00:01
声を、思いを、世界中に届ける。こえラボ。
経営者の志。こんにちは。
フリーアナウンサーの山口智子です。
皆さんは、弁護士さんというとどんなイメージがありますか?
今日のゲストは、とても気さくで話しやすい弁護士さん。
山越法律事務所の平岡卓朗先生です。
それでは、どうぞお聞きください。
本日のゲストは、山越総合法律事務所の弁護士、平岡卓朗さんです。
よろしくお願いします。
平岡さん、弁護士になさって11年目と伺っておりますが、
まず、そもそも弁護士になられたきっかけから伺いたいと思います。
そんなかっこいい話ではないですが、
高校生くらいの時だったと思いますが、進路を聞かれる時に、
漠然と専門職で人の役に立ってそうな、
仕事って全部人の役に立っているんですけど、
高校生の目から見てわかりやすい、そういうのがいいなと思っている時があって、
やっぱり医者か弁護士かな、みたいなところがあったんですけど、
ただ、医者は理系ができないといけないんですけど、
高校2年生の時に物理が100点満点で19点とかになっていって、
これは無理だということで、
弁護士だったら文系科目も得意だし、
このまま頑張ればもしかしたらいけるかもしれないということで、
そこで進路を決める時に法学部を全部受けようと思って、
弁護士を目指そうと思って大学に入ったという感じですね。
でも、その医者か弁護士かという選択ができるところがすごいなと思うんですけど、
現実を知らないで勢いで結構。
その中で法律の学部のところを受けて、
そこから勉強も大変だったと思うんですけど、
見事合格されて、
やっとこそ何とかたどり着いて、今頑張っているという感じですね。
素人から見ると司法試験の勉強って大変なんだろうなって思うんですけど、
当時のことって。
今振り返ったら確かに結構期間も長かったし、
大変だったかなとは思います。
たぶん親の我慢が一番あったんじゃないかと。
お金もかかるし。
本が高いしっていうのもありますし、
あと最近だと大学院に行かないと僕らの時は、
03:02
試験受けられないっていうそういう時期だったんで、
そこのお金とかの問題もあったんで、
ちょっとそこは迷惑かけたかなとは思ってますけど。
でも合格した時は喜ばれたんですか?
そうですね。
泣いてましたね、親も。
そうですよね。泣きますね。
泣きますね。でも今11年目に入って、
親御様も安心だなっていう目できっと見てらっしゃるんじゃないですか。
ようやくそんな頃かなって感じですから。
それで司法試験に合格されて弁護士となられて11年目。
これまでどんなお仕事内容ですね、
どんなふうにここまでされてきたのか、
具体的にご紹介いただけますか。
弁護士になってからは、
会社の顧問をいっぱい持っているような事務所で、
まず仕事を始めさせてもらっていて、
結構そこでは不動産会社のお客さんが多かったりとか、
あと事件として役員の方の損害賠償の事件を対応したりとか、
あとは株主総会の対応したりとか、
もちろん個人のお客さんもいてということで、
いろんな事件をいろんな会社からご相談いただいて、
それに対応していくということで、
お作法からメンタル面から、
そこで本当に弁護士のイロハというか、
そこを教えてもらうような形で、
6年半ですかね、最初そこで仕事をしていました。
それまで学生から弁護士事務所に入ってなられて、
今イロハをいろいろ学んだっておっしゃってましたけど、
最初はびっくりしたなとか、
自相と現実のギャップというか、
いろんなことありましたか?
そうですね、結構当然それまでは素人だったので、
訴訟って大事だと思ってたんですけど、
その入った時にボスがもうこれ訴訟だって、
大きい声で事務所の中に響きこえて、
これ訴訟だって、明日やれとか言って、
そういうもんなんだと思って、
勢いでやっぱりフットワークよく動いて、
訴訟も本当に一個の手段として、
当然やる当たり前のものなんだって思ったのは結構衝撃で、
確かに訴訟って素人からすると、
ものすごい決断がいる、すごいことだって思っちゃいますけど。
もう話聞いた時に、これもう訴訟、すぐ呼びますからって言って、
平岡さんちょっと来てって呼んで、
これ明日起こしてって言われて、
起こしてっていうのは?
訴訟を裁判所に書類を持ち込んで、
もうやってねみたいな形で、
スピード感と決断力がすごい事務所だったので、
すごい勉強になりました。
6年入らっしゃった中で、きっといろんな学び他にもあったと思うんですけども、
これは本当にありがたかったなっていうのはありますか?
そうですね、前の事務所は、
事務所のナンバー1とナンバー2が親子でやってらっしゃる事務所だったんですけど、
それぞれアプローチの仕方は違うんですけど、
06:02
依頼者の満足っていうところをすごく意識していて、
ケアというか、どこでどういう電話を入れてとか、
そういうところの配慮が凄まじいんですね。
特にトップだったボスは、
一見すごく大きな声で雑にやってるように見えて、
ものすごく気を配っているところがあるので、
それは本とかには全然書いてないので、
そういうのはちゃんと学んでいかなきゃいけないなと思って勉強になりました。
確かに本に書いてない生の現場でのそういったボスのやり取り。
電話一本から、ここはこういうふうに動いて立ち振る舞うんだとか、
それをちゃんとお客さんにどう報告するんだとか、
その辺まで全部頭に入れて、
ナンバー1もナンバー2もそうなんですけど、やっていたので、
非常にそこは今に生かしてやらなきゃなと思ってやってます。
本当に弁護士さんのお仕事って、
そういう一つ一つの細かいところまで気を使ってやっていかないと、
という部分がすごく大きいんだろうなと思うんですけども。
そうですね。特にボスとかは本当にそうだし、
自分もちょっと忙しいなって気が抜けてると、
そこの気が抜けた部分からどんどん炎上しちゃうので、
そこは気を付けるようにしてます。
さっき最初の方にメンタル面もっておっしゃってましたけど、
本当にメンタルも鍛えていかないとっていうお仕事ってありますよね。
本当に思います。
よく分からないまま進むと不安になってメンタルがやられていって、
ミスを変に埋めようとして拡大していくみたいな感じなので、
普段の準備とストレスの発散の方向ですよね。
だからそっちの2本柱をちゃんと意識しないとバランスが崩れるなと思ってやってますね。
本当そうですよね。
そこで6年半されて、その後は党の労働委員会の方にお仕事を移られたということなんですけども、
そうですね。そこで6年半やったくらいのところで、
分かりやすい武器が欲しいなというか、
今振り返れば前の事務所での経験はそれ自体十分武器のはずなんですけど、
分かりやすさが欲しいなと思っちゃったと自分が当時って。
その時勢いでパッと労働委員会の面接の案内が来てたので、
それをパッと受けたらうまいこと言ってしまったので、
だったらせっかくだから飛び込もうと思って、
2年間そこでやるので、事務所を出ますと言って、
ボスのオッケーをもらってそこで仕事をした。
公務員ですよね、2年間は。
労働委員会ということは労働を中心にしたということですよね。
そうですね。そこでは2年間労働しかやってないので、
09:01
本当に今の武器にもなってますし、
当時やっぱりそこの仕事っていうのは裁判所みたいなことをやるんですよね、
行政の機関なんですけど。
裁判所みたいな機関をやるときに裁判官役の、
普段は弁護士とか労働法学者やってる人とか、
マスコミの人とかいう形で大先輩、
放送関係の大先輩と一緒に事件の議論をしたりとか、
自分の考えをぶつけて反応をもらったりとか、
いうのもいっぱい勉強になりましたし、
あと逆に労働組合の偉い人とか、
あと経営者団体の偉い人とかもいるので、
そういう人がみんなやっぱり会社の運営とか、
労働とは関わるべきみたいなのをみんな一加減持っているし、
あと漏れなくお酒がみんな好きなので、
僕方針としてはもう2年間飲み会は断らない方針で、
そこで結構その仕事のオンの時とお酒のオフの時で、
いろんなことを本当に教えてもらって、
あの2年間は本当に貴重でした。
いいですね。お酒何でも飲めるんですか?
お酒そうですね。僕でも日本酒が好きですね。
いいですね。私も大好きです。美味しいですよね。
そしてそのオンとオフっておっしゃってましたけど、
オンの時もそうだけど、オフのそういうお酒を見交わしながら話すことで、
すごいよりコミュニケーションも密接になりますもんね。
そうですね、と思います。
やっぱりその時は事務局っていうのは、
裁判官役の人と労働側の人と会社側の人の3人で事件解決するんですけど、
その間をうまくつなぐ役割なので、
ざっくばらんな話してもらえるキャラクターかどうかっていうのは大事なところがあって、
昨日酒飲んでわけわかんないこと言ったら平岡だから、
ちょっとここまでしゃべっちゃってもいいかみたいな感じでいろいろ教えてくれるので、
うまくそういう意味では使ってもらったかなと思います。
それ大切ですよね。
うまくいったと思ってます。
ここでのまた2年も労働中心にやられて、
すごいやっぱり学びはかなり大きかったんですね。
そうですね、やっぱり当然生の事件を扱うので、
それに対してわーっと自分で調べて、
しかもそれを自分なりの結論出して、
しかもそれを放送の大先輩にぶつけて意見交換して、
また組合側、会社側からもそれについて意見が来るっていう意味では、
なんというか日々実践みたいな感じだったので、
すごく勉強になりましたし、
あと最近の労使の実情どんなかみたいなとか、
あと組合のキャラクターとか会社のキャラクターとか、
いうのもなんとなくわかったところがあるので、
すごく今には生きていると思います。
そしたらそこで2年間やってこられて、
そして今は山越総合法律事務所に入られて、
ボスとおっしゃってましたが山越さんの元でやってらっしゃるわけですよね。
12:04
そうですね、最初にいた民谷合同法律事務所って言うんですけど、
最初の事務所でも山越弁護士はその時若手でいて、
その時当時僕の採用担当をしてくれてたんですけど、
その時にちょうど労働委員会の任期が終わる頃に、
そろそろ就活しなきゃなって思ってたところで声をかけてくれて、
もう全く断る理由ないわと思って、
もうそこですぐOKして、
お世話になることになったということですね。
なるほどね、それもまたご縁ですね。
そうですね、本当にラッキーというか、
人間関係恵まれているというか思います。
本当ですね、それは平岡さんの人柄だと思うんですけど、
お話ししてるのもやっぱりすごい気さくな感じというか、
すごく気軽にお話ができる弁護士さんっていうイメージなので、
だとありがたいです。
すごい話しやすいですね。
平岡さん、労働関係のことをわりと専門にやってこられて、
今現在もそこに結構特化してやってらっしゃるんですかね。
そうですね、手持ちの半分くらいは、
会社側の労働の相談絡みが多いかなと思うので。
なのでぜひ後半では、その労働関係のこと、
今コロナの状況で現状どうなのか、
そういったことも伺っていきたいと思います。
よろしくお願いします。
今日はありがとうございました。
ありがとうございます。
平岡先生のお話、いかがでしたか。
個人的には、日本酒好きという、
ここをさらに詳しく今度伺いたいなと思いましたが、
先生は飲み会のオフの時間と、そして仕事のオンの時、
この両方の場で様々なことを学んだとおっしゃっていました。
人間関係に恵まれていますともお話しされていましたが、
その人懐っこさやコミュニケーション能力の高さが、
今にも生きていらっしゃるという、
そのお話はまた次回も登場して参ります。
どうぞ後半もお楽しみに。