00:04
皆さん、こんにちは。のぞみです。
ゆんです。
上水優輝です。
討論カフェは、お題についてみんなで語り合う価値観の交換の場です。
この番組を聞いている間、ほんの少しだけ余白を持って、さまざまな意見に触れる時間を楽しんでみてください。
さて、今回は、人に対する好き嫌いはどのようにしてつくられるのかというお題でやっていこうと思います。お願いします。
なんか好きとか嫌いとかはね、よく聞くけど、それがどのように自分の中でつくられてったのかみたいなところに興味が。
例えば、フィーリングとか言ったりしますけど、じゃあフィーリングとは何かっていう話ですよね。
あの人嫌いなんだよね。なんで?フィーリングだよ。え、そのフィーリングとは?っていうところを話していかなきゃいけない。
それを話したいですよね。
コンビニの店主だとして、自分は。
はい。
で、ちょっと不愛想のお客さんだな、みたいなのが来るじゃないですか。
それ1回ですよね。なんかあったのかな。2回目もまた不愛想。3回目も不愛想。4回目も5回目も。
この人は不愛想のお客さんだって、学習をするみたいなやつ。だからそのじわじわ系だけど、再現性があって、おそらく次もそうだろうということで、期待が持てなくなっていくってやつと、
すごく強烈な、例えばすっげー怒られたとか。で、もう反射として、そのときの記憶がフラッシュバックしたみたいなパターンというのが大きくあるのかなって思ってます。
だから繰り返しっていうのと、1回のものすごいインパクトっていう、どっちかっていう気がする。
いやでもそれ聞いて面白いなと思ったのは、人生の中で好き嫌いってできてってる感覚あるんだけど、その人生をコンパクトに、コンビニだとしてよ、自分がレジにいて日々人が来るってなったら、そこで好き嫌いを作られてってるかもね。
このお客さんは常に不機嫌で、自分は嫌だ。
で、コンビニだと、その不機嫌な人が来てて、こういう人ってこうだなって、こういう人ってこうだなみたいなパターンを勝手に作っちゃう、人間って。
例えばそれをたまたま何十代の男性でこうでみたいな属性にして、似たような人が来ると、この人もどうせ不機嫌なんじゃないかみたいな偏見をどんどん作っていく。
でもそれは効率化のために、ゼロから学習するの大変だから、過去のデータを鑑賞して、大体こんな感じだろうと思うみたいな風な感じでいくんじゃないかな。
03:05
要はそのようにして、データを集めていく中で、勝手に偏見をコレクションしてるから作られていくのかなみたいな。
そうだね。偏見コレクションなのかもね、好き嫌いは我々の。
そう、だからコレクションしなかったら好きとか嫌いとかないんじゃないかみたいな。毎回だってそこでゼロから反応しなきゃいけないから。
でもね、たくさんの人日々会うから、ゼロから構築するのってめっちゃ手間だから、結局効率よくしないといけないってことですね。
そうね、でも私、好き嫌い相当薄いんよ。理解し合えるのが早い人っていうのは確かに好きと思うんだけど、嫌いになるのには超絶時間がかかるというか、あんまないのは今言われた通り、その学習パターンに人を入れにくいというか、
なんなら日々会ってる上水君でさえ、今日初めて会ったかのような感じで話してるに近い。だから、そんなことを思っていたんだとか。
うん、だからそこは良くも悪くもあるんですね。魅力でもあるし、大変さでもある。
大変さでもある。めっちゃ大変さでもある。
今はちょっと人間を識別するみたいな話なんですけど、例えば会話もパターンで識別できるみたいになってしまって、できてるとは限らないですよ。できてると思い込んでいるから、どうせこういう会話になるんだろうなとか、これするとこうなるんだろうなみたいな予測がデータから立っちゃうわけですよ、38年もきてると。
だから、なんか既視感というか、あんまり面白いことが起こらなくなってくるように感じる。
この人と喋るときっとこんな話になるだろうって思ってしまう。でも実際そうだと思うんだよ。9分の10でそうだったりするわけじゃん。
いやでも、それは知らない面ってたくさんあるはずなのに、なんか知ってると思い込むみたいなことって起こるなって思いますね。まあまあそのようにして偏見で勝手に嫌い、出会う前から嫌いになってる人とかもいるなっていう気がする。
確かにね。5年間ずっとこの人わかんないなって思ってた人が、こんなに寂しがり屋だったんだって思ったことがあるよ。
よく5年付き合いましたね。
どうしても会わなきゃいけない相手だったってのもあるかもね。
でももう一人その人を知ってる人は、今もずっと嫌いって言ってた。
だから、その変化に出会っても、もうそういう人だって、もうたぶん嫌いって認定されてるから、認定する前と認定した後もある気がした。この好き嫌いはね。
嫌いってやっぱその感情ですからね。苦手とかはもう少し感情もあるにしても、具体性があるというかね、どういうところがどうやりづらいとか、そういうやつだけど、嫌いって感情だから、それをキャンセルするって難しいですよね。
06:14
でも結構偏見コレクションっていうのは、私の中ですごくしっくりきたのは、なんか保育士さんに聞いたんだけど、子どもたちってゴキブリにギャーって言わない子がおるらしいよ。
それはカブトムシと変わんないよね、ゴキブリとか。
でもギャーっていう子どもって、親がギャーって言ってるみたいな。
虫とかケムシとかって、基本興味の対象であって、それが不快であるか気持ち悪いか怖いかみたいなのは、意外に周りからつけられてるんじゃないかってのを聞いたことがあって、あ、そうだなーって納得した覚えがあるんだけど。
保育園の時だってイマムシとか触ってましたもん。
そう、ミミズとかも触ってなかった。
なんでみんなミミズ集めるの。
あとダンゴムシも集めてた。
何でだろうね。
だから偏見のコレクションがないんじゃない、まだ。
動くし、捕まえやすいし、居場所もわかるし、みたいな。
捕獲するのに最もいい対象みたいになってるから。
ただケムシとかは痛いとか、触ってかゆいとかの経験から、これは危ない、気持ち悪いっていう好き嫌いに変換されてってる感じはしない?
最初からあるわけではない気がしたんよね、好き嫌いが。
快不快はありますよ。
あるね。
確かに。
快不快あるね。
快不快の好き嫌いはただちょっと一歩先のあるかもしれないですね。
快不快があって、その次に好き嫌いがあって。
快不快の方がすごい本能的というか、すごい。
またさらに理性的になると得意苦手になる。
わかる。そんな感じ、そんなイメージ。
得意不得意はさらに向こうになるんだ。
さらに理性的。
どこが苦手かってことは要素に分解できてるから、別にその人全体が嫌いとかは思わないみたいな、こういうとこが苦手だなと思う。
理性的だね。
ということは、理性的ではないが、動物的すぎないものが好き嫌い。
人間らしくもありますよね。
でもなんか動機みたいなものもさ、ちょっと本題とはずれるけど、人間の動機みたいなものもさ、そんな感じじゃない?快か不快かに結局掘り下げていくとなりそうだよね。
そうですね。
で、その一歩先に好きか嫌いかみたいなのがあって、なんかね、企業家の人とかさ、かっこつけて言うけどさ、ビジョンとか言ってるけどさ、
あー、確かに。
好き嫌いで言ってんじゃんと思うんですよ。
09:00
そうね。
あ、それで言うと快不快からビジョンを作ってるわけじゃないんじゃない?
好き嫌いぐらいじゃないですか。
不快になると必ずしも嫌いになるとは限らないと思うんですよね。
私もそう思う。どっちかというと、不快をしっかり向き合うと、苦手であるとか、そっちに行きそう。
確かに。
嫌いにはならん。
すんごい汗臭い人とか、けど面白いやつとかって、友達にいたりするんですよ。
不快ではあるけど、その分は苦手だけど、人としては好きみたいなことってあり得る。
あるあるある。ただ快不快を忘れて、稼げるから好きな気がしてるとかは、私の中でアウト。
お金の匂いを嗅ぎ分けるためなんですか?
それが快だったら全然いい。でも本当は不快なのに、お金が好きだから不快なことをするっていうのが相当歪な気がする。
でもみんなそうなんじゃないの?仕事なんか嫌いだけど、みたいな。でも生きていけないのは不快だから、みたいな。
仕事も不快、生きていけないのも不快。どの不快を選べますか?みたいなので。
それは自律的に判断してるよね。
さっき言った話と何が違う?
好きだって言ってるってこと?それを。
でも会社員もそうじゃん。会社で社長の文句とか言わないじゃん。
でも会社の外にいったら言いますからね。
でも恋愛マッソージは外で言ってて、本人には好きだって言ってる。で、外では全然好きじゃないんだけどさ。
でもせざるを得ない人がだからめちゃくちゃ多い。
不快vs不快の中でどの不快を選ぶかみたいな、マシなやつを選んでるみたいな。
地獄じゃないですか。
不快vs不快。
そっか。
快か不快かじゃないですもんね。不快の度合いのどっちが浅いかみたいな。
この世は地獄だ。
そっか。快不快は忘れてはいけないんじゃないかとは思ってる。
好き嫌いの前に。
好き嫌いの前に、はい。
好き嫌いはさっき言ったようにゴキブリと一緒で、社会からつけられているんじゃないか意外に。
自分が思ってる好き嫌いじゃなくて、実は社会から与えられた情報も多くて、好き嫌いができちゃってるから、快不快の方を相当意識した方がいいんじゃないっていう意見。
それ面白いですよね。好き嫌いが先に来ちゃうから上に快不快に影響しちゃうってことでしょ。
そういうことそういうこと。
本来不快でもなかったものが不快になるってことだね。
そういうことそういうこと。逆もある。
本当は不快なのに快のように感じているとか、それを言いたかった。
面白いね。
好き嫌いは一人で作っていない可能性が高いけど、快不快は結構自分が感じていることだから結構自分のことじゃないかっていう感じ。
12:08
潜在的には持っているってことでしょ。
そうそうそうそう。
なのに好き嫌いとかって意味付けも混じった感情のせいで、そこの本来自分が持っている感覚を眠らせてしまってるっていうね。
そこはめっちゃあると思う。めっちゃあると思うよ、それ。
好きな仕事よりも不快じゃない仕事のほうがまだ意外に続くんじゃない?とか思ったりする。
めっちゃそうかもしれないですね。
めちゃくちゃわかりますね。
不快じゃない、確かに。
心地いいのほうでもいいし、どっちでもいいんだけどね。
好き嫌いはね、私意外に間の判断基準だと思ってる。
そうですね。
コントロールしないとね。
社会的ですよね、判断って。
ゴミを不法投棄する人って、たぶん嫌いな人多いと思うんですよ。
うん。
それすごい社会的だと思うんですよね。
うんうんうん。
ゴミを不法投棄する人を嫌っていい社会じゃないですか。
つまり、反社会的なものは嫌うっていう、そういうのがインストールされてるんじゃないかってこと?
そうですそうです。
それどのレベルでみんな思ってるんだろうね。
社会を一つの秩序を持って、やらない人がいると危ない、危ない奴がいるみたいに、そんな理解をしてて、ルールを破る奴がいる、やばい。
でも、思考停止は思考停止だもんね。本当にやばいのかって、その事象を考えてないもんね。
ダブルで考えてほしいよね。
そうだね。
その秩序を乱してるのは確かに、ルールが危害化しちゃうから、ルール全般大事にしようよ、しない奴ダメだよねっていう観点もあるし、でもゴミって本当にダメなんだっけ?みたいなことを考えたいよね。
だからさ、不法登記本当に嫌いかって言われたらさ、自分ちに不法登記される可能性が増していくからかなと思った。
そこまで考えるのかな?
似たような話で言うと、あの、差別的な発言をする人は嫌いとか。
あー。
結構近いかな?内容的に。
分かったよ。分かったよ。今分かったよ。快不快、好き嫌い、得意苦手があったよね。
今度は、良い悪いという基準があるんじゃない?良い悪いと好き嫌いがちょっとこう、重なってる感じの今話な気がして。
良い悪いは。
善悪?
善悪は。
難しいっていうか、悪いやつと付き合って、悪い友達と付き合って、悪い目に遭うっていうことってあるけど。
15:02
でも、悪いやつって面白かったりするから。
だからその、好き嫌いとかぶらないけど、もっと理性的に考えないといけないところではあったりもする。
もうちょっと感情とかでもなく、信念みたいな、世界を見ているベースの持ってる価値観みたいな、強い価値観みたいなのが元になってる感じですよね。善悪とか。
善悪はもっともっと理性的かもしれないですね。そういう意味では。得意苦手よりも。
いやでもね、そんな理性的に考えても無意識レベルで持ってる信念な気がする。
でも感情が伴ってるかっていうと、信念自体には伴ってないけど、信念に反するものには感情的になるみたいな。
でも、善悪が正義感までなってる人と、なってない人がいる気がする。
自分の中でこうあってほしいという善のレベルの人がいるってこと?
でも、それが世界がそうであらなければならないは、私なんだけど、それは正義になりますね。
その世界を言うとそうだよね。
でも、社会というところから、ちょっと待って、私、社会語っていいのかわからないけど、間違ってたら言って。
社会ってところは、社会的な善悪があるよね。
とか、自分の友人の中のグループの善悪があるよね、とかがあるのかな?
サッカーをすると思ったらいいですよ。サッカーするのに12人いたらやばいよね、とかそういう話だと思う。
なんで手でボール持っちゃうんだろう、やばいねってやつだから、みんなボール持っちゃいけないね、とか、11人だよね、とかっていう。
もう少し複雑なのが社会って感じ。基本サッカーとかスポーツはもう社会みたいな感じだと思うんですよ。
競争とかはさておきですよ。ルールで設計されてその通り、その範囲内で動くみたいな意味で言うと、社会って基本的にはそうだと思う。
ただ、そこの見えないところで選手のユニフォーム引っ張ったりとかしてるから、それファールじゃないの?って思うけど、審判が見えない形でやれば、それはファールにならなかったりするから、グレーゾーンみたいなのがあるわけですよね。
じゃあ、見えないゾーンで服引っ張ってるのをいいと思うか悪いと思うかなの?好きと思うか嫌いと思うかになるの?それは。
その信念によるにはさ、そういうスポーツマンシップにのっとってないみたいな思う人もいるかもしれないし、ファールじゃないんだからいいじゃんっていう人もいるかもしれないし。
上手にルールを使いこなしてるっていう風に好意的に見る人も多分いますよね。
そう、イエローカードをもらうリスクでやってて、別に失敗したらイエローカードもらったって思う人もいるかもしれないからさ、別にその分の処罰は受けてますっていう、責任は負ってますみたいな感じの考え方もあるよね。
なるほど。
考え方によっては。だから善悪とかはまた別の話になるけど、社会という場所はそういう場所なんじゃないかなみたいな。
で、友達みたいなのは、会社みたいな、会社って微妙なな。友達とかになると、友達同士で何かサッカーしようって言ったら別に11人集まらなくても。
18:04
そうね、5人でも。
4対5とかでも成立したりすることがあるけど、そのスタジオの中のルールみたいなのあるじゃないですか。殴っちゃダメでしょみたいなのになったりするわけですよね。
だからその中はその中の暗黙だけど共有して、そうなるルールがあるみたいな。
分かった。じゃあ、いろんなサッカーの試合をしてきてね、5対4でやったり、殴り合いもある、ない、分かんないけど、ゴールキーパーもいる、いない、いろんなサッカーをしてきた結果、善悪もできてくるのかもね、その人なりの。
善悪って確かに。ってか信念っていつ持つんでしょうね。
多分変わりますよね、途中で。
変わる変わる変わる。だってブチギレてたもん、1分でも遅刻してくる人に。
そう、確かに。
結構キレ散らかしてたんですよ、10代の頃。でも今は怒らないもんね。
それはイラッとするけど怒らないんだっけ、それともイラッとはしないんだっけ。
イラッとはしてる?
世界が人の数だけあることに気づいてから思わなくなったみたいな。
イラッとも思わない?
いや、思わなくなった。
一緒にやってるプロジェクトとかで、クライアントがいて迷惑かかるとかって僕の被害にもなるから、それには起こるけど、僕との一対一の関係においては別にどうでもいいって感じ。
それで言うと時間を守るとかいう世界に住んでないに近い。だから相当大変。
だから今の社会とは全く別の世界観、信念を持ち、そこから独自の世界観を形成してるから、社会とのギャップが大きいってことですよね。
そうだね。
時間を守るとかいうのは別にそんな倫理感ありませんってあるでしょ、だって。そういうような倫理感の世界でありませんってことかな。
そういう人もいるよねって。受け入れるか受け入れないかみたいな。
置いてかれるっていうことはあるよ、それはね。置いてかれる。就学旅行で遅刻すれば置いてかれるし、仕事もなくなるし、っていうことはあるんだなってのは知ってるけど、守らなければならないっていう世界には確かにいなかったなって思う。
でもね、そのパターンで一番厄介なのは、置いてってくれたり仕事切ってくれたらいいんですよ。相手がドライに判断してるから。でもウェットに待ったりとかするんですよ。で、その人たちもその人たちの人生を無駄にするみたいなことが起こるから。
バンバン切ってほしい、それで言うと。
っていう世界に生きてるでしょ。でもみんなは切っちゃいけないっていう世界に生きてるんですよ。
簡単に人を判断して切るなんてひどいっていう世界になってるから、なんか僕とかも気をつけますけど、バンバン切っちゃうから切らないように待つとかいうこと気をつけるんだけど、社会に生きるためにね。
でも怒らない方がいい気がしたよ。
怒る?
なんで時間守らないのって怒るよりも、来なかったから行ったよの方がいいなって自分は思ってる。
21:04
っていう世界に生きてる。
そうなんだ、世界がね。
ってなると嫌いな人が減るんだよ、置いていくから。待つ人ほど嫌いなんだと思う、遅れる人が。
嫌いになるってことは、嫌いになるほどチキンキンに付き合ってるってことですよね。
そうだね。気持ち込めてますってやつはね。期待してますみたいな。
微妙やなって思ったら、一緒に遊んだりしなければ、嫌いな人って存在しなくなっちゃうんですよ。
仕事とかでどうしても付き合わないといけない人って絶対いるから、そうもいかないっていうのが現実のところではあるんですけど。
でもな、確かに時間を守るは一つの例だけど、そこにもその人にとってすごい不快とか、快にひもづいてる可能性があるから。
ちょっと軸が多すぎるね。快不快、好き嫌い、得意苦手、あと何?善悪。
まあでも、あれじゃないの、快不快と信念ぐらいなんじゃないの、ベースは。
でも信念変わるよねって話だったよね。
信念とか持ってるのかな、小さい時から。
小さい時か、わかんないね。
結構、思春期頃に出てくん?
小さい時って、やっぱりそこそこ快不快なんじゃないの。
最初はお腹空いたとか寒いとか、ちょっと体勢きついとか、なんかその快不快で。
一番最初に持つような信念って、たぶんその信念持っとったら、持ってるって言えばかっけえとか、そういう世界観な気もしますけど。
なんかそういう信念とは別で、なんか世界認識のベースになっている軸みたいな意味での信念。
なんていうのかな。
人間は嘘をつくみたいな、信用してはならないみたいな信念を持ってると、なんか全部疑ってみるとか、例えば。
それは結構根深くあったりとかするやつのことを信念。
信念としては、人を信じないことですとか、そんなんじゃない。
信念はまた別の時話そう。
そうですね。
これだけで結構話せる気がするし。
そういう意味で、好き嫌いはっていうことで言うと、快不快みたいなものがベースになっているのと、プラスに経験とか社会的なやつをミックスして生まれた感情のことってことですかね。
そんな気がしてきた。
で、その時に、我々としては、その社会から植え付けられた部分に左右されて、逆に快不快を作り直すみたいなことをして、
24:02
本当は不快なはずなのに、そんな不快じゃないよとかなってるのが危ないよって話をしてたわけですよね。
そう。
だから、価値観の交換に来てほしい。討論カフェに。
その社会的に植え込まれたやつを脱洗脳するみたいな。
自分の快不快を。
自分で決めていいんだぞと。
そう。
社会が決めることじゃないんだぞって。
そう。
誰かから見るとヘイト発言聞こえたり、不快に思わせるかもしれないけど、自分の正直な快不快を言ってみるっていう時間もあっていいんじゃない?
テーマパーク感出てきましたね。
そうですね。
でも、なんだろう、好き嫌いっていうワードの方がよく使われてるけど、最近よくね、いろんなとこで。
でも、快不快の方をちょっと見てみるっていうレベル感でね。
その好き嫌いは社会から植え付けられてませんか?っていうことな気がする。
本当に好きですか?
でも、快と不快と好き嫌いは一致しないことが結構あるもんな。
あるよね。社会生活上とか。
そうなんですよね。
でもね、それを自分なりに消化してるとかいいんよ。
でも、快不快を感じなくなるとか、押し込めて気づきもしなくなるってのは。
なってる人いっぱいいるんじゃない?
いい。
確かに。
いる気がするわ。
それはいるな。
だって快不快とかを表明しても、取り合ってくれない社会だったりするじゃないですか。知らんがらみたいになりがちだから社会が。
例えばその、なりに喫煙者が多いときに、自分吸わないとするじゃないですか。
そしたら、喫煙、タバコ吸う人嫌いって思っちゃいけない雰囲気ってありますよね、たぶんね。
あるある。雰囲気。
同調強くないけど、みんなが吸ってるし。
そうそう、そのコミュニティの中では。
でも、ちゃんと不快って気づいてて、でもこの1時間は、みんなを優先しよう。みんなが好きだからは、自覚的だからいいってこと。
それはいいんですけど、そこを考えれなくなっちゃうとまずいと。
そういうこと。
いうことですよね。
快不快に目覚めようみたいな、どっちかというと。
でもさ、それを感じてたら社会生活やってらんないよみたいな観点もあるわけじゃないですか。
上司からの理不尽な指示。不快とか思ってたら仕事ができないから、その不快と感じないようにするみたいな感じに頑張ってる人たちもいると思うから。
そうですね。
いちいち快とか不快で判断しないみたいな感じで、それは幼稚みたいにしてる人がたぶんいっぱいいると思うよ。
社会人だからさ、ってことですよ。
恐ろしいね。
それはね、私の世界の話をするとね、魂を売ってるに近いから、
お金なんかよりあなたの魂の方が100倍価値があるって私は思ってるから、
27:06
ぜひ、快不快を取り戻してほしい。
でも思っちゃうよ、ついつい。
快不快をもっと優先して、より快適な職場に転職するっていう考えも持ってほしいっていうこと。
そうですね。快不快を簡単に捨てて、その場に適応するだけじゃないってことですよね。
いろんなパターンが考えられる。
そうだね。
気づいてからさ、いろんな価値観があったなという感じですかね。
最後まで聞いていただきありがとうございます。
最後に番組からのお願いとお知らせです。
お聞きのポッドキャストアプリで討論カフェを番組フォローしていただけると、番組更新のモチベーションになります。
ぜひお願いします。
また、Xでハッシュタグ討論カフェをつけて、番組の感想や質問をポストしていただけると嬉しいです。
人に見られるのは苦手という方は、概要欄にあるフォームからお便りをお待ちしています。
そして、討論カフェは毎月イベントを開催しています。
番組で話したようなテーマや雰囲気での対話を実際にお楽しみいただければです。
参加費無料ですので、ぜひお気軽にご参加ください。
詳しくは概要欄のリンクをクリックしてご確認ください。
ぜひ一緒に価値観の交換をしましょう。
それではまた来週。