00:06
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、MRT株式会社代表取締役社長 小川智也様でいらっしゃいます。
まずは経歴の方をご紹介させていただきます。
山田関十二病院入職、その後大阪国立千里救命救急センター入職、
その後国立病院機構大阪医療センター救命救急センター入職、
その後MRT株式会社に御入社され、取締役執行役員を下さっていらっしゃいます。
その後ウエルズ大学の経営大学のMBAを取得され、MRTの取締役副社長になられ、
そして現在代表取締役社長に御就任されています小川社長様でいらっしゃいます。
2014年には当初を待たずに上場されていらっしゃいます。
本日はよろしくお願い申し上げます。
まず最初のご質問なんですが、御出身はどちらでいらっしゃいますか?
県の鈴鹿市というところで、本当に鈴鹿サーキットってレースが盛んな場所なんですけども、
本当に都会と違って良い意味で地方の風が吹いているようなところです。
なるほど。じゃあ小学校中学校の鈴鹿。
そうですね。
小学校時代はどんなお子さんでしたか?
小学校の時はバスケットボールをやってたりとかして、本当にクラブ活動に出身でいたんですけども、
そういった流れで中高もそんな感じのふわっとした生活を送っていたかなというふうな感じです。
じゃあ運動士というのにスポーツの前傾みたいな感じでいらっしゃいますか?
そうですね。あとはですね、実は小学校の頃からボーイスカウトってあるんですけども、
そういった活動に参加していまして、本当に休みになると山だ海だみたいな感じで
キャンプに行ったりとかというふうな活動をずっと続けていました。
じゃあ今の小学校からすると逆で活発な男の子という感じですか?
そうですね。なので本当に医学部に行っていてというと、
小学校の頃から塾が良いです、ずっと勉強していたというふうに思われるんですけども、
全く逆で、もう外にいて遊んでいるというふうな活動的な生活が主でした。
なるほど。その後中学も鈴鹿、中学時代はどんな思いがございますか?
中学校はやはりバスケットボールで本当にクラブに入っていまして、
もうなんか部活に明け暮れていったような印象しかないですね。
なるほど。で、高校は三重県内ですか?
三重県内です。
高校時代はどんなことをしていましたか?
高校時代はボイスカートの流れで、本当は高校受験とか大学受験とかがあるので、
本当はしっかりと勉強するというふうなことが主だったんですけども、
全くボイスカートの流れでいろんなところに出かけていくとか、
あとはほぼほぼですね、本当に小学校から仲良かったメンバーがいろんな高校に行っていましたので、
そのメンバーと集まっていろいろちょっと夜な夜な遊んで遊ぶとかですね。
そういったことが楽しみの一つで、ずっと学生生活を楽しんでいました。
03:03
あんまり勉強はなさなかった?
してなかったですね。
そうですかね。ちょっと想像がつかないですけども。
大学はどちらに行ったんですか?
大学は大分のほうに行きました。
大分の医療系の大学?
はい。医学部のほうに行ったんですけども。
医学部に行くっていうのがお聞きになっているリスナーも、私なんかバカな社長のほうも、
医学部頭いいみたいなイメージなんですけど、
高校のときは逆に勉強しなくてもスッと行っちゃったとか?
全く逆でして、本当に私自身も全然新学校でもなければ、
塾でずっと成績優勝だとかいうわけでもなかったので、
そもそも高校終わったら大学行かずに就職しようと思ってました。
ですけれども、たまたまボーイスカートのつながりで世界大会がありまして、
高校3年生のときにアメリカにちょっと行く機会がありまして、
アメリカでホームステイをしたりとかしてたんですけども、
そこのホームステイ先のお父様がドクターで、
そして奥様がダンスの方だったんですけども、
そこでいろいろ人生とか、これからどういった人生を歩むべきなのかっていうことを
ずっと話したりして、いろんなことを考えさせられたんですけども、
そしてそこで医学を目指そうと決めて、高3の夏休み、
日本に帰ってきてから、突然医学を行こうというふうに決めて、
高校の先生にもちょっとお話をして、何言ってんだみたいな感じで、
そこから自分の受験勉強が始まったぐらいですね。
ご両親にはお医者さんがいらっしゃる?
いえ、違います。母親は看護師ですけども、もともと異型家庭でもないので、
全くそういったことは考えていなかったというのが正直です。
じゃあ割と珍しいパターンですね、サラリーマン家庭のお医者さん。
そうですね、はい。
何かご苦労とかその辺なかったんですか?
もう最初そんな感じで始まっちゃったので、
もうやっぱり高校の先生も何言ってんだみたいな感じですし、
もともと文系だったので、離点するにしても何から始めればいいか分かりませんし、
そもそもやっぱり学校で勉強する癖があまりついてなかったので、
そこからちょっと生活を改めたりとかというふうな形でしたね。
でもその離系に文系から変わっても医学部に向かっちゃったとか、
やっぱりもともとは頭がよろしかった?
いえいえ、もう浪人もしてますし、浪人でも本当に予備校入るときも
医学部進学コースなんかもう到底入れなかったので、
一番微力欠から始まってっていうような。
それでもうその時もうやっぱりベビーブームだったので、
やっぱり受験の人数が多かったんですね、私どもの時って。
なので、一点に笑って一点に泣くっていうふうな、
そういう世界でしたので、
やっぱり予備校入ってからでも、本当にもう成績優秀な方々と
一緒に勉強していかないと、それについていかないといけない
というところが非常にやっぱり、自分としては一番大変だったかなという時期です。
何か医学部からの秘訣みたいなのがあるんですか?
もう割り切りですね。割り切りと言いますか、
06:02
幸いにしてうちの両親も本当に医学部行くって決めたんだったら、
本当にそれを達成するまで頑張りなさいと、
もう何もとってやっぱり言わずに応援してくれましたので、
それが一番心強かったですね。
ですので、自分としてもやっぱり決めた以上は、
しっかりとそれを達成するまで頑張ろうというふうになりましたので、
もともとそんなに勉強が熱心というか、
そういった成績とかもあまり良くなかったんですけど、
その気持ちだけで乗り切ったというふうな感じです。
なるほど。ありがとうございます。
大学は、じゃあ医学部ということはやっぱり勉強づけというか、
そんな感じでしたか?
そうですね。もう大学に入ってからは、
私はやっぱりもう本当に成績優秀な方々と一緒に、
何とか入れたというふうな感じでしたので、
やっぱりすごく嬉しかったんですね。
でもそうは言っても、そこでここで気を抜いてしまうと、
自分としてはやっぱり追いついていけないだろうなというふうに思ってましたので、
やっぱり大学入ってからは真剣にちゃんと勉強しようと思って、
着実にテストも合格してというような形で頑張りました。
なるほど。専門はどの分野になるんですか?
専門は救命救急ですね。
一番ドラマにもなるし、一番大変な分野になっちゃいますよね。
何で救命救急になるんですか?
それが二つありまして、
実はもともと本当に広く医学を学びたいという気持ちがあったんですけども、
たまたま本当に臨床研修といいますか、大学病院で
到着の先生のもとについていろいろ学ぶという機会があったんですけども、
そこで例えば地味科とかがん科とか専門の先生がいらっしゃったんですが、
そこにお腹が痛い腹骨を訴えた患者様が運ばれてきたんですね。
そうすると、そこでその先生が自分の専門ではないから厳しいですというふうに
お断りする仕事を見て、僕の中では医者というものは広く何でも見れて、
専門ではないにしてもとりあえずの処置はできるとか、
そういったことができるものが当たり前というふうに思っていたんですけども、
そうじゃないんだということをすごく疑問を感じてですね。
そしたら、やっぱりどういった場所にあっても
本当に広く苦しんでいる方を助けられるものは何かと考えたら、
救命救急なのかなということがまず思いました。
もう一つは、やはりずっと高校とかも勉強しなくて、
成績もやっぱり劣等感がずっとあったんですね。
なので、やっぱりその成績一緒の頭がいい先生方が取り組まれているのではないかとか、
本当にずっとゆっくりゆっくり論に立てて考えて進まれるような診断学とかというふうにして、
学ばれる診療会議も1分1秒でパッパッパッと判断していって、
結論がパッと分かりやすいような救命救急のほうがすごく自分には合っているなと思いましたので、
もうそれを極めようというふうに思いました。
なるほど。一番最初は、大分の方の病院ですか、それと大阪の方の病院ですか?
09:01
それがですね、もともと出身が三重県ですので、
三重の病院の方で臨床研修を2年間過ごしました。
そこも救命?
そこはもう本当に広く、内科、血管、小児科とか脳下とか全部学ぶような形で学ばせていただきまして、
それから大阪の方の救命救急の専門のところに足を運んだという形です。
なるほど。その後、いくつかおっしゃられたんですが、
山田赤十字病院というのは大阪ですよね?
それが三重県ですね。
三重県ですね。その後、大阪の千里救命救急センターに行かれてらっしゃるんですが、
この時の思い出とかそういうのはあられますでしょうか?
この時は本当にやはり西の大阪、千里救命と言われるくらい、
一番救命救急が盛んなところでして、
その当時もドクターカーとか出動件数が日本一位みたいな感じの非常にアクティブな病院でしたので、
そこで本当に毎日ごとく生まれて、
そしてやっぱり三重県にいてはレベルが違うくらいの救命救急の世界を目当たりしまして、
やっぱり感じるもの、見るもの、聞くもの、本当に自らが判断しなければならないものというのは、
レベルがやっぱり違ったところが実感としてありました。
なるほど。その場の国立病院機構大阪医療センター、救命救急センターに移られたらしいんですが、
これが何かきっかけであって移られたんですか?
もともと私も救命救急の専門医を取得して、そこをある程度極みごと持っていましたので、
そのステップアップの一つとして、もともといた1200名の先生がご紹介いただきまして、
そちらの方に移らせていただきました。
こちらの方に大阪医療センターに行ったときの思い出は何でございますか?
やっぱりここも1200名とまた違うんですけれども、
一方で災害医療とか、今ではよくテレビなんかにニュースが出ていますがDMATとか、
ああいったところを積極的に取り組まれている病院でしたので、
救急医療、集中医療、災害医療ということに関しても非常に学ばせていただきましたので、
大変だったことは大変だったんですけれども、
そこはやはり今の経営に関しても非常に役立っているかなと思います。
もしそのまま救命救急に出しちゃったら、今収録しているのは2021年の10月に収録していますけれども、
コロナがやっと緊急事態宣言が明けたばかりぐらいのタイミングで収録しますが、
今年、去年ぐらいでコロナがまん延している時期だったら、ものすごい活躍されている分野ということですよね。
そうですね。本当に第一線の先生方たちにはもう頭が上がりませんので、
その中にどっぷり使っていったかと思います。
ありがとうございました。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはK様、東京都の方です。
12:00
はじめまして、東京都へのシステム開発用意となるKと申します。
本日は部下の昇進について相談したく思います。
弊社にいる入社4年目の社員のことです。
彼は能力があり見込みがあるのですが、道路からの評判があまり良くありません。
後輩の指導などできついものを言い押してしまうことが評判の良くない理由となります。
責任のある立場につければ人間的に成長してくれるのではないかと思います。
評判の良くない社員を責任を与えて良いものか悩んでおります。
部下の成長を期待して役職を与えるということをどうお考えでしょうか。
お答えいただければ幸いです。
弊社では期待人事をやっています。
課長や部長や係長を期待人でつけて、
ダメだとまた元に戻して、主任や平社員に戻して、
上がったり下がったりするようにしています。
なぜかというとやらせてみないと分からないのです。
やらせてみてダメで下げて、もう一回やらせてみると案外できるようになってたりするのです。
ですので立場を持たせるというのは一つあるのではないかと思います。
もう一つは、上げるときに必ずあなた誰々からこう思われて、
これは問題だから直してくださいと。
直してくれて役職を与えますが、
それが直っていないとすぐ下げますのでと言ってから上げたらどうでしょうか。
そうすると直してくださるかもしれません。
もちろん直らなかったら下げればいいのです。
それを何度か繰り返しているとやっと分かってくることがあるかもしれません。
そういう意味で期待人事というのをやってもいいのではないかと思います。
評判が良くないのはどっちの理由かというのも考えてみたほうがいいと思います。
もちろんその部下の方、入社4名の方に
もうちょっと良い指導をしろということを指導するのは大切だと思うんですが、
下の方の後輩の方の方が良くない時もありますので、
その辺はやらせてみてから考えるという、
役職を与えてから考える様子を見るでもいいんじゃないでしょうか。
下げることあるよと言って与えることが重要なんじゃないかと思います。
そういうのを何度かやることによって成長し、
結果的にすごく成果を上げているメンバーが弊社でもいます。
ですので期待人事で構わないですし、
もちろん期待人事をするということは、
実力がまだないけれどもこれから成長するであろうということで期待人事なので、
そのこともきちんと成長していってほしいと、
レベルを上げていってほしいということも伝えて、
期待人事をされるのはいかがでしょうか。
ぜひチャレンジしてみて、
そしてダメだったらまた下ろしてというのを繰り返すのもお勧めしたいと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。
また来週。
15:33
よろしくお願いします。
また来週。