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前回からの続きです。今回は、冷やす科学の歴史。
科学史ですよ。科学お得意ですか?
歴史は得意ですか? 歴史は苦手です。
ダブルできますよ。 全く分かりません。お願いします。
やった、仲間増えた。
仲間増えた。俺の仲間少ない。
残念だね。
まず、熱ってなんだという話をします。
熱?
実はね、古代から人間は熱ってなんやねんっていうのを考えてますね。
意外と難しくないですか?この概念をつかむまでに人類は数千年かかってますね。
古代のギリシャ人哲学者でプラトン、聞いたことあります?
プラトンだ。聞いたことある。
その弟子のアリストテレス。
あらゆる学問の祖と言われてるアリストテレス。
この辺の時代では、まず世界は四つの元素でできているという話をしますね。
あれや、ファイナルファンタジーでクリスタル出てくるときに、火だ、水だ、空気だ、土だ、知らんか。
知らんな。
FF?
FF。
FFね。俺RPG苦手だから。
すいません。ファイブあたりだと思うんですけど。
じゃあそれは飛ばしましょう。
四つの元素でできてますよと。
火と空気と水と土の四つでできていますよというようなことを唱え始めます。
アリストテレスはそれを引き継ぎつつ、さらに性質を組み合わせて考えてました。
火は熱プラス乾燥だと。空気は熱プラス湿気だと。
この熱と乾燥っていうのの組み合わせで変わってきますよ。
例えば水だったら冷やす冷と湿気だと水になるよみたいな感じで、
火、空気、土、水っていうのをさらに分解して考えていく。
この時点で熱は元素だったり、熱は性質だったりって言ってまだまだ全然追いついてないんですね。
これがプラトンが紀元前400年頃。
アリストテレスが紀元前300年代の初めの頃の方なんですよ。
ここから現代の元素の考え方、熱力学まで一気に進んでいくんですけど、
ここからやっぱり止まってるんですよ。
この熱の概念がある程度現代に近くなってくるのは、1500年代16世紀ヨーロッパの科学ですね。
なんでヨーロッパで科学が発展し始めたのか、今までこんなに止まってたのに急に出てきたのかっていうところなんですけど、
そもそも神様が言ったこと以外を言っちゃダメなんですね。
世界はこうなってるよ。アダムとイムがいてね。イエスキリストという人がいて。ヤハウェーという神様がいてね。
だからこうなってるんだよという説明を覆すようなことを言ったら普通に殺されるんですよ。
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反逆者じゃないけど。
普通に罰せられる。魔女狩りとかそういうことが起こる時代背景があったんです。
この誤解があるようなことを僕言ってるので、細かいことはちゃんと調べてください。ざっくり概念こうですよという話ですね。
これがヨーロッパ世界が他の世界観と繋がっていくタイミングがあるんですよ。
隣のイスラム教圏、オスマン帝国とかね、あの辺と繋がり始めます。
これは十字軍をきっかけに出会ったりとかそういったところから行くんですね。
これをきっかけにルネッサンスという流れが来て、ギリシャ哲学もう一回学び直したらいいじゃない。
観察と理性でもってもう一度世界をちゃんと捉え直そうよ。
宗教観から一回離れようよというような動きがあった時代がこの16世紀だから科学がやっと動き出すと。
こういう時代背景があるんですね。
ここで出てきた熱に対する考え方、二つ派閥がありました。
熱疎論、熱疎論、熱の元の説ですね。
熱は熱疎というものがあって、これがあるところが熱くてこれが足りないところが冷たくなるんだっていう概念。
これを提唱した方がいます。
これとは別に熱とは運動である。
理流紙が揺れたりするとこれで熱になるんだよっていうことを言い出した人たちもいます。
これがどっちが主流だったかと。
熱疎論の方が主流だったんですよずっと。
熱疎論っていうのは一曲何?
熱という分子のような物質が存在していて、それがあるところが熱くて足りないところが冷たくなるんだということを唱えていたんですね。
18世紀くらいまではずっと常識として捉えられていました。
これはそうじゃねえだろうと。
微小粒子がブルブル震えたりとかあちこちに飛び回っているような運動が熱を起こしているんだ。摩擦で起こしているんだということを唱えた人たちが別にいるわけですね。
これが先週出てきたロバートボイルであったりとか。
あとこれね科学者よりは哲学者として有名なジョン・ロック。
これ啓蒙思想で出てくるんですけどジョン・ロックさんとかこのあたりの方が熱運動説というのを唱えています。
1800年に差し掛かるちょっと手前ぐらいにベンジャミン・トンプソン、通称ランフォード卿と呼ばれてますけど
この方が出てきて実験をしてこの実験の結果を踏まえて熱疎論って絶対ありえないでしょう。
熱疎がどっちにもない状態で摩擦によって熱起きてるじゃん。ありえんよね。
だから熱は運動だよねっていうことを証明をしていくわけですね。
この人アメリカ人なんですけどアメリカで生まれるんですけどランフォードという土地で。
でもドイツに渡ってドイツで京都呼ばれるぐらいの借位をもらって偉くなっていくという。
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しかもこのランフォードという場所が奥さんの実家。
自分のとこじゃねえんだそこ。
ロクさん金持ちに逆玉乗って、だけど奥さんとその財産全部捨ててドイツに逃げるみたいな。
細かいこと忘れちゃったんですけどこの人読んでたら超面白かったんで。
興味ある人読んでっていうことね。
でも好きに読んでください。
その後にユリウス・フォンマイヤーという人が出てきてやっと熱の法則第一法則というのを見出します。
これはね熱の学問の中ではもう第一法則なんでね常識中の常識なんですけど
エネルギー保存の法則って聞いたことあります?あれの熱版だと思ってください。
与えられた熱は内部エネルギーの上昇と外部への仕事の和である。
意味わかります?
外部への仕事と
仕事っていうのは何か物を動かしたりとか変質させたりということですね。
ここにエネルギーを5を使います。与えられた熱量は10です。
そうすると内部のエネルギーが残ってるあと5ですよみたいな。そういう感覚ですね。
エネルギーはずっと保存されて他にずっと変換され続けてきますよということが唱えられて
これをきっかけに熱とはエネルギーの形態の一つであるということが証明されていくというざっくりこういう歴史ですね。
なんかジュールみたいだね。
そうそうまさにまさに。
確かジュールって仕事量っていうもんね。
そうです。今回ジュールさん話すとクッソ長いのでカットしてありますけど
ここら辺かかってきてますねしっかりとね。
ちなみにこの熱相説で単語が今でも残ってるんですよ。
単語?
熱相のことをカロリックと言ってました。
カロリー?カロリーってこれ語源なの?
どっちが語源かわからないですけどここが繋がってるみたいですね。
そうなんだ。カロリーとジュールってややこしいよね。
ややこしい。
熱量といえば熱量の単位なんだけどさ。
ちょっと僕よりも利家の単語がどんどん来るんで僕それジュールの解説パッとするって言ってるのにジュールがんがん来るからさ。
ちょっと頭がね。
いいいいいい。
じゃあ続きいきますよ。
熱ってなんだっていう思想系の話は大まかに言うとこんな感じですね。
一方でその熱をコントロールするのどうしたらいいんだみたいなことがあちこちで動きが出始めるんですね。
一番最初にこれはね証明したというよりはもともと雪に塩かけると冷えるよねっていうのはなんとなくね
一般庶民でもなんとなくぼやっと経験上の問題でしょうね。
これを利用してマジックで使ってた人がいて1589年ジャン・バティスタ・デッラポルタ
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ごめん言いたいだけ。
この人ね記述工業をやってお金を儲けてたんですって。
で当時ほらワインが貴族の間で飲まれててこれ冷やすと美味しいよねみたいな話にはなってたので
このワインを壺の中に入れてその壺の外側に雪を置いてこの魔法の粉をかけますとあら不思議ワインが冷えますみたいなことをやってお金儲けして賞をやってたんですよ。
でこの1589年になった時にこの魔術の種明かし本を出版するんですよ。
そしたらそこにちゃんと科学的効果書いてあるんですよ。
雪に焼酸カリウムと塩化ナトリウムの混合物を作っておいて雪にかけてあげると雪は温度が下がって冷却効果が上がりますよということをちゃんとこの人考えてやってたらしいんですね。
これよりも前にそれを思いついてやってた人が他の世界の中にいたらしくてこの人工業で旅をしていたのでその情報を捕まえてきて貴族たちに見せてお金儲けをしてた。
これすげえじゃんって話になってわずか30年後には貴族の食卓にこの焼酸カリウムと塩化ナトリウムの混合物が置かれるようになってきます。
置かれてたんだね。 すごいですよね。とりあえずワイン冷ましていいな。冷たくして飲みていいな。
そういう需要あったんだね。 あったんですよ。
ここでとんでもない転換が一個あるんですけどフランシスベーコンを聞いたことありますか。
知れっとうんって言ったけど絶対嘘でしょ。
響きだけ。 響きだけ。ベーコンだからじゃなくて。
フランシスとベーコン。 フランシスとベーコン。なんか聞いたことありそうですね。
この人は政治家です。イギリスの政治家で1561年生まれ1626年没なので日本人だとそうだな。
織田信長くらいの人かな。生まれはね。ちょっと後ぐらいの方ですね。
この人はエリザベス1世にも仕えたしその次のジェームス1世という王様にも仕えてたという激動の時代のイギリスで政治家、特に裁判関係で力を発揮した方なんですね。
この人裁判所の運営としてとても優秀ではあったんですが、この人も歴史めっちゃ人生面白いんですけどね。
パラン万丈すぎて。この人すごい哲学を持っていて、人生哲学ですね。知識を現実に生かし人類の福祉を増大させることが重要である。
知識を蓄えるだけではなくてちゃんと現実に生かして人類の福祉、幸せを増大させることが最も重要である。
そのためには知識をちゃんと体系化すること、空想や妄想ではなくて実験を重視して知識によって自然と人間の力を引き出すこと。
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科学者の鏡みたいな言い方ですね。 そうなんですよ。完全に科学者的発想してますよね。
この人実はこの後の科学の世界変えるんですよ。この人自身は大した科学的な実績はあまり残していないんですね。
ただこの人の思想に影響を受けた人たちが動き始めるんですよ。
この人が実際にやった実験っていうのは、これは政治家らしいんですけど、食品の保存に関する知識を体系化していきます。
当時ロンドンの街はどんどん都市がでかくなっていくんですね。人口も増えるし面積も広がっていくんですよ。
そうすると食料を生み出す場所がどんどん遠くなるんですよね。田舎から農村から持ってくるわけでしょ。農村がどんどん遠くなるんですよ。
6時間かかります。野菜取りました。生肉しました。6時間かかります。劣化しますよね。12時間かかります。やばいですよね。馬車ですから。
これ遠方からの輸送これやべえぞって。コストもバカにならないし、足りないと困っちゃうから余分に運んでくるわけですよ。
ロスるじゃないですか。ゴミ出る。このゴミロンドン中臭くするだけじゃない。これやばいぞって。
ということで食品保存もうちょっとちゃんとやらんといかんよねっていうことを王様に向かって提言し始めるんですよ。
ただその時王様に嫌われてるのあんま聞いてもらえてない。いろいろごちゃごちゃある。権力闘争的なやつね。派閥でこっちがあっちがみたいなのがあってなかなかいかないですよね。
なんでこれ本にまとめて素のものだったりとか塩漬けですね。というのも民間のところから拾ってきて本にまとめるのをやりつつ、さっき出てきた雪と塩混ぜたら冷えるぞの実験を自分でやるんですね。
1625年イギリスロンドンの郊外雪深い田舎に行って友達がそこに親友が住んでるんでそこにお世話になりながら雪を袋に入れてその中に鶏肉を入れて塩パラパラしてこの鶏肉どうなるか観察してみようと思って実験主義ですからこの方やるんですよ。
なんですけどこんな寒いところで60何歳にもなって権力の座から引きずり下ろされてフリーターになってるおじいちゃんですよ要は。当時の60ってかなりおじいちゃんですからね。
この状態で雪の中に行くから体調崩してなくなっちゃうんですよ。最後残念だな。 最後残念。この実験主義と体系化して自然と人間の力を引き出すみたいなことを受けて同じイギリスのロバートボイルさんまた出てきましたね。
ボイルの法則。この方が徹底的にこのベーコンの思想を一気に受けるんですよね。ロバートボイルが亡くなった翌年に生まれてますね。まず一番最初に1660年に空気とバネの関係に関する論文を発表します。
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これは少し前の時代にオッド・フォン・ゲイリケっていう人が真空ポンプ。真空ポンプってあれですね。シュコシュコシュコってやると空気抜けるやつ。これダメだね。ジェスチャーでやっちゃラジオ全然伝わらないよ。空気膨らますやつの逆ですね。引っ張れば空気抜けるよってこれを発明した人がいて、そのポンプを見て空気って圧縮するとバネ状になってビョンビョンビョンビョンするなっていうのを出していきます。
これをなぜ出したかというと本当は真空の時に低温がどうなるんだみたいなことをやりたくって先に空気とバネをやってこの5年後に低温に関わる実験的思考みたいなことをまた論文に出していくんですね。これ原文全部読めないんで要約文ざっくり読んでみたんですけど超面白い。
そうなんだ これで論破しかしてないんだよ。アリストテレスはこうやって言ってたけどこの実験にいるとこれって全然おかしいでしょ。ダメだよねと。定説ではこういう風に言われ続けてきたけどこれって全然間違ってるよね。ひたすら論破し続けるんだよね。過去の迷信を全部否定しながら科学的に論破していく。実験によって。
実験主義 実験主義で。これによるとこういうことが言えるよねって新しいものを作り出していきます。その中で圧力と温度の変化関係性みたいなのを見出していって今のボイルの法則につながっていくわけですね。
このロバートボイルさんが関わってなおかつフランシス・ベイコンの影響を受けたことで知識の体系化が実は起こります。イギリスではイギリス王立教会。これ科学者のサークルなんですよ。
そんな感じなんだ。 当時は本でやるとか当然電話もインターネットもないですからせいぜい手紙ですからどこにどんな優秀な科学者がいるかを知らないんですよ。イギリスにロバートボイルがいるけどじゃあイタリアに誰いるんだフランスに誰いるんだってわかんないじゃないですか。
なんで集まろうぜって言ってイギリスはイギリスで1660年イギリス王立教会っていうのを設立しますこれ今でもありますね。世界最古の月刊誌かなを出しててまだ継続で発刊されてます。ここから遡ること3年前イタリアではねアカデミアデルチメントっていうこれまたサイエンス集団ができるんですよね。
このアカデミアデルチメントを起こしたのがあのガリレオガリレーの弟子たちなんですよ。この人たちに科学実験をさせるために金出した人がいるんですね。メディチケ。
メディチケどこで聞いたんだ? 世界の銀行の祖と言われてる銀行ネットワークを作り出したイタリアの超絶金持ちの人達ですね。
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そこのフェルディナンド2世という人が金出します。似たような名前いっぱい出てくるんでね。
ちなみにこのフェルディナンド2世がフローレンス式温度計っていうのを発明するんですね。
ちなみにガリレオガリレーも温度計作ってますし、これインテリアとして綺麗なんで今でもネットで売ってますよね。温度によって赤とか緑とか黄色の玉が水の中で上がったり下がったりして綺麗なんですよね。
これはガリレオ温度計って言われてますけど、そこを踏まえて弟子のエヴァンジェリスタ・トリジェリっていう人がいて、その知恵を借りながらフェルディナンド2世本人が自分でフローレンス式温度計を作っていく。
実はこれ伏線になってて自分で言っちゃうけど、温度計ってめちゃめちゃ重要なキーファクターなんですね。これまで温度測れないんで。温度が測れないから熱の関係を計算したり調べたりできない。
メモリがなきゃいけない。温度を正確に測れなきゃいけない。というのでここからスタートしていくわけですね。一方フランス1666年にはフランス科学アカデミーというのができます。
これは所属者のパスカルさんですね。数学で出てくるのが。じゃあ先に温度計いっちゃいましょうか。温度計はここからだと50年ちょっとかかって100年後に今の温度計にたどり着いていくんですね。
702年にオーレ・レーマーって全然覚えてないんですけど、デンマークの天文学者が温度計作るんですよ。水銀使った温度計。今までエタノールとかでやってたからうまく温度が測れなくて温度の測れる幅も少なかったんで、これ水銀のほうがいいんじゃね?つって。
この人ね、バチクソ天才なんですよ。天文学者でね。星見ていろいろ工作したんですって。高いとこから落っこって足折っちゃって動けないんでベッドで療養してる時に暇で暇でしょうがないから成功な温度計作り始める。できたんだよ。
それができた噂を聞くかどうかわかんないですけど、別のところでダニエル・ファーレンハイトさんっていう技師さんですね。科学系の機械とか器具を作る専門の技師さんですね。この人は温度計が欲しいっていうのを周りの科学者から聞いていたので、それを発明するためにほぼ旅しながら勉強して歩いてたんですよ。
他にいいアイディアないか、いいアイディアないか。ぐるぐる回って、1720年になる前くらいかなにオーレ・レーマ天才の天文学者に会って、これいいじゃんって言って持って帰って1724年にダニエル・ファーレンハイトが水銀温度計を完成させます。聞いたことないですかファーレンハイト。
ファーレンハイト?聞いたことあるけど。
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今ボンドの単位で摂氏とか貨氏とか言いますね。アメリカでは貨氏を使いますよね。貨氏ってファーレンハイトなんですよ。
ドFって書きますね。このFはファーレンハイトのFですね。
ああそうなんだ。それで聞いたことあるんだね。
そうなんです。これは潮水の凝固点をゼロ度としているので摂氏と分けて使われています。今アメリカくらいしか使ってないですけどね。
そうだね。
そこから20年弱のところでアンデルス・セルシウスっていうスウェーデンのまた天文学者なんですけど、この人が別の文脈で温度計作っちゃいます。セルシウス聞いたことないですか。
セルシウス。星?
星?いやさっきの文脈でいきますとね、何度?C。CはセルシウスのCです。この方がやったのは水の凝固点を基準にして水の沸点を基準にするっていう今のこれを100分割しましょうっていう基準を作った方ですね。
ただですね、100度が今の0度なんですよ。
100度が今の0度。
逆なんですね。沸点が0度になったみたいな。
この人スウェーデンの天文学者で地球ってまんまるじゃないですよね。ちょっと変形しますよね。遠心力でもって。
ちょっと楕円形だからね。
楕円形になってますね。これを計測するためにすごい北極点に近いところまで行ってたらしいんですよ。
当初になった時ってめちゃくちゃ大変だし、気温によって見え方変わるじゃんみたいなことを思ってたんで、マイナス温度にめちゃくちゃ興味があって、今でいうマイナス90度は190度みたいな下へ下へ行く温度計を発明したんですよ。
この後、これじゃあ使いづらいよなって。普通上がる方が上の方が使いやすくねって言って、10年後ぐらいにひっくり返って今の温度計になる。
1752年現在の温度計が確立され、これ使いやすいってことで一気にヨーロッパ中に特に科学者に広がっていきます。
ちなみにこの温度を0度と100度ひっくり返したのがカールフォン・リンネだというふうに言われています。
へえ、カールフォン・リンネさん。
リンネさん。生物学の層と言われて、今の分類学の層ですよね。二名宝と言ってホモ、サピエンスみたいな。
ここで出てきたやつ。
そうですね、この二名宝を作った人ですね。一方でセルシウスはいや俺が言ったって言ってますけど。
ひっくり返したのは俺だと。
じゃあここでもう温度計ができましたと。
今日同じ頃ですね、ウィリアム・カーレンさん。この人確か学校の先生ですね。真空にすると気化したり物質によっていろいろ違うよねってことをずっと研究してたんですよ。
物質によってこの気圧だとこの物質は気化するけどこの物質は気化しないなみたいな。これの一覧表を作る研究をしてたんですね。
自分のところの学生から出てきた論文を読んでたらあれ?もしかしてこれ氷作れんじゃね?ってなって。
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エーテルを使ってね。エーテルを入れたフラスコの中でね。その中にさらに水の入ったちっちゃいフラスコを浮かべておいて。
さっき出てきたオッド・フォンゲーリケが作った真空ポンプですね。あれでシュコシュコシュコってやったらあれ?温度下がった。
中の水凍るんじゃね?マジで凍ったみたいな。これすごい些細なことに思えるんですけど実は人類が人力で氷を作った一番最初これなんですよ。
ああそうなんだ。エーテルの温度は水と全然違うからできたんだ。
そうなんです。凝固点が全然エーテルの方が低いんで。結果これができたということでこのおかげで冷媒っていう概念が生まれるんですね。
なるほど。
だからすごいちっちゃい実験なんですけど冷却技術の中では最も重要な変換点というふうに言われていますね。
ああそうなんだ。すごいよねでも氷作れるようになるっていう瞬間は。
そうなんですよ。これね何が起こったかっていうと些細な実験だけど概念が変わったのでこれいけるじゃんって言ったら他の人たちもチャレンジし始めるんですよ。
だから今まで一人しかやってなかった研究にたくさんの人が参入してくるという状況が生まれてこの後たくさん出てくるのでザーッといきますよ。
アメリカ1805年オリバー・エバンスこの人は圧縮冷凍サイクル。さらに圧縮に圧縮を重ねたらもっと冷凍すんじゃねみたいなことをやってますねフラデレルフィアの方ですね。
ジョン・ゴリー医師1844年これはフロリダですかねこれはご医者さんです。この人ねちょっとすっとぼけてるんですけど入院患者さんいる部屋フロリダなんでちょっと暑いですよね南だから。
暑いのか。 暑いんですよ南の右下の端っこのとこですから。ディズニーワールドなのとかね。
あそこで患者さんの部屋が暑いと可能してうんじゃったりしてよくないんで冷やしたいなと。氷を置いて部屋を冷やしてたんだけど限界あるじゃない。高いし氷。
持ってきてるんでしょうね。 そう持ってきてるんで高いからじゃあ自分でどうにかならんかなって圧縮とか熱交換器みたいな今の概念に近いのを作り出して部屋を冷やそうかなと思ってやったらやりすぎて氷できちゃったっていう。
そういうね。 あれ?できちゃったけど。 冷やしてきたね随分と。
この原料さらにこれちょっと商売いけんじゃねえかなって。1850年わずか6年後ですよアレクサンダートワイニングという人が製氷工場を作るんですねついに。
工業か。 ジョンゴーリーさんの機械をそのまんまねちょっと転用して自分でアレンジしてでかくしてでオハイオ州に製氷工場を作るんですよ。
これ1日に900キログラム作れると。ただね全然売れなくて即倒産。
そうなんだ。 まずねオハイオ州アメリカの右上の北東部にあるんですよ。
右上? はい。この地域冬になると普通に氷いっぱい転がってるんですよ。天然氷が。いらんやろ。
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なんでそこで作っちゃったんだろうね。 しかも人工で機械入れて作ってるから高いんすよ。池の氷切ってきた方が早いじゃん。だから即倒産です。
それこそなんか砂漠の水だね。 そうなんですよ。 逆パターン。 逆パターン。だめなパターンですよ。
やらかしたね。 そして1858年8年後ですね。ジェームズハリソンさんこの人はジャーナリストでスコットランド生まれのスコットランド人でオーストラリアへ移住したジャーナリスト。ややこしいわほんと。
スコットランド人だけで移住したんだ。 そうそうそう。でこの人がこれオーストラリアだったらいけんじゃねって言ってさっきのトワイニングさんの方法をオーストラリアでやろうというふうに思いつきます。
しかもこの人なんかねつながりがあって蒸気機関取り入れてるんですよね。人力とかそういう仕組みではなくて蒸気機関でガッシャンガッシャンやればもっと効率的にできるだろうみたいなことをやって
一回スコットランドに戻って科学技術がオーストラリア当時あんまないので植民地ですから。でイギリス戻ってロンドンで研究開発をして出資をしてもらってできたぞったらこれ意外といけるねみたいな話になって
なんと世界初の万博1862年のロンドン万博に出展がされました。これすごいことなんですよ。
最初オハイオ州に作ったこの製氷工場は人力なの?
人力ではないっぽいんですけどねなんかあんまり効率が良くなかったっぽいですよ。
蒸気機関ではなかったんだ。
じゃなかったみたいよ。
ジェームズハリソンが蒸気機関を入れて最終的にオーストラリアに製氷工場を作るんですけど1日に3000キロ。
3000キロずいぶん増えたね。
3倍以上ですよ。
熱いところで。
これが当たるんですよ。
しかもですねこの人相当頑張ったらしいんですけど冷凍機自体を少し小型化させてですね。
一生懸命開発して貨物船に搭載する。
船に乗せてそうするとねオーストラリアって今でも農業大国じゃないですか。
これが運べるようになるんですよ。
OGビーフが世界に出てくるようになるんですね。
この時代からやってるの?
そうなんです。
実はこのロンドン万博に出展されたこのジェームズさんの冷凍技術がロンドンのエール、バス車、オールソップ、バートンですね。
あとギネス。
あのビール工場がこぞって導入するんですよ。
エールって気温によって腐敗しやすい。
熱くなるとすぐ腐敗しちゃう。
半分以上はもう捨てる覚悟で作るみたいな状況だったらしいんですけど。
ここで製氷機を導入することでほぼ100%製品化することができるようになっていきます。
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これが後にインド、IPAとかですね。
インドの方に渡ってくる海外輸出向けのビールを生み出していく原動力になっていくんですね。
ビールの話の途中で出てきた温度が低く保てるようになったっていうのはジェームズさんが作った?
そうです。これはイギリスに搭載をされていきます。
これが巡り巡ってインドから先の日本まで届くようになったのは
工場も冷却できるようになったし船も冷却できるようになってるから
赤道を越えても痛まずにアジアまで来れるっていう。
そういうことなんだね。
そうなんですよ。
そしてついにここから怒涛のごとく行くんですけど
この後一瞬フェルナンドカレーという方がね
この人もすごく重要なフランスの方かなフェルディナンカレー
1859年にアンモニアを使った冷凍機を考え出すんですね。
エーテルだんですよ今までずっと。
これよりアンモニアの方がいいんじゃねみたいなことをやり始めてたんです。
いろんな人が。ただアンモニアって扱いがちょっと難しいらしくて
不安定だったり爆発したりとかいろいろ事故ってたらしいんですね。
アンモニアなんか種類あるしね。
これをフェルディナンカレーさんがアンモニア吸収式っていう冷凍機の機械を作り出すんですよ。
たくさんの人が試したんですけど最終的に
ごちゃごちゃやらんとアンモニアの圧縮機をちゃんと作って
これで冷やせば小型の冷凍機作れるはずだっていう論文を書いて
それが実際に作られて世界を変えていく人がいるんですね。
それを成した人の名前がカールフォン・リンデ。
一文字違いですね。さっきの方はリンネナニヌネノでしたね。
今度はダジズデドエニテンテンです。
ややこしいんですけど。
実はカールフォン・リンデさんビールの会に一度登場をしております。
この方何を成したかというとドイツバイエルンのシュパーデン醸造所。
ビールの醸造所ですね。ここに大きな影響を与えています。
何かというとシュパーデン醸造所、これビールの話になっちゃうんですけど
ドイツのラガービールってもともと1キロリットルのビールを作るのに
1トンの天然氷が必要だったと。
そのぐらい冷やさないと貯蔵ができないので。
それをずっとやってたんですけど金かかってしょうがないし大変じゃないですか。
そこのオーナーのゼイドルマイル1世2世親子。
この2世が若い時に偵察にギネスとかオールソップ社に忍び込むんですね。
どうなってんだどうなってんだこれすっげーなってこんな機械使ってんだ。
やべえやべえっていうのを頭の片隅に置いてました。
そしたらカールフォン・リンデが論文でこういう風にしたら
アンモニア圧縮式の小型冷凍機できるよみたいな論文出てきたんですよ。
これやばくねって。同じドイツ人だし。これいいじゃんいいじゃん。
しかもこのシュパーデン醸造所っていうビール工場はそこそこ規模でかいんで。
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その町の醸造仲間のうちは名手みたいな人なんですよ。
金集めてきて俺たちであいつに金出してやろうぜ作らせよ作らせよって言って
カールフォン・リンデにガンガン投資をして作らせて完成した第1号機が
そのまんまシュパーデン醸造所に設置されるわけですよ。
最新式で入るんだ。
最新式で入るんですよ。
でこれのおかげでラガーがドドドドドドドって伸びてくるわけですね。
しかも小型化なのでジェームズ・ハリソン頑張ってちっちゃくしたの日じゃないんですよ。
めっちゃ効率いい。
そうなんだ。
ということができて実はこのリンデさん会社作ってるんですよ。
会社?
冷凍機を作る製造会社。
で今一族の方がアメリカに本社を行ってるのかな。
超大金持ちになってくるんですね。
そんだけ効率化すれば売れるよね。
めちゃくちゃ売れてちなみにリンデさんが設計したリンデ社が作った小型冷凍機
実は日本にもやってまいります。
日本まで来るんだ。
キリンの前身になったビルをね。
当時日本の伊藤博文だとか大久保利道だとかあのあたりの人たちが
ヨーロッパを勉強のために視察でまわりますよねアメリカからずっと。
その時に最終的にドイツやべえぞ。プロエッセンスすげえぞって言って見てたあたりの時代かな。
そうなんだ。
でこれ日本にビール工場作った方がいいよねっていうので
北海道に札幌開拓地の醸造所ができますよね。
ここに最新の技術を国からご支援をして入れてやった方がいいぞ国の機関だし。
で持ってたのこれです。
いきなり最新式なんだね。
わーっていう状態なんですよ。
すごいね。
すごいんですよ。
でビールがドーンっていって自分も機械がんがん売れてめっちゃ売れて儲かってるんだけど
実はカールフォン・リンデって研究者なので金持ちいらないんですよもう。
早々に経営からもう脱したいんですね。
息子が大きくなるの待って大きくなったんでもうやってくれやってくれ
俺ちょっと研究行きたいからつってどんどん引退をしてもう一回機械の研究開発に行くんですよ。
そして液体窒素と液化酸素を作り出すことに成功します。
つまり世界で一番最初に窒素と酸素を分離することに成功するんですね。
これが後々の液化窒素マイナス192度だったりとか絶対レッドに近づいていく技術の基礎になっているんですね。
すごくないですかフォンデカールフォン・リンデ。
カールフォン・リンデすごいね。
ちなみにちょっとおまけ的になっちゃうんですけどちゃんとした科学者なんですけどね。
ジェームス・デュアーさんがデュアービンを発明します。
言いにくいね。デュアービンね。
デュアービン言いづらいんで日本語に直しましょう。魔法ビンです。
フラスコの大小を2つ持ってきて重ねて作って口のところをくるっとやったら真ん中が真空になるじゃないですか。
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こうすると保温にいいよねっていうのを作り出すんですけどこれが後々の冷凍機とかの実験の外の壁の部分に使われていったりとか。
なるべく温度が上がらないようにするっていう技術の礎になっていくと。
そうなんだ。
どう?ちょっともう30分オーバーしちゃってますけど。
どう?俺は結構興味のあるとこだったよ。
なかなかこのフランシス・ベイコンさんのね、このちょっとした実験から思想が生まれていっていろんな人に波及をしていきながら最終的に本当にできちゃう製氷機。
これがロマンスね。ベイコンが実験をしたのが1625年。そしてリンデがアンモニア圧縮機を発明するのが1873年ですね。
200年か。200年はかかってんだね。
そうなんですよ。ここからこのリンデをスタートに数えて大体170年くらいという。
要はカールフォンリンデ、リンデ式の冷凍機、凍結機が今の冷凍機の元になってます。
ここからまともに実用化できましたよって話。
まあそれまでだって小型化したとはいえ船の上とか貨物船だもんね乗っても。
なかなかどっか工場をちょこっと作ってっていうレベルじゃなかったってことだよね。
そういうことです。これが面白いことにこの人がこれだけの機械を発明したからといってすぐに社会実装できるかというと普通はなかなかできないはずなんですよ。
ビジネス化するのってなかなか難しいんですよね。
現代でも最新式のすげーもの発明しましたって言っても社会の側にニーズだったりとかそれを理解するだけのリテラシーみたいなのがないと
ホンと出したって絶対売れないで潰れてっちゃうんですよ。
興味深いのはカールフォン・リンデが大金持ちになるぐらいすぐに受け入れられたということなんですね。
そうだよね。本人が作って本人が一番儲かってるのがすごいよね。
ということはリンデが小型冷凍機を作る前の段階で冷やす技術を社会に実装するような動きがもともとあったってことなんですよ。
天然合理を使ったビジネスがもともとある程度生まれて動き出してるところにこれが来たからドーンって。
社会実装側がね実はねそれはそれで面白いです。
そうかもう市場自体がねもうだいぶあったんだね。
ということで次回は市場がどのように形成されていったのかというのを時代をもう一度遡りながらお話をしたいというふうに思っております。
わかりました。じゃあ今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。