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2020-08-12 23:27

第188回 大石良氏(株式会社サーバーワークス代表取締役社長)【前編】

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今回は株式会社サーバーワークスの大石良社長にお越しいただきました。

幼少期からコンピューターに触れ、ゲームの作成などを通してプログラミングを学ぶ。
2000年に前身となる会社を創業し、2002年に社名をサーバーワークスに変更。2019年3月にマザーズ上場しました。クラウドの先駆者的存在として、経営者の視点からクラウドを語る貴重な存在として注目を集めている大石良社長のお話しから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社サーバーワークス代表取締役社長の大石良社長様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1973年、新潟市生まれ、東北大学経済学部を卒業後、
マズンマイビー株式会社でISP事業に従事。
2000年に同社を設立し、2009年からAWS専業のクラウドインテグレーターとして事業を展開。
自らがクラウドの先駆的ユーザーとして、経営者視点からクラウドのメリット・デメリットを語る貴重な存在として注目を浴びていらっしゃいます。
2019年3月には、東証マザーズに上場しております上場企業の社長様でいらっしゃいます。
大石社長様、本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問なんですが、新潟ご出身ということで、小学校・中学校時代の思い出なんていうのはございませんでしょうか。
そうですね、実はこの後の起業の話ともつながるんですけども、
私はちょっと変わった環境に生まれ育ってまして、自分の父親も祖父もですね、親戚一同みんな自分で会社やってたんですよ。
なので、小中学校の頃ですね、あんまりこう自分の父親とかとですね、遊んだっていう記憶は実はあんまりないんですけども、
でも、そばでですね、そうやって起業して悪戦苦闘している父親を見てたので、
自分はですね、なんとなくやっぱりこういう道歩むんだろうなというようなですね、そんな思いはずっと子供の時は持ってましたね。
新潟市内でみなさん授業をやってらっしゃる感じなんですか。
そうですね、みんな新潟でやってました。
大石社長、お次になろうとかは考えられなかったんですか。
そうですね、父親は望んでたみたいですけども、
ただですね、やっぱり私、子供の時からコンピューターにずっと携わってたというかですね、
ちょうど私がファミコン世代だったんですけども、父親がですね、ファミコン買ってくれなかったんですよ。
ゲームやりたければ自分で作れっていうような、そういう教育方針なんですかね。
それでファミコンとか買ってくれない代わりに、かなり早いタイミングでパソコン買ってくれたんですね。
それで自分でプログラミングとかですね、ゲーム作ったりとか、
あと世の中に出てるゲームの、パクリじゃないんですけども、
似たようなゲームを自分で作るというようなことをやってたので、
それがきっかけになってコンピューターの道に進んでいったというような子供時代を過ごしてました。
パソコンを買われたのは小学校の時ですか。
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そうですね。確か小学校5年生の時だったと思うんですけども。
そうするとその頃だとNECの98とか88とか、あの辺とか。
そうですね。一番最初に買ったのはシャープのX1っていう、当時テレビパソコンって言われてたんですけども、
新潟にほとんど売ってなかったので、わざわざ父親と二人でですね、東京まで出てきて、
秋葉原でそのパソコンを買ってですね、届けてもらったっていうそんな記憶がありますね。
周りにはパソコンを持っていらっしゃる方なんていらっしゃらなかったんじゃないですか。
そうですね。近くに8801持ってる人がいたんですけども、
あと運がいいことにですね、たまたま家の近くに当時マイコンショップって呼ばれてたんですけども、
中高生がたまり場になるようなですね、コンピューターが並んでて、
みんなでコンピューターゲームを打ち込んで遊ぶみたいなですね、そういうショップもあったりして。
なので、比較的情報交換とかはやりやすかった環境でしたね。
それは中学時代もそのものついついパソコンばっかり触っているような少年時代でいらっしゃったんでしょうか。
そうですね。一応部活はやってたんですけども、
部活の仲間ともそういうゲーム作ったりとか、お互いのゲームを作って遊び合いっこしたりとかですね、
そういうちょっと変わった、周りから見るとオタッキーなことをやってるなというような目で見られてたんですけども、
そんなことは実はやってましたね。
なるほど。高校も新潟の方の高校でいらっしゃいますか。
そうですね。新潟高校という。
高校時代の思い出というのは何かございますでしょうか。
そうですね。高校時代は部活に明け暮れてたんですけども、
これも変わった部活やってましてフェンシングやってたんですね。
たまたま私の中学時代のですね、生徒会の先輩の方がフェンシング部に先に入ってらっしゃってて、
私がたまたま入学式のその日とかだと思うんですけども、
体育館のところを歩いてたら先輩に呼び止められて、
お前うち部員少ないから入れみたいな感じで、
全くイメージしてなかったんですけども、
無理やり入れさせられたというのが実はきっかけなんですけども、
それともフェンシング時代は非常に面白くて、
高校3年間結構みっちりやってましたね。
そうですか。私の息子もフェンシングやってました。
本当ですか。
高校からですね。
でももちろん大学では辞めてますけども、
それも人数少ないから入ったみたいな感じでしたけども。
フェンシングとしては本当に面白いですし、
今日本はかなり強いので、
オリンピックが今流れちゃいましたけど、
もしオリンピックがあったら結構メダルが期待された種目の一つみたいですね。
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そうですね。団体は金か銀かって言われてましたし、
太田選手が銀を取っているので、
大変いい競技だと思いますけども。
大学は東北大学にお住みとのことなんですが、
東北大学で選ばれた理由って何かございましたでしょうか。
これは一言で言うと、
親孝行ぐらいしようかなと思って、
母親がですね、ずっと東北大学に行きたかったらしいんですけども、
ちょっと経済的な理由とかもあって、
東北大学に行けなかったということを子供の時から聞かされてまして、
じゃあ大学の進路ぐらいですね、
母親が叶えられなかった夢叶えようかというので、
東北大学一本で受験してました。
それで受かられるというのは相当勉強ができられたということだと思うんですけども。
この後の事業展開とか私の性格とも関わるんですけど、
大学受験って皆さんたくさん受けるから難しく感じられると思うんですけど、
私の場合一本に絞ってたんで、
例えば傾向とか対策とかですね、点数の取り方とか、
みんなそこに特化してやってたので、
非常に効率よく受験勉強を進められたんじゃないかなというふうに今でも思いますね。
でも東北大学って言ってももちろん東北で国立大学でナンバーワンの大学ですし、
相当勉強をできたしされたんじゃないかなと思うんですが、
勉強の方はいかがだったんですか?
そんなに出来がいい学生じゃなかったと思うんですけども、
ただ高校3年生の夏近くまで部活やってましたんで、
やっぱり人よりスタートは遅かったんですね。
遅かったので一番最初に勉強をこれから始めるぞという前に何をやったかというと、
勉強の仕方を勉強したんですよ。
どういうふうに勉強すると一番効率よく自分に身につくのかとか、
大学受験に求められているものは何かとかですね、
そういうことを徹底的に学んだんですね。
それで効率の良い勉強の仕方というのをまずインプットして、
あとはそれに従って淡々とやっていったというそんな感じですね。
今のお話聞いていても大石社長さんは非常に論理的でいらっしゃいまして、
さすがやっぱり上々企業の社長さんだし、
IT企業の社長さんだなと感じさせていただくんですけども、
大学時代はどんなことをして過ごしたなんていう記憶でございますでしょうか?
大学時代は打ち込んだのが3つあるんですけども、
一つがスキーのサークルに入っていたので、
冬はスキーをやっていたというのと、
あとですね、オールシーズンを通じて、
系音楽部に入っていたんですね。
子供の時からピアノをずっとやっていたので、
キーボードを弾く人ってやっぱり大学のバンドとかで結構少ないので、
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調報がられまして、いろんなバンドから呼びがかかって、
いろんなバンド掛け持ちするという渡りのキーボーディストみたいなことをやっていたんですね。
あともう一つがパソコンでして、
特に大学生になってからパソコン通信というのが始まりまして、
電話回線で、今でいうインターネットみたいなものはないので、
仙台市内の当時BBSと呼んでいたんですけども、
仙台市内のあるセンターに電話をして、
そうするとそのコンピューターが繋がってですね、
そこで仙台市の人たちとコミュニケーションするみたいな、
そんなものをはまってですね、
この3つかなりのめり込んでやってましたね。
小学校時代からずっとパソコンはずっとやっていらっしゃる感じのイメージに近いんでしょうかね。
そうですね、好きか嫌いかで言ったら圧倒的に好きですね。
この後も出てくるんです、ガジェット好きとか出てくるのでですね、
ずっとパソコンとかそういうのが本当にお好きでいらっしゃるんだなという感じでございます。
ありがとうございます。
その後大手商社のマルベニに御就職ということで、
マルベニを選ばれた理由は何かございましたでしょうか。
たまたま入れたところがそこだったっていうのが大きいんですけども、
でもITの会社に入るか全然違うところに入るかって、
選択はそれは自分の中でもあったんですけども、
コンピューターのことが好きでコンピューターの会社やろうっていうのは
かなり中学高校生ぐらいの時になんとなくイメージがあったので、
逆にですね、就職で相手の会社に入っちゃうと、
自分自身が完全にエンジニアで閉じてしまうって言いますか、
やっぱり視野が狭くなっちゃうんだろうなというそういうイメージはありまして、
どちらかというと真逆の視野広く持てそうなところに入ろうということで、
勝者を選択させていただきました。
なるほど。丸べに放入になってISP需要ということは、
結局はコンピューター関係ということになりますよね。
そうですね。ただ自分がエンジニアとして手を動かしたりする
っていう立場ではなかったので、営業とか企画とかもやらさせていただいたので、
技術はもともと自分で好きでやってたので、
そうじゃないところを学ばせていただいたという意味では、
本当に運が良かったなというふうに思います。
なるほど。丸べにいらっしゃったのは13年ぐらいでいらっしゃいますか。
いたのは結局5年弱なんですね。
そうなんですね。
16年に入社して、2000年の12月に。
じゃあ5年ぐらいでいらっしゃいましたね。
5年というのはちょっと早いかなというふうに私は思うんですけど、
何か独立するにわたってのきっかけみたいなのはあられたんでしょうか。
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はい。ちょうど私が96年に入って、
95年から丸べにいがISP事業を始めるというので、
その事業に携わらせていただいたんですけども、
2000年にその事業を切り離すと、別なところに売るという判断になって、
入社からちょうど5年近くやってた業務が一区切りつくということがわかったのが一つと、
あと2000年ってちょうどITバブルが崩壊したときだったんですよ。
その前に99年とか98年ぐらいに起業してる人って、
どっちかというと一攫千金みたいな、
そういう感じの方がすごく多かったんですけども、
私は子供のときからコンピューター好きで、
本当にこのコンピューターをうまく使ってビジネスにしたいと思ってたので、
そういう人たちと一緒になるのはちょっとモヤっとするなというイメージがあったんですね。
それが2000年にネットバブルが崩壊して、
本当に実力ある人しか残れないようなそういう環境になったので、
これ幸いといいますか、タイミングがいいなということで2000年に働きましたという流れになります。
マルベニューの上司の方々はご反対とかはなかったんでしょうか?
本当に上司の方とか応援してくださる方がすごく多くてですね、
独立した後もやっぱり最初の仕事とかですね、
結構マルベニュー関係の元上司の方とか先輩の方とかですね、
そういった方が結構仕事を出したりして支援してくださったので、
そういう意味では本当に周りの方に恵まれたなというふうに今でも感謝しています。
一番最初の事業は今のAWSではなくてサーバーの事業ではあったんですか?
実は立ち上げの時は全然違うeコマースの事業だったんですよ。
当時99年とか2000年の時ってですね、
eコマースとしてはもう楽天さんもあったんですけども、
楽天さんで商品を一つ出すのもですね、
最初に年間の買い費60万ぐらい払って、
それでやっと商品が出せるっていう、
そういうような格大計だったんですね。
もっとそのeコマース民主化した方がいいだろうという思いでですね、
無料でスタートできる、その代わり手数料でチャージしますという、
そういうモデルでかつですね、
いろんな田中さんが同じ商品出してきた時は、
自動的に安い商品が上に表示されるっていうですね、
価格コムの機能みたいなものをセットにしてですね、
売り手も買い手もみんな集まりやすいというプラットフォームを立ち上げようというのでスタートしたんですね。
コンセプト自体は結構良かったなと思うんですけど、
逆にですね、このモデルって事業者側に元出が必要なビジネスなんですよね。
2000年、先ほど申した通りちょうどネットバブルが崩壊してしまって、
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資金集めがですね、99年ぐらいからその資金集めみたいなことちょっと動き始めてたんですけども、
99年ぐらいの時はみんな良いね良いね出すよっていう感じだったんですけど、
バブル崩壊してからですね、出すって人がもう全くいなくなってしまって、
それでEコマンスでスタートはしたんだけども、
ちょっと事業としては早々にうまくいかなくなったっていうのが実は本当のところです。
今のお話を聞いていると、それこそ今風に言うとユニコーン企業に慣れたぐらいの事業なんじゃないかというご説明でいらっしゃったんですけども、
100億ぐらいもしかしたら集められたんじゃないかななんてですね、
時期が時期があったらですね、そんな感じぐらい。
今風と言いますか、素晴らしい感じなんですけど、やっぱりその当時はそんなに資金は集められなかったものですか?
集められなかったですね。2000年の8月ぐらいからですね、資金集め始め動き出してたんですけども、
2月の時にはもうだいぶリーマン職級とは言わないですけども、
かなり資金は悪くなってまして、ベンチャーに出すのはないねみたいな感じに急になってましたね。
今はEコマンスのその事業はもうやめられてらっしゃる感じですか?
Eコマンスの事業、2001年ぐらいにダメだという風になったんですけど、
2002年ぐらいにですね、携帯向けに転換してですね、当時携帯って3キャリアあって、
それぞれコンテンツのフォーマットとか、iモード、Jスカイウェブ、EasyWebで全部フォーマット違ったんですね。
この携帯向けに転換して、携帯アットっていう名前で売り出したんですけども、
これはまあまあ売れたんですよ。特に売れたのは実は大学さんに売れまして、
大学さんがですね、ちょうどオープンキャンパスというのを始めた時で、
そのオープンキャンパスをやるためのですね、高校生に告知するためのツールとしてですね、
この携帯アットというのが結構売れたんですけども、流れとしてはですね、
これを売ってくれた代理店さんが、大石さん実はね、大学さんってこのオープンキャンパスだけじゃなくて、
大学の合格不合格の案内も携帯でやってほしいっていうニーズがあるらしいよということを教えてくれてですね、
じゃあそれだったら一緒にやってみましょうというので、大学の合格不合格のビジネスっていうのは始めたんですね。
これが2004年ぐらいなんですけども、これもですね、そこそこ順調にいってたんですけども、
ただ大学の合格発表ってですね、2月の特定の日の朝10時から10、15分だけサーバーが200台ぐらい必要で、
あとは全然必要ないっていうですね、極端なアクセスの増減があるんですよね。
この問題を何とか解決できないかということを探ってたらですね、
どうもAmazonが仮想のコンピューターをネット越しで1時間10円で貸してくるらしいということを
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2007年にですね、うちのエンジニアが突き止めて、で触ってみたらなんだこれすごいぞということで、
自分たちで使ってみてですね、その使った結果も良かったので、これは本格的に売り物にしようということになったのが2008年と。
そこからAWS専業に転換していったというこんな流れになります。
なるほど。じゃあ創業の時からはずいぶん事業が横にずれていっていると言いますか。
そうですね。
変化していってらっしゃるわけですね。
経営者を応援する。社長の孤独力番外編。
本日の社長の孤独力番外編は8章4項。
崩壊性によって仕事がなくなってしまった。崩壊性は予測可能。だから事前に手を打っておけということでございます。
皆様法律というのはよくご存知だという方も非常に多いかと思いますが、
法律は必ずいわゆる国会とかで決まり、
そしてそれから6ヶ月後に施行されるという手順に必ずなっています。
これ日本国だけ、言い方としてはちょっとだけと思っていただいた方がよろしいんじゃないかと。
というのはこの3ヶ月、6ヶ月、9ヶ月、12ヶ月というのは各国で微妙に違います。
もっと言うと中国あたりは決まった瞬間から施行というパターンがあります。
他の国だと、もっと言うとさかのぼって、本当は訴求しちゃいけないなんてあるんですが、
さかのぼってでも法律を適合させる国もたまにはあります。ほとんどないですけども。
たまに中国なんかそういうことやってくる時がありますけども、
それぐらいでございますので、そういう意味でいきますと、
日本国の場合はということになりますが、必ず決まってから6ヶ月後が施行、
その代わり訴求、さかのぼってその法律を適用させるということはないというのがこの法律でございます。
よって法律だけは予測ができるわけですね。
もしくは決まってから6ヶ月間は猶予があると。
そういうふうに考えていきますと、必ず予測可能です。
ですので法改正によって仕事がなくなってしまってどうしようというのは、
逆に情報収集不足なのでそれは経営者としてはまずいんじゃないかな。
私は経営とは情報が命ということでいろんなことをお話をしてますけども、
やっぱり情報がきちんと入ったら、支給でその対策を打って準備をする。
6ヶ月もあればだいたいほとんどのことは対策打てるんじゃないかと思いますし、
場合によっては6ヶ月より前から日経新聞がこういうふうに国会で変えようとしてるよ、
みたいなことをよく言うわけですよね。
今この収録2020年の7月に収録してますが、この時点ですと、
例えば取締会議料の印鑑なしにしようみたいなのが日経新聞に出るわけです。
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実際にはそこから多分何年かかると思いますが、その後施行される。
だからその情報を得てると、じゃあ反抗ってどうなっていくんだろうみたいな情報をずっと追いかけていくと、
もちろん東京証券取引所でも印鑑はメールベースでもいいみたいなことになる可能性もあるわけですね。
そういう情報をきちっとつかんでいくことが一番重要だし、
この情報をつかんでおくと、例えば介護なんかは国からいただけるお金がだんだん下がってるわけですが、
それも十分予測できるので、
じゃあその下がった状態でもちゃんと収益が保てるようにするにはどうすればいいかという対策も打てるはずだと思います。
そういうことを考えて、やっぱり情報が命ということで情報収集をしていただくことは大変大切だなというふうに思います。
ぜひしっかり情報収集のほうをお願いします。
本日の社長の孤独力番外編はここまで。また来週。
本日も社長に聞くinwithweedをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもwithweedが運営するウェブサイト、keynoteでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトのほうにもさせていただいています。
是非、ネット検索でkeynote space 社長インタビューと入力いただき、
keynoteのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くinwithではここまで。また来週。
23:27

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