1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #218 「徳川家康」と「食」〜..
2024-01-31 50:00

#218 「徳川家康」と「食」〜静岡の食に与えた影響〜

  • 徳川家康ととろろ(静岡 丸子宿)
  • 徳川家康とわさび
  • 徳川家康と折戸茄子
  • 徳川家康と一富士二鷹三茄子
  • 徳川家康と天ぷら

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00:06
たべものラジオ
たべものの世界を探求する、たべものラジオの掛茶料理むとう、むとう拓郎と、むとう太郎です。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、まずはお知らせです。はい。
前々回でもお知らせしました、たべものラジオオフ会を、2024年の2月24日と25日に開催いたします。
詳細は概要欄に貼ってありますので、そちらをご覧ください。
また、たべものラジオもとい、掛茶料理むとうで、フグのお鍋、てっちりの冷凍販売を始めました。
こちらは通販サイトで販売しておりますので、こちらも概要欄からご覧ください。よろしくお願いします。
はい、ぜひよろしくお願いしまーす。
はい、ということで、今回は番外編で、本編いきますか。
はい。
はい、番外編です。で、今回は、
はい、新シリーズ、徳川家康と食。
ちょっと待って、新シリーズって好きじゃない?
あれ?
1話完結型の新シリーズですよ。
あー、シリーズカウントしてくれたの?
いや、今年の目標、たくさんシリーズやろう、だからね。
あー、まあ、残念ながら僕の中では、和食店から今回までが、1シリーズなので。
あ、そうなんですか?
ここで頑張っても、これはシリーズワンカウントにはならないです。
初期の頃の平賀元内とウナギみたいなシリーズにはならないですか?
確かに初期はそれでカウントしてたからね。
カウントしましたよね。
してたね。
はい、ということで今回は新シリーズ、徳川家康と食です。
カウントはしません。
はい。前回、大河ドラマ、光る君へにカコつけてですね、平安時代の食文化みたいなことを切り出してやりました。
でですね、昨年までの大河ドラマ、どうする家康。
あー、どうする家康。あったね、そういえばね。
もう?もう忘れてるの?
いや、別に大河ドラマは本当に興味なくて。
あー、そうですか。
あの、なんか上り畑いっぱい建ってたなっていう、それぐらいのイメージ。
静岡県は徳川家康とのゆかりが深い土地柄ですからね。
ね、青松でもイベントしてましたしね。
はい。垣川観光協会でもどうにかして町おこしに使えないだろうかっていろいろやってましたよ。
あー、副会長。ここで副会長の役割ができた。
はい、いろいろと頑張りましたんでね。またしてないんだけどさ。
そうなんだ。
ということで、徳川家康が意外と地味に知られてないんですが、食文化に結構影響を及ぼしてますよという話ですね。
ほー、徳川家康が食文化に影響を与えていた。
03:01
そうなんですよ。
あ、そうなんだ。
なんかピンときますか?
全く?
家康が何を食べていたかとか、どんな食べ物を好んでいたかとか。
あー、あのー、八丁味噌くらいじゃない?
あー、そうね。まさにまさに八丁味噌はね、大きな影響を及ぼした食の一つですね。
うん。あ、あと茶壺道中だけ。
あー、お茶ね。はい、茶壺道中もありましたね。
はい。
まあ、お茶もそうだけど、お茶はね。
まあ、あるね。ありますね。結構。
薬、健康オタクというのが今までのシリーズでね、何回か出てきたから、そのイメージが強い。
そうなんですよ。これね、ちょっと簡単に資料として調べてきたんですけど、
これは江戸時代に入ってだいぶ経った後の書物で、武将環状記という書物が残ってます。
武将環状記?
はい、著者は熊澤伊太郎さん。初めて知りました、僕も。聞いたことないです。
で、出版された都市が聖徳六年、1716年。
1716年。
はい。なので、江戸幕府ができてから軽く100年ちょっと経ってますね。
はいはいはい。
で、これは著者が見聞きした標伝とか逸話を集めた有名な武将の逸話集みたいな感じですね。
あー、そういう感じなの。
で、この中に収められているので有名なのが、例えば石田三成と豊臣秀吉が出会った時の話ですね。
あの、何だっけ、三根茶って言うんだっけ。あの三杯のお茶の話あるじゃないですか。
あったっけ。
なんか山に行った時にね、秀吉がちょっと休憩すると。で、お寺に寄りましたと。
その時にお茶を所望したら、1杯目はぬるくて、で、2杯目がちょっと熱くて、3杯目が熱いお茶を出したと。
で、なんでこんなことをしたんだって言ったら、のどが渇いてるのですぐガブガブ飲みたいから大きな器でたくさん飲めるようにぬるめのお茶を出しましたと。
で、2杯目だから少し量を減らしてちょっと温かくしました。で、3杯目は小さな器で熱いお茶を立てましたと。
あー、聞いたね、なんかね。
で、そのお寺の小僧だったのが石田三成で、そこで拾い上げられたと。
この逸話が史実かどうかわかんないんですけど、記されているのがこの武将環状記という書物なんですね。
で、この書物の中に家康のことも書いてあるんですよ。
そのあたたちは、わしがケチで麦飯を食べているとでも思ったのか。そうじゃないと、いうことが書かれてるんですよ。
あ、そうなんだ。
麦飯を食べていてほとんど白米を食べなかったというふうに言われてるんですけれども、これは健康のことを気遣ってのことであって、
別にケチだから麦飯だけを食べてたわけじゃないぞということを伝えられてるそうなんですね。
ただもう没後100年ぐらいの時なんで、わからないですけどね。
06:00
そんな経ってるよね。
そうなんですよ。そのぐらい言われるほどに健康オタクだったっていうことですね。
自分自身も漢方を学んでましたし。なので有名なところってやっぱ麦飯ですよね。
麦飯。
でね、家康のおかげで有名になった食べ物ってやっぱりね、天下統一語のことが多いんですよ。
そうなんだ。
それこそさっき言った八丁味噌っていうのは今の愛知県ですよね。
の味噌蔵としてもそんなにたくさんあるわけじゃないですし、そもそも八丁村がそんな大きい村ではないわけですからね。
それが江戸初期中期後期に出てくるその料理本の中で八丁味噌がたびたび登場するようになるというのは、
それは家康が八丁味噌が大好きで地元の味噌をわざわざ江戸に運ばせていたということが大きな影響を持ってますよね。
今では八丁味噌って全国食じゃないですか。
そうだね。
知名度高いですよね。これはやっぱり家康の影響が相当大きいです。
まあそれはそうだろうね。
これなんでかって当然さっき出てきた江戸の料理本には八丁味噌と新州味噌の合わせ味噌みたいなのを使い方をたくさん書いてあるから、
みんな八丁味噌買わざるを得ないじゃないですか。
これで広がっていくみたいなことはもちろんありますよね。
あと江戸幕府開封してから早々に将軍職を二代目の秀田田に譲りますよね。
そうすると隠居するじゃないですか。隠居先どこだかわかります?
隠居先?
お引越しするんですよ、家康さん。
それは静岡市の寸風町じゃないですか。
その通りですね。静岡に来たので、もうご隠居ですから忙しくないわけですよ。
健康には気を使ってるでしょうし、いろんな相談も来るし、政治もやってはいるんですけど、大御所政治をね。
でも江戸で細かいことは息子たちが頑張ってるんで言ったりしてるわけですよ。
そこで天下の将軍の家康様が田舎の寸風に来るわけじゃないですか。
いいものを皆さんが献上したりとか食べたいって言ったりするわけですよ。
これが後の名物に変わっていくのね。
有名なところだとトロロ。
トロロ。
今東海道の宿場町の一つであるマリコですね。
マリコ宿。今は漢字で丸井に子供の子って書きますけどね。
何て言ったらいいんだろうね。
静岡駅から見ると西に向かって安倍川を越えた先。
山の手前だよね。
その後が宇都宮峠なのでその手前ですね。
ここに今でも続く僕の友達が営んでる長寿屋というトロロ専門のお店がありますけど。
彼第14代目なんですよ。
14代目なんですか。
14代目なんですよ。
長っ。
やばいよね。
すごいね。
だって広茂の東海道五十三次って浮世絵あるじゃないですか。
09:02
あれのマリコ宿で描かれてる絵っていうのが長寿屋ですからね。
長寿屋さん行くとその絵飾ってあるよね。
今建ってるのはイコールじゃないですけどね。
あれは他のところから移築してきたものなんですけど。
それだけ古いところで彼が友達が言ってて笑っちゃったんだけど。
無徳無徳見て見てって。
あれマリコの浮世絵見たことあるでしょって。
あるある。
何代か前のおばあちゃんって言ったんだよね。
本当だって。
確かに。
おばあちゃんね。
そうなるよね。
親族だからね。
すげえなあって。
そんなことが言える家なんだみたいな。
そうなんだ。
これが定着してった理由の一つがやっぱり家康にあるらしいんですよね。
家康にある。
麦飯にトロロをかけてトロロ飯っていうのがね。
だから麦飯なんだ。
まだ。
そういうのがあるらしくてですね。
特に徳川家康が好んだのがこのトロロなんだけど、
これ純粋に自然女だけじゃなかったらしいんですよ。
違うの?
このレンコン。
レンコン。
レンコンもほらすりおろすとネバネバの似たような状態になるじゃないですか。
なるよ。
これは合わせる。
いうような食べ方をしてたらしいんですね。
そうなんだ。
このレンコンも静岡のものなんですよ。
特に家康が好んだのは朝畑沼っていう沼があるんですけど、
その朝畑沼で採れたレンコンがこれは絶品じゃって言ってね。
朝畑沼。
朝畑沼。
沼か。
今で言ったら地名で残ってんのかな。
朝畑には静岡の水質試験場か水道局の持ち物かなってあったりですね。
もう今埋め立てられちゃってますけど。
そこがもともとレンコンが採れたらしくて、
ここのレンコンが良いということで家康は好んで食べたそうです。
そうなんだ。
この朝畑沼のレンコンと山奥のマリコの方で採れてくる地名状を合わせてとろろりにして麦飯にかけて食べると。
あれ健康食なんだ。
健康食なんじゃないですか。
彼は相当好きだったらしいですよね。
今食べても美味しいからね。
そうですね。伊達に数百年続いてるわけじゃないですから。
確かに。
あとあれだ。静岡の名物の一つといえば茄子。
茄子?
知らんか。
茄子って静岡名物なの?
そうなんです。もちろん先週茄子とか日本各地に茄子の美味しいところ有名になってるところあるんですけれども、
家康のおかげでというか、家康のせいでブランド力が爆上がりした茄子っていうのが実は静岡市内にあるんですよ。
織戸茄子。
織戸茄子。
織は折り紙の織という字ですね。戸は扉の戸。戸ですね。扉の戸って漢字あってねえな。
12:00
井戸の戸。戸の字ね。織戸茄子。これは地名なんですけど、見穂の松原。わかります?
見穂なんだ。
見穂の辺りの地名ですね。もともとね、家康って茄子好きだったらしいんですよ。
そうなんだ。
中でも特に織戸の茄子が大好きっていうことらしいんですよね。
5個で1両。
めっちゃ高いね。
5個で1両?
だって。
5個で100万とかっていうタイプ?
そこまでないね。10万円とか5万円とか。どっちにしても高いよ。
茄子5個でか。
超高級品になったらしいですよ。
そうなんだ。
面白いなと思った。これ諸説ありですけど、お正月。この間まで。お正月ね。お正月に見る夢といえば、初夢。初夢で縁起が良いものってあるじゃないですか。
あるね。
言ってみてください。
一富士?二鷹?三なすび?
なんで茄子が3番目に来るん?
あれはずっと謎だと思ってた。
これ一説によると、家康の好きなもの順らしいんですよ。すごくない?これ。
一富士とあたりで、日本一の富士山っていうのはわからんこともないんだけど、なんで富士なんだろう?と思って。
富士山の景色が好きで、寸布からミラーの富士がすごく好きだと。鷹といえば。家康と鷹といえば。
家康と鷹といえば?
鷹狩りですよね。
鷹狩りぐらいしか出てこない。
鷹狩り好きなんですよ、あの人本当に。
あ、そうなの?
しょっちゅう鷹狩りに出ていて、お鷹場みたいなね、今の目黒とか品川近辺に鷹狩り専用の土地があったりとかするわけですよ。
そうなんだ。
当然寸布にも鷹城っていう地名が今残ってますよね。
鷹城?
静岡市内に鷹城ってありますよね。あれ鷹の匠ですからね。
うんうん、確かに。
あの鷹を飼う人、職人さんの住む地域でさすこは。
あ、そういう名前なの?あれ。
家康のための鷹を飼う専門家集団なんです、さすこ。
すごいね。
鷹城とかね。だから鷹狩り好きなんで、2鷹。そして3番目はオリドナスっていうね。
あれオリドナスのこと言ってるんだ。
らしい。そういう説ですね。他にもあるんでしょうけど。家康に絡めて言うとそういう話があるそうですね。
そうなんだ。
面白いね。あれ静岡で完結しちゃうやつなんだね。
そう。
言ってみれば。
そう。割と今回ね、ほら言っても僕静岡県民じゃないですか。生まれ静岡市だし。
静岡市だね。
はい。なんでちょっと静岡寄りですね。実際多いのよ。
多いんだ。
やっぱり大御所家康がっていう時代になってからの方がブランド価値が高まる。
まだ一部省で松平の生の時にはそんなにブランド力持ってないんで、後の時代に影響を与えたのはやっぱり天下を統一した後の好きなものっていうのが広がっていく感じかな。
15:11
天下統一の意味で言ったら一番最後の部省だもんね。
そうですね。間違いないです。
それが静岡に来たから一番時代の近い天下人ね。
そうですね。そういう意味では阿部川餅とかね。
はいはいはい。
これあの、甲州に行くと真剣餅に変わりますよね。物違いますけど大体似たような作り方なんですよ。
まあ確かに見た目はね。
阿部川餅なんですよ。有名になるのは。
そうなんだ。
静岡ではね。
確かに阿部川餅やたらとお土産積んであるもんね。
そうなんですよね。
やたらとってところだけど。
もう静岡市の手土産で最も古くから有名になったのって阿部川餅なんじゃない?
まあまあそうだろうね。
うなぎパイより古いでしょ?
まあそれは古いだろうね。
知らんけど。
もうわかんない。うなぎパイがいつからかわかんない。
まあそんなイメージかな。
うなぎパイは揚げてるのかわかんないけどああいう加工になったのはだいぶあったな気がするけど。
あと静岡市内で行くと混ぜ寿司とかね。
ちらし寿司の混ぜてる版ぐらいのイメージでいいと思いますけど五目寿司というかね。
ああそんなのあるんだ。
これは今静岡市内で行くと餅胸近辺の名物と言われてましたけど今そんなに知名度ないかな。
餅胸のほうになるかな。
ただこれは家康が孫夫に今日移すにあたって地元の岡崎の名物だったものを移したって言われてますよね。
ああそうなんだ。
よっぽど地元好きだね。
好きだねやっぱりねこの人。
あとはね教えてもらったとか恩義に感じてっていうのはやっぱりいろいろとあったりはしますよね。
有名なところだと佃煮だからねやっぱりね。
おう佃煮。
佃煮は家康が好きだったかどうかっていうのではないんですけれども結局佃州大阪の方の漁師だった佃州ね。
家康が逃げ延びる時に助けてくれたっていうのもあってその人たちが後に江戸に住まうようになって佃島と今呼ばれている島を与えられた。
そこで生まれたのが佃煮ですよね。
ああそんな話したね。
もうすでにしたのでここあんまり深掘りしないですけどね。
どこだっけね。
忘れた。どの回で話をしたか忘れました。
どっかの流れでしたね。
どっかの流れでしましたね。
した。したのは覚えてる。
もしかしたら蕎麦と海苔のあたりでしてるかもわかんないです。
ああそうかもね。
割と最近。
割と最近でしたね。
あとは何だろうなあ。
わさびね。
わさび。
わさびはわさびでちゃんとどっか取り上げる予定ではいますけど、
家康絡みで有名なのは宇東城のわさびかな。
18:04
宇東城。
静岡市内に宇東城という地名があるんですよ。
土地が。
あるに東に木ですね。
木呼びの木の字ね。
これで宇東城。
これ静岡市民じゃないと読めないかもしれない。
俺あってるよね。
なんとなく当たり前のように読んでるけど。
出てくるね宇東城。
宇東城であってますよね。
これはみんな読めないんじゃないかな。
宇東城。
静岡市外から安倍川に沿って30キロ北上だって、
標高500メートルから100メートルだって。
その辺がね、わさび自体はもっと古い時代からあるんですけど、
この宇東城っていうのは日本で一番最初にわさびを栽培し始めたところなんですね。
ああそうなんだ。
なんだっけな。
わさび栽培発祥の地みたいなのがありますよね宇東城に。
本当だね。
ついて書いてあるね。
ついていうところがあるくらいなんですけど、
この宇東城のわさび栽培を丸ごと囲ったのが徳川家ですね。
そうなんだ。
戦門。
うちの徳川家の門みたいな感じね。
行ったことないな。
だいぶ山の中ですよねイメージが。
山の中だね。
だって三方を山に囲まれて書いてあるからね。
そうですね。
結構奥なイメージですよね。
もう完全に地元民トークになってる。
奥だね。
めっちゃ奥だね。
だって安倍川から二三十キロ奥っていうとめちゃくちゃ遠いからね。
そうですね。
別に高速道路があるわけでもないし、幹線道路が細いんでね。
北に行くとすごい山道だからね。
はい。
静岡ってね。
結構静岡市って面積的に大きいんでね。
まあまあ確かに。
この辺はわりと家康の影響がありますよね。
本山とは違うのね。
本山とはちょっとずれてるんですけど、本山は本山で、家康が愛した本山茶っていうのがね、ありますね。
この頃は本山茶ではなくて安倍茶とか書かれてますけどね。
安倍茶なんだ。
安倍川の安倍から取ってるんでしょうね。
ずっと上に行ってるのかな。
多分想像ですけど、ちゃんと詳しく調べてないですけど、
安倍川を下って運んだんじゃないですか。
可能性はあるね。
うとうぎは静岡駅から30キロくらいなんだけど、車で行くと1時間ぐらいかかるね。
1時間あったらね、下道走っても架け川まで来るんですよ。
そうだね。
山奥にあるわさびが、家康が好きだったことによって囲われた。
一説によると、わさびの葉っぱが青色ゴモンに似ているという話もありますね。
そんな話もあるんだ。確かに。ちょっと似てるよね。
そういう話もあって、わさびは一躍ブランドになっていくと。
いろいろありますよ。
なんでわさびだったんだろうね。
21:01
うまかったからじゃない?
これも香りか。
かもしれない。
香りのいい辛み。
日本で例えばお寿司だったりとかね、刺身だったりとかわさび、今当たり前になってますけど、わさびが一般に広がってきたのは江戸後期以降なので、
例えばお寿司の知りで一瞬触れましたけど、握り寿司ですね。握り寿司が登場したときにわさびが寿司に使われるようになってくる。
当たり前ですけどね、その前は握ってないんですけど、それが結構ミラクルヒットを飛ばしていく位置になったなっていうふうには、もののほうには書かれてましたよね。
だからそれ以前の辛味、薬味っていうのは、例えば刺身だったらからしですよね。黄色いの。
黄色いやつね。
あっちのほうが定番ですからね。
和がらしって言われる?
そうですそうです。今で言うと和がらしですね。
あっちのほうがよっぽど利用されてきた実績長くて多いんで。
辛子のほうが栽培は楽だよね。
辛子が採れますから畑で普通に生えるので。
そっちのほうが使いやすくて一般的だったわけですね。だから辛子酢味噌で食べる刺身っていうのは元々定番なんですよ。酢はだって平安時代以前からあるでしょ。
辛子もあるでしょ。
味噌もあるでしょ。味噌も鎌倉時代以降ペースト化してくるじゃないですか。これ合わせたら辛子酢味噌なんで。
辛子酢味噌ってかなり古いんだね。
濃いの粗いといえば辛子酢味噌じゃないですか。
こんにゃくも刺身みたいにして食べるときにも辛子酢味噌じゃないですか。
辛子レンコンとかもあるよね。
辛子レンコンはもうちょっと後だけど、それでも戦国時代か。
そうなんだ。
辛子酢味噌というものが刺身っぽいものでたくさん使われるようになったのは、そういった辛子が古かったからっていうのもあるんじゃないかなと思いますよ。
辛子レンコンついでにちょっと俺も心配だから調べましょうかね。
なんかお殿様が体調が悪くてってやつですよね辛子レンコンは。江戸時代の初代熊本藩主細川忠敏に栄養食として献上したのが起源とされている。
家康でもちょっと同世代かちょっと若いくらいの世代かな。1632年なんで。もう家康さんいないか。いないか。いないですね。
家康の没年が1616年なんでそうですね。辛子レンコンのが後ですね。
ああそうなんだ。
はい、ということだそうです。和辛子は相当古いですね。奈良時代とかからもうあったはずです。木管とかに出てきてますからね。
一応大日本古文章739年だって。平安時代の奉典である縁起式。
縁起式にも出てるんですね。
24:00
縁起式っていうのかな。にも辛子の記述が見られます。
ただ利用方法自体は辛子の葉をそのまま薬味として使っただけで趣旨は使われていませんでした。これは鎌倉時代ぐらいまで。
それ以降の種の方が使われて今の黄色い辛子になっている。
なるほどね。面白い。
余談ですけどAS関係ないですけど試しにお刺身を食べる時にですね。
辛子酢味噌にしなくてもいいので普通にお醤油の薬味で辛子つけるのも割と好きです僕。
美味しい?
うん。
そうか確かにね。
練りたての和辛子でね。もうちょっと時期はなぜ反対だけど鰹とかね。美味しいねこれ。
マグロもなかなかいいよ。
マグロの漬けに和辛子とかあと胡椒ね。
そうか。
案外美味しいんだよこれが。
あの結構さ、高知時代もさ、粒マスタードにハマった時期があって。
へー。
で家にわさびがあんまなくて。
その頻繁に刺身食べなかったから。
うん。
でもなんか辛み欲しいなーって時に粒マスタードあったから粒マスタードで食べたら美味しかったんだよ。
うんうん。
あんな感じで間違ってはないんだよね。
そうだね。
マスタードって。
まあ洋風にはなってしまうけど多少。
はい。
けどあの粒マスタードで食べると美味しい。
なるほどね。
美味しかった。
まあマスタードは厳密には微妙ですけどざっくりと和辛子にお酢と砂糖を入れるとマスタードになる感じですもんね。
そうだね。あのめちゃくちゃ離れてはないよね。
味と方向性と。
ああそうですね。
ちょっと似てる。
似てる感じですね。
まあ酢味噌の甘いのと思ったら似てるっちゃ似てるかもしれないですね。
そうだね。
酢入ってるからね。
ああうんうん。
粒マスタード特に酸っぱいからね。
そうね。
じゃあマスタードに味噌混ぜたらなんちゃって酢味噌になるってことか。
ああまあ確かにそうだね。
うんから酢味噌できるね。
できるよね。
はい。
そりゃそれで美味しいよねきっと。
うんまあ現代版アレンジとしては非常に気軽だよね。
持ってる人からしたら。
うんうんうん。
まあ和辛子だけ持っててもね結構余るんだよね。
あははは。
余らん。
いやわかんない俺使い切っちゃう。
わさびと一緒で。
わさびも使うっちゃ使うけどさ。
はい。
なんかあまり率が高い。
その生姜とかニンニクに比べて。
おお。
チューブで言うとね。
チューブで言うとか僕は個人的にその若い時ね20年前とかの話ですけど一人暮らししてる時全部チューブで買ってましたけど大体残ったことがないかな。
ああそうなんだ。
うん好きだから。
ああそうか。
割とスパイスとかその辺好きで家に当然ニンニク、生姜、からし、わさびがありガラウマサラとかクミンとかもありみたいなそんな生活をしてたんで。
はいはいはい。
俺タバスコの方が使うね。
ああ。
なんでもタバスコ時期があったから。
27:01
あの一人暮らししてる時に香辛料とかのバリエーションいくつか持ってると超楽なのよ貧乏だし。
いやわかるよ。
あとマヨネーズとかね。
マヨネーズとかそういう意味でからしも重宝してましたよわさびをね。
全然イエス離れちゃったけどね。
からしあのツンとした感じ苦手なのよ。
ああそうですか。
あの香りがないからあんまり。
ちょっといきますよ次。
はい。
また長くなっちゃう前回長かったからね。
そうだねもう既に30分過ぎたんで。
じゃああと他にもね浜松のお酒が好きだったとかあと浜松のハマナットね。
ハマナット。
ハマナットが好きだったとかっていうのもあるんですけどね。
それ言ってると長くなるんで。
浜ナットってあれ甘いの。
浜ナット?
しょっぱいやつで。
浜ナットはしょっぱいやつか。
しょっぱいやつ。
大豆一粒一粒に麹菌をつけて15日間15ヶ月間熟成した後に天日干ししたものって書いてますね。
ああそうなんだそういう作り方なんだね。
浜ナットだと甘いからさそうじゃなくて味的には味噌に近いどっちかっていうと。
塩っ辛い感じ。
コクがあるしょっぱいやつ。
めっちゃ一粒食べるとめっちゃしょっぱいよね。
そう。
これ刻んでトッピングにしたりとかね。
いろいろと使い道もあるしこれ単体で食べてご飯も美味しく食べられるし。
なんか俺すごいつまみのイメージだった。
これでお酒飲んでも美味しいだろうね。
だからなんか子供の時に食べた時にはこれは子供が食べるもんじゃねえなと思った記憶はある。
ああそうか。
まあ麹菌だから多分俺が苦手なぶりになっちゃうんだけどさ。
ああそうねたく麹菌苦手なのか。
ものによる。
多分俺が最初に食べたのは結構わさび漬けとかね。
アスペルギルスオリゼ。
酒麹酒。
食べるのがちょっと早かったかもしれない。子供の時に。
両親から好きだからさ。
ああそうね。
やたらあるからさ。うっかり食べちゃうね。
あの時の衝撃が未だに残ってるだけで。
今食べると別に美味しいんだけどね。
あんまりこう食べようと思ってこなかったなっていうものではあるね。
そうか。
最近はわさび漬けとかね。
うん。
美味しく食べるようになってるけど。
ああそう。じゃあだいぶもう酒麹いけるじゃないですか。
甘いのはダメだけどね。
いい振りしてくれた感じするんですけど。
わさび漬けもルーツはあれですよね。
遠いけどイエスの影響はやっぱりありますよね。
酒とわさびにかき合わせみたいな。
発祥とされているのが江戸時代中期なので、
イエスがなくなってから100年以上経ってる頃って言われてるんですけど。
法令記念館なんで。
ただそこで使われているわさび漬けの、
元のわさびの茎とかですよね。
これはウトウギのわさびなわけですよ。
ああそうなの。
わさびのいわゆる根っこのわさびの部分ね。
30:01
これは献上されちゃうとか。
流通に乗って高級品として扱われるとか。
今もそうだね。
じゃあそこの茎の部分ももったいないじゃんっていうので、
それがカス漬けになって発明されていくわけですから。
ああそういうことね。
何か言っときなかったっけ?
茎を使ったレシピを考えてくれっていうコンテスト。
あったっけ?
茎?
茎。
わさびの茎?
そうそうそう。
あ、なかった葉っぱとか。
あ、わさび料理か。
わさび料理ありましたね。
地元の食品組合とかで。
あれは伊豆だったけどね。
伊豆か。
伊豆ね。
やってくれっていうのありましたね、そういうオーダー。
あったね。
ああそういうの。
もうちょっと戻ってったら何かありそうだけどね。
まあそうですよね。
わさび漬けもそうだし、他にも漬物の仕方とかはありそうですしね。
普通に炒めても美味しいしね。
確かにね。
わさび漬けの料理ってちょっと考えたことないからな。
今だったらちょっと作ってみたいなと思う。
昔は苦手だったからね、香りは。
もう何年か前ですけど、
うちでほら、宇都宇義のわさびを、本わさびね。
買ってきて使うときあるじゃないですか。
うち割と宇都宇義買ってきて使ってるんだけど。
ああそうなんだ。
あのクッキーね、もったいないからたまに刻んで醤油であえて自分でまかないときに食べたりとかしてるんですけど。
たまたまあるときですね、地元の酒屋さんから地元の酒蔵開運さんの酒が分けていただいたんですよ。
ああもらったね。
銀杏のやつね。
これとクッキーを合わせて自家製のわさび漬け作りましたよ。
美味しいでしょそれは。
美味しかったよ。
で、ちゃんと辛味とか風味を足すために身の部分、猫の部分ね。
あれの端っこを刻んでですね、さらにそれも中に入れてね、贅沢わさび漬け。
超高級品になっちゃったけど急に。
これはうちの常連のお客様にお出ししてあっという間になくなりました。
おかわりって言われてもない、ごめんって言って。
だろうね。
ちょこっとしかないから。
だろうね。
速攻でなくなりましたね。
それはそれ以降作ってないのに、それ定期的に作ったらいいのに。
静岡の名物としては分かりやすいよ。
そうですか。
だって買ってくるやつ今なって瓶切りだもん、わさび漬け。
あれ、大変なんですよ、保存が。
こうしたのか。
大変なんですよ、自分家でやるとなかなか日持ちしないんで。
ちゃんと伝統的にやれば日持ちする、もちろんね、かす漬けですからするはずなんですけど、
僕がやるのはね、量も少ないこともあってあんま持たないし風味が飛んじゃうんだよね。
風味ね。
痛むよりも先に風味がなくなる。
それはしょうがないよね。
私の経験上ね、やり方ちゃんとあるんだと思うんですけど。
僕はそうで、もうちょっと練習が必要ですね。
うまいことやったら冷凍でパックしておけば香り飛ばなさそうだけどな。
できるのかな。
だって香りって高規制だ、高規制分って揮発性だからさ。
そうだね。
冷凍したい場合は。
33:00
飛ばないからね。
しないよね、一風したい場合は。
そうですね、ちょっとやってみようかなっていうか。
作ったら食べちゃうんだよなあれな。好きだからな。
食べちゃダメじゃん。
でもほんと脱線中の脱線だけど、自家製わさび漬けをね。
前に行った時は私ハマってハンペン作ってた時あるじゃないですか。
で、アジとイワシを鮮度のいいの、取り立てのやつを買ってきてさ。
自分でおろして自分で叩いてすり身にして。
で、畜炭をちょっと混ぜて真っ黒ハンペンなんつって遊んで作ったわけですよね。
この真っ黒ハンペンもですね、こんがりと炙ってですね。
そこに自分で作ったわさび漬けをつけて、横に日本酒で缶つけたのを置いて、これいっぱいあるの。
もう最高にうまいんだよね。
まあ美味しいだろうね。
味見と称してね、やってましたよ。
全部自分で作ってる。
何をやっとんだ俺は。
お客さんにちゃんと出してください。
そうですね。
自分で満足しちゃダメなんですよ。一番いいところを。
で、そのついでにお客様に、違う違うついでじゃない逆逆。
お客様に出すために本音堂々味見でやったっていうやつね。
味見でね。
やりましたよ。
連打見過ぎたんでしょ結局ね。
美味しかったなあれ。
この間もディスコードの方で酒カスは実は余ってるところも結構あるっていう噂がね。
そうですね。
おじさんから聞いたので。
まあ余ってないと思うんだけど、かゆみさんとかは。
ただすぐ近くだからさ。
そこのもので冷凍したりとかね。
こういうわさび漬けみたいな静岡っぽいやつ。
自分らのやつでできるものを冷凍してみるのも。
いいかもしれないですね。ちょっと考えましょうか。
酒カス料理をね。
やってもいいかもかもですね。
酒カス料理って言うとちょっと和食っていうか和食店っぽいよね。
そうですね。日本酒だし元が。
そうそうそう。そういうのもちょっと面白いなと思って今作ったと思いました。
皆さんもね、それ気になるってなればコメントたくさんもらえればきっと兄者が作りますんでね。
ぶん投げた。
作って手が追いつかなかったら僕が手伝うんで。
その前に手が追いつかなくなったら俺調べ物止まるんよ。
いやでも本当に料理人なんで。
分かってます?
たまには料理しないと。
昨日もフグ5本上がったじゃないですか。
上がったね。
あなたもお客様帰った後普通に事務仕事してましたよね。編集作業とか。
僕その後夜10時までずっと卸してましたから。卸した後の皮引いたりとかいろいろ処理してましたからね。
変わります?ホームページのデータ構築とか変わります?
そうじゃなくて料理ってちょっとやってみるって言ってもやりだすと結構手がかかるよってことを言いたい。
そうねかかりますね。
まあまあ頑張ります。
美味しいものは作りたいじゃん。
できればうちに来れる人少ないんで何とか加工品は増やしたいなと思ってます。
36:05
あまり変わらない劣化しないもので。
じゃあ最後。最後ですよ。家康と食の最後。
これ天ぷら。
天ぷら?
有名でしょ。家康と食って言ったらほとんどの人が天ぷらねって言ってる人。
そうなんだ。
なんで天ぷら言わねえんだろうって思ってたと思いますよ。
嘘か本当かわからないですけども伝説書では家康がなくなった原因はタイの天ぷらに当たったっていう風に伝えられてるくらい。
タイの天ぷらに当たった?
はい。もう天ぷら大好きなんですよこの人。
そうなんだ。
っていう風に伝えられてますね。
タイで当たったんだね。
だけどねちょっと僕はまいつばかなとは思うんですけどね。
単純に胃腸炎か何かじゃないかなと思うんですけど。
なんかタイで当たるっていう予報だよね。
かタイが古かったのかもしくは油が劣化していてもう当時70過ぎですからね。
江戸初期としてはかなり恒例ですからいかに体力に自信のある家康公と家どもっていうことなんじゃないかなとは思いますけど。
ついこの間も静岡県の町おこしの一環で家康にまつわる天ぷら料理コンテストみたいなのやってましたね。
あったねそういえば。ニュースになってたね。
なってましたよね。
なってた。
見ましたよね。
今言われて思い出した。
タイがどうする家康に絡めてっていうのもちゃんと記事になってましたよね。
うん書いてあったよ。
忘れとる。
もうあそうなんだーぐらい。
そうですか。
これはあれですね茶屋四郎二郎からね御馳走になってそれ以来ハマったと言われてるやつですね。
茶屋四郎。
茶屋四郎。
茶屋四郎。
名前がね現代人と違うので一郎二郎三郎四郎みたいな感じの四郎ね。
あーそうなんだ。
その後に二郎がつくんですよ。
伊藤四郎二郎みたいな。
うん。で矢号が茶屋ね。
苗字みたいに当たるのが茶屋さんね。
茶屋さんって今お苗字であるじゃないですか。
で茶屋家の初代だったら名前は清信なんですよ。
で真ん中に四郎二郎が入るのね。
あー真ん中にって兄弟の中にってこと?
名前が。だからね現代人ってミドルネームないじゃないですか。
ミドルネームあるのがデフォなんで。
ミドルネームってあったの?
あったの。
え?
え?
ファミリーネームミドルネーム。
で名前。
名前。
あの歌舞伎モノで有名になった漫画で有名になった前田圭司ってあるじゃないですか。
漫画だと前田圭司って書いてあるんですけど、フルネーム言うと前田圭司朗俊政ですね。
あ、そうなんだ。
だから教科書みたいなのにこう普通に徳川家康みたいに並べるんだったらあの人は前田俊政なんですね。
39:03
前田俊江、前田俊政みたいな。
あ、そうなんだ。
前田俊江は前田又座英文だったからまた座俊江とかそんな感じだったと思いますけど。
じゃあなんで徳川家康は徳川と家康なの?
あのね徳川家康も間がある。松平信康時代から使ってる真ん中があった。
名前忘れちゃった。あー気持ち悪い出てこない。
あるの?
ありますあります。二郎三郎。確か。
徳川二郎三郎っていうのはへー。
松平二郎三郎本信とかじゃない最初。もしくは二郎三郎本康か。
とりあえずここに今調べた感じだとね。徳川二郎三郎何これ。
源の阿蘇。
家康。
源の阿蘇っていうのは源家の家臣であるっていう意味だからね。
あーそうなんだ。がフルネーム、正式名である。
だから間に二郎三郎って入ってるでしょ。
二郎三郎って入ってる。
そう。だから源の阿蘇は官職というか役職っぽい感じなのでちょっと置いといて、
フルネームでいくと徳川二郎三郎家康が正式名だね。
そうなんだ。
じゃあ結局さっきの二郎三郎はなんでついてんの。何にあたるの。
何にあたるのっていうかもうこれがデフォなんで。
で現代人が短宿名しかないっていうだけですよ。
そうなんだ。
そういう感じです。何の話してるかわからなくなっちゃったけど。
とりあえずドコモの話。あそう茶屋四郎二郎の話だよね。
茶屋四郎二郎これはもともと武士の一族なんだけど、
武士を辞めて廃業して五福屋さんを始めるんですよ京都で。
この家がもともと中島さんかな。
中島さん。
だった人がそれを辞めて茶屋っていう屋号でね商売始めるんですよ京都で。
徳川家と仲良くなっていって徳川家の洋服はみんな茶屋家でやりますみたいになってだんだん仲良くなると。
茶屋四郎二郎を名乗るのはその後の代かな。
仲良さんの息子とかなんだけど、この人あたりから味方が原で戦った時にすげえ仲良くしたよとか本能寺の辺で助けたよとかいうのをやってて、
その息子とかその弟とか二代目三代目このあたりで確か三代目だったと思うけど、
三代目で長崎で貿易するんだよこの人。
長崎だよ。
長崎。
長崎なんですよ。
長崎にいてだから天ぷらというものを知ったと。
長崎武行の大官とか長崎大官の補佐役とかやってるんで、そこで貿易をしたっていう話を、
42:01
秀吉が亡くなる前から海外貿易が非常に盛んにあった10年間ぐらいがありましたよっていう話をゴマのシリーズのどっかでしてると思うんですけど、
その時代に活躍した大商人がこの二代目三代目茶屋四郎二郎なんですよね。
ここで海外の当時の言葉で言えば南蛮人とか民人とかからいろんな情報を得ると。
でその中でタイを油で揚げてっていう料理を知るわけですね。
でこれが今そのまま京都に行って京都で流行っていて、で家康が今京都に流行ってるものはこんなんですよっていうのでタイの天ぷらをご馳走するわけですよ。
なんだってタイを茅野油で揚げその上にニラをすりおろしたものをかけた料理。
でこれが美味しいということで自分が食べるようになって、で自分の部下に作らせて食べたらお腹痛くなったっていうね。
何が原因かわかんないですけどね。
これゴマ油じゃないんだね茅野油って書いてあるね。
本当かいそうだったんだ知らなかった。天ぷらといえば当時ゴマ油のイメージ強いけどね。
そうなんだ。信用時なんだね。
存じ上げませんでした。今知りました。
5番の最高級の材だって茅野。
なるほどね。
その趣旨を食用油などの原料に。
そのニラをすりおろした。これニラが推薦だったってことない?大丈夫?
それ普通に中毒じゃん。
どっかにあったけどそういう。
ありましたね。
何年か前にも。
何年かに一回出てくるけど。
あるね。
ニラと推薦間違えるっていう。
食品衛生の講習会とかでたまに聞くよね。
普通に考えて畑にニラと推薦両方植えてあった場合は見た目で間違えても香り全然違うからね。
しょうがないかなと思ったりもするんだけど。
山の中でニラが生えてるわけないじゃん。そんな簡単にって思うんだけどさ。
なんで食べるんだろうなって。これいつも不思議に思う。
だいたい山災の事件と事故と同じようなタイミングで報告が来るからさ。
なんで推薦食べたかなって。
もしかしたらそれもあったかもしれないですね。
わかんないけどね。ニラをすりおろしたって言ったからワンチャンあるんじゃないかなって。
玄奈2年1月21日1616年3月8日駿河の国田中で鷹狩りを行った際。
家康は清嗣、清嗣っていうのはこれが3代目の茶屋城二郎ですね。
髪型での流行を訪ねた。清嗣はタイを茅野油で揚げその上にニラをすりおろしたものをかけた料理が流行っており自分も食べたがとてもいい香りがしたと答えた。
45:06
家康は調理を命じてその料理を食べたがその世に腹痛を訴えたという。これが詩になったと伝承されている。これは俗説だと思われますが。
ということですね。田中で鷹狩りしてたんだね。今の藤枝市ですね。
そうなんだ。田中城。
そうですね。旧籍で今田中藩の藩長があったところ残ってますよね。
なんかこないだ話してたね。
これは序盤でお話をした丸子宿の一つ山を越えた西側のところです。近いですよ。車で行ったら。
そうなんだ。
山ですからね。鷹狩りするにはうってつけなんじゃないでしょうか。
まあそうね。山に行かなきゃいないからね。そんな流れがあったんだね。
なるほどね。茶屋城二郎もちゃんと勉強し直そう。ふんわり喋ったけど。隅野倉料理ね。なるほどねとか。
茶屋城新四郎とか小四郎とかあるね。分かれていくんだね。
だんだん文系で分かれていくんですね。
紀州とかに行ってるね。
美州茶屋家、紀州茶屋家っていうのがあるんですね。さすが五三紀に分かれていくんですね。
そういうことなんだね。
なるほどなるほど。面白いですね。ちょっと僕は今あのウィキをさらっと読んで気になったのは本阿弥公越らの芸術支援にも熱心であったっていう一部にちょっとピンと。
本阿弥、是阿弥だっけ?
いやいやそっちじゃないです。
本阿弥何?
本阿弥公越。
本阿弥公越って何?
芸術家ですね。
そうなんだ。
好き者として有名な林パの祖と言われてる人ですね。
林パ?
尾形幸林とか。
林パとは。あ、絵ね。そもそも何かが分からなかった。
この林パと呼ばれていて尾形幸林を代表画と言われてるんですけど、その尾形幸林が影響を受けたと言われているのが田原谷総達、風神来神図屋部で有名ですね。
この田原谷総達が絵を描きこれをプロデュースした絵とか文字を入れていたのがこの本阿弥公越。
この本阿弥公越という人がこの林パの方向性を決めるような思想を打ち出した人。
でそれを支えたのが2代目茶屋志郎二郎っておーすげーなーっていうので何の話これ。
いや俺が何の話よ。
いうことをちょっと今ここに繋がるんだすげーなっていうので思ったという話でした。
そうなんだ。
職関係ないけど。
そうなんだね。
ちょっとふわっとした話をしてしまいましたが。
じゃあ今日のやつはこれで終わりでいいの?
そうですねどうでもいい話を最後してしまいましたが。
本当にそっち行くんだなって感じだった。
もう行くのやめればよかったなって後悔しますけど実はこの話は昨年の1月のオフ会2日目ですね。
48:09
私たちは富士の国茶の都ミュージアムに行きました。
そこには茶室が再現をされています。
庭園は小堀園主の設計とされるもののレプリカですね。
であの辺りでちょっとリンパの話をしてたんですよ。
そうなんだ。
どういう下りでどういう繋がりで話をしたのかはあまり覚えてないんですけど名前は出ましたね。
そうなんだね。
っていうのを思い出しながら最近ほらまた今度1年越しのオフ会あるじゃないですか。
なんで引っかかってしまいました。
正確には1年越しではないけどね。
間あるけど。
合同オフ会あったんで。
ありましたけど。
うちでやるのがね。
2回目だね。
2回目です。
オフ会は皆さんサポーターになってるなんてないかかわらず皆さんご参加できますのでお待ちしております。
ぜひですね。
お越しお待ちしております。
はい。
じゃあ今回はこの辺で終わりたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
こんにちは。
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