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2020-11-04 12:30

#84 親から見た「息子たちの尊敬している性質」

息子のこういうところを尊敬している、伸ばしてあげたい、という話をしました。

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おはようございます、ゼロトピックです。
今日のテーマが、子供の尊敬するところ。
自分の子供ですね。自分の息子が2人いるんですけど、
その子供たち2人それぞれに自分と違った特性があって、
それぞれに対して結構尊敬の気持ちを抱くことが多いんですけど、
それについて話したいなと思います。
そもそも、親が子供を尊敬するのってどうなの?みたいなのはある気がするんですけど、
僕が青春時代というか学生時代とかによく聞いていた、
いろんなバンドとかラッパーとかがいて、
Riseっていうバンドのジェシーっていうスタンドマンがいるんですけど、
彼のお父さんがチャーっていう超有名な、
日本で一番有名と言っても過言ではないギタリストなんですよね。
息子は親と比べられたくないからラッパーになったみたいな。
ラッパーというかその後ミクチャーロックバンドとしてRiseっていうのを結成して、
すごい活躍してるんですけど、
ジェシーとチャーが対談してるみたいな動画が昔見たことがあって、
それこそ学生時代とかに。
その時にジェシーは親父に対して結構いろんなジェラスとかを持ってるんですけど、
親父はジェシーに対して一定認めつつも、
明確に自分とは違う道を歩んだこととか、
自分にできないことをやったってことに対して、
すごいリスペクトしてるみたいなことを言ってて、
すごいかっこいいなと思いつつ、
あんまそういう関係って見ないよなって思ってたんですよね。
それが自分が親になって、
特に子供って小さい頃あまりコミュニケーション取れないですけど、
3歳とか4歳とかそのぐらいになってくると、
はっきり言って自分の言葉を話すようになってくるんですよね。
コミュニケーションの幅が多様になってくる。
初めはスキンシップとか、笑ってるかな怒ってるかなとか、
そのぐらいの表情を見たりとか、
こちらが組み取るコミュニケーションが多いんですけど、
途中からインタラクションがすごい増えてきて、
表現の幅がぐっと広がるんですよね。
その表現の幅がぐっと広がったタイミングから、
この子は自分にはないものを思ってるとか、
もちろん僕が得意だけど、
彼は苦手なこととかもあったりするんですけど、
そうじゃない。
自分、親である自分ができなくて、
彼ができることっていうものを、
すごく個人的には色濃く見つけるようになって、
そういうものを伸ばしてあげたいなっていうふうに思うんですよね。
それが親の役割なのかなとかも最近は思い始めてます。
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うちは6歳の息子と3歳の息子、男の子2人いて、
2人とも基本的に男の子なんですよね。
やんちゃな部分はあるし、みたいなところはあるんですけど、
2人とも同じ親から生まれてて、
同じ家で同じ飯食って育ってるのに、
自我を発言させた瞬間から全く個性が違ってて、
それも面白いんですよね。
お兄ちゃんの方は、ものすごい色んなことに気を配れるんですよね。
これ僕ができないことで、
僕は1個とか2個とか今の自分の頭の中にあるものしか
考えられなかったり、目がやれなかったり、
逆にそうじゃない時というか、
そうじゃなくてこれに気を配ろうと思った時には
それにしか気を配れなくて、
それ以外のものに対して
意識を割くこと自体が難しいっていう特性があります。
それ自体は若干人間生活をやっていくには、
社会生活をやっていくには使用を来すものでもあるんですけど、
他方で集中の深さみたいなのもあるかなと思ってました。
長男の方は気が配れて深いんですよね。
これすごいなと思ってて、
例えば親が嫌な気持ちをしたよって彼に伝えると、
ちゃんとごめんなさいもできるし、
あるいは僕が嫌な思いをしたっていうのを
彼に伝える前に彼から
今やってしまったんだなみたいなことを
コミュニケーションされることもあったりします。
あとすげえ全然細かいんですけど、
道歩いてるとトカゲ見つけてきたりとか
虫見つけてきたりとか、捕まえちゃったりとか、
人が気づけないものに気づくっていう能力がすごい高いんですよね。
僕と妻とかが子どもたちに心配かけないように、
今ちょっと体調が悪いみたいな話を後ろでしてるときも、
聞こえてないんですけど、
寝る前にお母さん大丈夫?って言って背中さすったりしてるんですよね。
その超能力に見えちゃうんですけど、
人のちょっとした変化とかをちゃんとかぎ取ったり、
環境の自分の身の周りに起きている変化をちゃんとかぎ取って、
それに対して何らかのアクションをしようとか、
自分ができることをしようっていう、
そういうサポーティブな姿勢を見せられるっていうのは、
自分には全然ない、本当に素晴らしい能力だなと思って、
ものすごい尊敬してますね。
むしろこういうものを、僕はそうじゃないから、
僕はそうじゃなくて、そうじゃないこともしょうがないというか、
ある種それでいいこともあると思ってるんで、
あえてというか、今から自分が息子長男のように、
たくさんの気づきを得られるような人間にはなれないと思ってるんで、
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ある種捨てている部分なんですけど、
じゃあそれを子どもにも捨てさせるかっていうと、やっぱりそんなことはないし、
見つけてあげた特徴というか特性みたいなものは、
しっかり大人になっても誰かに対して発揮できてあげられるように、
目をつまないように育ててあげられるといいなとか思ったりします。
他方でゲームっ子で、コロナの影響をもって家で過ごす時間が増えて、
僕は仕事しながらと対応できないので、
スイッチを買ったんですよね、任天堂スイッチ。
いろんなゲームをやらせてみてるんですけど、
ゲームとかプログラミングもやってるんですけど、
すごい集中力でやるんですね。
それこそ本当そういうときは音も聞こえないぐらい、
こっちが話しかけても何も反応ないぐらいものすごい強いフォーカスを持ってて、
その2つが1人の人間に共存しているってものすごいことじゃないですかね。
なので、長男に対しては周りに気を配れるとか、
ちゃんと気づきを持って環境と接することができるっていう、
そういう柔軟なところと、
またすごいスコープの強さみたいな、フォーカスの強さみたいなものは
しっかり伸ばしてあげるといいなと思うつつ、
僕にはないレベルのものなので、すごいリスペクトしてます。
もう1人、次男がすごいやんちゃな、本当にやんちゃなやつで、
この子は生まれて3ヶ月で頭蓋骨早期予防症だったかなっていうちょっと長い名前の、
すごいレアな病気があるっていうのを発覚して、
1歳になった直後に大きい手術をしてるんですよね。
全身麻酔で頭蓋骨を頭を割って取り出して、それを分割してもう1回入れるっていう。
どういう病気かというと、頭蓋骨が脳のサイズに対して動かなくなっちゃって、
このまま行くと確実に脳に障害が出ちゃうっていうそういう病気で、
そんなに多くなくて何千人とか1万人1人って言われてるんですけど、
それを発症していたこともあって、その大きい手術をやって、
現在はリハビリというか、ちゃんと経過も良好という、そんな状態で。
そういう大きいことをやったからなのか分からないんですけど、
自我がものすごい強くて、例えば起きた瞬間に、
ユーマって言うんですけど、ユーマくんチョコパンみたいな。
自分が食べたいものとかをはっきりと言って、それ以外のものを一切受け付けないみたいな。
自分を押し通す能力が腸内よりはるかに高いんですよね。
僕よりも強くて。
多分そこは自分も似てる部分があると思うんですけど、
想像を絶するくらい強いんですよね。
動かないといったら動かないし、
自分にとって嫌なことがあったら、
泣いてでも怒ってでも、あらゆる手段を使ってその場から動かないとか。
自分、3歳なんですけど、もう自分があるんですよね。
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私はこうしたいとか、こうあるべきだと思ってるとか、
今の彼にとっての理想の状態っていうのが常にあって、
それとの乖離を見つけては文句を言うみたいな。
こんな言うんだ、みたいな。
腸内を育てた時はそういうことが全くなかったので、
結構びっくりしてるんですけど、
彼のそれも、ひっくり返すとすげえいいことだと思うし、
レアだと思うんですよね。
貴重度が高いというか、
誰の血を受け継いでそれが発現したのか全然わからないですけど、
ものすごい自分が強いってことは、
僕自身もいいことだと思ってるので、
彼に対しても、もちろん周りと調和しないとかできないということで、
苦しむことがあるんですよね。
それは僕もそうなので。
その生きづらさみたいなのを何とかうまく中和してあげるような
武器とか環境みたいなものをちゃんと用意してあげたり、
彼が自分で作れるようにしてあげて、
その上で自分はこうありたいとか、こうしたいとか、
今は何がしたいんだっていうその意思をちゃんと実現したり貫けたり、
そういうことができるような強みをちゃんと育ててあげられるといいなと思うし、
現時点でそういうものを持っていることっていうのは、
すごく尊敬すべき部分だなと思って見ています。
というので、3歳だけでも人間なんですよね。
当然お兄ちゃんもそうなんですけど。
だからそういうことって、子供を育てたことがない、経験がないときって、
親が何かをしたからそういう子供になったんだみたいな、
肯定的な環境によって人間の特性がもたらされる部分が
往々にして多いんじゃないかなっていうふうに思っていたし、
そう思っている方も多いんじゃないかなと思うんですけど、
やっぱり事実はそうではなくて、
生まれたときから彼も彼も、
もうすでに彼ら個人としての人間としての特性みたいなのを
すごい強く発言してるんですよね。
だから我々親ができるのって、それを変にねじ曲げたりせずに、
いいこととか、あと今後人間なんで社会の中で生きていく上で、
最低限自分のビハインドになる部分はどうやって補ってあげるかとか、
逆に強みになっていく部分はどうやったらうまく発揮できるようになるかって、
その2つをうまくサポートしてあげるというか、
サポートできる部分はあんまりないですよね。
どうせ置かれた環境によってどういう使い方をするかを身につけていくのは
自分自身なので。
だから潰さに観察して潰れないようにするとか、
天井が作られないようにするとか、
そういうことなのかなって思ってます。
本当にできるとしたら、例えば学校入っていじめられたら
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ととと行かなくていいよって言ってあげるとか、転校しちゃうとか、
そういう逃げの選択肢もちゃんと残してあげるぐらいなのかなって今は思ってますね。
ちょっと短いし、すごいプライベートな話なんですけど、
僕は子供を尊敬してるよっていう話でした。
もし感想あれば、ハッシュタグゼロトピーでください。
それでは。
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