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2024-02-11 09:19

大学の授業を4象限で考える ③《時空の呪縛からの解放/自由な学びへ》|四象限de U03|

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①《授業形態の4象限》

オンデマンド型のオンライン授業を全面展開すべきだと考えている大学教員たちによる、日本の大学の授業形態に関連する問題とその解決策について議論しています。

② 《授業形態と時空の4象限》

「大学の授業を4象限で考える」のその2です。授業形態と時空の4象限において、時間と空間軸に授業形態を置いてみると、どのような結果になるのでしょうか。オンライン/オフライン、そして、ライブ/オンデマンドという要素があります。前回のその1では、「大学の授業の4象限を考える」というテーマで、授業形態の4象限について話しました。

③《時空の呪縛からの解放/自由な学びへ》

「大学の授業を4象限で考える」その3は、時空の呪縛からの解放、そして自由な学びへというタイトルです。このポッドキャストでは、オンデマンドやライブ、オンラインや対面の問題が時間や空間の問題として現れ、教室割や時間割、オフィスアワーや時間割外の教育による不自由や自由が議論されています。

③-1 時間割・教室割の呪縛/時空からの解放へ

時空の呪縛と解放の4象限 ©︎2024 TAKAHASHI HAJIME

③-2 学生の不自由・教員の不自由/自由な学びへ

呪縛からの解放と自由な学びの4象限 ©︎2024 TAKAHASHI HAJIME

サマリー

「大学の授業を4象限で考える」その3は、時空の呪縛からの解放、そして自由な学びへというタイトルです。このポッドキャストでは、オンデマンドやライブ、オンラインや対面の問題が時間や空間の問題として現れ、教室割や時間割、オフィスアワーや時間割外の教育による不自由や自由が議論されています。

時空の呪縛と教室割・時間割
「大学の授業を4象限で考える」のその3、 「時空の呪縛からの解放、そして自由な学びへ」というタイトルをつけました。
前回その2では、実はオンデマンドとか、 ライブとか、オンラインとか、対面とかっていう問題は、
客観的、普遍的なレベルで見ると、 時間を共有する、空間を共有する、時間から解放される、空間から解放される、
そういう4象限なんだ、という話をしました。
そして、それは具体的には、 ー抽象的には時空から、時空の自由ということと絡むー、
具体的には、大学のキャンパスにおいては、 時間割と教室割の問題として現れる、という話をしたわけですね。
このその3では、再びですね、再び、ライブ/オンデマンド、 オンライン/オフラインという4象限に戻して。同じことなんですけれども、
ただ、次元が違うというかね。
1つは客観的、普遍的な、抽象的なレベルで、 「時間/空間」という問題としての4象限とぴったり重なるという話が1つ。
それから、具体的には「教室割/時間割」の問題と 重なるんだと。この問題はね。
そういう問題なんだ、ということですね。
その上で、それを前提にライブ/オンデマンド、 オンライン/オフラインにもう1回戻すと、
最初のこの3の最初の4象限ですけれども、 左下からいきましょう。
「対面授業」。
ちょっと真ん中のところに、「対面授業/オフィスアワー/オンラインライブ/オンラインオンデマンド」というふうに書いてあるんですけれども、
結局こういうことなんですが、 左下、第3象限ですね。
これは結局、「時間割と教室割に 具体的には縛られている」ということです。
その上、第1象限。
これは先ほども言ったとおり、 先ほどというかその2で言ったとおり。
「オンラインライブ」ってのは、 結局、「時間割に縛られている」ってことなんですね。
オンデマンドが好きとか、ライブが好きとか、 対面が好きとかいうレベルの問題じゃなくて、
これは「時間割に縛られているだけの話」だということですね。
そして右下、「オフィスアワーや時間割外」ですね。
時間割外の教育、教授、学習については、 これは実は「在室中」にしなきゃいけない。
これ教員ですね。「教員だけが縛られる」んです。 学生は全く縛られないんです。
まあ縛られないというか、オフィスアワーに 質問に行こうという人はその時間を意識しなきゃいけないわけですけど、
それはある意味、主体的に、 その時間を利用するわけですから、
ただ教員の場合には来るか来ないかわからない学生を、 研究室で待ち続けなきゃいけないという話なんですね。
右上。「オンライン・オンデマンド」のメリットは、 この「時間割、教室割から解放」される。
オフライン・ライブ授業とオンライン・ライブ授業
これはまさに、「時間から空間から解放される」。 まあそういうごくごく当たり前の話なんですけれども。
そしてその次行きますね。 もう一つ「四象限」入れてあるんですが、
これを教員と学生という、 まあここで問題になるのは教員と学生なんですが、
面白いのはオフラインの「対面授業」ですね。
オフラインライブの対面授業ってのは、 「教員も不自由、学生も不自由」。
この不自由ってのは時間と空間に対して。時間と空間からの不自由。
「時間と空間に縛られる」って意味での「不自由さ」を持つっていうことですね。
教員がその時間、前の日飲みすぎて寝倒して、 酔っ払って二日酔いで、あるいは健康を害して出れなければ、
もう対面授業は「休講」になるわけです。
学生が前日夜更かしして遊びすぎてね、 その日授業出れなければ「欠席」になって「単位を落とす」わけです。
これは「まさに不自由」なわけですよね。
「なぜその時間と空間でしか教育が提供されないのか」と。
このオンライン・オンデマンドが可能になっている時代にですよ。
なぜそんな時間と空間に縛り付ける必要があるのかって。全くナンセンスだと思いますね。
そしてその上、「オンライン・ライブ」。 これは実は「教員も不自由、学生も不自由」。
空間からは自由なんですが、 「時間的には不自由」ということで両方不自由。
面白いのが「オンデマンドのオフライン」ですね、オフィスアワー。
「学生は自由」なんですね。「教員だけが不自由」になる。
そういう仕組みだっていうことなんですね。
「どちらも自由」になるのが、つまり「自由な時間と場所で、自由に教育内容を伝達する」。
それが「オンデマンド・オンライン」上に載っかることで、 学生はまた自由な時間と自由な場所で、
それを学び取ることができる。 これ、「双方にとって自由」だってことですね。
ここで何が見たいかというと、授業形態の問題、
単なる授業形態の問題じゃなくて、これはそこに関わる 「教員と学生」っていう2種類の「主体」がいるわけですけれども、
その「2つの主体からすれば」、 こういう「自由と不自由の問題」になるんだっていうね。
オンデマンド・オンライン教育と自由な学び
そういう話ですね。
なので、この「時空からの解放」。そして「教員の自由」「学生の自由」。
これを実現すればいいじゃないかと。
問題として、これ次のテーマになるわけですが、
ここで問題は、今ずっとこの1、2、3で見てきたのは、
授業形態を、「ライブ/オンデマンド、 オンライン/オフライン」で位置づけると、
それは時間と空間の問題として言えば、 「時間の共有」、「空間の共有」、
それは裏側から見れば、「時間と空間に縛られる」と。 呪縛されると。「不自由」だと。
その「不自由さ」っていうのは、 実は教員と学生では違いますよという、
そういうことを見てきたわけですね。
具体的な問題としては、「時間割の問題」、 「教室割の問題」として、
これが学務課職員、教務課職員の不自由と 労働強化に繋がるっていうね。
全く無駄ばかりなんですけれども。
ここで次の問題は、結局、「オンデマンド・オンライン教育」は、学生も自由で、
教員も自由でいいかもしれないけど、
それはむしろ「教育にふさわしくないんじゃないか」 という話が出てくるわけです。
次のテーマは、当然出てくるのは、
ここで、「オフライン・ライブ=対面授業」、 そしてオンラインライブの「オンライン・ライブ授業」、
そしてオンデマンド、「オンライン・オンデマンドの授業」、
そしてオフィスアワーなどの「時間割外の授業、教授」。
このそれぞれのメリット、デメリットですね。
それぞれの授業形態には、どういうメリットがあり、 どういうデメリットがあるのか、
今見てきたのは、「時間と空間」と「自由、不自由」ってことだけで 見てきたので、
一番大事なのは、「どの授業形態が最も教育的か」「教育的に効果があるか」。
「学生にとって教員にとって、どういうメリット、 デメリットがあるのか」っていうことを見ていくことが
次の大きなテーマになってくるわけです。
ここで、「オンデマンド・オンラインの優位性」ということがはっきりすればね、
「なぜ、未だに日本の大学はみんな 対面授業にこだわり続けるのか。」
「その理由は何なのか。」
「なぜ不自由な思いをしてまで 対面授業にこだわり続けるのか。」
ここにはいろんな問題があるわけです。
それを「阻んでいるものは何か」、 それも明らかにしていきたいと思います。
とりあえずこれ、ここまで。もう前提の前提の話ですね。
大学の授業形態、単にライブかオンデマンドか、 オンラインかオフラインかっていうだけの話じゃない、
非常に「教育の本質」に関わる、 あるいは「自由な学び」、
「教員」にとっても「学生」にとっても 「自由な学びとは何なのか」っていう、
もう「教育の本質に関わる問題」と 結びついてるんだっていうね、
「単なる授業形態の問題じゃない」ということが ここまでの話です。
もう大学の授業になってきたね、これ。
ポッドキャストっていうよりもね。
ということでここまでにしたいと思います。
その3、終了。
ここまでで一応、この「授業形態の4象限」は終わり。
次に、今言ったとおり、「それぞれの教育効果」、「メリット・デメリット」を見ていきたいと思います。
ではまた。
09:19

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コメント

自由な学び,これが本当に重要だし,それができるのが大学だったのに,カリキュラムだの単位だの時間割だの教室だのとさまざまな制約でがんじがらめになっているのが,今の大学だと思います。学生も,教員も,自由に学ぼうよ,その自由はいま技術的に本当に大きくなっているんだよ,ということを言っていきたいですね。 たかはしさんの配信で,時間割や教室割の実務を担当する事務職員や教員(教学委員)の労働強化ということは,気づいていませんでしたが,まさにそうですね。私も,教学委員を結構長くやっていたので,大変さが良く分かります。少し何か変えようとすると,連動していろいろなことが関わっていて,神経がすり減ります。カリキュラムがころころ変わったりすると,もうワケが分からなくなります。事務の方は細かいところまで熟知していて,本当に頭が下がるのですが,そんなことに膨大なエネルギーを使うのはどうかとも思います。

時間割と教室割に縛り付けられる必要はすでに皆無なのに、なぜか皆、自ら進んで鎖に繋がれたがるんですよね。不思議だ。謎だ。マゾだ。

田中浩朗(たな)
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