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TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイディアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
篠原演劇企画篠原社長をお迎えしての7月の放送も、今週で最後となりました。
今週は、篠原社長の考える地域との関わり、そして大衆演劇の未来についてお話を伺ってまいります。今週もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
さてですね、そもそもの話として篠原さんとの出会いというのは、実は北区塚光平劇団というね、北区が有名な劇作家の塚光平さんとコラボレーションして作っていた劇団。
これは塚さんが亡くなられたと同時に解散したんですけれども、そこの出身の9プロジェクト、渡辺一則さんという劇作家や高野恵美さんという女優さん、この人たちと私が実は北区演技塾というところで関わりを持って、
言ってみれば私の、演技の先生なんですけど、別に演技って元の演技知ってませんけど、演劇の先生なんですが、その人が、実は特に渡辺一則さんが篠原さんの大衆演劇の脚本を書かれたりとか、そういうことで入られたっていうね、これもすごく新しい風のような気がするんですけど、これはどういうことでそういうふうに取り組まれたんですか。
これはそうですね、本当にこの中で高齢者が動かない中で、どうやって若い方を取り込もうかなと考えた時に、何かこう、他の演劇とやってる方とご一緒して、そこにもう一回知っていただくっていう取り組みをしたいなと思ってたんですよ。
その中で同じ帰宅で、何かこう演劇をやってる方はいないかと思って、調べた中で渡辺さんにラブコールを送ったんですよ。同じ帰宅で、同じ円溜め、今つらい時ですよね、一緒に何か面白いものできないですかって言ったらすぐにお返事いただけて、それから出会ってまだ2年半ぐらいのお付き合いですけど、もう30本近い脚本を収めていただいてます。
本当に何か大変だとか言いながらすごい数書いてますよね。
そうなんですよ。もうご一緒にいる時間が本当に月の半分ぐらい占めてるんじゃないかなっていうぐらい。
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どうですか?もちろん素晴らしい作品がいっぱい生まれ始めてるんだけど、今までの脚本とかというものとの違いみたいなのは篠田さんとしては感じます?
そうですね。大衆演劇っていうのは、戦前っていうのは雑木の作家さんがいたんですね。その劇団に合わせたものを、劇団の人数ですとか劇量に合わせて毎月やってたんですけども、それが戦後になって雑木作家さんっていう制度がなくなってしまったんですよ。
それによりその戦前のものを自分たちでリメイクすると言いますか、人数に合わせてやるしかないような形になってしまってるんですね。そこに渡辺さんのような色んな知識を持ってる方が、その今のメンバーに今の時代に合わせたものを合わせていただけるような形で脚本を書いていただけてますんで。
お客さんにとっても新鮮ですし、劇団にとっても同じような題材なんですけど、「あれ?これやりやすいんじゃないの?」っていう声がものすごく多いんですよ。
令和の雑木作家みたいな感じなのかな?
いや、私の雑木作家かもしれないですね。
ある意味では、今までも篠原さん、もちろんかなり演劇の部分にもコミットされてきたと思うけど、より一層篠原さんの思いとか考え方が脚本っていうところを通して、またその役者の人たちにも伝わっていく、その媒介にもなってるっていう感じですかね。
そうですね。渡辺さんの作品って、ものすごくこの大衆演劇の役者さんをリスペクトしていただいてるんですね。そこが多分みんなに伝わってるんで、なんかこう自分たちが置き去りにならない?
本当にこれやりやすくないですか?好きなようにやってくださいっていうようなスタンスの方なんですよ。
それはね、僕らド素人をご指導いただくときも本当にそうで、やっぱり演じるっていうところの気持ちを大切にしてくださる人なんですよね。それはやっぱり間違いなく役者さんにも伝わるんだろうな。
伝わってますね。
それから先ほど申し上げた高野芽生さんも、このところなんかレギュラーメンバーのように、しかもいろんな劇団の大衆演劇に女優さんとして参加されてますけど、高野さんの演技、今まで大衆演劇という場面でやられてきた演技じゃないんですけれども、そこで生まれてるなんか新しいものってあります?
そうですね、我々大衆演劇の演者っていうのは、良くも悪くも日々をこなしていかなきゃいけないと言いますか、言い方は悪いかもしれないんですけども、毎日違うものをやる中で、どうしても一本の作品に波が出てしまうんですね。
そういう意味では、1ヶ月、2ヶ月かけて稽古されるような演劇をされてますんで、ここはこういう心情なんじゃないですかっていうことも、考えさせてくれる良いアクセントになっていると思うんですよ。
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もちろんどっちが良い悪いっていうのはないと思うんですけど、その中でお互いの日々やらなきゃいけないものに、もう一度考える時間っていうのを与えてくれた高野さんにはものすごく感謝はしております。
なるほど、確かに軽い場面と重い場面の、その重い場面の奥行きが深まれば深まるほど、軽い場面も生きてくるっていうのもあるだろうし、その軽い場面が生かして奥行きのある部分が生きるみたいなね、そこのアクセントっていう言葉を使われましたけれども、
まさに高野おめぐみさんの存在感があるなっていう感じは、見てても僕ら素人でもなんか感じるところがありますよね。
はい。
エンターテインメントにもちょこちょこっと参加をされたりとかしてるんで、そこは結構高野さんも楽しんでもらえるようですけど。
本当はもうちょっと踊れるらしいんですよね。
いや踊れますよ。もうちょっとね、その部分もやらせた方がいいなっていうふうにご本人にもちょっと囁いておきたいと思いますけど。
そうさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
さてですね、本当に篠原さんが社長になられて本当に大変なところを過ごされてこられたんですけれども、コロナ禍も一段落されて、いよいよここから本当に篠原さんがご自身のいろんなことをやっていくということだろうと思うんですけれども、
その一つとして本当にこのところ地域にいろいろ出てきていただいて、警察とのプロジェクトとかね、オレオレ詐欺の防止のための演劇なんかも作っていただいて、面白かったですね。
面白かったですか。ありがとうございます。
なんか全然わざとらしくなくて、あれももっと配信とかしてみんなに見ていただいて、よりできるような気がしますよね。
そうですね。普段から人情劇ってものすごく多いんで、そういう意味ではどうでしょう。今共感できるご年配の方が多いと思うんですよ。
いやそれでね、この帰宅っていう土地柄からして、そういう演劇っていうのが受けやすいというか、あんまり違和感がない。
もしかしたら帰宅って昭和が残っている場所なのかもしれないけれども、こんなの今時じゃないよねっていう感じじゃないんですよね。
舞台の場面やなんかがね。だからあれオレオレ詐欺だけじゃなくて、なんか火の用心でもいいし、なんかいろんなことになんかできそうな感じがして、すごい素敵だなと思いながら見てたんですけど。
消防署の取り組みのときは、火消しのお芝居をするんですよ。リクエストで。
ああいう出し物っていうのは申し込み制だったんですかね。
そうですね。もちろん十条だけではなく、いろんな地域でもあるんですけど、この地域のこういう題材があるんで、これを地元の方に伝えたいっていう思いってあるじゃないですか。
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それを結構このお芝居にしてくださいとかっていうご依頼を受けて。
なるほどなるほど。じゃあそういう団体からの依頼を受けてっていうことなんだ。
そうなんです。
じゃあ例えば東京商工会議所で渋沢一さんを題材にしてなんかやってくれませんかっていうのもある?
もちろんです。
それは面白いね。なんか渋沢一さんって結構エピソードに溢れてる人で、例えばその西ヶ原の青年部の人たちとかね、戦前にできた青年部なんか、ものすごい力を尽くしてくださってて、そこに地元の人とのリレーションとかあるんですよ。
なんかそういうのちょっと演劇にしてくれると、また我々今渋沢さんで盛り上げてますんで。
ぜひ。
面白いかもしれないね。
それこそ渡辺さんにちょっとお願いして。
そうだよね。
知恵を絞っていただきます。
そうだね。じゃあちょっと端っこで出させてもらおうかな。
ぜひお願いいたします。
そんなことでね、あと商店街のところにお練りみたいなのがあるんでね。あれも確か警察のパターンだったと思いますけど。
お父さんやおじいさんの時代って、工業を見に来ていただくコアの不安の皆さんに本当にエンターテインメントを提供するっていうことに集中しておられた感じがするんですけど、
篠原さんはさらにそれを幅広いに捉えられて、地域の皆さんとのリレーションも大切にされておられるような感じがするんですけど、なんかそのような意識はされてるんですかね。
そうですね。このコロナ禍になって強く感じたことと言いますのが、やはり地域の協力なくして、私の街の劇場にならないとやっぱり生き残れないのかなっていうのを強く感じたんですよ。
コロナ禍って本当に地元の方しかお客さんとして来ていただけない環境になったじゃないですか。
その時に改めて気づかされたと言いますか、何も外にまず目を向ける前に、地元と一緒に自分たちのこの篠原演芸場は劇場なんだって思っていただける?そんな劇場を作らなかったら我々ダメなんじゃないかなっていうところから始まったんですよ。
なるほどね。あそこの篠原演芸場の前の小さな道、あれが演芸場通りっていう相性になってからだいぶ経つんだけど、ここへ来て明日ともにそういう通りになってきたなっていう感じを受けますよね。
そうなっていただけるとありがたいんですけどね。
あと最近は文化振興財団さんともコラボレーションされて、特に去年は塚小平さんの、これも渡辺さんとの絡みのところだと思いますけれども、
塚版の中心蔵という名作を篠原演芸場でやり、それから本公演上野のゲストハウスでやり、そして12月の打ち入りの後ぐらいのところにホクトピアでやるっていうのはね、
そういういわゆる3通りのパターンの塚版中心蔵を見せていただいたんですけれども、こういうこともすごく面白い試みですよね。
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そうですね。やっぱりこの見え方が変えると言いますか、芝居小屋には芝居小屋の良さがありますし、会館には会館の良さ、ホールにはホールの良さが多分それぞれあると思うんですよ。
その中でその違いもちょっと知っていただきながら、お互いのお客さんが行き来できる環境っていうのをちょっと生み出したくて、それの取り組みの一環だったんです。
またそれの担い手の一つでもあるんですけど、シンプープロジェクトというね、あれなんですけど、それはどういうものなんですか?
シンプーっていうのはですね、本当にこれこそコロナ禍に始めた企画なんですけれども、大衆演劇に新しい風を吹かせたい。
もちろんそれは演者も含め、演出も含め、脚本も含め、音楽を含め、やっぱりこの小さな我々だけの大衆演劇から、より一層知っていただくためにはどうしても風が必要だったんです。
そういう意味で、2024年の6月18、19日にはドクトピアの方で26作目をやったんですけども、最初の頃っていうのはものすごく、これ大衆演劇なの?っていう批判も浴びたんです。
もちろん時代劇で、ちょんまげだ、お侍さんだってやってる中から、現代語も使う、ちょっとファンタジー的なものも入ってくる。
でもその中で大衆演劇のいろんな楽しみ方を知っていただいて、何も今の怖そうだけの演劇じゃないんですよっていう意味では、新規の開拓できたのかなっていう気はしてるんですけどね。
宝塚ファンとかいらっしゃるじゃないですか。やっぱり宝塚ファンって宝塚の世界の中に入り込む楽しみ。ある意味ディズニーランドに行く時の楽しみと同じような、それと共通するものが大衆演劇の楽しみ方にあるような気がするんですよね。
そうですね。皆さん見方はそれぞれですからね。
でも大衆の、そうですね、難しいんですよね。やっぱり世に出したくて、やっぱり海冠さんとかでもやらせていただくんですけども、やっぱり小屋で見る大衆演劇の見え方と海冠で見る見え方ってやっぱり距離が変わってしまうんで、そこをどうやってこの距離感を埋めていくか。
距離が近いっていうその良さっていうものがある種消えてしまうところで、それを補って余りあるようにするにはどうするんだっていう工夫が大事になるってことですかね。
そうなんですよ。演者自体も1年に1回2回だと思うんです。その距離のお客さんとの距離感を演じるというのが。そこがだいぶ我々の課題ではあったんですけど、回を重ねることによって少しずつ解消できればなとは思ってるんですけども。
でもいろんなことやるっていうのは、やっぱり役者さんにとってもすごく刺激が多いし、やっぱり刺激があるっていうことは、いろんなところにまた力が発揮できるってことになるんでしょうから、素晴らしい試みですよね。
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ありがとうございます。
じゃあもう最後に時間なくなってきたんですけれども、篠原さんがこれからその大衆演劇、本当に大衆演劇を引っ張る立場としてどういうふうにしていきたいか、そんなことちょっとお話いただけますか。
そうですね、大衆演劇といいますか、演劇全般にあたることだと思うんですけども、この演劇をするために皆さんアルバイトをしたりですとか、仕事をしながらそれを蓄えて演劇をするっていうのが今の95%以上の方がそうだと思うんです。
そこの状況を改善するっていうのが私の台でできる最大の夢といいますか、そのためにこのシンプルプロジェクトもそうですけども、今までというのは演者さんが演者さんで終わってしまったんですよ。
なるほど。
ではもう出る機会がなくなれば、今までせっかく培ったスキルにしてもそうですし、能力っていうのを発揮せずに終わってしまう。
そこから今回みたいな渡辺さんですとか高野さんみたいにワークショップをやってる方が入ってきていただいたことによって、次の世代に大衆演劇の演者も一般の方にも講師としてできるようなノウハウも今ちょっと学んだりしてるんです。
なので好きな演劇でお食事ができるというか、生きていくために演劇だけやって生活ができるっていうような環境を生み出すっていうのが私の夢ではあるんですよ。
大衆演劇に持続可能性を持たせていくと、こういうことなんでしょうね。
そうなんです。
ぜひ夢を実現していただきたいと思います。7月1日ですか大変ありがとうございました。ご活躍をお祈りしております。