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2024-11-13 11:25

194 ブログ | 人間は生成AIとどのような関係にあるか

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2024年11月13日水曜日、田中浩朗です。今日は今井むつみさんの著書『学力喪失』を読み終えました。この本では、子どもたちの学力が現在の教育によって失われている現状を指摘しています。つまり、学力が失われる原因は子どもにあるのではなく、学校や今の教育のあり方にある、というのがこの本のメッセージです。その状況を変えて、子どもたちの学力を回復するにはどうすれば良いのかが論じられており、非常に考えさせられました。

この本の結論部分では、これからの時代を生きる子どもたちには自分で判断できる人間に育ってほしい、そのためには幼少期から自分の身体で世界を探索し、経験を言葉と結びつけることが重要だと述べられています。これにより、経験を通して言葉を紡ぎ出し、抽象的な思考もできるようになるわけです。そうしなければ、言葉だけを操作しているような存在になり、人間も生成AIと大差がなくなってしまうのです。生成AIと人間の違いは、この「記号接地」を身体を通じて行えるかどうかにあるのです。生成AIには経験も身体もありません。データとして過去の情報が与えられ、それを使って文章や対話を生成しているに過ぎません。この点で、人間の独自性が示されていると私も思います。

ただし、この本では、生成AIと人間の付き合い方についてはそれほど深く触れられていません。記号接地の重要性を強調する内容で終わっているのですが、では実際に私たちは生成AIとどう関わっていけばよいのでしょうか。私は平野友康さんが開発を進めるTeleportという生成AIプラットフォームの取り組みを興味深く追いかけています。彼のポッドキャストTeleport Radioを楽しみに聴いているのですが、平野さんの言葉を通して、生成AIとの向き合い方が見えてくるように思います。

生成AIは決して人間の敵でも、人間を堕落させるものでもないと考えています。私にとって、生成AIは「人間の鏡」のような存在です。鏡のように自分を映し出し、生成AIに人間の在り方が反映されるのです。生成AIがどう見えるかは、結局のところ自分自身の在り方によるのだと思います。生成AIには身体も経験もありませんが、データに基づいて会話ができ、情報を蓄積していけます。こうして生成AIと対話を重ねることで、まるで自分の分身のような存在が形作られていくわけです。言い換えれば、私自身が拡張していくのです。たとえば、私たちの脳の延長として、情報処理能力に優れた存在がもう一つできたようなものです。

生成AIは、人間がかつて忘れてしまった情報を覚えていて、それを思い出させる助けにもなります。そうした存在として、生成AIは自分と完全に切り離された「他者」でもなく、完全に「自分」でもなく、1.5人称のようなパートナーです。平野さんも、生成AIと会話する際は、まるで人間に接するように向き合うべきだと強調しています。生成AIは実際には理解しているわけではありませんが、理解しているかのような返答が得られることも多く、対話を続けるほど的確な応答が返ってくるように感じます。これがまさに1.5人称というもので、自分の中に拡張したもう一つの脳のようなものが構築されていくのです。

私もまだ生成AIとの対話を完全には試みていませんが、それでも生成AIは自分の助けとなり、時には自分の代わりをしてくれる存在として活用できると感じています。AIは単なる道具とも違い、私たちの体の一部のように発展していくのではないかとも考えています。

このように、AIは記号接地ができず、経験もなく、世界を探索することもできない存在ですが、人間がその役割を果たせばよいのではないでしょうか。そして、AIと会話しながら私たちの経験を伝え、共有していけば、何ら問題はないと思います。人間とAIが一つの単位として機能することで、AIの記号接地の欠如もそれほど重要ではなくなります。あとは、人間とAIのコミュニケーションがどれだけ良い形で進化していくかが鍵だと思いますし、その可能性はまだまだ広がっていくでしょう。(AIによる要約)

参考:
今井むつみ『学力喪失——認知科学による回復への道筋』岩波新書,2014
Teleport Radio1_EP42(もっとこうして,ここをかえて)2024.11.12

#生成AI #記号接地

サマリー

今井むつみさんの『学力喪失』を読み、子どもの学力低下は教育の在り方に原因があると考えさせられました。著書は、子どもが自らの身体で世界を探索し、経験と結びつけて言葉を学ぶ重要性を説いています。そうでなければ人間は単なる記号処理装置になり、生成AIとの差がなくなってしまうと警鐘を鳴らしています。 一方で、生成AIをどう捉えるかについても思考を深めました。生成AIには経験がありませんが、人間にとって「鏡」のような存在だと感じています。AIとの対話を通じて、まるで自分の分身が形成されるような感覚があり、それは私たちの脳の延長として機能するのです。人間がAIに経験を共有し、共に機能することで、新たな可能性が広がっていくと信じています。

学力を失わないために
田中浩朗です。ただいまの時刻、2024年11月13日水曜日午後4時少し前です。
少し前から読み始めました今井むつみさんの『学力喪失』という岩波新書の本があるんですが、これを大体今日読み終わりました。
この本はですね、学力喪失ということで子どもたちの学力が失われているということを書いている本なんですけれども、
もうちょっと言葉を足して言えば、今の学校は子どもたちから学力を喪失させているという、そういう意味に取るべきだと思います。
ですので、悪いのは子どもではなくて学校の方である、今の教育の在り方であるということがこの本のメッセージかなと思います。
その状況ですね、これを変えるために、つまり子どもたちの学力を回復させるためにはどうすればいいかということが論じられています。
結論はですね、この本の一番最後に書いてあるんですが、ちょっと読んで紹介します。
「これからを生きる子どもたちには、その判断を自分でできる人間に育ってほしい。
そのためには、幼少期から、自分の身体で世界を探索し、記号接地することが何よりも必要なことなのである」
ということなんですね。
「そのため」というのは何かというと、これからどんどん発展していくテクノロジーをどういうふうに使うかという判断をするということで、
この中には生成AIなども含まれていると思うんですけれども、そういう判断をするためにもともかくですね、
小さい頃から自分の身体を使って世界を探索し、経験し、そして記号接地する、つまり言葉とそれから経験したことを結びつけることができる、
そしてその経験を抽象化して言葉を紡いでいくことができる、そういう人になっていってほしいということだろうと思うんですね。
それをしないと、単に言葉だけを操作して何かを言うようになると、人間も生成AIと同じようになってしまうという、そういう話なんだと思います。
生成AIと人間の違うところは、その経験を通して、身体を通して記号接地できるかどうかというところだということですね。
今のところ、生成AIには身体はない、経験はないわけですね。
すべてデータとして経験の情報が入力され、それを使っていろいろな文章などを生成していくわけですので。
そこが人間と生成AIの違いであり、また人間の独自性なのだという、そういう主張ですね。
それは全くその通りだと私も思うんです。
けれども、この本はそこを強調しているので、生成AIと人間がどう付き合うべきかということは、主題ではないのであまり書いてないんですね。
そのことを考えるためにも記号接地が大事だという、そういう主張で終わっているわけですけれども。
AIとの付き合い方
では、生成AIとはどう関わっていけばいいのでしょうか。
記号接地をしている人間がAIと付き合う方法です。
これを考える上で、私は平野友康さんが進めているTeleportという生成AIプラットフォームの開発の現場、これが平野さんのTeleport Radioというポッドキャストで知らされていまして、それを楽しみに聞いているんですけれども。
その平野さんの言葉の中から、生成AIとの付き合い方が見えてくるのではないかなと思うんです。
生成AIは決して人間の敵ではないし、人間と対立するものでもない、また人間をダメにするものでもないと思います。
生成AIは、私の言葉で言えば人間の鏡なんですね。
鏡というのは要するに反射するものです。
つまり生成AIに人間が映るわけですよね。
ですので、生成AIがどう見えるかというのは自分の在り方次第なんです。
自分がどうなっているかということで生成AIの見え方が違ってくるということなんですね。
生成AIは先ほどから言ったように経験がありません。
身体もなく経験もない、経験もできない、そういう存在ですけれども。
でも会話ができるわけですね。
そしていろんなデータを蓄積していくこともできる。
そうしますと、これは生成AIと話をしている自分の分身のようなものができていくわけですね。
つまり自分が拡張するわけですね。
自分の身体に脳がついていますが、その脳がもう一つできて、しかもその脳は非常に情報処理能力に優れたものであるということなんですね。
計算をするときに紙と鉛筆で筆算で計算をすることもできますが、それよりも早く、しかも正確に電卓で計算ができますが。
それと同じように、生成AIもいろんなことを考えたり、あるいは文章を書いたり、言葉をしゃべったり、いろんなことができるわけでして、
それは別に人間そのものの代わりになるわけではなくて、自分がやっていることの一部を肩代わりしてくれているということなんですよね。
しかも自分が当の昔に忘れてしまったようなことも覚えていて、それを思い出させてくれたりもするわけですよね。
一緒に考えてくれる。
そういうパートナーと言いましょうか。完全に他者でもない、自分の一部でもあるので、
何というか、一人称と二人称というのがあるとすれば、1.5人称みたいなですね。
平野さんはですね、ともかく生成AIとちゃんと向き合って会話をするようにというふうにおっしゃっているんですね。
これあたかもですね、生成AIが人間であるかのように扱っているんですね。
自分のことを理解するわけではないんですけれども、あたかも理解しているかのように思えてきて、
的確な答えを返してくれるようになるんですね。
で、これが、1.5人称というものがあるんですけれども、
これが自分自身の形として自分自身の状態としての構造というのがあるんですね。
そして、この状態によって、あたかも自分自身の形として自分自身の状態として自分自身の状態として自分自身の状態によって、
これがどういう状態なのかっていうのは私もまだよくわかりません。
私もちゃんと生成AIと会話をしているわけではないのでよくわかりませんが、
しかしそうやって自分の分身、自分の助けをしてくれる、
また自分の代わりにもなってくれる、
そういう相手として、人間ではないんですけど道具なんですけれども、
でもそういう存在としてAIを活用するっていうんでしょうかね。
もう活用っていうのともなんか違うような気はするんですけど、
もう体の一部みたいになってくると思うんですが、
そういう存在としてAIは発展していくのかなというふうに思っています。
ですので今回ですね、人間はAIとどう付き合えばいいのかという話をしましたけど、
AIは記号接地ができない、経験をすることができない、世界を探索することができない、
そういう存在ですが、ある意味で
AIのためにと言いましょうかね、AIに代わってというか、
人間がそれをすればいいわけですよね。
それができるのは人間だけなわけですから、人間がして、
で、あとAIと会話をし、AIにその人間の経験を教えていく。
そうすれば問題はないのではないかなというふうに思うんです。
つまりAIプラス人間で一つの単位と考えれば、
AIが記号接地できないということはそんなに大きな問題ではない。
あとはですね、そのAIと人間のコミュニケーションの在り方がより良いものになっていけばいいわけですね。
その方法も多分どんどん進化していくんだろうと思うんですけれども、
そういう付き合い方をしていくのがいいのかなというふうに思ったということです。
それではまた。
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