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これの日記だよー
2024年3月17日日曜日、時刻は午後7時30分をだいぶ回ったところです。だいぶって、38分ですね。
今日残していきたいのは、
影響を受けやすいなぁ、と思ったお話です。
誰にもあることなのか、ないことなのか、わかりませんけど、映画やドラマを見て、
そこにのめり込んだ結果、すごく翌日の気分にまで影響する、そういうことってないでしょうか。
この映画を家で見れるようになったっていうのも、一つその原因があるのではないかなと思うんですね。
スイッチの切り替えがないじゃないですか。
映画館に行って、まずその行くっていうこと自体がお出かけなので、ちゃんと短くして、出かけて、そして公衆の面前ですよね。
みんなと一緒に映画を見る。そして映画館から出てきたら、食事するなりなんなりして、また家に帰る。
この一連の動作の中で、映画っていう世界と現実っていう世界の切り替わる時の儀式が普通に行われていると思うんですね。
ところが、家で簡単に見れるようになってから、例えば極端な話ですね。
お風呂から上がってきて、パジャマに着替えました。すっぴんです。
この状態で、自分の部屋であられもない格好で、あられもない格好は言い過ぎですけど、
なんかこだらしないポーズで横になってても、なんか食べながらでも、なんでもよくって、
その格好で映画を見て、映画の中に没入する時も、周りの目は一切気にしなくていい。
泣こうが、鼻をすすろうが、鼻をチーンって噛もうが、はぁーってびっくりしようが、大笑い、バカ笑いしようが、誰の目も気になれへん。
そして映画が終わる。そしたら寝る。そのまま寝てしまうとか。
なんかそれって、実は精神衛生上どうなんやろうって思ったんですよ。
声で残す。
昨日の夜、それこそほんと寝る寸前に、なんか映画でも見たいなぁと思って、適当に選んだんです。
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暗そうなんとか明るそうなんとか、何も考えずに、
この人、今のドラマ不適切にも程がある、にも出てはるし、と思って、
安易に、安易に選んで、見た映画がめちゃくちゃ暗かったんですね。
途中で消してもよかったんですけど、ちょっと眠たかったっていうのもあるし、判断が鈍ったというか、
まぁいいや、このまま見ちゃおう、どうなんやろう、変わった映画やなぁと思って見たのが、結構暗くて、
結構、心の中の闇の部分を描いたもので、その闇と社会っていう退治が、退避がね、
結構考えさせられる映画で、決して寝る前の朦朧とした意識の中で見ないでください、
っていうふうに思ったんですよ。
で、どうもですね、一応はっきりとした結末まで見て、なんか嫌な気分が残って、
そのまま寝ちゃって、朝起きたら、なんかどんよりしてたんですね。
で、自分の中にある闇。全然違いますよ。全然映画のストーリーとはかけ離れた、全く関係のないところの自分の闇っていうものに、
なんかスポットライトが当たってしまって、なんかね、暗い一日やったんですよ、今日。心が。心が晴れない。
なんやろこれって思ったら、やっぱり映画の影響かなーって思ったんですよね。
誰の中にも闇ってあるじゃないですか。それは普段、本人の責任で、本人の管理のもとに、
うまいことバランスとって、やりくりして生きてますよね、みんな誰でも。
闇一切ありませんっていう人は、私いないと思うんですね。
で、その闇っていうのにスッと入ってこれるのが物語、ストーリーなんですよね。
それが短くても長くても。例えばコマーシャルでもです。
コマーシャルも、今のコマーシャルって割とストーリー仕立てだったりする。
そのストーリーの中にカチッとはまるものがあれば、いとも簡単に自分の中の
閉まっているもの、普段は出してないものをピュッと釣り上げられたりすると思うんですね。
だから、映画とかドラマとか見るもの、見る時間帯、考えなあかんなーってすごーく反省したんですよ。
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もう二度とこういう失敗せんとこうと思いまして。
で、その映画は何やったんかっていうことなんですけど、
ただしっていう字に欲望の欲と書いて、おそらく性欲と呼んでいいと思うんですけど、
あるものに対して、一般的にはそうじゃない、そういう対象に対して
偏愛的なものを持っている人たちの悩みだったり葛藤だったり、
そのうちとんでもないことに巻き込まれてしまったりっていうね、そういう映画だったんです。
こういう映画はやっぱり軽い気持ちで見てはいかんなと思いますね。
頭しっかりはっきりとして、自分はちょっと深いテーマを扱ったものを見るんだっていう気持ちで見たほうがいいと思うんですよね。
何でもかんでもエンタメやと思って、無防備で見るもんじゃないなって思いました。
そういう声日記を今日は残してみました。
ということで、この辺で失礼します。