原田マハの作品紹介
はい、tantotの時々読書日記、第23回です。
今日はですね、原田マハさんの常設展示室という本について語りたいと思います。
こちらはですね、2018年に単行本が出て、手元にある文庫本は令和3年、
2021年とかですかね、ちょっとわかんないな。
はい、そんぐらいのものです。
内容は原田マハさんって、前にも一度話しましたかね、
アート系の、もともと学芸員をやっていた方ですよね、確かね。
学芸員をやっていた方で、その経験もあり、アートを題材にとった作品がすごく特徴的な方です。
アート題材にとったもの以外にもいろいろあるんですけど、
僕は結構、この原田マハさんはアート系の作品がすごい好きだなというふうに思っています。
今日こちら取り上げている常設展示室は、短編集で全部で6編ですね、短編入っているんですけど、
名前の通り、一つの短編についてごとにある一つの美術館の常設展示室にある作品、
それがテーマというか大事な役割を果たしているというような、そんな感じのものです。
例えば、最初の作品、短編の群青、カラー・オブ・ライフというタイトルなんですけど、
これはメトロポリタン美術館にあるピカソの盲人の食卓という絵が作品の中に出てくるとか、
2つ目のデルフトの長棒という作品は、これはオランダのマウリッツ・ハイスという美術館にあるフェルメールのデルフトの長棒という作品ですね。
それが絵というか作中の中で重要な役割になるというような感じで、
まず、常設展示室というところ、要は美術館の規格展ではなく常設展、常設展示室にある作品、
会いに行こうと思うような、そういうふうに会いに行ける作品。
逆に言うと、常設展示って意外と美術館で規格展に霞んでさっと流されてしまうようなことも多いと思うんですけど、
そういう脇役っぽい作品、そういう作品だったり美術館のスペースだったり、そういったところをあえて在在に取るというところが結構おにくい感じだなと思います。
原田さんってすごい上手いなというふうに思うのが、アートはアートを在在にしているというか、アートが出てくるというところは基盤としてあるんですけど、
それはあくまでやっぱり、とはいえ舞台装置の一つであって、それ自体すごく特徴的だったし、アートが出てくるというところで作品世界が豊かになっているというところがあると思うんですけど、
でも結局描いているのはアートそのものというよりは、その人の感情を描いている。その感情の描き方がアートが職場位となっていることで読みやすいみたいな、そんな感じの印象を受けている。
単純に、ただストレートに人の感情を描こうとしても、なかなか描きづらいと思うんですけど、やっぱりあるアートを目の前にしてしまう、美術を目の前にした絵だったり、そういったものを目の前にしてしまった時とか、
それを巡る人々の、普通、プレゼント作品を巡って人々のひきこもごもがあるというところに感情が生まれて、だからこそドラマになるというような。
そういうものの描き方がすごくうまいなというふうに思って、ついつい原田マハのアート小説みたいなのは、目につくと変わってしまうというような感じです。
この常設展示室は、たぶんそんなに代表作といわれるような、ある程度の長編と比べると商品の並んだ短編集なので、
アートと人生の関係
これ自体も目立つ作品ではない、まさに常設展のような作品なのかなと思うんですけど、不思議と心に残る感じだなと思います。
僕はこれをだいぶ前に読んで、細かい内容自体はあまり覚えていないんですけど、
その時、読書を読んだ時のちょっとしたメモが残っているので、それを見ながら喋っているんですが、
どの短編も、6編あるんですけど、アートを題材にしているんですけど、すごい独特の苦みみたいなのがある。
例えば、バラ色の人生というのがあるんですけど、バラ色の人生というタイトル、ラビ・アン・ローズですね。
タイトルからは裏切られるような、詐欺師っぽいおじさんに騙される話だったり、
豪車、リクス、こちらは金持ちの愛人に捨てられるみたいな話だし、
さっき一番最初にお話した群青という作品は、ちょっとしたネタバレになっちゃうんですけど、
盲人の食卓という作品が出てくるように、実は緑内瘡で徐々に視覚を奪われていくような、
そういう人のお話で、そういう苦さ、人生の辛さ、苦さみたいなものが感じられる。
でも、その中で心を奪われるようなアートと出会う。
それぞれの人がそれぞれ自分のアートと、やっぱりそういう苦い人生だからこそ出会う。
その出会いというところにすごくグッとくるところがありますし、
美術とかの存在する価値って、やっぱりそういう人生の苦みだったりとか、悲しみとか、辛いことがあったりとか、
大きな重さを持った人が、絵もいわれず出会ってしまうみたいな、
そういう瞬間にあるんじゃないかということを感じさせるような。
短編集の印象
そういうところがこの短編集の良さだし、そういうところを感じます。
なので、そういうアートって万人にとってきれいなものとか、万人にとって美しかったり、いいねというものでなくて、
ある人は、ある特定の作品、特定の作家とある時に出会ってしまう。
言い割れようもなく心を奪われてしまうという、その瞬間にこそアートの価値が同じことを繰り返します。
そういうのが真実なのかなというふうに思ったりします。
そんなわけで、すごく短い短編集なので、非常に読みやすいですし、
一個一個すごい読みやすいんですが、作品としても結構完成されているし、心に迫るものがあるので、
ぜひ読んでみると良いのではないかというふうに思います。
ちょっとどこか、読んでみるところがあるかな。
そうですね。でもやっぱり文章が美しいですよね。
例えば最初の文章の書き出し。
朝目覚めると世界が窮屈になっていた。
ミサオはしばらく身動きせずに天井の一点をじっと見つめていた。
確かに自分の部屋で自分のベッドにいる。
いつも目が覚めてまず目に入るのはアレキサンダー・カルダーのレプリカのモビール。
窓辺近く天井から吊り下げている。
黒い魚のような形が空気の微かな動きに反応して許せづけている。
遠くで車のクラクションが時折鳴り響く。
その間を駆け抜けて消えていく救急車のサイレンの音。
上半身を起こして部屋を見回してみる。
うんぬんかんぬんと。
テレビ画面がやけに小さい。
目をこすってもう一度見たら変わらない。
テレビを含む視界全体がギュッと圧縮されてしまったような感じ。
これはまた視力が落ちたのかとベッドを抜け出してデスクの上に放り出していた眼鏡をかける。
子供の頃から目が悪く視力0.1には30年の歴史がある。
などという感じで視力というところが一つのこのお話のテーマになっているような感じです。
最後の要因ですよね。
ミサオは生まれて初めてこの絵を見たように絵に向かい合った。
少女のミサオが今、パメラと並んでまっすぐに絵を見つめている。
そして願っている。
あの水咲きにワインが入っていますように。
ミルクでもオレンジジュースでもいい。
彼の一番好きなものが入っていますように。
二人の少女は青の最中で同じリズムで呼吸していた。
満ち溢れる命の息吹、かすかな光。
深く静かな群青の最中。
この辺にします。ありがとうございます。