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和田おはまです。少し前なんですけど、私がお散歩している時にですね、昔、私の亡くなった母親が働いていた職場の前を通りました。
懐かしいなと思っていろいろ思い出してたんですけど、私の母はずっと、昔の時代だったので、いわゆる専業主婦で、私と姉を育てながら、最初は父親の会社の社宅にいて、その後、家を買ったんですけど、
それから転勤があって、その後、自分の夫がリストラされて、みたいな感じだったんですね。で、その父親、私の父親がリストラされた時に、私はまだ中学校2年生で、姉が高校2年生で、なかなかですね、その父親の仕事が見つからなくて、その時に初めて母親がパートで働くことになりました。
で、それまでどっちかというと、恵まれてたというか、その社宅にいた頃は、私がちっちゃい時とかは、近所の社宅の奥さんたちで集まって、マドレーヌを焼いたり、子供の洋服を一緒に作ったり、みたいな感じで、どっちかというと優雅な感じで過ごしていって、初めて働きに行くということで、最初に行ったのが、
ここ、私が住んでいるところは、西宮でお酒の工場がたくさんあって、お酒の工場のパートに出かけました。
でも、やっぱりそういう雰囲気が合わなかったみたいで、結構そこはすぐ辞めてしまって、その後もいろんな仕事をしてたんですけど、結局は確かお茶屋さん、スーパーの中に入っているお茶のお店のお店番をするようになって、そっちは割と章に合ってたみたいで、結構長く続けてたと思うんですけど、
その間に、今でも思えているのが、玉姫伝という結婚式のご助会のところで働いていて、その仕事というのが、アンケートに答えてもらうということで、知らないお家を訪問して、そのアンケートを回答してもらうという仕事をしてたんですね。
で、その時は私はまだ中学生だったので、あんまり木を打ちに行くよりも、アパートとかに行った方が、結構玄関をピンポンしたら開けてくれて、そういうアンケートも答えてくれるんだよ、みたいなことを母親から聞いてて、その時は不運と思ってたんですね。
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で、私が証券会社で営業の仕事をするようになって、最初の頃はどっちかというと、もうその証券会社に口座のあるお客さんの営業の仕事をしてて、最後の方になって、ちょっとやっぱり新規開拓もやってくれ、みたいな感じで、それこそ知らない家の玄関をピンポンする仕事を最後ちょっとだけやってたんですけど、
当たり前なんですけど、普通に全然玄関出てきてくれないですし、なんか証券会社とかいりません、みたいな感じで、けんもほろろで断られ続けて、結構心が折れたんですけど、その時に。
で、その時に思い出したのが、母親のことだったんですね。母親ももちろんそんな営業経験とかないですし、それで全然知らない家の玄関をピンポンするのをやってたんだなって思って、
子供の時に話として聞いてたのと、実際自分が同じようなことをやってみて、これは心折れるなって思った時に、やっぱりなんか大変だったんだなっていうのを思いました。
で、その時、私たちもまだ中学生とか高校生で、結局その後で父親は再就職ができたんですけど、やっぱりそれまで決まらなかった期間に、そうやって母が少しでも家計の助けにということで、働いてたんだなっていうのを、
その時、自分が同じ立場になってみて初めて、やっぱりそんな思いをしてくれてたんだなっていうのを思いました。
で、やっぱり自分も親になってみて、私もその罰位置で子供育ててきたので、やっぱり大変なところをくぐり抜けてきた時に、そこで初めてやっぱり、こんな思いをして私たちを育ててくれたんだなっていうのが、
分かったなっていうのを、ちょっと久しぶりに思い出して、ちょっと長くなっちゃったんですけど、たまにはそういうのもいいかなって思って思い出していました。
ということで、最後まで聞いていただきまして、どうもありがとうございました。