00:00
皆さん、こんばんは。映画フリークな夜、パーソナリティーの丸山です。
ん?なんか、デジャヴですか?
そうです。この回は、久しぶりに映画の回なんですけども、これ18回でちょっとやったボケなんですけど、ボケっていうか、僕は本当は映画フリークな夜をやりたいところなんですが、
もういいんちゃうかな、それ。
そんな18回とかまで覚えてるなら、せめてパターン変えてほしかったですね。
あーそうね、違うパターンでね。
っていう、明るい話ができるのはここまでじゃないかっていう感じなんですけど、
今日は、映画まるまるの回で、何をやるかっていうと、デッドマン・ウォーキングなんですね。
これもうすでに僕は後悔しています。この映画をみんなで見ようって言ったことに対して。
だから、私は言いましたよね。違うやつを提案したはずですよ、私は。
いや、南口さん、どっかでこう、死刑の案件としてはやらなあかんのじゃないかって、僕の中ではこれ南口案件なんですけど。
いや、そんなことないと思う。もうちょっとほら、明るく終われる映画っていうのを提案してたと思うつもりなんですよ、私としては。
せめて希望があるやつって言ってね。
そう。
デッドマン・ウォーキングは相当皆さんの体力を奪いますので、かなり元気なときか、そのあと何かいろいろ発散できるときに見られることをおすすめします。
この機にね、一緒に見ていただけたら嬉しいですね。
年末年始これで乗り越えていきますか。
年末年始は…。
明るく言った。
はい。
まるちゃん教授の罪な話、市民のための犯罪学。
刑事政策犯罪学を専門とする立証大学教授で、一般社団法人刑事司法未来の丸山康裕です。
同じく刑事司法未来の山口由貴です。
同じく南口文です。
このトーク番組は、一般社団法人刑事司法未来が送る、これまでとは異なった視点から罪と罰を考えるものです。
ニュースでは聞けない犯罪学、刑事政策の話について、わかりやすく解説をしていきます。
お堅いテーマですが、なるべく親しみやすい形でお伝えできればと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、今日はエンタメ会で、デッドマン・ウォーキングについてお話しします。
はい。
デッドマン・ウォーキングについて語ります。
私たち、毎回お伝えしていますが、ネタバレ気にせずお話ししますので、よかったら先に見ていただいて、それから、例えば過去の9回とか10回の死刑の取り上げた罪の話を聞いて、今日のこの続きを聞いていただくと嬉しいなと思います。
前回なんか、エンディングどう考えるかから始まりましたもんね。
画期的な映画の話ですよね。いきなり最後どうですかから始まったから。
そうですね。
ぜひご視聴ください。
『デッドマン・ウォーキング』の紹介
もう既に暗くなってきてるけど、デッドマン・ウォーキングどんな映画かちょっと説明してもらえます?
そうですね。ちょっと気を取り直して、デッドマン・ウォーキングのご紹介をいたします。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
処刑に立ち会っているご遺族に謝罪していくと
その後の執行の様子とか
最後マシューのご葬儀のところまでが描かれるっていう映画です
これは実際に何人もの死刑囚に精神アドバイザーとして付き添った
シスター・ヘレン・プレジャン本人が書いた同名著書ですね
日本語訳も出てます
デッド・マン・ウォーキングに感銘を受けたスーザン・サランドンがヘレンを演じて
第6回の罪の話で取り上げている
ショーシャンクの空に出ておられるティム・ロビンスが
監督脚本を手掛けて描かされています
スーザン・サランドンはこれでアカデミー主演女優賞を取り
死刑囚はショーン・ペンが演じているんですけど
主演男優賞初ノミネートの作品となっています
という映画です
じゃあ早速話していきますか
そうですね
いつもどのシーンが気になりましたとかなんですけど
もうちょっとフリーにここが気になったよとか
あれって制度として何なんですか
どこから行きます
そうですね
じゃあいつも通りほら初めて見たんじゃないかなっていう山口さんに
初めてですか
初めてです
初めてなんやさすが貫くね
見る前と見る後の気持ちがだいぶ変わりましたが
印象に残ったところといえば
シーンとしても描かれるんですけど
被害者の目線加害者の目線っていうのが描かれていて
そこの被害者の立場が
加害者の立場からっていうところの目線の難しさというんですかね
初めは結構加害者側の目線で描かれていて
もう感情移入して見てたら
被害者の方
お遺族が出てくるんですけど
そちらからの目線で描かれると
やっぱりすごい気持ちが揺れるというか
折り合いをつける難しさというか
っていうのをすごく感じました
実際の事件っていうか
やっぱり多くの例えばエンターテイメントとか
なんかこういう映画とか舞台とか扱われるのって
例えば冤罪でしたとか
なんか強大な敵と
例えば大きな国家権力と
冤罪の人が戦って無罪を勝ち取るぞとか
いろんなやった感があふれる
完全に諸悪ではないけど
やりきった感があるようなのが
普通エンタメみたいなんて出てくると思うんですけど
戦わねばって思うものが多いですよね
そうですよね
でも今言ってくださった通り
多くの事件で
本当に冤罪じゃなかった場合っていうのは
被害者側の思いとか意見も当然あるし
で加害者側の勝手なこと言うなって
お怒りもあるでしょうけども
それの理由があってっていうところの
葛藤この映画って
加害者と被害者の葛藤
冤罪とかそういうのを前提としない
しかもあんまり加害者側に
気持ちが持っていかれるような事情が
多分あえてあんまり描かれませんよね
苦労してたとか
なんかしょうがなかったんだよねとか
そういう心が寄り添えるような事情が
ほぼ描かれないので
またショーンペンが憎たらしい
演技するんですよね
いろんなシーンでも
シスターのさっきのスーザンがやったのって
ヘレンなんです
この役名で言ってきますけど
ヘレン自体もシスターとして
いろんなところの貧しい地域のサポートをしていて
そこでアフリカンアメリカンの
ここではちょっと分かりやすく
黒人の人って言いますけど
黒人の子たちが
貧困の地域でサポートしてるってことを言うと
あんな街によく住めるなとか
すごい白人史上主義的な発言するし
なんだこいつは
多分生理的にはすごく嫌な
ヘレンにとってもね
そうだと思いますね
人が描かれているんだけど
じゃあなんでこんなやつをサポートするのかと思うが
ただけげなカトリックのシスターなので
困ってる人には
それを差し伸べて
神が導くままにサポートすべきだ
ってところの葛藤が描かれていて
ヘレン自体はなんでこんなことしてるんだろう
っていうシーンが結構ありますよね
多分だから見ていて
自分もその立場
ヘレンの立場に立ちやすい感じはするかな
そういう意味では
この人助ける必要あるの?
っていう
そういう意味ではあんまり
そういう映画ってあんまないですもんね
冤罪じゃなくて
こいつは死刑でいいんじゃない?
みたいな
みんなの怒りと
当時あの時の
例えば初めて刑務所行く時とかに
道路の横にある看板に
知事の看板立ってて
ゲットタフやったかな
犯罪に厳しく行くぜっていうのが書いてあって
それに対してやっぱ
あの州
ルイジアナ州なんですけど
死刑賛成
今はちょっとどうなってるかまた後で話しますけど
時に死刑を持って
原罰に処すべきだと
犯罪とは立ち向かうんだっていうのを
声高に言ってる知事が通っていく
時代
で犯罪に対して
否定して
立ち向かうぞっていう時に
みんながそれが当たり前だと思ってるし
ってところに
彼女が向かっていくっていう
なんならあそこに自分が当事者っていうか
サポートとして使う
あんまり考えても
それが当たり前だと思ってる
時だと思うんです
被害者の家族の揺れる心情
で実際会ってみたらさっき言った通り
すげー嫌なやつだし
白人史上主義だし
なんならあれほらテレビで
なんかナチスがいいんだとか
そう
白人史上主義だとかでわざとなんか
強い姿を鼓舞してるような時に
着てるTシャツが
ルイジアナのホームレスを助けましょう
みたいなTシャツ着てんのよ
ちょっとどうなのっていうね
あのシーンでさほらソファーに座りながら
なんで私はこんなやつを助けようと
してるんだとかって言ってるじゃない
あの時に着てるTシャツぜひ見てください
あのねルイジアナホームレスを助けよう
っていう
カンファレンスのTシャツ着てるから
なんかそのヘレンの
そういうなんでこの人っていう
思いがね山口さんさっき言ったみたいに
被害者のご遺族と
会うことによって
余計揺れる
当たり前だと思うんですけど
その被害者の方たち
ご遺族の方が描かれてるところで
やっぱり二家族出てくるんですけど
二家族の
ありようが固い方はすごく
最後までやっぱり怒りをとても強く
持たれてるしもう片方は
離婚して家族も
潰してしまったご夫婦も潰しちゃって
でお連れ合いの
夫の方のお父さんが
最後でも
お葬式に来てくれるじゃないですか
遠くから見てて別に手合わせる
とかじゃないし
許すとも言わないもちろん言わないけど
来てくれてそういうやっぱり
ご遺族だってあんなやつは
死刑にしろって全員が言い続けるわけ
じゃないというかそういう
揺れるみたいなところが描かれてるの
とかもすごい大事な視点やな
って見ながら被害者のところは
そう思ったんですよね
打ち合わせの段階でここ話すとかあまり思ってなかった
んですけどあれの映画のまた大事なところ
ってあの当時にもうすでに
当事者のミーティングされてて
多分ああいう
重大な犯罪に巻き込まれた被害者の
ミーティングでうちの子は
こうだったとかうちの人はこうだった
みたいな中で自分のケースを
話してで分かり合える人たちで
ミーティングしあってでさらに
あの時のシーンとしては
そういう重大な殺人事件に巻き込まれた
被害者のうち70%は
もう離婚するんですとか
っていうのがいやもう本当に被害
残された被害者家族に対しても
とんでもないなんかいろんな
死刑執行までの時間と日本とアメリカの死刑制度の違い
ものが残っていくんだなっていうことが
分かるシーンですよね
本当にそういうのも丁寧にというか
書かれてて簡単に
被害者の気持ちを考えたら
こうしろとかそんなこと
簡単に言えないよねっていうのが
描かれてますよね
被害者との関連ではそんな感じ
ですよね
私としては死刑囚の方が
要は
死刑執行されるまでの時間が
描かれてるじゃないですか
それが9回とか10回とかの
罪の話で聞いてた
日本の流れと
だいぶ違う
特にやっぱり気になるのは
日本だと当日
今日執行ですよって言って
処刑されるっていう風に
私としては認識してるんですけど
映画の中ではずいぶんいろんな
段階があって要は
マシューが自分がこのままやと
死刑になるってなんか執行日が決まった
って言ってから結構長いじゃないですか
あの辺がちょっと手続き的なところ
教えていただけるといいなって思ったんですけど
確かに日本と全然違うイメージですよね
なんか長かったしね
さっきもおっしゃってくださった通り
日本っていきなりその当日執行の
朝に行くぞってなるんですね
今はね
ただ執行に立ち会ったことのある人の
話を聞いた時に数十年前の
日本も何なら前日に
伝えるとか家族と
電話話すっていう時があったんですって
そうなんですね
でそれが今の運用としては
当日の朝夕ってなってて
これがちょっとその運用はどうなんか
ってことが色々問題視されてるんですけど
それはそれでちょっと置いといて
で映画のこのルイージャナ
94年だったかな執行されてる
っていうのが描かれてたのが
でここでもさっき
南口さんが言った通り
まず家族に会う時間
そもそも明日どころか
1週間後2週間後ぐらいに
執行しますって決まって
でそれをどう過ごしていくか
その後にどうやって
上訴するかとか
もしくは御社の
訴えに出るかとか
こんな色んなことが描かれてて
あれちょっと複雑なのが
直前まで電話取ったりとか
なんかどっかに聴聞会に出たりとかして
これ何してるんやろっていうのが
はてなって出てくるんですよね
薬物注射による執行方法とその問題点
なんかずっと頑張ってる感じは分かる
あれね2つ頑張ってたんですけど
大きくまず最初は
自分の裁判自体をもうちょっとちゃんと
やってほしいっていうので上訴したかったんです
で
自分の裁判をもう一回見直してほしいってことも
やりたかった
でそれは何でかっていうとさっきのほら
共犯者は無期懲役だったけど
自分は死刑だった
しかもその時のついてた弁護人が
税法専門で初めてこういう事件をやる
みたいな人で
言ってた言ってた
でこれだと弁護過誤なんじゃないの
これ確かに今のアメリカの
死刑裁判でいくと
死刑の案件っていうのは必ず
スーパーデュープロセスっていうような
特別な
でそこで
弁護側も必ずこう死刑案件を
扱った人が入って
とかちゃんとチームが組まれないと
そういう案件をやってはならないっていう
前提があるんですけどこの当時のこの
描かれ方だと全然こういう刑事事件に
さえ慣れてない人が裁判に
関わってしかもその死刑が出るような
事件にも関わらず4時間で審理が
終わって異議申し立てをしたのが
1回だったと
そういうのずっと言ってるシーンありますね
で以前にも死刑の話題を
取った9回と10回を
聞いてもらったら分かる
と思います
なんですけども死刑をしていいのか
みたいなところのあれをだから上訴
したい最新というかこれ事件を
本当にこの人が犯人
なんか犯人だとして死刑が相当
なんかってことをやりたいっていうのが
一つでもう一つは
御社っていうのがあって
それはその法の執行権限のある
人が止めたり延期したり
できるんですけどアメリカ
基本的には50州それぞれの
法律で運用されているので
ルイージアナ州はルイージアナ州の
知事がこの人に対して御社
しますよって言うとその執行は止まったり
で原刑されたりとか
っていうのがあるのであそこで言ってたのは
特社だって言ってたんですけど特社の新聞会
を開いて
で知事が死刑を止めろっていう風に
してほしいっていうのと複雑に
それ何個も動いてるんですよなので
順番にあれが次はこれがある
次はこれがあるとかって挑戦していくんだけど
でどれもいずれも
いや君の上訴は却下されたよ
とか知事に訴えたやつは
執行の場面と立ち会いの違い
通らなかったよとかでこれがこう
どんどん繰り返されてただそれが
執行が決まってから一生懸命こう
日程の間にすごい勢いであれが
進んでいくんですよね今の死刑の
ところでその手続きも
だいぶ違うなっていうのが描かれてた
と思うんですけどセリフの中で
デインキースとか公死刑
とかそういう残酷なやつじゃなくて
より新しい制度
として薬物注射が
入ったからこうやってやるんだよ
みたいな説明を事前に
しているシーンがあったと思うんですよね
その中で日本って
もう27年
前のアメリカで
あれは残酷だから違う方法
にしたよって言われてる
死刑執行方法を
今もしてる
日本の公死刑の
残虐性が争われたっていう
やつに関してはこれまた9回
10回のこと聞いてもらったらいいと思うんですけど
この薬物
による執行っていうのが
大体この90年代後半
真ん中後半ぐらいからアメリカでは
より人道的な
人道的な
死刑の執行方法があるんじゃないか
ってことでいろいろな
執行方法の中にこの薬物で
死刑を執行するっていうのが出てきたんです
でこれが
睡眠状態というかまずこう
カムダウンさせて
その後にこの映画では肺の機能を
落とした後に心臓をって言ってたんですけど
でこうまず
精神を落ち着かせるとか眠りにつく
ようなものの後に内臓が
機能を停止させるような禁止感のような
ものを入れてって
動きを止めて死刑が
執行されるってやつなんですね
ちなみにですけど
2014年だったかな
オクラホマで
本当は痛みを伴わないからこれが人道的だ
って言ってたんですけど激痛を
訴える執行中に
人が出てきて
で今までこれ人道的で痛みを
伴わないからっていうのでやってきた
この薬物注射による
執行方法が一旦止まったんですよ
これ痛みを言ってるから
人道的な
処刑だと違うじゃないかと
でもその後再開するんですね
再開するんですけど今度
その薬物注射をする
執行の薬作ってたのって
ファイザーだったんですけど
ファイザーに避難が来るわけです
なんか人を救うとか
人の健康のために
製薬会社ってやってるはずなのに
その執行に使われるような
薬を作るとは何事かと
これが
ファイザーは
もちろんその執行のためだけに作ってたわけじゃないし
治療にそれが
必要な人もおるから作るんだけど
かといっても死刑執行に使うのは
ダメです転売もダメですっていうので
一旦またこれで打てる注射が
なくなったから止まるっていうのがあったんですけど
でもそれはもう他の製薬会社が今は作って
やってるんですけど
そういう風によりこれ人道的かってなって
注射になったんだけど
その次にその注射でも
いやこれはちょっと人道的なんじゃないんじゃないのっていうのが
繰り返されてアメリカではそういう問題が起きて
止まったり始まったり止まったり
始まったりっていうのがあります
劇中でもそういう
とこありますよね
弁護士さんが言わはる
眠ってるように見えるけど実は
内臓はね
神的にはすごい苦痛を伴って
ただ麻酔で寝てるから
現れてないだけだみたいな
ある弁護士さんが一生懸命ね
訴えはるし
そういう議論の後
アメリカだって今かなりの州で
申し訳ないわけじゃないですか
残酷が残酷じゃないか
っていうことが日本でやっぱなかなか
語られないですよね
それが語らなきゃいけないから
その10回でご紹介した裁判が
今起きてるってことだと思うんだけども
なんかこう執行されました
っていうニュースの時にも
そんな風にならないのは
あれですかあの映画で印象的な
あのやっぱりご遺族とかの
立ち会いがあるって要は人目に見える
アメリカだとね立ち会ってますよね
執行の場面で
結構衝撃的ですよね
日本だと誰が立ち会うんですかね
もちろん被害者だから見に行かないといけない
とか立ち会わないといけないとか
それ立ち会いの
ご希望ですよね
マスコミの人
メディアの人も
関わって執行の場面にいる
じゃないですかね
日本はそういうのないですよね
検察官が
それはもちろん見て報道しなければならない
って思うメディアの方が
見て報道することで
いや残虐とかいう論点
どうかなって思う映画じゃないですか
なんていうのかな
眠るように死ねばOKなのか
っていう
周りの見てる人が
落ち着いて見れるならそれでいいのかってことでしょ
本人がもしかしたら
目に見えないところでとても
苦痛かもしれないにも関わらず
あの映画で見る限り
皆さんちょっとあれなんですけど
死刑執行のところまで全部演じ切り張るんですよね
そうですね
マッシュが本当に死んでいく
あれがどれだけリアリティあるかって
それは分からないけど
こちらとしてはリアリティを持ってみますよね
やっぱね
安らかに眠ればいいのかっていうところで
実は安らかには眠ってないんじゃないか
思っていて
ほぼ最後のシーンでまた
ネタバレ
ネタバレになっちゃうんですけど
ヘレンが最後に今だと思うときに
目を開けてください
愛が見えますからって言うじゃないですか
でまあその執行されてて
最後だっていうときに
パッと目
開けるじゃないですか
でもあれって
もう角度的にもヘレンが見える角度ではないし
寝かさないと
寝かされてるから
多分このヘレンが見てるのを
見れないじゃないですか
俺見えてたと思うよ
横にして
右見たら
ここの一番端っこにヘレンいてん
なんか反対側に座ってたら見にくいかもしれないけど
こっち側見てる
私は2回見たんですよ
でなんか1回目は
まあなんかそういうことか
最後に愛を見ようと思って
目を開けたのかって思ったんですけど
2回目見たときに
あれこれ見えないんじゃないかな
と思って
そのときに見てた夢が
犯行の当時の
映像が流れるじゃないですか
だからなんか悪夢を見ながら
亡くなってて
悪夢を見る象徴として
体的にもすごいしんどくって
死刑囚の心情と疑問点
全然安らかではないんじゃないかなっていう風に
思ったんですよ
これはちょっと解釈分かれるところやな
ぜひちょっと聞いてる人も見てほしいんです
僕だとほら最初
執行される前に起こされて
被害者の方を見て
最後はなんかこう
悔い改めたりとかとかするじゃない
ってことはどこに誰がいるか
あの時点で見てると思うのよ
で横向きに倒されてるから
そのまま横見ると
あ向こう側に倒されたんじゃないかと思ってるだけ
横向きじゃない
でも確かにさ
たとえ横であって
目線の先にヘレンがいるとしても
私としては
私は目線の先にはヘレンはいると思ったんだけど
彼のあの目に
人は映る状況なのかなってことで
意識はもうないんじゃないかってこと
どうなんやろうって
山口さん言った通り
あの犯行のシーン
後悔
立ち去ればよかったって多分
何百回も思ったやろうし
後悔とやっぱり
死にたくない
っていうのがそのまでのシーンで
手が震えてたりとか
っていうところで
とても山口さんが今言ったように
安らかな死なのそもそも
っていう
そもそも
安らかに死ねるから
死刑はこれでやりましょう
っていうこと自体が
確かに疑問だと
より人道的なものでっていう風に進んできたけど
消去法ってことでね
どこまで行ってもその人道的かどうかって
ちょっと議論が続くんじゃないかってこと
ちなみにですね
ルイジアナ州は事実上廃止州なんですよ
日本の死刑制度の変化
今
10年以上執行してない国とか
州とか地域のことを
事実上廃止国とか事実上廃止州
って言ったりするんですけど
ルイジアナ州は
今現在ではもう10年以上やってないので
事実上廃止州になってますね
これ原作の
文庫本の最後の解説は
ノンフィクション作家の大塚紀文子さんが
書かれてるんですけど
27年前の本でですよ
日本はこの本を読んで
日本の死刑州が
同じだと思わないで
教えて
自分もアメリカの死刑州は
日本の死刑州と比べると
随分熱くもてなされていて
最後まで
死刑州を人として扱っている
っていうのが書かれてて
これを書かれてから
30年経ってんのに
結局あんまり日本の死刑のやり方が
じゃあこの30年で何か変わったかっていうと
ちょっと私の知る限り
あんま変わってる風はないと思うんですよね
その直前に言うとかもそうだし
家族と会えるかとか
最後は本当に手を尽くして
本当に絶対にこの人死刑にしないといけないのか
っていうのを考え直すとか
上訴審の
もう一回考え直すとか
例えばとか
それとか丸山さんが言ってるような
スーパーデュープロセスで
ってなってないから
日本は今でも一審で決まったまま
死刑になる方だっていらっしゃるし
って思ったらこの30年何やったんやろうな
っていう風に
死刑執行と人間の尊厳
気になりますよね
死刑だけじゃないんだけどね
そうですね
この死刑のところの
もう一個私これ言っときたいのがね
直前に言うじゃないですか日本は
執行ね
これが今大阪で
裁判になってて
直前に言うっていうのは
それ自体が人間の尊厳を否定するものだ
っていうのが今戦われてるんですけど
アメリカだとああやって
映画で描かれてるように
家族に会えたりっていうのが
その話のところで
なんでそれが人道に反するというか
っていうところで
医療の世界で
死が避けられないような
病気になった時の告知が
昔は確かにショック受けるから
って言わないで
告知してほしいんだよな
欲しいかどうかみたいな考えたりとかね
それが今は医療の世界では
基本的には原則告知
自己決定
自分が自分の人生をどう生きて
どう終えるかっていうのは
自分で決めるっていうのが
医療の分野では時代の流れで
到達してると
それは時代で変わるもんじゃないですか
どうがやっぱり人として扱うってことなのか
とか人として生き抜くって
どういうことなのかっていうのが
医療の分野でそうやって時間が経って
変わって生きてるのに
死刑は相変わらず
本人の心情を安定させるために
とか言って
言わないで
でもその人が人として生まれて
どう生きるか
どう死ぬかっていうのは
本人がやっぱり考えていくっていうのが
それが人間の尊厳ってことだと思うんだけども
医療分野がこうやって変わってても
こっちは変わらないまま
例えばそれに関して
多分一般の人ですよ
法律とか何も詳しくない一般の人は
被害者に感情移入したときに
被害に巻き込まれた人は
そんなことも
この映画でも被害者は
そんなことも祈る時間もなかったし
これを痛みを分ける時間もなかったにも関わらず
なぜ加害者にっていう話は出ると思うんですけど
一般の人はそう思うのはあれかもしれんけど
そもそも法治国家として
じゃあこれが残虐な刑罰じゃない
そもそも残虐な刑罰は禁止されてるわけだから
ってなったときに
法律国家としては
執行するときにどうするのかっていうのは
一般市民としては
一般市民としては
一般市民としては
ちょっとまた別枠で
ちゃんと考えるべきですよね
そりゃそうですよねやっぱりね
どういうふうな制度で
国が人の人生というものを扱うのか
っていうことだからですね
これちょっとね話を変えていく
ズーンとなってきてるから
これがあれになるか分からないですけど
多分ですけど僕の予想っていうか
これそうだろうなと思ったんですけど
最後ね最初初めて刑務所行った帰り道
無意識に120キロ出して
スピード違反で捕まるじゃないですか
あそこのときに来た保安官って
ショーシャンコのときの
監修長ですよね
言ってました
多分同じ俳優さんやと思うね
すごいネタを
今放り込んでいらっしゃいましたね
気づきました
全然気づかなかった
あれ絶対そうやと思うわ
一応そんな役の人誰やろとか
頑張ったけど
ぜひこれ見てる人
いや違いますよとか
あれは似てるけど違いますよとか
もしあったらコメントで
誰々さんでしたとか
ご存知の方がいらっしゃったら
最近エンタメ界は
映画好きの方にも
たくさん聞いていただけてるので
ショーシャンクの空にももう一回見ようかな
そして
今日のお話だとちょっと
デッドマンワーキングももう一回
見ないといけない感じに
ぜひ見直してもらいたい
ちなみにですけど今更僕最初に言おうと思って忘れてたのが
デッドマンワーキングっていう
題名
大事なこと忘れてた
これね死刑失効
される時に
死刑を執行される場所に本人が歩いて
行きますよね
ここで監守だったりとか
同じ死刑囚のボーにいる人たちが
デッドマンワーキングって叫ぶんですよ
これもう死んだ人が歩いてるぞ
って言ってこれから死刑を執行される
人のところに自分で歩いていくから
死んでる人が歩いてるっていうことを
みんなで言うっていうのがデッドマンワーキング
って言うんですよね
映画の中でも一箇所だけ出てきますよね
そこだけ英語がポンって
飛び込んできました
確かグリーンマイルでも
向かう時に
隣のボーの人たちが
デッドマンワーキングって言うんですよ
これがこの映画のタイトルになってるんですね
そのシーンで
おむつがチラッと見えたりとか
ブーツ
履かしてほしいって言ってね
ブーツ履いていくって言ってたしな
あれはちょっとやばかったですね
やっぱり気になってんのは
見た目が平穏だけど
本人としては体の中で
見えてないところで
異変が起きてんじゃないかってところにやっぱ関心があって
おむつをしないと
大変な状態になれるんじゃないかと
この時には履いておきたいって言われた
ブーツを脱がされたりだとか
足の毛を剃られたりとか
ブーツじゃなくて
スリッパのもの悲しげな感じとか
安い感じのスリッパのね
ちなみにそうや
家族に俺の遺品やから
持って帰ってくれって言った時に
ブーツだけは残してくれって言って
履いていく
自分のもの唯一の自分のもので
俺を履いていきたいからって言った時に脱がされて
っていうところだよね
南口さんおっしゃられた尊厳のお話
にも通じるかと思うんですけど
なんとも言えない気持ちになりました
せめて執行するにしても
そのままではブーツで行ってとか
っていうのもあったかもしれないもんね
おむつ見えの結構衝撃よね
確かに
平穏に死ねるんじゃなかったの
っていうね
だからそれはやっぱ体の中で起きてる異変が
見た目とは違って何かがあるから
おむつを履かすんだもんね
やっぱりそういうのはあるよね
見た目の平穏って何っていうのがね
被害者家族言ったけど
加害者家族のことも言っていくないですか
それで言うと
一番ちっちゃい弟
感情が
無関心というか
お葬式の時も棺にちょっと
手を振るだけで
感情が
ちっちゃすぎるんじゃないだってあれさ
死刑判決確定してから6年って言ってたやん
ってことはお兄ちゃんが
家にいたっていう感覚が
むちゃむちゃちっちゃい頃でしょ
赤ちゃんの時かな
なので
思ったのが
刑務所プログラムで
生まれたての子供に
読み聞かせとか
そういうのって大事だなっていうのを
今ちょっと副産物的に
思いました
子供にはやれるけど弟とかに
やってるかっていうのはどうか
でもさあのほら隔たりなく
会える空間
それは執行が決まったから会えたのか
そもそも普段から会えるのか
ちょっとわからないですけど
多分会えないでしょうね
だってヘレンとも常に
何かを隔てて話すもんね
最初の頃のやっぱヘレンと
マッシュの距離感
隔ててるんだけど
距離上げてるとか
どんどん近づいたりとか
聞こえにくいからもっと近づくとか
そうじゃないけど最後なんか
フェンスに
超えてくるぐらい近づいてきて
話そうとしたりとか
っていうなんか身体的な
距離感と心の距離感っていうのが
ちょっとそういう近さでも
わかるっていうような感じでしたね
その辺はこう
なんでこんな人って思ってた気持ちから
こんな人なんだけど
やったことが変わるわけじゃないんだけど
人として
の
関係性が
築かれていくというか
そんな人なんだけど
この人だからって
死なせていいのみたいな
すごいこうヘレンの
葛藤とか
執行止めたいとか
もしくはもし可能性があるなら
シスターの役割
無期懲役にして悔い改めさせたいとか
そういう手続きな面とか
心の葛藤として頑張るっていう
面ともう一個はシスターとして
最後神のもとに
行く時に
自分のやったことの悔い改めをちゃんとして
それをちゃんとさだけ出してから
神のもとに行ってください
っていうのが彼女の
役割であったから
だからあの日本当にやったことは何なのと
その自分のやった日をちゃんと認めなさい
そうしたら
神のもとに行けるからっていうのをずっと
それはそれで同時並行で
教会のように頑張っていって
最後にその自分こうやってしまったって
本当のことを伝えて
これであなたやった神のもと行けるよって
最後に私の方を見なさい
愛が見えるからってところがやっぱ彼女ができる
法徹好きとかね
弁護士さんがやったりとか
やっぱシスターができることって
本当に悔い改めるというか
自分のやったことを
正直に認めて
それで神に許しを
こうってところまで持っていきたいっていうのが
彼女の役割だったんでしょうね
宗教心と犯罪学
その辺が
宗教心に基づく
信仰に基づく
対応っていうのは
私自身が見ていると
少し難しく感じるところは
やっぱあるんですよね
大事っていう映画があるじゃないですか
大事もそうなんですけど
すごくやっぱり
信仰をもとに
神の身元にとか
神に対してどうありたいかみたいな
ところは
そこはそこでやっぱり
映画としての見応えがすごいあるというか
重く響く映画ですよね
ぜひ見てみましょう
そうですね
さてこの番組では
感想や質問リクエストなどをお待ちしております
番組詳細欄にあるリンクより
お気軽にご投稿ください
Xではカタカナで
ハッシュタグ罪な話をつけて
ポストしてください
では番組にいただいているメッセージを
ご紹介したいと思います
第21回の
反省させると再犯率が上がる
にハンドルネーム
花さんよりXにコメントをいただきました
いつもすごく勉強になります
今回の罪の話は
タイマ使用罪が可決された
今こそ皆さんに聞いていただきたい
本当に納得できる
めちゃくちゃ面白いです
嬉しいね
行動を変えてみようと
試みている自分の裏付けにもなりました
丸山先生
いつもありがとうございます
こちらこそいつもありがとうございます
花さんのいただいているコメントって
みんな元気になって嬉しく思ってます
本当にありがとうございます
ではもう一つご紹介したいと思います
こちらの番組の方に
お寄せいただきました
スケアードストレートが
再犯率の観点で逆効果というデータがある
という紹介が興味深かったです
最近アメリカの
サンフランシスコの
サンフランシスコなどで
万引きなどについて
警察がまともに操作してくれないので
治安悪化し
小売店が閉鎖されたりする
などの報道があります
犯罪学の観点で
どのような議論がされているのか
またアメリカ内の多様性について
なども紹介してほしいです
ということです
これもなんかすごい
興味深いコメントいただきましたね
本当はなんか答えていったり
こういう研究があるんですよ
って出していくと
すごい時間かかっていくんですけど
で
これにストレートに
返事してないんですけど
例えば
ジョンズ・ホップキンスが出している
ようなものとかに
細かな
例えば薬物犯罪とかを
微罪のような
すごい小さなものを
どんどん捕まえていくと
より重大な犯罪に
つながっていく確率が高いのか
いろんなことが言われていて
このサンフランシスコとかが
言われている今回のこの例が
それがイコール
当てはまるわけではないんですけど
実はなんかその細かい犯罪を
捕まえていく方が
より重大な犯罪に
つながっていくんじゃないか
とかいう研究とかもあったりして
そのためにこの
サンフランシスコでは
万引きをどうこうっていうのが
イコールではないんですけど
特に言いたいのは
目の前のちっちゃなやつをやると
より強大な犯罪になったりとか
っていうデータもあったりするので
もしくはそこにお金を
割いてられないから
警察が手を抜いているんだ
ってこともあり得るし
なんともこれは
より複雑な研究がいるなと思うので
ぜひ今後もちょっと
調べていきたいなと思いました
皆さまメッセージが
私たち本当に
とっても励みになっています
これからもどうぞ
よろしくお願いします
よろしくお願いします
配信のない火曜日
毎月第1第3火曜日の
夜9時30分から
Xのスペースで
罪な話で裏話を開催しています
ポッドキャストで
話しきれなかった内容や
スペースに参加してくださった
皆さんの質問にお答えしています
こちらのご参加も
お待ちしております
また私が所属する
一般社団法人
刑事司法未来でも
犯罪学や刑事政策について
発信しています
刑事司法未来で
検索してみてください
それではまたお会いしましょう
お相手は丸山康博と
山口ゆきと
南口ふみでした