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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社レアジョブ代表取締役社長 中村岳氏でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1980年生まれ、東京都出身、開成中、高校を得て東京大学、東京大学大学院へご入学されていらっしゃいます。
情報理工学部を専攻されていらっしゃいます。
その後、NTTドームに入社、そしてその後、2007年にレアジョブを共同創業されていらっしゃいます。
2015年に代表取締役社長に執行就任、2014年に東昌マザーズ上場、2020年東昌一部上場、
今現在の東昌プライム市場に指定会をされていらっしゃいます。
東昌一部上場企業の社長様でいらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
ご質問ですが、ご出身は東京ということで、東京のどちらだったのですか?
そうですね、生まれたのは三重県だったんですけれども、その後静岡に引っ越したりして、
4歳ぐらいから東京の津久島津久島のところの津久島島に住んでまして、
そこで6歳ぐらいまで住んでいて、また父親の転勤で、今度はエジプトの方に2年ほど住んでおりまして、
その後また戻ってきて、津久島にまた戻ってきて、15歳ぐらいまでそこにいて、
その後江戸川区の方に引っ越してみたいな感じですね。
なので東京が基本的にはもう半分以上は東京から来ているという感じですね。
なるほど、じゃあ津久島のリバーシティに住んでいましたか?
そうですね、あの辺に住んでいましたね。
まだ今はだいぶ発展していますけれども、当時30年以上前なので、
まだまだその高層ビル群ができる前というところから住んでいた感じですね。
でももうリバーシティはできていましたよね?
そうですね、ちょうどできたぐらいですね。1本目2本目ができたというぐらいですね。
多分ですね、私重なっています。私も津久島のリバーシティに住んでいましたので、
あそこですか?
かつスポーツクラブで、スーミングスクールで教えていましたから、
そうしたらすると小学校はあの辺ですか?
小学校は津久島小学校ですね。
完全にですね、同級生を教えている可能性があります、私。
本当ですか?僕もスイミングスクール、豊洲の方にあったスイミングスクールに通っていました。
私じゃあ教えているかもしれません。豊洲のドゥースポーツクラブに行って、
僕は週7日はスイミング院に育ったりやっていましたので。
本当ですか?じゃあひょっとしたら小学校1年ぐらいの時に通っていたかもしれないので。
本当に教えたかどうかを別として、かなり重なっている可能性があるので。
通っていましたね。
多分私一番嫌われているコーチだったので、ちょっと恥ずかしい感じでございますが、
そうでした、津久島でいらっしゃいました。ちょっと親近感が起きました。ありがとうございます。
小学校時代はどんな少年でいらっしゃったのでしょうか?
そうですね。小学校時代は物作りが好きな感じで、
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例えばなんですけれども、小学校4年生ぐらいの時に、
学校で中央区で発明工夫展というのがあって、
そういうのに応募したりしていて、何か作るのが好きだったので、
本当にくだらないものを作ったりしていて、
たまたま祖父母の家に行ったときにハエがいて、
ハエ叩きとかで叩いたりしていたのを、
これ自動でできたら面白いよねっていうところで、
じゃあ飛ばせるようにしたらいいんじゃないかっていう風に考えたりして、
たまたま竹があったので、竹にゴムとかを付けて飛ばせるようにして、
今はハエ叩きってほとんど見ないですけど、
ハエ叩きの叩く部分のところだけを切り取ってくっつけて飛ぶようにして、
ゴムで飛ばして打ち落とすみたいなものを作ったりして、
出してみるみたいな、大人だとほとんど考えないようなことを
考えたりしながら出していくっていうのは好きでしたね。
そうしたら家作とかがすごくくだらないものだったんですけども、
取れたりしたみたいな思いではありますね。
そういうときはもともと発想よく言う方がお子さんでいらっしゃった?
何か新しいこととか作ったりすることっていうのは好きでしたね。
なるほどね。
その後、中学が開成中学ですので大半頭がもうよろしいですけども、
開成中学を受験しようと思った理由なんて何かございましたか?
そうですね。小学校4年生ぐらいから塾に通い出したんですけれども、
塾に通い出して、塾が結構僕は楽しかったので、
特に算数とかが好きだったので、そこは得意だったんですけれども、
それで塾の中でやっていったら、ある程度の成績が取れていたっていうのもあって、
それでどこにの中学がいいのかなって考えていたときに、
いくつかある中で開成が面白そうだなというふうに考えたので、
そこに行こうというふうに決めていったっていう感じですね。
なんかすごい絶対ここじゃなきゃ嫌だみたいなところではなく、
なんとなくいろいろある中でここがいいんではないかなという直感も働いたという感じですね。
ある意味開成中学高校だと日本のトップの中高校だと思うんですけれども、
それぐらい成績もよろしかったということでありましたね。
そうですね。算数は得意だったので、
当時算数オリンピックというのがあったりしたので、
そこに塾の先生から出てみないかというふうに言われたりして、
出てみたりして上位のほうに入ったりとか、そういったこととかはあったりして、
算数が得意だと受験がかなり有利になるので、
それで比較的上のほうにはいけたという感じですね。
国語とか社会はそんなに得意じゃなかったですね。
そうですか。お話聞いて得意のレベルが違うかもしれませんけれども、
中学時代はどんなことをして過ごしたなと思うのではないでしょうか。
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そうですね。中学時代は部活に入っていて、
軟式野球部に入っていたんですね。
小学校の頃も少年野球をやったりしていたんですけれども、
野球が好きだったのでそのまま野球部に入って、
野球を続けていたという感じですね。
なのでそれは中1から高校2年生くらいまでずっと続けていたんですけれども、
野球部に入って頑張っていたという時代を過ごしていましたね。
ポジションはどちらをやっていましたか。
ポジションは当時はサードをやっていましたね。
運動神経もやっぱりよろしんでいましたね。
運動神経は普通ですね。
サードできるなんてことはやっぱりお上手だからかと思うんですけれども。
高校時代も野球図形ですか。
そうですね。
といってもスポーツ校なわけではないので、
グラウンドを使える日とかもかなり限られていますので、
練習とかも週3とかそういったような感じで、
残りの部分は学校での勉強とかもありますし、
友達といろいろやったりとかしたりとかはしていましたね。
なるほど。ありがとうございます。
大学は東京大学にお勧めになるんですが、
東京大学を選んだ理由というのは何かございましたでしょうか。
そうですね。
いろんな大学がある中で、
当時は今だったら違う考えをしていたかもしれないんですけれども、
やっぱり海外とかそういった話は当時はそんなになくて、
僕の頭の中にも基本的にはなくて、
そうするとどこかなって考えていたときに、
まず1点目としてあったのは絶対理系というのは決めていたし、
自分の得意分野もそうだしやりたいこともそうなので、
基本的に理系という方向しか考えていなかったと。
じゃあ医学部とかはというところで言うと、
そっちはそんなに興味がなかったので、
やっぱりものづくりのほうをやりたかったので、
理系のほうに行こうと。
そうするといくつかある中で、
東大がいろんなこともできるし、
望ましいのではないかなと思ったので、
東大を受けようと思ってそれで受けた感じですね。
なるほど。それで受けられることはやっぱり素晴らしいんですけれども、
東京大学時代の思い出なんて何かございますか?
そうですね。
いろんなことをやったりとかはしていたので、
サークルとかにも入っていましたし、
友達とサークルの中でいろんなこと、
麻雀とか競馬とかいろんなことをやったりとかもしましたし、
飲み会とかもいろいろありましたし、
学業のほうもいっぱいやっていましたし、
大学4年生くらいからは研究室に入って、
研究室はかなり忙しいというか、
かなりみっちりやる研究室だったので、
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夜遅くまで、終電近くまで毎日残るみたいな感じの生活をしたりして、
そこでだいぶ鍛えられたかなというところはありますね。
つらいのがいいというような、
合言葉があるような研究室だったので、そこでやっていましたね。
なるほど。
その後、大学院までお進みになっていらっしゃるようなんですけれども、
大学院に住むことを持った理由は何かございましたか?
そうですね。
ここもある程度いろいろなものをやっていこうとしたときに、
研究室に入るのが大学4年生からだったというのがあって、
そうするとまだまだわからないことがいっぱいあるなというところがあったので、
だったら大学院まで進んで、
もう少し深めたほうがいいのかなというふうに思って、
大学院のほうに進もうというのを決めたという感じですね。
その決めたのが3年の終わりから4年の始めぐらいで、
まだ研究室にほとんど入っていない状況なので、
まだまだ情報が少ない中でやっていかなければいけなかったので、
それでそのまま進んでいったという感じですね。
大学院時代の思い出は何かございますか?
大学院時代も基本的には研究をしていくみたいなことが多かったので、
場所はその当時は神房町のあたりにあるオフィスビルみたいな一角に
研究室が入っていたんですけれども、
そこに行って泊まりで何かしたりみたいなことはよくやっていましたね。
なるほど。ありがとうございます。
大学院を卒業後、エンティーズコムにご入社されていらっしゃるようなんですけれども、
毎度改正をされていらっしゃるようですが、
教授を狙うとか、または逆に外資系のコンサルティング会社に行かれる方とか
結構多いのではないかなと明らかに思っちゃうんですが、
そういう道はお考えにはならなかったんですか?
そうですね。まず、ドクターまで行くということは、
基本的に教授とかそういった方向に行きたいというところは、
当時で言うと、大学院に行くということは、
他の上の人とかを見ていたりして、
そうすると、教授とかに行く人はこういう人なんだなとよく分かってきて、
本当に研究が好きで、いろんなことを深めていきたい人というのが、
やっぱり上の方の人たちにはいて、
自分はそうじゃないなと、どっちかというと、
やっていて、そこまで研究が好きな人というのが、
やっぱり上の方の人たちにはいて、
自分はそうじゃないなと、どっちかというと、
やっていて、そこまで研究には向いていないなということが見えてきたので、
ドクターに進むということはしないほうがいいなと思ったので、
そこの線はなかったですね。
当時、今から言うと20年前ぐらいですので、
その当時で言うと、確かに外資系に進む人も多かった、
いたはいたんですけれども、どちらかというと、
どちらかというと、やっぱり国内企業の大企業に進む人の方が、
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今だとかなり違っていますけれども、
多かったかなというところはあったりして、
僕もいろんなところを見たりとか、
インターンも少しやってみたりとかはしましたけれども、
その中でドコモに進むというふうに決めたんですけれども、
その決めた理由としても、
自分としてやっていきたいものというのが、
サービスづくり、ものづくりというところをやっていきたいなというのはずっと思っていて、
特に多くの人に使われるようなものを作りたい、サービスを作りたい、
かつ、できれば世の中を変えるようなイノベーティブなもの、
サービスというところを作りたいという思いがあったので、
じゃあそういったことができる環境であればいいなというふうに思っていて、
じゃあどこがいいんだろうと考えていたときに、
当時20数年前なんですけれども、
20年ぐらい前だとちょうど携帯電話はまだフィーチャーフォン柄系の時代だったので、
ここからさらにまだWi-Fiもついていないぐらいの感じで、
ただWi-Fiはつくよねというふうなのは見えていて、
いろんな課題もあったんですけれども、
より進化していくよねということが見えていたので、
じゃあ携帯を使っていろんなことがもっとできるようになるよねというふうに考えていたので、
その分野に行きたいなというのは思っていて、
研究室もそういうようなネットワーク系の分野だったので、
じゃあどこがいいのかなと、
アプリケーション側か基盤側かというふうに考えたときに、
基盤側からやっていってもいいんではないかなというふうに思って、
インフラを持っている中で一番大きなところだとNTTドコモだなというふうに考えて、
そちらの方に就職したというような感じですね。
なるほど。ありがとうございます。
NTTドコモ時代の思い出などございますか?
そうですね。
NTTドコモ時代は最初、まず研修があるんですけれども、
半年間ぐらいはドコモショップで研修するんですね。
実際に僕もドコモショップで働いていたんですけれども、
そこでは実際に店舗に3ヶ月ぐらい経ったりとか、
そんなことをしていて、
そういった中で僕が働いていた店舗は比較的、
外国人とかもちょくちょく来るような店舗だったので、
外国人が来たときとか、
あんまり店舗の人たちは英語を話せる人ほとんどいなかったので、
そういった人が来たときには英語で頑張って対応するみたいなことを
やったりとかというような思いではあって、
やっぱり外国人と相対していろんなことをやっていくのは
すごく楽しいよなというのは当時から思っていたところですね。
その後にショップでの研修が終わった後は
配属というふうになるんですけれども、
希望していたのはサービス開発の部署だったんですけれども、
実際配属されたのは研究所だったので、
横須賀の山奥のところの研究所に配属されまして、
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そこで研究をするというような感じになっていきました。
当時大学院のときに僕は研究向いていないなと思ったのに、
また研究に配属されてしまって、
結構大変だなというのが当時の思い出としてはあって、
じゃあどうしようかなというのをいろいろ考えている中で、
何かしら自分で、夜の時間とかは結構あったので、
そういった時間に何か作れないかなというところで、
中高の同級生と一緒になっていくつかサービスを作っていった
というところから企業につながっていく感じでしたね。
なるほど。レアジョブさんを創業するきっかけというのを
今少しお話しいただいたんですが、
加藤様といろいろやっている中でレアジョブを共同創業ということなんですが、
どういうのが最初、いわゆる創業のきっかけになられましたでしょうか。
そうですね。一緒に始めた加藤のほうは、
もともと企業をしたいというタイプだったんですね。
それで大学のころから1年休学したりしながら、
ベンチャー企業で働いたりみたいなことをやっていて、
外資系のコンサルティングファームにその後行っているんですけれども、
彼は本当に企業をしたいと。
だからそのためにいろんな準備をするみたいな感じで、
僕はどちらかというと、企業は一つの手段というふうに考えていて、
サービスを作ったりして広げていくためにやれる方法の中で、
企業は一つの手段だよねというふうに思っていて、
そこで彼が面白そうなことをいろいろとやったりしているので、
一緒になって勉強会とか一緒に作るとか、
そんなことをちょっとずつ始めていったというのがきっかけにはなっています。
そんな中でいくつかサービスらしきものを作っていったんですね。
例えばウェブで人材を採用するとか、そういったことだったり、
その後はオンラインで中国語を提供するみたいなことをやったりして、
それも中国人の一部で、日本語と中国語を両方喋れて仕事を探している人がいたので、
その人を活用して中国語を日本人に対して教えるというようなことをやったり、
みたいなことがきっかけとなっていって、それで英語にシフトしていくと。
中国語を教えたときに、実際やったときに生徒さんからは、
ただでいいから使ってくださいって言ったんですけども、
やっぱりほとんどの人は使ってくれなかったりするんですよね。
その理由を聞くと、やっぱり英語だったらやるけれども中国語はいらないよ。
全くのゼロの人がまあまあとかやっても何も面白くないというところで、
使うシーンもなければ面白くもないというような感じで、
でも英語だったらやるよっていうふうに言われて、
僕自身も英語だったらっていうふうに思っていたので、
ただそこに中国語できる人がいたからっていうところで始めたんですけども、
やっぱり英語だよねっていうことがわかったので、
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じゃあ英語にしようというふうに切り替えて英語のほうにしていくと。
じゃあ英語だったらどういった国とやることできるのかなっていうことを
そこからちゃんと調べ始めて、
そしたらフィリピンであればできる可能性があるのではないのかなっていうところに
実際見つけることができて、
そこから起業していくっていうような形に
一歩ずつ踏み出していくことができたというような感じですね。
NTTドコモ卒業というかお辞めのところをお聞きしたいんですが、
東京大学理系出身だとNTTドコモさんだと
おそらく幹部候補生でいらっしゃったと思うんですけども、
止められたりはされなかったものですか?
そうですね。
止められるっていうほど止められるのはなく、
もう会社作るというか、作るのがほぼ決まっている、
もしくは会社立ててたかもしれないんですけども、
ぐらいのタイミングで言ったので、
止められるというようなものはなかったかなというふうな感じですね。
多分上司の立場としたら、もう腹決まってるから
何やってももう無理だよねっていうのは思ってたと思いますね。
じゃあ、お膳立てができている状態で止めますと言ったみたいな感じに近いですかね?
そうですね。近いは近いですね。
ご両親はご反対されなかったんですか?
いや、全く特に反対はしてないですね。
東大に行ってみたいなことがあるのかなとちょっと思ったものですが、
変なことを聞きました。すみません。申し訳ございません。
どちらかというと多分、ドコモに行った方が親からすると
ひょっとしたらそんなに攻めてないなみたいに思われたかもしれないですね。
じゃあ、ご両親も割と事業家っぽいところがあられるんですか?
いや、あんまりないんですけれども、
後で親から聞いたりした時には、ドコモだと普通の路線、
どちらかというと安定志向の普通の路線だと思うんですけれども、
意外という感じではないのかもしれないんですけれども、
多少そういったところはあったみたいなことは言っていたので、
そこまで起業というところでも大丈夫かなとか心配だなとか
そういうのは思いはあったかもしれないですけれども、
別にそんな反対とかそういうのは特になくという感じでしたね。
そうですか。ありがとうございます。
3分コンサルティング
ウィズリズが社長の悩みを解決
本日の3分コンサルティングはF様、首都圏のフランチャイズをやっていらっしゃる方です。
首都圏で飲食店のフランチャイズに加盟しています。
10店舗以上を経営しておりますが、部下の育成で悩みがあります。
基本的にアルバイトの教育などは各店舗の店長に任せています。
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しかし店舗視察などをするとき、アルバイトの行動が目につきつい指導をしてしまいます。
このようなことばかりしていては、今以上に店舗を増やすこともできず、
店長たちの成長にもつながらないと分かっています。
店長やアルバイトの成長のために、私はどのように行動を見直せばいいか教えてください。
これは大変良いような悩みですね。
実は私どもウィズビズは、フランチャイズは割とお得意としていまして、
フランチャイズ本部さんのご支援や、私自身はフランチャイズの本部さんのコンサルティングなどをやっていまして、
私としてはフランチャイズの専門家として、日本で5本の郵便に入るコンサルタントと自負しています。
そんな中で、昔メガフランチャイGとかマルチフランチャイGと呼ばれる企業の社長さんのインタビューを
何社も取材し、記事として挙げさせていただいたこともある企業でございます。
ですので、この悩みはよく分かります。
メガフランチャイGとかマルチフランチャイGと呼ばれる企業さんたちは、皆さんこういうふうに言うんです。
幾度恩人、我々はフランチャイズ本部よりも人材教育マネジメントが得意だと。
ただ、業態は作ることはできないというふうに言って成功していっていらっしゃいます。
吉野家とか道頓堀とか、またはマクドナルドとか、または牛角とかいろんなのに加盟しながら、教育だけは成功している。
だからどんどん広げていられる。
マネジメントが一番お得意だ。だからどんどん広げられている。
そして50店舗、100店舗、200店舗というふうになっていっていると。
こういうことなんだそうです。
ですので、まずF様は、御社は教育とマネジメントの一番得意な会社にならねばならないと。
こういうふうに思っていただきたいと思います。
それを目標に、教育システム、研修システム、そして育成システムなどを揃えていく。
さらにマネジメントの仕組みを揃えていく。
こういうことを体系的にやらねばならない。
何なら外の企業に教えられるぐらい、研修会社を立ち上げるぐらいのレベルまで発展させねばならないというふうに思っていただきたいなと思っています。
そのためにはやるべきことはいっぱいあります。
例えば経営理念はございますでしょうか。
まずは経営理念がないと教育にはつながりません。
その次に人事評価制度はございますでしょうか。
これもないと人の成長、育成にはつながりませんし、
マネジメントにもなかなかうまくいきづらいです。
経営理念と社内規定と就業規則と人事評価制度があれば、
あとは企業文化をつくり、組織風土をつくっていき、
そして研修プログラム、育成プログラムなどをつくっていって、
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どんどん出世していくような形で伸ばしていく、ピラミッド化の体系ができていくように
マネジメントをしていくということを、
F社長様自身が一個一個つくっていくみたいなことを
やらねばならないんだということをご理解ください。
これがなかなか簡単ではないですので、
まずは人材育成とかマネジメントはどうすべきかというのを
いろんなセミナーに出てお勉強されることをお勧めしたいな、
情報収集をすることをお勧めしたいなと思います。
私自身、実は社長業をやり始めてわからないことが多くて、
セミナーに出まくったことがございました。
結果的にそれが本を読んだり、セミナーに出ることで情報収集になることで、
結果的に今、ウィズビズはきちんとした経営理念、
企業文化、組織風土の中で運営ができ、スムーズにマネジメントがいっております。
そういう意味で、数多くのセミナーに出てみるということをお勧めしたいなと思います。
そんな中で、研修会社なんかとの出会いもあると思います。
そうすると、なんならプロの研修会社に店長教育や社員教室や
アルバイト教育などをやらせてみてもいいかもしれません。
そんな中でノウハウなどを学べて、また自社にも応用を聞くようにして、
またはF様自身が研修会社のやり方を真似ながら、
自社風の研修プログラムというのを作っていくこともできるかもしれません。
そういう意味でも、まずはセミナーに数多くで、
場合によっては本を読んだりし、そしてこれはというところと
一緒に研修などを教えていただいて、みたいなことをやるのが
お勧めなのではないかと思います。
もし、教育育成やマネジメントについてお悩みの方がいらっしゃいましたら、
無料で経営コンサルティングをやらせていただきますので、
何なりと経営相談をのらさせていただきますので、
おっしゃっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
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ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただき、
KAノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウィズではここまで。また来週。