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たべものラジオ
たべものの世界を探求する、たべものラジオの掛茶料理むとう、武藤拓郎です。
武藤太郎です。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで、今回は
深川めし
深川めし
食べたことある?
ピンときてない
ピンときてませんか?
深川と呼ばれる地域には、深川めしを出すお店がいくつもあると思いますが、
僕はよく東京に行った時に、帰りにですね、新幹線乗る時に駅弁買うわけですよ。
写真見せようか。これですね、これこれ。
深川めし
ん?これはなんだ?
何これ?
これはですね、今は炊き込みになってるのかな?ご飯とアサリの煮たのと一緒に炊き込むんですよ。
アサリの煮たもの?
で、駅弁なんかだとその上にアナゴが乗ってたりとかね。
あれアナゴか。うなぎじゃないんだ。
うなぎじゃないです。アナゴですね。こういったものが乗ってる。僕大好きでね。
名前はね、よく聞くけど。
何だと思ってたの?
そういう炊き込みみたいなご飯があるのかなと思ってたくらい。
これ意外と深川近辺歩いてる人も、深川めしが何なのか知らない人結構多くて。
で、なんでこの深川めしが深川の名前がつく名物になってるのかもよくわかってないと。
わかってないの?
わかんないと思いますよ。
東京で貝を炊き込んだご飯が名物になるってどういうことだと。
貝を炊き込んでるっていうところが深川めしの特徴なのね。
そうなんですね。で、そういうふうな認識をしている方が多いですし、
大体炊き込みご飯でしょと思ってると思うんですけど、もともと深川めしは炊き込みご飯じゃない。
じゃない。
そして穴子が乗ってるのも多いんですが、これは駅弁の影響でしょうね。穴子は必須ではないです。
必須ではない?
ないんです。
じゃあここに載ってる写真は何なの?
えっとですね、違う写真変えましょうか。
こっちだ。
え?
これ。
汁かけタイプの深川めし?
はい。えっとですね、もともとは貝を炊いたものがあってですね、それをご飯の上にかけるんですよ。
ご飯の上にかける?
えっとね、イメージしてもらうとわかりやすいのは牛丼みたいな感じ。
でもこれもう俺には猫ママにしか見えない。
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もともとこの写真だとね、すごく汁かけタイプでビシャビシャになってますけど、ちょっとつゆだくの牛丼をイメージしてもらうとわかりやすいと思います。
そういうイメージね。
というかそもそもがですね、深川めしの方が先なので。
先っていうのは?
牛丼の登場に比べるとですよ。
牛丼っていうのはあくまでも明治以降ね、西洋文化が入ってきて、牛肉を食べるようになったから牛丼というものはできるわけですよね。
確かに牛は遅かったね。
深川めしっていうのはもっともっとずっと前からあるんです。江戸の初期からあるんですね。
これが原型にあって、この貝を牛肉に置き換えると牛丼ができますよみたいな感じですわ。
そういうことなんだ。
こっちが元祖というかね、牛丼につながってるかどうかは去っておき、こっちの方が古いということなんですよ。
そうなんだね。
で、今深川めしを食べようと思うとだいたいみんなアサリなんですよね。
今アサリみたいな話があってね。
だけどアサリじゃない方が正しい。
アサリじゃない方?
アサリが使われるようになったのはこれウィキペディア情報ですけど明治大正頃らしいんですね。
元々はバカ貝。
青焼きとも言うね。
聞いたことあるね。
聞いたことあります?バカ貝。
聞いてる方には分からないけど写真見せました。
回転寿司とか言っても青焼きっていう名前で出てくるのかな。バカ貝とかね。
青焼きね。見たことあるな。
正式名称バカ貝なんですけどね。
アサリのでっかいやつみたいな。
そうですね。ハマグリに近いぐらいのサイズかな。
なんでバカ貝っていうかというと、諸説あるんですけど、バカがハマグリと勘違いして喜ぶからバカ貝っていうね。
よく分かんない説なんですけど。
ハマグリに似ている。
そういう貝が実は深川界隈でめちゃくちゃいっぱい通れたんですよね。
へーそうなんだ。
じゃあその深川はどこだと。
この音声聞いてる方は深川近平にいるんでしょうけど、もともと深川という地名はなかったらしいんです。
それは江戸の初期の話ね。
その後、今の深川あたりが開拓されて、いろんな建物が建つようになってここは深川だということになったんですが、
目印にされてるのはこれですね。
英台橋。
隅田川に架かる英台橋ですね。
隅田川の河口付近です。
現代では全然河口付近じゃないです。
まだまだその後に、南の方に豊洲だとかなんだとかいっぱい陸が広がってるように見えますから。
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ただ江戸時代はですね、これちょっと今フル地図を見ながら喋ってるんですけど、完全に河口なんですよ。
これ英台橋。
月島の手前なんだね。
そうですね。
河口が。
月島は本当に島なんで元々。
今はいろんな陸地繋がって広くなって、島というにはでかすぎるくらいになってますけども、
元々は本当に小さな島でしたんでね。
この東側一帯、今の地名でいくとそうだな。
駅名で言ったら門前仲町とかね。
門前仲町。
あと牙とかね。
はいはい。
ありますね。
こっちの方がわかりやすいかな。
これが門前仲町。
だからこれが牙ですね。
牙という駅名、これ地名からきてますけども、元々は水に浮かぶ木を置くところですね。
見たことないですかね。
材木っていうのは乾燥しちゃうとダメなんで、丸たんぼのまま水にぷかぷか浮かべておくわけですね。
浮いてるのあるね。
ありますよね。
今の牙駅の北側一帯が水浸しになっていてですね。
そこに材木を浮かべていたと。
そういうところから木の場所で牙ということになったわけですね。
そこから西の方に行くと門前仲町というのがありますね。
門前というからには何の門前かというとお寺があるわけですよ。
英太寺っていうお寺さんが。
英太橋の英太ですよ。今でもありますね。大きいお寺です。
長い城なんだね。
そう大ですね。英太。長い時代って意味ですね。
長い時代って意味か。
世が長く続くとかそういう意味ですよね。
その隣が富賀岡八幡宮と。これも現代でもありますね。
どちらも観光で行くとじっくり見てもらったら楽しいですよ。
そうなんだ。
僕は大好きですここ。
行ったことないな。
裏道歩くとなかなか風情のある昭和の建物とか。
もしかしたらこれ大正からあるんじゃないかとかね。
ところもありますし。
全く観光地じゃない裏路を僕は歩いてたらですね。
なぜかよくわからない町工場のような古めかしい昭和の建物の
外側になぜか時計がついてるんですよ。
外側に時計?
はい。学校の時計みたいなんですね。
あれがすごく高いところについてるんです。
すごく高いところ。
遠くから見れるようになってるんでしょうね。
ところがですね。時計画面してる道というのがですね。
自転車同士がすれ違えないくらいの狭さなんですよ。
そんな狭いところに?
なんだこれっていうね。
街歩きの思い出ですわ。
そんなとこあんだね。
この辺が今だと門前町とかね。
昔門前町とか言われてたところですね。門前仲場とか。
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この辺りが一体のことを深川と呼んでいたわけですよ。
ここが深川?
東京の地名って面白いですね。
浅い草だとか深い川だとか。
確かにね。深い川ってなんやねん。
どういうことやねんって思いますでしょ。
ここら辺ね。本当当時の地形を知ってるとよく意味がわかってくるんですけども。
例えば今の地理でいくと門前仲町から南にそうだな1キロも行ったらもう海なんですよね。
現代はそうじゃないですよね。思いっきり地図切り替えるとわかりますか。
めちゃくちゃ陸地が広がってどんどんどんどん南の方に陸がありますよね。
電車も走ってます。
これは潮見の駅とかある方ですね。完全にこの辺海のど真ん中ですからもともと。
何にもないでしょ。塩浜とかね。
これ何年ぐらい?
これはね1700年頃だと思います多分。
300年前ってこの辺何にもないんだ。
何にもないですね。全く持ってないですね。
そんな変わるんだね。
今300年違うな。もっと後だなこれ。
1800年代ですね。安政21年に中島の調錬場が会場と書いてあるからそれ以降の地図でしょうね。
安政といえばもう幕末ですから。
これ幕末の地図ですがその時点でも深川、須崎より南側全部海。
200年でこんな変わる。
で実は1600年代はですね今の英台寺とかお寺の新田ですね門前中町。
この辺りも浜辺とか状態なんですよ。
なんでこんなに、これ埋め立てたんでしょう?
埋め立てたんです。これは江戸時代に幕府の主導によって埋め立てたんですね。
今でも門前中町の駅から行くとこれ何通りだっけなちょっと忘れちゃったな。
東京メトロの走ってるところの上に道がありますよね。
そこから一本裏手の南側に行くとですねすごく細い風情のある町というかね広がってまして。
そこは今でも川が流れてるんでね川に面した通りですね。
川沿いだね。
はいで船着き場が昔ながらが所々に残ってると。
へえそうなんだ。
そういう風情のある場所ですけれども。
これ何川って書いてある?
これは当時二十軒川とか大島川という風に言われてますが。
現代だと大横川って書いてますね。
大横川はこの時代にももうあった。
あったですね。
というかあのもう今ほとんど埋め立てられちゃってますけどもそこから北側の内陸部ももう川だらけこの辺りは。
元々ねこれあれなんですよ墨田川とか利根川水系ですね。
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江戸には日本の大きな川が流れておりましたのでその川が運んできた土砂が薄く積もってるような浅瀬なんですよ。
だからここから深くなるよって川がここから深くなって海にあるよっていうあたりですマジで。
というところがだんだん開拓されてきていてですね。
でそこにお寺が作られたりだとかその界隈にこれ古地図に載ってますけどもいろんな当時の武士のね何とかの神何々っていうねちょっと偉そうな南万国の大名のお屋敷が建ったりしてるわけですよ。
というところなんですがこれもうそろそろ気づいてるかもしれないですけど浜なんですよここ元々が。
浜だ確かに。
言われてみれば浜だって感じじゃん今全く面影ありませんけども。
でこの隅田川河口部あたりにですね漁師が住みつきましてね。
当時老中坂井忠夫という人の屋敷があったらしいんですけど。
老中坂井忠夫。
偉い人ですよ老中だから幕府の中枢の上の方にいる人ね。
その人のお屋敷があってその界隈でというかそのお屋敷を拠点にさせてもらって漁を行ってた漁師が住みついてだんだん深川の漁師町というのが発展してったそうなんですね。
でこの漁師さんたちは老中の屋敷を使わせてもらってるわけじゃないですか。
でそれでもって日々の糧を得てるのでそのお礼として土壌に取れた魚介を浄納したんですよね。
でそうこうしてるうちにお前たちそこで漁していいよと。
その代わり将軍様が深川あたりにおなりになった時にはこの船のお仕事をねお前らに任すからやれよと。
分かりました。
じゃあ精進しますんでということで幕府から土地を与えられて今の深川のさっき言った船つき場のあたりに土地をもらって漁師として根付いていくという感じなんですよ。
そういう経緯なんだ。
当時の漁場っていうのはもういろんな地域横にね東の方に行くと火災とかありますけどもいろんな漁師さんたちがいて。
で入合地とかっていう言い方ありますけどここはもう誰の土地でもないどちらの縄張りでもないみんなで共同で使っていって自然を守りながら漁しましょうねみたいなことやってたんですね。
で自分たちのご飯をどうしてるかというと自分たちのご飯を取るためにわざわざ船を出さないわけですね。
まあまあまあ大変だからね。
大変ですから。なるべく手軽に食材を得たいわけです。
かといってこのあたりはね町で開拓されてますしもともと湿地帯なんで濃厚には全く向かないですよね。
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まあまあ海だとね。
こんなところで野菜を作ったら塩害で無理なんですよもともと。
なので日本人が超古代縄文時代以前から親しんでいる貝を取ってね食べるわけですよ。
それが深川飯の由来。
ああそういうことなんだ。
そういうことなんですね。
浜だしね貝取れるよね。
取れます。
結構今地図見たら広かったよね浜が。
結構長く広くありますね。
ちゃんとした砂浜みたいな。
ざっとした砂浜ですね。
このあたりがまただんだん栄えていってこの地図だと幕末近い江戸の末期の地図ですけども、
このあたりには昔々雑志ヶ谷で名を馳せた雑志ヶ谷岸戊神道の前のヤブそばね。
ああそばの話であったね。
これ本編でちょっと話しましたけど。
このヤブそばという矢号がとても縁起がいいというかね。
これヤブそばの本家が流行ったんでうちもヤブそばと名乗ろうみたいなことが出てきて、
いくつかあるんですけどそのうちの一軒が深川にできるっていうね。
ああそうなの。
それが深川のヤブそばって今の白川四丁目かなあたりにあるんですけど、
これはもう大名屋敷の間にちょほんと挟まってちっちゃく地図だと見えるんですけど、
実はむちゃくちゃでかい。
屋敷の庭に池があって釣りが楽しめるみたいなね。
ああ話あったね。
ありましたね。
あと釣りができるそば屋があるっていうすごい規模のとこあったけど。
それもこの深川というエリアなんですよ。
ああそうなんだ。
あとはですねそれこそ牙。
牙。
地図で行くとねここだからもうほんと現在の牙駅のほんとすぐ目と鼻の先にね、
今でもありますけど須崎弁天っていうね弁天さんがあるんですよ。
須崎弁天。
これねここに今ちょこんと出てますねこれ。
どれが。
この神社マーク。
これが須崎弁天今でもありますね。
牙の南側。
はい。大横川を挟んですぐのところにありますね。
これは東京メトロの東西線のすぐ目ですけど、ここがもともと江戸時代からある須崎弁天なんですよ。
吉祥寺というねお寺なんですけども、ここ実は本当に海端なんですよね。
ああだから弁天なんだ。
今は今の地図で見ると全然海端じゃなくて北と東に川流れてますよみたいな感じじゃないですか。
違う違う違う違うんです。
今東側に見えてる川は本来川ではなくて海です。
ああこれ川須かないわゆる須の部分だよね。
本当に須の部分ですよね。だから須の先っぽだから須崎ってんですけど。
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そういうことね。
まんまなんですよ。どんつき。
はいはいはい。
ここの門前に人がこう集まってくるわけですよ。
お寺っていうのは昔エンターテイメントというかお参りに来る人たちがたくさんいて、
その産経客を相手に商売をするからだんだん人が商店ができて流行っていくと。
今でいう駅前商店街みたいな感じですよね。
お寺ってそういう機能を持ってたんですよ。
そこで出てきたのが須崎の伊勢屋というそば屋さんなんですけど。
これがザルそばの元祖ね。
ああザルそばね。
ザルにそばを盛るっていうスタイルで一躍有名になったという感じですね。
あったねその話。
これはオープンしてから数十年の後に津波が来てバサーッと流された後、
弁天山はちゃんと回復するんですけど、門前町にあった伊勢屋さんっていうのはそのまま復活せず無しになったんで今はもうないんですけどね。
そういうようなエリアですね。
聞いたねその話ね。
これは本編でもうちょっと細かくしてますけどね。
たぶん今ざっと流したからあまり面白みがわからないかもしれないけど結構面白いところだったよね。
ここね本編でじっくり喋ってるので興味ある方ぜひ聞いてください。結構タクロハマってたよね。
ハマってた。ヤブそばと下りとかねめっちゃおもろかったよね。
そうですね。
本当のおじいちゃんで別にそば屋でもなんでもないっていう。
ゾウシガヤキシボジンの元祖ヤブそばね。
元祖ヤブそばはそんな評判があるみたいな感じだけど。
ただの農家のじいさんね。
あれ面白かったな。そばのシリーズの中の江戸の名店っていうタイトルでどっか出してるね。
そうですね。元がヤブそばでも野後ヤブそばでもなんでもないですからね。
本当にヤブの中にある農家さんでジジイが作ってたそばでヤブの中のジジイがそばって書いてるだけなんだよ。
でもここすごかったよね。本当においしかったなっていう。
よっぽどうまかったんでしょうね。そんなとこですか。
深川の食といえば僕がパッと思いつくのは冒頭でお話しした深川飯ね。
なんで貝なんだという元祖の形。それからそばの発祥の地は違うんでしょうけれども
そば屋が有名店がしかもヤブ系のそば屋さんが深川にあったし
須崎の伊勢屋というザルそばの元祖もやっぱり深川から生まれたというお話でございました。
深川飯初めてちゃんと聞いたわ。
ああそう。おいしいよ。僕は炊き込み飯も好きだけどね。
あれを東京駅で、僕の場合は今静岡県で収録してるんですけど
新幹線に乗るときに東京駅でJRで提供してる深川飯の弁当かな。
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ちょっと安いんですよ。他のに比べて。
深川 安い?
ちょっと安いの。深川飯が。僕はこれが好きだから安くならないとなんだろうとこれを買うんですけど
これを買ってビールを買って深川飯をつまみに静岡までの小玉を楽しむという感じですね。いつもね。
深川 深川飯か。今度食べてみたいな。
ぜひぜひおすすめです。
深川界隈には深川飯のおいしい飯屋さんがいくつもあるらしいのでその辺はちょっと僕情報持ってませんから
街を歩きながら。もちろん携帯で検索をすればいくつもおすすめのお店出てくると思うんですが
僕のおすすめは門前中町界隈というのは実に風情のある下町なんですよ。
街歩きしてて本当に面白い。
なのでその辺の商店だとかお寺の周りのおじちゃんおばちゃんみたいな人を捕まえて
おいしい深川飯食べてんだっていうことを言っていただくとどこかしら紹介してくれると思いますんで
そういった人情味あふれるコミュニケーションを取りながら街歩きをしてみるのもまた一興なんじゃないかなというふうに思いますね。
そうだね。おいしいものは地元の方が一番よく知ってますから。
深川 そうだね。それは違いないよ。
それは俺は九州の博多ラーメンで痛感したから。
深川 あんまり言わないけど。
ということで食べ物ラジオの本編では今お聞きいただいたような内容をシリーズで配信しております。
よろしければぜひお聞きいただければと思います。
今回は蕎麦のシリーズだね。
深川 そうだね。単連してるのは蕎麦シリーズですかね。
ぜひそちらをお聞きいただければと思います。ということで今回はこの辺で終わります。ありがとうございました。
ありがとうございました。