞いていただいてありがとうございました。またね。