アヤコPの近況
孤独なポッドキャスターが平日毎日一人で孤独に語る、平日回帰ファイル、火曜担当は、アヤコPです。
2024年11月5日、火曜日です。
えー、1ヶ月ぶりの配信になっております。お久しぶりでございます。
最後の配信、最後っていうか、この前の配信が10月2日だったんですよね。
で、えーっと、今日11月5日だから丸々1ヶ月か。ほぼほぼ。
というわけでですね、まああの10月10日にですね、父が亡くなりまして。
なんかそれでバタバタしていたりして、配信は全然できなかったんですけど、ぼちぼち再開をしようということでマイクに向かっております。
いやー、なんか前回の配信の最後の方をね、ちょこっと聞いたら、なんかそんなようなことを話していたなぁというのを思い出して、
全部聞く元気がないんですけれども、聞き直してないんですけれども。
えー、まあ亡くなっちゃいましたね、父が。
いやー、まあまあまあ、もちろんすごいしんどいですけど、
なんかね、やっぱおじいちゃんおばあちゃんが亡くなるのと、自分の親が亡くなるっていうのはね、全然違いますね。
おじいちゃんおばあちゃんってやっぱり、自分が生まれた時からおじいちゃんおばあちゃんだから、長生きしてくださいみたいなことをね、よく手紙に書いて送ったりとかするじゃないですか。
だからまあ、近く遠くない将来ではあるけれども、おじいちゃんおばあちゃんっていうのは先に死んじゃうんだなぁみたいな、そんな感覚でいて、
私は今祖母がね、父方の祖母が一人、まだ元気っていうか101歳になって、元気なんですけど、元気なんですけど、それ以外はね亡くなってしまっていて、
父方のそのおばあちゃんは生きているけれども、おじいちゃんの方は私会ったことないんですよね。
もう生まれる前に、私が生まれる前に亡くなっているので、おじいちゃんおばあちゃんというと3人しか私は知らなくて、2人が亡くなっていて、1人はまだ生きていると。
で、その父方のおばあちゃんなんで、息子の方が先に亡くなっちゃったってことになるんですよね。
まあおばあちゃんめっちゃ長生きだなっていう感じなんですけど、そんな感じでね、親が亡くなるっていうのは全然違うと。
死というものに対してですね、全然普段そんなに差し迫ったような感覚で生きてこなかったし、自分はいずれ死ぬんだ、みんな死ぬんだっていうのはもちろん明らかな事実ではあるんですけれども、なかなかそういうのは身近な感覚がない。
自分の肉親とか親戚とかじゃない人たちが亡くなることもありましたし、友達がね、仲良かった友達が亡くなったっていうのも経験はしているんだけれども、
なんかどこかね、人事というか、人事って全然関係ないやっていう意味じゃなくて、なんかやっぱり自分の生きている、自分という中の世界の外の話みたいな感じでいたんですけど、さすがにね、肉親が亡くなるっていうのはね、結構な衝撃でしたね。
あの、死生感というものがね、なんとなく身近になったというか、そういう意味では変わったというかですね、そんな感覚にありますね。
どういうふうに思っているかというと、人って死ぬんだなっていう、本当に結構急に死ぬんだなっていうことをね、思ったんですよ。
うちの父はですね、一応聞いていただけるんだったら聞いていただきたいんですけど、
今年の初め、去年の年末ぐらいですね、急に体の皮膚の一部分、足のところかなに、なんか腫れみたいなのができて、反転みたいな赤い腫れが出て、皮膚科行ったら、なんか猫の実じゃないですかとかいう適当な診断をくだされてですね、
ま、待ち医者の皮膚科なんでしょうがないんですけど、猫の実ってなんだよって感じですよね。
よく公園に行ってウォーキングしていたので、なんかそういうのみとかに噛まれたんじゃないかっていうね、そんな診断くだされて、
でもどんどんどんどん広がっていくから体中に、水泡みたいなのができてたんですよね。
で、大きな病院に行って、そしたらね、免疫不全が原因だと思いますみたいな感じで、テンポウソウっていうね、診断がくだされて、ステロイドをですね、投薬したんですよね。
で、それで入院もしたりとかして、かなりひどかったんで、水暴走みたいなのがブワーってできて、なんだけどまあまあ皮膚の病気だろうなみたいな感じで思っていたんですけど、それでようやく皮膚がきれいになってきて、ステロイドのせいっていうかおかげでね。
そしたら今度7月の初めぐらいに、急に首が腫れて、要はリンパが腫れてるんですよ。で、なんだこれみたいな感じで、病院に行ったら、整形をね、ぶっ刺して首のところに取ったんですけど、おそらく悪性リンパ腫でしょみたいな形になってたんですよ。
悪性リンパ腫で言われて、要は血液のガンなんですけど、その悪性リンパ腫の中にもいろんな種類があって、父はですね、めちゃくちゃレアなT型というですね、いわゆるT型というやつらしいんですけど、それになったってわかったのが、3週間くらいかかったんですよ、検査結果が。
で、その間、どんどんどんどん首のリンパ腫が腫れてきちゃうんで、今度は窒息してしまうっていう話でですね、で、気管切開っていうのをしたんですよ。知ってますか?気管切開って。
喉のところにですね、穴を開けて、そこで呼吸ができるようにするっていう、よく子供、お子さんとかでもね、やってる人いるみたいなんですけど、それで、その気管切開をするために、7月の上旬から入院して、で、気管切開やるとですね、しばらく喋れないんですね。
で、まあ、質談とかでですね、やり取りをして。で、だんだん慣れてきたら、スピーチカニューレというものに変えて、普通のカニューレというですね、あの装置から変えて、そうすると喋れるようになってくるんで、よかったんですけど。
で、そのカニューレ、気管切開してカニューレのところにどうしてもタンとかが詰まるんでね、それを吸引しないといけないっていうのがまた超大変で、そういう窒息しないための措置で7月中過ごして、で、なかなか検査結果が出なくて。
そんなんでバタバタしてたら、やっと検査結果が出て、アクセリンパ腫のセージンT型細胞白血病に近いものだということがわかりましてですね。
で、超レアなんですよ。レアだって言われて。レアじゃない方のアクセリンパ腫は抗がん剤で結構治るんですけど、そうじゃないレアの方はなかなか臨床の数も少なくて、とにかくいろいろ試行錯誤して抗がん剤を変えたりなんだりしていかなきゃいけないけど、
結構その時点でお医者さんが厳しいみたいなことを匂わすんですよ。えー本当かなと思って。
父元気だし、皮膚の病気はあったけれども、そんなんでね。
っていう感じで抗がん剤始めましょうってなっていって、それでも抗がん剤始めたのがそれで8月とかでしょ。
で、8月9月で1回退院とかもして、かよいの抗がん剤とかにも変わって、父も元気でウォーキングも行くし、よく食べるし、めっちゃ食べるし元気だし、普通に戻ったなと。
期間節解のところも相変わらず節解してるんだけど、それにも慣れてきてね、日常になってきたら急に9月の下旬ぐらいに、急にもうガクンときましてですね。
で、そのまま抗がん剤とか、あと輸血とかもね、いろいろしたりしてたんですけど、もう10月の10日に亡くなっちゃったっていう。
だから、ほんと1ヶ月前までめっちゃ元気だった人が亡くなっていくっていうのを直面して、人間って死ぬんだっていう。割とすぐ死んじゃうことあるんだとか。
葬儀の準備と心の整理
もう父に会えないのも、もちろん寂しいし、この地球にお父さんがいないっていうのが、にわかに信じがたい。信じがたいんで、あんまり変な感じなんですよね。
そんなこんなで、亡くなった途端から今度は葬式ですよ。葬式の準備とかね、もうめっちゃ大変でしたね、ほんとに。すっごい大変で、仕事も結構休んでですね、いろいろやったんですけど、
それに関してはね、話すことたくさんネタがいっぱいありすぎるんですけど、いっぱいあるんですよ、話すことネタがね。不謹慎な話ですけど、急に人が亡くなってお葬式とかやると、
葬儀屋はどこにするだろう、いろいろね、どんな葬儀にするだろうね、考えなきゃいけないことがいきなりたくさん襲ってくるんですよ、死んだ直後から。そんなのお葬式屋さんの比較検討とかしてる暇ないんで、もう永夜で決めるしかなかったりとかして。
なんですけど、よくお葬式の広告とか、家に入ってきたりするじゃないですか、お葬式屋さんの。ああいうのもね、全然、当然、そんなの不謹慎だから、別に見ることもないし、っていう生活をね、日々送ってきたわけなんですけど、
今思うと、腹を据えて、いつかはこういうことが起こるだろうということをですね、念頭において、なんか知り合いに良心的な葬儀屋を紹介してもらっておけばよかったなぁとかね。
まあ、後日なんです、そう思うんですけど。っていうのをね、一応、皆さんにアドバイスをしておきますが。とにかくね、いろいろ葬儀屋ともあったし、結果往来ではあるんですけどね。
そんな感じで、手続とかね、もうめちゃくちゃたくさんあるんで、父親が死ぬっていうのはね、結構なインパクトですね。ようやく2,3週間経って、落ち着いて、日常に戻りつつあるはあるという感じなんですけど。
本当ね、うちの父は、今年の2月くらいまで仕事を続けててですね、個人事業のし的なやつで。本当、もう仕事大好き人間だったから。
趣味みたいなもんなんでね、仕事の内容が。だから、ずっと仕事してて楽しそうにしてたなぁとか思うと、まあよかったんだろうと思うんですけどね。
なんかもっと遊び行ったりとかね、好きなことだけやってるとか、そんな時間も過ごせたんじゃないのかな、人生とか。人の人生なんですけど、そういうふうに思ってしまったりもするんですけどね。
するんですけど、それを別に私が評価するとかっていう話じゃないので。でもね、父がね、もうちょっと行きたいってね、先生にこぼしていたのがね、すごいかわいそうではありましたね。
どうにかなりませんかと。あと2、3年ぐらいみたいなね。いやーでも本当、いきなり病魔っていうのは襲ってきて、本当いつ死ぬかわかんないなと。
今私がこうやってベラベラ喋っていますけど、あたかもね、自分が死ぬのは数十年後かのように喋っているけれども、うーん、なんか病気とかいつ来るかわかんないですからね。
自覚症状なんてないし、急になんか襲ってくるので、そう考えると、いつ死ぬかわかんないから、とか思うとね、なんか嫌な仕事とかやってる場合じゃないなとかね、めちゃくちゃ思うんですよ、本当に。
で、普段楽しいこととか好きなこととかだけやってる生活とかって、すごい怠けてるとかね、いう思いも昔はあったんですけど、なんかそっちの方でいいんじゃないかとかね、もうとにかく楽しむために生まれてきたわけでもあるし、
もちろんこの社会をね、何か貢献することで、もちろんもちつもたれつでみんなで生きていくっていう社会を作ってるわけだから、何かしら貢献しなきゃいけないから、何にもしないわけじゃないんですけど、うーん、なんかうまくね、バランスの偏った生活の仕方は本当に良くないと思いましたね。
父の人生がどうだったとかいう話ではなくて、それに直面した私の感覚ということで言っておきたいんですけど、っていうふうにちょっと思ったりしたので、あとね、いろんな各方面に配慮をしていただいてですね、父の死に際して。
いろんな優しい言葉とかもかけていただいたりとかしたり、もちろん仕事もね、皆さん肩代わりしてくださったりとかして、全然後ろめたい気持ちにならなかったのは本当に感謝をしているので、本当に人に恵まれてるなっていうのも実感しましたし、
ありがたいなって、本当にありがたいって思いましたね。
今を大切に生きる
そう、だからもうね、感謝で生きていきたいと、つつましく思ったわけです。
本当に。
なんか本当人からかけてもらう一言だけで勇気づけられるし、優しい、みんな優しいなと思ってですね、本当ありがたいなということを改めて実感させてくれた。
それもお父さんのおかげということですね。
本当ありがとうという気持ちでいっぱいでございます。
まだ49日法要が終わってないので、それまでは何かといろいろあるっちゃあるんですけど、まあまあまあ、頑張って生活を続けていきたいと思っております。
というわけでね、今という時間を慈しむように生きていきたいなと思いますので、また皆さん遊んだり飲んだり楽しく絡んでいただけると嬉しいです。
というわけで、平日回帰ファイル、あ、火曜回帰ファイル、今日はこの辺で、あよこぴーでした。また来週配信します。よろしくお願いします。