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皆さん、おはようございます。 野菜がつなぐひととひとハーティッチファーム代表もとです。
本日も、農業と学びで心も懐も豊かにするチャンネル、始めていきたいと思います。
この番組は、国内最大手エンジニアイング企業で、17年間世界を飛び回っていた企業選手香川基文が、
40歳を機に脱裸収納した経験をもとに、農業、ビジネス、キャリア、学びなどについて話すチャンネルです。
はい、おはようございます。
今日は、第3月曜日ということで、毎月第1、第3月曜日は、私の周りの農業や農業関連で活躍されている皆さんにインタビューを行う
キラノさんいらっしゃい!のコーナーでございますので、そのインタビューをお伝えしようかと思います。
今回はですね、私が住む儲か市の隣のマシコ町でバナナ栽培をされている塚田彩音さんにインタビューを行っておりますので、そちらをぜひお聞きください。
おはようございます。
おはようございます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあちょっと簡単に自己紹介からしていただいてよろしいでしょうか。
はい、皆さんこんにちは。初めまして。私は栃木県マシコ町でバナナやパイナップル、マンゴーを栽培している株式会社彩音と申します。
この会社は5年前から作られて、今ではバナナ、パイナップル、マンゴー、パパイヤを主に栽培して販売しております。
はい、ありがとうございます。
私が住んでいるのは栃木県儲か市なんですけど、彩音さんがいらっしゃるのは隣町のマシコ町の方ですね。そこでバナナ園、他の南国フルーツも作っていらっしゃる彩音さんでございます。
今日はこの彩音さんのところのバナナ栽培のことをちょっとお聞きしようかと思ってきました。
ということで、今日いろいろお聞きしていきたいと思うんですが、実は彩音さんも元々農家というかバナナ栽培をやっていたんじゃなくて、前職別のことをやられていて、今現職はバナナ栽培を始めたということですね。
はい、そうです。
前職何をやられていたんでしたっけ?
前職の方は保育士の方をやっていまして、もともと私の実家は農家で畑を持っていて、お米の時期は稲刈りをしたりっていうのはやってたんですけど、私自身全く農業に携わったことも、土地事業をしたことも全くなく、社会人2年間は保育士として仕事をしていました。
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なので保育士時代も家の手伝いはしてなかったので、
あ、今の話を流れて、してたかと思ったら全然してなかったんです。保育士の時代はね。
保育士の時代はもうそれでいっぱいいっぱいで、全く手をつけていなかったので、本当に22年間全く肥料すら触ったことも、肥料の名前すら聞いたこともなかったので。
子供の頃も手伝いなどもしたこともなく。
ない。スコップは持ったことあるかなぐらいのレベルで。
すごいですね。
なので2年間は保育士として子供と楽しく過ごしていました。
お実家は何作ら、お米?ほとんどお米だけ?
お米と、私のおじいちゃんが野菜を夏冬一生懸命育ててました。
なるほど。
はい。
じゃあちょっと前職の時のことをもうちょっと深掘りしようかと思いますが、保育士になろうと思ったのは何か理由があったんですか?
保育士になったのは、本当に私が4歳ぐらいの時に、幼稚園入りたての頃に、すごい子供たちと楽しそうに歌を歌ったり、遊んだり、いろいろ折り紙を教えてくれたりした先生を見て、自分もなりたいなと思って。
そこから中学校とかで会社体験みたいな、そういうのがあって、幼稚園とかによく行ってたんですけど、そういうので、やっぱり楽しいなって。
私もその子供も大好きだし、何かものを作るのも好きだし、っていうので、なりたいなって小さい頃から思ってました。
素晴らしい。
そうなんですね。自分の担任の先生というか、幼稚園の頃の先生に憧れてって感じなんですね。
憧れてなりました。
なんか、彩音さん、母性あふれてるって感じ。優しい雰囲気ですもんね。
実はそう、マルシェとかで彩音さんのお子さんも、今お子さん何歳なんですか?
今1歳半。
1歳半。
可愛いお子さん。子供大好きっていうのが現れてる風貌なんですよ、彩音さんは。
温かい感じで。そうか、でも2年間、結構、ほぼさんって、自分で憧れて入ったけど、やっぱ大変なんじゃないですか。
そうですね。ちなみに私、研修の2日目で辞めたいと思ってたんですけど、辞めたいって思ったんですよ。
2日目って早いっすよね。
2日目で、本当に現実こんな感じなんだっていうので、2日目で私辞めたいって、いろんな人に電話してどうしようっていうレベルになったんですけど、
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でもやっぱり子供と触れ合って、もっとすごい仲良くなっていくうちに、すごい大変な仕事なんですよ。
なんですけど、それ以上にやっぱ楽しいこととか、やっぱり子供が可愛いっていうので頑張れる部分はいっぱいあります。
ちなみに2日目で辞めたいと思ったら、子供を世話するいろいろな雑部が多すぎて大変だったって感じですか。
それよりも、新学期に向けての準備がスパンが短すぎて、期間、この日までにこれを終わしといての量が全然比例してなくて。
膨大すぎて。それを研修で入ってきたから、その辺を任されてやってたんだけど。
2日目で辞めたい。私の4歳からの夢は何だったんだろうって思ったのが2日目。
仕事量のボリュームに押しつぶされたんですね。
でもその研修期間終わって、自分のクラスを受け持ってからはもう幸せいっぱいでした。
研修期間というのは採用になって、最初の数ヶ月というか。
1週間、2週間くらいあったんですね。
研修期間として割り当てられて。
その時は全く子供とも関わらず、裏の仕事をいろいろと制作したりというのだったので。
それもあったのか、2日目で辞めた。
なるほど。子供と触れ合えないし、なんでこんな雑なボリュームをやらなきゃいけないんだと。
そういうことか。
1週間の研修が終わった後には、新学期が始まった頃なのか。
自分の担当に持って。
ペアの先生と一緒に子供を見るというのがスタートしてからは楽しくて。
実際の仕事に入ったら楽しかったですね。
楽しかったです。
よかった。そこで心掘るだけじゃなくて。
なんですけど、本当に私も黒歴史くらい2日目ですから。
本当にいろんな人に電話して、私辞めたいっていう電話をしちゃったんで。
本当に恥ずかしくて。
周りが心配しちゃいますよね。
本当に大丈夫って言われるくらいドーンとなっちゃったんで。
2日目でそれはだいぶ最初から底見た感じですね。
後は上がるだけだみたいな感じで。
そうだったんですね。
その研修終わってそこから2年くらいはホボさん。
ホボさんって1年目からもう一つのクラス完全に一人で任せられてやる感じなんですか。
先生につかれる感じ。
私最初2歳以上担当してたので、もう一人先生がいて、もう一人パートさんが。
3人体制でやってたので。
最初から一人ではないです。
2歳児。最初2歳児なんですね。
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2歳児です。
2歳児って言うと年少産とか。
年少産よりももっとちっちゃい子です。
年少産よりもちっちゃいの。
年少産、次に年少産なる子たちを見てます。
さらに一つ前。
そのくらいなんですね。
やっぱりちっちゃい子の方が大変なんですかね、ホボさんって。
結構大きくなったらあったで動き回るから大変なんかな。
年代によって大変さ違くて。
そういうもんなんですね。
やっぱり0歳児はまだ赤ちゃんで。
動き回らないからね。
全てを注意しなくちゃいけない。
1歳児は月齢によっても全然違うんですよね。
走れる子とまだ歩けない子の月齢が違うので。
同じ1歳の中でもね。
それを合わせるのが。
私1歳児担当はなったことないんですけど。
それを見てて、その子にあった子育をするのは大変だなと思って見てました。
2歳児はまだ言葉が発せないので。
どうしても手が先に出ちゃったり噛んじゃったりっていうトラブルがあったり。
あとトイレトレーニングが始まったりで。
その辺を一対一で指導したりっていうのが大変だったり。
なので年齢年齢によって全然違いますね。
見るポイントが違うんですね。
はい。
なるほどな。
大きくなれば大きくなるほど。
お友達同士のトラブルがあったり。
そうですよね。
全然違います。
2年間の間に最初2歳児を見て、その後は。
その後も2歳児でした。
同じ2歳児を担当したので。
なるほど。
じゃあ他のもうちょっと大きくなった子たちの対応とかっていうのは。
なかったです。
その頃はなかったんですね。
はい。
すごいですね。
もうその頃他のお子さんたちを見てたら自分の子供なんて余裕なんじゃないですか。
いや。
そこは違うんだ。
そんなことないですね。
そうですか。
はい。
そういうもんなんですね。
なんかでも皆さんやっぱり私の先輩方ももうお子さんいてどうなんですかっていうのは聞いてたんですけどやっぱ違いますね。
違うもんなんですね。
全然あのなんだろう今までその20何人を見てたのに今度一人で楽勝じゃんって思ったんですけどやっぱ違いますね。
何が?
何がそうですかね。
わかんないです。
感情の入り込み方が違う。
感情の入り込み方が違う。
何なんだろう。
でも大変ですね。
一人の方が。
一人の方が。
自分の子供一人の方が大変かなと思う。
大変な時もあります。やっぱり。
あれか。
ほぼさんの時だとその時間内でだけでっていう極端な話ね。
なんだけど自分の子供だと24時間一緒だからその大変さなんですかね。
そうですね。
私の息子の場合やっぱり今1歳半でちょうどママがいい時期なのでずっと足にくっついてるんですね。
だからやっぱそれもあるのかなって。
うざいみたいな。
もういいでしょっていう時もずっと一緒なのでそういう細かいところもあるのかなって。
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ずっと一緒だから余計。
でもかわいいですよ。
基本的にお子さんはね。
かわいいです。
大好きです。
素晴らしい。
いいですね。そんなほぼさん2年間をやったあやねさんですが2年目にして。
2年間ずっと1年やって3年目で辞められたって感じですか。
2年目でもうピシッと。
2年目の途中でね。
そうですね。
なぜほぼさん。
転職というか好きな仕事だったのにそれを辞められてバナナ農園に来たんでしょうか。
もともと私が専門学校に入る時にも私のおじいちゃんが会社を経営してて。
お前も最初はやりたいことやれ。だけどいずれかは俺の手伝いをしろっていうのはずっと言われてたんですよ。
おじいちゃんからずっと言われてて。
最終的には手伝ってくれよっていうのはずっと言われてて。
それはまあいいよって言ってたんですけど。
ちょうどきりがいいっていうのもあれですけど。
おじいちゃんも年だったのでちょっと弱ってきたっていうのもあったのでちょっと2年目でバナナ農園の方に来てくれと。
なるほど。
もう一回ちょっとセリフですけど。
ご実家は農業を一応やられていたと。
はい。
おじいちゃんもその農業をやってたってことですか。
おじいちゃんが農業をやってました。
そのおじいちゃんが米とかお米とか他の野菜ちょっと作りながらバナナ園も始めてたってことなんですね。
そうですね。もともと私のおじいちゃんが土建業、建材業をやってて。
それは農業と一緒?
別です。農業は趣味です。
本職は土建業を自営していて。
そこにプラス環境公害分析センターっていう会社があって。
それは土壌分析とかをする会社なんですけど。
これからは農業の時代だって言ってバナナ農園を作ったんだけど。
おじいちゃん事業家なんですよね。
自営業で土建会社を自分で起こしながら環境分析とかそういう会社も始められて。
その一環の事業としてバナナ園というか南国のフルーツのこういうのもやられたと。
もうその南国バナナ園を自分で始められる時には
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あやねさんにゆくゆくは戻ってこいよというつもりで
おじいちゃん始められてたってことなんですね。
そうですね。戻ってきて欲しいっていう理由もあってか
会社名があやねになって。
名前まで付けちゃってるっていうね。
名前までも決められてしまう。
なるほど。そういうことなんですね。
でも好きで始められたほぼさんからバナナ園へ移るっていうのは
前からお願いされてたとは言っても
なかなかそこに葛藤はあったのかなとは思いますが
その辺は後半の方へ移ろうかと思いますので
また次回も聞いていただければと思います。
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。