大山 遥
もう毎日考えて、もうそれはもうどんだけ議論してきたんだっていうのはあるんですけど、
うちがなぜ施設から対価を得ないかっていうとですね、
先ほど言ったように広報費ってものがそもそもないんですけれども、
やっぱり大きい法人、例えば一つの法人で児童養護もやってる、
保育園もやってる、病院も経営するとか。
いろんなそういう大きい法人から、自立援助ホームとかだと
夫婦でやってるちっちゃい5、6人の施設とかもあるわけなんですよ。
100人規模の子どもがいる施設とかで
そうなってくると施設の体力も全然違うわけで、
持ててるお金も違うんですよ。
そうなったときにわたしたちがサービスを有料化すると、
やっぱり体力のある施設はボンボン出してくださるんです。
もう言われてるから。有料化してくれと、逆に。
はるか
そっかそっか。
大山 遥
うちこれだけ広報費出せるから上位表記してほしいとか、
もっとアテンションつけられるようなデザインできないかとか、
いろいろお声はいただいてるんですけれども
いま施設って、子どもたち施設、選べないんですよ。
はるか
その、場所とかによって。
大山 遥
そうです、選べないんです。
そうなってくると、じゃあたまたまわたしたちが有料化して
バンバンバンバン採用ができてる施設に入って
すごく環境が整ってたらいいかもしれないけれども、
そのちっちゃい施設とかでなかなかそれができない、
どうしようどうしようってところは
もっともっと下に行っちゃうわけですよね、閲覧。
はるか
格差が生まれちゃうんだ。
大山 遥
そう。で、子どもは施設を選べないから。
やっぱわたしたちが有料化することで、人材確保の格差は
助長したくなかったんですよ。
それ、今もそう。
なのでもう、絶対にここは有料化せずにいこうっていうので
ここまでやってきているんですけれども。
やっぱり施設に付くお金とかも変わってきてますし、
どんどん考え方とかも変わってきてるので
今後、施設と話し合いながら
どういうことができるかっていうのは
考えていくことはあるとは思うんですけれども、
これまでわたしたちがお金を取ってきてないっていうのは
そういう背景がありますね。
はるか
かなり、フリースクールを
僕たちが無料にしてる理由と近いです。
大山 遥
そうですか。
はるか
その助成金の話ですけど、
僕たちもそうやって応募したりとか
いろいろしてきたりもしたんですけど。
まだ会社始めて5ヶ月ぐらいなんですけど。
助成金が取れる前と、
信頼して助成金をいただける後の変化とかって
ありました?違いは。
大山 遥
助成金の申請書によっては
これまで獲得した助成金を書く欄があるんですよね。
で、やっぱりそこに
「ここから取ってるんだ」っていうのは
それだけの審査をかいくぐったっていうことなので。
そういうのはあるかなと思います。
あとその、うち休眠預金って言って
国のそういう、休眠預金からもいただいたことがあるので、
ものすごくいろいろ審査があるんですよね。
そういうのとかも
とにかくしっかりきっちりやっていくっていうのも、
助成金を取ることによって
こっちも鍛えられる。
規定類とかズタボロだったのが、
とにかく整えないと通らないので
ものすごいスパルタで鍛えられて、
全部規定類とかガバナンス面とか
ガガガガガって整っていくんですよ。
助成金を取ることで。
はるか
質も上がっていくのか、
助成金に申請することが。
大山 遥
そうなんです。
その助成金の種類によって
審査の基準とかが違うから、
ここ取ってるってことは
相当整えたんだなっていうのが
それが証になるという。
はるか
そういうことか。
ひとし
整えるって、だから
例えばセキュリティ面とか。
大山 遥
そうです。
ひとし
社員さんの給与形態の残業代の整え方とか。
大山 遥
そうそうそう、とか。
労務とか個人情報保護とか。
そういうのがやっぱり
ここかいくぐってるんだったら
整ってるから安心だねっていうふうに。
まず大前提、
一つクリアできるから、
それはあるんじゃないかなと思いますね。
はるか
勉強になります、それは。
僕はその3年という期間がけっこう衝撃で。
始めて5ヶ月で
僕もひとしもけっこう、
なんていうか
心身すり減らしながら頑張ってるというか。
大山 遥
本当?
はるか
やってて。
その、企業勤め
僕公務員だった時から
今の生活になって、
こんだけ想い持ってやってんのに
なかなかうまくいかない、
っていうことが多いじゃないですか。
これを3年間続けられる、
この情熱はどっから来てんのかっていうのを
知りたいなと思って。
大山 遥
もう楽しくてしょうがなかったですけど。
はるか
そっか。楽しそうだもん、喋ってて。
大山 遥
なんかむしろやっぱり今は
関わる人がものすごく増えてきたりとか、
やっぱり、子ども家庭庁とか
いろいろね、
いろんな忙しい時間がかかるようになってきて、
それこそ考えなきゃいけないことが
増えてきてたりはするんですけど、
当時は別に誰に何も言われることもなく
どんどん施設職員さんと仲良くなって
「うわー。楽しい楽しい」みたいな感じだったんで、
あんまりなかったです。
全然その時は
ありがとうっていう感じで。
もちろん、
なんかよくわかんない団体が
なんかやってる、みたいなので
信頼してもらえないっていうフェーズはありましたよ。
それでやっぱこっちが
「金儲けしに来てんじゃないの」とか
「今は無料とか言ってるけど、
なんかどっかでお金取るんじゃないの」とか。
そもそもあとね、
「福祉のふの字も知らないのに
何ができるんだ」って
面と向かって言われたことがありましたね。
そのとき大泣きしましたけど。
いま全然その職員さん、
しょっちゅう飲みに行こうって誘ってくれるんですけど。
当時はちょいちょい
信頼してもらえなくて悲しいなとか、
わたし自身を疑われるとか、
「なんなんだ何者なんだ」みたいな、
「無料でこんなやるやついねえだろ」みたいな、
「どういうこと?」みたいな、
「怪しい」みたいなのはありましたけど。
でも確実に本当に一生懸命みんなやってたから、
けっこうその辺は
どうやら本当に、
本当にこの人たちは
職員確保定着を解決したいらしいっていうのは、
徐々にやっぱりその辺は
信頼していってもらえてたので、
そういうのがどんどん日々あると
楽しいの方が大きかったかなと思いますけどね。
はるか
そっかそっか。
ひとし
そうですよね。
その、ベネッセで働いてた時に
児童養護施設の現状を知ったわけじゃないですか。
大山 遥
そうですね。
ひとし
でもそれ以外にもいろいろ、
今の社会の困りごととかに
触れる機会あったような気もするんですけど。
大山 遥
確かに。
ひとし
なぜそこにずっと今も
関わり続けているのか気になります。
大山 遥
それね、たまに聞かれるんですよ。
だけどなんかこう、
自分でも何でなのかっていうのは
聞かれることで自分も整理してる感じではあるんですけど。
もともとその、父が予備校の数学講師だったらしいんですよ。
わたしが全然生まれる前。
なんだけどめっちゃ生徒がいっぱいいて、
勉強を教えてて、
なんかこう、
ちょっと自分のやりたい教育とは違うなって思ったらしくて、
5対1の個人塾を家のリビングから始めてるんですよ。
それでもう、これはちょっとなんかいいのか悪いのか分かんないけど、
学費が払えないっていう子がいたら
大山 遥
もちろん、みんながみんなじゃないんですけれども。
施設に入る前は、そんなのがあるって想像ができてなかったんですよ。
はるか
確かにそうですね。
大山 遥
虐待っていうことで入ってきているから、
子どもに対してそういう愛情を持ってる親御さんがこんなにいる、
で、こんなにコミュニケーション取るんだっていうのとかも
すごいびっくりして。
ひとし
確かに。
大山 遥
要は、
結果、育児放棄になったとか
結果、暴言をすごい吐いちゃうとか
結果、手が出てしまったとか
っていうのは虐待なんですよ。
もちろんそれは一切肯定はできないですけど、
その親御さんたちの環境がまた
その親御さんたちをすごく苦しめるものであって、
その親御さんたちはこの社会にいるわけなんですよ。
だからその人たちだけが悪いっていうわけではやっぱりないなっていうのが
すごく中に入って思ったし、
何より、子どもが親を思う気持ちはすごいです。
わたしの勝手な考えですよ。
勝手な考えだけど、
親が子どもを思う気持ちより
わたし施設に入って思ったのは、
子どもが親を思う気持ちの方が強いんじゃないかと思うことが多くて。
ひとし
どのあたりでそれを思われますか。
大山 遥
子どもたちって、
例えばご飯食べてる時とかにもなんですけど、
よくお母さんの話する子が多いんですよ。
わたしの見てた子だとけっこういて
「わたしのお母さんこうなんだ」とか、
自慢話だったり
それが現実だったり妄想だったり
あるんですけれども、
自分のお母さんはこんなに素敵で
いつか自分を迎えに来てくれる、
っていうふうに思ってる子ってけっこういるんですよ。
それも意外でした。
とにかく離れたいと思ってると思ってたから。
怖くて怖くて虐待されて
離れたいと思ってる子の方が多いのかなって思ってたんですけど、
こんなにもお母さんお父さんの話をする子がいるんだ、
自慢話をする子がいるんだっていうのもあったんで。
施設って家族の再統合っていって、
もちろん一緒に住むことだけではないんですけれども、
また、交流をしたりだとか一緒に住んだりだとか、
形はいろいろだけれども
いろんな家族の形でまた一緒にできることなら
笑顔で関われるような状態にしていくっていうのも、
施設のミッションの一つではあるんですよね。
そうなった時に、
施設のお子さんに対する世の中の偏見だったりとか、
そこに預ける親御さんへの偏見とかがあることで
その家族の再統合がしづらくなってしまうこともあるわけなんですよ。
だからどうしても虐待のニュースとかを見るとね、
わたしも今も、なんてことするんだって思いますけれども。
そこで終わるんじゃなくて、
なんでこうなっちゃったんだろうっていうところで
ちなみに自分がその近くに、
例えば隣の家に住んでたらできることは何かって。
どうしても泣き声が聞こえたりとかなんかあっても
ちょっと目を背けてしまったり、
自分のクラスメイトの子にいたとしても、
例えば自分の子供のクラスメイトにいても、
その施設の子が家に遊びに来ることをちょっと嫌だなと思ったりとか、
そういう施設のお家の方と交流することにちょっと抵抗があったりとか、
なんかいろいろちょっと知識がないことで、
ドラマとかメディアのイメージで、
勝手に色眼鏡かけて見ちゃう時ってあると思うんです。
これは別に施設とか関係なくですけどね。
なんですけどわたしは、この虐待とか施設に関わるところで発信するものとしては、
どうかその色眼鏡をとって
その人自身を見てほしいなとも思うし、
そうなった時に自分ができることは何かっていうのを
考えてもらいたいなっていうふうに思うんです。
特にそれをもった具体的な話として、
ある男の子が卒業式で、
その卒業式の後にみんなで集まるご飯会があったんですけど。
お母さんが精神疾患で育てられないからっていうので
ずっと病院にいたの、お母さんが。
で、卒業式だけ頑張ってきたわけですよ。
なんとかそこに。すごい精神的な課題を抱えてるんだけど、
頑張ってきたんだけれども、
他のお母さんたちからするとその卒業式が初めましてで、
かつ施設に預けてて背景分かんなかったことによって
そのお母さんだけ食事会に呼ばれなかったんですよね。
そしたらその子どうしたかっていうと、
みんなで行く食事会だったんだけど
お母さんを取ってお母さんと手つないで施設帰ってきたんですよ。
「全然いいよ、別にそんな行かなくたっていいんだ」とかって言ってたけど
やっぱり行きたかったの、みんなとご飯。
それもなんていうか、
わたしたち職員のもしかしたら力不足の部分もあるかもしれないし、
世の中から見た
施設に預けてる親御さんへの何かしらのイメージがあったのかもしれないしね。
そういうところで結局の幸せが子どもにいってしまったりするので
いろんなね、もちろんそれはごく一部一つのエピソードですけれども。
学校で何かトラブルがあったときに施設の子がちょっと疑われちゃったりとかね。
どうしても、事実あるんですよ。
やってないんだよ。
だけどやっぱりそういうのとかがあると