1. ストーリーとしての思想哲学【思想染色】
  2. #49 続・〈欲望〉とは何なのか
2023-12-24 05:55

#49 続・〈欲望〉とは何なのか

人間の欲望とは、本質的には他者の欲望の模倣であるという話です。

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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします
前回は、欲望の模倣理論を紹介しました
その続きで、ちょっと発展編です
模倣理論っていうのは、人間はあくまで他者を模倣することで欲望を形成していくんだという考え方でした
この考えによると、人間は他者からコピーした欲望、コピー&ペーストした欲望を脳みそに蓄積しているだけということになります
人間っていうのは、欲望というガソリンを燃料にしてエンジンを駆動させる、つまり行動するわけですけど
他者からコピー&ペーストした欲望に基づいて行動しているだけの僕たちって、本当に自分の意思で動いていると言えるのでしょうか
今までの話は、こういうね、よくよく考えると、自由意思なんてものは本当に存在するんだろうかっていう哲学的な問いに送り返されることになります
このあたりの、人間はどのように考え、どのように意識を連続させているのだろうかっていったような包括的なテーマについては、まずはヘーゲルを引き合いに出すのが良いかと思います
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ヘーゲルっていうドイツの哲学者ですけど、ナポレオンとかがいた時代の人ですが、やっぱり似たような世界観を提示しています
ヘーゲルによると、自己意識というのは個人の内側から湧き上がってくるものではないと言います
直感的には、自己意識っていうのは脳みそとか、なんか体の内側からフツフツと湧き上がってくるっていうイメージがあると思うんですよね
でもこれって考えてみると、体の皮膚の内側と外側に世界を分けて、皮膚の内側、体の内側で基本的に全てが完結しているんだっていう世界観じゃないですか
ヘーゲルはそうではなくて、自己意識というのは個人と個人との関係性の中から構築されてくるものなんだと言っています
関係性というのがポイントです
そもそも、自己意識は自分一人では自分を定義することができません
わかりやすく極端に言えば、この宇宙に生まれた時から自分一人きりであれば、もう自分という概念すら獲得することができないですよね
他者ではないものが自分なわけだから、自分というものを定義するには必ず他者の存在が必要になります
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繰り返しますが、自己意識が自己自身であるって確信を持つためには、必ず他者の媒介が必要になります
他者との差異、他者との違いを通じて自分という概念が獲得できるからです
さっきの欲望の模倣理論を思い出してみると、やはり同じ話です
人間は結局のところ、他者がいなければろくに欲望することさえできないわけです
それでも人には必ず何かしらの欲望があるわけだけど、それは他者との関係性の中から獲得される
ある意味、自分以外のすべての他者から操作されているのが自分なんだとも言えます
はい、ここから言えるのは、人間の精神とはそもそも個々に固有に独立した存在ではない
他者と思考や欲望を共有する群体に近いんだということになります
人間の精神はある意味では他者とがっつりつながっているインディビジュアルではないんだという話でした
人間の精神は、群れる体と書く群体のような挙動をするっていうのは結構びっくりするような話ですが
なんていうか、今まで漠然と捉えていた人間というものの像が揺さぶられるようで面白くないですか?
人間って実は確固とした固有のものではなく、もっと由来でいて曖昧な存在なんじゃないかみたいな
それに、どっからどこまでが本当の自分の意思なんだろうって考えるのって、僕は結構こうし問わず有益なフレームだと思うんですよね
もうあらゆる、思春期の中高生が親の影響から抜け出す時とか
マーケティングでペインだとかゲインだとかを捉える時などなど、すごく射程が広い概念なので、是非にと紹介しました
ということで今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。
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