父の病状と日本での生活
真の愛なる皆様、アロハです。
開けてしまいましたが、すっかり開けておりますが、開けましておめでとうございます。
そしてとってもとってもご無沙汰しております。2、3ヶ月ぶりの配信かなと思うんですけど、
ご無沙汰には理由がありましてですね、昨年末ぐらいにね、
父がね、衰臓が発覚しまして、嫁半年というふうにお医者さんの方に言われまして、急いでね、緊急長期里帰りということで、息子と一緒にね、
11月末に日本に帰ってきました。というところで、あっという間にね、2ヶ月経ちまして、
ほんと怒涛のね、日々だったなぁということなんですけど、これからもまた新しい怒涛がね、やってくるだろうと予測されるんですけれども、
その毎日の中ですっかりね、ホットキャストもご無沙汰してたんですけど、今日はね、父のね、選択肢の一つとして、そのホスピスっていうものも、
入れておくといいんじゃないかということでね、私一人でね、ちょっと見学を、面談をしてまいりました。
あとその帰りなんですけど、帰り道なんですか、
ホスピスのね、お話はちょっとまた今度したいなぁと思うんですけど、まあとにかくこの1,2ヶ月ほんとね、
大変だったなぁということで、日記的にね、私の日記的にちょっと振り返ってみたいなというふうに思います。
まあ私5歳の息子おりますんで、その5歳の息子連れてですね、実家でね、まあ母が亡くなって10年経ちまして、実家で一人暮らししている父のね、元に帰ったわけなんですけど、
まあとにかく最初が大変だったということで、まあ私が帰ってくる前にね、あのうちの愛知に住んでるうちの弟がね、
単身で帰ってきてくれまして、まあお掃除したり布団干したりとかしてくれてたんですけど、まあとにかく最初は初日、3日間ぐらいはね、
息子を託児所に預けてですね、とにかく掃除しまくったという、はいそんな日々でした。
まあ父もね、もう今年80、もう今82、今年83なんですけど、まあ母がね10年前に亡くなって一人暮らしずっとしてまして、
まあ最初はね、めっちゃキレ好きで、本当に母が嫌がるぐらいね、掃除魔だったんですけど、
この1,2年で本当にね、ちょっと気力なくなったりとか、あとまあね、昼夜逆転、ふくろうさんのような生活をしててですね、
まあ掃除するね、エネルギーもね、時間もないというところで、まあとにかく、なんというんですかね、
あ、ほこりって積みに積み重なるとこういう形状になるんだとかね、
プラスチックってこういう風にね、あの、朽ちていくんだみたいなね、
まあとにかくその、新しい発見がね、あまりしたくない発見がね、いっぱいあったりとか、
まあ畳む気力がなくてね、積み重ねられたね、段ボール箱をね、まず畳んで縛るというところと、
冷蔵庫とかね、冷蔵庫の中の謎の食品をね、処分するなどなどね、本当に掃除に明け暮れて、
まずはね、生活、元気にね、健康に生活できるスペースをね、整えるところから始まったんですけど、
まあとにかくね、本当にひどかったですね。
まあうちの弟、私の方が結構元気に作られてるんですけど、体が。
うちの弟なんか、もともと結構ね、アレルギーとか腺息とかあったんで、
掃除しに来てくれたんだけど、その、その時にこう、腺息ね、穴開きし発症してね、ゲホゲホしたりジンマシン出たり、
まあ大変だったみたいで、まあ家にもね、泊まれずに、車で車中泊したっていうね、ことを聞きましたけど、
まあ本当にね、ご苦労さんなんですよね。
まあそれでもね、とにかく環境を整えるということから始まって、
あとはね、ゆたろうの幼稚園とかね、預かり保育園とかどうするんだ、みたいなね、話ですよね。
まあとにかく5歳児なんでね、いろいろ一人でできるようになってますけど、
まあまだまだね、かあちゃんかあちゃんな状態なんで、誰かそばにいる人がね、必要な状態なんで、
本当、ゆたろうがいるとね、私もただの母になってしまって、何も動けないので、
とにかく預けてくれるところ、預かってくれるところを探すっていうところから始まってですね、
日本のその保育園とか幼稚園のシステムとかも何にもわかんないんで、
いろいろ情報収集したりとか、地元の数少ないお友達に聞いたりとかしてですね、
認可と認可外があるとかね、保育園と保育所の違いとかね、
いろいろそういうところから始まって、結局ね、いろいろ調べたり連絡したり見学したりしたんですけども、
地元のね、お家の近くの幼稚園にね、サクッと入れていただいて、
そして私はめっちゃフリーランスでお仕事してますというところで、
就労のね、預かり保育をね、見ていただけることになりまして、
はい、というわけでそんな感じで、本当にね、お家を整えて、ゆたろうの環境を整えて、
なんとかかんとか、父のこれからのこと、病院につき添い行ったり、ホスピス見学行ったり、
保健とかね、いろいろそういう証券みたいなものを整理したり、
というね、そんな日々でございました。
まあなんとかね、ちょっと生活のリズムもついてきたし、
こんな感じかなっていうところでまたね、私も風邪が長引いたり、
ゆたろうもね、体調崩したりっていうところで、
いや本当マジで、もう元気じゃないとやってられないっていうかね、
父もまだね、幸い介護が必要っていうよりは、家でもね、自分でお布団あげて、
食事もね、私が準備したものを簡単にね、自分でちょっと温め直して、
お散歩もね、ヨロヨロと出かけてパチンコ行って、
喫茶店でアンパン食べてというね、
そういうね、一人でなんとか動ける状況ではあるので、
介護って言うほどのものではないんですけど、
それでもね、ワンオペって言うんですか、ワンオペってやつですかって感じで、
ワンオペこそだけどね、介護ということでね、
とにかくね、ケアをしないといけない人が同時に2人いるっていうところで、
私が倒れたら誰もケアしてくれないっていうこの恐怖のね、
あの状況が結構ね、よく考えると来るんですよね。
真面目に考えるとちょっとね、来ちゃうっていうね、精神的に来ちゃうっていうところもあるんですけど、
だからこそ、どういうふうにね、それこそギブネスのね、ギブネスラジオもやってますけど、
ギブネスの原則その2でですね、困ったときは助けを求めるっていうのがあるんですけど、
ここが本当に突きつけられてるなーっていうふうにね、思うんですよね。
まあとにかくね、私は生まれも育ちも赤子なんですけど、
海外に出てね、もう17年っていうふうに長いですし、
とにかくね、ローカルに友達が誰もおらんっていうね、
たった1人ね、10歳の時からもね、親友がいてくれてるんですけど、
彼女もね、本当に何でも言うてやーっていうふうに、
本当に心寄り添って、体張ってね、サポートしてくれようとしてるんですけど、
彼女もね、5人子供がいたり、ダブル夜勤とかね、
ダブル夜勤とかね、ハードワーカー、ハードカーちゃん、ハードカーカーちゃんなんで、
なかなかね、ちょっと悪いなーって思っちゃうとかね、あるし、
弟は弟と家族でね、いろいろあったり、
でもって、愛知県なんでね、ちょっと離れてるし、
っていう感じで、本当は孤立無縁状態の中で、
本当どうするんでしょうね、なかったらどうするんでしょうねっていう感じなんですけど、
それをいかにね、本当に助けを求められる状況を自分で作っていくかっていうところは、
やっぱり人間関係構築だったりとか、
まあ、幼稚園もね、行き始めて、本当ね、
とにかく幼稚園のね、お母さんたち、
若くて可愛い、先生だってね、私が埋めんじゃないかっていうぐらい若くて、
でもまあ子供2人ね、3人ぐらいとか、いたりとかして、
なんか、ほんと眩しいなーっていう感じなんですけど、
今度ね、ちょっとママさんのね、懇親会とかあるらしいので、
ちょっとママ友ってやつをね、真面目にね、作っていきたいなーとかいうふうに思ったりしてるんですけど、
でもほんとね、一番助かるのはもう日本語が通じるっていうところですよね。
日本語が使えるっていうところがめちゃくちゃ助かっているし、
まあ細かいところもね、伝えられるしキャッチできるし、
でもってあの、薬場の人もね、病院の人もね、幼稚園の先生たちも、
お店の人もみんなみんなね、たらい回しにせずに、
本当にその、なんだろうな、困ったことがあったら答えてくれるし、
最善を尽くしてくれようとしているっていう、
そのなんか日本人のね、これもギブネスラジオでお話ししたんですけど、
そのお仕事っていうところを超えた、お仕事っていう枠を超えた、
そのギブネス精神って言うんですかね、
もうアストラル、アストラル体のようにまとっている、
そのギブネス精神にね、本当に救われてますね。
だからまあ結構ハードな状況でもあるのかなと思うんですけど、
なんとかやりくりできているのは、
日本語が数字る、そして日本の人たちみんな優しいっていうね、
ところもすごくあるなというふうに思ってます。
もう感謝することしかないですね。
本当人もそうだし、この幼稚園のね、
無償化とか、働くお母さんへのサポートとかもそうだし、
なんかこの国とか地域のね、社会システムみたいなところもね、
本当に泉さんありがとうだし、泉さんだけじゃなくてね、
それを支えてくれてるね、社会システムっていうものにね、
当たり前のように思うんですけど、
こういうふうにね、ちょっとどうするみたいなことになったときに、
改めてね、感じますね。
もう税金はいい払いますっていう感じですよ、本当に。
そういうところであとはね、やっぱ食べ物がおいしいっていうね、
もう安くて、安いのも当たり前だし、
ちょっとね、物価もそれも昔より上がっているのもすごく感じるんですけど、
それでもね、カナダとか他の国と比べるとすごく安いし、
何よりもクオリティーですよね。
本当にコンビニのね、100円おやつでもめちゃくちゃクオリティー高いし、
お寿司ね、回転寿司ね、うちの息子めっちゃハマってて、
日本最高やなっていうふうにうちの息子を叫ばせたのが回転寿司なんですけど、
100円のお寿司でもね、おいしい、普通においしいっていうね、この状況。
なので、小さなご褒美がね、いっぱいね、街を歩いているとあるというところで、
ちょっと疲れたなって思ったら、おいしいパン買ったりとか、
ちょっともやさぐれたなと思ったら、コンビニでね、おいしいポテチ買ったりとか、
それとね、キンドルのね、漫画の大人買いをね、組み合わせて、
なんかね、やみ落ちしそうになった時はね、それでなんとか自分を支えているっていうね、
そんな状況なんですけど、
父の10年間の頑張り
本当ね、父のことはね、何だろう、準備ができていたというか、
父自身もね、ある程度ね、受け入れているというか、
母が亡くなってから10年間一人でいたもんで、
最初はね、結構頑張ってお料理とかね、作ったり、家をきれいにしたり、
自分が生きていることでね、母もね、自分の記憶の中に生きているっていうふうに、
だから俺もね、もうちょっと生きるわっていうふうにね、
結構かっこいいこと言うやん、みたいな感じでね、生きてたんですよね、頑張ってね。
だから本当この10年間ね、よく頑張ってたなーっていうふうに思うんですよね。
私も1年に1回帰ったりね、コロナの時とか帰れなかったし、
もともと社交的ではないし、そんな人との関わりを求めるっていう量は、
そういうのも雑対から、なるべく一人でいたいっていうようなタイプなんですよね。
孫とか子供とかも、特にね、執着ないっていうか、
そんな感じでね、本当に自分のペースでマイペースにね、生きていけたらいいやっていう感じでね、やってたので。
なので、結構ね、まあ4名半年でっていうふうに言うと、
お母さんを迎えに行きたい気持ち
まあすごく分かりやすいので、私もそういうふうにお伝えするんですけど、
そうするとね、いやいや、がんは治るよとかね、4名3ヶ月でもね、元気になった人いるよとか、
いろいろ皆さんね、前向きな方向にね、行きづけてくださる方もいらっしゃるんですけど、
もちろんそれもね、すごくありがたいんですけど、
まあ82歳っていうね、年齢が若いかね、年老いてるかはちょっとまあ人それぞれだと思うし、
宮崎駿さんもね、82歳ですよね、ほとんど同い年っていうところに驚愕したんですけど、
人によると思うし、何よりね、本人がね、どっちの方向をね、向いているかっていうところにもよると思うので、
うちの父に関しては、自分でもね、戦国聞いて、まあ多少ショックはもちろんあったと思うし、
死に対するね、恐怖みたいなものもね、あると思うし、これから自分がどういうふうになっていくのかっていうところで、
どうなるんやろうな、みたいなところはあると思うんですけど、
でも、なんだろうな、行きたい、どうしても行きたいっていうよりは、
どっちかっていうとね、そろそろちょっとお母さん迎えに来てくれへんかな、みたいな、
お母さんの方に行きたいっていうね、そっちの方が強いんじゃないかなっていうふうに感じてますし、
そのようにね、言ってますね。
なんかずっとね、お母さんがね、私結構お母さん夢に出てきてくれるんですけど、
なんか亡くなってからね、夢でご飯作ってくれたりとか、一緒に温泉行ったりとかしてくれるんですけど、
なんかお父さんはね、全然夢に出てきてくれないっていうね、結構すねてたんですけど、
なんか最近はね、なんかこう、なんだろうな、お母さんを近くに感じるみたいなね、こと言ったりして、
まあそろそろかなっていうのはね、本人もあるんじゃないかなというふうに感じております。
そんなこんなでね、めっちゃかな日々で、孫と娘と共にね、暮らしながら、
まあお父さんもね、ほんと、もうね、なるべく優しくしようと思って帰ってくるじゃないですか、
嫁半年とかってね、限られて、もう明日ころっていくかもしれないし、まあそういう可能性も高いわけなんで、
なのでなるべく優しくしようと思って、いい最後にしようと思って帰ってきてるんですけど、こっちは。
でも父は父のね、いい分があって、やっぱり孫さえね、孫、かわいいかもしんないけど、
もうめちゃくちゃにしてくれるな、みたいな感じで、まあ父のね、領域をね、ちょっとこう、いろいろ気に入らないことってね、
ルールがあるんですよね、いろいろここのリモコンはこう置くとかね、なんかゴミ箱はね、ここにこういうやり方でゴミ捨てるとかね、
こたつの布団はね、角を合わせてとかね、なんか掃除できないくせにね、そういう俺の、謎の俺ルールがあるので、
そこをちょっとね、侵略されると非常に腹が立つみたいで、それで、それを心の中で言わずにそのまま行ってくるんですよね。
それが本当にね、私もね、普通に腹立つっていうか、普通に腹立つんですね、人間って。
嫁半年の人にね、やっぱり許してあげようとかね、我慢しようとか思えないんですよね。
なんか、どの口でそれ言うんじゃ、みたいな感じで、それを言うなら、お前だってどうや、みたいな感じでね、
喧嘩になっちゃったりも、喧嘩っていうかね、言い合いになったりするんですけど、
それでもね、結構、1時間ぐらい経ったらね、
ちょっとヨキビ大福でも食べるか、吉田類の酒場ほうろぎ見るか、みたいな感じで、
なんかこたつでね、しょうもないこと食べたりしてるっていう、
なんか、ほんと、くしゃみみたいなもんなんでしょうね、たぶん。
父のね、親父って、しょうがのじいちゃんの特徴っていうか、
なんかもうちょっとね、なんていうの、かわいくしとけばこっちもね、優しくすんのにっていうね、あるんですけど、
まあまあ、それも私のね、心のね、要領もあるのかなと思うんですけど、
そこもね、自分はあんま攻めちゃうと、ほんとマジでもたないんで、
コンビニスイーツじゃね、ちょっと癒されなくなっちゃうんで、
そこはまあ、自分で自分をね、ケアしていくこともすごく大事だなっていうふうに思っております。
はい、そんなこんなでね、とりとめもなくお話ししましたけど、
ほんとね、ドタバタの中なんですけど、それでもね、じいちゃんとね、孫のやりとりの中にね、
なんかすごくかわいいものがあったりとかね、なんか尊いね、命のきらめきがあったりとかですね、
ほんとこのザ日常みたいなね、ザ庶民の日常みたいなものの中にこそこの命のね、輝きがあるなっていうふうに改めて感じておりますし、
それを見せてくれてる父にもね、ほんと感謝、感謝なんですよ。
心の中ではね、心のそこではね、潜在意識的には感謝しておりますが、
まあ今日もね、引き続きそんなドタバタな1日をね、ありがたく過ごしていきたいというふうに思います。
はい、というわけで今日はこんな感じで、失礼します。またおしゃべりします。
皆さんも良い1日をお過ごしください。バイバイ。