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2024-04-09 16:31

好きなことを仕事にしたは良いけれど‥という話⑦ #36

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『私の履歴書』Part 7です。
社内での安いホステス嬢役にうんざりし、そろそろ転職を考え始めるまでのお話をします。
※シリーズは、(テーマから脱線しつつも)当分続きますので、お付き合いください。

入社したばかりの頃のエピソードもぜひ⇩
『北欧インテリア買って、初任給がほとんど吹っ飛んだ 話#16』
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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。今日は私の履歴書シリーズの続きをしようと思います。
ここから、枝分かれして何回かやった、社内不倫に関連した、当時のいびつなダンジョンの闇の関係というか、このシリーズを話したりしていたのですが、
これも、なかなか面白いのですが、この当時の寸尺がどうだったかというと、私は幸いというか、花型部署に常にいないわけですよね。
花型部署じゃないがゆえに、ぱっとしないおじさんばかりいたので、とても安全だったのです。
売り場だった頃は、売り場は女性が多くて、店長とか上には男性の上司がいたのですが、人の良い店長さんで全然問題ないし、前の百貨店の営業チームも問題ないですし、
その後、ハウジング営業はほとんど一人で動いていましたので、実質、このおじさまたちの、私が単にモテなかっただけなのかもしれませんが、あまりそういう嫌な目に、私自身は会わずに住んでいたのです。
私ぐらい、いろんな部署をまたいだ社員も、特に女性では珍しかったのです。売り場であったり、営業とか、私は現場主義だという話をこの間したのですが、現場とかもガンガン行くので、
設計部とか、神々の教員というか、天上人の人たちからも、一定のこの子が頑張っているな、その程度の評価とまでは言いませんが、かわいがってもらっていたのです。
そんな感じなので、結構いろいろのびのび仕事はしていたのです。だから、そういういやらしい意味ではなく、普通に、自分で言うのも何なのですが、めちゃくちゃ人気があったのです。
おじさんとかからは、カンナ、怖い、カンナ、飲み会やったら、カンナ、お前怖い、みたいな、声がかからないことない、みたいな、そういう状態だったのです。私がいないと始まらないぐらいの、めちゃめちゃ、おじさんたちの、アイドルとまでは言いませんが、かわいがってもらっていたのです。
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それは、そつなく、そういう、かわいがってもらっていることに対して、はいはい、という感じで、愛想よく対応していたのです。そこから何か、ちょっと深刻な、別にセクハラを受けるわけでもないのです。
これ、本当にめちゃくちゃ人気があって、社内の人気者というポジションに一見いたのですが、これ、今思うと良くなかったなぁと思うのです。
具体的に、何が?ということをお話しすると、いろいろ、この後、私の前後とかにも、若い女性社員とかって入ってくるじゃないですか。結構、こういう女の子たちが、こういうおじさんたちとの飲み会とか行って、やめてください、とか言って、
結構、おじさんたちのくだらないエロ話とか、ワイダンというんですか、なんとかちゃん、なんか、彼氏いいの?みたいなね、とか、あれ何だろう?とか、そういうエロ話とかあるじゃないですか。
こういうのをされただけで、真っ赤な顔をして、怒っちゃう女の子とか、泣き出す女の子とかいたんですよね。帰ります!とか言って、飲み会から帰っちゃったりとかね。
こういう女の子とかいて、当時の私は、こんなのね、もうめちゃくちゃ上手だったんでね、親父やしらいがね。でも、盛り下げないで、上手にね、こういうのをうまく回していくっていうんですかね、得意だったので、こういう若い女の子を見て、なんかバカだなーってね、こんな盛り下げちゃってね、飲み会をね。
もうちょっとね、うまくやればいいのにって、当時思ってたんですよね。だけどね、これ今になって思うと、こんなことね、こんなスキルね、別にね、得意になったってね、何にもいいことないんですよ。
確かにその場はね、盛り上がったかもしれないんですけども、私がこの当時ね、もうおじさんたちにも、「かんなちゃん、かんなちゃん、うぇー!」みたいにね、喜ばれてて、「はいはい、もうなんとか部長、はいはい!」みたいにね、やってたこんなスキルってね、もう別に全然必要ないんですよ。
これ私が得意だったからって、1ミリも給料上がってないですし、もうね、1個でも私のこの、なんて言うんでしょう、やりたい仕事にね、ついたわけでもね、もう全然ないんですよ。
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単に飲み会の安いキャバ嬢ですよね。ホステスさんとかじゃなくても安いね、スナックの女の子ですね。ホステスさんって言ってもね、そういう一番ね、ランクが低いホステスさん代わりに使われただけなんですよね。
なのでね、あの頃ね、泣いてね、怒って帰っちゃってたね、女の子たちはね、ただし、もうこんなこと上手くなってもね、何にも良くない。
こんな感じでですね、おじさんたちからも人気あって、社内ではね、比較的居心地の良いポジションにいた私なんですけれども、もうやっぱり暇死にね、これじゃね、やっぱり全然ダメだなって、
私の目標はね、やっぱりS先輩まで行かないにしても、一軍は無理でもね、せめて二軍の端の方に行きたいな、みたいな気持ちがあって、
当時ね、ちょうどですね、こういうS先輩のね、周辺の最上位の仕事じゃないところでもね、ちょっとチャンスの糸口みたいなのがあったんですね。
それがマンション事業部なんですよ。マンション事業部が何やってたかっていうと、当時ね、もうバンバン建っていってた新築のマンションなんですよ。
新築のね、あの文庄マンションがどんどん立ちますよね。これに、Y社みたいなインテリアにね、強い会社とかがコラボするんですね。
オプション会っていう名前を、マンションを買ったことある人なら聞いたことあるかもしれないんですけれど、こういう新しいマンションを建った時は、オプション業者っていう会社がひっつくんですね。
で、このマンションを買ったお客様たちのために、ちょっとその買った後にね、発生する工事、例えば買った時はね、決まった間取りで買うわけですよね。3LDKの和室があるかとかないかとかね。
決まったAタイプから、例えばGタイプまでとかっていう風にマンションがあるんだけれど、買った後にね、ちょっとやっぱりここ変えたいとかね、あとカーテンは絶対つけるとか、照明器具は買わないとか、いろいろこの買った後にね、あのいろいろ追加でね、あのいろいろ頼みたい工事とかをお願いするところがオプション業者っていうところになるんですよ。
今だとね、こんなの自分でお客さんがマンションを買った後にね、好きなインテリアショップ行くとかね、好きな会社に頼んで電気もつけてもらったりとかすればいいんですけれど、まあ日本的なビジネススタイルでマンションを買った後ね、こういう漏れなくお客さんを抱き込んでですね、そのまんま他のいろいろオプションの工事ももろもろいただこうというね、
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そういう、なんて言うんでしょうね、そのままこう連動してお客さんをね、ずっとつなげていくっていうやり方をしてたんですね。今もね、多分これは変わってないと思うんですけど、お客さんの方が賢くなってきてるので、オプション業者にね、まるまるそのままもう、はいじゃあマンションを買った後、カーテンとか電気も全部ね、そのマンションのね、販売のオプション業者にお願いまるまるするっていうお客さんは多分ね、当時より減ってきてると思うんですよね。
まあでも今は、その当時はそんな感じでやってて、こういうのね、やっぱ美味しいんですよね。このままY社の商品買ってくれたりとか、Y社の電気のいろんなプランとかを選んでくれるね、お客さんとかをうまくそのまま誘導できますのでね。
この事業のために、結構Y社はオプション業者をやってたんですね、当時ね。このオプションの仕事は去っておき、これに付随してモデルルームのプランを作るっていうね、その仕事があったんですよね。
これはインテリアコーディネーターのね、仕事ができる人が、一番ね、このマンション事業の中で華やかなのは、当該モデルっていうね、当該っていうのはつまり、まだマンションがこれから計画されてて、これから立つっていう時に、ちょっとね、2階建てくらいのプレハブの販売センターを作るんですよね。
で、なんとか、リビオなんとかっていうね、マンションギャラリーとかいう名前で、このまだ立ってないマンションのいろいろ間取り見てもらったり、モデルルームを何より見てもらったりして、その後、まあ契約するのに接客ブースがね、いくつか設けられてるみたいな、そういう場所があったんですね。
で、ここの、ここにね、だから本物、実際にこれから立つ予定のマンションと同じ間取りで、モデルルームを再現するんですね。
で、だいたい1階が接客ブースになっていて、2階にモデルルームがある、3パターンぐらいのお部屋をお客さんに見てもらえるスペースにしているっていうのがね、多かったと思うんですけれど、ここのモデルルームのコーディネートをするっていうのが、一番の花形職業だったんですね。
本当にね、自由に設計変更って言ってね、本来の3LDKをもっとね、バーンとブチ抜いて、かっこよくね、みんなの購買意欲をかきたてるように、造作家具って言いましてね、作り付けの、なんていうんでしょう、壁面にかっこいい棚とか、あとウォークインクローゼットとかね、本来、通常何もしなければ、普通のね、クローゼットが付いてくるだけのところに、
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横のちょっと難道の部屋をブチ抜いてね、広いウォークインクローゼットで、ガラスの扉つけたりとかね、そういうちょっと夢を見させるわけですよ、来る人にね。
うわー、このマンション素敵!みたいに思って買ってもらうようにね、すごいかっこよくね、コーディネートする仕事、これがね、やっぱり一番最上位の仕事だったんですね。
これ以外にもですね、文城マンションを実際できて、建った後もですね、結構ね、これが完売なかなかしなかったんですよね。
駅地下のね、立地がいいマンションだと即完売するんで、もうね、何もすることないんですけれど、結構ね、この当時はね、もうどこにでも建ってたんですよね。
あっちこっちにマンションを建ててて、そんな大したことない駅からね、15分ぐらい歩くようなところにもマンションがニョキニョキ建っていて、こういうところはね、やっぱり売れ行きがね、思わしくなくて、なかなか完売しないんですよね。
そうなると、中の売れ残っているお部屋を、いろいろ家具とかね、カーテンとかつけて、モデルルームにして、見せる部屋にしてね、最終その部屋が気に入った人には、家具付きで売っちゃうみたいな、そういうことをやってたんですよ。
これはね、かなりたくさん仕事があって、この塔内モデルね、塔外モデルが一番華やかな仕事で、その次にこの塔内モデルをコーディネートする仕事っていうのがね、あったんですね。
これだったら、もう私にも当然できるよと、もう十分この時には、照明のね、知識とか経験も積んでますし、インテリアの方はね、それなりに一応ね、やってたのでね、何より好きだったので、できると思ってたんですけどね、
こういう仕事をね、中でね、私のように希望している若手の社員とかには一切任せないで、その外部からね、外中のコーディネーターさんたちを雇い出したんですよね。
この頃ね、このフリーランスで活躍しているインテリアコーディネーターっていうのが山ほど誕生してたんですね。こんな感じでもうマンションがいっぱいあるし、売れ残っているマンションもいっぱいあったので、全然仕事に困らないっていう状態だったので、山ほどフリーランスのインテリアコーディネーターっていうのがいた時代だったんですね。
こういう人たちをね、結構いいフィーで雇ってるんですよね。だからその会社からすればね、一件一件で受け終えるので、ずっとね、この人たちのことを雇用しなくてね、住むっていうので、そういうやり方をしてたのかもしれないんですけどね。
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なんだかんだ言って、この当時ね、本当に仕事に困ることないぐらいね、このマンション事業とオプションのね、オプション事業っていうのもぐるぐるぐるぐるちゃんとうまくビジネスが回ってたので、相当ね、このフリーランスのコーディネーターさんたちは稼いでたんですよね。
なんですけどね、こうやって社員でいる私とかね、その私を含むこういう仕事にね、チャンスを見出そうとしている若い人にはね、全然こういうね、仕事はもう巡ってこなかったんですよね。
ここでもうね、そろそろ私はもう旅立つタイミングなのかなっていうことをね、ちょうど思い始めてたんですね。
この居心地のいいね、Y社をそろそろ旅立とうと思い始めた頃にですね、タイミングよくあるとある会社がですね、新しく支店を作って、そこで追加のね、中途入社を募集しているっていう広告を見たんですよね。
で、「お、これは?」ってなんかね、ちょっとピンとくることが、あのものがあって、ここにね履歴書を送ることにしたんですよね。
はい、ちょうどここでね、キリがいいですので終わろうと思います。この続きはまた次回お話しします。ではごきげんよう。
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