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約束だよ
運のシナリオは誰が書いている?
2024年5月11日、土曜日。
恋日記。
今日は、運の良し悪し、とか、よく言うじゃないですか。
自分の力が及んでいないところで、
良いこと、悪いことが起きたときに、
運が良いとか、運が悪いとかいう言葉を使うと思います。
自分の才能、自分の能力ではない。
また、自分の落ち度ではないとか、
そういった感じで使われると思います。
運が良いなと思うことが多いんですよ。
助かったな、とか、守られてるな、とかね、
いうことが多いんです。
自分が無意識に、自分が意図的に、
もしくは自分が思っていることと真逆のことが起きても、
それってよくよく、もっと考えたら、
自分がその運びを、運びの仕組みを作っていた。
そういうことじゃないかなって。
運が良いなって思ってた時、
でもよく考えたら、
どっかで自分の小さいことを気にするとか、
細かいことによく気が付くとか、
そういうことが影響している。
自分は無意識やけど、
自分の意識の下の方では、
常に細かいことを気にしていて、
それがまるで、たまたま運が良くて、
タイミング良くて、そういう風になったんじゃないかなって。
そして運が悪いなって思う時、あんまりないんですけど、
ないけれど、それももしかしたら、
自分の性格がいろいろ絡まってね、
そういう流れを、運びを、仕組みを作ってたんじゃないかなって思うんです。
いろんなことが、実は分かっていないことの方が多いですよね。
スマホだって、今目の前にあるエアコンだって、
仕組みを分かって使ってるわけじゃない。
仕組みは分かれへんけれど、ある程度の表面上のこと、操作の仕方とか、
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ある程度のことが分かってしまえば便利に使えるもの、
そんなものに囲まれてるじゃないですか。
運の良し悪しっていうのも、もしかしたらそういうことなのかなって。
この仕組みを作ったのは、運の仕組みを作ったのは、
確かに自分以外のよくわからないもの、
よくわからない存在が作ったものだと思います。
でも、その仕組みを使って、
さらに自分の人生に影響を及ぼすような流れや仕組みをそこにプログラムしたのは、
シナリオを書いたのは、
一体誰か、それは自分以外にないと、
そう考えてもいいんじゃないかなって。
分析しても分析してもわからへんから、
運が良かった、運が悪かった、そういう言葉にすると、
落ち着く、気持ちが落ち着くし、
あれこれ、あんまりいろんなことを考えなくて済む、便利な言葉やなって思います。
夢のある言葉なのかもしれない。
運が悪い、運が良い、とか言いながら、
本場は自分がそのプログラム、そのシナリオ書いてんけどね。
知らん間にって。
そんな風に半分ぐらいは考えてもいいのかなと思いました。
今日はそんな小絵日記でした。
最近の小絵日記、自分の気づいたことっていうのが多いです。
なぜ気づいたか、何が起きたのかというところは、
あまり喋りたくないような気分なんです。
それを喋ってしまうと、聞いたみんなはね、
自分には当てはまらへんなって、
そういう印象を抱かせてしまうような気がするからです。
だから気づいたことだけ、こうやって残していって、
みんなにも聞いてほしいし、
また半年とか1年とか経った時の将来の未来の自分にも聞いてほしい。
未来の自分はまた全然違う状況下にあって、
今はまだわからない、体験をいっぱいしているかもしれない。
そんな時に、普遍性を持たせて残しておく方がいいなと思ったわけです。
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今日の小絵日記、この辺で失礼します。