1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「主に対する熱情を与えてくだ..
2024-07-14 30:41

「主に対する熱情を与えてください」2024年7月14日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2024年7月14日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書) フィリッピ3:12-14わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト․イエスに捕らえられているからです。13.兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、14.神がキリスト․イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。 Ⅰペトロ5:8身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。 ヨハネ10:10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。 ヨハネ朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。 Ⅰヨハネ2:15-17世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。16.なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。17.世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。 黙示録3:16
黙示録見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。

メッセージ題 : 主に対する熱情を与えてください (フィリッピ3:12-14)
*連日30℃を超える暑さ。こんなときはすべてを下ろして休みたい。私たちの信仰生活にも休みがあれば・・・しかし信仰生活には休みがありません。なぜなら信仰生活は霊的な戦いだから。Ⅰペトロ5:8悪魔が、ほえたける獅子のように?ですから私たちは愛する家族らを守らなければ/*信仰生活で一番危ないのは?霊的な眠りにつくこと!福音書の最後のとき、イエス様の十字架の前、祈られたイエス様と祈らなかった弟子たち、結果は? #終わりのとき聖書は?目を覚まして
1.すべての人は、熱心に過ごしています。
*熱心に過ごすことが、目を覚ましていることなのか?人々が熱心の理由?Ⅰヨハネ2:16,ヘブライ2:15欲望と恐れで・・・vs私たちキリスト者の熱心は?ヨハネ6:27食べ物を得るのは大事だけど・・・朽ちる食べ物とは?永遠の命に至る食べ物?=Ⅰヨハネ2:15‐17神の御言葉に従って生きること。神を愛して・・・主の為に生きる生活によって結ばれる実りは?永遠に!また隣人を愛して・・・隣人に仕える生活によって結ばれる実りも?永遠に!信仰、命、教会の大事さ。また神様が妬みを持って守られること?主の御名の栄光、イエス様に対して、聖霊様に対して、御言葉、主の教会!神様が大切に思われることを私も大切にして、その為に持たれる熱心は素晴らしい。
2.聖書に現れる信仰の先輩たちの熱心から学びましょう。信仰の先輩たちは何のために熱心を?
*ノアの熱心? 主の御言葉に従おうと。主の教会(箱舟)を造る為の・・・
*アブラハム、イサク、ヤコブの熱心? 神が指示された、使命の地、約束の地を離れない為の
*サムエルの熱心? 主の御心通り、イスラエルの国が建てられることを願う心で・・・
*ダビデの熱心? 主の御名の栄光を大切に思う心で・・・侮辱することを許せない熱情で
*パウロの熱心? 一人一人の魂を愛する神の御心によって、人を救い、教会を開拓する為に
→このすべての人は?イエス様が言われた、ヨハネ6:27なくならない永遠の命に至るものの為/#この人たちに対する神様の報いは?黙示録22:12再臨のとき、各々報いを携えて来られると
3.ではこのような主に対する熱心は、何処から来るのか?vs自分自身が作り出す熱心?秘訣は信仰の本質
#一番問題になるのは?生ぬるい信仰!ペトロがいつ、イエス様を3度も否定したでしょう?距離を保ってイエス様について行くとき!イスカリオテのユダがどのように、イエス様を裏切ったのか?二股掛ける信仰の故に! ロトの家庭がなぜ悲惨になったでしょう? ラオデイキア教会?/@私たちがどのように主に対する熱心を持つことが出来ますか?儀式的、形式的、習慣的な信仰生活ではなく、神様を知り愛する本質に焦点を合わせて信仰生活をするなら・・・フィリッポ3章のパウロのようにキリストを得る為に!「兄弟たち、私自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト․イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」永遠に賞を・・・

00:00
今日は、「主に対する熱情を与えてください」という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
30度を超えるほど暑い日々が続いていています。 この時期になれば
全てを下ろしておいて、少し休みたいですね。 ですから、
会社、職場には休みということをとります。 今はもう昨日から3連休ですかね。本当にいい時期ですね。本当に良かったと思います。
私たちの信仰生活にも休みということがあればいいんじゃないかと。 結成マネ会は8月はもう集まりがないですね。休みというとっているところであります。
しかし全てのことに休みがあったとしても、信仰生活には休みがありません。
なぜなら、私たちの信仰生活は礼的な戦いだからです。 聖書はこう言っています。第一ペテロ五章八節です。
身を慎んで目を覚ましていなさい。 あなたがあなた方の敵である悪魔が
吠えたける獅子のように誰かを食い尽くそうと探し回っています。 悪魔が誰かを食い尽くそうと探し回っているのに
私たちはのんびり休みを取ろうとしたら、皆さんどうなると思いますか。 特に悪魔は隙を狙うんです。
正面に何かをやるんじゃなくて、何か裏とか隙を狙って働くものです。
隙を与えてしまえばどうなるんですか。要はね、術師は術説にあります。 盗んだり彷彿ったり滅ぼしたりするためほかはならないと言います。
だから私たちは悪魔に隙を与えては絶対いけません。 ですからいつも目を覚まして愛する家族を皆さんと教会のために
祈って守らなければなりません。 では私たちはいつ休むんですか。
私たちの休みは天国に行って休むんです。 信仰生活で一番危ないのは礼儀的な眠りにつくことです。
福音書の最後の時、イエス様は十字架に苦難を起きる前、 一番難しい状況で
イエス様はケセマリの園で祈られたんです。 しかし弟子たちは祈りませんでした。
祈らなかった弟子たちはどうなったんですか。 ペテロはイエス様を三度も私はその意図知りませんと否定し、
弟子たちはみんな逃げてしまいました。 イスカリでユダは悪魔に隙を与えてしまって悪魔に捕らえられてしまいました。
03:03
ですから弟子としては絶対やってはいけない。 自分の先生をお金をもらって売り払ってしまう。
裏切りを行いました。 その結果彼は自殺してしまい、今は地獄の一番底に苦しんでいるでしょう。
じゃあ誰がこのような苦しみ問題をなるでしょうか。 油断する人。
また自分の何かの問題によって何かによって目を覚ましていくことができない。 祈ることができない人は
誰でも私だって牧師だってイスカリユダのようになる可能性があります。 もちろん教会は教会の皆さんのためにとりなじの祈りをしてそれで守りたいと思っているんですけど
誰でも一瞬油断してしまえば何が起こるかわからない。 ですから終わりの時聖書が私たちにくださるメッセージは目を覚まして祈りなさいということです。
どうすることが目を覚ましていくことでしょう。 またどうすればこの暑い夏の中で目を覚ましていくことができるのか。
これを今日一緒に考えていきたいと思います。 みんなの人はもう全ての人は今熱心に過ごしています。
みんな熱心に過ごしていますよね。 熱心に過ごしているということは必ずしも目を覚ましていることということはできません。
人々が熱心に生きる理由は2つです。 聖書的な観点から見ますと2つです。
1つは第1話2章15節から16節。欲のためです。 肉の欲、目の欲、生活の奢り、この欲のために何か頑張っています。
もう一つの理由はヘブライション2章15節に 恐れによって
死の恐怖によって奴隷のように 精一杯頑張るんだと聖書を言っています。
この2つ、欲と恐れ。 これがサタンが人を支配する時に使う方法です。
ですからもし私たちが自分の欲を満たすために今頑張っている。 また何か恐れて
ああ私がもし何か堕落者になったら死ぬんじゃないかとその恐れによって今頑張っているんだとするなら
すでに悪魔に支配されている姿です。 これで頑張るんだってこれは霊力に目を覚ましていることではありません。
私たちキリスト者たちは次元が違う熱心を持って過ごさなきゃいけないんですけど イエス様はこう言われました。
06:04
ヨワネ6章27節です。 朽ちる食べ物のためにではなく、いつまでも亡くならないで永遠の命に至る食べ物のために働きなさいと言います。
朽ちるものって朽ちる食べ物とは何でしょう。 これは終わりの時に全世界が燃やされると言います。
全て世の中が燃やされる時に燃やされてしまう。 それで天国に持っていくことができない。
そのようなものが朽ちるものです。 私たちが望めているこの世の中の復帰映画
また世の中での出世、成功、そのために精一杯頑張っていること。 皆さんこれはこの世が亡くなったら自分が死んでしまえば全て消えてしまう。
皆さんみんな経験があるでしょう。 世の中で何か有名な人、出世する人、成功した人
それで この世を去る時どうなりますか。それを持っていきますか。これを全部捨てていきます。
全部捨てていくもののために一生懸命頑張る。 これは朽ちるもののために一生懸命頑張ると言います。
世の中でこのような働きで熱心にやることは、これは神様が望んでおりません。
第一は2章15節から17節。大事な言葉ですね。 世も世にあるものも愛してはいけません。
世を愛する人がいれば、おんちちへの愛はその人のうちにありません。 なぜなら全て世にあるもの、肉の良く目の良く生活のおごりは
おんちちから出ないで、世から出たからです。 世も世にあるものも、世にある欲も過ぎ去ってしまいます。
しかし神の御心を行う人は永遠に生き続けます。 永遠の命に至るものとは何でしょう。
これは神の御言葉に従って生きることです。 神の御言葉は聖書全体ですけど、聖書全体は2つを意味します。
一つは神を愛しなさい。もう一つは隣人を愛しなさい。 この2つを私たちに教えてください。
私たちは神を愛して何をしますか。 神の栄光のために、神を喜ばせるために、神の御言葉に従って生きることを意味します。
そして具体的に、主に礼拝すること。 礼拝が一番大事です。
また、神様を喜ばれる。神様を誉め称える。
また、神様を喜ばれる業界に仕えること。 神に親しい関係性の中で生きること。
そこから与えられる信仰、親しみの実り、 忠順の実り、これをすべて永遠に持っていくことです。
09:06
また、隣人を愛して何をしますか。 鳥なしの祈りをしてあげることです。
隣人を愛して福音を伝えて救いの働き、 また救済の活動、また奉仕の活動を通して助けること。
教える、述べ伝える、癒される、このすべてを通して、 私たちには神様から実りと報いがあります。
それは永遠に持っていくことです。 皆さん一人の人を救ったということは、その人は天国に来るので、永遠に生きるので、
その人を救ったということは、私がそのことによって永遠に褒められます。
だから、人を救う、永遠に生きること、 永遠に続けることのために私たちは投資する、人生を生きることは非常に大事です。
ちなみに、 永遠に、永遠に続けることは何でしょう。
3つあります。1つは信仰です。 皆さん、私たち各々の信仰のレベルが違います。
信仰のレベルが違うということは、 与えられる、味わう、神の栄光のレベルが違うということです。
ある人は天に、大山の天まで昇ったような、神の素晴らしい栄光の中で生きること、
ある人はギリギリの信仰で、信仰に入ったり、なかったり、入ったり、なかったり、 ギリギリの信仰で、永遠に生きる人もいるかもしれません。
私が持っている信仰のレベルに合わせて、 次元が違う栄光を永遠に味わうことができます。
信仰は素晴らしい、一番大事です。 また、永遠に続けるものは命です。
私たちは永遠に生きます。ですから、一人の人を救うということは、 永遠に褒められる素晴らしい働きです。
ここは永遠な冠があります。 また、永遠に続けるのは教会です。
主の教会は永遠に続きます。
ですから、教会を建てるために、教会のために奉仕する全てに対しては、 神様の永遠の冠があります。
神様は教会をどれほど大切にするでしょう。 今、世の中の働きのために、神様はどこを通して働きますか?
教会を通して。 国が神様のために働きますか?
会社が神のために働いてくれますか? 神様のために働くところは教会しかありません。
だから、神様は教会を大切に思います。 また、いつも神様は熱心を持って、
神様は妬みを持って守っておられることがあると、いつも言うでしょう。 神の妬みは悪いことではありません。
神様の大切なものを守る、その熱心を妬みと言います。
12:01
神様は何を、妬みを持って守っていますか? 神の皆、神の皆の栄光。
また、イエス様に対して、聖霊様に対して、神の見事場に対して。 また、主の教会のために。
主は熱心を持って守っています。 そこに何か悪いことをしたら、もうそれは生きることはできません。
だから私たちは、主が大切にして守っておられることに対して、 私たちも熱心なものを持って、神様の大切に私たちを守っていくこと。
これが神様が喜ばれることでしょう。 そのために聖書を読んでみますと、熱心に働いた人たちがいました。
この先輩たちのことを少し考えてみましょう。 まず皆さん、ノア。
私は四条ノアと言いますけど、 ノアの熱心を知っていますか?
ノアは神様がこの世界を水で滅ぼすために、 この世界の命、生命体を守るために、
神様が箱舟を作りなさいと言いました。 ノアは120年間、
8人の家族を連れて、 120年間、箱舟を作りました。
この熱心。 これは熱心じゃなければできません。
皆さん、全世界の生命体を守るために、 箱舟、大きな箱舟を、坂競技場より大きなものと言う、
その競技場みたいな大きな箱舟を、 8人の家族一緒に心一つにして作りました。
それを作るのに周りの人からいろいろな嘲笑いを聞きながら、 非難を受けながらも耐えしのんで、
それで神の箱舟を作って、自分と自分の家族、 または世の中の生命体を救いました。
このノアの熱心。 熱心がなければ絶対できないことです。
また、アブラム・イサク・ヤクボの熱心。 アブラム・イサク・ヤクボの熱心は何ですか?
神様が指示された、カナン。 約束の地、市民の地、カナンから離れないために、熱心にそれを守りました。
私は今、アブラムと言います。 神様が指示されたところ、私は日本だと思っています。
私に指示されたところ、約束の地、市民の地、カナン。 私は日本を離れたくないと思って、今、
ずっと私が生きる限り、日本で命を全て尽くしたいと思っています。 皆さん、これが神様が私に示されたこの地域から、
私はいつまでもここに残りたい。 そこで私がやるべきことをやりたい。
15:02
アブラム・イサク・ヤクボがカナンの地を離れないで何をしたんですか? そこからイスラエル民が作られた。
そこに神の国ができました。 その熱心があったから、それができることです。
また皆さん、サムエルの熱心。 サムエルは神の御心を知って、それを叶えてあげたいという熱心がありました。
初めに建てたサウルは、神様に不従順、不信心を持っています。 その時、神様の心が照らされて、
神様がイスラエルの国のために、初めに建てた諸大王が、神に従わない。 そのことを考えて、神様がどれほど悲しむかと思いながら、
サムエルはよーっと涙を流しながら、 主よ、主よ、主の御心、主の御心のために祈ります。
その時、神様が、あなたはこれからこの角に油を持って、エッザオの家に行きなさい。
そこで私が指示する人に油を注ぎなさい。 それでダビデを建てるのではありませんか。
その神の御心を叶えてあげたいという熱心があるからこそ、神様がサムエルを使うことができました。
またダビデの熱心。 コリアテがイスラエルの人の前で、
神を侮辱しながら、あなたの中で誰かが出て私の戦おう。 その時にダビデはそこで
何か、自分の兄貴のために何か、父からの何かを伝えるために行って、その場面を見ました。
自分は少年、若い少年ですけど、その人はコリアテ。 背が半メートルを超える巨人ですけど、
その人に対してイスラエル人たちはみんな怯えて何もできていない。 それを見て神の皆に対する熱心を持って少年がコリアテを戦いました。
それで勝ちました。 石一本で勝ちました。
その熱心、それを神様はどれほど重く考えてくださったんでしょう。 またパウルの熱心。
神様はこの世に愛し、この世の人々を愛することをパウルに伝えられたので、この人々を救いたいというこの熱心がパウルにありました。
だから伝道するために、投獄されても、無地打たれても、死ぬような場面にあったとしても、石一本で投げられたとしても、
彼は福音を伝えるために熱心に働きます。 もし私はもう福音を伝えるのに投獄される、牢に入れられるとしたら私多分逃げるかもしれません。
私はパウルがやったこの熱心には比べられない恥ずかしいもので、パウルの熱心を学びたい、学びたいと思う。
18:02
福音を伝えて命を救い、また教会を建てて救われた人々をこの信仰を守ってあげたいというパウルの熱心によって
初代信約聖書がほぼ書かれたということはわかりますね。 このすべての人はイエス様が言われた通り、
6章27節、朽ちる食べ物のためではなく、いつまでも亡くならないで永遠の命に至る食べ物のために働きなさいという
そのメッセージを抱いてそれを果たすために精一杯頑張っていたんです。 彼らに対して神様の報いは何ですか。
目白く22章12節、こう書いてある。 見よ私はすぐに来る。私は報いをたずさえてきて、それぞれの行いに応じて報いる。
最後の時に神様は私たちに与える書を持って、報いを持って私たちに来られる。 一人一人にその働きたいことについて報いを与えてくださる。
私たちには神様からの報いがあります。 熱心には必ず報いがあります。
また11章にはこう書いています。 激しく襲う者は神の国を勝ち取る、天国を勝ち取ると言いました。
これは行いによる救いではなく、正しい信仰に伴う正しい実りを私たちに教えてくださることです。
じゃあ熱心、神様は熱心を大切に思います。 ところが自分が熱心にやりたい、頑張る人が大勢いますね。
しかしそのような熱心ではできません。 神様から来る熱心が必要です。
私たちは大抵自分を中心的に自分の目的を成し遂げるために、自分の中から絞り出して絞り出して、何とか主のために熱心に働くことをします。
そのような働きは神様が願っておりません。 大事なのは神を知ること、神の御心を知ることによって、
その神の御心を成し遂げたいという熱心を持って主のために働く人を神様が大切にしてくださると言います。
もう一度申し上げますけど、一番問題は生ぬるい信仰です。 生ぬるい信仰、曖昧な信仰です。
ペテロはいつイエス様を3度も否定したんですか?
ペテロはいつもイエス様と一番近くついて行く人でした。 その時は彼はもう熱心な人でした。優れた人でした。
しかしイエス様を十字架に捕まえて、十字架を背負うために連れて行く時に、
21:00
ペテロはイエス様と遠く距離を離れて、距離を保ちながらしっかりついて行きました。
その時イエス様は3度も否定する、このような卑怯な人になりました。
ですからユダはなぜ悪魔に捕らえられたんでしょう? 二股かける信仰です。
彼は信仰を持ってたんですけど、お金を大好きです。 お金が好きじゃない人いますか?と言うかもしれませんけど、
イエス様をついて行きながら、彼はお金に関心がもっとあったということです。 決定できない瞬間、彼はお金を選びました。
彼はイエス様をついて行きながら、最主人たちと妥協する、何か取引をする、このような場面もありましたね。
だから金30億をもらうこととして、彼はイエス様を裏切るようになりました。 コウモリのような信仰でした。
ロッドの家庭、最後に悲惨になりました。 なぜロッドの家庭はすべてダメになりましたか?
この世の中と神様との二股かける信仰でした。 それでロッドの妻は最後の時、見言葉よりお金を選んで、それで塩の柱になりました。
このすべての問題はどこから来るのか? 生温い信仰、曖昧な信仰、この世と神様と二股かける信仰、そこから全部入ってきます。
曖昧な信仰、二股かける信仰、そこにはサタンが入ってくる隙がある。 ナオテキア教会に対してイエス様はこう言われます。
目白3章16節。 熱くも冷たくもなく、生温いので私はあなたを口から吐き出そうとしている。
イエス様は口から吐き出そうとしている。 そのような状態の教会がナオテキア教会でした。
私たちはどうですか? 私たちの信仰、神様に対する熱心、曖昧ではありませんか?
だったら神様は私たちの教会を見るたびにオバイツが出るそうな、このような教会になるかもしれません。
だから私たちは私たちの信仰、主の前でどんな信仰なのかしっかり保っていかなければなりません。
もう一度、私たちはどうすれば主に対する燃える信仰、熱い信仰を持つことができるか。
信仰生活はしますけど、儀式的、形式的、習慣的な信仰ではなく、本質をしなければなりません。
神を知り、神を愛したいという心に焦点を合わせて、そこに集中しなければなりません。
神を愛するなら、神を知るなら、神を愛するしかありません。
24:00
今日一章で読みましたフィリップ3章で、パウルは神を知り、神を愛するその心をしっかり持って、
キリストを得るためにすべてをハイセチブチとして思って、イエス様についていくと言っていたのではありませんか。
皆さん一番問題は、教会に来るんですけど、人を見て教会に来る。
私は今日、人を、教会に人がどう見るかな。
教会に人と人間関係をうまく用いて、尽脈を広げるために、また自分の何かが願いがあって、
攻略できるような目的を持って教会に通っていることは、信仰生活をいくら頑張ったとしても何の用もありません。
そのような信仰生活は一生涯、いくら頑張っても何にもありません。
神に出会うことができなく、神の栄光を見ることもできません。
だから神に出会うことができない、神の栄光を見ることができない、信仰の本当の味を全く分かっていないまま教会に通うから、
教会に通うのは辛いんです、難しいんです。
だから不平不満が出てきるし、何か問題問題問題ばかり見えてくるんです。
皆さんこのような信仰を持って、最後の時に自分の信仰生活を続けることができますか?
まあ今は仕方がなく誰に連れて連れて教会に来るかもしれないけど、いつかは離れてしまうでしょう。
本質を求めるなら神様の恵みが与えられる。神様の栄光を見ることができ、神様の素晴らしいことを体験できれば、
目が大きくなって教会に来るのは楽しくなります。誰か行きなさいと言わなくても、教会の礼拝の時間になれば、
熱心が与えられて教会の礼拝に出たくて出たくてしょうがない信仰。
そのような信仰じゃなければ、最後の時の迫害の中で苦しみの中で信仰を守ることができます。
皆さん今日、やいろの信仰、教会学校のメッセージ、やいろの信仰、12年間の長地の病気の信仰、
その人は何を持っていったんですか? イエス様に出ていけば自分の病気が治るんだと、
イエス様に出ていけば自分の娘が治るんだと、それら信仰があったんじゃありませんか?
それら信仰が与えられたから、その燃える信仰を持って人々が見るか見ないか関係なくイエス様のところに出たんです。
だから長地の病気、癒され娘が死んだとしても生き返ることができたんです。
大事なのが信仰なんです。本質やれば信仰が与えられます。 恵みが与えられます。情熱が与えられます。
それら信仰を持って私たちは最後の時、自分の信仰を貫いて神の国に入ることができる。
27:03
最後の時、悪魔が吠えたける獅子のように誰かを食い尽くそうと今探し回っている。
そういうのを考える時に私たちの信仰生活、こうしてはいけない。曖昧にしてはいけない。
二股掛ける曖昧な信仰はダメだと思って、これから人を見るんじゃなく誰かを尊敬されたい、
評価してもらいたい。こんなことを全部捨てて、ただ信仰によって、主を愛し、主をもっと知りたい、主をもっと知りたい。
私が40年間、50年間の信仰生活をしているんだけど、信仰の本当の味がわからないとしたら、悔しい気持ちで
主を本当の味を知りたいです。本当の味を私に見せてください。示してください。
そういう心を持って私たちは主を求める。もっともっと主を、もっともっとパウルのような、ダビデのような、サーメルのような、
このような、アブラムのような、ノアのような信仰生活をやりたい。主は私をこのような信仰者として、私に火をつけてください。
熱心を与えてください。そういう心を持って毎週、毎週礼拝に参加するなら、そこにふさわしい
信仰と熱心を与えてくださるでしょう。それが最後の時、私たちの信仰、天国に入るまで守ってくれる、
熱い、燃える、強い恵みと情熱になるでしょう。
私たちの教会は、礼拝が終わった後、短い時間だとしても、いただいた恵みを分かち合う時間を持ちます。
皆さん、恵みを分かち合うその時に、ますます大きな恵みが与えられます。
情熱が与えられます。一人ぼっちで信仰生活をする人は、真似もできない、
素晴らしさがそこで与えられます。私たちは、いただいた恵み、神様からいただいたこの情熱を分かち合いながら、
これからも続けて、続けて、主に対する熱心を持って、信仰生活を続けてやりましょう。
そうするなら、夏の熱さを乗り越える、すごいパワーが上から与えられる。
信仰生活、いつまでも勝利、勝利、恵み、恵み、主の栄光、栄光の中で、
ダビデ・パウルのように、大山の天まで昇る、この素晴らしい信仰になると信じます。お祈りいたします。
主よ、私たちは、私たちの力で天国に行けないように、私たちの力では、信仰生活することはできません。
今日のメッセージで、主を知るなら、その美しく驚くほどの主を体験するなら、
30:02
主の恵みが注げられて、主に対する熱心を出すことができると言われました。
主よ、私たちは、イスカリユーダのようになりたくはありません。パウルのようになりたいです。
もっともっと主を知る、主に対する情熱が与えられるように、恵みを与えてください。
そして、暑い夏だとしても、熱心を持って、もっともっと主のために働く私たちにならせてください。
主よ、もっと照らしてください。恵みを与えてください。
イエス様の源を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン、ありがとうございます。
30:41

コメント

スクロール