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市ですおはようございます このポッドキャストは僕が毎週お送りしているニュースレタースティーブニュースの音声版です
スティーブニュースでは毎週科学技術工学アート数学に関する話題をお届けしています
このポッドキャストでは日本語には「ん」がなかったという第50号の話題からお届けしたいと思います
日本語には「ん」を表す文字がもともとありませんでした この文字を我々に残してくれたのは天才エンジニアであり驚異的な言語学者でもあり
そして 日本が誇るアーティストでもあった空海の
洞察力と創造力のおかげだったんですね 今日はそんな知られざる「ん」の物語をお楽しみいただければと思います
[音楽]
改めましておはようございます市です 僕たちがこのスティーブニュースを始めるずっと前ですね
新しいカンファレンスを開けないかと模索をしていまして スティームアンカンファレンスという企画を何回か実施していました
テーマは「美しさとは何か」「愛を作り出せるか」「世界は美しいか」という3つの問いだったんですね
よくよく考えてみると今から1200年ほど前にそのスティームを体現していた人物がこの日本にいました
平安時代初期の空海です 空海は神宮密教という当時最先端の科学数学を日本に持ち帰り
発展させました 彼はまた生まれ故郷である佐渡の国で窒水を行ったりとか
荒野山の海藻などで知られる天才的な土木技術者工学者でもあったんですね
仏教とともにインドから中国へ渡っていた九行明という工学書も移し取って日本に持ち帰っています
そして彼こそが佐賀天皇橘の早成とともに日本の美を決定したアーティストでもあったんですね
今回はその空海が日本にもたらしたちょっと意外な贈り物をご紹介したいと思います
空海こそが日本のルーツなんです
以前ネット上でこんな話題がありました 豚カツ専門店というセリフに4回現れる
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んの発音が全て異なるというのです 豚カツ専門店
4回にが現れますね今わざとゆっくりゆっくりというか強調して発音しましたけれどもこれさらっと流すと
4回とも違う音が現れているの 何回か聞いていただくと気づかれるかもしれません
豚カツ専門店 豚カツ専門店
どうでしょう豚カツ専門店 それぞれの音には名前がついています
1つ目の「ん」が「南郊外美音」 2つ目の「ん」が「良心美音」
3つ目の「ん」が「死刑美音」 4つ目の「ん」が「郊外水美音」です
他にですね「高郊外美音」や「美母音」も日本語に現れるそうです
美母音というのはフランス語で特徴的な音の響きってありますよね 鼻に抜ける音
これ日本語でも使われているそうなんですね 例えば豚カツ専門店参入っていう風にもう一個音説をつけてみると
豚カツ専門店参入 わかりますかね
豚カツ専門店の「ん」の音が美母音になっているそうなんですね フランス語の「ん」の音に近い音になっているそうなんですね
豚カツ専門店参入 ちょっとわかんないですよね
そもそも表音文字の役割というのは いくつもある発音を一つの記号で代表させることなんですね
人によってまた地域によって異なる発音に忠実に文字を割り当てていたら コミュニケーションなんてとてもできないですから
その最たるものが日本語では「ん」なんでしょうね 何せ4から5の異なる発音がすべて一つの「ん」に集約されているわけですから
ちなみにですね 言語学者の服部志郎先生という方がいらっしゃって 日本語話者によるおよそ10種類の「ん」を聞き分けられたというふうな言い伝えが残っています
つまり日本語には10種類以上の「ん」があったということなんでしょうね
ちょっとね僕にはわからないですけどもね 実際あるんでしょうね
そんな「ん」ですが日本語には「ん」を表す文字はもともとありませんでした
「ん」という発音はあったと考えられるんですが それを表す文字がなかったんですね
奈良時代には万葉仮名という仮名文字がありました しかしその中に「ん」に相当する文字がなかったんですね
奈良時代の古事記、日本書記、万葉集には「ん」に相当する万葉仮名というのが見つかっていません
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その代わり他の文字を当てて読むときには「ん」と読んでいたようなんです
じゃあどんな文字を使っていたかというとそれが一種類ではなかったんですね
先ほどのとんかつ専門店というのは4種類の「ん」が使われているというお話だったんですけれども
それぞれ違う「ん」でした
それぞれに万葉仮名では「む」「に」「い」という文字が割り当てられてたんではないかと考えられています
とんかつ専門店に割り当てると「といかつせんもにて」という風になるそうなんですね
これ早口で言うとなんとなくとんかつ専門店に聞こえるかなと思うんですけども
皆さんどうでしょう?ちょっとやってみます
といかつせんもにて
といかつせんもにて
どうでしょう?とんかつ専門店に聞こえませんかね?
といかつせんもにて
どうでしょう?
西暦830年に奈良の最大寺で書かれた根光明最小王教というお経に
南波の「なん」という字、難しいという字に「なあい」と振り仮名が振られています
これはおそらく「なん」という風に読ませるために振られた振り仮名じゃないかと考えられています
それから漢字ルの漢には「かむ」と振り仮名が振られています
こちらも漢という風に読ませるために振られた振り仮名じゃないかと考えられています
このようにして言語学者は「ん」がどのように書かれたのかを探っているということになります
空海の時代、つまり平安初期なんですけれども
まだカタカナも平仮名もありませんでした
日本人が使っていたのは万葉仮名ですが
単独の「ん」の音を表す漢字が中国にもなかったため
日本人はまだ「ん」に対応する文字を持っていませんでした
そんな中、空海や仏教の本場インドで使われていたサンスクリット語
これは梵語のことですね
を研究して「ん」の表す文字を日本に持ち帰りました
サンスクリット語は現代の文類ではインドヨーロッパ語族に関する言葉で
4世紀頃にブラフミ文字という標音文字を借りてきて
書き表すことができるようになったそうです
サンスクリット語で書かれたオリジナルの仏教経典は
最悠久で有名な「元城」またの名を三蔵法師によって中国へ持ち帰られました
元城は今でいえば大学教授が突然エクストリーム冒険の旅に出てしまったような生涯の持ち主で
しかも数々の困難を瞑想で乗り越えるという変人とおり越して強人なんですけれども
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本当に元城の人生ってめちゃくちゃ面白いんですけれども
それをまたまたの機会にご紹介させていただくとして
元城のお骨が日本の奈良県の八久市寺というお寺さんにあるんですけれども
これもねちょっといずれお参りしないなと
僕奈良にも住んでたんですけどね
当時知らなくてお参りしたことがなくて
でも改めて行こうかなと思ってます
その元城三蔵法師がインドから中国に持ち帰ったお経
それを空海が日本から中国に渡って学んでいます
中国の長安でケイカーというお坊さんから学んでいます
サンスクリット語でマントラ
日本語では神言と呼ぶ仏法を学んでいます
神言は人が施策する際に不可欠の言語を意味するが
その言語によって仏の真意を知り
それに働きかけることで悟りを開くことを目的とするものです
これは参考文献から引用させていただいています
ニュースレターで参考文献の方もご確認いただければと思います
空海自身が言葉にしていることなんですけれども
背後にはそもそも如来が真理を説くのは必ず文字によっているという思想があるのだと思います
ここらへんひょっとしたらガリレオガリレと似ているかもしれません
宇宙は数学で記述できるというふうに考えたわけなんですけれども
これガリレオガリレの思想ですね
空海は真理は必ず文字によって書けるんだということを信じていたんだと思います
空海は雲地義という書物を書いています
本書のタイトル雲地義というふうにフリーガナー通常振られるんですけれども
空海はきっと雲地義と呼んでほしかったと思うんですね
雲地義ではなくて雲地義
空海は宇宙が出子から始まる瞬間を「あ」ということで表し
宇宙が再び出子へと収縮した瞬間を「ん」ということで表しました
「あ」と「ん」ですね
空海の詩であったケイカはインドから中国へ伝わったマンダラを整理して
「了解マンダラ」にまとめた人物です
空海はこの了解マンダラを日本へと持ち帰っています
他のお経とかと一緒に持ち帰っています
了解マンダラは始まりを表す「大増開マンダラ」と終わりを表す「今後開マンダラ」からなるわけなんですけれども
空海は「あ」の音を大増開に「ん」の音を今後開に対応させました
この今後開マンダラですね
ニュースレターの方では画像で紹介しています
僕はこのマンダラから深い意味というのをまだ読み取ることができないんですが
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それでも気化学的な形態を超えて美しいなということはわかります
カタカナ「ひらがな」が使われ始めるのは平和前期で古今和歌集が成立する頃なんですね
905年頃だと考えられています
カタカナの「ん」が史上初めて登場するのは大阪府高槻市にある流光院というもお寺さんの所蔵になるところの
保家経だとされています
この経のコピーなんですけれども1058年に編纂されています
というわけでカタカナの発明から「ん」の発明までおよそ150年の開きがあるということになりますね
保家経そのものは聖徳太子の時代に日本に伝来はしているんですが
そこに「ん」の文字をもたらしたのはその概念を大陸から持ち帰った空海と
そしてそれを理解して弟子に伝えようと努力した最澄によって日本文化に刻み込まれたと言えるんじゃないでしょうか
オリジナルは現状三蔵法師が持ち帰ったサンスクリット5番ですから
「ん」が遠くインドから持ち帰られたというふうに言えるんじゃないでしょうか
カタカナの「ん」が現在の字の形、字形を手に入れた経緯はよくわかっていません
「ん」が現在の字形に固まったのは1100年頃と見られています
この前後の文献では「ん」の代わりに「れ」というね文字を、文字とか字形を使っているケースもあるため
「ん」は「れ」から派生したとする説もあります
一方、江戸時代の政治家であれ学者である新井博籍は「ん」のルートを独自に研究して
サンスクリット語由来なんじゃないかということを言っています
サンスクリット語にも「ん」とよく似た「点」と「有」の字を組み合わせたような文字がありまして
そちらが「ん」に変化していったんじゃないかというふうに新井博籍は主張しています
どちらが正しいのかはよくわかりませんが
空海は日本語と中国語の他にサンスクリット語にも通じていたのでその可能性は十分あると思います
空海は「あ」を口を開いたときに出る音「ん」を口を閉じたときに出る音として対比させていました
そういう意味ではトンカツ専門店の「ん」は口を閉じたときに出る音なので
全て「ん」を割り当てたというのは空海の思想に通じるんじゃないかなと思います
もっと考えると語学の天才だった空海はトンカツ専門店に相当するようなので
「ん」の音をすべて聞き分けることはできたと思うんですね
その上で空海は日本語の「ん」の音をサンスクリットの「ん」に対応させました
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空海の時代はこれは漢字で翻訳すると「口辺に牛」なんですけれども「無に牛」とも書いたわけですね
あるいは九州の大牡田の「無」の下に「牛」ですね
これでも同じ意味を示したそうなんですね
だからひょっとしたらこのトンカツ専門店の「ん」のところですね
「ん」の音が「ん」だよというメッセージを込めたのかもしれないです
空海にとっては現代的な「ん」というのがもうすでに平安時代に見えていたのかもしれません
ひらがなの「ん」の方なんですけれどもカタカナの「ん」にやれや遅れる1120年古今和歌集のコピーが最初だそうです
これコピーなんですけれどもフルセットの古今和歌集としては現存する最古のものだそうで国宝に指定されています
これも漢字の難しい字なのでニュースレターで確認していただきたいんですけれども
「無」という字「ない」という「無」ですね
これの意自体を崩したものだとされています
この意自体が何かというのは口では説明が難しいのでニュースレターの方で見ていただきたいんですけれども
この「ない」という「無」の意自体を崩したもの
この時代はもうすでにとんかつ専門店のそれぞれの「ん」というのを区別する必要はなくなっていたんじゃないかというふうに考えられます
さて最初の3つの問いに戻りたいと思います
美しさとは何か愛を作り出せるか世界は美しいか
僕は美しさとは何かというのは工学アート数学をまたがる問題
愛を作り出せるかは技術工学アートにまたがる問題
世界は美しいかは科学アート数学の問題と捉えてそういった専門家たちに質問を投げかけ続けています
空海はもうこれは僕の想像というか妄想に過ぎないんですけれども
この3つの問いに答えを出していたのかもしれないんです
彼はその類稀なる筆で美しさの基準をエンジニアリングしたんじゃないか
信仰密教によって愛をハックしたんじゃないか
そして世界は美しいということを日本語の中に永遠にハードコーディングしたんではないかなと感じています
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ちょっとわかりにくかったですかね
あとで振り返りのところでもう少しお話をしてみたいと思います
日本人は考え事するときに「んー」って言いますよね
これ欧米圏では嫌われることの多い習慣なんですけれども
つい言っちゃった時は「ごめん今今後会に行ってた」と言い訳をしてみてください
僕はニュースレターを毎週金曜日にお送りしているんですけれども
レギュラーの内容を毎週金曜日にお送りしているんですけれども
その別冊を翌週の水曜日にお送りしているんですね
こちらは有料好読者様向けに特別に書いている別冊なんですけれども
この空海の話を書かせていただいた第50号の別冊は一般の読者様にも全員にお送りしているんですね
スティームニュースの無料好読していただくとバックナンバー遡って第50号別冊も読んでいただけるので
こちらも機会があれば読んでいただきたいなと思っているんですけれども
実はこの第50号を書いた時の感想を長めに書かせていただいています
というのは空海が今の中国当時の東へ旅立った最後の港というのがですね
我が家からそれほど遠くはないんですね
遠くはないといっても船で1時間ぐらいかけていかないといけないんですけれども
後藤列島の先端にある港なんですけれども
ここに立つとですねもう本当にそこがの日本の国境でもうそれは平安時代から変わらない日本の国境で
ここから先もう日本人は住んでないし近くに島もないし
人が住んでる島はなくてですね
平安時代の船ですからね、剣刀子戦の再現はされていますけれどもかなり小さな船で
航海術もね当時発達していなくて
なんと沖合に出ると占いで方角を決めていたというね
なんかそんな文献も残っていたりするんですね
明らかにこう東しなかになんですけども明らかになんかもうここから
日本終わりっていう感じのね、後藤列島までは次の島が見えてるんですよ
九州の端っこから島自体に渡っていって
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端っこまでね行けるんですけども
そこから先っていうと本当にもう海
例えて言うと例えば西日本でいうと室戸岬とかの感覚ですかね
ここから先も太平洋っていう感じの
室戸岬は四国ですけども和歌山で言えば串山とか
僕あまり詳しくないですけども
東日本で言うと伊豆半島とかの先端に立つと
ここから先ずっと太陽が広がるっていうね感覚なんだと思うんですけれども
平安時代ねすでにこう中国の随東との行き来が
東しなかを経てですねありましたから
この先大陸があるというのは知られていたにしても
ただ途中でね四方八方海しかないところを通るので
まさに暗のスペースを行くということだったと思うんですね
そこを越えてまで中国に渡ってインドから届いている
密教を日本に持ち帰りたかったということにね
僕はすごく感動しました
別冊の中ではもう一つね
リベラルアーツは人間のOSだってお話もね書かせていただいてるんですけれども
これは一度独立したポッドキャストとしてお届けしたいと思います
というわけで今回も最後まで聞いてくださってありがとうございました
また次のポッドキャストでお目にかかれればと思っております
ではまたお会いしましょう
一でした
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