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みなさん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない日知すぎる本まで、ゆるいトークで紹介する読書系ポッドキャストです。
改めまして、こんにちは。的文子です。改めまして、こんにちは。梶原コーヒーです。
よろしくお願いします。よろしくお願いします。
今回は、クリスマスが近いので、それにちなんだ本を2冊紹介しようかと思います。
まず1冊目がですね、ドフトエフスキーの『死の家の記録』です。
もうね、タイトルからね、どこら辺にクリスマスにつながるのかが、わけがわからない感じですけどね。
一個もないですよね、クリスマスから。
今のところ、かけらもないですけどね。
これからちょっとクリスマスにしていきますので、頑張ってクリスマスにしたいと思います。
楽しみにしてます。
ドフトエフスキーと言えば、いわずと知れたロシアの文豪ですけれども、
巨匠ですね。
今年、実は生誕200周年ということで、結構いろんなところで特集が組まれていたりですとか、
あとは話題になっていたりとか、
本当は世界ドフトエフスキー学会みたいな学会があるんですけれども、
それが本当は今年の秋ぐらいに日本で開催される予定だったらしいんですけれども、
このご時世ですので、確か来年に延期になっていたりしますね。
でもドフトエフスキーファンはなんかくじけそうもないですけどね。
そうですね。オンラインではいろいろイベントをやってたみたいで、
全世界の人がそれぞれの言語で罪と罰を朗読する、リレーで朗読していくっていうようなイベントが開催されていたりとか、
そういったのがツイッターで流れてきていましたね。
そんなドフトエフスキーの忍び絵の記録なんですけれども、
書かれたのが1860年から1861年にかけて、雑誌に一旦連載された後に参考本として出版された作品になります。
内容としてはですね、内容を話す前に、ドフトエフスキーのどういう人生を送ってきたのかっていうのをちょっとお話しするんですけれども、
一応作家としてデビューしたのは20代の前半ぐらいにもデビューしてまして、
その時に結構文壇ですごい新人が出たっていうような感じで話題になったんですね。
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日本で言えば芥川賞を取ってすごく注目されるみたいな感じだったんでしょうかね。
ただその後、政治活動というか反政府活動をしているグループに参加するようになりまして、
28歳の時に反政府活動に加担したとして逮捕されて、一旦死刑判決が出るんですけれども、
本当に死刑ギリギリのところまでいて、刑場に連れてかれて、もう何分後かには死んでるんだわ、俺はみたいな、そういう状況まで行くんですけれども、
御社が下りまして、土壇まで御社の御社が下りまして、
死刑判決から一転して4年間のシベリアの刑務所で就管されるというような、そういった出来事があったんですね。
4年なので28歳で4年間シベリアの刑務所に入って、その後も4、5年はシベリア近辺で平均について、
その後やっとまたドシアの首都の方に、ペテルブルクですよね。
そちらに帰ってきて、作家活動を再開するっていうような感じにはなるんですけれども、そういった人生の出来事がありまして、
帰ってきて書いた、確か最初の長編作品が死の家の記録なんですね。
- そうなんですね。
- 内容としてもシベリアの刑務所の中ってどういう生活をしていたのかとか、どういう罪を犯した人たちがどういうふうに過ごしているのかとか、
あとは罪を犯した人に対する刑罰が果たしてそれによって反省するのかどうなのかっていうようなこととかを、
深く考察しているような内容にはなっていますね。
ただ、この本自体は一応小説として書いてあるので、
電気とか、あとは六方短冊とは違うんだっていうふうに、後に本人も言っていて、あくまでも小説であると。
お話としての面白さっていうのもありますし、あとは刑務所の中っていうのはなかなか体験することはないと思うので、
そういったことを記録した貴重な記録としても読めるのかなというところですね。
- なんか体験談を含めた小説って、読んでいるときにちょっと変な感じになりますよね。
小説なのか。
- そうなんですよね。どこまで小説なのかとか。
- だから、はっと気づいたときに、これ小説だからって思ったりもするんですけど、
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でもこれの場合だとなんとなくロシアだとね、また本当に小説なの?みたいな。
小説って言っておかないとまた捕まっちゃうから小説って言ってるんじゃないの?みたいな。
- それはもしかするとすごくあるかもしれないですね。
- 結局このロフトエフスキーは政治犯として逮捕されて、刑務所に入った人なので、
警察の目っていうのはすごく厳しかったですし、そこを意識してずっと小説を書いてきたっていう面もあるんですよね。
- そうなんですね。
- だからストレートにこういうことだったよって書くときに、それが検閲に通らないとか。
検通制度はありますので、それが検通に通らなくて出版できないとか連載できないって言ったようなこともあったりしたので、
それをどういうふうにごまかすじゃないですけど、うまくかわして書くかっていうようなところをかなり考えて書いていった人なのかなっていうのはもちろんありますね。
- ですね。でもこれ出てからすぐに書いた長編がこれっていう値で、反省はしてないんだなっていう話は。
- そうですね。反省してないっていうか、これは後々の作品とか読んでいても、
あとは研究者の間でもかなり意見が分かれるというか、ところではあるんですけれども、
一体何を考えてこれを書いたのかと、これは本当に作者の個人の意見として書いたのか、それともあくまでも小説の中の考えの一つとして書いているのかっていうのは、
やっぱりかなりわかりにくいというか、どうとでも取れるという。
- うまいってことですよね。
- そうですね。うまいし、やっぱりその、もしかするとっていうようなことを考えてしまうような人生を送ってきた人ではあるので、
読む側もかなり妄想が働いてしまうというか、
そこ、そんなあたりは結構私立に基づいて、どこまでがドフトエフスキンの考えなのか、どこまで創作としての考えなのかっていうのは、かなり冷静に考察していかないといけないんじゃないかっていうのは、
実際にそのドフトエフスキンの研究者の方がお話しされたりもしてますね。
だからこその面白さというか、本当なのか嘘なのかわかんない、その危うさというか面白さっていうのがやっぱり魅力なのかなとは思いますね。
- そうですね。ここからクリスマスにどう繋がるのか。
- 持っていくのかっていうところですよね。作品の背景としてはこんなところで、
- 作品自体は一応お話しなので、主人公はまたロシア人なので名前がすごく言いづらい、ゴリャンチコフさんっていう、ゴリャンチコフっていう奥さんを殺した罪で収監されていたっていう噂の人がいて、
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刑務所から出てきた後にシベリアの田舎で教師をやっていたと。教師って言っても家庭教師みたいな感じの。ただ誰とも一緒に暮らさないで、一人で下宿で過ごしていて、人付き合いもすごく悪くて。
- ただ子供といるときは割とちょっと穏やかな感じだったんだけれども、他の人とは全然付き合いがなくて気難しくて、何考えてるのかわかんないみたいな。
- ただその人が夜中になると、窓際の机で書き物をしているっていうのをみんな見ていて、何年か経った後にゴリャンチコフが亡くなった後に部屋を掃除したら、何か書いた紙の束がいっぱい出てきて、それを一つにまとめたのがこの死の家の記録だっていう体なんですね。
- うんうん、はい。
- そのゴリャンチコフが刑務所に初めて連れてこられた日の、なんか衝撃的な一日をいろいろ書いたりとか、このゴリャンチコフ結局ドフトイフスキーの分身みたいな感じだと思うんですけど、
- 都会暮らしをしていた貴族の出身の教養とかもあるような人が、いきなり犯罪者の群れにぶち込まれるっていう衝撃的な経験をして、本当にこの世にこんな怪物みたいな連中がこんなにひしめいてるのかっていうような、突然始まる殴り合いとか、
- 突然始まる殴り合いとか、あとはゴリャンチコフ自身も貴族だからっていうのだけで因縁をつけられて殴られそうになるっていう経験とかを、もう一日のうちにするんですよ。
- もう理不尽と不条理の。
- もうそれ受け入れるのが、受け入れられるわけないじゃないですか、そんなの一日で。
- そうですよね。
- あまりにも今まで過ごしてた環境と違いすぎて、もうわけがわからないと。でも一方で、こんなすごい世界があったのかみたいな、ちょっと好奇心も張られて、
その刑務所で過ごしている、いろんな本当にもう強盗もして、殺人もして、あとは軍隊に入った上司を殺してとか、
あとはレジスタンス運動に加担して収監されたりとかっていうような、いろんな海戦山戦の連中たちを、いろいろこういう人がいてっていうような感じで描写していくシーンもあれば、
あとはそのどういう一日というか、刑務所の一日ってこういう刑務所、スケジュールで流れているよとか、刑務所って何ですかね、懲役刑だと、日本もそうですけど、仕事をするじゃないですか、刑務所の中で。
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で、どういう仕事をするのかとか、で、その仕事していないとき以外は何しているのかとか、もうなんかすごいんですよね。
なんか、なぜか刑務所の上に酒があるみたいな、ちょっとわけがわからない。わけがわからないですよね。
そして酒もあれば酒屋を開く囚人もいるとか、どういうことなのっていう感じなんですけど、本当に何て言うんですかね、違い封建というか、別の国がまたあるみたいな、そういう世界なんですけれども、そういうのを描いていたりとか、
あとはいろんな、実際の刑罰ってこういうことがあるんだっていうので、無知で打たれるシーンとかあったりとか、そういう結構悲惨なシーンもありつつ、第1部がそんな感じで、刑務所に入って半年分ぐらいの間に起きた出来事をコマモマと書いているんですけれども、
その第1部の最後にこのクリスマスの話が出てくるんですね、やっと。ここが折り返し点みたいな感じになるんですけれども、クリスマスなんですけれども、これ後でまた今のロシアのクリスマスの話と合わせてお話しようかと思ってるんですけれども、
ロシアのクリスマスって、いわゆる今の西洋のクリスマスって12月25日にあるじゃないですか、でもロシアのクリスマスって未だに旧暦の日にちで祝うので、実際の今のカレンダーで言うと1月7日ぐらいなんですよ。
ああ、じゃあだいぶ後。うんうん。そう、年明けなんですよね。あと、ロシアのロシア聖教ってキリスト教の中でもいろんな宗派があって、ロシアはロシア聖教っていうキリスト教のそういう宗派があって、そこを信仰しているんですけれども、ロシア聖教ってなんかそんなにクリスマス、キリストが生まれた日じゃないですか、
ではなくて、そのキリストが生まれた12月25日、その日ではなくて、その日よりは西洋のそのクリスマス、キリスト教のイベントだとインスターってあるじゃないですか、ハローライブ、復活祭ですよね、そっちの方が大事なんですよね。
復活祭の方が大事っていう文化なんですけれども、なので、キリストが生まれた日ってどっちかっていうと、日本で言えば、過ごし方的にお正月に近い、なんかちょっと気分はワクワクするんだけど、ゆっくりする日みたいな、クリスマスっちゃクリスマスなんだけど、なんか西洋のクリスマスみたいに、そこが一番のメインですっていう感ともちょっと違うみたいな、
雰囲気があるんですね。ただ、刑務所の中ではクリスマスは働かなくてもいい日っていう、囚人たちも一日好きなことをやってくつろぐっていう日ではあるんですね。で、そんな日って刑務所の中は4日しかないらしいんですよ、年に。
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お仕事ない日っていうのは。あとは毎日働くので、何もしなくてもいいし、しかも普段だったら規則違反したら速攻で見張りが飛んできて、何してんだみたいな感じでまた引っ張られて、大罰受けるみたいな、そういうことはなくて済むというか、ちょっとはゆるいみたいな、クリスマスだからなみたいな感じでちょっと許されるみたいな、そういうフィンキングがあるので、みんなこのクリスマスを心待ちにしてるんですよ。
まあそうですよね。
で、そのクリスマスの日っていうのは、クリスマスの日っていうかクリスマスの前日です。だからクリスマスイブですよね。クリスマスイブからその日も一応仕事はあっちゃあるんだけれども、もう大体の囚人たちは別に作業とかしないで、自分の用事を足す日みたいな感じにしてるらしいんですね。
で、何をするかっていうと、ある人は酒の持ち込みと新しい鉢のために紛争してたりとか、別のある人は囚人なのか外の人なのかわかんないですけど、なじみの男とか女とかを訪ねたりとかして、あとはそのお休み置きに前にやってた仕事の代金で助けになっているものを取り立てたりとかしてたりとか。
クリスマスの次の日ぐらいからお芝居のやる期間ってあるんですけど、そのお芝居の役者たちは練習とかしてるとか、あとはクリスマスに食べる料理の材料を調達してる人とか、なんていうかこう日本で大晦日の買い出しに行く感じ。ちょっと気づかしい感じ。
はいはい。忙しい日。
そうそう、忙しい日なんですよね。仕事はないんだけど、新年を迎えにあたっての準備する日みたいな。なんかそういう雰囲気で書かれてますね。
まあ年に4回しかないですからね。やることはたくさんある。
そう、やることはたくさんあると。やっぱり新年のような日なので、やっぱりおいしいものを食べたいじゃないですか。クリスマスだからっていう感じで、それに向けてお金も貯めてるんですよ。内食したりとかして。仕事ない日に夜中とかに夜食べをするんですよ。みんなちまちまと。
それで貯めた小金で牛肉とか小豚とか鶏肉とかを買って、それを調理場で焼いてもらうっていうような。
なんか刑務所の中のシステムがいまいちよくわからない。
そう、結構ね、なんて言うんですかね。日本のいわゆる刑務所みたいな感じで想像すると、多分違うんでしょうね。
だってそこに商人が発生するわけじゃないですか。お肉屋さんであったり酒屋さんであったり。それは外からの。
なんかそう、これあれですね。ここだけ読むと、どうやって食料とか調達してるのかっていうのがいまいちわかりづらいんですけど、調理係みたいなのがいるじゃないですか。
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はい。
その調理係を通して外の食料を調達してくる窓口みたいになるので、そこを通して調達してもらったりとか、いろいろコネはあるんですよね。
ルートというか、商売のルートがあって、そことして中に入れてもらうっていうような、なんて言うんですかね。システムがあるわけですね。
だから200年前の刑務所だから、ひどいところはひどい。そういう大罵とか、そういうのはひどいけれども、なんていうかちょっと牧歌的なところは牧歌的なんですかね。
なんかゆるいとこはゆるいのかなみたいな。そこまでがっちりやってるってわけではないのか。それとも、もちろん見つかったら大罰受けるんでしょうけど、忘れられたり募集されたりとかするんですけれども、
そこをいろいろあの手この手でくぐり抜けたり、もちろん見張り番の人を買収したりとかして、見逃してもらったりとかして、こういう世界が成り立っているっていうような感じですかね。
なんか外国の刑務所とかの話聞くと、いまだにどうやってそんなの刑務所の中に入れるんだみたいなのは普通に流通してたりとかするじゃないですか、話を聞くと。
きっとなんかそれに近いのかなみたいな。そうですね。なんか合わせてそういうところも読んでいきたい感じはしますけどね。
まあそんな感じ。自分のクリスマスの日に食べる料理などを準備したりとか、あとはお正月って新しい服に下着とかパジャマとか、普段使うものを新しく下ろすみたいな人もいるじゃないですか、やっぱりここでもそういうことする人がいて、クリスマスから着る新しい服を用意している人とかもいたりすれば、
あとはまあ本当に敬虔なキリシト教信者の方とかは、もう明日の大イベントのために一日中祈りを捧げている人もいれば、まあ多分ロシアに限らず刑務所っていろんな国の人が習慣されているので、全然関係ない異郷との人とかもいるんですけど、そういう人とかは、ああ明日クリスマスなんだ、そうなんだみたいな感じで、うちら全然関係ないしみたいな雰囲気にいたりとかする。
そんなのが前日の日々の過ごし方っていう感じではあるんですね。でもやっぱりお休みだし、何かしらこうみんなちょっとウキウキした気分でこの日を待っているっていうのが前日ですね。
当日は何するかっていうと、まずは司祭さんはちゃんと来てお祈りをして、その後にみんなで町の人から施し入れが来るんですよ、この日。クリスマスプレゼントですね、それこそ。
で、だいたいはパンとか甘いお菓子とか、そういう食べ物をいっぱい皆さんこう、差し入れしに来るんですよ、町の人が。かわいそうな人たちに差し入れっていうか、施し物をすることが苦毒を積むんだっていうような考え方もあって、そういったものを皆さん持ってくるので、それをみんなで分け合うっていう。それはもう平等に分け合っていくっていう。
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あれですよね、もともとはキリスト教の考え方だと、日本語にすると施しになっちゃって、ちょっとまた意味が違うんですけど、助け合いっていうか、自分が持っているものを分ける、与えるんじゃなくて分ける、分かち合うっていうのかな、そういうシェアの心っていうか。
そういうのは、なんかちょっと日本の言葉にしてしまうと、なんか上から目線みたいな感じになっちゃう。
そうですね。
そういうんじゃなくてっていうのはありますもんね、もともとこう、ちょっとしたこう、なんだろうね、もうほんとプレゼントじゃないけど、同じキリスト教、キリスト教の仲間としてのサイマス助け合いみたいな。
そうですね。
そうですね。多分そうなんだと思います。で、やっぱりその囚人の方も、それがすごく嬉しいんですよね。で、なんで嬉しいかっていうと、食べ物がね、普段そんな白パンとか、その白い小麦粉っていうのはすごく貴重なので、普段食べてるのって黒いパンとかね、ちょっと酸っぱい感じの黒パンって、まあロシアって黒パン文化なので。
あ、そうなんですね。
でも白いふわふわのパンってすごく高級だから、そんなに普段食べることができないんですけれども、まあそういったものもね、差し入れでもらえるっていうのももちろん嬉しいんですけれども、やっぱりその差し入れをもらえるっていうのがすごく嬉しいんですよ。
やっぱりその普段刑務所に隔離されていて、世の中とのつながりがないって、囚人、まあね、悪いことをして入ってきてる人たちなので、世の中からもう切り離されてるみたいな扱われ方をしているんだけれども、まあそういう贈り物とかをもらうことによって、その世の中の人の全部と触れ合ってる感じがするっていうか、まだ完全に世の中から見捨てられた人間じゃないんだ、自分はっていうふうに。
実感できるんだっていうのを書いていて、なかなかこう、プレゼントっていうものの本質なのかなって思うんですけれどもね。
そうですよね。コミュニケーションっていうか、そういうことですよね。外部とのつながり、自分が存在していいんだみたいな。ちょっと言葉が固くなっちゃいますけど、そういう感じですよね。他者がいて、やっと自分の存在が輪郭がはっきりしてくるみたいな、そんな感じなんですかね。
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この話を読んで、またちょっと別の本を思い出したんですけれども、去年読んだ本ですごくいい本があって、ライファーズっていう、これもアメリカの刑務所のレポタージュの本なんですけれども、これも本当に現代版死の家の記録みたいな本ではあるんですが、
もう終身刑で一生刑務所から出てこれないような、かなり重い刑に使用されている人たちが入っている刑務所で、自助グループみたいなのを作って、そこで自分の今までの生い立ちとか、なんでこういう犯罪を犯してしまったのかっていうのを、同じような人生を送ってきた人たちと話し合って、自分たちどうやって生きていけばいいのかみたいなことを話し合うっていうサークルがあるんですよね。
話し合うっていうサークルがあるんですけれども、それを追ったドキュメントがあるんですけど、その反証の中でもクリスマスの話出てくるんですよ。
で、元囚人の人がクリスマスぐらい美味しいものを食べさせてあげたいっていうので、ボランティアでクリスマスの料理を作って、クリスマス会をするっていうシーンがあるんですけれども、その時に囚人の一人が、俺こんなクリスマス体験したのは初めてだよって、外にいた時だってこんなクリスマスを過ごしたことはなかった。
こんなあったかい料理をみんなに作ってもらって、分けてもらって、みんなで食べるっていうのは、見捨てられてない感じがするんだっていう。自分がこの世に存在してもいいんだっていうのは、今日すごく実感できたんだよっていう話が出てきて。
なんかその死の家の記録のこの話と通ずるものがあるよなっていう。200年経っても同じような話が出てくるっていうのは、とても印象的だったんですよね。
そうですね。なんか宗教が、日本は一応無宗教っていうか、いろんな宗教が逆にあるっていうか。なんですけども、キリスト教の人の話を聞くと、その罰を与えるのは神様だから、結局みんなその他の人たちは罪人であるっていう。
だからそういうボランティアとかをするにしても、なんかまたちょっと違う感じがするんですよね。日本と。なんか悪いことしたから、あいつはダメだみたいな、あいつに手を差し伸べることをなんかしなくていいんだっていう考え方じゃなくて、
全ての何かを決めるのは神様だから、自分たちがその罪人のことを、あいつは悪いやつだっていうのはちょっと違うみたいな。ちょっと言葉にするのが難しいですけど。そうそう。でもなんかそういう宗教感の違いがありますよね。
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あるし、やっぱりそのキリスト教の世界にとって、やっぱりクリスマスって本当に重要イベントなんだなっていうのを。ただのイベントじゃないですよね、もう。そうですよね。大きい家族みんなでゆっくり過ごすっていうような宗教的な意味合いもそうだし、それにまつわるみんなで料理を囲んで過ごすその楽しいひとときみたいな。
なんかパーティーしてみんなではっちゃけるっていうような、そういうイベントじゃないので、もともと。そうですね、そういう感じではないですよね。だからなんで家族と過ごさないの?みたいな感じで言われたりすることがあるっていうか。家族と過ごすんでしょう?みたいな。
キリスト教文化のところのキリスト教の話っていうのを聞くと、やっぱり何か意味合いは違うんだろうなって、本当に大事な日なんだなっていうのが書かれていて、そんな大事な日に刑務所にいるっていう、このやるせなさっていうのもやっぱあるんですよね、一方には。
でもやっぱり楽しい日っていうのがどこかにあるので、心の片隅にあるのみんなあるので、みんなウキウキしてて、そのウキウキ感がすごく現れてるところがですね、クリスマスの朝にその主人公のゴリャンチコフが外を歩いてた。
そしたら知らない主人が向こうからバーって走ってきて、ゴリャンチコフさんって声かけて、この人誰だっけなーとか思って、何ですか?みたいな感じで話しかけたら、でも相手何も言わないんですよ。すごくニコニコしてるんですよ。
何も言ってこないなーと思って見てたら、いや、今日クリスマスじゃないですか?って言って顔をあからめて去っていくっていう話があるんですけど、もう嬉しすぎる。なんかワクワクしすぎて、なんかもうこのワクワク感を言いたいみたいな。
あー、超いいっすね、そこ。たまらない。たまらないですよね、これ。たまらない、そこ。純粋にクリスマス来たー、みたいな。どうなってたのこれー、みたいなね。何だろう、この犬なの?
千葉県なの?あまりにも可愛すぎて。ねー、あー、もう純粋にね。そう、純粋待ち望んでるっていう。何でしょうね、このゴタゴタの中のこのシーンが本当に輝いてるなっていう感じなんですけれども。たまらないですね、そこ。
いかにクリスマスがね、大事な日なのかっていうのを、これを、このシーンを読むと本当、ぐずくず思ったなーっていうところですね。ねー、なんでこんな日本にはこんなね、不思議な感じで、こうクリスマスが入ってきてしまったのか。ほんとそうですね。へー、そこいいですね。いいですよね。
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クリスマスの日はそんな感じで、その差し入れされた料理とか、あと自分で仕入れた料理で、もう宴会を開くとか。もちろんあとはもう酒を飲みますよね、皆さん。えー、そうですよね、ロシアですから。そうなったらもう、みんなぐでぐでになるじゃないですか。なりますねー。
最初はこうね、みんなバイオリンとか弾いたりとか、楽器できる人は楽器弾いたりとかで歌え踊れみたいな感じで、もうガヤガヤしてるんですけど、もうだんだんこう余韻も回ってくると、だんだんこうちょっとみんな悲しい気持ちになってきて、俺たちなんでこんな話してたんだっけみたいな、ぐだぐだになってきて、ぐだぐだに終わるっていう。どうしようもないみたいな。そうですねー。場所が場所ですからね。場所が場所ですからね。
で、それをまた新人深いキリスト教の人は、もうあんな連中はどうしようもないみたいな感じで目で見てて、つつましやかにこう祈りを捧げる日みたいな感じで、祈りを捧げてる人もいれば、やっぱりその異教徒の人は、なんかあいつらみんな酒飲んでなんかバカみたいだなとか思いながら。
イスラム圏の人って結構いるんですよ。あー、そっか。中央アジアとか、あの辺も結構隣接してるので、その辺りはお酒飲まないですから、バチ当たりなみたいな感じで見てたりとか、いろんな風景が点在してるっていう。
なんかいろんなこういう人がいて、いろんな人が、いろんな風景が点在していて、で、なんかそれ同時並行で話し進んでいくっていうのは、オンドフトエスキーよくこういう描き方するんですよね。なんか海外の軍造劇みたいな、あるじゃないですか。海外ドラマ、いろんな人がいっぱい出てきて、こう同時多発的に話し進んでいくみたいな。はいはい。うんうんうん。
ああいう描き方にちょっと近いですよね。なんかあれですね、映像で浮かびますもんね。あ、そうですね。本当にこう映像でバーっとこう、酔っ払ってる連中の奥にまたいろんな人がいて、みたいな。そう、なんか奥行きがあるっていうか。えー。うん。
この人が主人公で、あとの数人で話が進むんじゃなくて、こう風景としての人物が描かれてる感じがしますよね。そうですね。うまい人なんでしょうね。まあ他の作品とかでも、いっぱい人が出てきて混乱したりはするんですけれども、明確に主人公っていうのはいるんだけれども、その人だけがスポットライト当てられててっていうような描き方ではないんですよね。うんうんうん。
いろんな人にスポットライトが当たっていくし、あとはその脇役から見たこの人とか、まあいろんな人間関係でその一人の人のいろんな面が見えてくるっていうような描き方をすごく得意とする作家なのかなと思うので。うんうん。奥行きがある。うん。
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そうですね。なんか私好きな映画監督でウェッシュ・アンダーソンがいるんですけど、彼の映画もなんかそういうところありますよね。うんうんうん。わーっとたくさん人が出てきて、それぞれの物語なんだけども、なんだろう、まあちゃんと繋がってるし。そうそう、まとまりはあってっていう。そうなんですね。頭ごちゃごちゃにならないのかなとか思うんですけどね、描いてて。
でも、読んでる方もごちゃごちゃに一瞬になるけども、だんだん整っていく快感っていうのもありますよね。あ、そうですね。最初は結構いっぱい人が出てくるので、こいつ誰だっけなと思えるのはすごい大変なんですけど。そうそう、名前も名前だしね。
インストールするまでが大変なんですけど、それが終わるとすごい爆速で話が面白くなるっていう。最初がね、最初が大変っていう感じですね。そうですね。慣れるまでが大変なドラマみたいな感じですかね。うんうんうん。5話目あたりからだんだん面白くなってくる。わかりやすい。長いよっていう、あれですけど。
そんな感じでクリスマスが過ぎていきます。クリスマスの後の日、芝居をやる日があるんですよ。一応クリスマスの日以外はもう平日に戻るので、また作業が始まるんですけれども、その後にお芝居をやる期間っていうのはだいたい1週間ぐらいあるんですね。
このお芝居っていうのが、その監獄の中に入っている囚人たちだけで構成された劇団みたいなのがあって、みんな素人なんですけど、素人なりにすごく練習もして、仕事の合間を見つけて練習してるんですよ、みんな。
一応すごいボロボロではあるんだけれども、ちゃんと衣装とか舞台装置とかも用意して、毎晩何作品かを上演するっていうような、結構本格的な芝居をやるんですね。みんな見に来るんですよ。
みんな見に来るんですけれども、外から見に来る人もいる。町の人とか、あとは監獄の監守とか、その周辺に軍隊とかもあるんですよ。軍隊の軍人とか、追い上がった方も見に来たりとかするし、もちろん囚人たちもその後ろにすし詰め状態で、入り切らんだろうっていうぐらい超密な感じで、ぎっしり見に。
みんな見てるんですよ。立ち見だって立ち見でも入り切らないんで、外で声だけ聞くっていう、ライブの会場でチケット取れなかったから声だけ聞くみたいな感じの状態なんですけども、あんな感じでみんな見に来るぐらい大人気な催し物をやるんですね。
なんていうんですかね、囚人たちの演技っていうのは、素人なので、本当の役者からすれば演技の技術っていうのは確かに素人だなって感じなんでしょうけど、ただいろんな人間たちが寄り集まった刑務所の中で過ごしてきた囚人なので、やっぱり人を見る観察感っていうのはものすごい鍛えられてるわけですよ。
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なので、ちょっとしたアドリブみたいなのがものすごい上手いんですね。やたら生々しいっていうか、こういうやついるよなとか、あとそのアドリブで出てくる掛け合いみたいなやつとかがすごい上手いんですよ。
なんでそんなに上手いかっていうと、普段から囚人たちって、ちょっとした暴言のやり取りとかをして、言葉のやり取りがどっちが上手いかっていうのを競い合ってるんですよね。普段の中で。言葉の上手い言い回しで相手をどう圧倒させるかっていう技量を日々磨いているっていうような。
ラップバトルみたいな?
ラップバトルみたいな感じですよね。
なるほど。
喧嘩が強いとか、実際腕力が強いっていうよりは、言葉の言い回しの上手さで一目置かれるっていうのが結構あるらしくてですね。そういうのを毎日やってる人たちなので、やっぱりセリフ回しってのはものすごい上手いと。
なるほど。
どういう芝居だったのかちょっと見てみたいなっていう感じのやり取りをしてるんですけれども。
私の中ではもう、今頭の中ではもう完全にミュージカルですよね。
本当に笑わせるシーンとか、どっちかっていうと内容的にはシュールなホラー系のほうをするべきとか、あとはもちろん恋のお話とか、あとは喜劇とか、どっちかっていうとやっぱり喜劇のほうが多いですよね。
この中ですごい面白かったのが、囚人って全員男ですから、女役をするにしてもみんな男がやるわけですけど、中にはちょっとキスシーンとかもあったりするんですけど、キスシーンをする前にちょっと唇を拭けよってか、2人の唇を拭いてからキスシーンするっていうシーンがあって、そこがすごい爆笑シーンみたいな。
分かってるんですよね。そこはもう笑わせどころだぞっていう感じで見せるとか。みんなそれに夢中になって食いついて見るわけですよ。
もうほんと吉本新喜劇じゃないですか。
吉本新喜劇ですね、本当に。
あまりにも面白いというか、楽しすぎて興奮して踊り出す人もいれば、ここ笑うシーンだぞみたいな感じで盛り上げて、周りを見回してここ笑うシーンだぞっていう感じで合図する人もいれば、面白さを全身でみんな表現するぐらい、みんな没頭して見るっていう。
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もう大の大人ですよ。しかもその強盗とか殺人とかするような人たちが動詞に書いて見るぐらい、みんな楽しんで見るっていうようなお芝居を1週間やるっていう。
それすごいですね。1週間っていうのはね。
そう、1週間もやるっていう。しかも1週間もやってるのに毎日大盛況っていう。全然みんな見飽きないで毎日来るみたいな。
だからもう役者もすごい張り切るんですよね。
役者も張り切るんですけど、役者でも何人かいて、ずっとこのクリスマスの芝居を一種のプライドを持ってやってる人たちもすごくいて、役者同士で結構ライバルシーンとかもあったりするわけですよ。
2人ぐらい演技が上手いみたいな、言われてる人がいるんですけれども、あいつの方が上手かったって言うともうすごい悔しがって。子供みたいに本当にもう俺の方が絶対いいのにとかって、人目もはばからずに悔しがったりとかするっていうのもまたそれも面白いなって感じなんですけれども。
そのぐらいこれに打ち込んでるんですよね。この芝居にみんな。
芸術大国、昔からそういうのがあるんですかね。
そういうのもあるんでしょうし、たぶんドクター・エフスキーが実際に多分これ、刑務所の中で体験した話なのか、まあよくわかんないですけど、ただ民衆というか、本当に田舎育ちの教養もあるわけでもないような人たちでも、天然の芸術家みたいな人っているじゃないですか。
いますね。
野良芸術家っていうか。
はい、野良芸術家。
そういう人たちの、なんていうか、ものすごい溢れる才能にやっぱり心を打たれたっていうような話なのかなと思うんですよね。
で、ドクター・エフスキー自身は都会1個なので、都会までの。
で、そんなのインテリ層の人なので、いろんな芸術に触れてきてるわけなので、洗練されたものは見てきたわけじゃないですか。
はいはい。
それじゃない、本当になんていうか、教養とかそういうものはないんだけれども、天然の芸術家というか。
荒削りだね。
でも、こんなすごい奴いるのかみたいな。
あ、もうなんだ、田舎のライブハウスでね、荒削りだね。
そうそう、もしくは田舎の飲み屋で、なんかその辺のおばちゃんがめっちゃすごい歌うたってるみたいな。
いるじゃないですか。
いますね。
人知れず、すごい才能が埋もれているみたいな。
しかも刑務所なんて埋もれてるところじゃないですよね。
もうこんなの外に出ようもないじゃないですか、こんな才能は。
そこになんていうか、胸を打たれる部分もあるし、こんなところでこんなすごい才能が朽ち果っていくのかっていう、虚しさみたいな思えるんですよね。
こんなにすごい人たちが罪を犯したっていうので、ここで誰からもそういうものを知られずに死んでいくのかっていうのを思うと、やるせないみたいな。
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でもまあね、それは一般的にもありますよね。
そういう才能があるけれども、普通の人たちは見出されないまま人生を終えていくわけじゃないですか。
でも今だとYouTubeとかあるので、一発逆転っていうのもあるんですけれども。
ここ数年でしたね。
そういう意味ではすごいですね、YouTubeって。
田舎でくすぶってたかもしれない人がある日突然発掘されみたいな。
そうですよね。だから今じゃなくて、これが本当に何年前、日本だったらダザイとか、あそこら辺が乱立してた時に、もしYouTubeがあったら、ちょっと恐ろしいことになったかもしれないですね。
ちょっとまた歴史変わったかもしれないですね。
歴史もすごい変わっているような気がしますよね。
でもYouTubeあったとしても、やっぱり刑務所なんかってそれはもう出ようがない話なので。
こんなにすごい才能は。お芝居の才能以外にもいろんな意味で才能がある人たちって、この中にいっぱい出てくるんですけれども。
そういうのが人知れずあるんだなっていうのは書かれていくっていう。
なるほどね。
だからその頃の刑務所だから、冤罪の人も多そうですけどね。
冤罪とか、結局臨床されないけれどぶち込まれたとかっていうのはすごく多い。
ですよね、なんとなくね。
政治犯とかだとね、因縁つけられて入れられちゃうみたいなのとかも多そうですもんね。
後々の作品とかにも警察の捜査の仕方とか、あとはその裁判所のシステムとか、もう本当にこれは公平なんだろうかっていうようなことを問うてくるような話があったりとか。
その辺はやっぱりもしかしてこういう経験から、自分の刑務所暮らしでいろんなものを見てきたっていう経験から書いてたりとかするのかなとは思ったりするんですけれども。
楽しい芝居の時間も終わって、明日からまた辛い刑期の1年が始まっていくんだなっていうのを、最後に祭りが終わった後のみんな寝静まっている監獄の中を見渡しながら、だんだん悲しくなってくるっていうようなシーンで、第1部が終わるっていう。
現実に帰っていくっていう。
切ない。
切ないシーンで終わっていくっていうクリスマスのお話。
そうですね。普通の我々ですが、そういうにぎやかな後って寂しい気持ちになりますからね。
そうですね。
ひと潮でしょうね。
落差があーってなるっていうか、本当祭りの後ですよね。この落差が。
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そうですよ。
東北の花火大会みたいなもんですよ。
そうですね。
そう、明日から終わったな、明日から秋だなみたいな。
そして秋の後には冬が来るなみたいな。
あれですね、ほんと花傘祭り終わって、あーもう今年は楽しいことがひとつもないぞみたいな。
本当にね、そうそう。突然風が秋っぽくなっちゃったなみたいな。
それと比べていいのかわかんないですけど。
でもそれぐらいの寂しさというか。
そうですね。
現実に戻ってしまうっていう、魔法が解けたかのように現実に戻ってしまうという切なさですよね。
多分80%ぐらいは本当にあった話を書いてるんでしょうからね。
そうですね。
こうやって刑務所に入ったことを出た後に処罪化する方って多いじゃないですか。
そうですね。
やっぱり差が何ですかね。ただでは起きないっていう感じなのか。
書かずにはいられないなのか。
書かずにはいられないんじゃないですかね、どっちかっていうと。
あまりにも非日常すぎて、あれは何だったんだろうっていうのを自分の中で考え直すじゃないですけど。
そういう作業の時間なのかもしれないですし、あんまり見ることもないような世界なので、
返協を旅してきた人のルポみたいな気分で書くってところもあるんですかね。
確かにね。後に巨匠と言われる人ですからね。
結局この体験があったっていうのはすごく大きかったんじゃないかなとは、月並みな感想ですけれども、
刑務所に入るまでに書いていた作品と、入った後に書いた作品って全然雰囲気が違うんですよね。
若い時から小説はずっと書いていて、20代前半デビューしてすごくそれが分断で持ち上げられてっていうぐらいなので、
才能はもちろん全然元からあったとは思うんですけれども、やっぱり何かを見る目というか、視点が全然変わったんじゃないかなとは。
読んでいって思いますし、ものすごくタフなんですよね。
この刑務所から出た後も、全く人生がものすごく波乱万丈な人ではあって、
刑務所から出てシベリアから帰ってきて、お兄さんと出版業を始めるんですけど、
ただお兄さんは急死してしまって、借金を抱えてしまって、破綻寸前みたいな。
あとは作家として書いていって、出版社と契約をしたりするんですけれども、契約が結構悪い契約で、
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すっごい安い原稿料で、ずっとここで原稿を書かなきゃいけない。
この締め切り落とすと、ほとんどタタバタラキみたいな感じで、ずっと作品を書かなきゃいけなくなっちゃうというような契約を結ばされそうになって、
本当に必死になって書くみたいな。
なんだろう、このブラック企業的な。
普通に書いてたら間に合わないから、話して、それを書き起こしてもらって、それを原稿にして出すみたいな。
それで文章を書ける人もすごいですけど、その筆記者の人と結婚したりとか、その人と今度海外に行くんですけど、そこでギャンブルにハマって、
もうずっとルーデッドトバクの、ルーデッドジョーカーは戻ってこないみたいな。
だから、神人絵、昔のこういう人たちの神人絵感ですよ。
本当そうですよね。何回も、あとは持病で転換を患ってたので、何回も発作で結構死にかけてたりとか、
まあいろいろ本当にあって、落ち着いて多分小説書けたのって、50過ぎてからぐらいかなっていう感じなんですよね。
ああ、なんかいろんなことでがてんがいきましたね。この落ち着くまでがね、時間かかっちゃいましたね。
本当に、だから本気出して書いたら45半ぐらいからっていう。
45半から罪と罰を書いて、だいたい2、3年に1回五大長編の作品を発表し続けて、最後まで小説を書いてたっていう。
このタフさよっていう。
200年前ですよ。こんなに栄養とか、住む環境とかだって、今とは比べ物にならないわけじゃないですか。
そんな中でですよ、私ちょっと今から5年ごとに長編書けって言われたらね。
本当そうですよね。そうだし、あとメンタルも本当に強いですよね。
刑務所に入っても参っちゃったっていう人もいるんだろうけど、この人はもう刑務所に行くときから、これ絶対出たらまた小説書くからみたいなことをずっと考えてて。
でも紙とかにメモできないんで、頭の中でずっとしまってたのを出たら、もう速攻でバーって書いてっていうようなことをしてたりとか。
もうその後の人生もいろいろあるじゃないですか。あっても小説書くのだけは絶対手放さないみたいな。
もう絶対小説は書くみたいな。
もうね、体が丈夫なの。
体はでもそんなに丈夫じゃなかったらしいですけど。
そうなんですか。
だってその転換も患ったし。
そうか。
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前足っていうかタバコの吸いすぎだからあんまり肺も良くなかったりとか。
でも多分そういうのひっくるめても、
タフなんですよね。
体が弱い人はギャングルにはまったりもしないですよね。
そうですよね。何でしょうね。過剰、なんかこうエネルギーが無駄にあるっていうか。
ちょっとエネルギーに全部還元されるのかよって感じですけど。
なんか本当に、パワーが本当にすごいなっていうのは、作品読んでても思いますね。
これだけのパワーを持って書ける作家ってなかなかいないよなって思いますもんね。
この方、いくつぐらいまでご存命だったんですかね。
60過ぎてすぐに亡くなってるんですよね。
なので今年、生誕200周年なんですけど、没後140周年でもあるんですよね。
本当に急に亡くなってしまったので。
直前まで書いていたカラマウソフの兄弟も、これも脱光して2ヶ月経ったか経たないかぐらいで亡くなったので、
ほとんど回復修正してない状態で出したっていうような状態らしいんですよね。
単古本は。
普通だったら単古本化する時に書き直しとかするじゃないですか。
それがほとんどできてなかったっていうような話もあったりするぐらい、本当に急に亡くなっちゃったっていう。
でも、最後の作品とか読んでると、本当になんか寿命縮んでるようなっていう感じがするんですよね。
この2、3年置きに書いたら絶対寿命縮むよっていうようなぐらいのパワーを感じるので、本人としては書き切ったって感じなんですかね。わかんないけど。
でもそうなんじゃないですかね。
そういう若い時を過ごし、それだけの長編をコースタントに出し、60歳ぐらいまで生きたっていうのは、もう私の中ではかなり丈夫な人だったと思う。
丈夫しか出てこないですね。
なんか、鍛えたりするんですかね。どうなんですかね。走ったりとかわかんないけど。
走ったりする。
200年ぐらい前にそんな、走るとかあるのかわかんないですけど。
なんかでも村上春樹は小説書き始めて、やっぱり小説書くって体力いるんだなっていうのをすごく実感したらしくて、だから走るようになったの。
40、手前ぐらいから走らないと小説書けないってなって、まず肝心を鍛えるんだって走り始めるのがきっかけだっていうのを書いてはいましたけど。
ね、もうほら、走ることすら小説にするわけじゃないですか。
だからもしかしたら世の中に出回ってないだけで、
筋トレした。
筋トレの物語があったかもしれないですよね。
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筋トレ小説。ボストン市で筋トレ小説。
なんか、ボストンマラソンみたいな感じが。
テレビで街を走るみたいな。
それこそ宮殿の周りを走るみたいな。皇居マラソンみたいな。
ギリギリまでずっとこうやって小説を書き続け、最後も大作を書いてなくなるって。
小説に絶対してると思いますよ。
筋トレ。
筋トレの何かエッセイみたいなものが。
でも、同等エスキーはわかんないですけど。
やってたら面白いですけどね。毎日腹筋何百回やるとか。
でも、トレストは本当に筋トレしてたらしいですよ。
ダンベルで。
結構ガチでやつ。
実際長生きしてますからね、トレスト。
80過ぎまで生きていて。
20世紀まで生きてますからね、あの方は。
めちゃめちゃ長生きですよ。
しかも動画残ってますからね、トレスト。
映像の世紀の一番最初のシーンが
トレストイがロシア政権から破門された時のニュース映像みたいな動画なんですよ。
映像から始まるんですよ。
トレストイって映像残ってるんだっていうのがすごいびっくりして。
結構最近の人じゃね?って思ったんですよね。
そうですね、衝撃ですね。
うまくトレストイみたいな。
筋トレしたおかげかわからないですけど、すごく長生きした人ではありますね。
そうですね、そこら辺の事情なんか本当は知りたいですけどね。
おまけでちょっとロシアのクリスマスのお話をしますと、
先ほどもちょっとお話はしたんですけど、
クリスマスっていうのは今も1月7日ですね。
一応クリスマスシーズンっていうのは12月中旬頃から1月の中旬までやってるんですよね。
クリスマス当日よりもどっちかっていうと新年を祝う方に重きを置いているらしいんですよ。
これはもしかするとなんですけど、ロシアって一旦ロシア革命の後ってソビエトになってるじゃないですか。
ソビエトの時って宗教は禁止されてたんですよね。
おもてなっては信仰っていうのは神はいないってことになってるので。
あんまりそういう宗教職が一旦なくなった時期もあって、
新年を祝う方に重きを置いていたりとか、
あとはさっきもお話しした通りクリスマスよりも復活祭、復活祭祭って言うんですけど、
イースターの方がイベントとしては大きいんですね、ロシア政権の中では。
なのでクリスマスってわりとあっさり終わるみたいな。
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でもちゃんとお祝いはするんですよ。
挨拶も新年おめでとうが先に来るんですね。
新年おめでとう、メリークリスマスっていうような挨拶になると。
サンタさんもいるんですよ。
サンタさんみたいにいるんですけど、これサンタクロースじゃないんですね。
これもジェットマローズっていうおじいさんが来ます。
なんか聞いた時ある。
これネットでちょっと画像をロシアサンタって探してもらうと、
ちょっとラスボス感があるっていうか。
なんかちょっと違うんですよね。
ドラクエのラスボスとかに魔法を使いそうな感じの。
あれちょっと色黒いんでしたっけ?
色は黒くはないけど、衣装は青ですね、これ。
青なんだっけ?
色んな衣装を着てたりするんですけど、どっちかって青っぽい?
青か。
このジェットマローズってどういう意味かっていうと、日本語に訳すると、
ごっかんじいさんっていう。
怖い怖い怖い。
ジェットっていうのがおじいさんって、マローズっていうのがごっかんて意味なんですよ。
そうですね、私今見てるのにカンパって書いてますね。
そうそうそうそう。
カンパじいさんみたいな、ごっかんじいさんっていう。
で、昔からいるのロシアの妖精っていうか、日本で言うと生ハゲみたいな?
うーん。
なんて言うんですかね。
その季節になるとやってくるもの?みたいな?
もう一気に今私の中ではスローダウンしてますよ。
気持ちがこんでカンパを連れてくるおじいさん。
カンパを連れてくるおじいさん。
もうそれだけロシアの冬って寒さがつらいってことなんでしょうね。
まあね、比較にならない寒さですからね。
で、最近は、もともとはおじいさんだけが来るはずだったんですけど、最近は孫も一緒に来るらしくて。
スネーグラーチカっていう雪娘っていうね、孫も一緒に来るっていう。
なるほど。
なんて言うんですかね、ちょっとほんわかしてる感じにはなってきてるんですけれども。
そうですね。
あとはそのクリスマスツリーもあるんですけど、これ見た目まんまクリスマスツリーなんですけど、
これ夜かってロシア語では呼ぶんですが、
でもあくまでもこれも新年を祝うためのものなので、
日本で言うところの角松みたいな。
クリスマスツリーではないっていう。
ちょっと不思議なね、なんとなくクリスマスなんだけどクリスマスじゃないみたいな。
なんかちょっとそんな不思議な雰囲気も漂うロシアのクリスマスのお話でした。
なるほど、もう寒すぎてそんな浮ついてる場合じゃないっていう。
家に入ってなさいって話ですよね、本当に。
家から出ちゃダメみたいな。
ジェットマウント着ちゃうみたいな。
生ハゲみたいな感じ。
それこそ。
悪い子はいないかみたいな。
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悪い子いないかになっちゃうから。
なるほどね。
そんなクリスマスの、ロシアのクリスマスのお話でした。
はい、いいお話を聞きました、かんぱおじさん。
かんぱおじさん。
いや、ほんと来ないでほしいですね。
ほんと来ないでほしいですね。
ロシアだけでいいよ、日本までには来なくていいですっていう。
本当にお願いします。
まあ、ちょっとこんなあたりで一作目は締めようかなと思いますが。
よろしいかと思います。