00:07
たべものラジオ。笑うね。はい。 掛茶料理むとう、むとうたくろーです。むとうたろーです。
毎回笑っちゃうよな。フッて入ってるもんね。単純にツボなんだろうね。
ツボっていうか単純にミスってるだけなんだよな。連続で聞いてる人、こいつ毎回だなみたいな。
それはしょうがないもん。もう少なくしたら慣れそうだからね。だいぶちょっと馴染んできた感はあるよ。前よりはね。
来年の今頃には馴染んでるでしょうね。続けるね。随分これを。変わる?このオープニング。
もしかしたらオープニングトークやめるって言うかもしれんけどね。
なんかあれだね。スッと入ってこないというか、れんちゃんだとトーク困るねこれね。
本当だ。何も考えないで始めちゃったけど、今回オープニングトークって考えてないね。
何も考えてないね。もうお知らせだけで、ジャパンポッドキャスターアワードよろしくお願いしますっていうね。
それだけは言っておきます。
ジャパンポッドキャスターアワード?エントリーする?
しようかな。今年こそは。忘れずに。
報じ繰り返しつけそう。
忘れずにしてちょっと入賞するとかはわかんないけど、こういうとこはちゃんと応募していこうかなと。
出すのはやらないとね。何が起こるかわかんないから。
そもそもエントリーしてないと絶対賞をもらうことはありえないからね。
そうなんだよね。もし知ってる人がね、ラジオ聴いてくださってる方が審査員の方にいらっしゃっても、あれ入ってねえなって思うだけで。
うちも37万回再生を超えまして。
そんなにいってる?
もうまひってるね完全に。
そうなんだよね。月4万から5万回とか回ってて。
そうなんですね。
この間まで1日1000回回ったらやべえみたいなのですごい発狂してたけど、今アベレージ1000回回るのよ。
そうなんですね。
多い日だと2とか2000とか3000とか。
ラジオの皆さん聴いてますか?ありがとうございます。
時間ないけどね。
ただコテンラジオさんが広告系のACCのアワードの取ったじゃない?
あれでページにね、11月2日現在の再生回数出てたのよ。
5500万回。
比べられて間違ってるでしょ。
知ってるけど分かってるよ。1位ですからね。
ワールドカップって言ったらブラジルとかスペインですよあの辺。
僕ら高校サッカーで県大会みたいな話してるんで。
県大会いけてた。
03:00
一応高校サッカーレベルだったら県大会いけてるんじゃない?
いけるかな。
Jは厳しいけど。
だからそれでブラジル代表と比べられてもさ、勝てるわけないです。
すごいね。5000万回って。
なんかヤバいよね。
310何エピソードとかって言ってたけど、310何エピソードで5500万回っていくんやなと思って。
うちのエピソード半分くらいとして倍にしてもさ、70万なわけでしょ。
全然桁が。
70万パワーと5000万パワーって桁が違いすぎて。
すごいよね。うちもね、よくも37万回回りましたよ。
37万パワーですよ。
週間で2000人も3000人も聞いてくれますから。
恐ろしい。こんなマニアックなのをぐだぐだダラダラとやってるんですよ。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで本編行きますか。
前回から続きです。今回は日本料理の革命、解析。
日本料理の革命、解析が?
解析が。
そうなの?
解析がしでかしたことといったら、まあすごい。
まあすごい。
もう皆さんが知ってる、そういうことね、その考え方わかるわかるっていうものの、ほとんどはここに端を発すると言っても過言か?
過言ではないと思います。
なんで一回止めた今?
少人とか本善の影響あるなって一瞬よぎっちゃった。
よぎったんだ。
やっぱりその二つを踏まえて登場したのが解析なんで。
はあ、そうなんだやっぱり。
前回の本善と前々回の少人料理っていうのは、主に鎌倉時代にタウンを走って室町ルネッサンスドーンみたいな感じのやつじゃないですか。
このすぐ後の時代なんですよ。
はあ、そうなんだ。
もうね、足利将軍家いなくなりますみたいなぐらい。
1550年代後半、1550年から1600年頃の間ぐらいに登場してくるわけです。
ちなみにできたばかりの当時は解析という言葉ないですけどね。
ない?
ごめんなさい言うのを知ったけど、今回の解析ってのは懐石の解析ね。
懐の方ね。
この文字が登場するのは1690年頃が初出なので。
江戸時代入って、もう解析の形ができてから100年後くらい。
おお、そうなんだ。
随分後に文字が登場します。
へえ。
なんで解析が登場したばっかりの頃っていうのは、アウホーの解析とかね。
宴会料理とかね、競合料理とかね。
06:00
まあそんな風な書き方しかされてないです。
そっちはもうあったんだ、字として。
もともとね、アウホーの解析はね、宴会料理って意味とか、
集会のための飯みたいな意味があるんで、
まあそれの延長で使われてるだけ。
ああ、そういうことか。
茶の湯の解析とかね。
そんな感じで書かれてる。
へえ。
せっかくなんであれですね。
解析の言葉についてもう一回定義ちゃんとしましょう。
解析懐石ですね。
解析イコール茶の湯で提供される料理のことです。
茶の湯っていうのはお茶会のこと?
そうですね、茶道とかの茶の湯ですね。
で、今言った通り解析という二文字で料理の意味を含んでます。
はいはいはい。
だから解析料理って言うと二重なんですよね。
料理料理って言ってんだな。
腹痛が痛いみたいな感じなんですよね。
それな。
そうそうそう。
でもね、一応ちょいちょい解析料理という言葉自体は登場するんですね。
へえ。
これ何かっていうと解析風の料理。
解析風?
だからね、茶会とか茶の湯とは関係なく解析っぽい料理出してますよっていうお店あるじゃないですか。
それはまあ解析料理と料理や料理という意味を込めて解析料理と。
ああ、そういう意味でね。
そういう意味で言ってる。
ほうほうほう。
今でも料亭で解析って言って本当に茶会石出してるとかあるじゃないですか。
うん。
あれはもう解析料理ですよ。
ほう。
だって茶会やんねえもん。
確かに。
茶室ねえし。
ほう。
確かにね。
それは解析料理です。
ほうほうほう。
解析っていうのは本当の茶室でやるあれですね。
うーん。
で、よく茶会石って言うじゃないですか。
僕も今一瞬言いましたけど。
茶会石ねよく言うね。
これはですね、つい最近、近代、現代になって使われるようになった言葉。
ああ、そうなんだ。
はい。
合う方の石があちこち出てるんで、音も一緒じゃないですか。
うーん。
で、まさにこういう音声メディアとかね。
うん。
ラジオとかテレビで言うときにもうわけわかんないんで。
ほう。
あっちは解析でこっちは茶会石ねっていう風につけたわけですよ。
ああ、まあしょうがないか。
偽物わさびが出てきたから本わさびって言ってるようなね。
ああ。
ほんみりんが出たらほんみりんって出るんで。
ない頃はいいけど出たらもうなんかつけないといけないよねみたいな。
ほうほう。
なんで俗語ですよね。
ああ、そうなんだね。
はい。
なのでこれ便利なんで今回は茶会石でいこうかなと思います。
あのその乗っかってね。
乗っかってね。
俗語だし生まれた当時はなかった言葉を使います。
はい。
はい。茶会石。
語源はですね、禅語だって言われてますけど当然ですけど禅宗の言葉ね禅語っていうのね。
禅語?
禅語、仏教の中に出てくる言葉だっていう言われ方をするんですよ。
仏教の総統宗道元の本の中を見たら会石という言葉が出てくるのかなと思って探してもあるわけないんですよ。
ほう。
似たような意味であるのは温寂。
09:02
あ、温寂。
温める石。
うんうん。
あったかい石。
これは禅語、禅の中にある仏教用語の中にあるんですね。
へえ。
まあもう特にね、禅宗っていうのは、まあ総統宗も臨済宗もですけど結構修行厳しいっすよ。
おお、そうなんだ。
下手すると千日行とかね。
千日?
うん、まあ知らんけど細かいことは知らんけど、飲まず食わずで三日日は山の中を歩かなきゃいけないとかいうことがあったりとか、
結構粗末な着物でずっと禅を組んで寝ないで頑張るみたいなのとかあったりするわけですよ。
はいはいはい。
お腹減るじゃないですか。寂しい。
寂しい。
そうね。
温めた石を懐に入れてその修行のひもじさに耐えると。
はあ。
そういう意味で穏弱というのがその仏教用語の中に出てくると。
ああそういう意味の温める石なんだ。
みたいですよ。
うーん。
一応俗説でね、お客様が田舎の井織とかお寺とかに来た時に貧しくて何も出すことができないんで年齢も足りなくてダウンを取ることもできない。
なので自分の懐で温めた石をお客様に渡しておもてなしの心を伝えたっていう逸話も残されてますけど。
ただ僕はちょっとそっち前つばだなと思ってて。
ほう。
後から作ったこれ多分。
そうなの?
ぽい。
ぽいな。
だって禅と全く関係ないし。
だからそもそも解析が茶の湯から出てるじゃないですか。
茶の湯は英才の臨済集から来てるわけですね。
ほうほうほう。
茶禅一味っていう概念と道元の天祖教訓みたいな料理と禅を紐付けたっていうのががっちゃんこで生まれてくる文化なので禅から来てる方がしっくりくるかな。
それはそうだね。
っていうイメージを持ってますね。
文脈的に聞けばそっちの方がしっくりするというか納得はいくよね。
当然ですけど前回なんかフリで一生懸命引っ張りましたけど誰が作ったかっていうのはね。
誰が作ったか。
この茶怪石を誰が作り出したか。
茶怪石を作った人。
はいどうぞ。
千利休。
正解。
間違いの人少ないと思うんだよ。
茶の湯、お茶会か。
茶会、茶道。
茶道を作った人といえば千利休しか出てこないけどね。
一番有名だからね。
むしろ歴史に詳しければ詳しい人、いや村田首相がねとか言い出すけど。
逆によくわからない。
よくわかんないからもう利休だよ。
この千利休がすごいことなんですよ。
そうなんだ。
思い出してもらったら分かるんですけど代表ね。
精進本善とかこの後出てくるアウホーの解析とかフチャとかいろんな料理のスタイルありますよね。
世界中にもいろんなスタイルの料理があるわけですよ。
その中で特定の一人の人物が考案して生み出したって数えるほどしかないんですよ。
そうなの?
いっぴん料理を開発した人っていうのはたくさんいますよ。
12:01
このコースのスタイルはこれでいくべしっていうのを概念を作り出してそれがずっと伝統的に残るっていうのはもうすごい革命なわけです。
まずこれだけで。
今まではなんとなくふわふわって特に本善なんかね。
あれの影響系これの影響系ってふわー右に左に右に左って言ってるうちになんとなく固まってきた。
じゃあもうこれはね利休が必死に考えてああでもねこうでもねこれだっつって。
その人一人で考案したものがここまで広がった。
すごいね。
ちなみに日本料理のコアの部分で革命を起こしたのが千利休という料理の革命人なんですよ。
でフランス料理わかりますね今のフランス料理。
あのフランス料理の今のコースのスタイルを作り出した人これも珍しく人物名はっきりしてるんですよ。
オーギュスト・エスコフィエという人が作り出したんですよ。
オーギュスト・エスコフィエ。
これはそれまでのフランスってのはコース料理なんていう概念が存在してないのであの人が生み出したんですね。
フランスはコースじゃなくて一品だけか。
一品です。
でロシアの影響を受けてエスコフィエっていう人がフランス料理というコースを作るんですね。
これが1800年代中盤から後半にかけての話。
割ともう近いんだね。
明治時代ちょっと前くらいかな。
ですよ。
今千利休って何年の人ですか?
千利休って何年だ?
1520年生まれです。
1522年か。
1522年生まれ。
亡くなったのが1590年ですから。
だいぶ前だねそうなるとね。
1591年からね正確に言うとね。
織田信長が元気だった時から最後亡くなるのは千利休は説服を命じられるわけですけど。
武士でもないのに説服する珍しい人なんですよ。
おー説服なんだ最後。
秀吉に命じられてね。
命じられて?
時代が1500年代の人なわけですよ。
300年間開きがあるね。
あるね。
なので多分コース料理世界初を作ったのはこの人。
そうかそうなるよね。
第一教の時に平面展開と時間展開みたいな話しましたけどね。
もう思いっきり時間的展開に振り切って作ったのがこの茶外籍。
確かに何の禅とか何々禅とかやってる時ってもうあれだもんね。
いっぺんにドンだもんね。
そうそうずらっと並んでますから。
それが茶外籍ではなくなるんで。
で今日本人がちょっと当たり前かなと思ってる食は若干アートっぽいよねとか。
何ならもう食とは芸術だって言い切ってる人もたくさんいるじゃないですか。
あるあるそういうジャンルってあるよね。
食べ物には物語性があるメッセージが込められてる。
例えばお祝いの時はお祝いっぽい料理が作られるとか。
この概念も離休あたりで確立するんです。
前からあるんだけど完璧に確立するのはここ。
そこ分かってるんだ。
15:00
もう明確に。だって記録残してるから。
茶外籍もというか茶の湯の回そのものも記録をいっぱいあるわけですよ。
将棋の寄付を残すようなもんで。
そういう感覚ね。
いろんな茶人が残していく。
離休はそれをまた細かくやるので。
出来からどういう風にしたらどういう風にしたって自分が研究、
計算するために記録を残して変えていく。
ので割としっかり残ってる方です。
もちろんね、消失したものたくさん多いですけどね。
まあそうなんだろうね。
なので世界中の料理を僕は全部を調べてはいないですけど、
おそらく世界初の芸術的食事のスタイル。
世界初の物語性、メッセージ性を持った食事。
そして世界初のコース料理であると。
すごい人になっちゃったねもう。
すごいんですよマジで。
離休が日本料理に与えた影響ってのはめちゃくちゃすごいんで。
そういうことになるね。
離休何々っていう言葉が料理の業界でもね。
端的に言ったらゴマのこと離休って呼んだりもするけど、
箸でも離休箸があったりとか。
離休料理とかなんかいろいろ離休なんちゃらっていうのが残ってるのはそのせいもあります。
そういうことなんだ。
もう何なら食べ物ラジオを始めたばっかりの時に、
いつか線の離休の生涯をやってみたいなと思ったまま一度も触れずにここまで来ました。
そんだけなんかいろんなことやったんだね。
単純に俺が興味がある。
田中予兵さんね。本名ね。
別名線の総益ね。
別名もあるんだまだ。
線の総益を名乗った時期が一番長いんじゃないかな。
で、亡くなる直前10年間くらいだけじゃないかな。離休っていうの。
そうなの?
天皇か、確か時の天皇に離休っていう名前か号をもらって、それになった。
朝廷の近隣っていう場所で茶会を開いてその時の手前がいいっていうので天皇からご褒美として、
省一国師がもらったような感じで離休という名をもらったみたいな。
確かそんな感じだったと思う。ごめんなさい。メモしてないのにウローブで喋ってます。
知らん。
まあいいや。解析の特徴ちょっと言っておきましょうね。
本禅と比べると分かりやすいと思うんですよ。
本禅と比べる。
色参根があってさ、本禅七の禅までずらっと並んで、その後に二次会があってもう十何時間コースみたいなのがあったじゃないですか。
あれちょっと比較していきましょう。
比較するのね。
あれをもう一回見ておくと分かりやすいと思うんですよね。
まず茶会石はですね、色参根がありません。
ないんだ。
種類というものはない。
これはね、離休の思想がかなり色濃く反映されてる部分だなっていうのはこれ僕の解釈ね。
一期一会。
一期一会。
ありますよね。
もう袖擦り合うもんじゃないけど、出会った瞬間をすごく大事にしようっていう概念ですよね。
18:04
離休のいう一期一会っていうのは、全部そうか。
来年僕とあなたが全く同じメンバーがこの場所に集ったとしても、
一年後の僕たちはもう一年前の僕たちではないよねなんだよね。
季節も違う、環境も変わる、時代も変わる。
一年間の間に培った経験とか思考の違いとかも変わってるから、
もう全く別物になっちゃうよね。
だから今しかないこの刹那の貴重な瞬間を全力で作り上げていきましょうっていう概念なのね。
で、それをためには、それは人と人のコミュニケーションを重視しますっていうのをもう明言してるようなもんじゃない。
で、人と人、肩書きとかいろんなのしがらみ全部外しちゃって、
一人間一人間が対等にコミュニケーションを取ることこそが、
最も大事だっていう概念につながっていく。
だから四季三婚っていうのは上下関係、主従関係を確認し合う儀式でしょ。
いらん。
そうなるか。
やめって。
それじゃなくなったんだね。
そうそう、いらないよっていう感じですね。
あとね、お敷き。お敷きを使う。
お敷き?
お敷きとか折り敷きって呼ぶ場合もあるけどね。
お敷きの方は折り紙の折と言うじゃんね。
敷きはパーペットとか畳を敷く、布団を敷くの敷くと言うしね。
一般的にはお敷きって言うんだけど。
なんつったらいいかな。お盆?
お盆?
減りのついたお盆と言うか、足のないお膳と言うか。
うちにもあるじゃん。四角盆みたいなのさ。
あれ正しくはお敷きね。
ああそうなんだ。
親父とかお袋たまにお敷きって呼んでるでしょ。
おお、言ってるね。
あれは茶会席で使うお敷きの形をしてるからお敷き。
へえ。
角がさ、ちょっと四角なんだけど角をちょっと折ったような格好になってるから。
削ったような格好になってるから実装八角形ね、あれね。の四角四盆。
あれを床に置いて使います。
ああそうなんだ。
畳の地下置きです。
ほうほう。
で、廃膳されるときは、お膳の上に飯と汁ともう一品お菜が乗った状態で、
お膳ごと運ばれていきます。
ほうほう。
で、乗ってるものは飯汁、無香漬け。
はい。
ほら、今の宴会料理ってうちがやってるのはアウホーの開席料理とかでもさ、
刺身のことを無香漬けとか、お無香とか呼ぶじゃない。
うんうん。
実はね、このお式に乗せたときに、左手前に飯、右手前に汁。
で、中央、奥、向こう側に置いてある鉢だから無香漬けって言うね。
無効化につけてあるから。
ほうほうほう。
で、それが今でも名残として無香漬けって呼ばれてる。
ああ、そういうことなんだ。
で、なぜ刺身を刺して言ってるかっていうと、
その無香漬けに用いられたのが刺身であったりとか、あと生酢だったりとか、そういったものが多かった。
はあ、そうなんだ。
21:01
との名残で今でも無香漬けとか、お無香とか言われてるわけですね。
はあ、なんか漬物とかって呼ばないの?
漬物は香のものかな。
香のものだけか。
うん。
うん。
あとね、カウントされないことも多い。
ははは。
あるんだけどカウントされてないとか。
ああ、そう。
うん。
ああ、そんな扱いだね。
飯とセットだしね、みたいな。
ああ、まあ、ご飯か。
うん。だから偶数にすると気持ち悪いからカウントしとくみたいな時もあれば、逆にこれ数えると偶数になっちゃって気持ち悪いから。
ああ。
どうせ飯とセットだし、そもそもが。
はは。
カウントなしでいいんじゃない?みたいな。
ああ、そういうことか。だからあんまりこう漬物とか香のものって出てこないんだね。
そうそうそう。
ああ、ちなみに香のものという名前もね、諸町時代から出てきたやつだよね。
ああ、そうなんだ。
ああ、そうなんだ。
あ、違うな。平安期からもうあったかな。ちょっと時代、あれだ。ごめん、今ちょっとあやふやだね。
ごめん。
香のものは行動から出てきたから。
行動。
匂いの嗅ぎ比べ。あ、平安だなこれ確か。確か平安だった気がするな。
まあ、曖昧ですましても。また機会があれば。
ああ、やりましょう。はい、ちょっとそんな感じです。匂いを嗅いでると鼻がバカになっちゃうんで。
ああ、はいはいはい。
リセットするためにその漬物を食べたっていうので、香の場で使うものということで香のものっていう。
ああ、そういうことね。
そういう感じです。
へえ。
はい。ちょっと話戻しましょう。
はい。
大事なのはお膳がいくつもあるのではなくて、お敷がいくつもあるのではなくて、お敷を一個ポンと置いたらもうそれで固定ですね。
ああ、そうなんだ。
そうなんですよ。
もう変わったりはしないの?
そう、だから平面展開しようがない。入れ替えもしない。上のものは入れ替わる。
はいはいはいはい。
で、特徴的なのが次に宴会料理とかうちみたいな面倒くせえな、合う方の会席だとお皿を別で持ってくるじゃないですか。
はい。
で、明々に一皿ずつ配ってきますよね。盛り込んだやつが。
で、現代の茶外石もそれやるんですけど、リキューが開発したやつは大皿。
大皿なんだ。
大皿。だから茶外石の展示したのとか写真とか見ると大皿でさ、3人分ちょんちょんちょんって持ってあって、
長い竹の菜箸がついてる。あるでしょ、そういうの。写真で見たことあると思うんだけど。あれが基本なんですよ。
ああ、そうなんだ。
で、この大皿を取り回しをしていく。
取り回し?
そう。神座からお客様が通って、はい次の人、はい次の人、はい次の人。
ああ、そういう配膳なんだね。
過美なものを外して一つ物足らない不足の美っていうのを和美の世界観で、これあとちょっと和美についていろいろ語ってみようと思うんだけど、
足りないことを美しいと考えるっていう意味で、給仕、配膳係もいないよっていう意味が一つと、もう一つはお客さん自らが配膳する。
自分のために自分で取る。セルサービスよね。次の人に回すのも自分でやるわけじゃん。
相手が秀吉だろうが家康だろうが信長だろうが同じことやるわけじゃん。そこに平等性を見出してる。
まあ両方やるってことね。
24:01
そうそうそう。っていうようなことが書いてありましたね。
へえ、そこまで考えちゃったんだ。
そうなんです。ここで出てくるのは和式が一つであることで、時間的展開、コース化してきましたよっていうことと、平等性みたいなものが生まれてきてる。
はあ、すごいね。
これ時間的な展開で素晴らしいところはね、これロドリゲスという人が書き残した日本教会誌に残ってる言葉の場所なんですけど、
十分に調理された料理が適当な時に提供される。食べる人のタイミングを見計らってちょうど良い塩梅に焼き立てにして出すっていうね。
これ日本料理の基本じゃない?今。
そうだね。
ここで生まれるんですよ。
ここから?
ここからなんです。
ああ、そういうことなんだ。
もともと原型はあるんだけど、これを確立させたのはこの人ね。
という感じです。
すごいな。
やばいでしょ。どんどんリキュースすげえってなってくるよ。
あとね、実用的料理。
実用的料理。
本然料理に対するアンチテーゼです。
偉そうよなみたいな。やりすぎだよ。
まあ、食べてないしね最後。本然料理ね。
そもそも食べてないから。装飾じゃなくて料理とか扱いの方にちゃんと向き合いましょうよと。
で、過微な装飾がないってことはちゃんと食べきれる量にしようって話だよね。
ああ、確かに。
食べられるようになります。
で、飾りの仕方もなんかいろいろ食べらんない木とかね、ああいうの飾るんじゃなくて、
それは飾るのは心遣いですから。
この食材の盛り付けとかね、飾り包丁とか、ああいうのでもてなしを表現していくっていうことになるんで、
実は今回あまり深く語んないですけど、今の日本料理の盛り付けありますよね。
庭とか絵画とかお花を模したようなとか、完全なる均等じゃなくて左右アンバランスのような、
アシメトリの美学は茶外石から始まってる。
ああ、ここからなんだね。
そうなんですよ。
ああ、そうだよね。なんか山の自然の景色を再現したりとかね。
そうなんですよ。
ちょっとアートチックなね。
このリキューが登場する前の文化でも、
自然の愛の姿を楽しむっていう風潮はもちろんあるんですけど、
それをもう一度掘り起こして体系化して料理の世界にガチッとはめ込んだのはこの人ね。
ああ、そうなんだ。
茶の湯ではあるんですよ。
武田家の女王とかね、その村田寿幸っていうリキューの師匠筋の人たちはその思想のもとは持ってるんですけど、
それを茶の湯の料理にまで落とし込んで確立させてこれがフォーマットだよって言ったのはこの人っていうそんなイメージです。
あとね、四季三婚がなくなったのと同時に主演。
主演。
二次会ね。二次会その場でやるようになるんですね。
その場でやる。
移動しない。
ああ、そうなんだ。
芸能もない。
27:00
へえ。
だってさ、茶室だよ。二条しかねんだよ。
確かにね。
移動するにはあのちっちゃい60センチ四孔のにじり口からまた出てかなあかんだよ。もうその場で一生。
ちょっと足しびれそうだけどね。
まあ大丈夫だよあの時代の人は強いんだ。強いんだ。
星座ね。頑張って星座するんですよ。そもそもほらコミュニケーション大事だよって言ったじゃん。
芸能とかやってる場合じゃねえの。
確かにね。芸能入っちゃったら見るだけだからね。
もう座を変えないで横の人たちとコミュニケーションを図って人と人の対等なコミュニケーション関係を作りましょうということを確立させたと。
はあ。
酒の意味変えちゃったよね。二次会の意味ね。というのがこの茶外籍の基本構成です。
はあ。だいぶ変えたね。
だいぶ変えたんだよ。で日本人で日本に生まれ育ってある程度日本文化に触れてる人だったら
ワビの思想ってね説明はできないしんってなるかもしれないけどこういうことだよねって言ったらなんとなくみんなふわーっと理解できるじゃん。
ちょっと説明していくね。戦の利休のワビの思想。
戦の利休が考えたワビの思想。
でこれねワビサビって言うけどこの思想ってどんどんどんどん解釈変わっていくから当たり前だけど。
師匠筋が言ってる思想と利休が言ってるのとその弟子の古田織部とかそれ以降の人が言ってるワビサビの思想って変わってくるから。
ああ違うとかあるんだ。
変化していく。
ああ変化ね。
理学哲学だから。俺なりの解釈みたいなね。
うーん。
いうことしていくので途中途中ね無頭太郎の解釈も若干入ってくる。
じゃあ完璧には言語訳はできないの?
無理だってワビって言語化するの野望だから。
本来は心と体で感じるもので言語化が難しいものだっていう存在なので言語化しようという心自体がワビてないねお前って感じ。
まあ確かに瞑想とかねああいうのも言語化してもそれは本当に瞑想勝手になっちゃうからね。
そうそうそう。じゃあその話しかいこうか。
はい。
もともと茶の湯っていうのはド派手だった。
おおド派手?
陶茶とかやってた時代あるじゃん鎌倉でさそれ禁止ーってかけごとやんなーって茶会やるじゃん。
ああはいはい。
でほら室町時代になるとバンバンいろんな輸出に募行あるでしょ?
うん。
金ガンガン入ってくるじゃん。どんどん派手になってくるのよ。
ああそうなんだ。
で陶とか曹の時代に作ったこちらの茶器が名品でございますってすげえ華やかな絵柄が入ってるやつとかね。
うん。
ああいうのが良い茶を販なわけ。
ああそういうね。
くすんだ青い一色とかさ黒の天目じゃんみたいなのは地味だね。ダメだねそれっていう感じ。
ああその時代から華やかなやつがいいやつなんだ。
だって接待ベースなんだから。
ああそうね。
本禅もさおなりの儀の時にやってきましたって一番最初に茶を立てておもてなしするわけですよ。
30:02
うん。
もうねおもてなしだからどんだけ豪華な茶碗使ってどんだけ派手に飾るからね。
笑
松蔭の中を。
分かりやすくね。
派手だって金キラ金キラってわけじゃないけどね。ちゃんとやりますよ。
で信長の茶とかね秀吉の茶なんかド派手だからね。
へえ。
まだ信長の方が失踪落ち着いてるくらい。
そうなんだ。
まあリキューもいきなりそこに行ったわけじゃないから40代くらいまではそこそこそういう派手な料理とかね出してるよ。
へえ。
師匠に対して振る舞った茶の湯の料理。まだ解析になる前の料理ね。
その時は鶴の肉。当時最高級品の鶴の焼き鳥だよね。
で串が刺さってさ、その串が奇俗ですよ。
奇俗。
金の奇俗で巻いてあるわけですよ。
やばいね。
あと串垣か。まあいわゆる干し垣ね。ざっくり干し垣の下手な部分を金箔で塗ってあるとかね。
笑
それリキューが作って武の女王に出してもういいねこれって言われてるからね。
笑
どうなんその感覚。上火とは全然違う気がするけど。
そうだね。だいぶ派手だね。
まだ初期の頃はそんなところから行った。
ただその上火っていう気持ちの元はね、
村田守公なんで室町時代かな。4代将軍から5代将軍あたりかな。銀角師とか出てくる時代かなね。
銀角師ね。
あの頃に村田守公っていう人が出てきて、この人ね茶の湯の祖って言われてるんだけど、僧侶なんですよ。
僧侶。
僧侶でしょ。
あ、お坊さんってこと?
お坊さん。もともとお坊さんなんですね。
へぇー。
で、確かね、修法してたのは浄土宗で修行したかなんかだったかな。ちょっとウロウロなんだけど。
でもね、イントン生活ちょっとね勝手に一挙しちゃうんですよ。
ああそう。
うん。茶の湯をやるんだけど、もうそれ派手派手なのもいい。違うんじゃない?つって。
実家の生まれ故郷の奈良に行ってね。
うん。
で、相安、居寄りを作って貧しい生活で、もう錆びれた居寄りに住んで、お客さんが来たら茶の湯でも立てて、目の前で立てて。
それまでかけて隠れて、あら、料理だから。見せないで出すって言うんだけど。
もういいじゃん。目の前で立てて、はいどうぞっていうこの気楽な感じでやったら、これが美しいよね。ある意味って。
はあ。
愉快に打ち出していくんだよね。
はんはん。
もともと塾王自身もお坊さんだから。あ、ごめん、塾王とか塾王とか言ってどっちも読みあるから揺れちゃったね。村田塾王さんね。
お坊さんだからそういう概念があって、しかも奈良寺に移ってからかな、一休総巡と割と仲良かったらしくて交流があるんですよ。
へえ。
一休総巡って一休さんね。
一休さんのことかなと思ってた。
そうそうそう。まさにまさに。一休さんはほら、臨済州のお坊さんだからさ。前州のお坊さんだから。
ああ臨済州だったのか。
当然影響も受けただろうなとは思いますけどね。で、何だろうね、行という風に捉えるね。修行の行だよね。
33:00
おお。
英才の言ってる茶禅一味みたいなのとか、道芸のほら、食の道は修行なりみたいなことね。
うん。
にだんだんと通じていって、神のことを飾るよりも自分の心の内を眺めなさいよと。
世の中のことが美しく見えるかどうかはあなたの心にかかっていますのだという感じなんですよね。
はいはい。
これ今対比するとさ、従来の茶の湯っていうのは煙溜めなわけですよ。楽しい方の煙溜めと。
はい。
で、この村田塾行がやり始めたのっていうのは早安の茶って言われるんだけど、煙溜めというよりは精神世界の豊かさとか世界観とか身を高めるとか、そっちの方の精神世界に行ってるわけね。
はあ、精神世界ね。
わーっていうバラエティ番組の煙溜めからアートの世界、美術家の世界に行っていくみたいなイメージね。
心の世界に深く掘り下げるっていうところで大きく分かれるっていう感じね。
なんだろうな、僕の感覚だと前週の教えの中に不流文字っていうのが出てくるけどね。
不流文字。
文字じゃなくて行動を通して気づきを得るみたいな。踏み落としていく。
頭では分かってるけどハッてなるのって別だったりするじゃん。それを掴むのは何かの一点に集中してる時だよねって言ってるわけ。
まさに俺のが今だ。頭では理解してるけどなんとなくリアリティがないというか。
それがある程度聞いていくとね、話を進めていくと一体リアリティをぐっと帯びてくるタイミングがあるよね。
なおかつ自分で行動して何かを作業してる時にこれ前に聞いたやつこれかみたいな掴み方するじゃん。
それを掴むのに料理っていいでしょって言ってるのが道元だったりとかお茶やったらいいよねって言ってるのが英才だったりするわけ。
だからお茶の道を極めること、そこのお茶を立てるという行為、飲むという行為に全集中することも
料理に向き合って食材を選んだりとか人一つ丁寧に皮剥いたり食べる時も真剣に向き合うっていうこと自体が打前を組むのと同じ修行であるっていうことが根底にあるわけ。
これは鎌倉時代から室町にずっと続いてくる。一方で日本にはこれが相性が良くてアニミズムとか自然進行みたいなのがかなり昔からあるわけ。
神道のたくさん神様いる概念あるじゃん。どっちが上とかどっちが下とか一応あるけどみんなフラットにいるじゃんいっぱい。
まあグレードはあるけどくらいの感じだよね。 そうなんかヒエリアルキーっていうほどでもねえなみたいな。
だったりして何なら人間とフラット関係にいてどっちが偉いとかじゃなくてもうすげえ力のある人みたいな感じだったりするわけじゃん。
そういうのが今の目の前にある荒れた姿とかね詫びた姿を表してるからあれもまた美しいよねっていうのにつながる根底的な概念。
36:01
詫びしいっていうのはまあ言い換えると寂しいもちょっと似てるのかな。ちょっとなんか物足りないよねみたいな。
っていう状態を指してるわけ。すごい派手派手なねしっかり儀式とかやってるのに比べると疾走で、
それこそ村田志向の目の前で茶を立ててはいよってやるなんかもう全然準備整ってないから欠けてることだらけなわけ。
ありのないものだらけなんだけどそういう自然の姿こそ美しいんじゃないかみたいな。
今を生きろみたいな感じだね。今を生きるじゃないけど。
そうかそうだね。そのありのままの姿を美しいと感じるかどうかのあなたの精神みたいなところに通ってくるのが詫びの思想みたいなところね。
そうねなんかいろいろこうなんか余分なものを排除したりとか少ないけどその余分な情報をなくすことで今を見つめることができるみたいな。
そうかもね。 自分の中心っていうかなんかでもそういうことはちょっとわからんでもない。
集中するために余分なもの情報を排除していくとやっぱり集中できるし、それってなんか今に集中するということで先のこととか前のこととかあんまり考えずに今みたいな。
そうね今なんかねほら禅の話をするときによく知らなかったところさ無心って聞くとさ何も考えないとかいうふうに勘違いしたんだけど違うんだよねなんかね。
ああ違うんだ。 何かに没頭してる人ってさ無心に作業してるとかって言うじゃん。
まあ考えてるようで考えてない感じか。
なんかこうふわーっとしながらでも例えば料理でかつらむき無心にかつらむきしてる状態ってさかつらむきが一個の動作ごと一回の切れ込みを入れるごとにガタツキがないかとか滑らかかとか厚さに変動がないかっていうことに徹底的に集中するわけじゃん。
ちゃんと深淵になってるかな歪みないかなずっとそのことだけを考え続ける10分のわけだったっけ10分とかだけどそれが無心に集中してる状態だよね多分。
まあ確かにそんな感じはするよ。 俺の解釈だとそういうふうに感じる。でそれが禅に繋がるよねっていう。
考えてるけど意識飛ぶよね。飛んだ感覚になるよね。飛んではない確かにずっと考えてるけど多分終わってみると今飛んだなって思う。
多分ね俺の感覚だとその姿すらも美しいみたいな感じだよ。
武の女王ね。離宮の師匠が詫びの精神を解くためにこの歌が詫びを表してるよねって言ってる歌があるんですよね和歌ね。
見渡せば花ももみじもなかりけり。浦の戸前の秋の夕暮れ。これ藤原の帝歌っていうね平安時代の歌人が読んだ有名な人が読んだ歌ですね。
言ってることは周り見渡したら花もないしもみじもない何の飾りっきもない華やかなもの美しいものと呼べるものは何にもありませんよと。浦っていうのは浜辺だよね。
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秋の浜辺に戸前っていうのは漁師の小屋がポツンポツンとあってそれしかないと。裏ぶれた浜にボロボロの漁師小屋が並んでるだけでそこに夕日が立ってるだけ。他に何にもない。これが美しいじゃんって言ってる。
満開の桜とかじゃないんだよね。これが美しいじゃんって言ってる精神性が和美だよねっていうのを竹野聡は言ってますね。
そうなんだ。 こっちが見る側の気持ちっていう。
確かにね。 これって俺が直感的に思ったんだけど物の哀れっていう言葉があるじゃない。糸をお菓子とか物の哀れっていうやつね。
国風文化が出てきた時清少納後枕草子なんかでよく語られるよね。春は明け物とかね。まさにあれだと思うんだよ。
春は明け物ではこの時間がいいよねとか夏はこの時間がいいよねって結局全部いいんかいみたいな。和美ってそれっぽいかもね。
そういうことね。自然の写真とかアートっぽい写真とかもあるけどそれって結局捉える側の目線を可視化した一つであって多分それぞれの作品を見た人の現状によっては見方変わるから。
新しく見えたり嬉しく見えたりなんだって思ったり。 それはほとんどこちら側の問題だからね。
そうだね。その辺の思想感っていうのをこれを食に持ってっちゃうあたりがねやばいよね。 それを持ってくってすごいよね。
どうやってガッチャンコするのかっていうことだと思うんだよ。ちょっと今回省いたけど和美の思想と料理食事のスタイルあくまでも一品じゃなくてスタイルだからさ。
これにガッチャンコするためにいろんな工夫でああじゃねえこうじゃねえってあっち行ったりこっち行ったりしてるよ。途中経過見るとね。
あるんだ途中経過も。 20代の時こうで30代でこうなって40代でこうなってほう完成みたいなね。あるある。見たよ。
ちょこ原本じゃないけど本にそれが載ってたんで読みましたけど。 ああそうなんだ。 結構動さをしてるなと。
まあそう簡単にはいかないよねこんなんね。 ただ20代の段階で和美サビの精神世界を茶の湯の料理にもっていくんだ。茶の湯という全体の流れを確立させるんだっていう意思はもう出てるね。
へえそんな早い段階で。 もう20前半くらいでやってますね。 ああそうなんだ。
無くなるのが70なんでだいぶ早いですね。 だいぶ早いね。 と思いますよ。
あとちなみに和美についてちょっと僕が思ってること。これ妹とね。妹って僕とタコの間に妹が一人いるんですけど。彼女がここ1年間くらい池坊の花やってるんで。
42:06
ああやってるね。 この間休憩中にちょっとふっかけてみたんですよ。そしたらあの先生はこんなこと言ってたよってここの講師でこんなこと言ってたよっていうのをちょっとヒントもらって。
で現代ではそういう解釈確かにあり得ると思ったし実際小説とか物語の中で確かにその文脈見たっていうのがあって僕が思いついた和美の延長にあるもの。
たぶん和美そのものというか和美の思想の向こう側に登場してきた美学だと思うんだけど。
自然の良さを引き出すとか引き立てるっていうことなんだよね。これ文献上に出てきた逸話で豊臣秀吉が呪楽廷の中にある離宮の井織を訪れると。
元々そこの庭に紫陽花がいっぱいあってそれが見事だっていうのを聞いてたんだけど秀吉が行ってみたらない。もう明らかにハサミで全部ちょん切ってある。
なんじゃこりゃーって怒ったかどうか知らんけどなるじゃん。でも秀吉が茶室に行くってことは離宮が招いてるわけだよな。招かれてるんで入るじゃない西口から入るじゃん。
したら離宮が登場する前にこうやってファって顔を上げたらとこの間に一輪の紫陽花がパンって。他何もなし。逆に紫陽花一輪しか置かないみたいな。
何もなかったからその一輪の見事さがより際立って見てうわーってなって感動したって実はね。
これあの登場人物を秀吉から密内に置き換えたのが花戦っていう映画のワンシーンで再現されてましたけどね。
そうなんだ花戦。
花戦っていうねこれは離宮が主人公じゃなくて池坊のお花の話ですね。そっちの話なんですけど僕あの映画大好きなんで。主役が僕の大好きな野村満載さんなんで。
そうなんだちょっと見てみたいなと思う。 美しい映画自体が美しい。 野村満載さんがなんか主役とか結構いい役で出てるやつって面白いよね。動きが所作が綺麗すぎてやばい。
ちなみにその映画の中では佐藤光一さんが離宮をやってますね。 そうなんだ。 まあちょうどいいんじゃないですか。戦の離宮推定身長180cmなんで。この時代の人にしては相当でかいですよ。
大男なんだね。 待って信長は150何センチとかでしょ。で秀吉140いくつでしょ。相当でかいと思うよ。
イメージもっと小さい人かと思ってたけどダントツでかいね。 すごいな。
離宮のこの逸話を読んでふっと思い出したのが同時代の大男。ごく一部の人に有名になった前田圭次郎とします。 前田圭次郎。 歌舞伎者やね。 ああ兄ちゃんが好きなやつだ。
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漫画になってたりとかさあのパチンコでCR前田圭次花の圭次とかってあるじゃん。 あんな顔してないけどね。 見たことないね。 見たことない。めちゃめちゃ美男子の男前の感じで書かれてるんだけど小説の中であの人常に40超えてる相性なんで。
ああそうなんだ。 そうそうそう。おっさんなんだけど。あのね小説だから史実とは違うと思うんだけどある時秀吉に呼び出されるわけですよ。その天下一の歌舞伎者と言われている前田圭次郎をここに呼べと。見てみたい。追ってみたい。だけど歌舞伎者としてはさどんだけ偉いか知らんけどお前なんかに呼びつけられてな。
腹立つわけだよ。ちょっとひねてるから。母とは行きたくないから腹立つなーって。でも行かないと前田圭次郎に飛び引いてるわけじゃん。都市へとかあっちの方に全部行っちゃう。加賀の国に残しておけば自分の嫁子供も危ないと。しょうがない。行くかって言って行く。行く時にちょんまげは真横に言うんだよね。真横に言うんだよね。
無理やり真横にねじ曲げて言うんだよ。で頭を下げるわけじゃん。アグラを描いてお辞儀をするわけじゃん。その時に首をキュッと90度横向いて頭を下げると。頭を下げた姿を見るとまげはこっちを向いてるからまるで頭を下げてるようには見えるけれども俺はそっぽ向いてるぜっていうことをやるわけ。
その時にド派手な衣で来ると思われてたの。天下一の歌舞伎者って言われてるくらい今日でも評判だから。
割とド派手な格好をして目立つ奇妙な行動をするとかそういうこともあるんだけどどっちかというと本当の歌舞伎者は心が歌舞いてるとかいう言い方をする。これね小説とか漫画読んだ方が早い。これこそ言葉で語る方が野暮だよ。
まあ江戸の域とかと一緒に。 ああそう域に近いね。これ戦国期の話だけど。でそのド派手な格好でいつもねドクロの絵柄が入った虎柄のかみしもとかつけたりするからが急にね藍染め一色のかみしもも何もつけてないドシンプルな服装で現れるわけ。
でえこりと頭を裂けた瞬間に首の根っこに桃の枝が刺さってる。その格好は桃一輪を際立たせるための工夫かっていう。 はあそこまでやる。
なんかそれ思い出したんだよね。 ああその紫陽花の下りをね。 そう多分ね紫陽花の下りを知ってるから作者がそういう話を作ったんだと思うけど。これね思ったのが次年天年ありのままの姿を引き出すというよりは引き立てるじゃない。
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群生してる紫陽花も綺麗だけど一輪にして他のものを全部排除することであえて一輪が持ってる輝かしい美しさを際立たせるっていう思想でしょ。
そうでしょなんかあれみたいだね写真撮るときさ透明に紫陽花をいっぱい撮るのとさなんか後ろのバッグをピンボケさせて一輪だけをドアップで撮ったときのインパクトどっちがすごいってよりの方があるわけや。
そうねそういう感覚。 ピンと合わせるみたいな感じかな。 そのいいねピンと合わせるっていいね。まさにね日本料理の味の整え方って基本それじゃない。
確かにそうだわ。 大根の味の持ち味にピンと合わせて他をスッとぼかしていくとか。 そうだねそうだね。
いいね今度からそれでいこうよ味のピンと合わせるいいね。 フォーカス合わせるとかね。 フォーカス合わせる。
和美という思想がこういろいろと変遷してね後半の方は僕の思想が解釈だね入ってるんだけどこういうところから日本料理の味付けの根本思想みたいなのがね。
ああごめん今めっちゃピンと引っ張られてるけどさ味がぼけてるってまんまだね。 ほんとだ?わあすっご。
ピンとが合ってないって確かに使ったことはあるよ。使ったことはあるけど今回みたいなこういう和美サビの部分で聞いていくとまとえた表現だね。
分かってる人は使ってたんだろうねピンとがぼけてるとかさ味がぼけてると言うしさ。 かもね食材の持ち味がなんかぼやけてる感じ。
ぼけてるとかね言うからさこの料理ちょっとぼけてないかっていう。 いいね引き出すって言うけど引き出すより引き立てるだなっていう風に書いてたんだけどそうかピンと合わせるとか。
あるからねそこに既に。 そうそうそうでそのためにあのいらない雑味を外していったり香りで打ち消していったりとか。
そうだね。 ほんとだすげーほんとだ俺が感動しちゃった。
すごいなんか譜に落ちたね言葉がねスッとね。 ほんとだねこれがあれだろうね後のそのアク抜きの技術の発展とかさ。
そうかもね。 魚の締めの技術とかここでは直接技術にはいかなかったかもしれないけどそういう方向に行くんだぞっていう方向づけバシって決めたんだろうね。
面白かったね今ちょっとハッとしたタイミングだったね。 ほんとほんとそう。
じゃあせっかくだからさリキューが実際に料理とは別に工夫したことだね思想いっぱい言ってきたんだけどこの思想をどうやって具現化しようかって結構いろいろやってるのね。
料理もその一つなんだけど料理以外にもたくさんの工夫をしていてせっかく読んだからちょっとだけ言っとこうかなってね。
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まだあのちっちゃい茶室ね。 ちっちゃい茶室表現があるけどその通りだよね茶室。
師匠の時はまだ4畳半とかあるわけ。 ああそうなの。
武の城もちっちゃくしてってるの。でどんどんどんどんちっちゃくしてってとうとうリキューの頃になるともう2畳で置かろうつって一坪だよね。狭っつって。
狭すぎるよね。 めっちゃ圧迫感あるじゃん。
秀吉と二人きりとかさ天下人だよ。マジ圧迫感あると思うんだよね。
あるだろうね。
っていう状況なんだけどここで物理的に距離を縮めるのは何の意味があるかっていうとそこでお茶を飲んだりお酒を飲んだりご飯を食べたり語りをするわけじゃん。
そうすると酒飲んで二婚三婚きた頃にはなんとなく仲良くなるべっていう物理的に縮めることで心の距離感を縮めようっていう工夫らしいよ。
ああそうなんだ。
もう圧迫感からの反動で仲良くなるみたいな。
だからあの汚い裏路地の居酒屋の狭いとこってみんな仲良いんだよ。
可能しな。
マジで。背中も通れんじゃん。ちょっとカウンター通りますって言ってもさもう擦りながら通るじゃん。
あるね。
で隣の人と肩当たりながら飲むじゃん。
あれがいいんだよね。
だけどなんか当たったことによってコミュニケーション生まれる時もあるし。
いいね。うちも狭くする?なんか違う。
ちがうかもしれんけど秘密基地とかね男の人が好きだけどさ男性が好きだけどキュッとしたみちっとした感じが好きなのはそれかもしれん。
可能しないね。
これにつれたわ。
じゃあちょっと次行くよ。教職。
教職。
これ読んでててか自分で書いててうわって思ったんだけど新鮮料理?新鮮料理じゃわからないな。神様の新鮮料理の時に直らいってあるじゃん。
お酒回すってのは始まって温泉料理とかやったわけじゃん。考えたらさお酒じゃなくてお茶回し飲みしだよね。
お茶をね、確かに。
お茶で教職やってんだよね。
おおおおおおおおおおおおおおお。お酒の代わりにね。
そうそうそうそう。でもそういうのももともと直らいの時っていうのは教職で一体感のための酒だったんだけど
残念ながら illegiu の直前っていうのは式参考になってるから
衆生の契約になっちゃってるじゃん。
確かに。
酒でそれを表現するのが難しいから茶を持ってくるとちょうどいったのもあったんじゃねえかっていう
ああそうか フラットだし
心の和合を目指したみたいな そういうこともちょっと思いましたねっていうのと
あとね続いていっちゃうと長くなってきたな 空間そのものに物語を持たせる
空間そのもの これね実は日本料理
54:02
料亭とかでは割と当たり前にやるようになってきてるし 料理屋旅館とかでもよくやるんだけど
茶室に続く庭路地あれを演出するようにしたのって リキューが初めてなんだよね
ああそうなんだ あのちっちゃい茶室という小宇宙に誘う
なんていうの入口導入部としての庭みたいな
演出はもう部屋に入る前から始めていくイントロダクション
異世界に入るための60センチ四方のちっちゃい虹出口
あれに入ることで異世界にふわって もうテーマパークやん
テーマパークそういう演出をマジで考えたらしいんだよこれって書いてあった
さらにすげえのが昔の建物って基本的に明かりが入ってくるに壁じゃなくて
どっか一面は貴重地なわけでしょ ちなみにこれリキューの茶室って四方壁なんでね
ああそうなの 全部壁 全部壁 で窓つけた
で自在に窓開け閉めできるようになってるのね小窓は だんだん時代が下ってくるとリキューが生きてる間に
天窓つけたりとかして前に沼塚どっかで リキューの茶室を再現した部屋っての見たでしょ
上に天窓ついたりとか下の地面に近い床に近いところに小さい明かりという窓が入ったりするじゃん
あれを自分で開け閉めできるようになってる これ何するかって言うと
今ここに明かりが欲しいところがあったらそこにスポットライトを当てるように光を入れることができる
もうステージだね はいはいこれ読んだ時やばと思ったよね
これ今でもその建築系の人たちは勉強するんだって へえそうなんだすごくない
まあ確かに最高技術とその演出の考え方が学べるもんね そうなんだよね
でこういうのも全部込み込みでこの大きな最後お茶を飲んでお菓子を食べてさよならするまでの
大きな流れの中にジャガイ石というパーツがはめ込まれてる だからジャガイ石そのものも儀式というよりは物語の一環に組み込まれてるんでね
ここでお酒を飲んでご挨拶をしてってでお式が出てきて始めはぎこちないけど取り回しをしてお釈しやってるうちにだんだんと仲良くなっていって
打ち解けていってそれでは一服茶を立てましょうみたいな はあ
っていう一連の流れの中にある そうなんだ
なんか空間デザイナーさんみたいなね 総合演出家だよね 総合演出家とかね
これが現代につながってんだよね 日本料理ってそうじゃん そうだね
だからちょっとまとめるとまずジャガイ石がもたらした影響 今みたいな技術とかね
なんだろうねうまいとかまずいとかっていう食のところだけじゃなくて 食というものそのものに物語とか意味を付与していくっていうのを全体で演出しちゃってるじゃん
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だからジャガイ石もそうなるわけで ジャガイ石の影響を受けた他の料理様式も全部そうなっていく
でなんなら日常の世界にまで進出してくるわけでしょ だから良いことがあったからお席あんた行きましょうかいとかね
今日これが出てるってことで何か良いことあったのかなとか これどうしたのかな作り手の気持ちどうなのかなって読んじゃったりする文化が
昭和の一般家庭にまで行ってるわけじゃん というくらいにすっごい長い時間をかけて日本全国に行き渡った結果ですよ
作る人じゃなくて食べる側が日本人全体がグルメになってる 食のアートを理解できるリテラシーをもう持った状態で生まれてきてると言っても過言じゃない
だって生まれた瞬間親兄弟みんな分かってる状態になってるからね浅くても でこれが多分ですよ今世界中から日本料理が注目されているポイント
今はまだ寿司という技術日本料理という技術とか見てくれのところが海外に行ってる でも今その世界で料理とかガストロノミーを考えてる人たちが注目してる一番のポイントは
日本料理のストーリー性メッセージ性とかそういったところコンセプチャーなところにすごく注目をしている だと思うんだよねだからユニセフ世界遺産のところで文化っていう方についてる
食そのものじゃなくて食文化の方に行ってるみたいな感じだと思う これはねすごいことだし
1500年代に確立してそこからもう軽く500年経ってるわけですよ この500年という歴史が培った日本の全体の食の売り手らしいの話なんで
そういうことになるね それは一朝一夕ではどうにもならん それは無理だね同じようにやろうと思ってできるとかそういう話じゃないからね
そのきっかけがねたった一人のおっさんなわけですよ ヤバーと思って 千利休ってすごかったんだね
しかも茶外石にとどまらずに色んなところに影響してるわけじゃん 一番分かりやすいのが同時代の本善料理
前回の最後にさ戻すって言ったじゃん戻したのよこの人が 要はこの人がじゃないけどこの茶外石が実用的だったりとか
自然美だとかそういうのを作っていって色んな様式変えてっちゃったわけじゃん それが本善料理にフィードバックされるわけ
おなりも七の禅やめちゃうの 三禅でおしまい
将軍なのに 将軍なのにね 二次会の主演ももういいんじゃねーっつって後段って呼び出してね
要は茶外石と同じこと言い出すから 食えた方がいいよねっつって
1:00:03
なってじゃあまあ本式は三の禅まで出すけど簡単な晴れの日 日ごく日常にあるちょっとした晴れの日は二の禅でいいじゃんみたいな
だって武家一般真似できるわけ 確かにね 午前七の禅無理だけど前も後もなくとにかく二の禅まで出した晴れの食事ってことになるわけじゃん
普段は一禅が一十三歳で二の禅ついたら晴れの日 これが日本のフォーマルな料理の典型になってだから本善料理って日本料理のフォーマルに位置付けられるようになるんだけど
ある意味本善料理をこの後昭和平成まで続く フォーマルの代表格に乗し上げたのは
茶外石 ああそうか 理休の思想が本善料理を生き残らせたみたいなところあるよね
ああフィードバックによってね うん そうかまあすごいなんか行って恋したというか
きらびやかにしすぎて反動であの千利休のこの茶外石自体がすごかったっていうのとかっこよかったんだろうね
なんとなく絶対にうんざりしてる人は多かったと思う いたつもりはあるね そんなん毎回毎回毎年のようにやって行く方も疲れるしやる方も疲れるしさ
なんかあれだよほらロドリゲスってちょっと引用で言ってたじゃん まあカトリックの人で日本に長く住んでる日本語ペラペラな外国人なんだけど
彼が書いてる書物の中にもねもう境外して意味ねえとかディスってるからね本善料理 で料理には四つのパターンがあると一つ目三の禅までの本善料理
二つ目五の禅までの本善料理三つ目七の禅までの本善料理 昨今ではこれはもう境外化して形式ばっかりで余分なものがあって美味しくもないしみたいな
疲れるばかりで疲弊してると 最近信長大公の時代から東大に至るまでにやっている
東大の今時の宴会料理これが素晴らしいとこれが解析だって書いてある うんざりしちゃってる うんざりしちゃってる
これは実力的で美しいし味もしっかりしてるしそのストーリー性も素晴らしいと これは彼らの茶の湯どころか茶の湯に端を走っていろんなところに影響を及ぼしてる
私たちは彼らの茶の湯に学ぶところがたくさんあるって書いてある なんかあれだねバブルからこの今のね今景気が良くないとかいろいろそういう
ゲームあるかもしれないけどいやあんな料理出さんでも良くない?って余るほど 気持ち的に嫌っていうのは多分反動もあるよね
余ったら贅沢ってどういうこと?って思っちゃってるよね 多分ちゃんと考える人が出てきたんだろうね一気に華やかになって貧乏な暮らしから抜け出したから
贅沢三昧したい気持ちも確かにもっと貧乏だったからね 確かにした すごい貧乏だっただろうからそれが反動でそうなっちゃうのも
分からんでもないけどそれを行き過ぎて次の世代はそこまでせんといかんみたいな そこまで貧乏じゃないからこそ逆にそんな無駄にいらないでしょ
1:03:10
理休の時代ってそんなに戦国期だからめちゃくちゃ豊かかって言われるとそうでもないけど でもまあ神殿開発も進んだしそこそこ安定してきた時期なのかな
っていうのがちょっと今不意に思ったことが一つともう一つね 千利休自身が裕福なのよね ああそうなんだ と言いまる? 確かに 尊や
はいはいはい 堺の町ってあの人堺の商人なのね元々が ああそうなのか そうそう堺ってね独立自治区なんだあそこ
独立自治区? 独立国みたいになってるの 殿様いねえんだあそこ堺って独立都市なの そうなんだ 商業都市 はいはい
なるじゃんヨーロッパでもそういうとこあったじゃん国王いないけど商人でガシッと固まってますみたいなのが堺っていう町
めちゃくちゃ権力も財力もあったからね そうそうそう 俺たちでやるからちょっとごちゃごちゃ言わんでくれっつって
宗教とかもううっせえみたいな それが言えるぐらい強かったよね そう確かね李旧が商人としては信長が保護士がって言った鉄砲の玉を持ってきて作らせたのかなんか知らんけどちゃんと用意して納めたら感謝状もらってたりとかね
だいぶ儲けてると思うよ ああそうだろうね まあと本当かどうか知らんけど家康が本能寺の部屋の後ね家康が京都から逃れる時に伊賀の忍者とかを雇うんだけどそこの資金源は
境州じゃねえかって言われたりとかね うーん 本当かよとか思うけど そんだけ独立できるぐらいのもの持ってればあり得る話でね
だと思うよあの辺はもうマジ金持ち唸るほどおったから同時 ただの金持ちじゃないからね商人ですから そうそうなんですよ
商人は強いよ 土曹坂屋プラス問いだからマジやべえからね そうね確かにね勝者みたいなもんだからね
海鮮丼屋といえばあそこでこのすぐ後の時代もうこのぐらいから始まるけどこれお米のシリーズで出てきたか
寿司のシリーズで出てきたか忘れたけど米市場ね ああ米市場 大阪道島米市場に発展していくぐらい
あそこは経済流通物流の中心地になっていくんで それは強いわね ですです
いろいろ納得いく話が過去にもあったね ちょっとずつ今ちょっと繋がってきたね面白くなってきました
わからない人はお米のシリーズを聞いてください 最近多いねこのシリーズに出てきましたってやつね
そうね特に今回はさまだ終わってはないんだけど日本料理の変遷だからね 過去シリーズと繋がるところいっぱい出てくるよ
そうねいつも以上に情報量多いんだよ多分 一本あたりがあの今までのちょっと広く説明してきた部分をギュッとして
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あのさらにギュッとしてきてるから 多分ね前のシリーズまでだったらこの茶外籍だけで3本くらいやってるよ
多分この日本料理をちゃんとこのシリーズをねちゃんと聞こうと思ったらあの wikipedia みたいにこう
あのわからない文章をまたクリックしてまたクリックして俺は何を調べていたんだっていう ああいう感じになってるよ今エレココードね完全に
そうかもしれません 今そんな感じだね誰かwikipedia作らないといけないかもしれない
日本料理のシリーズを聞いたらあの発祥的に過去の回聞かなきゃいけないみたいなのかな
まあ多分そうだよちゃんとこれが面白いと思ったらね 思ったらねはい頑張りましょう
そこはやはりちゃんと説明してもっと深く知りしていたいなって思えるように台本書くのが兄ちゃんの仕事なんだよ
プレッシャーが急に傾くなってきた 難しいな簡単にあの説明するって難しいね一番ね
そうね だいぶ長く喋ってるなこれ 1時間11分です
あれやね週2を週1にしたところで結局1本長くなるっていうね 長くなるね 一緒です
一緒だね一緒だけど俺の気持ちが違う ああそうか 週2回終われるのと週1回しか終われないのはもうだいぶ他の
余力が出てきますね あのどうしても週2の配信がいいという方は1時間近くあるので前半後半分けて
聞いたらいいと思います ああもう自分でね 自分でカットでね
こっちでカットせえやって話だけど まあいいじゃないですかそれでも概要だったら2回聞いてくれたらありがたいですよ
そうだねあの再生回数も逆に配信回数減らして区切ることをやめちゃったからね
あの落ちてはいる回数は ああそっかそうだよね それは落ちるよだって4倍ぐらいまでいってたのがいきなり
4分の1まで落ちるんだから 確かに確かに それはね4分の1まで落ちるかと思いきやまた飲み続けてますね地味に
ありがとうございますねさあ少し帰ってきたんでビールでも飲みましょうかね そうだね
ということでジャパンポッドキャストアワードよろしくお願いします よろしくお願いします
ということで今回は終わりたいと思いますありがとうございました ありがとうございました