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2020-11-04 22:18

第200回 志水雄一郎氏(フォースタートアップス株式会社代表取締役社長兼CEO)【前編】

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40歳のころに、日本の将来に対するデータを見て「日本の再成長のため」に人生を使うことを決意。ビズリーチ主催の『Headhunter of The Year』で国内初となる殿堂入りを果たした実績を得たことを機に、2016年にフォースタートアップス株式会社を起業されました。
自身の掲げた理念に向かって経営を続け、2020年3月には東証マザーズへの上場を果たされたエピソードから経営のヒントが得られますので、経営者インタビューをぜひお聞きください。








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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizフォースタートアップス株式会社代表取締役社長兼CEOの志水社長様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
慶応技術大学卒業後、株式会社エンジェインテリジェンス現パーソルキャリア株式会社に御就職、デューダー立ち上げなどを得て、
2016年にフォースタートアップス株式会社を設立し、代表取締役社長に御就任されていらっしゃいます。
2020年3月には東証マザーズに上場されている上場企業の社長様でいらっしゃいます。
志水社長様、よろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、御出身はどちらでいらっしゃるんですか?
福岡です。
博多でいらっしゃるんですか?
天津という場所です。
天津のど真ん中でいらっしゃいますね。
小学校、中学校時代の幼少期はどんなお子さんでいらっしゃいますでしょうか?
小学校時代は、いわゆる振動と呼ばれたタイプですね。
スポーツもできて、勉強もできて、多分そういうタイプだったと思います。
じゃあ、周りから尊敬されているみたいな感じでいらっしゃいますか?
尊敬されているかどうかわからないですが、それで面白い人だったので、ちょっと変わったポジショニングだったかと思いますね。
なるほど。
中学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいますか?
中学は中学受験をしまして、男子校にいたんですよ。
なので、新学校の男子校にいて、そこでサッカー頑張っていました。
じゃあ、プロサッカー選手目指したりとか?
いや、そこまでは強くないです。
なるほど。
高校も中学からそのままって感じでいらっしゃいますか?
そうですね。中高一貫校でした。
高校もサッカーをやられていらっしゃったんですか?
よりも、当時は私たちの頃は、生かすバンド天国っていうのが番組で流行っていたので、バンド活動に粗心でいました。
ギターとかやられていらっしゃったんですか?
ボーカルでした。
ボーカルでした。確かにお声もスッと感じで、歌声も良さそうな感じでいらっしゃいますけど。
いやいや。
プロも目指されていたんですか?
それはあまりないですね。やはり新学校に通っていましたので、そこからプロでデビューした人っていうのはほとんどいなくて、みんなが7割医者の息子でしたから、
200人いると50人が国立の医学部、50人が東大、あとは落ちこぼれが創建に行くみたいな、そういう場所でしたから。
そうすると、バンドでプロを目指すっていうのは当時はなかったですね。
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そうですか。すごいところでいらっしゃって、やっぱり新道はそういうところの中学校、高校に行くんだなっていうのを感じましたけども。
大学は慶応を選ばれてらっしゃるんですけども、慶応大学で選ばれた理由っていうのは何かございますか?
もともと私はアートが大好きで、子供の頃からずっと絵を描いていました。東京芸大に行きたかったんです。
芸大志望でいましたら、ちょうど当時慶応の環境情報学部、今でいうSFCというところが新設学部として作られたというのを聞きまして、
そこを見ると、マサチューセツ工科大学のメディアラボみたいなものが作られるという話でしたので、
そこであればテクノロジーアートみたいなことができるんじゃないかなと思いまして、
芸大を選択せず、慶応のSFCを選択しました。
そこでやっていたことは、今でいうチームラボみたいなメディアアート作品を作っていました。
ずいぶん企業家でらっしゃる清水社長からすると、芸術系というのが初めてお聞きするのでイメージがわからないんですが、
本来は芸術家になりたいとか、そっち側の希望のほうが強かったんじゃないでしょうか。
いや、圧倒的に強いですね。
なるほど。大学時代もそういうチームラボさんみたいなメディアアートをずっとやっていらっしゃったんですか。
はい。
その後、ご卒業後、インテリジェンスさんにご入社されているんですが、ここはどういった理由でインテリジェンスさんにご入社されていますか。
大学時代に全くアルバイトとかもほぼしたことがなかったんです。
働く意義とかもわからず、実は私就職労任して大学も5年通っているんですよ。
その時にたまたまで会ったのは、一つがインテリジェンスという会社で、当時は今のユーセンネクストホールディングの会長なのかな、社長なのかな。
UNOさんがインテリジェンスという会社のトップでいらっしゃって、
UNOさんの話を聞いて、とても素敵な人だなと思って、この人とともに時代を作るという選択もあり得るのかなと思って、
当時選択をしました。
なるほど。UNO様から学ばれたことは結構あらゆるものですか。
でも、私が入った頃って、8期目60人ぐらいの会社だったんですよ。売上15億ぐらいですけど、
なのに意味のわからないことをおっしゃっていて、それは何かというと、日本の人的インフラになると言っているんですね。
帰りが大きいじゃないですか、話の。でも、それを本気で目指すメッセージングをしていたんですよ。
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そういうビジョンの設定とか、人にとって分かりやすい目標を設定するとか、その言葉を強く発信すること、
それに紐づいた戦略をしっかり講ずることによって、優秀な人たちをそこに集わせることもできる。
それは学んだ部分かもしれないですね。
なるほど、ありがとうございます。
リスナーの皆様にちょっと解説をしておくと、UNO様というのは、
インテリジェンスを創業者で上場させ、その後優先を上場させ、UNEXTを上場させという、
3社も上場させるベンチャー企業界のUというか、テレビにまで出ている。
シリアルアントレプレイマーですね。
そうですね、そこに入られてという話でございます。
戻りまして、インテリジェンスではどんな仕事をされていらっしゃったんですか?
最初は本当に営業マンでした。
なるほど。
デューダーの立ち上げなどをやっていらっしゃったというようなご経歴をお聞きしているんですけれども、
デューダーの立ち上げを行っている最中に何か思い出とかそんなのはございませんでしょうか?
そうですね、デューダーの立ち上げは30代前半の頃に、私自身が営業の管理職から解任されまして、
営業企画部門に移ってほしいという話になってですね。
そこで自分自身がやはり自分の期待値と帰りが大きいものなので、若干精神を痛めまして、
その場面から抜け出すために、これは自分で事業を作ってフロントに出るしか方法論がないかもと思って作ったものが、
デューダーの転職サイトという事業企画の案だったんですよね。
これが通らなかったら私は辞めているはずなんですよ。
これが通って事業を始めさせていただいた時に、嬉しかったのは新しい事業に人が集って、
なかなか売れないものなのにみんなが頑張って商材をマーケットに提案をしに行く様を見て、
これはチームでやる素晴らしさというのは強さというのはあるなと思っていたのがその頃ですね。
清水社長様のご様子からすると失敗なんてないんじゃないかと思っていたんですが、
インテリジェンス時代は失敗とかもされていらっしゃるということでしょうか。
ずっと失敗の連続ですよ。やっぱり高校時代も全然勉強しなかったので、
高3の夏の偏差値が37でしたし、大学でも就職浪人して5年通ってますし、
社会人になってからは全く営業ができず、思い出すと多分26歳の時の年収って400万だと思うんですよね。
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全然数字も上がってなかったので。
でもそこから頑張った結果が、よく20代の後半には日本を代表する営業マンとして
本人を顔出させてもらったりとか、リベンジのための事業企画が転職祭のデューダーにつながったりとか、
そういうものはちょくちょくあるんですけど、でもダメな部分はとっても多いですね。
少しびっくりするお話ですが、独立とかはいつくらいに意識をされたらしいですか。
これも私は独立という意識もないし、経営者になりたいという気持ちも一切ないタイプなんですよ、私は。
どういうことかというと、40歳の時に自分自身が気がついたことがあったんですね。
それは何かというと、男性って40歳って切れ目のような形があるじゃないですか。
人生半分生きたなって。
その時に自分自身のキャリアが若干社養気味だなと思っていたんです。
自分自身が生きた40年はどんなタイミングだったんだろうというふうに振り返った時に、
一つの自分の調査が自分の人生を変えるわけですね。
何かというと、私は昭和時代に生まれたので、日本は豊かだと思ったし、
日本人というのはプライドを持てる人種だと思っていました。
ただし、将来のリサーチ結果は日本はもっと衰退する。
実は日本人はそれほど豊かでないというデータをそこで初めて知ったんですね。
そこで私は自分の人生を恥じたんですよ。
なぜならば、この事実をなぜ知らない。
なぜ知らない。
高等教育を受けながら。
そして、その課題解決に努めなかったこの人生は意味のない人生と思ったのが40歳の時なんですよ。
だとしたら、生を受けた理由すらないかもしれないと自分でも思える人生だったので、
次の半生は社会課題の解決に努める人生にしたいなと思ったのが、
40から41の気づきで、そこからの勝負としてやりたいことができたんですよね。
それは何かというと、なぜ日本の昭和時代は強かったかといえば、
何もなかったから勇気を持った人がソニーやパナソニックを作り、
日立やトヨタはカーブアウトでそこにおかてんと人が集って、
国際的競争力を持つような会社になり、
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その相対である日本が伸びたわけじゃないですか。
ああいった時代は今の時代になって作れる可能性はあるわけですよ。
毎日親が自分の娘息子に、お前頑張れよって、中国米国に負けんなよって。
お前は三菱商事だって電通だってトヨタだって、お前一台で作れるんだから、
頑張って作れよって親が言ってくれてたら、やる人いっぱい出てくると思うんですよ。
学校教育でも同じですよね。毎日毎日、何大企業に行ってんだと。
雇われ人になるなよと。
経営者となって日本を代表する会社、世界を代表する会社を作るのが、
私が教育した理由だよって、教授とか先生が話されていれば、
ものすごく変わると思ったんですけど、そうではなかった。
であれば、私自身がやれることは、多分話すのは上手なので、
私の言葉で誰かの心を動かし、その人が生き方を変えること、
そういうことをサポートする仕組みを、私自身が挑戦したいなと思って、
ただ、これを挑戦するにも、自分が独立するっていう意思もなかったので、
私自身は、ミルグループっていう、上場、手前くらいかな。
授業のポートフォリオを拡張されたいというお気持ちを持ちの会社と、
たまたまで会って、そこで地外貢献で社会をアップデートする、
未来をアップデートする授業をやらせてくれってお願いをして、
それは、自分自身がヘッドハンターとして仕事をすることによって、
次のソニー、次のトヨタを作るという活動をやりたいという話をさせてもらったところ、
そこが今につながっていくという流れなんですね。
だから別に、私は社長になりたいという話も、企業家でも実はないんです。
そこからの話でいうと、一発目はヘッドハンターをやりました。
一事業部門で。
ただ、私自身は当然リベンジの気持ちも強かったですし、
社会をアップデートしようと思うと、私自身が日本ナンバーワンでなければ
話を聞いてくれないと思いましたので、絶対にヘッドハンターとして
日本ナンバーワンになると決めたんですね。
14年、15年、日本ナンバーワンヘッドハンターの賞をいただいて、
16年に私自身が伝道入りしたヘッドハンターとなったので、
次は勝負として、もう一人での勝負は終わりましたから、
次はチームで社会のアップデートするためにということで、
当時私が勤めていたウィルグループと相談して、
事業部門をカーブアウトしたい、法人化したいという話をさせていただいて、
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16年の9月に法人化させていただいて、
そこからの成長戦略でいろいろ考えたところ、
これはIPO戦略を持っていった方がいいな、
独立性をもっと担保した方がいいなというのもあったので、
そこで初めて銀行から私は個人でMBOの資金を借り入れて、
個人で借り入れてウィルグループから株式を買い取って、
IPOに向かうという戦略に出たんですね。
これはやらなければいけないからやっただけで、
私は社長になりたいとか偉くなりたいであれば、
もっと前の段階で起業しているし、そういうものを目指しているのであれば、
いろんなタイミングでもっと昇進している可能性も高いと思います。
なるほど。ありがとうございます。
経営者を応援する。社長の孤独力、番外編。
本日の社長の孤独力、番外編は、
社長の夢と社員の夢を一致させたいという10章4項ですね。
社長の思いは経営理念に込めてベクトルの向きを一致させろということで、
一番重要なことは社長の夢と社員の夢が一致するというのは、
かなり難しいですよね。昔、本の中でも書いていますが、
本本正吉さんが一番最初に外幕の孫さんがアルバイト2人を雇って、
みかん幕の上で、うちは1兆2兆という豆腐数えるような
売上げになる会社を作るぞと言ったら、すぐにアルバイト2人が
あの社長頭おかしいと逃げ出したと。その後、孫さんはアメリカを渡って
素晴らしい1兆2兆数える会社を作ったわけですけれども、
当時の2人のアルバイトさんは全く何言っているんだこのお兄ちゃんは
って感じだったんでしょうね。でもそれぐらい難しい。社長の夢と
社員の夢が一致することは私からするとほぼないんじゃないかと。
ほとんどありえないんじゃないかと思う次第なんです。
それでも社長の夢と社員の夢を一致させたいという話になると、
会社のビジョンというのはあって、そのビジョンの方向性が
一致するかどうかという意味合いで言うと、一致する可能性は多少あると。
じゃあどうやって一致させようかというと、やっぱり経営理念をですね
きちんと作ることが大変重要なんじゃないかなと思います。
ウィズビズでもうちの社員たちには、私のことを退任する権利も渡すと
あなたたちは経営者であり創業者だというふうに言い切って
ウィズビズスピリッツという経営理念の冊子を作りまして
約40個ぐらいの項目があって、今はコロナが始まってから
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朝礼が昼礼・中礼に変わりましたが、その中礼の時に
うちの社員が1項を読んで、その後コメントをし
それに対して私もしくはうちの役員がコメントを返すみたいなのを
毎日毎日毎日やっております。
その中にウィズビズの目標は1000年継続させる
その基盤を作るのがあなたたちと言っていますので
1000年継続させるとかいろんなことが書いてあります。
その方向性がこういう方向性にいくんだと
ウィズビズは経営者向け総合スーパーをやりたいというのを
私は言っていますので、その方向性みたいなことをやりたいと思って
毎回毎回うちの社員たちが読んでいると
ウィズビズはこういう会社になっていくんだというのを
思ったり頭の中で描いたりしながら
その目標に向かって動き始める。
動いていくと自分たちなりにウィズビズはこうあるべきだ
みたいなことを考えるようになってきて
その結果として社長と私とうちの社員たちの方向性が一致してくる。
こういう感じなんですね。
だから皆さん方の会社、経営理念がない会社はぜひまず作っていただき
その中にビジョンみたいなものを入れていただくといいんじゃないかなと思いますし
もし経営理念がある会社さんで
なかなか社員の夢と社長の夢が一致していないということでありましたら
ぜひ朝礼でも何でも構いませんが
浸透する仕組みなりを、経営理念が浸透する仕組みなりを作っていただきたいですし
また経営理念があって浸透する仕組みもあるんだけど
一致しないということであれば
経営理念の中身が問題なのかもしれないですから
経営理念をしていただくとか
そういうことをしていただくのはいいんじゃないかなと思います。
ただしそれでも社員の夢と社長の夢は
ずれるときがあるんじゃないかなというふうには思います。
それはちょっと諦めていただいて
うちの社員でも自分の会社をやっている社長たちが
うちの会社で副業として社長をやっているわけですが
もしかするとうちの方が本業じゃなくて
うちのウィズビズの方が副業かもしれません。
そういう人間は自分の個人の夢もありますし
小説家を狙っている人間もいるので
それは夢は違うわけですね。
ですから会社の方向性は一致することはできるけど
社長の夢と社員の夢を一致させるのはなかなか難しい。
しかしながら方向性は一致できるので
それは経営理念でやっていくんだ
そして仕組みを作って浸透させていくんだ
というふうに思っていただいたらいいんじゃないかなと思います。
ぜひ経営理念をしっかり作って浸透させていただけると思います。
本日の社長の孤独力番外編はここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞き下さり誠にありがとうございました。
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この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして
私どもウィズビズが運営するウェブサイト経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり
皆さんの会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき
ネットノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウィズではここまで。また来週。
22:18

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