ベクトルグループの成長
はい、ということで、今日も控室からやっていきたいと思います。りささん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、ということで今日はまさに今、収録終わったところなんですけれども、今日も良かったですね。
はい、良かった。
今日はね、日本最大の、いや、アジア最大のPR会社、ベクトルグループの被災に来ていただいたんですけれども、
何よりもね、新卒から当時まだ30人だったベクトルという会社に入って、今2000人規模になって、今はそこの中のコアになる会社の取締役もやられてるっていう感じで、
キャリアの話が面白かったですね、やっぱね。
面白かったね。
なんかこう、本当に会社の成長をイコール、なんかこう自分のキャリアみたいなところがあったのと、
あとはさらにこの働き方ラジオでいうと、後半で自己表現の話も出てくるんですけれども、その自己表現と会社の理想とか理念みたいなものが共鳴している感じもすごく伝わって、非常に良かったですね。
ビジネスパーソンでありながら、なんかこう自分もちゃんと意思があったりとか、
ちょっとコミュニティの後半の話とか、パパである被災員みたいなところの、こう、あり方も見えたみたいな感じですかね。
そうそう、なんかやっぱりこのラジオでも会社員やってる方、まあ僕もやってますけども、やってる方多いと思うんですけども、
やっぱり会社員ってことはなかなか自己表現とか難しいよねとか、まあこのラジオでコミュニティの話してるけど、自分にあんまりそこアクセスする場がないなって思う方でも、
あ、こうやってコミュニティに入っていったらいいんだとか、こうやって自分の会社の理想とか理念と自分のありたい姿を重ねるのかっていうのが結構学びになるかもしれないですね。
割と働き方ラジオって起業された方とか、ちょっとこう、一人でやってる方とかも、まあいろいろ呼ばせていただきますけども、
もうがっつり大きな会社のマネジメントをやりながら自己表現をしているっていうところ、非常になんか敬語な存在なのかなって思いましたね。
うんうん、すべてのビジネスパーソンに聞いてほしい。
今日はそんな感じですね。
そんな感じ。
新卒社員の役割
まあいつもそう言ってるような気がするけど。
いつも言ってる言ってる。
そうですね、でも本当にいわゆるビジネスパーソンの、表で言うとね、いわゆるビジネスパーソンとしての成功者っていう感じなんですけども、
裏では地域コミュニティに関わっていたり、自分の表現と会社を重ねていくことも、非常にそこに向き合っている方だなと思うので、そういうところをぜひ今日は聞いていただければと思います。
はい。
ではタイトルコールいきましょう。
はい、お願いします。
働き方ラジオ始まります。
株式会社セッションクルー代表、働き方エヴァンデリストの田中健次郎です。
このラジオは誰もが自己表現をするように情熱を持って働く、そんな世界を目指す仲間づくりをしていくポップキャスト番組になります。
皆さん自己表現していますか?
はい、ということで、今日はですね、ゲスト会ということで、ベクトルグループ株式会社アンテル取締役の被災なおとさんにお越しいただいております。
今日はですね、普段被災員と呼ばせてもらっているので、被災員でよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。
ケンちゃんと呼ばせてもらって、よろしくお願いします。
被災員ケンちゃんってすごく親しそうなんですけど、これ実はですね、理由があって、以前ですね、法人コテンクルーというコテンラジオの法人コミュニティでご一緒させてもらったことがあって、そこの文化、カルチャーがですね、割とあだ名呼びで、
タメ語を使いましょうっていう、ちょっと敬語禁止じゃないけど、そういう実験的な文化があって、その時に出会っているので、割とこんな感じで、今日もタメ語、たまに敬語を混じるかもみたいな感じでいければと思います。
はい、よろしくお願いします。
はい、ということで、よろしくお願いします。
今日はですね、実は前にPRタイムズの高山さんにもゲストに出ていただいたんですけども、ある意味同じグループの会社ですね、ベクトルグループって大きなPR会社のグループがあるんですけれども、その中のアンティルという会社の取締役ということで、
まずですね、被災員の話を聞く前に、このベクトル、あとアンティルってどんな会社なのっていうところですね、多分視聴者の方も初めて聞く方もいらっしゃるかもしれないので、ちょっと教えていただけますか。
はい。
ありがとうございます。
そうですね、ラジオっていう形でちゃんと話をするのが初めてだったりするので、説明が難しいんですけど、要は図がないみたいな状態ですね。
そっかそっか、割と大体会社説明資料みたいなのが。
スライドがあったり。
はいはいはい。
PR会社、そうですね、PR会社自体がどうでしょうね、わからないって方も結構いらっしゃるのかなと思います。
PR会社、そうですね、イメージ的に広告会社と何が違うのとか、結構そういうのはあるかなと思いますね。
そうですね、いわゆる広告代理店っていう類の事業がありますけど、そこと本当に近しい状態ではあるんですけど、広告と本当にPRとの違いにそこはなってくるんですが、僕ら、もともと日本のPR会社とかあって、メディアさんですね、いわゆるマスメディアさん、テレビさんとか新聞とかブラッシュとかウェブとか、そういうところに企業の情報をお届けして、まさにそれをプレスリリースですね。
PRタイムのさっき話がありましたけど、プレスリリースっていうものを例えば通じて、記事を書いていただくとかテレビで応援していただくっていうところを間に入って、情報を伝達していく、間をつなぐみたいなことがまず結構プリミティブにもともと言われているPR会社というものになっている。
ベクトルグループ自体はそこを一番基礎としながらも、それ以外の領域、ものを広める、お手伝いを全般的にしますよっていうところがあって、そのあたりがベクトルグループ自体の経理念になってるんですけど、いいものを広めて人々を幸せにするっていうのがグループ全体の経理念としてあるんです。
なので、本当にいいものを世の中にどう広めていくのかっていうときにPR、パブリックリレーションズっていう概念、まさに高山さんの会でも話があったかなと思うんですけど、単純にメディアリレーションズっていうメディアでの記事を出していくとかっていうことだけではなくて、それこそ映像とかっていうものもあれば、SNSも最近だともちろんいっぱいありますし、いろんなそういう手段手法もあるし、その前段階で、まさにミッション、ミッションバリュー、何を伝えるの、なぜやるのっていうところから一緒に話して作っていくみたいな。
ブランディング領域とかも含めて、今でいうとグループはもう本当に拡大してやらせていただいてるっていう。
フェクトルグループなのでその流れで紹介をすると、よく世に言うPR事業会社ですね。
PR会社っていう本当のPR会社っていうと、実はグループの中に3社。
それが私が今いるアンティルという会社と、あと2社、プラチナミニシャルって3社あります。
それ以外に先ほど言ったものを広めるために、いろんな各ソリューションというか、ごとにいろんな会社が存在していて、今実は計、と言った数がこの放映タイムで変わってる可能性もあるので、50数社って言うかとしますけど、
50数社あって、従業員数で言うと今2,700人ぐらいがグループ全体の数になっているというのが、今のフェクトルグループですね。
だからPRタイムズもそのうちのアンティルも一つであり、他に映像制作の会社だったり、IRもサポートしてたり。
あとはみなさんタクシーに乗られる方だったら、タクシーサイネージの運営してる会社があったり。
本当に多岐にわたるような形で存在している。そんな形のグループになっている。
その中の、創業でもあるというか、一番元々のメディアリレーションの中心としてはPRの、元々のPR事業会社の一個がアンティルというふうに思っていただくといいかなというふうに思います。
企業の理念とミッション
なるほど、ありがとうございます。
企業さんがメディアさんとかそれ以外のいろんなステークホルダーといい関係性を作って、世の中に自分たちの価値とかを広めるためにどうしたらいいかみたいな相談を受けたり、実際にそういったメディアさんとつないだりとかっていうのをサポートするような。
そうですね。
創業事業、フェクトルの本当に中心のというか、うちの一つがアンティル。
そうですね、おっしゃるとおりですね。
ありがとうございます。
フェクトル自体は、創業はもうちょっとSP、セールスプロモーション寄りだったりはするんですけど。
そうなんですね。
フェクトル自体はちょうど30年前ぐらいに創業されていて、その後PR事業にピボットをまさにいわゆるピボットですかね、今で言う。
そういうのが20数年前、22、3、25年前ぐらいからあったなと思います。
期間事業に今がなっている。
あれですよね、PR会社で言うとフェクトルグループってアジアで一番大きいんでしたっけ?
そうですね、いろんな調査はありますけど、グローバルのPRの薬漬け機関が出してくださっているようなもので言うと、今アジアでナンバーワンで、グローバルで先日出たのがグローバルで6番目の今会社になっています。
まただいぶ上がった、僕がちょっと前に調べた資料だと10何番で書いてあったような気がしたんですけど。
そうですね、昨年7番で今年6番で、その前が11とか11とかって時があったんですけど。
本当だ、グローバル企業で。あれですよね、海外視点というか、海外も結構やられてますよね。
アジアですね、弊社で言うと。
アジアも全般的に、南アジア、東アジアは全般的にいて、僕自身も、この後の話かもしれないですけど、中国の立ち上げに携わって進んできました。
グローバルでもあると。
結構会社で言うと、ミッションだったりとか、社会的な存在意義とかっていうのは結構掲げられてる会社があると思うんですけど、アンティルはそういったものを持たれてたりとかするんですか?
そうですね、先ほどベクトルグループの経営理念っていう話を少ししましたけど。
ベクトルグループのフィロソフィーというか、ちょっとホームページ見ていただきたいんですけど、ベクトルズロックっていう、創業社長、創業会長の先生が言っているベクトルズロックって、これ実は結構グループの理念、僕も大好きなんですけど、これはこれであります。
そういうフィロソフィー、今日はちょっとこの話一回置いとくんですけど、この話だけでもたぶん1時間ぐらい経っちゃうんで。
そのフィロソフィーはグループ全体のベースとしてある中で、アンティル社として、私が実はちょうど4期役員になってからなんですけど、そのタイミングになるタイミングで、2020年のタイミングで、ミッションを改めてアンティル社としてのを定めるということで、
僕ともう1人代表の人間2人で話を進めてミッションを作らせてもらって、そのミッションが、運命の出会いを人と物とことの間へっていうミッションを作って、ミッションでステータメントも作ってるんですけど、大きく言うとそういう言葉ですね。
PR、最近いいものを広めるとか、パブリックリレーションで関係づくりをするっていう話をさせてもらってるんですけど、そういうのって結局セレンディピティっていうものがかなりあるなと思っていて。
企業のミッション
誰かと誰か、人と物と人と人、物と物とか、事柄。企業もそうですし、企業がやってるサービスもそうだし。そういったもので、出会ってる感じだと思うんですよね。
僕らが普段、他で我々が会ってるんですけど、今僕が飲んでる飲み物も、何かの瞬間にパッと出会っているというか、掴んでるんですけど、それを裏側でちょっと後押しをするとか、仕掛けとして少しプッシュできたりすると、より多くの人にいいものが伝わっていくとか、そういうことをやれるといいなっていうのが僕らのミッションだろうと思っていて。
その出会いを、本当に誰々さんと誰々さんをつなぎますとか、そういう強制的なというよりも、本来だったら出会わなかったような人たちが、アンティルさんの世の中のムーブメント作りとか、何かそういったメディアとのくわ立てによって出会うはずなかった人が出会ったりとか、人と事が出会ったりとか、
そういう変化を起こす。
そうなんですよ。特にやっぱり、皆さんまだ地方の方だったりされてるから分かると思うんですけど、埋もれてるものとかたくさんあるんですよね。
でも、これが知られることによって世の中もっと良くなることとかもたくさんあると思っていて、それをどうやったら届けられるのか、そこをやりたいなって。
たとえばで言ったときに、もしかしたら分かりやすくなるかな。本屋さん、最近はだいぶ減りましたけどね、書店で。
はい、減りましたね。
本屋さんで、やっぱりこう、書店の中を歩いてて、ふと手に取る瞬間ってあるじゃないですか。
いやーすごい、好きですね、そういうの。
たぶんこの皆さん好きで、たぶん聞いてるリストの方も好きな人多そうな気がしたんで。
そうですね、はい。
あれでポップを店員さんがつけて手書きポップ作ったりとか、並べ方も本屋さんが詩的にちゃんと考えて、これ読む人ってこの横あるよねって考えてる本屋さんとかあるじゃないですか。
そういうところ行くと、あ、なんかどんどんどんどん横のやつってやってくる。
これってでも裏側でその本屋さん、この本読む人ってこれも好きじゃないか。これ読んだ人にこれ読んでもらいたいなみたいなことをたぶん考えてる人。
っていうのが僕らがやってる仕事かな。
PR戦略の考え方
そんな風に。
絶対これを買わせるとかっていう、だから広告とかはどっちかというとこの本買ってっていう直接的なものだけれども、もうちょっとこう全体のこうなんとなく人の行動で次これ見るかなみたいなのをちょっと仕掛けを入れておいて。
そうですね。そうですよね。おっしゃると今、結構よく言われるのが、buy meって買ってくださいの、buy meのコミュニケーションが結構広告的なコミュニケーションだとしたら、
PR的なコミュニケーションってlove meっていう、好きになってもらうっていう方のコミュニケーションだというふうに言ったりもするんですけど、
でも最近はだからそれが融合されて、広告の方も当然love meの思想のもとで広告的な手法を使うってことになってきてるんですが、
大元の違いで言うとそういうふうに言われたりはしてる。
確かに。両方変化してきているっていうことで、ちょうどこの働き方ラジオのゲストでも佐藤直さん、
元々電通のバリバリの広告マンですけども、今やっぱりファンベースって、本当にlove meのところの啓蒙をどんどんされている方だったりとか、
割と全体的にもそうなってきてますよね。事業会社でもファン作り、コミュニティ作りとかっていうのは割と言い始めてますしね。
はい、そう思います。ちょっとこの流れでもう一個だけ付け加えていいですか。
ミッションっていう意味で今そういうふうに作ったんですけど、この1年半、1年半、2年弱くらいかな。
1年前ぐらいに、もう一個ブレイクダウンしたスローガンという人たちで、
スローガン。
みんなが日々、ミッションってすごくもっとベースのものなんですけど、スローガンって日々ちょっと目にしながら、そのために頑張ろうよっていう人たちで、思い出も残して掲げたのがあって、
それが理想競争パートナー、理想を共に作る理想競争パートナーっていう言葉を掲げたんです。
理想競争って僕ら社内でよく言ってるんですけど、何を言ってるかっていうと、
さっきの運命の出会いよって話にも当然つながるんですけどね。
僕らがやってることって何だろうっていうか。
誰か、仕事でいうとクライアントさんにはなりますけど、企業であり誰かの考えてる理想みたいなのがあって、それを形作ってあげるというか、
作ってあげるって言い方がだいぶ変わったんですけど、そこを実現させるための手伝いをする。
それが本当は共に作るぐらいまで一緒にパートナー的にできるといいなというふうに思っていて、そういうふうになりたい。
裏側には僕らがやってる事業って、自分たちで物を作ってないんですよ。
自分たち自身で広めるものとか、世の中のためになるものを作ってないっていう、半ばヒゲする気持ちも実はあって。
ベクトルグループの歴史
なるほど、そっかそっか。商品作ったりサービス作ったりっていうわけではないですもんね。
そうなんです。直接的に世の中を良くするものを作ってないから、じゃあ僕らって必要ない存在なのかっていうと、そんなことはなくて、
さっきちょっと言った、本当は必要とされてるものとかこととかっていうもの、それを世の中に届けるって、
そこのプロフェッショナルである人たちがいると、より良い世の中なんじゃないっていう。
なるほど。
そんな考え方で。
いいですね。
なんかその、サポートとかっていうことでもなくて、競争を共に作るっていうのがすごくいいですね。
心強いパートナーっていう感じが。
こんなことをちょっと考え始めて、一のぐらい今、社内で。
理想が大事ですよね。
理想、はい。
やっぱそれ、なんて言うんですか。世の中的にも理想を求められてるというか、ビジョンというか。
はい。
今までは割とどっちかっていうと、誰々が困ってるからそれを解決する。
よりそれを解決するためのサービスですとか、割と問題を解決するみたいなところが。
最近やっぱビジネスで強い会社さん、それこそコテンとかもそうだと思うんですけど、やっぱりその理想を割と掲げて、そこに共感者が集まってみたいなのがあって、すごくこれもいいキーワードだなと思いました。
さっきこれエピソード言うと、大柴って超大企業じゃないですか。
はいはいはい。
大柴の社長になられた島田太郎さんという方がいらっしゃって、島田さんのインタビューする場所に立ち会う機会が数年前にあったんですよ。
社長になられたタイミングぐらいで。そのときにすごい面白かったというか、ああなるほどなって思ったのがあって。
大柴ってグループの経理面が、人と地球の明日のためにっていうことがあるであろう。
よくこのこと、それぐらいの大きさの流度なのかって言葉って、それだけになっちゃいそう。
はいはいと、それはそれとしてみたいな感じになっちゃいそうじゃないですか。
人と地球の明日のためにですよっていう。
なんかもう毎日聞いてるし、当たり前のように過ぎ去っていくみたいになっちゃいそうですよね、そこまで。
結構普通っぽい言葉でもあるし。
なんだけど、島田さんがおっしゃってたのは、グループの中で、島田さんがおっしゃったのが、グループの中での社員の方々が、
新しい事業とかやるときに、これからこのぐらいは儲かりますとか、このぐらいの事業になりますよって話をしたときに、
それって本当に人と地球の明日のためになんのかっていう問いが生まれる。
で、それがそうじゃないってわかったら、その事業はいくら儲かるってなってもやっちゃダメだってなって話されるって話があって。
なるほどなと、そういうことだよな、経営理念っていうか。
そういうことですよね。
それが、これぐらいの日本を代表する、世界を代表する会社で、人と地球の明日のためにって、まさにあの会社だって言っても全然いいし。
で、それを持って働いてて、そのためにやってるってなったら誇りも出るような、ちょっといろいろ考えさせることになる。
で、そういうのもあって、家庭の中でもじゃあうちってなんだろうって思ったときに、
スローガン的に理想競争って言葉を。
言葉だけで古っぽいし、もっとかっこよく横文字ってのもあったんですけど、一番しっくりきたのがそれだった。
なるほど。
そうですよね。それだけの大企業でまでになったにはやっぱり理由があったというか、本当の意味でその理想を追求し続けた結果はそこにあるというか。
やっぱりついつい目先のところで、じゃあこれもやろうかってなるところをやらないって判断もやっぱりそのミッションというか理想を判断軸にされてるみたいな。
変わっている。
強いですよね。なるほど。そういう会社とその理想を実現することを共にやっていくと競争していく。めちゃくちゃ熱い会社ですね。
ちょっとここからは被災員のことを聞いてみたいんだけども、そんな被災員はそのベクトルグループに新卒で入ってもかなり長く働かれている。
20年経ちました。
20年。もうベクトルの歴史が被災員の歴史みたいな結構重なる部分もあると思うんだけど、ちょっとその辺の歴史も聞いてみてもいい?
そうですね。今そんなレフルが重なるなんておかましくて全然なんですけど、僕自身は新卒からね、今働き方、まず働き方ラジオ、働き方20年しているって珍しいじゃないですか。
あんまり。
当時はもうベンチャーみたいなところから、今本当に2000人規模にっていう。
もうまさにその話で、僕が入った頃は2000年代初頭ですけど、30人ぐらいでした。
30人か。めちゃくちゃ新卒ですね。
30人で新卒。新卒採用やってたんだぐらいの感じじゃないですか。
そうなんです。その規模でなんと僕の同期12人いました。
じゃあ結構経営戦略として、今年は取ろうみたいな感じなんですかね。
だったはずです。僕が新卒3期目だったはずなんで、おそらく。新卒ってなんと初めてからで。
僕の代が12人いたんですけど、32ぐらいの会社で結構ファットプラが入ったのが本当の頃です。
で、そっから4,5年ぐらいはバチャバチャ。
でもベクトルがその後分社化を。ベクトルでした。会社としては。
最初はもう一社。今グループだけど。
ベクトル一社。PR会社はベクトルだったんです。
そっから分社化していったりとか新規事業で会社作ったりとかしながらホールディング付加するっていう風になるんですけど、
その最初に分社化2つ分かれたのが、今のアンティルとプラチナムっていうPR会社2つに分けるのがあって、
僕はその当時はアンティルのほうにそのまま行くっていう。
仕事は別に変わらずに、ただ会社なんか分社化して名刺変わったなぐらいしか当時は思ってないんですけど。
その当時、今まさにPRタイムズがその当時立ち上げというか、新規事業に立ち上がってきてるんですけど、
多分4,5年、6年ぐらいだと思うんですけど。
その頃にPRタイムズともう一社、実は先日レトログループからアクセンチャーグループに事業場に行っていくというか、
サルティマンデイをしていただいているシグナルっていう会社があるんですけど、
初期のマーケティング手法
その会社の元となる、当時ワムコムってワードオブマウスって口コミマーケティングをやるっていう会社を立ち上げてて、
その2つが新規事業で法人化していくっていうのがあったんだけど、
その最初のワムコム、現シグナル社、今アクセンチャーになりましたけど、
その会社の初期の事業、ブロガーマーケティング、ブログマーケティングっていうことで。
その頃か。
多分まさに里直さんのブログの話だと思うんですけど。
あの当時で、里直さんはじめ、数名のトップブロガー。
トップブロガーですよね。
里直さん当時まだ電通にいらっしゃったりしたんで、なかなか僕らとしてはそういう意味では声かけはしづらいですけど、
個人でやられているブロガーさんとかを、今のインフルエンサーですよね。
企業のブロガーイベントみたいな形でやったりとか、そういうことを一番最初にやり始めたのがその頃で、
その立ち上げとかに携わらせていただいたりしたのが、1年、2年、3年ぐらいとかあったりするんですけどね。
ほぼほぼ世の中は先を行ってるというかね、今で言うとインスタグラマーとかYouTuberとか。
YouTuber、TikTok。
もう普通に大企業が一緒に仕事するってのはありますけど、そのときにブロガーからやってたんですね。
そのときからそういうふうにやり始めてたんですけどね。
そういう意味ではだから、いわゆる今で言うスタートアップ系の会社になんとなく入ってきて、
で、新規事業っていうものにそんな立ち上げるとか言うかわからないけど、
割と悪いみたいな感じでやってたっていうのがドブチの足です。
すごい。
で、横ではPR TIMESが立ち上がってたみたいな。
そうそう。
そういう歴史なんですね。
アジア進出の戦略
そうですね。
なるほど。
記事ネタ。
記事ネタ.comみたいな。
記事のネタになるものをウェブ上で拾えるようにするっていう。
素敵ですけどね。記事ネタ.comっていう名前で最初からPR TIMESは。
あ、そうなんだ。PR TIMESじゃないんだ。
じゃないですね。
記事ネタ。確かに繋がってる。プレスリリースっていう概念自体はあった?
もちろんもちろん。プレスリリースは古いからって言われてる。
そうっすよね。
そこからの発展で最終的にPR TIMESはプレスリリースという。
なるほどなるほど。
もともとの発想はオンライン上でそういうメディアの方が記事のネタになるものを見つけられるようにするみたいな発想と。
そっか。それまではむしろプレスリリースって言ったら各社が自分で印刷して。
はい。そうですよね。
入稿しに行くやつですよね。ポストに入れに行くやつですよね。
僕らやってましたよ。紙で印刷して。何なら写真を紙焼きって言って。
印刷しても使えないじゃないですか。写真そのものをそこに貼り付けて。
貼り付けて。
紙に糊で貼り付けて。で、それを郵送とかする。バイク便とかで送る。
で、メディアの方もその写真を元に記事とか本当にそこに載っけてくっていうことをやってる。
なるほど。新聞とか。
そっか。
考えらんないですよね。今も。
だからプレスリリースイコールウェブってもう僕は割と社会的に経験的にもそういう状態ですけど。
ちょっと行政の仕事してたんでいまだに投函する文化の人は知ってるんですけど。
記者クラブとか。
記者クラブさんとか。
紙でネットでやってて。
そうですよね。でもなんかもうプレスリリースイコールウェブのイメージだったけど。
そこをむしろ違う方面からそのディジネーターみたいなところからそのプレスリリースをウェブにしてたっていう。
なるほど結構のイノベーション。
すごいですね。
ですよね。で、インフルエンサーマーケもやってやり始めたっていう。
そこそれがじゃあ最初の10年ぐらいっていう感じになって。
いやまだ入って2,3年です。それでも。
まだ入って2,3年。めちゃくちゃ濃い。
そっからもちろん立ち上げのところは携わりつつですけど、いわゆるPRのアンティルームの方で僕は主たる業務をやらせてもらってたんで。
クライアントワークとか。
クライアントワークをやらせてもらってて。
6,7年ぐらい経ったぐらいでベクトルのアジア進出の話が。
ずっと行くぞっていう話はあったんですけど。
ついに市場環境を含めてで、グループの経営人が中国から攻めようというか、中国から行き始めた。
そこにグループの現副社長の長谷川がいるんですけど。
彼が僕のアンティルーム社の社長って長谷川だったんですけど、彼もグループ今CEO副社長なんですけど。
僕彼の直下でずっと本社当時からやらせてもらってたんですね。
彼が海外担当の役員ということで行くので、お前もちょっと行くぞみたいな。
こんな感じで。
最初の頃は出張ベースで台湾とか行ったりとか、上海行って北京行ってっていうのをやっていて。
最初は北京のほうに3ヶ月ぐらい行ったりして、オフィス借りるのとかやらせてもらったりとかして。
そのあと北京を他の方にして上海のほうに行かせてもらって、上海1年間ぐらいかな。半年から1年弱ぐらいですけど。
住んでっていうところで。
2011年とか2012年ぐらいですね。
上海万博が終わった直後ぐらいです。
なるほど。リーマンショック後だったり。
リーマンショックが終わって、上海万博があって、一回閉校になるとかなりそこで盛り上がってきていて、
もっと言うとその頃が上海だと日本人口が一番多かったみたいです。
すごい伸びてたときですよね。成長率がすごくて。
そうそうそうそう。
その頃に出していただいて、ものすごい勢いは感じましたしね。
そのときがまさに日本企業もどんどん中国進出したタイミングですよね。
そうなんですよ。一番多かったんですって。やっぱり今見ても、今から振り返るとあの頃が一番多かったらしい。
そうですよね。今はむしろ国内回帰したり、アジアって言ってもちょっと別のところとかありますけど、
本当中国、僕も半導体メーカーというか製造業だったんで、中国に一番投資してるときで、
僕もその2011年、12年とか台湾担当で、台湾にずっといました。
近くに、近くないですよね。
意外と別の国って思ってるんですよね。遠いんですよね、文化以外に。
そうなんですよ。ただ、社外人人生的に、僕自身で中国の経験って、すごい今思うとめちゃくちゃいい経験してるんですけど、
結構挫折経験にはなっていて、ちょっとおかしくはあるんですけど、かなりそうなんですよ。
組織と人材の成長
多分一番今思うと、この20年って一番きつかったなっていう感じがしてます、やっぱり。なんかいろいろと。
これはこう、何て言うんだろうな。事業としてとかなのか、人の文化的な部分だったりなのか。
やっぱり任されて、結構やらせてもらったんだけど、期待に応えきれてない事業だったり。
やっぱり営業の開拓もしていきながら、組織を作る感じになりますし、組織を作るにあたっても、これは中国の方を採用したりもしていきながらで。
いきなりマネジメントでかつ海外みたいな感じですもんね。
そうそうそう。だけどね、そういうのをしてもらって、やらせてもらって、やってたにもかかわらず、なかなか上手くいかない部分があって、
でもいい経験でしたね。すごい人間としては成長させてもらった。
成長したタイミングだった。でもやっぱりその企業がそれだけ成長してるからこそ、
自分の、さっきのセレンディフィティじゃないですけども、自分の意図しないキャリアにグイグイって変わるのがやっぱり。
この間佐藤さんとも話してたんですけど、会社員はいいぞって言って、やっぱりその自分の意思によらない思いもしなかった、
なんかこう経験がいきなり降ってくるから、明日からこれ中国行けみたいな。
本当それはめちゃくちゃ変わりますよね。
そうですよね。
聞いてて思いました。
その後帰国して。
帰国するんですね。
12位の終わり、2013頭ぐらい。部門としてはPRではあるんだけど、プランニングを専門にするような国家舞台みたいな感じのとこに呼んでいただいて。
そのときの上司の方も、そこから丸4年ぐらいかな、4年半ぐらいその部署で。
そうなったんですけど、いわゆる戦略的なプランニングの方々だったりとか、
あとずっとベクトルで新卒から入ってて、いわゆる一般的な社会人としての振る舞いって多分ちょっとできてない部分あったんだなってそのとき気づいたんですけど、
いろいろそれじゃダメだみたいなことを届け直されて、いろんな。
そうなんだ、なるほど。
やっぱり結構ベクトル自体は業界の中でも当初はビタンジという方に来てたりする。
なるほど。
結構ね、多分いろいろ思われてるのは業界にあったんだろうなと思いますけど、業界にない。
その方は他から大手のところから来られた方で、そういう意味ではそこの外と内の考え方の違いとか見られる方だったりとかも含めて教えていただいて、
その代わりめちゃくちゃ厳しく、仕事についてはものすごいプロフェッショナルな方だったんで、その人にもだいぶ鍛えられましたね。
だいぶ鍛えられてますね、この間の。
4、5年はやばかったね。
なるほど。
で、その後もう一回アンティルのPRの事業のほうを、今の立場じゃないですけど、少し二、三十人ぐらいのチームを見るような立場にならせてもらって、PRの事業部側にもかも取るっていうことになって、
そこから、それは2017ぐらいで、そこから2、3年で今の2020年度からが取締役って形になって伝わったって言ったんですね。
なるほど。ずっとPR事業っていうよりも、いろいろ海外事業とか新規事業とか、あとプランニングっていう、01っぽいものとかもやって、今は戻ってきてっていう。
はい。で、立場は今は役員にならせてもらったんですけど、なんかなので20年間転職してないと言いつつ、結構中では。
だいぶしてますね。
はい。多分、人から見たらというか、自分でも全然違うことをいろいろやらせてもらったんで。
うーん。
そう、坂本さんおっしゃる通りで、いるとそういうことも起きるぞみたいな感じ。
意外と若いうちに独立するのは、こう見えてお勧めしてないって言ってた。
はいはいはい。
いや否定はしないけど、逆に会社員もいいぞって結構その立場で、そうなんだと思って。
なるほど。なんかその中で、その変化を呼び込むなのか、変化した場所でちゃんとこう、自分なりにやるときに大事にしてることとかってなんかあったりしますか?
まさに今の話、よく置かれた場所でみたいなのあるじゃないですか。
はいはい。
あそこまでのことは思わないとか言わないんですけど、すごく大きな流れみたいなものはあると思っていて。
それは人生においてもそうだし、社会的なこともそうだし、まさに対局というか。
そこってそんなに抗おうと思って抗えるものでもないしな、みたいなこともすごく思っていて。
逆にその中で、だけどその流れは読みつつ、流れはあるのわかって認識はしながら、
その中でじゃあどう動くの、みたいなことは考えた方がいいんだろうなっていうふうに思うようになってますね。
なるほど。
なんか今こういう感じで流れついてることには何か意味があるんだろうっていう。
はいはい。それもあり。
思いながらも、乗りながら考えるみたいな。
古典で、ラジオの中だったかな、パイさんとかが仰ってたやつで、
すごく革新的な誰かが何かを変えたんだってことではなくて、
実は大きな流れがそうなっている中に、そういう人が出てきて、一番乗っかれた人が革新した人ってなってるけど、
実は何もない状態で、ほっとその人がいたかって何も変わってないっていう。
なるほど。
産業革命みたいなのにしても、そういう下準備がいろいろわーってある中で、
そういうところの最後の最後に出てきた人がやってる。
なるほど。
そういう話があったところを聞いては、これこれってすごい思いました。
でもすごいわかる気はする。
なんだろうな、結構会社作ってみたりとか、僕も意思がすごいねとか、思想があるねとか言われるんだけど、
意外と社会が多分こうなっていくんだろうなーみたいな感覚で、感覚で多分こっちみたいなのに従って、
会社の中でもそれを意識しながらやったり、
でも会社だけでできないことは自分の会社でやってみようかなとか、そんなに意思がすごいですねという感覚もないんですよね。
流れるように。
わかります。流れる中の意思というか。
そうですね。
意思決定っていう意味で、本当にゼロフラットな状態で何かがあってるわけではないじゃないですか。
みんな自分の蓄積があるし、経験してきたことがあるし、周りの環境っていうのがある中で、
その所有の条件の中で決めるっていうことだと思ってて。
それでもただ流されてるのとは違うと思うんですよね。そこって。
そこって決めてますからね。
決めてます。認知に意識することがすごい大事で、現状認識とか、今置かれてる状況がどうなのか。現状認識がすごい大事だなっていうふうには。
現状認識ですね。確かにコテンラジオでもよくね。ここが大抵的になる。
確かに聞きますよね。
どこまで内側と取られるかもありますけど、自分自身が置かれてる現状もそうかもしれない。
家族とかね、そういう意味での内側と本当の外的な現状がどうなのかっていう。
面白い。そんなキャリアを積んできたっていうところで、
このラジオのテーマの一つでもあるんだけど、被災にとっての自己表現は何ですかっていうところで、
今回もお聞きいただきありがとうございました。
ちなみにこの番組は、読むポッドキャスト、働き方ラジオとしてノートでのテキスト発信も行っております。
ポッドキャストと合わせてぜひフォローをお願いします。
番組への感想は、ハッシュタグ、働き方ラジオで投稿いただけると嬉しいです。
また、コミュニティ運営、音声配信、その他、企業広報などのテーマでセッション狂うと壁打ちがしたい方は、
お気軽に私、田中健次郎か準レギュラー、りさにご連絡ください。
カジュアルにセッションしましょう。